主な海戦・作戦

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雑学ページより分割。

目次

主な海戦・作戦

太平洋戦争

艦娘の台詞に出てくる太平洋戦争(大東亜戦争)の海軍が関わった主な戦闘・作戦の概説的ガイド。
艦娘にとっては誇りだったりトラウマだったり。

map-16065.png

もっと生真面目に知りたい方はこちらもどうぞ(ややサイズが大きいので注意)

以下の表では、参加艦隊で名前が赤色その戦いで沈没した艦灰色艦これ未実装の艦ピンク艦これ未実装でその戦いで沈没した艦茶色その海戦後の撤退、戦闘後処理中に沈没した艦である。

年譜

1941年
真珠湾攻撃
(しんじゅわんこうげき)
昭和16年(1941年)12月8日、ハワイ・真珠湾のアメリカ太平洋艦隊と基地に対しての航空機、および潜航艇(甲標的)による攻撃作戦。
当時ハワイに停泊していた戦艦8隻のうち5隻を撃沈(擱座含む)・3隻を行動不能にする大戦果を挙げ、南方作戦のため米主力艦に損害を与え米太平洋艦隊を行動不能にするという作戦目的を達成した。だが、最大の脅威の一つであった米空母を取り逃がし、石油施設や港湾設備などの基地機能もほぼ無傷のまま残してしまったという非難もある。
また日本大使館の不手際により、日米交渉打ち切りを伝える「対米覚書」(いわゆる「最後通牒」)を米国側に手交する約1時間前の攻撃開始となってしまい、それを米国政府が「だまし討ち」として宣伝したため、孤立主義を貫いていたアメリカの対日世論を激昂させた*1
 
ちなみに撃沈・行動不能にさせた戦艦のうち6隻は後に引き上げられ修理改造を施され艦隊に復帰し、また真珠湾攻撃以外で戦艦を失っていないため最終的にアメリカが失った戦艦は2隻にとどまっている。
余談ではあるが真珠湾攻撃という呼称に馴染みが深いが元はアメリカ側の呼称であり、当時の日本軍ではハワイ海戦と呼ばれた。
おもな参加艦艇
(日本)
・空母:赤城 加賀 飛龍 蒼龍 翔鶴 瑞鶴
・戦艦:比叡 霧島  ・重巡洋艦:利根 筑摩  ・軽巡洋艦:阿武隈
・駆逐艦:霰 霞 陽炎 不知火 谷風 浦風 浜風 磯風 秋雲
ウェーク島の戦い
(うぇーくとうのたたかい)
昭和16年(1941年)12月8日~23日に起こったウェーク島での日本軍とアメリカ軍の戦い。
第一次攻略戦では悪天候と守備兵力を過小評価したために「疾風(未実装)」「如月」を失うこととなり一時撤退、その後真珠湾攻撃より帰投中であった二航戦と第八戦隊、さらに第六戦隊を増援として加えた第二次攻略戦で同島の占領に成功した。
おもな参加艦艇
(日本)
・軽巡洋艦:夕張 天龍 龍田 ・駆逐艦:追風 疾風 睦月 如月 弥生 望月
(増援)
・空母:蒼龍 飛龍  ・重巡洋艦:利根 筑摩 青葉 衣笠 古鷹 加古  
・駆逐艦:朝凪 夕凪
(アメリカ)
・空母:サラトガほか
マレー沖海戦
(まれーおきかいせん)
昭和16年(1941年)12月10日、マレー半島沖で日本海軍航空部隊とイギリス東洋艦隊とのあいだで行われた海戦。
真珠湾攻撃の衝撃も冷めやらぬ中、東南アジアの制海権確保のため派遣されたイギリスの東洋艦隊を日本海軍の陸上機部隊が攻撃。
戦艦「プリンス・オブ・ウェールズ(PoW)」、巡洋戦艦「レパルス」を撃沈。
「作戦行動中の戦艦を航空機が沈めることはできない」という当時の常識を完全に打ち砕き、
大艦巨砲主義時代の終焉現代の海戦における航空機の有効性を決定づけた。
ただし作戦行動中に航空攻撃で撃沈された例は他に4件しかなく、そのどの例も直掩機がない上に相当数の航空機を投入してようやく沈めているため、同時に作戦行動中の戦艦撃沈の難易度も証明している。
当時同方面には第二艦隊の戦艦金剛・榛名や、重巡高雄・愛宕らを擁する艦隊がいたが、金剛榛名という旧式戦艦たちでは太刀打ちできないと日本海軍上層部でも判断されており、PoW・レパルスを含むこの艦隊が、当時の日本海軍にとっても大変な脅威であったことも留意したい。

余談だが、「PoW」が航行不能に陥った際に艦長のジョン・リーチ大佐と乗艦していた英軍指揮官トーマス・フィリップス大将は参謀からの退艦要請に対し「ノーサンキュー」と答え、艦と運命を共にした、という話が戦闘後に喧伝された。
昔から英国海軍を模範としていた日本海軍はこの話に影響を受け「艦長は艦と運命を共にする」という慣習が広まったとも言われている。*2
なお、「PoW」はイギリス首相ウィンストン・チャーチルのお気に入りで、チャーチルがアメリカを訪問した時にも使用されたが、直後の同海戦で喪失。この知らせにチャーチルは「あの艦が!」と絶句して立ち尽くし、戦後の回想録の中でも「私が受けた知らせの中で、もっとも大きな衝撃であった」と書き残している。
アメリカ本土攻撃
(あめりかほんどこうげき)
9隻(資料により10隻とも)の伊号潜水艦がアメリカ西海岸で行った一連の作戦。航続力が高い巡潜乙型が参加したもので、貨物船に対する通商破壊戦などを行った。
戦果は微々たるものであったがアメリカ人に与えた心理的影響は極めて大きく、ロサンゼルスの戦いに代表される騒動が方々で発生した。
西海岸に対潜監視力が集中した頃、東海岸(大西洋側)ではドイツ軍による大規模な通商破壊作戦(パウケンシュラーク作戦)が発動し、図らずも日独双方がアメリカを東西から圧迫する事態となった。
参加艦艇:伊9、伊10、伊15、伊17、伊19、伊21、伊23、伊25、伊26
1942年
H作戦
(えいちさくせん)

蘭印作戦
(らんいんさくせん)
昭和17年(1942年)1月から開始された、日本軍によるオランダ領東インドの攻略作戦。
後のソロモン諸島を巡る戦いほどではないが、日本と連合軍の水上戦闘艦同士による海戦が幾度も発生した。
妙高型重巡姉妹4隻が戦中において唯一揃い踏みしたスラバヤ沖海戦や、朝潮、大潮、満潮、荒潮の第八駆逐隊が参加したバリ島沖海戦などがある。これらの戦いにおいて、日本海軍は蘭印の制海権をほぼ完全に掌握した。
なお「雷」や「電」たちの敵兵の救助作業が有名な(実際は同日に第五戦隊等でも敵兵救助を行っており、後日付で艦隊司令長官の名前で救助命令が出ている)は、この作戦中に起きたスラバヤ沖海戦での出来事。
「ただ強いだけじゃ、ダメだと思うの。ね、司令官!」「頑張ったの…です…」
参加艦艇:
(ジャワ沖海戦)デ・ロイテル トロンプ ファン・ヘント ピートハイン バンケルト ヒューストン マーブルヘッド スチュワート ジョン・D・エドワーズ バーカー バルマー

(バリ島沖海戦)朝潮 大潮 満潮 荒潮
(米蘭連合艦隊)デ・ロイテル ジャワ トロンプ ピートハイン ジョン・D・フォード ポープ スチュワート パロット ジョン・D・エドワーズ ピルスバリー

(スラバヤ沖海戦)那智 羽黒 潮 漣 山風 江風 神通 雪風 時津風 初風 天津風 那珂 村雨 五月雨 春雨 夕立 朝雲 峯雲 足柄 妙高 雷 電 曙 龍驤 敷波
(ABDA連合艦隊)デ・ロイテル ジャワ コルテノール ヴィテ・デ・ヴィット エクセター エレクトラ エンカウンター ジュピター ヒューストン ジョン・D・エドワーズ ポール・ジョーンズ ジョン・D・フォード アルデン ポープ パース

(バタビア沖海戦)名取 朝風 春風 旗風 吹雪 白雪 初雪 叢雲 白雲 最上 三隈 敷波
(ABDA連合艦隊)ヒューストン パース エヴェルトセン
遣独潜水艦作戦
(けんどくせんすいかんさくせん)
同盟国であるドイツとの技術・資源交換は同盟締結の1936年よりシベリア鉄道や輸送船を用いて行われていたが開戦により陸路及び海路が連合軍に封鎖され使えなくなった為に互いの得意分野であった潜水艦を生かして行われた輸送作戦の総称。
第一次(1942年4月出発)・第二次(1943年6月)・第三次(同9月)・第四次(同11月)・第五次(1944年3月)の5回が実施されたがドイツ軍との合流地点であるフランスのロリアン港(第二次はブレスト港)にたどり着いたのは第一次、第二次、第四次の3回、そこから無事に日本に帰還することができたのは「伊八」の第二遣独作戦のみであった。
成果は第二次作戦においてドイツ軍よりUボート(潜水艦)のU-511が無償提供され日本に回航後は「さつき1号」と銘々され日本海軍に編入されてからは「呂500」として終戦まで研究や訓練に使われている。その他にもジェット機・レーダー・ロケット弾・電気溶接の技術等が提供され日本からは主に魚雷関連の技術を提供している。
余談であるがドイツからも同じようにUボートが三度に渡り日本に派遣されるが全て日本にたどり着くことは無く、同じ同盟国のイタリアからも計4隻の潜水艦派遣が行われ1隻が日本に到達、持ち込まれたレーダーの技術によって終戦までに2機のB29を撃墜する戦果を挙げている。ただし、ドイツからの派遣のうち1回は上述の呂500回航であり、残り2回のうち1回はドイツの降伏により中止されたものである。
セイロン沖海戦
(せいろんおきかいせん)

インド洋作戦
(いんどようさくせん)
昭和17年(1942年)4月5日から9日にかけて、インド洋セイロン島沖で日本海軍艦隊とイギリス東洋艦隊との間に生じた海戦。
蘭印作戦に伴うシンガポール陥落によりセイロン島まで後退したイギリス東洋艦隊主力を追撃するべく実施された。
南雲機動部隊がセイロン島の港湾部を空襲し、空母「ハーミーズ」を撃沈、他重巡2隻、駆逐艦2隻を撃沈する戦果を挙げた。
また同時期に実施された馬来部隊による通商破壊作戦では商船21隻を撃沈し、8隻を大破させた。
日本海軍はセイロン島を無力したものの、東洋艦隊主力を取り逃がしたため作戦規模の割に戦局に与えた影響は微々たるものとなった。
またこの快進撃の裏ではイギリス軍機による空母への奇襲未遂を受けるなど、後のミッドウェーの予兆ともいえる出来事が起きている。

この作戦の後、イギリス東洋艦隊はアフリカやマダガスカルまで後退、以後44年に反攻が始まるまで西方で大規模な戦いが起きることはなかった。
参加艦艇:
(南雲機動部隊)赤城 蒼龍 飛龍 翔鶴 瑞鶴 金剛 比叡 榛名 霧島 利根 筑摩 阿武隈 霞 霰 陽炎 不知火 浦風 磯風 浜風 谷風 萩風 舞風 秋雲
(馬来部隊)熊野 鈴谷 白雲 鳥海 由良 龍驤 朝霧 夕霧 最上 三隈 天霧 綾波 汐風 川内 吹雪 白雪 初雪 叢雲 磯波 浦波
ドーリットル空襲
(どーりっとるくうしゅう)
昭和17年(1942年)4月18日に行われたアメリカ軍による初の日本本土空襲。航空母艦から陸軍の中型爆撃機を無理やり発進させて東京・川崎・横須賀・名古屋・四日市・神戸を爆撃する前代未聞の作戦を行う。
潜水母艦から空母へと改装中だった「大鯨龍鳳)」に爆弾が命中した他、死者87名・重軽傷者466名・家屋262戸の被害を出した。
計16機の内15機は同盟国であった中国国内で機体を放棄し乗員は脱出、残る1機は当時日本と中立関係であるソ連に不時着している。
日本軍は空襲は艦載機によって行われると考え、そのため本土に更に接近する必要がある等の予測から機動艦隊追撃に基地航空隊や「扶桑」「山城」等を投入するも特設監視艇に発見された米機動部隊は予定を早めて発艦させ反転していたため捕捉すらできず、本土の防御態勢の甘さを痛感した海軍首脳部は2度目の空襲を防ぐためにミッドウェー作戦を急がせたという説もある。
珊瑚海海戦
(さんごかいかいせん)
昭和17年(1942年)5月、オーストラリア北東部の珊瑚海で、ポートモレスビー攻略(MO作戦)を目指し南下してきた日本海軍機動部隊と、
連合軍(アメリカ海軍とオーストラリア海軍)機動部隊のあいだで行われた海戦。
史上初の空母同士の対戦で、日本海軍が軽空母一隻を失ったのに対し、連合軍は正規空母一隻を失った。
戦術的には日本海軍の勝利といえるが、多数の航空機と搭乗員を失ったためポートモレスビー攻略を断念。
快進撃を続けていた日本海軍の初めての蹉跌となった。
なお、日本海軍が失った軽空母一隻とは「祥鳳」であり、彼女が珊瑚嫌いなのはこのことに由来する。
おもな参加艦艇:祥鳳 瑞鶴 翔鶴 青葉 衣笠 加古 古鷹 妙高、羽黒 天龍 龍田 夕張 有明 夕暮 追風 朝凪 白露 時雨 曙 潮 漣 睦月 望月 弥生
ミッドウェー海戦
(みっどうぇーかいせん)

MI作戦
(えむあいさくせん)
昭和17年(1942年)6月にハワイ諸島の北西に位置するミッドウェー島付近で行われた海戦。
陸軍部隊の同島の攻略における支援と、それに釣られてくる米空母の撃滅が主な作戦目的だった。
この戦いで日本軍は「赤城」「加賀」「蒼龍」及び「飛龍」の4隻の空母を失い、主力の一航戦と二航戦がまとめて壊滅した(米軍は空母1隻を喪失)。
日本軍がそれまでの攻勢から守勢に転がり落ちるターニングポイントとなった。
ただし米軍の受けた被害も甚大で航空機搭乗員の損失は日本軍を大きく上回っていた。特に雷撃隊は生存者1名のホーネットVT-8をはじめ、ほぼ壊滅状態となり再建に大変苦労することとなる。
 
なお大敗北の主な原因としては、米軍との諜報力の差や空母部隊司令部の慢心、司令部での意見の不一致という説が根強い。
しかしながら近年調査が進んできたこともあり、一部の内容が否定される意見も出始めているという。
気になった提督諸氏は自ら様々な資料を当たってみるのも良いであろう。
また、この海戦に関しては、特に赤城や飛龍の台詞に関連しているものが多い。
おもな参加艦艇:赤城 加賀 蒼龍 飛龍 瑞鳳 千歳 金剛 比叡 榛名 霧島 三隈 最上 熊野 鈴谷 愛宕 鳥海 妙高 羽黒 利根 筑摩 神通 由良 長良 五月雨
春雨 村雨 夕立 朝雲 峯雲 夏雲 三日月 朝潮 荒潮 親潮 黒潮 雪風 時津風 天津風 初風 不知火 霞 陽炎 霰 早潮 嵐 野分 萩風 舞風 風雲 夕雲 巻雲 秋雲 磯風 浦風 浜風 谷風 伊168(潜水艦は他22隻参加)
AL作戦
(えーえるさくせん)
日本軍がミッドウェー海戦を行うに当たり、北太平洋よりの奇襲を防ぐのも兼ねて実施された陽動作戦。
「龍驤」「隼鷹」を軸としてアリューシャン諸島の海軍拠点のあるウナラスカ島への打撃及びにアッツ・キスカ島の攻略が目標であったが、アッツ・キスカ両島を無血占領するもウナラスカ島に大した打撃が与えられず緒戦からの秘密兵器であった零戦が不時着してしまったことによりアメリカ軍に鹵獲される(アクタン・ゼロ)という失態も犯してしまい、陽動作戦としては大きな被害のでる作戦となってしまった。
しかし、アッツ・キスカ両島は米国の本土であり、米国にとってそれを占領された衝撃は大きなものであった。
この作戦により、後にアッツ島沖海戦や、アッツ島守備隊玉砕、キスカ島守備隊の奇跡の撤収作戦などが起こることとなる。
おもな参加艦艇:那智 雷 電 龍驤 隼鷹 摩耶 高雄 漣 曙 潮
阿武隈 初春 子日 若葉 初霜
木曾 多摩 暁 響 帆風
ソロモン海戦
(そろもんかいせん)
第一次(1942年8月)・第二次(42年8月)・第三次(42年11月)ソロモン海戦の総称。
米豪遮断を目的としたソロモン諸島の戦い(有名なガダルカナル島の攻防戦はここに含まれる)の中で発生した数ある海戦のひとつ。
 
米軍優勢であったガダルカナル島に「殴り込み」をかける目的であった第一次ソロモン海戦で日本は得意の水雷夜戦で大勝利を収めるが、
航空攻撃を恐れて主目標であった米輸送船への攻撃を断念して帰投したため戦略的な勝利は得られなかった。
ガダルカナル島奪回の為に行われた第二次ソロモン海戦は両軍の機動部隊が交戦となり、軽空母「龍驤」や輸送船を失い奪回作戦を中止。
再度飛行場砲撃と同島奪回の為に行った第三次ソロモン海戦では3日に及ぶ乱戦の末、多数の輸送船と共に戦艦「比叡」「霧島」を失う決定的な敗北を喫し断念、ガダルカナル島及び周辺海域では米軍が優位に立つこととなった。
おもな参加艦艇
(第一次):鳥海 青葉 加古 古鷹 衣笠 天龍 夕張 夕凪

(第二次日本軍):愛宕 陸奥 神通 涼風 海風 江風 睦月 弥生 卯月 望月 陽炎 磯風 夕凪
翔鶴 瑞鶴 比叡 霧島 筑摩 鈴谷 熊野 長良 秋雲 夕雲 巻雲 風雲 初風 浦波 敷波 綾波 秋風
龍驤 利根 時津風 天津風
(第二次アメリカ軍第61.11任務群)サラトガ ミネアポリス ニューオリンズ ファラガット フェルプス ワーデン マクドナー デイル

(第三次):比叡 霧島 長良 雷 電 天津風 雪風 照月 朝雲 村雨 五月雨 夕立 春雨 時雨 白露 夕暮
鳥海 伊26 衣笠 朝潮 鈴谷 摩耶 天龍 夕雲 巻雲 風雲 満潮 利根 隼鷹 瑞鳳 金剛 榛名 初雪
五十鈴 早潮 親潮 陽炎 海風 江風 涼風 高波 巻波 長波 望月 天霧 黒潮
愛宕 高雄 川内 白雲 浦波 敷波 綾波
(第三次アメリカ軍第67.4任務群) サンフランシスコ ポートランド アトランタ ジュノー ヘレナ カッシング ラフィー ステレット オバノン アーロン・ワード バートン モンセン フレッチャー
(第三次アメリカ軍第64任務部隊) サウスダコタ ワシントン ウォーク グウィン ベンハム プレストン
サボ島沖海戦
(さぼとうおきかいせん)
第二次ソロモン海戦の約2ヵ月後である10月11日夜に起きた海戦。
艦これでは「青葉やらかし事件」として馴染み深いが、現実には日本海軍のお家芸である夜戦で初めて大敗したという重要な事件。
ガダルカナル島への物資支援と敵飛行場砲撃の為に重巡3、駆逐艦2からなる第六戦隊と、日本軍を察知し迎撃に出ていた当時新兵器であるレーダーを装備した米水雷部隊との海戦。
遭遇直後日本側の司令官である五藤少将は暗闇の中見張員が見つけた10km先の艦影の中に別行動中の味方輸送部隊に類似した艦影を発見。同志討ちを避けるべく敵味方識別のため味方識別信号を送りながら接近する。この艦影の正体は米艦隊であり、レーダーで日本軍を発見していた米軍にT字での先制攻撃を許してしまう。
旗艦である「青葉」は米軍から集中砲火を浴び、艦橋に直撃弾を受けて五藤少将は戦死、司令部は壊滅、艦も大破する。
しかし即座に退避行動を取っていた「古鷹」が米艦隊と「青葉」の間に割り込み「かばい」ながら応戦、更に殿艦の「衣笠」が有効な反撃を行ったおかげで沈没は免れるが「古鷹」は沈没、その後第六戦隊はなんとか撤退するも「吹雪」は弾薬庫爆発により轟沈、戦闘後救援に来た駆逐艦2隻「叢雲」「夏雲」を空襲にて喪失。一方米軍の駆逐艦1隻を撃沈、軽巡と駆逐艦をそれぞれ1隻大破させている。
別行動のおかげもあり輸送作戦自体は成功したが、夜戦で勝利を収めたアメリカ軍はこの作戦以降、夜戦をあまり恐れることが無くなったという。…が、この後の夜戦での損害は相変わらず大きく、本当の意味で日本軍に夜戦で勝利するようになるのはベラ湾夜戦(1943年8月6日)からであった。
因みに海戦名は交戦国同士がつけるため国によって異なるが、アメリカでサボ島沖夜戦というのは、日本側で言う第一次ソロモン海戦を指すので注意が必要。
「かばう」システムのモデルの1つであるとされ実装された当時、掲示板ではこの話で持ちきりであった。
おもな参加艦艇:
(日本軍)青葉 衣笠 古鷹 吹雪 初雪 叢雲 夏雲
(アメリカ軍)サンフランシスコ ソルトレイクシティ ボイシ ヘレナ ファーレンホルト ダンカン ブチャナン マッカーラ ラフィー
南太平洋海戦
(みなみたいへいようかいせん)
昭和17年(1942年)10月、ソロモン諸島沖で行われた海戦。ソロモン諸島の戦いの中の数ある海戦のひとつ。
日米の空母機動部隊同士の海戦だが、両軍ともに航空戦に終始していた。
この海戦により米空母「ホーネット」が沈没、同「エンタープライズ」が大破し、
太平洋戦線における米空母の稼働数が一時的に皆無*3となったため、米軍をして「史上最悪の海軍記念日」と言わしめた。
この海戦の結果、開戦時から在籍していた正規空母は日米お互いに4隻ずつ*4沈没となり、ミッドウェー海戦での敗北を数字の上では挽回したといえる。
しかし、日本も空母「翔鶴」が大破、「瑞鳳」が小破し、敵のすさまじい対空砲火により出撃機の半数以上と村田重治少佐、関衛少佐ら各艦の飛行隊長クラスを含む150名近い開戦以来の熟練搭乗員を失い、以後同等水準、規模の艦載機部隊が終戦まで復活することはなかった。
おもな参加艦艇:
(日本軍第二艦隊)隼鷹 金剛 榛名 愛宕 高雄 摩耶 妙高 五十鈴 黒潮 親潮 早潮 海風 涼風 江風 長波 巻波 高波
(日本軍第三艦隊)翔鶴 瑞鶴 瑞鳳 比叡 霧島 鈴谷 熊野 利根 筑摩 長良 嵐 舞風 初風 雪風 天津風 時津風 浜風 照月 秋雲 夕雲 巻雲 風雲 浦風 磯風 谷風
ルンガ沖夜戦
(るんがおきやせん)
昭和17年(1942年)11月30日、第三次ソロモン海戦によってガタルカナル島とその周辺の制海・制空権を失った日本軍が同島への「鼠輸送」を行っていた駆逐艦8隻による第二水雷戦隊とそれを阻止するために出撃していた重巡4・軽巡1・駆逐艦6からなるアメリカ第67任務部隊との間で起きた海戦。
米軍は日本軍が発見するよりも先にレーダーを使い日本艦隊を察知、先制攻撃を仕掛ける。
物資を揚陸している最中に攻撃を受けた日本側の司令官である田中頼三少将は「揚陸やめ、全軍突撃せよ」と全艦に揚陸を中止させ戦闘に突入。
日本軍の最新兵器であり秘密兵器であった酸素魚雷の活躍と単艦突撃し囮となった高波の存在もあり、米軍の重巡洋艦を1隻撃沈・3隻大破、こちらの損害は駆逐艦1隻の損失のみと大勝をおさめる。
咄嗟の判断によって自分たちの艦艇よりも大型の艦艇を多数に打撃を与えたので敵である米軍からは高く評価された戦闘であった。
しかし目的であるドラム缶輸送には失敗し、旗艦「長波」の行動が消極的だったこともあり、司令官田中頼三少将に対する日本軍からの評価は著しく低かった。
おもな参加艦艇:
(日本軍)長波 高波 黒潮 親潮 陽炎 巻波 江風 涼風
(アメリカ軍)ミネアポリス ノーザンプトン ペンサコーラ ニューオーリンズ ホノルル フレッチャー ドレイトン モーリー パーキンス
1943年
ケ号作戦
(けごうさくせん)
昭和18年(1943年)2月上旬に実施された、日本軍によるソロモン諸島ガダルカナル島からの撤退作戦。艦これに登場する艦も多数が参加している。
敵軍の制空・制海権下で行われた大規模な撤退作戦であった為、後方には「金剛」「榛名」「隼鷹」「瑞鳳」を含んだ中規模艦隊を待機させていた。
しかし、奇跡的にもアメリカ軍の艦隊は現れずに駆逐艦のみの部隊で3度に渡る撤退作戦で兵員の殆どであった1万人以上を収容することに成功、
約20隻の駆逐艦が撤退作戦に参加して何度か小規模な攻撃は受けたが沈没は「巻雲」1隻のみで予想以上の成果を上げることができた。
なお、「ケ」とは「捲土重来」を意味しており、「ケ号作戦」という作戦名は後述のキスカ島撤退を始め各地の撤退作戦に使われているが、一般的にはガダルカナル島撤退作戦のことを指すのが通例である。
おもな参加艦艇
(第一次):文月 白雪 江風 親潮 舞風 巻波 風雲 巻雲 夕雲 秋雲 浦風 磯風 浜風 谷風 皐月 長月 時津風 雪風 大潮 荒潮
(第二次):黒潮 白雪 朝雲 五月雨 江風 舞風 風雲 夕雲 秋雲 浦風 磯風 浜風 谷風 皐月 文月 長月 時津風 雪風 大潮 荒潮
(第三次):黒潮 白雪 朝雲 五月雨 時津風 雪風 皐月 文月 風雲 夕雲 秋雲 浦風 磯風 浜風 谷風 大潮 荒潮 長月
八十一号作戦
(はちじゅういちごうさくせん)
昭和18年(1943年)3月2日~3日にかけて行われた輸送作戦。ラバウル基地を出て、ビスマルク海~ダンピール海峡を通り、ニューギニア島の都市ラエを目指した。
その途中で米・豪軍の空襲を受けた。別名ビスマルク海海戦、ダンピールの悲劇。海戦といってもほとんど一方的にボコられただけで失敗に終わってしまった。
しかもその失敗は事前に予測できていたのだが「命令だから」の一言のもと強行することに。「白雪」のページにも詳細。
おもな参加艦艇:白雪 朝潮 荒潮 時津風 朝雲 浦波 雪風 敷波 他輸送艦8隻
ビラ・スタンモーア夜戦
(びら・すたんもーあやせん)
1943年3月5日、ソロモン諸島コロンバンガラ島への輸送作戦を終え帰投途中の日本海軍駆逐艦隊と、コロンバンガラ島への砲撃任務のために出撃したアメリカ軍第68任務部隊との間で起きた夜戦。
アメリカ艦隊のレーダー射撃により日本艦隊が一方的に敗れた最初の海戦で、「村雨」「峯雲」の2隻が撃沈された。
おもな参加艦艇:村雨 峯雲
アッツ島沖海戦
(あっつとうおきかいせん)
昭和18年(1943年)3月27日、アッツ島への増援部隊を乗せた輸送船を護衛していた日本海軍第五艦隊とそれを阻止しようとした米艦隊との間に起こった海戦。
第五艦隊は数の上で優勢*5であったものの、那智、摩耶のミスや第五艦隊司令長官細萱中将の消極的な戦術指揮・誤判断が災いして米艦隊の撃破に失敗、輸送作戦も中止になった。
海戦自体の勝敗は引き分けだったものの、増援を阻止したという点においては米海軍の戦略的勝利であった。
この失敗により細萱中将は更迭、アッツ島への増援も遅れてしまい、後の玉砕の遠因になった。
おもな参加艦艇:那智 摩耶 阿武隈 多摩 若葉 初霜 薄雲 雷 電
い号作戦
(いごうさくせん)
昭和18年(1943年)4月7日から行われた日本海軍による航空作戦。奪取されたガダルカナルや東ニューギニアの連合国軍に打撃を与えることが目的であった。
使用された「瑞鶴」ほか3隻の空母の艦載機は、地上基地に移されてから発進した。
ラバウル基地に赴いた山本五十六連合艦隊司令長官の指揮により約一週間実施されたが、戦果の割には多くの搭乗員と機体を失うことになった。
作戦終了直後の18日、山本は飛行機で移動中に、暗号解読して待ち伏せていた米軍機の襲撃により戦死する(海軍甲事件)。
クラ湾夜戦
(くらわんやせん)
1943年7月5~6日、ソロモン諸島コロンバンガラ島への輸送作戦を行っていた日本海軍第三水雷戦隊と、それを阻止するために出撃したアメリカ軍第36.1任務群との間で起きた夜戦。
ガダルカナル島からの撤退以降、日本軍の新たな前線拠点となったニュージョージア島に7月初頭アメリカ軍が上陸を開始し、隣に位置するコロンバンガラ島の防備強化を迫られた日本軍は、第三水雷戦隊による鼠輸送作戦を実施した。
海戦では旗艦「新月」がアメリカ巡洋艦部隊の集中砲火を受け撃沈されるも、「新月」が囮になる形で難を免れた「涼風」「谷風」が魚雷で反撃し、軽巡「ヘレナ」を撃沈した。また揚陸途中に「長月」が座礁し、翌朝米軍機の空爆を受け大破・放棄されている。
日本軍の輸送作戦は成功したものの、海戦の影響で物資全ての揚陸には失敗。更に「新月」の撃沈により三水戦司令部が全滅するなど少なくない損害を被った。
これ以降も中部ソロモンの戦局は次第に悪化し、日本軍はコロンバンガラ島への増援輸送を継続、1週間後にコロンバンガラ島沖海戦が勃発することになる。
おもな参加艦艇:
(日本軍) 新月 涼風 谷風 浜風 望月 三日月 天霧 初雪 長月 皐月
(アメリカ軍) ホノルル セントルイス ヘレナ ニコラス オバノン ジェンキンス ラドフォード
コロンバンガラ島沖海戦
(ころんばんがらとうおきかいせん)
昭和18年(1943年)7月12日深夜~13日未明にかけて、ソロモン諸島コロンバンガラ島への輸送作戦を行っていた日本軍の第二水雷戦隊と、それを阻止するために出撃したアメリカ軍第18任務部隊との間で起きた夜戦。
米軍は湾岸警備隊による監視と夜間偵察機の探索で日本艦隊を発見。更にレーダーを使い日本艦隊を察知したが、日本軍も水偵と「雪風」の逆探知装置により米艦隊の察知に成功。同時刻に両軍は目視により敵の艦影を確認する。日本艦隊の先頭に立っていた「神通」は駆逐艦に攻撃目標を指示するために探照灯を投射。それにより自艦の位置を暴露する形になり集中砲火を浴びる。計34門もの6インチ(約15.2センチ)砲を擁する近代軽巡3隻に対し、「神通」は艦齢18年になろうとする旧式艦であった。激しく反撃するが大破炎上する。
この間、ほぼノーマークとなったニ水戦の駆逐隊は雷撃を実施。軽巡1隻を大破させ、離脱にも成功する。
「神通」が撃沈された頃、魚雷の『次発装填』を終えた駆逐隊は戦線に戻ってきた。再度の雷撃で米艦隊は混乱、直後の艦同士の衝突も合わせて最終的に軽巡3隻と駆逐艦2隻を大破、1隻の沈没という大被害を被る。
これにより米軍の迎撃作戦は完全に失敗に終わり、同島への揚陸も許してしまった。

戦後、アメリカの戦史学者はこの海戦を評して『神通こそ太平洋戦争中、最も激しく戦った日本軍艦である』と語った。
余談であるがこの海戦で旗艦を失った第二水雷戦隊の次の旗艦に「能代」が配備されることになる。
おもな参加艦艇:神通 雪風 清波 浜風 夕暮 三日月 皐月 水無月 夕凪 松風(皐月以下4隻は輸送部隊)
キスカ島撤退作戦
(きすかとうてったいさくせん)
昭和18年(1943年)7月29日に行われた、第一水雷戦隊(旗艦:阿武隈)によるアリューシャン列島にあるキスカ島からの守備隊撤収作戦。作戦名は「ケ号作戦」であるが、こちらは「乾坤一擲」に由来する。
当時キスカ島は米軍の重包囲下にあり、日本海軍はこの時期に発生しやすい霧に紛れての救出を狙った。
7月15日に一度はキスカ島への突入を試みるも、霧が晴れてしまったため断念、帰投し好機を待った。
この時、部下から突入を催促された時の木村昌福司令官の名言「帰ろう、帰ればまた来られるから」は、艦これ提督諸兄も胸に刻むべし。
無理して大切な艦娘を失ったら元も子もないのである。
その後、29日に絶好の濃霧が発生し、米艦隊が包囲を解いた一瞬の隙を突く形でキスカ島に突入、わずか55分で守備隊員5200名を収容、キスカ島を撤収した。
 
日本軍にとって幸運な出来事が重なったことや、同年5月に近隣のアッツ島で守備部隊が全員玉砕したのに対し、
キスカ島は全員無事に撤収できたことから、この作戦は「奇跡の作戦」と呼ばれた。
戦後に映画化もされたので、興味のある方はレンタルショップで探してみよう。
おすすめ映画・書籍でも解説されているが、この映画は古い作品ながらも現在でも評価されている傑作である。

ちなみにこの作戦には後日談という名のヲチがあり、米軍は偵察により島内を歩きまわる動物を帝国軍と勘違いして超が付く程の緊張の中上陸(コテージ作戦)。
視界不良による同士討ちや、撤退前に施しておいた軍医の悪戯(兵舎前に「ペスト患者収容所」という偽看板を残していった)によりパニックが発生するなどの多大な被害を出している。なお、看板を訳した米軍の通訳官はペストの感染を疑われ、後方に送られた*6
この作戦は戦後、米軍出身の戦史家に"史上最大の最も実戦に近い上陸演習"と皮肉られた。

キスカ島の守備隊撤退により、以後北方方面においては終戦まで大きな戦いは無かった。
おもな参加艦艇:阿武隈 多摩 木曾 島風 響 朝雲 薄雲 夕雲 長波 秋雲 風雲 若葉 初霜 五月雨 国後
ベラ湾海戦
(べらわんやせん)
昭和18年(1943年)8月6日、ソロモン諸島コロンバンガラ島への輸送作戦を行っていた日本軍の駆逐艦部隊と、それを阻止するために出撃したアメリカ軍の駆逐艦部隊との間で起きた夜戦。
アーレイ・バーク大佐考案*7の新戦術(レーダーを活用した、部隊を2つに分けての波状攻撃)によって時雨以外の3隻が次々と撃沈され、輸送部隊は壊滅した。
1年前の第一次ソロモン海戦を起点としたソロモン方面での夜戦において、ついにアメリカ海軍の戦術が日本海軍を上回った瞬間であった。
後にバーク大佐はソロモン諸島最後の海戦であるセント・ジョージ岬沖海戦(1943年11月24日)で自ら指揮を取り、同じ戦術で完勝している。
おもな参加艦艇:時雨 江風 萩風
ろ号作戦
(ろごうさくせん)
昭和18年(1943年)10月28日から11月12日まで実施された日本海軍の航空作戦。
ブーゲンビル島周辺に来襲した連合軍の上陸船団とそれを支援する艦隊を撃退するべく行われた。
9月と10月に行った戦艦部隊の中部太平洋方面への迎撃(いずれも空振りに終わった)の影響でトラック島の重油不足が深刻化していたために艦隊を動かせず、
い号作戦同様空母艦載機隊の陸上基地への転用による迎撃となった。
しかしこのころエセックス級、インディペンデンス級といった新型空母の増勢により日本に対し優位な航空兵力を揃えつつあった米艦隊にはほとんど損害を与えられず、またしても多数の機体と搭乗員を失った。
かくして機動部隊の航空兵力はすっかり磨り潰されてしまい、先の連合艦隊の燃料不足も相まって、ギルバート・マーシャル諸島への米軍の反攻に対して機動部隊や有力な艦隊抜きで迎撃せざるを得なくなった。
ブーゲンビル島沖海戦
(ぶーげんびるとうおきかいせん)
1943年11月1~2日、ソロモン諸島ブーゲンビル島沖で生じた日本海軍の連合襲撃部隊とアメリカ軍第39任務部隊との間で起きた夜戦。
11月初頭、連合軍はついにブーゲンビル島に上陸を開始、それに対し日本軍は連合軍の橋頭堡であるタロキナに陸軍部隊を逆上陸させる計画を発案。海軍も「妙高」「羽黒」を基幹とする襲撃部隊を編成し、連合軍輸送船団を攻撃すべくラバウルから出撃した。
襲撃部隊と上陸部隊を乗せた輸送部隊はブーゲンビル島へ向かうも、途中アメリカ軍の偵察機に発見されたために逆上陸作戦が中止となり、襲撃部隊のみが単独で突入することになった。
輸送船団が停泊するタロキナ湾に向かう襲撃部隊に対し、アメリカ海軍は船団を守るべくメリル少将率いる第39任務部隊(軽巡4隻、駆逐8隻)を向かわせ、両者の間で海戦が勃発した。
この海戦では両軍共に衝突事故を起こし混乱を生じるも、日本海軍は「川内」「初風」を失い、「妙高」「白露」「五月雨」など損傷艦を多数出して敗北した。

一方のアメリカ海軍はこの海戦を艦を1隻も失うことなく制するも、その後日本海軍が重巡7隻からなる強力な艦隊をラバウルに集結させたことでその対応に苦慮し、空母2隻によるラバウル空襲を決行することになる。
おもな参加艦艇:妙高 羽黒 川内 阿賀野 白露 時雨 五月雨 初風 長波 若月
ラバウル空襲
(らばうるくうしゅう)
1943年10月~11月にかけ、ソロモン諸島ブーゲンビル島の戦いの援護を目的としてアメリカ海軍が実施した、ニューブリテン島ラバウル基地を狙った空襲。ここでは特に11月5日と11日の空襲を指す。
ブーゲンビル島沖海戦後、連合艦隊はトラック泊地に居る遊撃部隊をラバウルに移し、連合軍との決戦を挑むことを決定。「愛宕」を始めとする第二艦隊(重巡7隻、軽巡1隻、駆逐5隻)を集結させた。
当時南太平洋軍司令官だったハルゼー大将をして「在任中もっとも厳しい」と言わしめるほどのこの緊急事態に対し、アメリカ海軍は空母2隻「サラトガ」「プリンストン」による空襲を発案。危険な賭けとされていた作戦は成功し、11月5日の空襲では「摩耶」を始め多数の艦艇が損傷、重巡部隊はトラック泊地に退却した。
5日の空襲の成功後、ハルゼー大将は戦果拡大のためニミッツ大将から新たに空母3隻(「エセックス」「バンカーヒル」「インディペンデンス」)を借り、11日に5隻の空母による空襲を実行。この空襲では「涼波」が撃沈され、「阿賀野」と「長波」が大破した。

この一件により、南東方面艦隊司令部は水上艦艇の大半をトラック泊地に後退させることを決定し、ソロモン諸島の水上戦闘は事実上の終焉を迎えた。
またラバウルへの襲撃成功で自信をつけたアメリカ海軍はこれ以降、日本軍の大規模拠点に対し空母機動部隊による空襲を積極的に行うようになり、トラック島空襲やパラオ大空襲など大きな損害を与えることになる。
おもな参加艦艇:
(日本軍)高雄 愛宕 摩耶 鳥海 鈴谷 最上 筑摩 能代 玉波 涼波 藤波 早波 島風 阿賀野 時雨 五月雨 長波 若月 天霧
(アメリカ軍第38任務群)サラトガ プリンストン サンディエゴ サンフアン
1944年
トラック島空襲
(とらっくとうくうしゅう)
昭和19年(1944年)2月17日~18日に起こった、米海軍第五艦隊の空母艦載機によるチューク諸島を狙った大空襲。
正規空母5隻、軽空母4隻による大規模な空襲の結果、施設や航空機は破壊されトラック島は無力化された。
チューク諸島から脱出しようとした艦船も戦艦や潜水艦などに追撃され、結果として「阿賀野」「那珂」「舞風」「文月」などのチューク諸島にいた大半の艦船が沈没した。
また、この空襲により有力な輸送船が多数沈没したことで、以後の艦隊行動が大きく制限された。
ちなみにチューク諸島にはあの「宗谷」(艦これ未実装)もいたのだが座礁しながらも奇跡的に脱出に成功した。
おもな参加艦艇:
(日本軍)阿賀野 那珂 香取 太刀風 追風 舞風 文月 秋風 松風 時雨 春雨 明石 秋津洲
(アメリカ軍第50.9任務群)アイオワ イントレピッド ニュージャージー ミネアポリス ニューオリンズ イザード シャレット バーンズ ブラッドフォート
渾作戦
(こんさくせん)
昭和19年(1944年)5月下旬から6月13日まで行われた日本軍の輸送作戦。作戦ではない
米軍がマリアナ諸島攻略の前哨基地・飛行場確保の為にニューギニア北西部のビアク島に同年5月下旬に上陸、同島で善戦を重ねているとの報告を受けた日本軍は、ニューギニアからの細々とした補給だけでは足りないと判断し、ビアク島守備隊に直接増援部隊を送る事となった。
第一次渾作戦では「扶桑」のほか重巡、軽巡、駆逐艦及びに多数の支援艦を含む艦隊で向かうも、敵機動部隊発見の報を受け中止。ニューギニア西部のソロンへ退避を完了するが、発見報告は誤報であった。
第二次渾作戦は一次作戦参加艦の中の駆逐艦6隻によるピストン輸送に切り替え行われたが、途中B-25の空襲を受け「春雨」が沈没するも作戦を続行。その後重巡1、軽巡2、駆逐14隻からなる水上艦隊に遭遇し、敵艦隊からのレーダー射撃を受け作戦中止。多少の損傷はあったものの沈没艦も無く撤退に成功するが、輸送には失敗。
第三次渾作戦では第二次作戦の反省から水上艦隊を排除しなければ輸送作戦は困難と判断、ついでに敵機動部隊を誘引するべく「大和」「武蔵」を投入する。
しかし、部隊集結中に米機動部隊がマリアナ諸島に来襲、その迎撃の為に部隊は解散し作戦も中止となった。
結局米軍はビアク島を確保できずにマリアナ諸島攻略を開始、日本軍守備隊はニューギニア島からの補給のみでマリアナ沖海戦後も耐え切るが、8月に玉砕した。
おもな参加艦艇:
(第一次):扶桑 青葉 妙高 羽黒 鬼怒 敷波 浦波 時雨 白露 五月雨 春雨 風雲 朝雲
(第二次):敷波 浦波 時雨 白露 五月雨 春雨
(第三次):大和 武蔵 妙高 羽黒 青葉 鬼怒 能代 沖波 島風 朝雲 満潮 野分 山雲
(連合軍第74任務部隊):オーストラリア ボイシ フェニックス フレッチャー ラドフォード ジェンキンス ラ・ヴァレット ハッチンズ デイリー ビール ベイチュ アブナー・リード アムメン マラニー トラセン アランタ ワラムンガ
マリアナ沖海戦
(まりあなおきかいせん)

あ号作戦
(あごうさくせん)
昭和19年(1944年)6月19日~20日、マリアナ諸島(サイパン島やグアム島が含まれる)沖で行われた航空機主体の海戦。太平洋戦争の趨勢を決定付けた決戦である。
ギルバート・マーシャル諸島を攻略し、マリアナ諸島攻略のために進撃を続ける米海軍第五艦隊の撃滅が主な作戦目的だった(1944年の「あ号作戦」)。
戦前の計画通りなら漸減要撃作戦における艦隊決戦にあたる戦いだったが、すでに多くの熟練パイロットを失っていた日本側は数も質も優勢な米軍機動部隊にほとんど損害を与えることができず、
逆に「大鳳」「翔鶴」「飛鷹」の3空母と航空機の大半という連合艦隊の主戦力を失ってしまう。
航空戦力を失った連合艦隊は空への防御力を著しく喪失し、レイテの破滅へと繋がっていった。
米海軍の迎撃機や新型対空砲弾により日本の戦闘機・攻撃機がバタバタと落とされたことから、
アメリカ軍のパイロットから「マリアナの七面鳥撃ち」と揶揄された。
そして占領されたマリアナ諸島より戦略爆撃機B-29が発進し、日本本土空襲が始まることになる。
おもな参加艦艇:
(第三艦隊)大鳳 翔鶴 瑞鶴 飛鷹 隼鷹 龍鳳 長門 妙高 羽黒 最上 矢矧 朝雲 磯風 浦風 初月 若月 秋月 霜月 満潮 野分 山雲 時雨 五月雨 秋霜 早霜 浜風
(第二艦隊)大和 武蔵 金剛 榛名 瑞鳳 千歳 千代田 愛宕 高雄 鳥海 摩耶 熊野 鈴谷 利根 筑摩 能代 長波 朝霜 岸波 沖波 藤波 浜波 玉波 島風 響 初霜 雪風 卯月(響以下4隻は補給部隊護衛)
レイテ沖海戦
(れいておきかいせん)

比島沖海戦
(ひとうおきかいせん)

フィリピン沖海戦
(ふぃりぴんおきかいせん)

海戦一覧図
昭和19年(1944年)10月23~25日にフィリピン諸島内外の数箇所で起きた海戦の総称で、世界最大の海戦。日本側の作戦名は「捷一号(しょういちごう)作戦」。
艦これでは第三艦隊(小沢艦隊)のエンガノ岬沖海戦、第二艦隊第三部隊(西村艦隊)のスリガオ海峡夜戦、第二艦隊本隊(栗田艦隊)のサマール島沖海戦、武蔵の沈んだシブヤン海海戦(栗田艦隊)が図鑑及び艦娘のセリフ内で登場している。
基地航空隊を主軸に水上艦隊と連携して米機動部隊と攻略部隊の殲滅を目指す作戦だったが、直前の台湾沖航空戦で中核の基地航空隊が大打撃を受けてしまう。しかし最終的(最終決定は作戦発動後)には殆ど作戦は変更されずに実施される事になる(作戦の詳細は「捷号作戦?」を参照。
まさに連合艦隊の総力を挙げた作戦だったが、艦艇の数こそ多くとも、既にマリアナの敗戦で主力を失った日本海軍の戦力は大きく低下しており、結果米艦隊による殲滅戦の様相を呈した。
案の定、航空支援のない水上艦艇を突入させても作戦を果たす前に大損害を被るという太平洋戦争緒戦からの鉄則が守られたのである。
作戦経過の詳細は各海戦ごとに後述するが、この海戦で日本海軍は残っていた艦艇の多くが失われ、残された艦も多くが損傷を被る。そして燃料を失った事で大型艦艇は以後行動不能となり、大規模編成の艦隊を運用して実施する日本海軍最後の海戦ともなった。
下記記載の各海戦内容の記述はほんの一部なので興味のある提督諸氏は資料を探してみると良いだろう。
因みに海戦名が「レイテ沖海戦」と「比島沖海戦」「フィリピン沖海戦」と複数表記されているが、現在広く流布している「レイテ沖海戦」という名前は実はアメリカ側呼称「Batlle of leyte gulf」の日本語訳が戦後広まったものであり、本来の日本側呼称は「フィリピン沖海戦」である。(比島はフィリピン諸島の漢字の当て字)
当時の各戦闘詳報やニュース映像、戦後作られた戦史叢書などでも呼称は「フィリピン沖海戦」であり、公式には「レイテ沖海戦」は使用されていないので、当時の資料などを調べる際には少し注意が必要である。何時頃から「レイテ沖海戦」の方が主流となったのかは不明である。
シブヤン海海戦
レイテ沖海戦の一連の海戦で最初に行われた海戦。10月22日にブルネイを出撃した第一遊撃部隊本隊(通称栗田艦隊)は23日未明に米潜水艦の攻撃で旗艦愛宕、摩耶を失い、高雄が中破し護衛の駆逐艦長波、朝霜と共に後退するという損害を受けたが、その後は敵からの攻撃を受けることなく24日を迎えた。しかしこの日、艦隊はハルゼー機動部隊第2.3.4群の空襲を受けることになる。通算5度に渡る大空襲を受けた艦隊は部隊の中核の1つである武蔵が推定雷撃20本、爆弾17発、至近弾20発以上という大打撃を受けて沈没し、他にも重巡妙高が中破し後退、大和、長門、利根、矢矧、浜風、藤波が小破。このうち浜風と清霜は武蔵の生存者を救助後後退した。
大空襲を受けた栗田長官は基地航空隊と小沢艦隊の作戦が上手くいっていないと判断、一時的に反転して敵の空襲から逃れる。しかしちょうどこの頃になってハルゼーは小沢艦隊を発見、栗田艦隊が反転したこともあり、栗田艦隊は退却したと判断する。上陸部隊の護衛をキンケイド中将の第7艦隊に任せ北上を開始する。空襲がやんだ栗田艦隊は再反転し突入を再開するが、このタイムロスにより西村艦隊との挟撃が不可能となり、同隊が単独突入する遠因となってしまう。
おもな参加艦艇(実装艦娘のみ)
(第一遊撃部隊本隊):大和武蔵(沈没)、長門金剛榛名妙高(大破撤退)、羽黒鳥海熊野鈴谷利根筑摩能代矢矧島風清霜(護衛撤退)、早霜沖波藤波浦風磯風浜風(護衛撤退)、雪風野分
スリガオ海峡夜戦
第一遊撃部隊がブルネイ到着した際、予定された油槽船がなく出発が1日遅れてしまう。このため第二戦隊を基幹に新たに第三部隊(通称西村艦隊)を編成し、本隊とは別航路を進撃させ、別航路で進撃してきた本隊と挟撃する作戦とした。また本来は機動部隊の所属であった第二遊撃部隊(第五艦隊:志摩清英中将)は台湾沖航空戦の残敵掃討に出撃していたので機動部隊に戻らず南西方面艦隊に所属替えし、栗田艦隊と共にレイテ湾に向う事になったが、決定までに連合艦隊と南西方面艦隊との間に対立があり、結局栗田艦隊側と連携がとれぬままの出撃となった。
2隊はそれぞれ別個に進軍し、西村艦隊は本隊から一時反転した事を知らされ挟撃が不可能になった事を知ると自隊単独での突入を決断する。25日未明、突入を開始した西村艦隊は待ち構えていた第7艦隊オルデンドルフ少将率いる支援部隊(戦艦6、重巡4、軽巡4、駆逐艦・魚雷艇多数)の迎撃を受ける。魚雷艇の攻撃は撃退するが、続く駆逐艦部隊の雷撃で扶桑、山雲、満潮が相次いで撃沈、朝雲も大破し後退をする(後に追尾してきた米艦隊によって撃沈)。その後米艦隊のレーダー射撃の集中打を受け山城、最上は瞬く間に大破、山城は西村司令官共々沈没し、最上は艦橋に直撃を受けて艦長以下幹部が戦死し後退、無傷な時雨のみが退却に成功する。後続する形で進撃していた志摩艦隊も途上で魚雷艇の奇襲を受けた軽巡阿武隈が落伍、その後同隊は後退する最上、時雨を発見するが最上を停止していると誤判断した旗艦那智が衝突してしまう。志摩長官は退却を決断し後退を開始するが最上は米機の追撃を受け沈没、阿武隈も米陸軍機の空襲を受け沈没した。
おもな参加艦艇(実装艦娘のみ)
(第一遊撃部隊第三部隊):山城(沈没)、扶桑(沈没)、最上(沈没)、満潮(沈没)、朝雲(沈没)、山雲(沈没)、時雨(小破)
(第二遊撃部隊):那智(中破)、足柄阿武隈(沈没)、不知火
また本来第二遊撃部隊と合流する筈だった第十六戦隊(青葉鬼怒浦波)と、第21駆逐隊(若葉初霜初春)が、それぞれ別行動中に損傷を受け、大破:青葉、中破:初春、沈没:鬼怒、浦波、若葉という損害を受けて撤退している。また不知火は撤退途上で第十六戦隊救援に向かうが帰還中に敵機の空襲を受け座礁する早霜も眼前で沈没している。
エンガノ岬沖海戦
ハルゼー機動部隊の北方誘致を任務とした機動部隊は24日早朝より偵察機をだして米機動部隊の索敵を始めたが中々発見することが出来ず、発見は昼ごろとなった。艦隊は直ちに攻撃隊を出動させるが、多くの機がエンジントラブルなどに見舞われたり、敵まで到達することができなかったりし、無事に敵艦隊まで到達して攻撃をしたのは瑞鶴隊の24機(零戦10、爆装零戦11、天山1、彗星2)だけだった。
ハルゼーは16時40分に小沢艦隊発見の報を受けると栗田艦隊への攻撃を取りやめて第2.3.4群を率いて北上を開始、時間の関係から攻撃は翌日となる。25日から小沢艦隊に行われた4度に渡る空襲は小沢艦隊の瑞鶴、千歳、瑞鳳、秋月を撃沈し、千代田、多摩を航行不能に追い込む。後に千代田は先発して北上してきた米巡洋艦部隊に見つかり撃沈し、瑞鶴の生存者救助をしていた初月もこれにつかまり撃沈される。また、単独で離脱中の多摩は哨戒中の潜水艦によって撃沈された。このほかにも五十鈴、霜月など所属艦艇の殆どが損傷してしまう。
24日まで米軍に存在を気づかれなかった小沢艦隊と違い、栗田艦隊はブルネイ出撃直後から潜水艦や哨戒機によって補足され、小沢艦隊の囮成功前にパラワン水道やシブヤン海で大打撃を受けてしまい、その後も通信不良で栗田艦隊に小沢艦隊の動向が伝わらなかった等の連携失敗が続いたため、結局小沢艦隊は誘致自体には成功したものの、囮任務の目的である「第一遊撃部隊をハルゼー機動部隊の脅威から取り除く」事には失敗した。
おもな参加艦艇(実装艦娘のみ)
(機動部隊):瑞鶴(沈没)、瑞鳳(沈没)、千歳(沈没)、千代田(沈没)、伊勢(小破)、日向(小破)、五十鈴多摩(沈没)、大淀秋月(沈没)、初月(沈没)
サマール島沖海戦
再突入を開始した第一遊撃部隊本隊は無事に突入当日の25日を迎えたが、サマール島沖で突如米艦隊と接触する。これは上陸支援を担当するキンケイド中将の第7艦隊に所属する護送空母群の1つであった。栗田艦隊はこれを正規空母を含む米機動部隊の一群と誤認し攻撃を開始、しかし米側の必死の回避行動や煙幕の展開、護衛の駆逐艦や艦載機の迎撃に進撃を阻まれ逆に筑摩、鳥海、熊野、鈴谷が大破し熊野のみが撤退に成功し残りは沈没する。この他に利根、羽黒、金剛、榛名などが損傷を受けるが、それでも護送空母1撃沈、1中破、駆逐艦3撃沈という戦果をあげている。
結局栗田艦隊は米護送空母群を捕捉出来ぬままこれを機動部隊と思い込み壊滅させたと判断。重巡部隊が後もう少しで届くという時に集結命令を出して攻撃を取りやめてしまう。
以後栗田艦隊は継続的に空襲を受けつつも進撃を続けるが、有名な「ヤキ1カ」電を受けて反転北上を決断、これにより突入時期を完全に逸し撤退を余儀なくされる。この間にも能代、藤波、野分が撃沈され、後日の本土への撤退の最中には金剛、熊野、浦風が沈む。連合艦隊は残余の艦艇の殆どを失い、以後大規模な行動をとることはなかった。
第34任務部隊より臨時編成されたオスカー・C・バッジャ少将率いる第34.5任務群(旗艦Iowa)は栗田艦隊を追撃するため反転してサンベルナルジノ海峡に向かったが距離が離れすぎており接触に失敗している。
おもな参加艦艇(実装艦娘のみ)
(第一遊撃部隊本隊):大和長門金剛榛名羽黒(小破)、鳥海(沈没)、熊野(大破撤退)、鈴谷(沈没)、利根筑摩(沈没)、能代矢矧島風早霜沖波(生存者救助後撤退)、藤波(護衛撤退)、浦風磯風雪風野分(護衛撤退)
(第77.4.3任務群):Fanshaw Bay、Saint Lo、White Plains、Kalinin Bay、Kitkun Bay、Gambier Bay(沈没)、 Johnston(沈没)Heermann、Hoel(沈没)、John C.Butler、Raymond、Dennis、Samuel B.Roberts(沈没)
なお藤波、野分は撤退途上に米軍に捕捉され攻撃を受け沈没。熊野も1か月にわたる本土への撤退行動も実らず米軍機の空襲を受け沈没した。
多号作戦
(たごうさくせん)
昭和19年10月末から同年12月中旬まで、9度実行されたレイテ島への増援輸送作戦。主な揚陸地からオルモック輸送作戦とも言い、連合軍からはオルモック湾海戦と呼ばれた。
台湾沖航空戦の戦果と、レイテ海戦の結果から米軍の戦力は低下していると判断した日本軍は、レイテ島を決戦の場と定めてルソン島から戦力を移送する事を決定する。
だが、この判断は完全な誤りであり、陸軍内部でも現地司令の山下奉文大将を始め多数の反対意見があったが、それらの意見は全て無視され、作戦は強行される。
結果は破滅的で、投入した戦力と輸送艦の大半が撃沈されてしまい、揚陸に成功した陸軍部隊は半数以下に過ぎなかった。その陸軍部隊も、補給路が絶たれた事で大半がレイテ島のジャングルに屍を晒す事になる。*8
主な参加艦艇:青葉 鬼怒 浦波 霞 沖波 曙 潮 初春 初霜 占守 沖縄 島風 浜波 長波 若月 朝霜 梅 桃 杉 竹 桑 輸送船25隻
礼号作戦
(れいごうさくせん)
昭和19年(1944年)12月26日、日本海軍による、フィリピンのミンドロ島に上陸した米軍および米艦船への襲撃作戦。重巡1・軽巡1・駆逐艦6からなる少数精鋭艦隊で実行した。
艦これ実装艦では「霞」「足柄」「大淀」「清霜」が参加、「霞」は巡洋艦を差し置いて旗艦に抜擢された。
この戦いで日本側の駆逐艦「清霜」が爆撃で沈没したが、「霞」が味方に撤退命令を出し単艦で救助を開始する。
しかし他の艦も撤退命令を無視し危険を顧みずに救助、およびに度々襲い掛かってくる米軍の撃退にあたり「清霜」の乗員約7割が救助される。
しかし突入時に有力な敵船団が不在だったため、米軍側の損害は輸送船1隻に加え多数の魚雷艇の損傷、そして航空機約30機の喪失であり当時のアメリカ軍からすれば微々たるものであったが、
追撃も不成功に終わるなど日本軍の作戦成功を許してしまったのも事実であった。
 
このささやかな『勝利』が日本海軍最後の組織的戦闘による勝利となる。
なお日本側の指揮官はキスカの「奇跡の作戦」成功の立役者である木村昌福少将であり、本作戦中において彼の人望と水雷戦指揮能力の高さが伺える戦いにもなった。
おもな参加艦艇: 足柄 大淀 霞 朝霜 清霜 榧 杉 樫 日向 伊勢(航空戦艦2隻は後方支援)
1945年
北号作戦
(ほくごうさくせん/きたごうさくせん)
昭和20年(1945年)2月に行われた、航空戦艦「日向」「伊勢」軽巡「大淀」擁する第四航空戦隊及び駆逐艦3隻による本土への帰還兼物資輸送作戦。
シンガポールで燃料などの物資を搭載した艦隊は、途中アメリカ軍の爆撃や潜水艦による攻撃を受けたが、
スコールの発生や各艦の臨機応変な対応、また同地に展開していた機動部隊が硫黄島攻略戦のために不在だった事も有り、奇跡的に全艦無傷で呉に到着することが出来た。
どのくらい奇跡かというと、「金剛が殺られて妙高が半殺しに遭い、輸送船団が全滅した海域を、可燃物満載で護衛戦闘機なしで突っ込んで無傷だった」といえばお解りいただけるか。
この作戦は僅かな被弾でも危険なほどに可燃物を積んでおり、しかも制海権も無い海域を突っ切る作戦だったため
司令部は成功の見込み無し、半数損失は覚悟、最悪の場合は全滅と予想していた(事実半月ほど前にこの作戦と同様のルートを辿った輸送船団が前述の機動部隊に捕捉され、海防艦3隻を残し全滅していた)
だが作戦指揮の松田千秋少将より、「任務を完遂する」と言う意味を込めた「完部隊」と命名されたこの部隊が、
その名の通り全艦健在で帰還した様子を見て司令部が狂喜乱舞したという話が残っている。
この作戦は太平洋戦争において、日本が成功を収めた最後の作戦である。

米軍側は完部隊の出撃を暗号解読で察知していたのだが、2隻の戦艦の出撃意図を図りかねており、フィリピンに突入してくるものと考え、それを踏まえた迎撃体制をとっていた。在フィリピンの全軍に警報を出し、警備艦隊等が迎撃準備を行っている。
完部隊のほうでも、わざとフィリピンに向かうような航路を取って米軍を欺瞞していた。
そのため迎撃にでた米英潜水艦26隻のうち完部隊に接触できたのは3隻のみであり、高角砲で「伊勢」に命中寸前の魚雷を撃破したり、「日向」が浮上潜水艦を発見し砲撃して撃退したりとこれを阻んだ。
2度に渡る米軍の延べ120機以上による攻撃も、偶然発生していたスコールを利して阻み、米英軍による迎撃は空振りに終わっている。

ちなみに参加艦艇は総数6隻で、全艦艦これに実装済みのため、艦これでも「完部隊」を完全再現することが出来る。
この作戦により、シンガポール方面の主力艦艇のうち、高雄・妙高はすでに航行不能で、伊勢・日向・大淀らが帰還したため、この当時同方面で活動可能な主力艦は第五戦隊の足柄・羽黒のみとなってしまった。
戦争末期の劣勢の中で奇跡的とも言える成功を収めた第四航空戦隊は3月1日付で解隊。後に駆逐艦3隻は坊ノ岬沖海戦(下記作戦参照)に投入され、生還した「初霜」も7月末に宮津湾で擱座、7月の呉軍港空襲(下記作戦参照)で「日向」「伊勢」「大淀」が沈没及び着底するなど全艦とも約半年後の終戦を待たずして壮絶な最期を遂げている。
おもな参加艦艇:日向 伊勢 大淀 霞 初霜 朝霜 神風 野風(神風と野風の第一駆逐隊は台湾から艦隊の護衛についた)
坊ノ岬沖海戦
(ぼうのみさきおきかいせん)
昭和20年(1945年)4月7日、沖縄へ向かう第一遊撃部隊(「大和」「矢矧」「」「浜風」「磯風」「朝霜」「冬月」「涼月」「雪風」「初霜」)とそれを迎撃する米海軍第58任務部隊の間で起こった海戦。事実上の連合艦隊最後の戦いであり、航空攻撃により戦艦が失われた最後の海戦でもある。
沖縄方面の敵戦力に打撃を与える「天一号作戦」の一環として、第一遊撃部隊は「海上特攻部隊」となり突入を試みた。これに米機動部隊の艦載機約400機が殺到。道中で戦闘機や対潜哨戒機などの援護があったが、空襲時にはそれらも無く、ありったけの対空火器で必死の抵抗を試みるが、奮戦空しく「大和」に加え「矢矧」ほか駆逐艦4隻(「」「浜風」「磯風」「朝霜」)が沈没、3,700名が戦死した。約2時間に及ぶ熾烈な戦闘であったが「冬月」(未実装)「涼月」「雪風」「初霜」の4隻は生き残り、佐世保に翌日帰還した。
一方米軍側の損失は気象条件が有利だったこともあって*9、艦載機12機、戦死13名とわずかなものであった。
日本海軍の意地と面子を賭けた作戦だったが、戦闘詳報で自ら批判しているように、戦略的にあまりにも割の合わない戦いであった。
余談だが、当初米軍は戦艦部隊を使い夜戦で迎撃をするつもりだった。だが艦隊が欺瞞進路を取ったため大和が佐世保に逃げ込むかに見えた事と、大艦巨砲主義の終焉を全世界に知らしめ航空機の有用性を証明する為に航空戦で迎え撃つこととなった。
おもな参加艦艇:大和 矢矧 霞 浜風 磯風 朝霜 冬月 涼月 雪風 初霜
ペナン沖海戦
(ぺなんおきかいせん)
昭和20年(1945年)5月16日、マラッカ海峡ペナン島沖で起こった日本海軍とイギリス海軍との間の海戦(夜戦)で、第二次世界大戦最後の水上戦闘(注*10)。
アンダマン諸島の日本陸軍からの要請を受け、雷装を撤去し輸送任務を行っていた羽黒と神風は、駆逐艦5隻からなるイギリス艦隊に捕捉されてしまう。
このとき羽黒は先の戦いの損傷が修理されておらず、かつ艦上に輸送物資が満載されてまともに戦えない状態であり、神風は離脱に成功するも羽黒は撃沈された。

羽黒沈没から約3週間後の6月8日には足柄が輸送任務中に潜水艦に撃沈され、南西方面で行動可能な艦船は神風ただ1隻のみとなった。(妙高、高雄は航行不能)
おもな参加艦艇:羽黒 神風
呉軍港空襲
(くれぐんこうくうしゅう)
昭和20年(1945年)3月19日、7月24日、同28日に起こった、米軍の空母艦載機による呉軍港を狙った大空襲。
3月の空襲は軽微だったものの敗戦間近の7月の空襲では約950機もの航空機が襲来。
もはや動けるだけの重油もない生き残りの艦船や、建造されたばかりの新造艦が浮き砲台として必死の抵抗を見せるも、命運尽きて次々と大破・着底または転覆していった。
艦これに登場する艦でも7月24日の空襲で弾薬庫が誘爆した「日向」が26日に、28日の空襲で「大淀」「北上」「利根」「榛名」「伊勢」「青葉」がそれぞれ奮闘の末力尽きた。
余談だが、28日の空襲終了間際に「伊勢」は帝国海軍の戦艦として最後の主砲射撃を行っている。
また、28日の空襲で戦闘機に沈められた「梨(未実装)」は戦後引き上げられ「わかば」として再就役し海上自衛隊に在籍した唯一の日本海軍の戦闘艦艇となった。
おもな参加艦艇:榛名 伊勢 日向 天城 葛城 鳳翔 龍鳳 磐手 出雲 摂津 青葉 利根 北上 大淀 宵月
戦後
クロスロード作戦
(くろすろーどさくせん)
第二次世界大戦後、初めて実行されたアメリカの核実験で、1946年7月1日~7月25日にかけてマーシャル諸島のビキニ環礁で行われた。この実験により標的艦となった「長門」と「酒匂」、「Saratoga」がビキニ環礁に沈むこととなる。7月1日の実験は「エイブル(ABLE)」*11、7月25日の実験は「ベーカー(BAKER)」と呼称された。
クロスロード作戦の趣旨は、艦船に対する核兵器の威力を検証することであった。この為に実験場となったビキニ環礁には、「長門」や「酒匂」、ドイツの「プリンツ・オイゲン」、アメリカの空母「サラトガ」など併せて70隻余りの艦艇が集められた。
また、放射線が生物に与える影響を検証する為、各艦船には数多くの実験動物が乗せられた*12
使用された原爆は、長崎に投下された「ファットマン」と同じプルトニウム型原爆で、「エイブル」はB-29からの空中投下、「ベーカー」は上陸舟艇から水中に吊り下げられて起爆された。
実験は「エイブル」の投下地点が風でずれた事を除けば成功裏に終わり、以降、アメリカはビキニ環礁・エニウェトク環礁・ネバダ実験場を中心に数百回の核実験を行うこととなる。
なお「長門」と「プリンツ・オイゲン」は原爆を受けても直ちには沈まず、外観の損傷度合いも低かった。この為米軍は両者を解析しようと企むが、「長門」は誰も見ていない深夜に海中に没し、「オイゲン」は曳航中に横転沈没した。これを枢軸海軍最後の勝利と評する向きもある。*13
おもな参加艦艇(ゲーム実装艦に限る):長門 酒匂 プリンツ・オイゲン サラトガ




ヨーロッパ戦線

第二次世界大戦(地中海の戦い)

Battle_of_Mediterraneand.png
白地図の権利者名:井上恵介、URL:http://www.freemap.jp/、ライセンス:CC BY 4.0


年譜

1939年
大西洋の戦い
(たいせいようのたたかい)
開戦直後から、ドイツが降伏する1945年5月8日まで大西洋全域で行われた一連の戦闘。戦域・期間・参加兵力の全てにおいて第二次世界大戦で最大かつ最長の海上戦闘であった。
開戦前、当時潜水艦隊司令官だったカール・デーニッツはヒトラーに「イギリスを降伏に追い込むには、300隻のUボートが必要」と説くも、海軍総司令官のエーリヒ・レーダーは「欧州最強の水上艦隊を持つイギリス海軍を相手取るには、(通商破壊を行うにしても)Uボートより水上戦力が重要である」と考え、戦艦などの建造に予算が回るよう行動した。
しかし、充分な戦力が整う前に戦争が始まってしまい、ドイツ海軍は準備不足のままでイギリスとの戦いに駆り出される羽目になる。*14
ドイツ海軍はUボートを主力とする通商破壊戦を展開、対するイギリス海軍は海上護衛に戦力の大半を注ぎ込み、一進一退の攻防を繰り広げる。開戦直後より始まったこの戦いは幾千の艦船を巻き込み終戦まで続いた。
なおライン演習作戦も大西洋の戦いに含まれている。
おもな参加艦艇:シャルンホルスト グナイゼナウ アドミラル・ヒッパー リシュリュー(ヴィシーフランス) ビスマルク Z1 Z3 アドミラル・グラーフ・シュペー
1940年
ナルヴィク海戦
(なるヴぃくかいせん)
1940年4月10日(第1次)と13日(第2次)に発生した海戦。ドイツによるノルウェー侵攻(ヴェーザー演習作戦)の間に起きた戦いで、ノルウェーのナルヴィクを占領するために出撃したドイツ海軍の駆逐艦10隻がイギリス海軍の部隊と交戦した。
両軍の駆逐艦部隊同士の戦闘となった第一次ナルヴィク海戦では互いに2隻ずつ駆逐艦を失う痛み分けとなったが、13日には戦艦「ウォースパイト」率いる艦隊がナルヴィクに再攻撃、燃料・弾薬が尽きたドイツ駆逐艦部隊を全滅させた(第二次ナルヴィク海戦)。
この戦いで「ウォースパイト」は水上機型Swordfishによる攻撃で潜水艦「U-64」も撃沈している(第二次大戦初の航空機によるUボート撃沈)。

ドイツ海軍は主目的であるナルヴィク占領を成功させたものの、この戦闘で保有する全駆逐艦の半数を喪失、以後の作戦行動に大きな支障をきたした。
おもな参加艦艇:
(第一次イギリス海軍)ハーディ ホットスパー ハヴォック ハンター ホスタイル
(第二次イギリス海軍)ウォースパイト フォレスター フォックスハウンド ヒーロー イカルス ベドウィン コサック パンジャビ エスキモー キンバリー
(ドイツ海軍)Z2 Z9 Z11 Z12 Z13 Z17 Z18 Z19 Z21 Z22 U-64
地中海の戦い
(ちちゅうかいのたたかい)
1940年6月10日のイタリア王国の対英仏宣戦布告から、1945年5月2日のドイツ・イタリア方面軍の降伏まで地中海地域で行われた一連の戦闘。
海軍兵力の未整備からUボート主体の通商破壊戦術を取らざるを得なかったドイツ海軍とは異なり、仮想敵であるフランス海軍に対抗する形で艦艇の整備を進めていたイタリア海軍は、WWII時には英米日に次ぐ世界4位の規模を誇っていた。
だが日本同様石油を連合国からの輸入に頼っていたイタリアは、参戦時点で燃料の備蓄が僅か9ヶ月分しかなく、この燃料不足がイタリア海軍の大きなウィークポイントになった。
またフランスの降伏により戦力で大きく勝るイギリス地中海艦隊が主敵となったことから、艦隊規模や資源・工業力で劣るイタリア海軍は大型艦を温存する現存艦隊主義を取りつつ、北アフリカ戦線支援のための輸送作戦や空爆と海上封鎖によるマルタ島*15攻撃に力を注ぐことになる。
イタリア王国は43年9月に休戦、同年11月に無条件降伏したものの、ドイツの介入によりイタリアは南北に分裂、陸上での戦闘は45年まで続いた。
おもな参加艦艇:
(イタリア海軍)リットリオ ローマ ザラ ポーラ ルイージ・ディ・サヴォイア・ドゥーカ・デッリ・アブルッツィ ジュゼッペ・ガリバルディ マエストラーレ グレカーレ リベッチオ シロッコ
(イギリス海軍)ウォースパイト ネルソン アークロイヤル ジャーヴィス ジェーナス
(フランス海軍)コマンダン・テスト(ヴィシーフランス)
メルセルケビール海戦
(めるせるけびーるかいせん)
1940年7月3日、イギリス海軍とヴィシー・フランス海軍との間で発生した海戦。
6月22日にフランスがドイツに降伏すると、有力なフランス海軍艦艇がドイツに渡る事を危惧したチャーチルはフランス艦隊を接収、もしくは無力化する為に艦隊を出撃させる事を決定した(カタパルト作戦)。
7月3日早朝、アルジェリアのメルセルケビール沖に巡洋戦艦「フッド」を旗艦とするH部隊(戦艦3隻、空母1隻、軽巡2隻、駆逐艦11隻)が到着し、同地に停泊するフランス艦隊(戦艦4隻、水上機母艦1隻、駆逐艦6隻)に5つの最後通牒を突きつける(詳細は「Commandant Teste」を参照)。
ヴィシー政府に政権が移行中のフランス艦隊は返答に窮し、不当な攻撃には反撃の用意があると返事をするのが精一杯だった。
17時55分、明確な回答が無い事に業を煮やしたH部隊は攻撃を開始、湾の地形から艦首部分を陸地側に向けていたフランス戦艦は火力不足の状態で*16不利な戦闘を強いられ、「ブルターニュ」が撃沈されてしまい「ダンケルク」と「プロヴァンス」は中破・座礁(後に2隻とも脱出)。
「ストラスブール」と「コマンダン・テスト」と駆逐艦6隻がかろうじてメルセルケビールから脱出した。
戦術的にはイギリスの勝利となったが、この戦闘でヴィシー政権は連合軍への不信感を決定的にしてしまい、戦略的には失敗と言えた。
おもな参加艦艇:
(ヴィシーフランス海軍)ダンケルク ストラスブール プロヴァンス ブルターニュ コマンダン・テスト モガドール ヴォルタ ル・テリブル ケリサン ティーグル ランクス
(イギリス海軍)フッド ヴァリアント レゾリューション アーク・ロイヤル アリシューザ エンタープライズ*17 フォークナー フォックスハウンド フィアレス フォレスター フォアサイト エスコート ケッペル アクティブ レスター ヴィデット ヴォアティガーン
カラブリア沖海戦
(からぶりあおきかいせん)
1940年7月9日、リビアのベンガジに向かう輸送船団を護衛していたイタリア艦隊と、マルタ島の輸送船団を護送するべくエジプトのアレキサンドリアから出撃していた連合国海軍(イギリス海軍とオーストラリア海軍)との間に発生した海戦。
連合国側がイギリス地中海艦隊の主力部隊(戦艦3隻、空母1隻、軽巡5隻、駆逐艦16隻)を輸送船護送のために動員していたのに対し、イタリアも輸送船団護衛のために主力艦隊(戦艦2隻、重巡6隻、軽巡8隻、駆逐艦16隻)を動員していたため大規模な戦闘となった。
海戦自体の結果は引き分けに終わったものの、これ以降イタリア海軍は主力艦を港に温存するようになり、イギリス海軍は地中海で積極的に作戦行動をとるようになった。
おもな参加艦艇:
(イタリア海軍)コンテ・ディ・カブール ジュリオ・チェザーレ ザラ フィウメ ゴリツィア ポーラ ボルツァーノ トレント ルイージ・ディ・サヴォイア・ドゥーカ・デッリ・アブルッツィ ジュゼッペ・ガリバルディ
(イギリス海軍)ウォースパイト マレーヤ ロイヤル・サブリン イーグル オライオン ネプチューン グロスター リヴァプール ヒーロー ヘレワード デコイ ヌビアン モホーク ハイペリオン ホスタイル ヘイスティ アイレクス ダインティ ディフェンダー ジュノー ジェーナス
(オーストラリア海軍)シドニー スチュアート ヴァンパイア ヴォイジャー
ダカール沖海戦
(だかーるおきかいせん)
1940年9月23~25日、イギリス海軍とヴィシー・フランス海軍との間で発生した海戦。
フランスがドイツに降伏すると、フランス軍のシャルル・ド・ゴール将軍はイギリスに亡命、ロンドンで亡命政府である自由フランスを結成した。
そして40年9月、仏領西アフリカの首府であるダカールを占領し自由フランスの立場を高めたいド・ゴール将軍と、良港であるダカールをドイツに利用されることを防ぎたいイギリスの思惑が一致し、連合国海軍の支援の下自由フランス軍をダカールに進軍させるメナス作戦が発案された。
23日午前、連合国艦隊はダカール港に停泊するフランス艦隊や陸上砲台と交戦を開始し、午後には自由フランス軍の上陸が始まった。
だがヴィシー政府に忠誠を誓うダカール側は降伏を拒否し強く抵抗、濃霧や現地部隊に阻まれた自由フランス軍は早期に撤収してしまう。
梯子を外された形となった連合国艦隊は24日以降も攻撃を続けるも、25日に潜水艦「ベヴェジェ」の雷撃で戦艦「レゾリューション」が中破したことを機に撤退、作戦は完全な失敗に終わった。
3日に渡る海戦でヴィシーフランス海軍は駆逐艦「ローダシュー」が大破擱座し、潜水艦「アジャックス」「ペルセ」を撃沈された。またイギリス海軍も「レゾリューション」がしばらく行動不能になるなど損害を負った。
結果的にメルセルケビール同様ヴィシー政権の反英感情を更に強めただけでなく、自由フランスもトップであるド・ゴールの指導力の低さが露呈し、連合国内での地位を大きく低下させた。

後の北アフリカへの大規模な反攻作戦(トーチ作戦)はヴィシー政権の反英感情を考慮しアメリカ軍主体で行うことになり、またアメリカ軍はド・ゴール将軍の自由フランス軍を参加させなかった。
おもな参加艦艇:
(ヴィシーフランス海軍)リシュリュー モンカルム ジョルジュ・レイグ ル・ファンタスク ル・マラン ローダシュー ル・アルディ アジャックス ペルセ ベヴェジェ
(イギリス海軍)アーク・ロイヤル バーラム レゾリューション カンバーランド デヴォンシャー ドラゴン デリー エコー エクリプス エスカペード フォークナー フォアサイト フォレスター フォーチュン フューリー グリフィン グレイハウンド イングルフィールド
(オーストラリア海軍)オーストラリア
タラント空襲
(たらんとくうしゅう)
1940年11月11日~12日に起こった、イギリス海軍の空母艦載機によるイタリアのタラント軍港に行われた空襲。
真珠湾攻撃の約1年前であり、日本もこの事例を参考にしたとされる。
空母「イラストリアス」から発艦したソードフィッシュ雷撃機21機が当時タラントに停泊していたイタリア主力戦艦群を攻撃し、
戦艦「リットリオ」、「カイオ・ドゥイリオ」、「コンテ・ディ・カブール」の3隻が大破着底した。
3隻の内、「リットリオ」、「カイオ・ドゥイリオ」は修理されたものの、「コンテ・ディ・カブール」は終戦まで修理が完了せず、二度と戦列に復帰することは無かった。
この空襲を受け、イタリア海軍は艦隊を地中海へのアクセスが悪いナポリに移動、地中海の制海権はイギリスが握るようになった。
また、イタリア艦隊を封殺したことでイギリスは地中海艦隊を対ドイツのために大西洋へ融通できるようになり、半年後のビスマルク追撃戦にも影響を与えている。
おもな参加艦艇:リットリオ ヴィットリオ・ヴェネト カイオ・ドゥイリオ アンドレア・ドリア コンテ・ディ・カブール ジュリオ・チェザーレ ザラ フィウメ ゴリツィア ポーラ トレント トリエステ ボルツァーノ ルイージ・ディ・サヴォイア・ドゥーカ・デッリ・アブルッツィ ジュゼッペ・ガリバルディ リベッチオ
1941年
マタパン岬沖海戦
(またぱんみさきおきかいせん)
1941年3月27~29日に起こった、エジプトからギリシャへ向かうイギリスの輸送船団を攻撃しようとしていたイタリア海軍とそれを察知した連合国海軍(イギリス海軍とオーストラリア海軍)との間に発生した海戦。
イタリア海軍の船団攻撃を通信傍受や暗号解読から察知していたイギリス海軍は船団を途中で引き返させ、戦艦「ウォースパイト」、「バーラム」、「ヴァリアント」、空母「フォーミダブル」を中心とした艦隊を出撃させてイタリア艦隊を迎撃した。
この海戦で「フォーミダブル」艦載機からの雷撃を受けた「ヴィットリオ・ヴェネト」が大破し、修理に5か月を要した。また航空攻撃で損傷した重巡「ポーラ」とそれを救援しようとした姉妹艦「ザラ」と「フィウメ」を含む艦隊(重巡3隻、駆逐艦4隻)が夜間「ウォースパイト」率いる水上艦隊の集中砲火を浴び、駆逐艦2隻を除いて全滅した。
このときイギリス艦隊がレーダーで重巡艦隊を探知していたのに対し、レーダーを配備していなかったイタリア艦隊は夜闇に乗じて接近するイギリス艦隊に気づくことができなかった。
海戦の結果、イタリア海軍は新型戦艦1隻が行動不能になったうえ、保有していた重巡洋艦の半数近くを失ったことで戦力が大きく低下、地中海における影響力を失った。
ちなみに、夜間突撃したイギリス海軍の単縦陣に、正規空母フォーミダブルがしれっと混じっていたりする。艦これじゃなくても空母が夜戦に参加したりするのね……
おもな参加艦艇:
(イタリア海軍)ヴィットリオ・ヴェネト ザラ フィウメ ポーラ ボルツァーノ トレント トリエステ ルイージ・ディ・サヴォイア・ドゥーカ・デッリ・アブルッツィ ジュゼッペ・ガリバルディ アルフレード・オリアーニ ヴィットリーオ・アルフィエーリ ジョズエ・カルドゥッチ ヴィンチェンツォ・ジョベルティ コラッツィエーレ カラビニエーレ アスカリ グラナティエーレ フチリエーレ ベルサリエーレ アルピーノ ニコローゾ・ダ・レッコ エマヌエレ・ペッサーニョ
(イギリス海軍)ウォースパイト バーラム ヴァリアント フォーミダブル エイジャックス オライオン グロスター グレイハウンド グリフィン ハヴォック ホットスパー ジャーヴィス ジェーナス ヌビアン モホーク ヘイスティ ヘレワード アイレクス ジュノー ジャガー ディフェンダー
(オーストラリア海軍)パース スチュアート ヴェンデッタ
タリゴ船団の戦い
(たりごせんだんのたたかい)
1941年4月16日夜、チュニジア沿岸のケルケナ諸島沖で発生した、イギリス海軍の第14駆逐隊の駆逐艦4隻と輸送任務中のイタリア輸送船団(駆逐艦3、商船5)との間に発生した海戦(夜戦)。
偵察機の情報で出撃したイギリス駆逐隊はレーダーでイタリア船団の先手を取って攻撃を開始、途中「モホーク」が「ルカ・タリゴ」の雷撃によって沈められるも、イタリアの駆逐艦2隻と商船5隻を撃沈、1隻を大破擱座させた。
おもな参加艦艇:
(イギリス海軍)ジャーヴィス ジェーナス ヌビアン モホーク
(イタリア海軍)ルカ・タリゴ バレノ ランポ
クレタ島の戦い
(くれたとうのたたかい)
1941年5月20日~6月1日にかけて発生した、クレタ島攻略を目指すドイツ軍と同島の防衛する連合軍(イギリス、オーストラリア、ニュージーランド、ギリシア)との間で発生した一連の戦闘。
飛行場をドイツ軍に奪われたことで制空権を失陥し、侵略から10日でクレタ島は陥落した。
この戦いで地中海艦隊は航空攻撃で多数の艦艇を喪失、生き残った艦の多くも修理により離脱を余儀なくされるなど大きな被害を受けた。
おもな参加艦艇:
(イギリス海軍)クイーン・エリザベス ウォースパイト バーラム ヴァリアント フォーミダブル ヨーク オライオン エイジャックス ダイドー ナイアド グロスター フィジー カルカッタ グレイハウンド ヘレワード インペリアル ヌビアン ジャッカル ジュノー*18 ジャーヴィス ジェーナス ケリー カシミール ケルビン キンバリー
(オーストラリア海軍)パース ネイピア ニザーム
ライン演習作戦
(らいんえんしゅうさくせん)
1941年5月、海軍弱国であるドイツが対英国戦線を有利に進めるために発動した水上艦艇による通商破壊作戦、主に「デンマーク海峡海戦」「ビスマルク追撃戦」の事を指す。
当初はドイツ海軍の大型艦艇の大半を作戦に投入する予定であったが機関部の不調等で「ビスマルク」と重巡洋艦「プリンツ・オイゲン」の2隻の新造艦のみで出撃する。
一方、動きを察知したイギリス軍は迎撃艦隊を出すが海が荒れていたので巡洋戦艦「フッド」と未完成であった戦艦「プリンス・オブ・ウェールズ(PoW)」の2隻しか迎撃に向かわせることが出来なかった、両者は5月24日にデンマーク海峡で対峙、「フッド」は戦闘開始10分もたたずに轟沈、「PoW」も被害を受けて離脱、「ビスマルク」は大した損害ではなかったが今後を考え作戦を中断、単独でフランスへ戻る事となった。
その後復讐に燃えるイギリス軍は大西洋に展開している全艦艇を「ビスマルク」追撃に投入、同月26日に英空母「アークロイヤル」の複葉攻撃機「ソードフィッシュ」の雷撃で「ビスマルク」は舵を損傷し行動不能に陥り、翌27日にイギリス軍の誇る戦艦艦隊が到着、「ビスマルク」に集中砲火を浴びせ撃沈する。世界最大の戦艦と言われた「フッド」を沈めた新・世界最大の戦艦は初めての航海での初めての作戦が最後の作戦となった。
詳細はビスマルクのページを参照。
おもな参加艦艇:
(ドイツ海軍)ビスマルク プリンツ・オイゲン
(イギリス巡洋戦艦戦隊)フッド プリンス・オブ・ウェールズ ノーフォーク サフォーク アケイティーズ アンテロープ アンソニー エコー エレクトラ イカルス
(イギリス追撃艦隊)キング・ジョージV世 ロドニー レナウン アークロイヤル ヴィクトリアス ノーフォーク ドーセットシャー シェフィールド コサック シーク ズールー マオリ マシオナ ターター ピオルン*19
シリア・レバノン戦役
(しりあ・ればのんせんえき)

エクスポーター作戦
(えくすぽーたーさくせん)
1941年6月8日~7月14日にかけて行われた、連合軍によるフランス領シリア・レバノンへの軍事進攻。
ヴィシー政権下にあったシリアとレバノンの軍事施設をドイツ軍に利用されることを防ぐべく行われたこの作戦は、1ヶ月以上にわたる陸上戦の末に成功し、両植民地は自由フランスに接収された。
この作戦の最中、大勢への影響はなかったもののヴィシーフランス海軍と連合国海軍との間に小規模な戦闘が何度か生起している。
おもな参加艦艇:
(イギリス海軍)フィービ エイジャックス コヴェントリー ナイアド カンダハー キンバリー ジャッカル ジェーナス アイレクス アイシス ホットスパー ヒーロー ジャガー グリフィン ディフェンダー ジャーヴィス ヘイスティ パーシアン
(オーストラリア海軍)スチュアート ニザーム (ニュージーランド海軍)リアンダー
(ヴィシーフランス海軍)ゲパール ヴァルミ ヴォークラン シュヴァリエ・ポール スーフレール
ハルバード作戦
(はるばーどさくせん)
1941年9月27日に連合国軍が実施したマルタ島への補給作戦。
空母「アークロイヤル」、戦艦「ネルソン」「ロドニー」「プリンス・オブ・ウェールズ」を基幹とするH部隊がジブラルタルからマルタ島へ向かう商船9隻を護衛した。イタリア空軍の航空攻撃により商船1隻を失ったものの、船団はマルタ島に到着し作戦は成功した。
なお本作戦に対してイタリア海軍は戦艦「ヴィットリオ・ヴェネト」「リットリオ」を中心とする艦隊を配備したものの、船団に強力な護衛部隊が付いていたため戦闘を行うことはなかった。
おもな参加艦艇:
(イギリス海軍)ネルソン ロドニー プリンス・オブ・ウェールズ アークロイヤル ケニア エディンバラ シェフィールド ユーアライアズ ハーマイオニー ダンカン ファーンデール フォアサイト フォレスター フューリー ヘイスロープ ラフォーレイ ランス リージョン ライトニング ライヴリー オリビ コサック グルカ ズールー
(オランダ海軍)イサーク・スウェールズ (自由ポーランド海軍)ガーランド ピオルン

(イタリア海軍)ヴィットリオ・ヴェネト リットリオ トレント トリエステ ゴリツィア ムツィオ・アッテンドーロ ルイージ・ディ・サヴォイア・ドゥーカ・デッリ・アブルッツィ マエストラーレ グレカーレ シロッコ グラナティエーレ フチリエーレ ベルサリエーレ ヴィンチェンツォ・ジョベルティ ニコローゾ・ダ・レッコ エマヌエレ・ペッサーニョ フォルゴレ コラッツィエーレ カラビニエーレ アスカリ ランチエーレ
デュースブルク船団の戦い
(でゅーすぶるくせんだんのたたかい)
1941年11月8~9日にかけての夜に起きた、ナポリからトリポリへ向かうイタリアの輸送船団(デュースブルク船団)と、それを阻止するために出撃したイギリス海軍K部隊との間に発生した海戦。
イタリア海軍の輸送作戦を諜報活動で察知していたイギリス海軍は軽巡「オーロラ」を旗艦とする部隊(K部隊)を出撃させ、船団に夜襲をかけた。
その結果護衛の駆逐艦「フルミネ」が撃沈され、「マエストラーレ」「グレカーレ」が大破、輸送船は全滅し作戦は失敗に終わった。
マタパン岬沖同様レーダーで先手を打たれたことに加え、イタリア側は当初攻撃を空襲と誤認するなど状況判断を誤り、数の利を生かすことができなかった。
また海戦後、生存者の救出作業中に「リベッチオ」が英潜水艦「アップホルダー」の雷撃を受け撃沈されている。
おもな参加艦艇:
(イタリア近接護衛部隊)マエストラーレ グレカーレ リベッチオ フルミネ エウロ アルフレード・オリアーニ
(イタリア遠距離護衛部隊)トレント トリエステ グラナティエーレ フリチエーレ ベルサリエーレ アルピーノ
(イギリスK部隊)オーロラ ペネロピ ランス ライヴリー
第1次シルテ湾海戦
(だいいちじしるてわんかいせん)
1941年12月17日、北アフリカへの輸送作戦中のイタリア艦隊と、それを迎撃しようとした連合国艦隊の間に発生した海戦。
地中海の制海権を握って以降、イギリス軍は北アフリカへの海上輸送を活発化、一方で枢軸国側の輸送はマルタ島からの航空機や艦艇による攻撃を受け続け、物資が欠乏したドイツアフリカ軍団は苦戦を強いられていた。
そんな中1941年12月、この状況を打開しようとイタリア軍は大規模な補給作戦M41を計画、その一環として12月16日、輸送船4隻に戦艦リットリオを始めとする強力な護衛部隊を付けナポリから出撃(M42船団)、翌日マルタ島へ輸送作戦を行っていたイギリス艦隊とリビアのシルテ湾沖で鉢合わせになり交戦した。
だが双方ともに輸送作戦が主目的だったこともあり攻撃は消極的となり、互いに輸送船団を目的地に送り届けることに優先したため海戦は引き分けに終わった。
この海戦でイギリス海軍は駆逐艦「キプリング」が損傷したほか、イタリア船団を追撃しようとした軽巡「ネプチューン」と駆逐艦「カンダハー」がイタリア海軍が仕掛けた機雷により沈没し、軽巡「オーロラ」「ペネロピ」も損傷した。またイタリア海軍も前日の出撃で戦艦「ヴィットリオ・ヴェネト」が潜水艦「アージ」の雷撃で損傷している。
おもな参加艦艇:
(イタリア近接護衛部隊)カイオ・ドゥイリオ ライモンド・モンテクッコリ ムツィオ・アッテンドーロ エマヌエレ・フィリベルト・ドゥーカ・ダオスタ アスカリ アヴィエーレ カミチア・ネーラ
(イタリア遠距離護衛部隊)リットリオ ジュリオ・チェザーレ アンドレア・ドリア ゴリツィア トレント マエストラーレ アルフレード・オリアーニ ヴィンツェンツォ・ジョベルティ コラビニエーレ コラッツィエーレ アルピーノ ベルサリエーレ フチリエーレ グラナティエーレ アントニオット・ウゾディマーレ
(イギリス海軍)ナイアド ユーライアラス カーライル オーロラ ペネロピ ネプチューン ジャーヴィス キンバリー キングストン キプリング ハヴォック ヘイスティー デコイ ランス ライヴリー ジャガー カンダハー シーク マオリ リージョン
(オーストラリア海軍)ニザーム (オランダ海軍) イサーク・スウェールズ
アレクサンドリア港攻撃
(あれくさんどりあこうこうげき)
1941年12月19日に起きた、イタリア海軍によるアレクサンドリア港に停泊するイギリス艦隊への攻撃作戦。
特殊潜航艇「マイアーレ」に搭乗したイタリア海軍の工作員が吸着機雷により戦艦「クイーン・エリザベス」「ヴァリアント」らを爆破、2隻は大破着底した。
また同様に機雷を仕掛けられたタンカーの爆発の余波を受け「ジャーヴィス」が損傷している。
この作戦により地中海艦隊に稼働可能な戦艦が居なくなってしまい*20、マタパン岬以降劣勢だった地中海東部の制海権が枢軸国側に移行、以後半年に渡り北アフリカの陸上部隊に安定した補給が行われる事になった。
おもな参加艦艇:クイーン・エリザベス ヴァリアント ジャーヴィス
1942年
ツェルベルス作戦
(つぇるべるすさくせん)
1942年2月、占領地であるフランスのブレスト港にいた巡洋戦艦「シャルンホルスト」、「グナイゼナウ」と重巡洋艦「プリンツ・オイゲン」及び駆逐艦6隻をイギリス海峡を通ってドイツ本国のキール港へ帰還させた作戦のことを示す。イギリス海峡 (English Channel) をダッシュしたことから英語でチャンネルダッシュ (Channel Dash) とも呼ばれる。
当時大西洋の通商破壊の拠点であったブレスト港には修理のため寄港していた「シャルンホルスト」、「グナイゼナウ」とライン演習作戦より帰還した「プリンツ・オイゲン」及び駆逐艦3隻など多くの主力水上艦が在泊していた。しかし既に連日の英空軍による空襲を繰り返し受け、米国の参戦により大西洋への水上艦の出撃もほぼ不可能となっていたためヒトラーはノルウェーへの配置転換を命じこの作戦が実行されることとなった。
1942年2月11日夜、ブレストを出港した「シャルンホルスト」以下9隻の行動は12日朝には戦闘機(スピットファイア)に発見され魚雷艇5隻に襲撃されるも損害はなかった。正午に複葉攻撃機(ソードフィッシュ)の攻撃を受けるものの護衛戦闘機と対空砲火により殲滅することに成功、損害はなかった。その後多少のトラブルや空襲はあったが全艦キールに到着することができた。
英国海軍は英仏海峡を白昼堂々突破されたことで轟々たる非難の声が殺到し、真相隠滅に狂奔することになる。
だが、突破したドイツ艦隊はスカパーフローの英国本国艦隊に動きを遮断されて狭い水域に封じこめられてしまう。
結局、ドイツ海軍は戦術的にかろうじて成功したが、戦略的には完全な失敗で終わった。
詳細はプリンツ・オイゲンのページを参照。
おもな参加艦艇:シャルンホルスト グナイゼナウ プリンツ・オイゲン Z4 Z5 Z7 Z14 Z25 Z29
第2次シルテ湾海戦
(だいにじしるてわんかいせん)
1942年3月22日、マルタ島への輸送作戦中のイギリス艦隊と、それを阻止しようと出撃したイタリア艦隊の間に発生した海戦。
1942年に入ると枢軸国軍はマルタ島に対し連日のように空襲や通商破壊を実施。マルタ島は物資が欠乏するようになった。
そんな中イギリス軍はマルタ島に輸送船団を送り届けるMG1作戦を発動、3月20日に軽巡5隻、駆逐艦17隻の護衛が付いたMW10船団(輸送船4隻)をアレクサンドリアからマルタ島に向け出港させた。
一方この船団を発見したイタリア海軍は重巡「ゴリツィア」「トレント」を中心とした艦隊と戦艦「リットリオ」を中心とした艦隊をそれぞれ出撃させ、合流後イギリス船団の攻撃に向かった。
大荒れの海の中、この戦闘で戦艦「リットリオ」らイタリア艦隊は軽巡「ユーライアラス」「クレオパトラ」「ペネロピ」、駆逐艦2隻に損傷を与えるも、決定的な打撃を与えることができずに撤退し、途中嵐の直撃で駆逐艦「シロッコ」「ランチエーレ」を失った。
海戦自体は輸送船団の護衛に成功したイギリス海軍の勝利に終わったものの、この影響で到着が遅れた船団は夜明けとともに枢軸国側の空襲に見舞われ、最終的に輸送船を全損*21、物資は当初の1/5しか揚陸できなかった。
おもな参加艦艇:
(イタリア海軍)リットリオ ゴリツィア トレント ジョバンニ・デレ・バンデ・ネレ アルフレード・オリアーニ アスカリ アヴィエーレ ジェニエーレ グレカーレ シロッコ アルピーノ ベルサリエーレ フチリエーレ ランチエーレ
(イギリス海軍)ダイドー ユーライアラス クレオパトラ カーライル ペネロピ ジャーヴィス キプリング ケルヴィン キングストン ヘイスティー ハヴォック ヒーロー ライヴリー シーク ズールー リージョン
ヴィガラス作戦
(ヴぃがらすさくせん)
1942年6月12~16日にかけて行われた、イギリス海軍によるマルタ島への輸送作戦。
連日のように続く独伊空軍によるマルタ島空襲*22により島に駐留していた英海軍はついに撤退、枢軸国の北アフリカへの海上輸送は妨害を受けることなく行えるようになった。そして5月頃には十分な補給を受けたドイツアフリカ軍団によりイギリス軍がエジプト周辺まで後退するなど、連合国の北アフリカ戦線は崩壊しつつあった。
そんな中イギリス海軍はマルタ島の救援・維持のため、ジブラルタルとアレクサンドリアから同時に輸送船団をマルタ島へ送る計画を立てた(ハープーン船団・ヴィガラス船団)。
6月13日、軽巡8隻と駆逐艦26隻の護衛を受けたヴィガラス船団はアレクサンドリアを出港したものの、14日には枢軸軍に発見され空襲で輸送船2隻が沈没、2隻を損傷するなど損害が続出。戦艦「リットリオ」を筆頭とするイタリア艦隊の出撃もあり、イギリス海軍司令部は逡巡の末に作戦中止を決定。
船団は撤退中の空襲や潜水艦の攻撃で軽巡「ハーマイオニー」、駆逐艦3隻を失いつつ命からがらアレクサンドリアに帰投、作戦は完全な失敗に終わった。
一方のイタリア艦隊は米英爆撃機の攻撃で重巡「トレント」が大破(後に潜水艦「アンブラ」の雷撃で沈没)、船団を発見できずに撤退した(撤退中に潜水艦の雷撃で「リットリオ」が損傷)。
ヴィガラス作戦は失敗に終わってしまったものの、もう1つの船団であるハープーン船団が多数の損害を出しつつも2隻の輸送船をマルタ島に到達させたため、島は辛うじて命を繋いだ。
おもな参加艦艇:
(イタリア海軍)リットリオ ヴィットリオ・ヴェネト ゴリツィア トレント エマヌエレ・フィリベルト・ドゥーカ・ダオスタ ジュゼッペ・ガリバルディ フォルゴレ フレッチア サエッタ レジオナリオ アヴィエーレ ジェニエーレ カミチア・ネーラ コラッツィエーレ アルピーノ ベルサリエーレ アントーニオ・ピガフェッタ ミトラリエーレ
(イギリス海軍)クレオパトラ ダイドー ハーマイオニー ユーライアラス アリシューザ コヴェントリー ニューカッスル バーミングハム フォーチュン グリフィン ホットスパー ヒーロー ヘイスティ シーク ズールー ジャーヴィス ジャベリン ケルヴィン パケナム パラディン インコンスタント エアデール
(オーストラリア海軍)ネイピア ノーマン ネスター ニザーム
ハープーン作戦
(はーぷーんさくせん)

パンテレリア沖海戦
(ぱんてれりあおきかいせん)
1942年6月10~15日にかけて行われた、イギリス海軍によるマルタ島への輸送作戦。
ヴィガラス作戦と同時系列で進行していたもう1つの輸送作戦。
6月12日、軽巡「カイロ」と駆逐艦9隻の護衛を受けたハープーン船団はジブラルタルを出港、途中まで空母「イーグル」「アーガス」の航空援護を受けていたものの*23、それらの撤退後に枢軸軍の空襲に見舞われ、更にパンテレリア島付近で軽巡「エウジェニオ・ディ・サヴォイア」「ライモンド・モンテクッコリ」、駆逐艦5隻からなるイタリア艦隊に襲撃された(パンテレリア沖海戦)。
イタリア艦隊の攻撃と枢軸軍の空襲により輸送船3隻とタンカー「ケンタッキー」が撃沈され、マルタ島に着いたのは輸送船2隻だけだった。

結果的にヴィガラス・ハープーンの両作戦でマルタ島に輸送できたのは食料1ヶ月分だけであり、加えて「ケンタッキー」の沈没により石油が届かなかったため、マルタ島は島民の生活に必要な海水淡水化装置を稼働するための石油が無くなる8月末頃には全面降伏する見込みとなった。
おもな参加艦艇:
(イギリス軍直接護衛部隊)カイロ べドウィン マーン マッチレス イシュリール パートリッジ ブランクネイ ミドルトン バズワース クヤヴィアック*24
(イギリス軍間接護衛部隊) マレーヤ アーガス イーグル ケニア カリブディス リヴァプール オンズロー イカルス エスカペイド アンテロープ ウィシャート ウェストコット レスラー ヴィデット

(イタリア軍第7巡洋艦戦隊)エウジェニオ・ディ・サヴォイア ライモンド・モンテクッコリ アスカリ アルフレード・オリアーニ プレムダ*25 ウゴリーノ・ヴィヴァルディ ランツェロット・マロチェッロ
ペデスタル作戦
(ぺですたるさくせん)
1942年8月2日~15日に行われた、イギリス海軍による地中海中部にあるマルタ島への輸送作戦で、地中海の戦いのターニングポイントとなった作戦
石油の欠乏で全面降伏まで1ヶ月を切った地中海の要衝マルタ島を救うべく、イギリス海軍は囮部隊まで用意した大規模な輸送作戦を実行、タンカー「オハイオ」を含む14隻の船団をマルタ島まで護送した(Jervisの小ネタも参照)。
戦艦や空母まで動員してきた連合国軍に対し枢軸国軍は爆撃機による空襲や潜水艦・魚雷艇などを用いた攻撃で対抗。
イギリス海軍は空母「イーグル」などを失うも、島の生命線である石油を積んだ「オハイオ」をマルタ島まで辛うじて辿り着かせることに成功、マルタ島は降伏の危機を脱した。
なおイタリア海軍はこの作戦に際し巡洋艦部隊も出撃させたものの、ドイツ空軍のエアカバーが得られなかったことから船団攻撃に参加せず撤退、その最中潜水艦「アンブロークン」の雷撃で「ボルツァーノ」「ムツィオ・アッテンドーロ」を大破させられている。

この作戦で物資が補給されたマルタ島からの攻撃によって枢軸国側の補給線は常に不安定化し、イギリス軍がドイツ・アフリカ軍団に対し第二次エル・アラメイン会戦で決定的勝利を収める一因となった。
おもな参加艦艇:
(イギリス軍船団支援艦隊)ネルソン ロドニー イーグル ヴィクトリアス インドミダブル フィービ シリアス カリブディス ヴァンシッタート ウィシャート アンテロープ イシュリエル エスキモー ソマリ ターター ラフォーレイ ライトニング ルックアウト クエンティン
(イギリス軍船団直衛艦隊)ナイジェリア ケニア マンチェスター カイロ アシャンティ フォアサイト フューリー イカルス イントレピッド*26 パスファインダー ペン 輸送船9隻
(イギリス軍航空機輸送部隊)フューリアス アマゾン ケッペル マルカム ヴェノマウス ヴィデット ウエストコット ウールヴァリン レスラー

(イタリア軍第3巡洋艦戦隊)ゴリツィア トリエステ ボルツァーノ グレカーレ アヴィエーレ ジェニエーレ カミチア・ネーラ レジオナリオ アスカリ コルサロ
(イタリア軍第7巡洋艦戦隊)エウジェニオ・ディ・サヴォイア ライモンド・モンテクッコリ ムツィオ・アッテンドーロ マエストラーレ アルフレード・オリアーニ ヴィンチェンツォ・ジョベルティ フチリエーレ
トゥーロン港でのフランス艦隊の自沈
(とぅーろんこうでのふらんすかんたいのじちん)
1942年11月27日、ヴィシーフランスに侵攻してきたドイツ軍による艦隊鹵獲を防ぐため、ヴィシー海軍がフランスのトゥーロンに停泊していた艦隊を一斉に自沈させた事件。
1942年11月8日、ヴィシー軍総司令官であるダルラン元帥はトーチ作戦で北アフリカに侵攻してきたアメリカ軍と停戦。この裏切り行為に激怒したドイツはフランス全土を制圧するアントン作戦を、更にトゥーロンに停泊するヴィシー艦隊の接収を目的としたリラ作戦を決行、トゥーロンにドイツ軍が迫った。
この危機に際しヴィシー海軍の指揮官は交渉で時間を稼ぐとその間に港の艦艇を一斉に自沈、戦艦3隻、巡洋艦7隻、駆逐艦32隻、潜水艦15隻が破壊され、ドイツ軍の目論見は失敗に終わった。
この事件によりヴィシーフランス海軍は事実上壊滅、また残った艦艇の多くも自由フランス海軍側に脱出した。
自沈した艦艇の一部は後にイタリア海軍によって浮揚されたが、その多くは連合国の空襲やイタリアの停戦などで再度沈没している(コマンダン・テスト、ストラスブールなど)。
おもな参加艦艇:ストラスブール ダンケルク プロヴァンス コマンダン・テスト コルベール フォッシュ デュプレクス アルジェリー ラ・ガリソニエール ジャン・ド・ヴィエンヌ マルセイエーズ など
1943年
戦艦ローマの沈没
(せんかんろーまのちんぼつ)
1943年9月9日、コルシカ島のボニファシオ海峡近くで、ドイツ軍の航空攻撃でイタリア海軍の戦艦「ローマ」が撃沈された事件。誘導爆弾によって戦艦が沈められた最初で最後の事例
9月8日のイタリア休戦に伴い、イタリア海軍はドイツ軍の接収を避けるために残存艦隊を連合国に引き渡すことを決定。翌日ラ・スぺツィアとジェノヴァからイタリア艦隊がマルタ島に向け出港した。
だがこの動向は警戒していたドイツ軍に察知され、第100爆撃航空団第3飛行隊のDo 217 K-2 11機がマルセイユ基地よりイタリア艦隊へ向けて出撃、誘導爆弾「フリッツX」による攻撃で直撃を受けた「ローマ」が轟沈し、僚艦「イタリア」が大破した。
9月9日のボニファシオ海峡では同じく連合国の港を目指した駆逐艦「アントーニオ・ダ・ノリ」と「ウゴリーノ・ヴィヴァルディ」もコルシカ島のドイツ軍砲台との交戦や航空攻撃で戦没している。(イタリア艦隊の動き)
おもな参加艦艇:ヴィットリオ・ヴェネト イタリア ローマ ライモンド・モンテクッコリ エマヌエレ・フィリベルト・ドゥーカ・ダオスタ エウジェニオ・ディ・サヴォイア ルイージ・ディ・サヴォイア・ドゥーカ・デッリ・アブルッツィ ジュゼッペ・ガリバルディ アッティリオ・レゴロ ミトラリエーレ フチリエーレ カラビニエーレ ヴェリーテ レジオナリオ アルティリエーレ*27 アルフレード・オリアーニ グレカーレ
1944年
アンツィオの戦い
(あんつぃおのたたかい)

シングル作戦
(しんぐるさくせん)
1944年1月22日に開始された、連合軍によるイタリアのアンツィオおよびネットゥーノ上陸作戦。
連合軍の前進を阻むドイツの「グスタフ・ライン」を迂回し、ドイツ軍を包囲することを目的として企画された(ローマ南部にドイツ軍が構えた防衛線群)。
だがドイツ軍守備隊の猛反撃によって膠着状態に陥り、一連の戦闘は6月5日のローマ陥落まで続いた。

この作戦の支援中、「ジェーナス」はドイツ空軍の航空攻撃によって戦没した(沈没原因は諸説あり)。
おもな参加艦艇:
(イギリス北方支援部隊) オライオン スパルタン ジャーヴィス ジェーナス ラフォーレイ ロイヤル イングルフィールド テネイシャス グレンヴィル*28 アーチン ケンペンフェルト*29 ボーフォート ブレコン ウィルトン ティトコット
1945年
ハンニバル作戦
(はんにばるさくせん)
軍民併せて200万人をソ連軍の猛攻に晒される東プロイセンから避難させるべく、1945年1月21日より開始された救出作戦。ドイツ国防軍海軍最後の作戦でもある。軍艦から貨物船・客船などあらゆる艦船が動員された。
プリンツ・オイゲンはこの戦いで主砲の弾薬を全て使い果たすほどの砲撃を行い、ソ連軍の進撃を妨げた。
ソ連海軍はこの避難民を乗せた艦船に対し潜水艦での攻撃を行い、「ヴィルヘルム・グストロフ」「ゴヤ」「シュトイベン」などが撃沈され、作戦終了までに約3万3000人の犠牲者が出ている。

撃沈された船のうち「ヴィルヘルム・グストロフ」の犠牲者は海事史上最悪である9300人の犠牲者を出している。*30
おもな参加艦艇:
(ドイツ海軍) プリンツ・オイゲン リュッツオウ*31 アドミラル・シェーア シュレージエン レーヴェ*32 TF-1 T-23 T-28 T-35 T-36
(客船・輸送船) ヴィルヘルム・グストロフ ゴヤ カップ・アルコナ シュトイベン
(ソ連海軍) L-3 S-13

通常海域モデル

通常海域

※第2期対応済

エリア海域名モデルと考えられる事柄備考戦没艦
1-1鎮守府正面海域伊豆大島近海東京湾海戦(野島崎沖)か?
1-2南西諸島沖海域マップは沖縄沖。
1-3製油所地帯沿岸東海~近畿・四国地方沿岸
1-4南西諸島防衛線南西諸島~台湾方面。南号作戦
1-5Ex鎮守府近海豊後水道~都井岬沖昭和20年3月28日都井岬沖で海防艦御蔵が空襲で損傷後、米潜水艦スレッドフィンの雷撃により撃沈されている御蔵
1-6Ex鎮守府近海航路大戦末期の九州(佐世保)~南西諸島左上にある陸地は九州の地形そのまま。
「大島輸送隊」の航路と酷似している。坊の岬沖海戦で大和がすれ違った輸送隊
2-1南西諸島近海旧海域名カムラン半島。南西諸島海域(第1期)の各ステージ名は、その後の帝國海軍に大きな影響を与えた日本海海戦の要訣が由来となっていた。第1期の海域名の元ネタはバルチック艦隊通過点であるカムラン湾。
2-2バシー海峡フィリピン沖バシー海峡・陸軍の明号作戦太平洋戦争時には多数の日本輸送船がここで米潜水艦に撃沈され、「輸送船の墓場」と呼ばれた。
旧海域名バシー島沖。バルチック艦隊通過点。
2-3東部オリョール海「オリョール」(Орёл)はロシア語で「鷲」の意味。
特務艦「信濃丸」に発見された病院船「オリョール」(バルチック艦隊所属)が海域名の元ネタか。
オリョールを発見したのは長崎県五島列島沖
日本へ引き渡されて「石見」と改称した同名の戦艦とは別の船。
2-4沖ノ島海域あ号作戦(マリアナ沖海戦)海域マップ右にある三角形の環礁は、日本最南端の島である沖ノ鳥島がモデルか。
沖ノ島自体は日本海海戦の戦場海域。
沖ノ島は福岡県沖の玄界灘にあり、官幣大社である宗像大社の神領で沖津宮が鎮座する。2017年に世界遺産に登録された。
この島から日本海海戦の様子を神職の宗像繁丸と使夫の佐藤市五郎が目撃している。
大鳳翔鶴飛鷹、伊184、伊185
2-5Ex沖ノ島沖海域マップは2-4で用いられている図の更に東側(右側)。
3-1モーレイ海アッツ島沖海戦?海域マップはカムチャッカ半島~アリューシャン列島西部
モーレイ(moray)は英語で「ウツボ」の意味。
3-1~3-3の海域名は温暖な海に生息している魚の名前から取られている。
3-2キス島沖キスカ島撤退作戦海域マップはキスカ島。第2期では速力を上げることで敵戦艦との交戦を回避できるように。同時に史実にちなんだ気のせいマスが追加された。
海域名は3-1、3-3のことを考えるとキス(鱚)とかけている?
伊7、伊9、伊24
3-3アルフォンシーノ方面AL作戦・ダッチハーバー空襲海域マップはアリューシャン列島。
アルフォンシーノ(alfonsino)は英語で「キンメダイ」の意味。
3-4北方海域全域IFマップアラスカ州コールド湾に集結する第51.1任務群を攻撃するIF。
実際の北方方面では大規模な水上戦闘は起こらなかった。
3-5Ex北方AL海域アリューシャン方面の戦い海域マップはアリューシャン列島東部(2014夏イベE-2と同じマップ)。
ボス左の特徴的な形の島がウナラスカ島*33
4-1ジャム島沖スラバヤ沖海戦・バタビア沖海戦海域マップはジャワ海。ボスはABDA艦隊、Gマスのタ級2隻はZ部隊(プリンス・オブ・ウェールズとレパルス)がモデルか。
4-2カレー洋海域ベンガル湾作戦海域マップはベンガル湾
セイロン沖海戦と同時系列に行われた通商破壊作戦
4-3リランカ島コロンボ空襲・セイロン島(スリランカ)沖海戦ボスマス(港湾棲姫)はコロンボ港。敵艦隊のモデルは戦艦ウォースパイト以下の東洋艦隊主力部隊*34
4-4カスガダマ島マダガスカル島の戦いマダガスカルに退避した東洋艦隊を攻撃するIF。マダガスカルの戦いは実際には潜水艦のみの参加。
潜水艦搭載の甲標的によるディエゴ・スアレス港攻撃で英戦艦ラミリーズを大破せしめた。
4-5Exカレー洋リランカ島沖1944年のインド洋欧州戦線で連合国が優位となり、東洋艦隊に戦力が増強され始めた頃。
5-1南方海域前面ツラギ島攻略・ソロモン進出菊月
5-2珊瑚諸島沖珊瑚海海戦Dマスに登場するワ級は給油艦ネオショー、I・ボスマスで登場するヲ級改と空母棲鬼は空母レキシントン(CV-2)とヨークタウン(CV-5)がモデルか。
2期実装に伴い、MO機動部隊(五航戦)とMO攻略部隊(祥鳳)にちなんだ2つのルートに分かれるように。
祥鳳
5-3サブ島沖海域第一次ソロモン海戦
サボ島沖海戦
第2期実装に伴い、能動分岐で輸送船団を攻撃するルートが追加。加古*35古鷹吹雪叢雲*36
5-4サーモン海域鼠輸送作戦出撃地点はブイン泊地神通高波、照月、村雨峯雲
新月、長月夕雲、巻波、大波
夕霧*37
5-5Exサーモン海域北方第二次ソロモン海戦龍驤睦月
6-1中部海域哨戒線ギルバート諸島の戦い*38ギルバート諸島での潜水艦作戦では潜水艦9隻が参加し、索敵および米機動部隊への攻撃を行った。
このとき伊175(未実装)が護衛空母リスカム・ベイ(CVE-56)を撃沈、マキンでの陸上戦の死傷者を大きく上回る損害を与えたものの、参加した潜水艦9隻の内6隻を失い、伊175を含む生き残った3隻も爆雷攻撃で損傷するという悲惨な結果に終わった。
伊19、伊21、伊35、伊39、伊40、呂38
6-2MS諸島沖マーシャル諸島沖航空戦海域マップはマーシャル諸島。(出撃地点付近)
史実では基地航空隊が迎撃*39
クェゼリン環礁に在泊していた長良五十鈴が空襲により中破している
また、マーシャル諸島近海にはビキニ環礁も存在するため
核実験により当地で沈んだ長門酒匂がドロップするものと思われる。
6-3グアノ環礁沖海域K作戦偵察対象の島はジョンストン島(ジョンストン環礁)。MAPにあるような四角い形になったのは1964年の埋め立て拡張後。
グアノとはサンゴ礁に海鳥の糞や死骸などが非常に長い時間かけて堆積し化石化したもののことで、かつては肥料や弾薬の原料として珍重された。ジョンストン島もグアノが採れることからアメリカが領有を宣言したが、ハワイとミッドウェーの中間という戦略上の要衝であるため、後に海軍基地が作られた。
なお、史実の「K作戦」は、MI作戦の前に行われた、二式大艇によるハワイ・真珠湾の偵察作戦である。
6-4中部北海域ピーコック島沖ウェーク島の戦い2014年春イベントE-5と同じ元ネタ。如月
6-5KW環礁沖海域マーシャル諸島沖航空戦
クェゼリンの戦い
KW環礁はマーシャル諸島にあるクェゼリン環礁のこと。
7-1ブルネイ泊地沖
7-2タウイタウイ泊地沖水無月谷風風雲早波
7-3ペナン島沖ペナン沖海戦Dマスは軽巡球磨の沈没地点。羽黒

イベント海域モデル(第1期)

2013年春イベントモデル海域

2013年春イベント海域

エリア海域名モデルと考えられる事柄備考戦没艦
13春-E1前哨戦真珠湾攻撃*40翔鶴、瑞鶴の初陣。(このイベントのドロップ、突破報酬の1つ)。
13春-E2警戒線突破
13春-E3湾内突入!
13春-E4敵泊地強襲!

2013年夏イベントモデル海域

2017年2月現在、明確なモデルが存在しない唯一のイベント海域。敢えて言えばイベント終了後に開放された南方海域(5面)への橋頭堡を築くためのif作戦か?

2013年秋イベントモデル海域

2013年秋イベント海域

エリア海域名モデルと考えられる事柄備考戦没艦
13秋-E1サーモン諸島海域第二次ソロモン海戦海戦後に伊19がワスプ撃沈龍驤睦月
13秋-E2ルンバ沖海域ルンガ沖夜戦高波
13秋-E3サンタクロース諸島海域南太平洋海戦(サンタクルズ諸島沖海戦)南雲機動部隊最後の戦い。
なお、「サンタクルズ(Santa Cruz)」とは「聖なる十字架」の意味のスペイン語(サンタクルス)の英語読みで、サンタクロース(Santa Claus)とは直接の関係はない。
由良*41
13秋-E4アイアンボトムサウンドヘンダーソン*42基地艦砲射撃
第三次ソロモン海戦
リコリス航空基地は史実でのヘンダーソン飛行場*43
ボス手前マス(敵待ち伏せ部隊)で出現するタ級2隻は戦艦サウスダコタとワシントンをイメージしたものか。
比叡衣笠夕立*44
霧島綾波*45
13秋-E5サーモン海域最深部IFマップ-

2014年春イベントモデル海域

2014年春イベント海域

エリア海域名モデルと考えられる事柄備考戦没艦
14春-E1南西海域サメワニ沖スラバヤ沖海戦インドネシア語で「スラバヤ」はサメ・ワニの意味。雷・電による敵兵救助でも有名
ABDA主力艦隊とはインドシナ方面防衛の為に急遽編成された豪英蘭米(Australian-British-Dutch-American)混成艦隊のこと
14春-E2南西海域ズンダ海峡バタビア沖海戦連合軍側の呼称がスンダ海峡海戦。
ただし、海域MAPはスンダ海峡(ジャワ島の西)ではなくバリ島周辺(ジャワ島の東)になっている。
この海域では「バリ島沖海戦」があったが、時系列ではスラバヤ沖海戦より前である。
14春-E3ポートワイン沖海域ポートダーウィン空襲ポートダーウィン(ダーウィン港)*46は豪州北部にある入り江であり、沿岸のダーウィン市はノーザンテリトリー準州の州都である。
日本軍は要衝と見て攻撃したものの、実際はそれほど戦力は置かれていなかった。
14春-E4中部太平洋海域ウェーク島の戦い日米が互いの作戦線上で衝突した。後半マップだが真珠湾攻撃と同日。
ボス前の空母マスは史実では間に合わなかった第14任務部隊をイメージしたものか。(TF14)*47
真珠湾で消耗した二航戦では数の上で劣勢であり、間に合っていたら厳しい戦闘になったと予想される
14春-E5北太平洋海域ピーコック島とはウェーク島のピーコック岬から
ハワイの太平洋艦隊が救援に駆けつけており、E4での攻略を断念して時間が開いたことが推測できる。
疾風、如月

2014年夏イベントモデル海域

2014年夏イベント海域
このイベントから、海域マップに実在の地形に近いものが使用されている。

  • AL作戦*48
    海域マップはアリューシャン列島。
    エリア海域名モデルと考えられる事柄備考戦没艦
    14夏-E1北方AL海域アリューシャン侵攻作戦アッツ島・キスカ島への揚陸作戦。本来はダッチハーバー空襲より後。
    熟練提督達の出鼻を挫いた最初のマスのカ級は潜水艦グロウラーをイメージしたものか。*49
    14夏-E2ダッチハーバー空襲アラスカ・ウナラスカ島にある米海軍基地
    MI作戦の陽動として第二機動部隊が空襲した
    最終形態の北方棲姫が手に持ってるのはAL作戦で鹵獲された
    「アクタンゼロ」*50だと思われる
  • MI作戦*51
    海域マップはミッドウェー諸島。左側の大きい島(サンド島)には1942年当時飛行場は無く通信施設や居住区等が置かれていた。
    MAP上の形は埋め立てによって形が変わった現在のもの。
    エリア海域名モデルと考えられる事柄備考戦没艦
    14夏-E3北太平洋海域ミッドウェー海戦MI諸島とはミッドウェー諸島のこと。
    E-4の任務部隊のE群は空母「エンタープライズ」、Y群は空母「ヨークタウン」、H群は空母「ホーネット」の率いる部隊が元ネタと思われる。
    赤城加賀蒼龍
    飛龍三隈
    14夏-E4北太平洋MI諸島近海
    14夏-E5北太平洋MI諸島沖IFマップMI作戦が成功後、日本側が予測していた米側による奪還作戦
    つまり、E-4から若干時間が経過している。
    日本側はこの戦いで米の太平洋艦隊を撃滅し南洋の脅威を取り除くつもりだったが
    実際の所米軍は、占領された場合は潜水艦による補給妨害に徹する方針を固めていた。
    艦これでは結果的に見ると日本本土攻撃の為の陽動作戦となっている
    -
  • 本土近海邀撃戦
    海域マップは小笠原諸島で、ボスマス右下の島は硫黄島。
    また左下(羅針盤付近)に西之島(1973年の噴火で海上に出現、MAP上での形は2013年の噴火以前のもの)が確認できる。
    エリア海域名モデルと考えられる事柄備考戦没艦
    14夏-E6本土南西諸島近海ドゥーリットル空襲
    硫黄島の戦い
    史実ではドゥーリットル空襲はミッドウェー海戦の少し前、硫黄島の戦いは戦争末期。
    機動部隊主力不在の隙をついての本土奇襲というシチュエーションはドゥーリットル空襲、敵艦隊の構成と戦場は硫黄島の戦いがモデルと思われる。
    提督達の新たなトラウマとして刻まれる事となった二体の戦艦棲姫は、硫黄島への艦砲射撃の為に派遣された2隻のアイオワ級戦艦、ミズーリとウィスコンシンをイメージした物だろう。
    また、ドゥーリットル空襲を行ったのはヨークタウン級ホーネット(CV-8)、硫黄島の戦いで上陸支援を行った空母の中にはエセックス級ホーネット(CV-12)がおり、エンタープライズも両方に参加している。
    なおE5のクリア報酬・雲龍を改造する事で連れてくる六〇一空も硫黄島防衛に参加している。
    特設監視艇5隻(ドゥーリットル空襲)

2014年秋イベントモデル海域

2014年秋イベント海域
海域マップはフィリピンのミンダナオ島~インドネシアのビアク島周辺。出撃地点はミンダナオ島の要衝ダバオとなっている。逆「入」型の特徴的な島は旧蘭領インドシナのセレベス島(現・インドネシアのスラウェシ島)。島北方の拠点メナドが渾作戦での重要拠点だった。

  • 渾作戦
    エリア海域名モデルと考えられる事柄備考戦没艦
    14秋-E1南西方面海域第一次渾作戦ビアク島への緊急輸送作戦。
    戦艦含む中規模艦隊だったが、偵察機の誤認により作戦中止した為戦闘は発生せず
    14秋-E2第二次渾作戦ビアク島への緊急輸送作戦その2。
    第一次作戦で貴重な燃料を浪費した為、東京急行のような駆逐艦のみの編成に。空襲と待ち伏せを受け撤退
    春雨
    14秋-E3第三次渾作戦ビアク島への緊急輸送作戦その3。
    主力艦隊を一挙投入して迎撃艦隊を一掃する作戦だったがマリアナ沖海戦により中止
  • 敵機動部隊迎撃戦
    エリア海域 or 作戦名モデルと考えられる事柄備考戦没艦
    14秋-E4パラオ諸島沖IFマップ帝国海軍は本来パラオ諸島付近で米機動部隊を迎え撃つ予定であった。
    が、米海軍は南方の日本軍拠点を一つ一つ制圧していくよりも、南方と日本本土の中継地点であるマリアナから台湾のラインを制圧し、南方と日本本土を同時に兵糧攻めにする方針を採用。
    結果として裏をかかれる形になった日本側は防備の整わないままサイパン島の攻防に突入する事となった。
    若竹、明石(パラオ大空襲)

2015年冬イベントモデル海域

2015年冬イベント海域
海域マップはミクロネシア連邦のチューク諸島(大戦当時の呼称はトラック諸島)。マップでは(実際の地形の)北西方向が真上になっており、敵の攻略部隊は北東(マーシャル諸島エニウエトク環礁方面)から来ている。

  • 迎撃!トラック泊地強襲
    エリア海域名モデルと考えられる事柄備考戦没艦
    15冬-E1トラック泊地トラック島空襲当時アメリカ軍はトラック島を包囲すべく潜水艦9隻を派遣していた。
    空襲直前の2月16日、阿賀野は本土への回航中に潜水艦スケートに撃沈されている。
    阿賀野那珂香取舞風文月
    15冬-E2史実では連合艦隊はパラオへ退避していた。*52
    E-3道中で出現する戦艦棲姫2隻は戦艦アイオワとニュージャージーをイメージしたものか。
    15冬-E3トラック泊地沖
    15冬-E4トラック諸島海域IFマップミッドウェーの大敗が無くソロモン、マーシャル方面の消耗も軽かった場合
    アメリカ軍の反攻作戦に対しトラック島を根拠地として決戦したと思われる。
    -
    15冬-E5

2015年春イベントモデル海域

2015年春イベント海域
海域マップはインド洋。

  • 主作戦・拡張作戦
    エリア海域名モデルと考えられる事柄備考戦没艦
    15春-E1カレー洋マレー半島沖~セイロン島沖
    15春-E2カレー洋リランカ島沖マレー半島沖~セイロン島
    15春-E3ベーグル湾ベンガル湾作戦セイロン沖海戦と同時系列に行われた通商破壊作戦。
    15春-E4カレー洋リランカ島沖セイロン沖海戦(コロンボ空襲)
    第十一号作戦(セイロン島攻略作戦)
    ボスマスはコロンボ基地。外れの港湾棲姫マスはトリンコマリー軍港。*53
    15春-E5アンズ環礁沖IFマップ元ネタは英海軍東洋艦隊の基地があったアッドゥ環礁(アッズ環礁)。-
    15春-E6ステビア海元ネタはアラビア海。ボスマスはソマリア沖のソコトラ島(スクトゥラ島)の近く。-

2015年夏イベントモデル海域

2015年夏イベント海域
海域マップはニューギニア島東部~サモア諸島(E1~E4、E6~E7)とインド洋(E5)

  • 主作戦・拡張作戦
    エリア海域名モデルと考えられる事柄備考戦没艦
    15夏-E1ショートランド沖ツラギ島攻略珊瑚海海戦の前哨戦となった戦闘。
    E-1のDマスはショートランド諸島、Gマスはパプアニューギニアのラエ。
    E-1ボスマスはニュージョージア海峡。E-2ボスマスはツラギ島。
    菊月
    15夏-E2ソロモン海
    15夏-E3南太平洋海域南太平洋海戦Xマス(飛行場姫)はガダルカナル島のヘンダーソン飛行場。
    ボスの空母棲鬼2隻は空母エンタープライズとホーネット(CV-8)をイメージしたものか。
    15夏-E4アイアンボトムサウンド本来の主目的であった敵飛行場への攻撃が実現したIF展開。-
    15夏-E5西方海域戦線 カレー洋ディプロマット作戦44年3月に行われた、イギリス東洋艦隊とアメリカ海軍の合同軍事演習。
    史実ではこれ以降東洋艦隊の太平洋方面への反攻が始まった。
    Gマス(港湾棲姫)はセイロン島のトリンコマリー軍港。航空偵察対象はコロンボ基地とアッドゥ環礁。
    -
    15夏-E6ソロモン海東部海域IFマップ敵の新編機動部隊のモデルは第58(38)任務部隊*54か。
    ソロモン方面での戦いが史実より長期化していた場合、中部太平洋方面ではなくこちらに投入されていたと思われる。
    また第58任務部隊には新型空母の他にエンタープライズも所属していた。
    -
    15夏-E7FS方面海域FS作戦MO、MI作戦の失敗により史実では実施されなかった幻の作戦。
    Xマス(港湾棲姫)はバヌアツのエスピリトゥサント島(ルーガンビル基地)、Yマス(離島棲姫)はフィジー諸島(スバ基地)、ボスマスはサモア諸島(タフナ基地)。
    -

2015年秋イベントモデル海域

2015年秋イベント海域
海域マップはニュージョージア諸島西部(E1~E3、E5)とインド洋(E4)。

  • 主作戦・拡張作戦
    エリア海域名モデルと考えられる事柄備考戦没艦
    15秋-E1ショートランド泊地沖
    15秋-E2コロネハイカラ島沖コロンバンガラ島沖海戦コロンバンガラ→バンカラ(蛮カラ)→ハイカラという連想神通
    15秋-E3コロネハイカラ島東方沖鼠輸送作戦
    15秋-E4西方海域戦線 ステビア海IFマップJマス(港湾棲姫)はセイロン島のコロンボ軍港。
    Mマス(泊地水鬼)はアッドゥ環礁。
    -
    15秋-E5バニラ湾沖べラ湾夜戦ベラ(Vella)→バニラ(Vanilla)。
    べラ湾の位置はJマス(夜戦マス)。
    江風萩風

2016年冬イベントモデル海域

2016年冬イベント海域
海域マップはベトナムのカムラン湾(E1)、フィリピンのミンドロ島(E2)と北海道(E-3)。

  • 主作戦・拡張作戦
    エリア海域名モデルと考えられる事柄備考戦没艦
    16冬-E1カンパン湾沖礼号作戦挺身部隊はカムラン湾から出発
    礼号作戦の直前、カムラン湾から本土に修理のため回航中だった妙高
    サイゴン沖で米潜「バーゴール」の雷撃を受け大破しており、これをモデルにしていると思われる*55
    16冬-E2オートロ島マーマレード湾沖ボスマスは、米軍が物資集積基地を設営したミンドロ島南部のマンガリン湾。
    米軍はサンホセのマクガイア航空基地などにレーダー装備のB-25など陸軍第5空軍の陸上機約100機を展開しており、接近する日本艦隊に夜間空襲を仕掛けた
    また、第7艦隊から迎撃のためセオドア・E・チャンドラー少将率いる第77.14任務群*56が派遣されたが史実では遭遇する事はなかった
    清霜*57
    16冬-E3北海道北東沖捷四号作戦戦力ゲージ時の出撃地点は単冠湾泊地(機動部隊ルート)と幌筵泊地(水上部隊ルート)
    捷号作戦は大戦末期に計画された、陸海軍の残存戦力を投入して来襲するアメリカ軍を迎撃する作戦。
    予想されるアメリカ軍の侵攻ルートに合わせて四つの作戦が立案されたが、史実で発動されたのは捷一号(フィリピン方面)のみで、
    残りの捷二号(台湾・南西諸島方面)、捷三号(北海道を除く本土)、捷四号(千島・樺太・北海道方面)は発動されなかった。

2016年春イベントモデル海域

2016年春イベント海域
海域マップはジョンストン島(環礁)(E-1~4)とラバウル基地(E-5)とハワイ諸島(E-6~7)

  • 主作戦・拡張作戦
    エリア海域名モデルと考えられる事柄備考戦没艦
    16春-E1北太平洋前線海域IFマップ「Erehwyna」島→反転すると「anywhere(どこでも)」。「どこでもない島」といったところか。
    ちなみに今イベントのバナーには埋め立て拡張後のジョンストン島が描かれているが海域マップには埋め立て拡張前のジョンストン島が描かれている。
    -
    16春-E2
    16春-E3
    16春-E4
    16春-E5南方ラバウル基地戦域ラバウル空襲
    ルンガ沖航空戦
    大戦後期のガダルカナル島には飛行場が複数存在しており、
    ボスのリコリス棲姫は新たに設営された飛行場と考えられる。
    -
    16春-E6北太平洋深海中枢泊地沖真珠湾攻撃味方の基地航空隊の援護を受けられないことや中枢棲姫の台詞から、完全な奇襲であった真珠湾攻撃がモデルと考えられる。
    ボスの中枢棲姫はアメリカ太平洋艦隊の司令部が置かれていた真珠湾軍港とそれを守るオアフ島要塞、飛行場姫はホイーラー、ヒッカム、フォード島、カネオヘ、ベローズ等の飛行場、集積地棲姫は軍港の重油タンク群、2体の砲台小鬼は16インチのウィルソン砲台をはじめとした要塞砲、戦艦ル級は湾内に停泊していた戦艦をイメージしたものか。
    この海域には唯一空襲戦マスを1回も通らないルートがあるが、このルートは史実での真珠湾攻撃で日本軍がとったルートに近い。
    -
    16春-E7北太平洋戦域IFマップ基地航空隊が使用可能である点や、2回目の泊地攻撃という点から、MI作戦後に予定されていたハワイ攻略作戦が元ネタと考えられる。
    中枢棲姫―壊は奇襲後に強化されたオアフ島要塞がモチーフか。真珠湾攻撃後のオアフ島要塞では露天砲台をコンクリートの掩蓋で覆う工事が進められ、沈んだ戦艦アリゾナの3番主砲塔と4番主砲塔を陸揚げし、アリゾナ砲台、ペンシルベニア砲台としてオアフ島南西端と東海岸にそれぞれ設置している。

2016年夏イベントモデル海域

2016年夏イベント海域
海域マップは南シナ海・マレー半島(E1~E3)、マラッカ海峡・インド洋(E4)、味方航空基地はサイゴン

  • 主作戦・拡張作戦
    エリア海域名モデルと考えられる事柄備考戦没艦
    16夏-E1南西海域 ブンタン沖マレー沖海戦ブンタンはベトナムにあるブンタウのことか。ブンタンはミカンの仲間の柑橘類の1つ。史実のマレー作戦ではこの海域に潜伏していた潜水艦が日本軍に発見されている。-
    16夏-E2南西海域 エンドウ沖エンドウ沖海戦海域名のエンドウは食べ物ではなく実際の地名(Endau)である。ちょうど揚陸地点がエンドウのある地域である。
    16夏-E3南西海域 マレー沖マレー沖海戦
    シンガポール要塞攻略
    ボス前の戦艦夏姫2隻は戦艦プリンス・オブ・ウェールズと戦艦レパルス、ボスの港湾夏姫はシンガポール要塞がモデルか。史実では戦力的に劣勢な日本軍がイギリス軍に圧勝、結果シンガポールは日本軍によって占領された。
    16夏-E4南西海域 マラッカ海峡沖ペナン沖海戦?
    IFマップ?
    ペナン沖海戦はマラッカ海峡で発生した夜戦であり、この戦いによって重巡洋艦羽黒が撃沈された。そしてこの海域のボス艦隊の旗艦を務めているのも重巡洋艦である。羽黒(ペナン沖海戦)

2016年秋イベントモデル海域

2016年秋イベント海域
海域マップは小笠原諸島諸島(E1)と本州~太平洋(E2~3)とマーシャル諸島(E4~5)

  • 主作戦・拡張作戦
    エリア海域名モデルと考えられる事柄備考戦没艦
    16秋-E1本土近海諸島補給線マップは小笠原諸島。
    16秋-E2本土沖ドーリットル空襲太平洋。航空隊基地があるのは厚木海軍飛行場。
    16秋-E3本土沖太平洋上対米国艦隊作戦第三法
    16秋-E4MS諸島北部IFマップFマスはロンゲラップ環礁、輸送地点はクェゼリン環礁。シャングリラとは日本に爆撃機の発進地を隠すためにアメリカが発表した架空の地名である(小説『失われた地平線』に由来)。
    後に同名の空母がエセックス級の1隻(CV-38)として就役している。
    -
    15秋-E5MS諸島北部 B環礁沖クロスロード作戦B環礁=ビキニ環礁。作戦名の「渚」は小説『渚にて』が元ネタか。
    クロスロード作戦は太平洋戦争終結後のアメリカ軍の作戦であるが、海域選択画像に巨大な火柱が描かれているためこの作戦がモチーフと考えられる。
    この作戦では、上述の空母シャングリラが指揮艦を務めていた。
    長門酒匂Prinz EugenSaratoga

2017年冬イベントモデル海域

2017年冬イベント海域
海域マップは西日本(E1)と本州~小笠原諸島(E2)とトラック泊地~ウルシー環礁(E3)

  • 主作戦・拡張作戦
    エリア海域名モデルと考えられる事柄備考戦没艦
    17冬-E1日本近海/七尾北湾/舞鶴湾飢餓作戦(米軍側の作戦名)
    九州沖航空戦
    最短ルートである関門海峡を通れないことから機雷封鎖が行われた昭和20年春以降の日本近海がモデルと考えられる。航空基地は鹿屋、F・Nマスがそれぞれ佐世保・舞鶴鎮守府。Kマスは海域名の通り七尾湾だが、ここには昭和20年4月1日から同年9月15日の閉校まで海軍潜水学校が七尾分校として拠点を置いていた。となるとスタート地点はその前(昭和19年4月1日~昭和20年4月1日)に柳井分校があった山口県柳井市か、あるいは「光作戦」とかけて光市だろうか
    また、室戸岬沖であるMマスのヲ級改は昭和20年3月19日に銀河*58又は彗星*59の攻撃で大破炎上した米エセックス級空母フランクリンだと思われる
    17冬-E2小笠原諸島航路伊号輸送
    スカベンジャー作戦
    小笠原諸島の防備強化及び、敵機動部隊による小笠原諸島への攻撃というシチュエーションから、昭和19年6月下旬に実施された伊号輸送(小笠原諸島防衛のための兵員・資材輸送作戦)と、その後の同年8月4~5日に実施されたスカベンジャー作戦がモデルと考えられる。
    航空基地は木更津基地。輸送護衛部隊におけるゲージ残量での進路変化は、この2作戦間の時間経過を表しているのだろう。

    本海域とイベント報酬艦の関連としては、松風が彩帆(サイパン)島への輸送任務中に父島近海で潜水艦の雷撃を受け爆沈し(ボスマス付近がちょうど沈没地点にあたる)、伊13が彩雲輸送途中に小笠原諸島近海で撃沈されている。
    松(スカベンジャー作戦)
    松風(第3606船団)
    17冬-E3トラック泊地沖光作戦
    嵐作戦
    Eマスはトラック泊地、Jマス(離島棲鬼)はマリアナ諸島、Uマスはウルシー環礁。
    Jマスへの任務は神重徳大佐によるサイパン島水上特攻計画がモデルか?*60
    伊13(光作戦)

2017年春イベントモデル海域

2017年春イベント海域
海域マップは北海道~千島列島(E1~E3)と占守島(E4)、オホーツク海(E5)

  • 主作戦・拡張作戦
    エリア海域名モデルと考えられる事柄備考戦没艦
    17春-E1津軽海峡/北海道沖スタート地点は大湊警備府
    17春-E2左側のゴール地点は小樽港、航空基地は千歳基地
    17春-E3千島列島沖左上のゴール地点はそれぞれ真岡(左、現ホルムスク)、大泊(中央、現コルサホフ)、富内(右、現オホツコエ)。
    航空基地は美幌基地
    17春-E4占守島沖占守島の戦い航空基地は幌筵島
    17春-E5大ホッケ海北方IFマップ

2017年夏イベントモデル海域

2017年夏イベント海域
海域マップは東南アジア(E1)とインド洋~紅海(E2~4)、地中海(E5~6)、ジブラルタル海峡~イギリス海峡(E7)

  • 主作戦・拡張作戦
    エリア海域名モデルと考えられる事柄備考戦没艦
    17夏-E1リンガ泊地沖スタート地点はリンガ泊地、Mマスはミリ、Qマスはサラワク
    17夏-E2カレー洋リランカ島沖
    17夏-E3ステビア海
    17夏-E4紅海航空基地はイエメン、Mマス(集積地夏姫)はポートスーダン
    17夏-E5地中海キプロス島沖航空基地はキプロス島(イギリス空軍のアクロティリ基地と思われる)、Cマス(集積地夏姫)はトゥブルク、Jマス(港湾夏姫)はマルタ島
    17夏-E6地中海マルタ島沖航空基地はギリシャ、Fマスはタラント、Iマスはトリポリ、Hマス(輸送ボス)はマルタ島
    17夏-E7北大西洋海域Pマス(港湾夏姫)はロリアン

2017年秋イベントモデル海域

2017年秋イベント海域
海域マップは南西諸島(E1)と台湾~フィリピン(E2)、フィリピン(E3~E4)

  • 主作戦・拡張作戦
    エリア海域名モデルと考えられる事柄備考戦没艦
    17秋-E1奄美群島沖/台湾沖台湾沖航空戦
    17秋-E2台湾沖/ルソン島沖ルソン島沖航空戦第二航空艦隊による第38.3任務群への航空攻撃プリンストン
    17秋-E3捷一号作戦 作戦海域エンガノ岬沖海戦航空基地はルソン島(クラーク基地だと思われる)
    17秋-E4スリガオ海峡沖シブヤン海海戦
    スリガオ海峡海戦
    出撃地点はそれぞれ栗田艦隊(連合艦隊)、志摩艦隊(通常艦隊)、西村艦隊(遊撃部隊)武蔵(シブヤン海海戦)
    扶桑山城最上満潮朝雲山雲阿武隈(スリガオ海峡海戦)

2018年冬イベントモデル海域

2018年冬イベント海域
海域マップはボルネオ島~フィリピン

  • 主作戦・拡張作戦
    エリア海域名モデルと考えられる事柄備考戦没艦
    18冬-E1パラワン水道/作戦海域愛宕、摩耶(潜水艦による攻撃)
    18冬-E2シブヤン海シブヤン海海戦
    スリガオ海峡海戦
    秋イベE-4と同じモチーフ
    Yマスの戦艦6隻は第77任務部隊(オルデンドルフ艦隊)。
    武蔵(シブヤン海海戦)
    扶桑山城最上満潮朝雲山雲阿武隈(スリガオ海峡海戦)
    18冬-E3エンガノ岬沖エンガノ岬沖海戦瑞鶴瑞鳳千歳千代田多摩秋月初月
    18冬-E4サマール沖/レイテ湾サマール沖海戦Sの能動分岐は栗田ターンを再現したものか。提督自らの意志でレイテ湾に突入するかを選ぶことになる。
    敵の「飴玉」とはコードネームであるタフィ(キャンディの一種)からか。
    Rマスの戦艦6隻は第77任務部隊(オルデンドルフ艦隊)。
    鳥海鈴谷筑摩
    Gambier Bay
    18冬-E5オルモック沖多号作戦鬼怒浦波島風浜波長波
    18冬-E6サマール沖東方IFマップ
    18冬-E7エンガノ岬沖エンガノ岬沖海戦瑞鶴瑞鳳千歳千代田多摩秋月初月

イベント海域モデル(第2期)

2018年初秋イベントモデル海域

2018年初秋イベント海域
海域マップはインドネシア~インド洋(E1~E3)、地中海(E4)、北大西洋(E5)

  • 主作戦・拡張作戦
    エリア海域名モデルと考えられる事柄備考戦没艦
    18初秋-E1バリ島沖
    18初秋-E2マラッカ海峡北方
    18初秋-E3セイロン島南西沖Mマスはコロンボ基地。Qマスはアッドゥ環礁。
    18初秋-E4地中海マルタ島沖Kマスは枢軸軍の拠点があったトリポリ。O、S、Uマスはそれぞれナポリ、タラント、ジェノヴァ。
    イタリア休戦時にMaestraleはジェノヴァで自沈している。
    Maestrale
    18初秋-E5北海/北大西洋海域ライン演習作戦JマスはBismarckの沈没時点で、ボスの編成(重巡夏姫に戦艦夏姫)はBismarckとPrinz Eugenをイメージしたものか。
    Wマスはブレスト港
    Bismarck

2019年冬イベントモデル海域

2019年冬イベント海域
海域マップはソロモン諸島

  • 主作戦・拡張作戦
    エリア海域名モデルと考えられる事柄備考戦没艦
    19冬-E1ブラケット水道/クラ湾沖ビラ・スタンモーア夜戦村雨峯雲
    19冬-E2ラバウル/中部ソロモン海域六〇三作戦
    ルンガ沖航空戦
    43年6月に実施された、基地航空隊によるガダルカナル島方面への敵航空機・艦船に対する攻撃
    19冬-E3中部ソロモン海域 ブーゲンビル島沖ブーゲンビル島輸送作戦43年7月22日、日進は日本陸軍部隊(南海第四守備隊)をブインへ輸送中にショートランド北方で米軍機の集中攻撃を受け撃沈された。日進

2019年春イベントモデル海域

2019年春イベント海域
海域マップは北海道~千島列島(E1)、南西諸島(E2)、アリューシャン列島(E3)、ハワイ諸島(E4~E5)

  • 主作戦・拡張作戦
    エリア海域名モデルと考えられる事柄備考戦没艦
    19春-E1津軽海峡/北海道沖/南千島沖基地航空隊は千歳基地、Gマスは小樽港、Uマスは単冠湾。
    19春-E2九州南部/南西諸島沖坊ノ岬沖海戦航空基地は岩川基地大和矢矧磯風浜風朝霜
    19春-E3アリューシャン列島沖AL作戦航空基地はキスカ島
    19春-E4北太平洋ハワイ諸島戦域IFマップ航空基地はジョンストン島。MI作戦後予定されていたハワイ攻略作戦をイメージしたIFマップか。
    19春-E5北太平洋ハワイ諸島南東沖航空基地はオアフ島。アジア太平洋戦争時オアフ島内には、フォード、ヒッカム、ホイーラー、カネオヘ、ベローズ、エワ、バーバースポイント、ハレイワの計8つの飛行場が存在していた。

2019年夏イベントモデル海域

2019年夏イベント海域
海域マップはブレスト沖(E1)、ジブラルタル海峡~地中海西部(E2)、地中海西部(E3)

  • 主作戦・拡張作戦
    エリア海域名モデルと考えられる事柄備考戦没艦
    19夏-E1北大西洋ブレスト沖航空基地はロリアン
    19夏-E2ジブラルタル海峡沖/地中海航空基地はマドリード
    19夏-E3地中海/マルタ島沖/アンツィオ沖アンツィオの戦い
    (シングル作戦)
    航空基地はマヨルカ島Janus

2019年秋イベントモデル海域

2019年秋イベント海域
海域マップはジャワ海(E1~E4)、ミンダナオ島西方沖(E5)、ソロモン海(E6)

  • 主作戦・拡張作戦
    エリア海域名モデルと考えられる事柄備考戦没艦
    19秋-E1マカッサル沖/バリ島沖バリ島沖海戦
    19秋-E2ジャワ沖/ダーウィン沖ジャワ沖海戦
    ダーウィン空襲
    19秋-E3ジャワ海/スラバヤ沖スラバヤ沖海戦(第一次海戦)De Ruyter
    19秋-E4バタビア沖バタビア沖海戦HoustonPerth
    19秋-E5ダバオ沖/太平洋南西部
    19秋-E5ソロモン諸島沖第三次ソロモン海戦比叡霧島衣笠綾波夕立Atlanta

2020年ミニイベントモデル海域

2020ミニイベント海域
海域マップはフィリピン(E1)

  • 主作戦・拡張作戦
    エリア海域名モデルと考えられる事柄備考戦没艦
    20ミニ-E1マニラ沖マニラ湾空襲(マニラの戦い)
    礼号作戦
    揚陸地点はマニラ湾、Jマス(集積地棲姫II)はミンドロ島木曾初春沖波秋霜(マニラ湾空襲)
    清霜(礼号作戦)

2020年梅雨&夏イベントモデル海域

2020梅雨&夏イベント海域
海域マップは北海道~千島列島(E1)、南西諸島(E2~E3)、小笠原諸島(E4)、ソロモン諸島(E5~E7)

  • 主作戦・拡張作戦
    エリア海域名モデルと考えられる事柄備考戦没艦
    20梅雨&夏-E1オホーツク海千島列島沖キ504船団護衛薄雲
    20梅雨&夏-E2南西諸島沖十・十空襲迅鯨
    20梅雨&夏-E3四国沖/九州西方五島列島沖ローズエンド作戦伊47伊58、伊402他
    20梅雨&夏-E4小笠原諸島沖伊号輸送
    スカベンジャー作戦
    2017年冬イベE-2も参照。
    20梅雨&夏-E5ニューブリテン島沖/ソロモン諸島西部沖コロンバンガラ島沖海戦
    20梅雨&夏-E6ソロモン諸島沖ヘンダーソン基地艦砲射撃
    第三次ソロモン海戦
    20梅雨&夏-E7ソロモン諸島沖 サンタ・クルーズ諸島沖南太平洋海戦

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最新の20件を表示しています。 コメントページを参照

  • 雑学ページから分割・作成したページです。 -- 2018-11-02 (金) 08:47:35
    • ほおおっ。作成乙。 -- 2018-11-02 (金) 09:45:35
  • 欧州戦線にデュースブルク船団の戦いを追加。43年の戦いにクラ湾夜戦とブーゲンビル島沖海戦を追加しました。 -- 2018-11-29 (木) 17:39:54
    • 冬イベの予習か…作成乙です! -- 2018-12-02 (日) 20:10:11
    • こういうのを纏めてくれる方々には本当に感謝しかないです。ありがとうございます。 -- 2018-12-06 (木) 23:48:55
  • 蘭印作戦中に生じた主要な海戦と、参加艦艇を記載。 -- 2019-02-06 (水) 22:20:34
  • ヨーロッパ戦線に海戦をいくつか追加してみました(リシュリューのダカール沖海戦やコマンダンテストの自沈、地中海戦線の転回点となったペデスタル作戦など)。 -- 2019-02-19 (火) 08:20:21
    • (追記)さらにいくつか追加。主にリットリオが参加した海戦など。 -- 2019-02-19 (火) 19:34:14
  • AL作戦の概要内、「ウラナスカ島」を「ウナラスカ島」に修正しました -- 2019-02-22 (金) 14:46:01
  • ヨーロッパ戦線に戦艦ローマの沈没を追加。 -- 2019-02-27 (水) 07:56:05
    • (追記)ヨーロッパ戦線にナルヴィク海戦を追加。 -- 2019-03-03 (日) 18:18:47
  • フレッチャーが参加した海戦(第3次ソロモン海戦、ルンガ沖夜戦、渾作戦)について追記 -- 2019-06-04 (火) 15:42:15
  • 地中海が舞台のイベントが増えてきたので、実装艦に関連した出来事や主要な作戦などをまとめた地図を載せてみました。 -- 2019-09-09 (月) 09:49:04
    • 少し修正したのに差し替えました(トラーパニよりもパレルモにした方が良いなと感じたのと、ジャーヴィス・ジェーナスに関係する海戦としてタリゴ船団の戦いを追加)。 -- 木主? 2019-09-10 (火) 16:11:52
  • 地中海の戦いについて概略を書いたのと、ツェルベルス作戦の参加艦艇に駆逐艦を追記。 -- 2019-09-19 (木) 20:31:27
  • エクスポーター作戦(シリア・レバノン戦役)とタリゴ船団の戦いを追加。あとマタパン岬沖海戦のスチュアートとヴェンデッタはイギリスじゃなくてオーストラリア海軍所属なので修正。 -- 2019-09-26 (木) 20:30:52
  • 2019春イベが二つあったので修正 -- 2019-11-14 (木) 23:27:39
  • これ見て勉強します。 -- 2020-08-06 (木) 15:05:06
  • ハルバード作戦とハープーン作戦を追加(実装艦が現状無いハープーン作戦は追加するか迷いましたが、実質ヴィガラス作戦とセットみたいなものなので外せないかなと思い追加しました)。 -- 2020-11-26 (木) 06:09:28
お名前: URL B I U SIZE Black Maroon Green Olive Navy Purple Teal Gray Silver Red Lime Yellow Blue Fuchsia Aqua White

*1 なお、対英国に至っては宣戦布告すら行っておらず、対独戦の最中であった英国世論を激怒させたことが戦後の戦犯裁判に影響したという説もある。
*2 著名な研究家が取り上げたこともあって現在に至るまで広く知られているが、英国側の証言では「単に脱出が遅れただけだろう」としている。
*3 「サラトガ」は伊26の雷撃で大破して修理中、「レンジャー」は大西洋唯一の航空支援艦なので引き抜くのは困難
*4 赤城、加賀、飛龍、蒼龍、レキシントン、ヨークタウン、ワスプ、ホーネット
*5 第五艦隊の重巡2、軽巡2、駆逐4に対し、米艦隊は重巡1、軽巡1、駆逐4
*6 この通訳官が、後に日本文学・日本文化研究の第一人者となるドナルド・キーン氏。2012年に日本国籍を取得、2019年2月24日、心不全により亡くなられた。96歳。
*7 バーク大佐はこのとき転出で駆逐隊を離れており、実際の戦闘は後任のムースブルッガー中佐が指揮を執っていた。
*8 レイテ島の戦いに投入された兵員80000人の内、生きて帰れたのは5000人にも満たず、餓島と呼ばれたガダルカナルの戦いや「史上最悪の作戦」であるインパール作戦よりも悲惨な戦いであった。
*9 悪天候のため、索敵と攻撃に困難をきたしたのは米軍側も同じである。
*10 1945年7月22日に起こった、房総半島の野島崎沖における日本の護送船団とアメリカ海軍の駆逐艦部隊との間に起こった水上戦闘を最後とする解釈もある。
*11 コアに使用されたプルトニウムは、過去2度に及ぶ臨界事故を起こして研究員2名が死亡している為、「デーモンコア」と呼ばれた。
*12 信じられない話だが、この実験が行われた時点では広島と長崎での惨劇が正確には検証されていなかった。
*13 もっとも、この実験では「長門」や「オイゲン」以外の大型艦も相当数残っており、大型艦への攻撃に核兵器はあまり有効ではないと判断されている。
*14 一説によると、レーダーはこの状況に「名誉ある戦死を遂げる以外に出来る事が無い」と嘆いたという
*15 イタリア~リビア間への輸送ルート上に位置し、水上艦艇や潜水艦、航空攻撃によって枢軸軍の補給船団に大打撃を与えていた。
*16 最新鋭艦だった「ダンケルク」と「ストラスブール」はイギリスのネルソン級同様、艦首部分に主砲を集中配備していた
*17 エメラルド級軽巡2番艦。米のエンタープライズ(CV-6)とは別の艦
*18 J級駆逐艦
*19 所属はポーランド海軍だが、当時はイギリス本国艦隊に配備。
*20 1941年末の地中海艦隊には軽巡洋艦4隻と駆逐艦数隻しかいなかった。
*21 マルタ島に到着後空襲を受け沈んだものも含む
*22 1月1日から7月20日までに空襲がない日はたった1日しかなかった。
*23 マルタ島付近は基地航空隊や潜水艦、魚雷艇による猛攻が予想されたため、空母の投入は避けられ途中で引き返した。
*24 自由ポーランド軍所属
*25 元ユーゴスラビア海軍の嚮導駆逐艦「ドゥブロヴニク」をイタリアが接収したもの
*26 I級駆逐艦。Intrepid(CV-11)とは無関係。
*27 ムッソリーニ失脚に伴い改名された「カミチア・ネーラ」
*28 U級嚮導艦
*29 W級嚮導艦
*30 タイタニックの犠牲者が約1500人、対馬丸が約1480人、戦後の洞爺丸が約1430人である。
*31 元「ドイッチュラント」。
*32 元ノルウェー海軍駆逐艦「ギーレル」をドイツが鹵獲したもの。レーベレヒト・マースとの関連は当然ない。
*33 その右上の小島のひとつがアクタン・ゼロを落としたアクタン島の筈だが、デフォルメされているので判然としない。
*34 戦艦5隻、正規空母2隻を擁する有力な艦隊だったが指揮官サマヴィル中将の方針で極力戦闘を避けていた
*35 第一次ソロモン沖海戦、海戦後
*36 第一次挺身隊/サボ島沖海戦
*37 モデルが多いのでマップ名の由来である鼠輸送作戦での戦没艦のみ抜粋
*38 丙作戦第三法、伊19の項を参照
*39 日本側はギルバート諸島の戦いが始まる直前に迎撃艦隊を二度出撃させたがいずれも空振りに終わり、直近拠点であるトラック泊地の重油不足が深刻化していた。また、空母航空隊はろ号作戦で損耗し出撃不可能な状態にあった。中部海域で支援艦隊が使えないのはそのせいか?
*40 日本海軍「艦これ」公式作戦記録(宝島社)より
*41 第六駆逐隊・第四水雷戦隊による陽動作戦
*42 ミッドウェー海戦で飛龍に自爆攻撃を敢行して戦死したアメリカ海兵隊VMSB-241指揮官のロフトン・R・ヘンダーソン少佐に由来する。
*43 日本名ルンガ飛行場、現ホニアラ国際空港
*44 第一夜戦
*45 第二夜戦
*46 進化論で有名なダーウィンに因んで命名されたが、ダーウィンはこの地を訪れたことはない
*47 指揮官フレッチャー少将、旗艦空母「サラトガ」以下、飛行艇母艦「タンジール」、重巡「アストリア」、「ミネアポリス」、「サンフランシスコ」、駆逐艦9隻
*48 AL=アリューシャン
*49 グロウラーが第十八駆逐隊を壊滅させたのはAL作戦の1ヶ月後。
*50 龍驤戦闘機分隊第2小隊2番機・古賀忠義一飛曹機。D1-108
*51 MI=ミッドウェー
*52 当時主力の一航戦は本土で再建中で、トラックにいたニ航戦も艦載機を全てラバウルに出してしまっており、多数の空母・戦艦を有する米機動部隊相手にとても戦える状態ではなかった。
*53 史実では実際に主力が居たのはトリンコマリー軍港とチャイナ・ベイ空軍基地
*54 新型のエセックス級、インディペンデンス級からなる高速空母機動部隊。トラック島空襲、マリアナ沖海戦、レイテ沖海戦といった米の反攻作戦における主力部隊。
*55 航行不能となった「妙高」をシンガポールに曳航するため第五艦隊の「羽黒」が現場に向かい、このため「羽黒」は礼号作戦に参加できなかった
*56 重巡ルイスビル、ミネアポリス、軽巡フェニックス、ボイス、駆逐艦バートン、オブライエン、ラドフォード、フレッチャー、オバノン、ホープウェル、アレン・M・サムナー、ローリー、ラフィー
*57 日本側記録ではB-25による爆撃、米側記録ではPT-223による雷撃で沈没
*58 鹿屋、第762海軍航空隊
*59 第一国分、第701海軍航空隊
*60 戦艦扶桑または山城と重巡那智、足柄等の艦隊に陸戦隊を満載して敵制空権を突破してサイパン島に乗り上げ上陸を敢行するという無謀極まりない作戦。当たり前のように却下された