山城

Cached: 2026-02-03 22:35:11 Last-modified: 2026-02-02 (月) 19:46:48
No.027
扶桑型戦艦姉妹、妹のほう、山城です。あの、扶桑姉さま、見ませんでした?山城(やましろ)扶桑型 2番艦 戦艦
艦船ステータス(初期値/最大値)
耐久67火力74 / 94
装甲59 / 79雷装0
回避19 / 39対空23 / 79
搭載12対潜0
速力低速索敵9 / 33
射程5 / 39
最大消費量
燃料85弾薬120
搭載装備
335.6cm連装砲
315.2cm単装砲
3零式水上偵察機
3未装備
改造チャート
山城山城改(Lv20) → 山城改二(LV80+改装設計図)
図鑑説明
扶桑型戦艦2番艦、山城です。
「欠陥戦艦」とか「艦隊にいる方が珍しい」とか、いいたい放題ね…。
でも、いいの。最後の時も、扶桑姉さまと一緒に戦えれば……

※初期値はLvや近代化改修の補正を除いた時の数値であり、最大値はLv99の時の最大値を指します。

CV:藤田咲、イラストレーター:六花 (クリックするとセリフ一覧が開きます)

CV:藤田咲、イラストレーター:六花

定型ボイス一覧

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扶桑型戦艦姉妹、妹のほう、山城です。
あの、扶桑姉さま、見ませんでした?
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母港*1編集
母港1詳細姉さま!?……なんだ、提督か。編集
母港2扶桑姉さま?×編集
提督も…少しは、休んでくださいね…××編集
母港3不幸? 私が?ち、違いますから。×編集
改装したから、多分、いけるはず…××編集
ケッコン
カッコカリ
あ、ありがとう。でも、私の心は常に扶桑姉様と共にあるの…ごめんなさい。編集
ケッコン後
母港
提督も…少しは、休んでくださいね…×編集
……提督。 姉さまと、同じくらい……提督も、いい人だと思います。 いつも、感謝しています。……本当ですよ?×編集
放置時何…?姉様と山城が出る海域は、もう無いと言うの…?どういうことなの?不幸だわ…そもそも……×編集
編成出撃編集
編成扶桑型戦艦山城。出撃します!出撃と共用編集
出撃扶桑型戦艦山城。出撃します!編集
姉さま…山城、必ず帰ってきます…。編集
姉様、了解です。第二戦隊、旗艦山城!第一遊撃部隊、第三部隊!…ふ、ふふふふ…。抜錨です!2017決戦突入
編成と共用
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時雨、行ける?頼りにしてるから。私達第三部隊西村艦隊の出撃よ!編集
開戦・攻撃*2編集
戦闘1昼戦
開始
敵艦隊発見!砲戦、用意して!昼戦攻撃と共用編集
戦闘2昼戦
攻撃
主砲、よく狙って、てぇーっ!編集
バレンタイン編集
邪魔だ…どけえぇぇぇぇぇぇっ!?2017決戦編集
戦闘3夜戦
開始
いよいよ夜戦ね…嫌な予感がするわ…編集
戦闘4夜戦
攻撃
姉さまも戦っているのかしら…?航空戦・連撃・
カットイン共用
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戦闘時ステータス*3編集
小破被弾!?弾薬庫に火は回ってない?編集
痛い!…やっぱり不幸だわ…編集
姉さま!ちっ、進む・・・進むんだからぁぁ!!?2017決戦突入編集
中破/大破やだ魚雷?……各艦は私を顧みず前進して!
敵を撃滅してくださぁーい!
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轟沈扶桑姉さま……あちらの世界でも、ご一緒に……編集
戦闘終了*4編集
勝利MVPへ?私が活躍したの?ウソ、そんな……ホント?姉さま、見ててくれた!?編集
旗艦大破被弾!?弾薬庫に火は回ってない?編集
装備・改修*5編集
装備1改修/改造姉さまより先でいいのでしょうか……?補給と共用
(山城の場合)
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装備2近代化改装…。これで…欠陥戦艦とは言わせないし…編集
装備3改修/改造/開発/バケツ/
遠征/
発見
不幸だわ……。編集
その他編集
帰投艦隊が帰ってきました。編集
補給姉さまより先でいいのでしょうか……?××編集
姉さまもちゃんと補給できているかしら……?×編集
入渠
(小破以下)
私、だいたいドックにいますよね…編集
入渠
(中破以上)
艦隊にいるほうが珍しい戦艦って……ひどい言い方するのね。編集
建造完了姉さま、新しい艦ができたみたい。編集
戦績表示手紙。……不幸の手紙かしら。編集


時報ボイス一覧

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00セリフ×××編集
01セリフ×××編集
02セリフ×××編集
03セリフ×××編集
04セリフ×××編集
05セリフ×××編集
06セリフ×××編集
07セリフ×××編集
08セリフ×××編集
09セリフ×××編集
10セリフ×××編集
11セリフ×××編集
12セリフ×××編集
13セリフ×××編集
14セリフ×××編集
15セリフ×××編集
16セリフ×××編集
17セリフ×××編集
18セリフ×××編集
19セリフ×××編集
20セリフ×××編集
21セリフ×××編集
22セリフ×××編集
23セリフ×××編集


山城ボイス一覧


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桃の節句編集
春の訪れ編集
ホワイトデー姉さま、山城、姉さまにこぉんなにクッキー焼いたんです! …え、何です、それ? …うわ編集
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春本番姉さま、西村艦隊、お花見です。山城は、時雨と、満潮に、声を掛けますね。
……あ、時雨。これ。満潮に伝えておいて。
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梅雨姉さま。梅雨の季節は、艤装が傷みがちで困りますね。本当、もう……不幸だわ……。編集
初夏扶桑姉さま……確かに、少し暑いですね。私、氷小豆もらってきます。間宮さんから……。編集
姉さま、旅行の計画ですか? いいと思います。山城、姉さまと一緒ならどこへでも……!編集
盛夏セリフ編集
夏祭り編集
秋01姉さま、秋ですね…。大丈夫です。山城、ずっとおそばにいます。離れませんから。編集
秋02姉さま。カレー……ですか。いいですね山城も好きです。2020/08/23追加編集
秋刀魚姉さま、流石です!編集
晩秋編集
ハロウィン編集
秋のワイン編集
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師走編集
クリスマス姉さま。このターキー、おいしいですね。…む? 空母が一隻、なんか……関係ないですね…。編集
年末姉さま、わかりました! 大掃除ですね……。もう、砲塔にこんなに埃が……不幸だわ編集
新年姉さま、今年もどうぞ、よろしくお願い致します! …え、提督? …はい、よろしくです。編集
節分姉さま。豆を食べて、投げるのですね? えぇっと、鬼役は……あ、あの子ね。ふっふっふっふっふっふ……。編集
バレンタイン姉さま。この山城、チョコレートを差し上げます! 提督? 仕方ないですね。はい、これ。2016編集

二周年記念姉さま、私達、2周年みたいです!扶桑型姉妹も2周年です……ふふふ、うふふ、ふふふふふ……。編集
三周年記念姉さま、姉さま。今日は特別な、大切な日です! あれ、姉さま? ……提督、姉さまはどこ……?編集
四周年記念姉さま…姉さま?今日は、特別な!大切な日です!あれ?姉さま?提督…姉さまはどこ……?編集
五周年記念姉さま! 私達……遂に5周年みたいです! 扶桑型姉妹……5周年を達成です。……ふふふ……うふふっふうふふふふ……。編集
六周年記念姉さま。私達、6周年を迎えたみたいです。不幸……いえ、もう不幸ではないわ! ふふ、うふふふ……あはっ!編集
七周年記念姉さま…姉さま?今日は、特別な!大切な日です!あれ?姉さま?提督…姉さまはどこ……?編集
八周年記念姉さま。私達、八周年みたいです。扶桑型姉妹、遂に八周年を達成です。
……ふふふ……ふふ、ふふふふ……勝ったわ。
編集
九周年記念姉さま。私達、九周年を迎えたみたいです。不幸……いえ。もう、不幸では無いわ。……フ、フフフフフ、フハ!
何でこんなところにドラム缶が。はい、時雨。
編集
十周年記念姉さま。私達、遂に十周年みたいです。扶桑型姉妹と艦隊が、十、周、年。
……フ、フフフフフ、勝った。姉さま、私達勝ったわ!
編集



2017決戦前夜扶桑型の活躍する時がとうとう来たのね!姉さま、山城、頑張ります!…ふふふふふ…。編集
2017決戦前夜追加姉さま…、満潮? あぁそうね、小さいのは任せたわ。え? ふふ、生意気ね…姉さまを護ってね…。編集
2017決戦姉さま、了解しました。二戦隊、第一遊撃部隊、第三部隊としてスリガオを超え、レイテに突入します。行きます……!?編集
2017帰投セリフ??編集


お買物modeセリフ編集

ゲームにおいて

キャラクター設定について

  • 姉も大概だが大破絵が非常にアレである。山城はポーズの関係で特に尻を強調する結果になってしまっている。興味があるならぜひ確認してみよう。
  • 「不幸」が口癖。他艦娘の項目で「不幸」という言葉が出たら、ほぼ山城と思って差し支えないレベル。
    山城「砲塔爆発事故なんて起こしてませんし!」
    • そして姉や一部の艦娘に劣らず重度のシスコン。「不幸」と同じくらい、各種ボイスでたびたび扶桑のことを気にしている。
  • 秘書艦と時間帯によって置かれる飲み物が変わる鎮守府カウンターバーにおいて、朝5時まで日本酒が置かれている。いわゆる「朝まで呑み勢」の一人である。
    • 2015年1月23日アップデートにて同家具が実装された段階では、深夜1時まで日本酒という設定であった。その後、2015年2月23日アップデートでの修正より、不幸にも「朝まで呑み勢」の仲間入りとなった。
    • ゲーム中の台詞に酒が絡むものは見当たらない。彼女がどのような飲み方・酔い方をするのかは、提督諸氏の想像に依るところであろう。しかし普段の言動からして、山城さんってやっぱり絡み酒か泣き上戸か、或いは…Heywood L.E.の時報において、夜半に時雨を引き連れて一升瓶を持参し執務室に現れる山城が語られている。これにより絡み酒であることが判明した。出来上がると提督に後から後から注いで前後不覚になるまで飲ませてくる。
    • なお、他に朝まで日本酒が置かれる艦娘は、霧島千歳木曾*6、そして翔鶴(改二改二甲*7である。不幸だわ…。
    • Marylandの時報によると結構食べるらしく、ステーキをもう一枚焼くか聞かれている。
      • 全くの余談だが付け加えておくと、陸奥も朝までウィスキーを嗜んでおり、別の家具ではボトルキープも確認出来る。やっぱり不幸だわ…。

期間限定グラフィック

  • 2016年年始限定で、期間限定グラフィック「新年の晴れ着mode」が公開された。
    • 晴れ着バージョンのグラフィックは立ち絵限定で、カードイラストはそのまま。
      他の限定グラフィック同様、限定期間終了後に図鑑に格納された。
    • 扶桑型姉妹は初のゲーム中へのグラ実装で、山城提督は歓喜した。
      砲塔に並んだマークは国際信号旗で「NEW YEAR」の意味。
      晴れ着に襷掛け、羽子板を手にした羽根つきスタイル…なのだが、無傷状態ですでに被弾(墨入れ)している(入れられたマークから下手人がある程度推定できる)。
      更に中破すると…  と、何とも彼女らしいというか、声をかけにくい艶姿に。
    限定イラスト:新年の晴れ着mode

    限定イラスト:新年の晴れ着mode
    姉さま、今年もどうぞ、よろしくお願い致します微差栗…え、提督?…はい、よろしくです。

  • 2016/07/15のアップデートで夏の季節限定グラフィックの水着modeが実装された。
    限定イラスト:夏季限定(2016)Ver.

    限定イラスト:夏季限定(2016)Ver.
    扶桑姉様、確かに、少し暑いですね…。私、氷あずき貰ってきます!間宮さんから。

  • 2016年10月05日のアップデートでなか卯コラボ限定グラフィックとして【買い出しmode】が実装された。
    • 大破絵では2つ持っていたレジ袋うちの1つ(恐らく姉の物)を庇うように抱き抱えており、彼女の姉に対する愛情が窺える。
    限定イラスト:買い出しmode

    限定イラスト:買い出しmode
    027_Nakau.jpg

  • 2017年7月31日のアップデートにて、富士急ハイランドでのリアルイベント「鎮守府瑞雲祭り」開催に合わせて【瑞雲mode】が実装された。
    • 姉と一緒にお祭りならこの笑顔も当然であろう。
    • 2018年4月にはよみうりランドで第二次瑞雲祭りが開催され、こちらの瑞雲祭りmodeも期間限定で復活した。
    限定イラスト:瑞雲mode

    限定イラスト:瑞雲mode
    027_Fujiq.jpg

  • 2017年秋の期間限定海域「捷号決戦!邀撃、レイテ沖海戦(前篇)」終了後に図鑑に同イベント限定任務関連の特殊ボイス再生項目が追加された。

小ネタ

  • 艦名の由来は旧国名「山城国」で、現在の京都府南部一帯を指す。
    • かつての日本の首都のある国名をつけたあたりに、帝国海軍のかけた期待がうかがえる。
    • 京都府南部にある唯一の村、南山城村に「山城」の名が残る。
  • 山城の艦内神社は京都府の「石清水八幡宮」からの分祀。「'日本三大厄神に数えられる国内有数の厄除け神社」であると同時に「伊勢神宮」と共に「ニ所宗廟*8」と称される官幣大社である。
    • 因みに姉の扶桑の艦内神社も岩清水八幡宮からの分祀である。姉妹仲良く一緒💛。扶桑の方は後年更に伊勢神宮からの分祀も受けて合祀する形になっている。
効果覿面「山城神社」
  • ところで『文集 戦艦山城』には、艦内神社についてのこんなエピソードが残されている。
    昭和16年当時の主計科には理由もなく部下を殴りつけるSという二等水兵がいて、主計科の兵隊たちは迷惑していた。
    ある兵は思い余って

「Sが反省して部下をいじめないように、しかしいくら憎い奴でも神罰が当たりすぎて死んだり片輪になったり、長い病気になったりしては可哀想なので、後遺症の残らない程度に」

と艦内神社へ祈願してみた。

  • するとその日のうちから霊験がたちまち表れた。祈願した兵隊の顔や頭をSが殴ると、Sは途端に胃痙攣の症状を起こし、脂汗を流しつつ15分ほども苦しむ。
    その後、殴るたびにそうなるのでSも薄気味悪がり、「あいつには神様がついている」「あいつを殴ると神罰を当てられる」と言い出し、ついに暴力を振るうのを止めた。
    私的制裁が蔓延していた山城だけに、神様の対応も素早いのだろうか。まことに厄除けの霊験あらたかな、不思議な艦内神社だったらしい。

竣工~戦前まで

  • 明治44年の「明治44年度軍備補充費」によって扶桑型戦艦および金剛型装甲巡洋艦4隻の建造が決まったが、元々予算計上済みだった金剛型の建造計画の予算案が裁可されたのに対し、扶桑型2番艦以降の予算案は議会の解散などもあって裁可が遅れ、姉の起工から1年半以上遅れての起工となった。
    ⇒詳細についてはこちらの「日本海軍の主力艦建造史~4.ドレットノート・ショック」を参照されたし。
  • 元々扶桑型姉妹は、火力重視が過ぎて極端にバランスの悪い艦になってしまったと厳しい評価がされている。
    • 起工が遅れていた山城は扶桑で指摘された問題点を改善する設計変更を若干行ってはいたが、それでも用兵側の評価は芳しくなかったようである*9姉に比べてやさぐれているのはそれが原因かもしれない。
    • これには扶桑の竣工と同時期に、より強力な15インチ砲搭載のクイーンエリザベス級が登場したことや、第一次大戦の戦訓などで当時の日本が保有するすべての戦艦や巡洋戦艦の水平防御などが不足していると判断されたことなどが関係しているとされる。
      但し、防御力の弱さについては扶桑型固有の問題ではなく起工直前の長門型戦艦含めた日本の戦艦、巡洋戦艦全てにいえる問題であり、扶桑型の性能を疑問視する際の事例とするのは些か的外れである。
      • 実際のところ、扶桑型は爆風問題などの指摘はあるにしても超弩級戦艦として実用するのに問題あるというほどのものではなく、山城は竣役後の1918年(大正7年)8月6日の戦闘射撃訓練で優秀な成績を残してる一方爆風の影響に関する指摘はなく、実用上の問題はなかった。
        後年の近代化改装の影響もあるだろうが、扶桑型2隻の戦闘射撃訓練の成績は戦時中の1943年(昭和18年)に至るまで長門らと遜色ない成績を残している事からも、扶桑型は実用に耐ええる戦艦であり「欠陥戦艦」というような評価は初期の爆風問題などの不具合を大袈裟に(もしくは面白おかしく)捉えて評価しているものとも考えられる。
  • 姉妹艦である扶桑との見極め方法として、第一次近代化改装時に扶桑は3番砲塔の向きが前方向に変更された結果、扶桑と山城とで3番砲塔の向きが逆になっている。というのがあるが、実は他にもう一つある。
    • それは「第二砲塔と司令塔及び艦橋の基部が、扶桑は繋がっていないが山城は繋がっている」というものである。こちらは第三砲塔の向きが一緒だった竣工時からの違いなので分かりやすい。これは起工が遅れた事で実施された「扶桑で確認された爆風問題に対する対策」の一環で、実はこれ以外にも「扶桑と異なる」構造に新造時時点で修正されている箇所は多い*10
      1928年ごろ(砲戦距離延長に伴う前部マストへの主砲指揮所等の増設後)の扶桑
      同様の改装を受けた1930年ごろの山城
      両者を見比べると山城は第二砲塔と艦橋設備基部が繋がっているのが分かる。
      • 第一次近代化改装後はご存じのように第三砲塔の向きの違いから見分けるのは簡単である。何故扶桑が第三砲塔の向きを変えることになったのか(そしてあんな違法建築な艦橋になったのか)は扶桑自身のページをご覧いただきたいが、山城については水上機運用設備を艦尾にする予定だったので砲塔の向きを変える必要がなく、結果艦橋設備も十分な基部の面積を得る事が出来たので、扶桑よりもまだ「安定している」ようなものとなっている(実は高さ自体はあまり変わらない)
  • 艦これでは不幸キャラとなっているが、基礎設計の無茶振りのせいとはいえ、不幸と呼ばれるようなエピソードは見当たらない。
    • なにせポンコツ過ぎてドックの常連だったため艦隊にいる方が珍しかった(度々出撃しているが会敵できず、戦闘参加経験がほぼない)
      • 実際はこの時期はどの戦艦も近代化改修工事を頻繁に受けている時期なので、扶桑や山城だけが特に工事が長かったわけでもない。長さで言ったら金剛型も似たようなものである。これも最初のイメージから勝手に膨れ上がった「風評被害」である。
  • むしろ山城に関して言えば戦前は結構「栄誉ある役」を仰せつかっている。
    • 1926年(昭和元年)12月25日に大正天皇が崩御された際は、山城が代表して「弔砲」を撃つ役を仰せつかり、崩御された葉山御用邸近くの沖合に移動、27日にお亡骸が東京に戻る際に48発の弔砲を撃っている。
    • 1927年(昭和2年)7月には、即位された昭和天皇が連合艦隊の戦闘射撃及び爆撃訓練をご覧になる事になり、山城がお召艦になっている*11。ちなみに供奉艦は姉の扶桑。
      山城は昭和天皇を乗せ佐伯湾、奄美大島、小笠原諸島を回り、豊後水道では空母赤城鳳翔の艦載機訓練や長門陸奥の夜間射撃訓練を天覧している。
    • 1928年(昭和3年)12月には連合艦隊旗艦となり、1年ほどその役を務めている。

太平洋戦争開戦

  • 太平洋戦争開戦時、山城は姉の扶桑や準同型艦である伊勢型戦艦の伊勢日向と共に第二戦隊を編成、主力部隊である「第一艦隊」の基幹戦力であったのだが、緒戦の真珠湾攻撃やマレー沖海戦で相対する筈だった米太平洋艦隊の戦艦部隊や英東洋艦隊が壊滅したのと、南方侵攻作戦に戦艦の出番はなかった事から、他の戦艦と共に桂島泊地に停泊する日々が続いた。
    • 1942年(昭和17年)6月のミッドウェー海戦では主力部隊の1隻として出動するが、ご存じのようにこの海戦は空母機動部隊同士の戦いに終始したうえに空母4隻を失い大敗北に終わり、山城らは出動しただけで後方で追従するだけに終わってしまった。
      • その後も再び桂島泊地で待機する状態が続いたが、僚艦の伊勢、日向は空母4隻を失った事で空母戦力の増強が叫ばれた事と、偶々日向がミッドウェー海戦前に訓練中の事故で5番砲塔を外した状態であり、空母化への手間が省けると思われたので、2隻は第二戦隊を離れ航空戦艦への改装を行う事になる*12
  • 一方の山城は本土に停泊し続け、その間砲術学校の練習艦として運用されていた。
    かつて(太平洋戦争開戦前)連合艦隊旗艦をつとめた栄光の山城が、なぜこのような任務に甘んじなければならないのか。なぜ悪化する戦況を練習艦として傍観しなければならないのか。
    乗員たちは嘆息し、学生たちを相手に鬱鬱とした日々を送っていたという*13
    • それでも乗員たちは腐ることなく、士気も衰えていなかった。
      見学に来た学生は、他の古い練習艦とは明らかに違う威容と、隅々まで入念に整備されピカピカに磨き上げられた山城に感嘆したという。*14。山城乗員の主力艦としての誇りは陰ってはいなかったのである。
      鬼の山城
      • なおこの時期の山城に候補生として乗り込んだ方の手記を見る限り、その訓練内容については過酷の一言につきる。
        • 「昼間は甲板勤務、夜は坐学、深夜に天観の訓練で叩き起こされ、さらに居住区は14糎副砲の砲廓の中」というもので、候補生達からは「鬼の山城」と恐れられていたそうな*15
        • またこれについては「日本海軍の悪習」ともいえるものだが、訓練後の下士官兵による下級兵士への「制裁」の苛烈さは金剛と共に東西の双璧*16とさえ言われていたそうな。
          下士官や古参兵のお説教ののちに海軍精神注入棒が唸りを上げて尻に食い込むまでは普通の艦と同じだが、それだけでは「鬼の山城」の伝統と名誉が許さないとばかりに、解散後あらためて「二等兵以下は下甲板用器庫に整列」の号令がかかる。
          そして普通はどれか一つのバッター*17、グランジパイプ*18、ストッパー*19の海軍制裁用具オールスターズがフル出動。ほとんど八つ当たりのように、各兵最低3回は制裁を喰らわされるのが常だった。
          • なお次点で長門も苛烈で知られたようで3隻合わせて「鬼の山城、地獄の金剛、音に聞こえた蛇の長門」で始まる戯れ歌が、いろんな形で流行したとかどうとか…*20
        • 今で見たら「拷問」「虐待」と言われても弁明のしようもない「当時の山城の新兵教育」だが、戦前と現在の教育に対する接し方、捉え方も大きく異なるし、彼らはそののち兵士として苛烈極まる戦場に向かわなければならない以上、こういった「非合理的な教育」は「兵士を育てる」には必要なのかもしれない
          *21

      山城の戦友・遺族会である軍艦山城会の会長高野明氏は、会の結成時の挨拶で次のように述べている。
      「十二隻ある戦艦の中でこの山城ほど多くの海軍将兵に親しまれ、懐かしがられてきた艦もめずらしいのです」
      「その偉容を世界に知らしめた本艦も、永い歳月の中でいつしか旧型化し、その後に行われた近代化への改装も充分なされないがまま、殆どが海兵団の艦務実習・砲術学校の射撃練習艦として、各鎮守府所轄の多くの砲術関係練習生を乗艦させ、「閻魔」とか「蛇」とか陰口をたたかれながら、教務艦という地道な使命をまっとうしてきました。」
      「軍紀・風紀の一段と厳しい中にも、尊敬に値する親父のように、ゆったりとした、鷹揚さと、ほのぼのと伝わる温みが肌に感じられる、そのような艦だったのです」

      地味で面白くもない、しかし重要な教務艦としての仕事を、恐れられ忌み嫌われつつも務め上げ、
      多くの海軍軍人を育ててきた彼女の存在とその「武勲」を端的にあらわしている言葉といえよう。

  • 但し訓練ばかりに終始してたわけでもなく、1943年(昭和18年)10月には、航空戦艦に改装されたばかりの伊勢と共に「甲支隊T3号輸送部隊」を編成してトラック諸島までの輸送任務に参加している*22。帰路は空母隼鷹と共に帰還している。
    • だが出動もこれ1回きりで、その後は再び練習艦としての任務に従事し続ける。姉の扶桑は長門と組んでトラック泊地に進出、渾作戦に従事したりと前線で行動する機会もあったが山城にはそのような事はなく、1944年(昭和19年)2月25日には所属していた第二戦隊が第一艦隊共々解隊となってしまっている。
      • この頃には既に戦艦が主役となる状況ではなく、第一艦隊も山城同様練習部隊のような存在となっていた。所属の戦艦は長門、扶桑は連合艦隊直轄の第一戦隊と共に行動、航空戦艦となった伊勢と日向は第三艦隊所属の第四航空戦隊を再編したので艦隊を離れ、戦艦として手元にあるのは練習任務をしている山城だけという状態だったのだ*23
  • 1944年(昭和19年)6月になると米軍はマリアナ諸島に侵攻。海軍は「あ号作戦」を発動し米機動部隊との決戦「マリアナ沖海戦」に挑むが大敗し、大鳳翔鶴飛鷹といった空母と練成した航空隊の殆どを失ってしまう。
    こうした中で地上戦が展開されているサイパン島への救援として、内地にいて海戦には参加していなかった山城と第五艦隊*24を使った海軍陸戦隊の強行輸送を行い、輸送後は浮き砲台として敵上陸部隊を叩くという作戦が立案されている。
    • この作戦は連合艦隊参謀に着任したばかりの神重徳大佐*25の発案で、大佐自身は山城艦長として自ら陣頭に立つことを希望していた。
      この作戦は第五艦隊を北方から内地に戻すなど、ある程度具現化していたが結局は中止となっている。

捷一号作戦

  • マリアナ諸島の失陥により、国防の見直しを迫られた陸海軍は、あらたな作戦として「捷号作戦」を立案する。
    空母機動部隊が壊滅し、まとまった戦力が水上部隊と基地航空部隊となった海軍では、これらを使った作戦とならざるを得ず、練習艦として横須賀で不遇を囲っていた山城にも、作戦に参加するチャンスが訪れる。この時乗員たちはやっとお役に立てると涙を流して喜んだという。
  • 7月20日に横須賀方面海軍諸学校の練習艦の任を解かれた山城は、8月1日付けて第二遊撃部隊*26、通称「志摩艦隊」の中核戦力として配備される。
    • その戦力は部隊新設時の8月1日時点で戦艦は山城、扶桑の2隻に第五艦隊の重巡2隻*27、軽巡3隻*28、駆逐艦4隻*29に連合艦隊直轄の第十一水雷戦隊から軽巡1隻*30、駆逐艦6隻*31、更に第61駆逐隊の駆逐艦3隻*32、第21駆逐隊*33、第四航空戦隊*34の編入も検討されていたという事で、後に「栗田艦隊」と呼ばれる第一遊撃部隊と染色ない規模の部隊となる筈だった。そしてその中核となるのが山城と扶桑だったのである。
      • だが現実にはこうはならなかった。
        まず捷号作戦の説明を受けた機動部隊指揮官の小沢治三郎中将より意見具申があり、その中で「第一遊撃部隊の戦力をもっと充実すべし」というものがあり、結局山城と扶桑は第一遊撃部隊への転属となってしまう。
        更にその他の編入艦艇も機動部隊本隊の方に転属されたりした結果、第二遊撃部隊は基幹の第五艦隊の手持ち戦力だけの部隊に大きく減少してしまう*35
        この決定に第二遊撃部隊側は猛反発したそうだが、決定を覆すことはできなかったという。
  • すったもんだのうえ、山城は一転して第一遊撃部隊への編入となる。更にこの際一度解隊していた「第二戦隊」を再編することになり、山城を旗艦に姉の扶桑と共に2隻で編成する事になる。
    9月10日、正式に第二戦隊編成が発令され、司令官には西村祥治中将が任命される。戦隊は9月23日に第十七駆逐隊*36の護衛を受けて桂島を出撃、山城はミッドウェー海戦以来の実戦部隊としての前線参加となった。
    • 因みに第二戦隊を再編する際、第一戦隊に所属していた長門を第二戦隊へ転属させる案も出ていたが、既に捷号作戦に向けての訓練を始めている第一戦隊などから「そんなことされたら一から作戦を練り直さなければならなくなる」と猛反発を受けて中止する事態となっている。
  • 10月4日に第一遊撃部隊の停泊するリンガ泊地に到着した山城と扶桑だったが、彼女らに次期作戦に向けて訓練に励む時間はなかった。
    10月10日、米機動部隊から飛び立った大編隊が沖縄を空襲。これをきっかけに「台湾沖航空戦」が発生したのである。
    • 遠くリンガ泊地にいた第一遊撃部隊でも臨戦態勢がとられることになり、結果合流したばかりの山城と扶桑はまともな部隊同士の連携訓練は出来ないままでの臨戦態勢となってしまった。結局10月17日に米攻略部隊がレイテ湾に侵入してきた事で捷一号作戦が発動。山城最後の実戦「レイテ沖海戦」が始まった。

レイテ沖海戦~山城の最期

  • こうして迎えたレイテ沖海戦だが、初手から日本海軍は問題が起こる。作戦発動を受けて最終補給地点であるブルネイに10月20日に第一遊撃部隊 通称「栗田艦隊」が来てみると、補給を受ける補給船が1隻もいない。唯一栗田提督がもしものことを考えて手配した2隻が翌日に到着する見込みで連合艦隊の用意した船は間に合いそうになかった。
    このため突入日時が24日から25日に変更されたが、それでも劣速で航続力の少ない山城・扶桑と行動を共にしていては、距離的に一番短いスリガオ海峡を通過するルートしかなく、それだと敵のモロタイ島の哨戒網にすぐさま発見される可能性が高く、狭いスリガオ海峡で待ち伏せされたら大艦隊では不利だった。
    そこで栗田艦隊は、新たに別働部隊を編成し、劣速の第二戦隊を基幹に航続能力で夕雲型、陽炎型に劣る朝潮型、白露型の駆逐艦4隻、第五戦隊の指揮下に一時的に入っていた唯一の航空巡洋艦の最上を編入、これを分離行動させスリガオ海峡ルートから進撃、残りの主力はパラワン水道を通過するコースを選び2隊がレイテ湾で挟撃する事に作戦を一部修正(連合艦隊も突入は挟撃の方が望ましいとしていた事も考慮されている)、ここに後々『西村艦隊』と呼称される第一遊撃部隊第三部隊が誕生、山城が引き続き旗艦を務めることになる。
    • 第二戦隊が別動隊となったのには低速であったという事もあるが、合流が直前となった事が大きな理由だったらしい。本土を出撃して栗田艦隊のいるリンガ泊地に到着したのは10月4日、だが10日にはハルゼー機動部隊の沖縄空襲、12日には台湾沖航空戦と米機動部隊の攻勢が始まり臨戦態勢となったため艦隊行動の訓練を行うことが出来ず、連携を必要とする艦隊戦で第二戦隊が足手まといになる可能性があった。低速が問題というならほぼ同速度の長門が第一遊撃部隊主力にいるのだから山城と扶桑だけが足手まといになる事は考えずらい。むしろ連携行動の訓練不足が問題だったようである*37
      • 実際第二戦隊再結成時にでた長門の同戦隊への編入案を第二艦隊や第一戦隊が異議を申し出て編入案は流れている訳だが、これも錬成上の問題からであり、第一遊撃部隊側は新編入の第二戦隊との連携について、うまくいくのか大分気にしていた様子がうかがえる。
  • 主力から遅れて出撃し、スリガオ海峡に向かう西村艦隊、24日に一度空襲を受け扶桑と時雨が損傷するが空襲もそれ一度だけで終わる*38。しかしスリガオ海峡に入り北上してレイテ湾を目指す西村艦隊は待ち伏せ攻撃を受けることになる。
    • 待ち伏せる側の戦力は、
      ・戦艦6隻、重巡洋艦4隻、軽巡洋艦4隻、駆逐艦26隻、魚雷艇39隻
      これに対し西村艦隊は、
      ・旗艦山城、扶桑、重巡洋艦最上、駆逐艦満潮・朝雲・山雲・時雨の計7隻
      と、戦力差は歴然。
      本来ならば栗田艦隊が呼応して、レイテ湾に向けて同時突入する予定だったが、ハルゼー機動部隊の大空襲を受け、武蔵を失い大きく遅延したため、これは叶わなかった。
  • スリガオ海峡突入後、山城らは最初に襲撃してきた魚雷艇群へ探照灯を照射、副砲で蹴散らしつつ進撃するも、待ち受けていた米駆逐艦群の先制雷撃を受けてしまう
    • まず3時10分頃に山城の後ろを進んでいた扶桑が米駆逐艦部隊の放った魚雷を受け落伍する。この落伍は扶桑の後ろにいた最上が扶桑を追い越して山城の後ろに移った事もあったからか山城側は把握していなかったと考えられている*39
    • 3時20分頃には今度は前方を進む駆逐艦朝雲山雲満潮らが相次いで被雷する。
      満潮は左舷機械室に命中して航行不能。山雲は瞬く間に沈没する。朝雲は艦首を切断され此方も大破してしまい戦線離脱。こうして山城は前衛の駆逐艦を失い攻撃の矢面に立つことになる。
    • 3時33分から40分頃、今度は山城の左舷に水柱が2本おこるのを最上が確認し火災が発生する。こうして西村艦隊は3時10分から40分までの30分の間に過半数の艦を失ってしまった。
      それでも進撃の判断を捨てない西村提督。彼がこの時に発した電文が、山城被弾時の台詞「私に構わず前進を云々」のモデルとなる
      われ魚雷攻撃をうく、各艦はわれをかえりみず前進し、敵を攻撃すべし
      であった。
  • だが次に眼前に現れたのは完璧な丁字を引き射撃体勢で待ち受ける巡洋艦隊、そして、格上の40.6cm砲搭載艦を含む6隻の戦艦、オルデンドルフ少将が指揮する戦艦6隻を中心とする大部隊だった。
    3時51分、オルデンドルフ少将よりまず巡洋艦部隊に射撃開始が命じられ射撃を開始、更に3時53分には戦艦部隊にも射撃命令がおり、約20,000mの距離から5隻の戦艦*40が山城への砲撃を開始する。
    • 戦艦の主砲弾計272発、巡洋艦は約3千発が西村艦隊に向けて放たれ山城は艦全体が火の海と化してしまう。それでも後続艦へ信号灯で前述の命令を連呼、叱咤激励しつつ真一文字に突撃し続ける山城の姿は、まさに阿修羅の如き姿であったという。
      • 生還した唯一の山城幹部となった主計長の江崎寿人大尉の証言では、この後西村司令官は安藤参謀に対して「われレイテ湾に向け突撃、玉砕す」と最期の電文を送るよう命令していたという。だがこの電文は山城の通信能力が既に失われていたのか、あるいは発信前に艦の生命が尽きたのか、結局発信されることはなかった。
  • こうした絶望的ななかでも、山城は使える主砲、副砲を使って猛然と反撃している。山城の主砲弾は命中こそしなかったものの軽巡デンバーを夾叉、さらに副砲弾は駆逐艦アルバート・W・グラントに7発が命中している。
    圧倒的な数の差から、生還した時雨艦長が「まぶしすぎて前がまともに見えなかった」と証言するほどのオルデンドルフ艦隊の猛射のなか、電探は使えず全て目視、数多の命中弾により艦の機能が刻々と失われてゆく中でのこの砲撃成果、である。まさに彼女と乗員の最期の意地、執念というべき反撃であった。
    • 山城も乗員の執念を受けてであろうか、派手に炎上しつつも行き足は止まらず進撃を続けていた。ただ舵機を破壊されたからか意思を以ってそうしたのかは不明ながら山城が針路を西に変えだしたのを見た第56駆逐艦戦隊司令のローランド・N・スムート大佐は、麾下の駆逐艦3隻を率いて水雷突撃を敢行した
      • 味方戦艦、巡洋艦の砲撃が続き多くの水柱が乱立する中、旗艦ニューコム以下リチャード・P・リアリー*41、アルバート・W・グラントらは副砲を乱射する山城に向かって突撃した。途中、アルバート・W・グラントが山城の集中砲火を浴びて炎上するも距離約5500mから並走状態で3隻計15本の魚雷を発射。4時11分に2本が命中する。これが山城のとどめとなった。
      • アルバート・W・グラントは死者38名を出したが曳航・修理され戦後は日本の占領任務に参加している。
    • 最終的に、魚雷4発をはじめ無数の命中弾を浴びて破壊しつくされた山城は浸水によって刻一刻と傾斜が増大し機関も停止。彼女の特徴ある大艦橋は衝撃で崩落したともいう。
      もはや沈没必至と見た篠田勝清艦長は「総員退艦」を命令したものの、わずか2分後に転覆、艦首を70度ほども高々と突き上げつつ、姉の後を追うように静かに沈んでいった。
      乗員は推定で約1,500名*42だが、乗員の殆どが彼女と運命を共にし、生存者は扶桑と同様の10名程度だった*43
      沈没後米駆逐艦が救助を試みたが、漂流する山城乗員たちは「馬鹿野郎、貴様らに助けてもらうことはない。俺たちの気持ちが貴様らに分かってたまるか!」と叫んで救助を拒否。泳いで上陸した者たちも、ほとんどは現地民ゲリラと交戦し命を落としたという。また総員退艦が命令された後も西村司令官は席に腰をかけたままで、司令部要員や篠田艦長を中心とした山城の艦橋要員たちも静粛に自身の配置を動こうとせず、心穏やかに山城と運命を共にしていったという。*44
      時に昭和19年10月25日午前4時19分。沈没地点は北緯10度22分3秒、東経125度21分3秒と記録されている。
      • なお扶桑の項目でも記述されているが、マニラ防衛部隊の増員としてレイテ沖海戦で戦没し、収容された生存者を送り込んでいる記録があり、山城も7名の乗員がマニラに送られているとあるので、実際はもっと多くの乗員が生還して日本側に収容されていた可能性もある。
  • 「世界戦史に比類なき猛突撃」「鬼神も慟哭するその最期」。『文集 戦艦山城』で山城の最期はそう讃えられ、悼まれている。
    もしスリガオ海峡に突入したのが長門大和であっても同じ悲惨な結果になったのは間違いない。ようやく与えられた出番でそんな戦場に突き進み、文字通り死力を尽くして戦い散っていった扶桑と山城ら西村艦隊の艦艇に思いを馳せよう。

余話

  • 任務(クエスト)でお目にかかる「西村艦隊」はこの時の編成を元にしたものである。編成条件に一部艦艇が含まれていないが、枠が空いているため提督の好みで参加させてみるのも一興。
    • 追加された西村艦隊再編成・出撃任務では満潮も必須となっている。
      • 2014年秋イベントで朝雲、そして同年12月26日のアップデートで山雲が実装されたことにより、ついに西村艦隊の全艦が艦これに実装された……のだが。
        合計7隻のため、システム上誰かが艦隊からあぶれてしまうという事態に。*45
        このため、スリガオ海峡夜戦がモチーフの2017年秋イベント捷号決戦!邀撃、レイテ沖海戦(前篇)では第三艦隊に限り7隻編成可能という新システムが導入された。
  • 山城と運命を共にした艦長篠田勝清大佐(海兵44期)*46は、前任は軽巡大淀艦長であった。大淀では100機以上の敵機の攻撃をことごとく退けて、不発弾1発の被弾のみで切り抜けた実績を持ち、将兵の信頼も非常に厚かった艦長である。

  • こんな彼女だが、当時の日本海軍における最枢要施設である横須賀鎮守府に最初に配備された超弩級戦艦という誉れ高い実績を持つ。
    • 神奈川県横須賀市のヴェルニー公園内には、乗組員戦没者慰霊と当時の実績を称える「軍艦山城之碑」が建立されている。
  • 1922年3月、山城の第2砲塔の上に滑走台を載せて陸上機(この頃、艦載機という分類の飛行機はまだ存在していない)を射出する実験が行われた。姉さま見ててくれた?!
    山城が行った実験の2年前には航空母艦「若宮(艦これ未実装)」に仮設の滑走路を設置して陸上機の発艦試験が行われており、この時の成功が山城での試験につながっている。
    この航空機実験の成功により、5,500トン型は飛行機の運用能力を付加されることになった。
    • また、1940年には94式水偵を改造した無線操縦飛行機の発艦実験も実施しており、何気に航空機の革新的な実験にたずさわることが多い艦でもあった。
      この実験では、1機目は艦長の無理解により艦を向ける方向が風向き的に不適切で発艦直後墜落し失敗。しかし2機目はうまく発進でき、水平線上に見えなくなるまで飛行させることに成功した。
      • こうした実験を経て実用段階にまでこぎつけた無線操縦機だったが、1機の製造にかかる費用が実に5万円。パイロット1人を養成するのにかかるのが1万円なのに比べてベラボウに高額なこともあり、ついに量産されることは無かった。
  • 2001年の4月に、フィリピンで活動したこともあるイギリス出身のとあるダイバーが、山城の残骸を発見したと発表したが、今に至るまでその裏付け(証言を元にしての捜索及び発見)はなされていない。
  • 2017年11月25日、マイクロソフト共同創設者ポール・アレン氏が山城を発見したと発表。氏によると、山城は海底で上下逆さまになっている模様である。発見の報が流れたのが折しも艦これにおいてスリガオ海峡海戦をモチーフとした期間限定海域、捷号決戦!邀撃、レイテ沖海戦(前篇)が実装されている最中であり、運命を感じた提督もいたとか…。
     
  • 海軍・海自・海保では他に「山城(やましろ)」という艦名は使われていない。
    • 商船では日本郵船で3度「山城丸」という船名が使用されており、そのうち戦前に建造された初代・2代は陸軍に徴用され、2代目は太平洋戦争中に米潜の雷撃を受け沈没している。
    • 3代目山城丸は日本郵船のY型高速貨物船として1963年に三菱長崎造船所で進水・竣工し、日本・ヨーロッパ間の航路に就航した。
      1973年10月、シリアのラタキア港に停泊中に第4次中東戦争が勃発し、出港できずに港内に留まっていたところ、港の沖でイスラエル・シリア両海軍のミサイル艇同士の戦闘(ラタキア沖海戦)が発生。
      イスラエル海軍のミサイル艇が発射したガブリエル対艦ミサイルが流れ弾となり、運悪く停泊中の山城丸に命中。
      消火に失敗した船体は焼きつくされてしまい、そのまま港内に着底。残骸はラタキア港に残ったままいたが、翌年に日本郵船は山城丸の放棄を決定した。不幸だわ…
      だが1975年に売却されたギリシャの船会社の手によって修復され、「Kyra」と改名して再就役。1983年にパナマの船会社に再売却・解体されるまで20年の生涯を全うした。……良かったじゃない
      この三代目山城丸、日本郵船博物館に模型が存在する。
  • 旧国鉄にも「やましろ」という列車があった。昭和36年10月、天下の東海道急行として東京~大阪間に登場したのだが…
    • わずか8か月後には、電化区間が広島まで伸びたことにより延長され、「宮島」と改称されてしまった…。やっぱり不幸だわ!
  • セリフにある「不幸の手紙」もまたもらって嬉しい類のものではない。
    良心ある提督諸氏は、間違っても他人に送るような真似はしないようお願いしたい。

この艦娘についてのコメント

  • 「山城 提督 扶桑」で、みんな仰向けに寝れば幸せ。「扶桑 提督 山城」の並びだとアレが両脇から刺さるよ。 -- 2023-02-24 (金) 18:16:10
    • 伊藤誠ルートは止めてぇ(´;ω;`) -- ? 2023-02-27 (月) 09:15:12
    • 二人に挟まれてダンスしてる書記長を思い出した。彼には72通りの名前があるから、何と呼べばいいのか…… -- 2023-02-27 (月) 18:16:22
      • イーノックとは言わせぬぞ☆ -- 2023-03-01 (水) 09:14:10
      • どこのジュガシヴィリでしょうか? -- 2023-03-02 (木) 09:00:35
  • ゴハッ( ゚∀゚)・∵. (pixivで山城のイラストを見て吐血 -- 2023-03-02 (木) 08:48:43
  • アニメで一番活躍してたんじゃ・・・? -- 2023-03-26 (日) 16:32:34
    • スリガオまでは良かったんだけど 後半の「これは何を見せられているの?」せいで、より一層前半のが良く感じるよー -- 2023-03-26 (日) 16:53:45
  • 熊野丸の時報で山汐丸を押し付けて、タスカルさんの時報で酔いどレンジャーを締め出せた。やっとひと安心と思っていたら何故ヘイウッドの時報で一升瓶片手に乱入してくるんですカ山城サン? 下戸提督のライフはもうゼロよ… -- 2023-04-08 (土) 22:35:04
  • 同じ声の雪風が乗組員あっての幸運だったと言われていた事を考えたらもし雪風乗組員が山城の乗組員になっていたなら山城は不幸艦と呼ばれるようなことなく幸運艦になっていたかもしれない -- 2023-07-07 (金) 12:38:04
  • 西村艦隊お揃いか 全員揃えなければ駄目か? -- 2023-07-14 (金) 14:08:35
  • ついにWarThunderにも山城が来るらしい。事前予約報酬で称号「鬼の山城」も貰えるとのこと。扶桑は既にいるので姉妹で出撃がやっとできるッ!山城出てくるマッチだと米帝艦爆は非力だし(とはいっても今度はスカイレイダーとかの戦後レシプロが出てくるのでこっちが怖い)山城強いかも? -- 2023-10-19 (木) 12:17:23
  • 艦これを始めて初日に建造して初入手の戦艦が山城だった。めっちゃ強くて感動したのは良い思い出。LV99で据え置きだけどw -- 2023-10-24 (火) 17:37:16
  • フィリピンのディナガット島の政庁の建物が戦艦山城をモチーフにしたらしいw 紹介してる岡部いさく先生のツイート -- 2023-11-30 (木) 19:00:06
    • 完成イメージ見たら思いのほか艦橋の造形に力入ってて草。でも戦没80年を経て現地でこうして顕彰されてるのほっこりするな。 -- 2023-12-03 (日) 00:00:32
    • 割り込み失礼。いきさつはコレにもはやコレは、扶桑&山城姐さんの”記念碑”とさえいえるな。ーーー姐さんたち、もう前世の不幸を想い涙 (T-Tしてくれるな。これ程までに讃えられて、遠いフィリピンの地で伝説となったあなたたちは、とびっきり幸せ者だよ -- かぼちゃ大王? 2023-12-09 (土) 10:40:31
  • マウントキャッスル・・・メジャーリーガーにいたとは -- 2024-05-31 (金) 00:51:47
  • 山城にセーラー服を着せると若返って見えて、意外に違和感がない。と言うか俺の中の山城の年齢設定が間違っていたのか。 -- 2024-11-04 (月) 09:45:45
  • 山城を撃沈したリチャード・P・リアリーが来るか… -- 2025-04-23 (水) 21:57:20
  • 西村艦隊の仇敵、山城撃沈の殊勲をあげたRichard P.Leary実装とは、感慨深いなぁ -- 2025-05-13 (火) 00:10:09
  • 新しい時報実装のたびに酒配り歩いてて草生える こんなキャラだっけ -- 2025-06-02 (月) 12:44:15
    • ネタ(不幸)も熱血(邪魔どけ)もこなせる万能お姉さんだぞ -- 2025-06-02 (月) 13:00:43
  • 時々あの咆哮が聞きたくなる。図鑑に入れてくれないかなあ…自らの忌まわしい運命を突破したあの咆哮を… -- 2025-08-01 (金) 00:28:10

*1 母港ボイスは各艦娘につき3つ割り当てられています。「詳細」ボイスは編成画面の「詳細」ボタンをクリックすることで聞くことが出来るボイスです。母港画面でも聞くことが出来ます。「母港3」ボイスは「母港画面でのクリック」もしくは「母港画面への遷移」でのみ聞くことが出来る、いわゆる「提督お触りボイス」です。編成画面での「詳細」ボタンでは聞くことが出来ません
*2 4つの基本ボイス(昼戦開始・昼戦攻撃・夜戦開始・夜戦攻撃)がありますが、各ボイスはその他の色々な場面でも使われます。各ボイスをどのフェーズ(航空戦/開幕雷撃/先制対潜/昼戦攻撃/各種CI...など)に割り当てるかは艦娘によって異なり、例えば開戦ボイスを攻撃でも使ったり、夜戦攻撃ボイスを昼戦でも使ったりします)
*3 「小破」ボイスの2つ目と戦闘撤退時の「旗艦大破」ボイスは共用化されています
*4 「小破」ボイスの2つ目と戦闘撤退時の「旗艦大破」ボイスは共用化されています
*5 装備ボイスは3ボイスありますが、近代化改修ボイスと共用化されています。また、ボイス3は「近代化改修」「開発」「バケツによる即時修復」「遠征出撃」「アイテム発見」ボイスと共用化されています
*6 2015年2月23日アップデート時点。
*7 2015年12月8日アップデートにて追加。
*8 皇室の御先祖を祭り祭祀しているところを「宗廟」というが、日本では皇室の御先祖である「天照大神」を祭る伊勢神宮と、「神功皇后」とその皇子である「応神天皇」を祭る岩清水八幡宮の2社がこれにあたる
*9 特に航行時の振動が扶桑よりも大きいという問題があったとか
*10 第二砲塔の後ろにある司令塔を扶桑の楕円形から山城は円形に変更していたり、司令塔の後方にも2.7㎝測距儀を新設していたりしている
*11 恐らく天皇として最初にご乗艦されたお召艦
*12 これに伴い2隻は第二戦隊から離れるが、入れ違いに第一戦隊の長門と陸奥が第二戦隊に転属となっている
*13 またこの頃は、士官たちもいわゆる「静養配置」の、胸を病んだあとの療養中のような人が多かったともいわれる
*14 光人社『巡洋艦「大淀」16歳の海戦』より。
*15 所謂「地獄榛名に鬼金剛、羅刹霧島、夜叉比叡 乗るな山城、鬼より怖い」。公式4コマ第28話にてネタにされた。
*16 山城は横須賀鎮守府所属、金剛は佐世保鎮守府所属
*17 所謂「精神注入棒」と言われる各艦代々受け継がれてる木の棒
*18 消火栓の筒先
*19 切断したマニラロープの極太の鞭で、本来は機関科が使う制裁用具。ロープなだけにぐるりと撓って股間を強打することがあり、男性機能を破壊された気の毒な例は1人や2人ではきかないという。
*20 この戯れ歌、山城の戦友会追悼誌である『文集 戦艦山城』への寄稿文の中だけでも「鬼の山城、地獄の日向、いっそ海兵団(or金剛)で首吊ろか」「地獄山城、鬼金剛」「鬼の山城、地獄の赤城」「鬼の山城、蛇の長門。いっそ赤城(or高雄)で首吊ろか」「鬼の山城、蛇の金剛」「乗るな山城、鬼より怖い」と、複数のバージョンが見かけられるが、山城がらみのが結構多く確認できる。山城が海軍内でどんな存在だったか察せるだろう。もっとも当時の戦艦などの大型艦では訓練(及びその後にある訓練の不出来な下級兵への制裁)の厳しさはどの艦でも行われており、こういった手合いの戯れ歌で名前が上がらない艦など皆無である
*21 程度の差はあれ、新兵教育に「不条理」「不合理」な面が現れるのは何も日本に限った話ではなく、古今東西どの国の軍隊教育にも聞かれる話である
*22 ちなみに、積み荷は扶桑の35.6センチ砲弾や大和型の46センチ砲弾などだった
*23 因みに開戦時に第三戦隊として所属していた金剛型戦艦4隻は、この時点で比叡霧島は戦没しており、残りの金剛榛名は第三戦隊ごと第三艦隊に配属替えとなっているので、そもそも第一艦隊の所属ではなくなっていた
*24 北方海域を担当している艦隊で、志摩清英中将が司令長官を務めている。戦力は重巡那智足柄、軽巡木曾多摩、そして第一水雷戦隊(旗艦は軽巡阿武隈)を擁するこの時期としてはまとまった戦力を持つ艦隊だった
*25 第八艦隊参謀・第五艦隊司令部・多摩の艦長などを歴任した海軍軍人。半ば特攻まがいの作戦を好み、ダンピールの悲劇こと八十一号作戦を「命令だから」の一言で強行させたり、大和の特攻を発案したりしたが、第一次ソロモン海戦での作戦立案で大勝(作戦目的自体は達成できず)したり、キスカ島撤退作戦を立案して成功させたりと、大きな功績もある。
*26 前述の第五艦隊を基幹にその他各艦隊から抽出した戦隊を含めた部隊。それまで機動部隊の「前衛部隊」として行動していた第二艦隊が捷号作戦では敵攻略部隊撃滅の任を負う「第一遊撃部隊」となる事になったので、その代わりの前衛部隊として第五艦隊が割り振られる事になり、「第二遊撃部隊」として編成された
*27 那智、足柄
*28 木曾、多摩、阿武隈
*29 不知火
*30 長良
*31 清霜、桑
*32 秋月初月涼月
*33 若葉初春初霜
*34 伊勢日向
*35 一応第一遊撃部隊所属の第十六戦隊(重巡青葉、軽巡鬼怒、駆逐艦浦波)の第二遊撃部隊への転属が直前に発しられてはいたが、結局この部隊は第二遊撃部隊に合流できなかった
*36 駆逐艦浦風雪風磯風浜風で構成
*37 長門の速力は改装後で25ノットであり、同じく改装後に24.6ノットほどになった扶桑型と大差はない
*38 ハルゼー機動部隊が栗田艦隊を発見して攻撃に全力を入れ出したため
*39 その後に起こった駆逐艦3隻と山城の被雷の際、西村提督が友軍に発信した状況報告にそれらの事がふれてあるのに直前に起こっている扶桑の被雷の件は全く触れていないのと、その後時雨が扶桑に対して「続行する」と連絡(時雨側は被雷落伍したのを「山城」だと勘違いしていて、進撃を続ける戦艦を「扶桑」と判断してそれに「続行する」と連絡してしまっていた)した事に対して、西村提督は直後に扶桑に対して「最大速力を報告せよ」と命じており、扶桑に何かが起こっている事は認識していた可能性はあるが、落伍しているとは認識していない(していたのなら最大速力を尋ねるのはおかしなことである)と考えられている
*40 戦艦は6隻いたがペンシルバニアはレーダーが射撃に対応しておらず、結局発砲はしなかった
*41 同艦は戦後、昭和34年に自衛隊へと貸与され護衛艦DD-184「ゆうぐれ」として就役する。
*42 元々の山城の乗員定数は1,350名だが、この頃の日本艦艇はどれも対空砲火を増強するなどしていたため乗員は増員されており、正確な人数が記録されていない事例も多かった
*43 准士官以上2名、下士官兵8名
*44 以上は『文集 戦艦山城』より、生還者の江崎寿人主計大尉および和田巌兵曹の証言による。
*45 連合艦隊システムならば全艦出撃が可能だが、こちらは軽巡1隻が必須条件なため、史実の西村艦隊には1隻もいなかった軽巡を加える必要がある。
*46 同期には戦争末期に四航戦司令官として伊勢日向らを率いて複数の作戦を成功させたことで名高い松田千秋や、大淀艦長としてレイテ海戦や礼号作戦・北号作戦を闘いぬき、伊勢の最期の艦長として戦死した牟田口格郎、真珠湾攻撃の作戦立案者である黒島亀人など、錚々たる顔ぶれが並んでいる。