No.080 | ||||
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![]() | 時雨(しぐれ) | 白露型 2番艦 駆逐艦 | ||
艦船ステータス(初期値/最大値) | ||||
耐久 | 16 | 火力 | 10 / 29 | |
装甲 | 6 / 19 | 雷装 | 24 / 69 | |
回避 | 43 / 79 | 対空 | 9 / 39 | |
搭載 | 0 | 対潜 | 21 / 49 | |
速力 | 高速 | 索敵 | 5 / 19 | |
射程 | 短 | 運 | 10 / 49 | |
最大消費量 | ||||
燃料 | 15 | 弾薬 | 20 | |
装備 | ||||
12.7cm連装砲 | ||||
未装備 | ||||
装備不可 | ||||
装備不可 | ||||
改造チャート | ||||
時雨 → 時雨改(Lv20) → 時雨改二(Lv60) | ||||
図鑑説明 | ||||
僕は白露型駆逐艦2番艦の時雨だよ。 あのレイテ沖海戦では、西村艦隊に所属して、運命のスリガオ海峡に突入したんだ。 扶桑も山城も凄かったよ……。 皆が忘れても、僕だけはずっと覚えているから……。 |
※初期値はLvや近代化改修の補正を除いた時の数値であり、最大値はLv99の時の最大値を指します。
セリフ | CV:タニベユミ、イラストレーター:玖条イチソ |
入手/ログイン | 僕は白露型駆逐艦、「時雨」。 これからよろしくね。 |
入手/ログイン(晩秋) | 僕は白露型駆逐艦、「時雨」。 提督、少し……少しだけ、寒くなってきたね。*1 |
母港/詳細閲覧 | いい雨だね。 |
提督、呼んだ? | |
僕に興味があるの? いいよ、なんでも聞いてよ。 | |
母港/詳細閲覧 (新春) | あけましておめでとう、提督。今年も僕を…僕たちをよろしくね。 |
母港/詳細閲覧 (節分) | 豆まき…か。結構、当たると痛いね。 |
母港/詳細閲覧 (ヴァレンタイン) | 提督。一応これ、僕からも渡しておくね……邪魔、かな? |
母港/詳細閲覧(ホワイトデー) | 提督。これ、は…僕に? ありがとう♪ |
母港/詳細閲覧(春本番) | 提督。いい、春だね。風も、気持ちいいね。 |
母港/詳細閲覧(2周年&4周年) | 提督。雨が上がったね。今日は、僕にも大切な日さ。 |
母港/詳細閲覧(3周年) | 提督。僕達、3周年だね。長いよね…あっと言う間だった気がする…うん |
母港/詳細閲覧(5周年) | 提督。僕達、5周年だね。長いようで……あっと言う間だった気もする……うん。これからも、よろしくね。 |
母港/詳細閲覧(7周年) | 7周年なんだ。提督、止まない雨はないよ? |
母港/詳細閲覧(瑞雲祭り) | 由良、何やってるの? お祭りの……準備? そ、そう、頑張ってね。 |
母港/詳細閲覧(梅雨) | 提督。……止まない雨はないさ。……そう、心配しなくていいんだ。……僕も、いつでも一緒にいる。そばにいて……いいんだよね |
母港/詳細閲覧(初夏) | もうすぐ今年も夏がくるね。水着? ああ、去年のがあるから、僕は大丈夫 |
母港/詳細閲覧(真夏) | うん、ちょっぴり僕も、恥ずかしい…かな… |
やっぱり夏は暑いね…提督、大丈夫かい?…そう、提督は立派だね。見習うよ! | |
母港/詳細閲覧(15秋) | 秋は、少しさみしいね……あっ…ううん、僕は元気だよ。 |
母港/詳細閲覧(17秋) | 提督、夏が終わってしまったね。大丈夫、秋も…良い季節だよ。 |
母港/詳細閲覧(18秋) | 秋は、少し物悲しくなる季節だね。……あっ、ごめん。ううん、僕は大丈夫。ありがとう、提督。 |
母港/詳細閲覧(年末) | もう年末か。艦隊の大掃除をしないと。門松も、出さないといけないね。どこだろう… |
母港/詳細閲覧(秋刀魚) | 提督。秋刀魚漁は、今年は大変そうだ。僕も本気で行くよ! |
秋刀魚漁の季節だね、提督。僕も頑張るよ。 | |
母港/詳細閲覧 (2018秋刀魚) | 勿論、僕も出るよ。毎年だから、少し、要領はわかってきた。任せて。 |
母港/詳細閲覧(晩秋) | 提督、少し寒くなってきたね? 僕は大丈夫。提督、風邪ひかないように僕、マフラー作ろうか? あ、ごめん。余計だったかな? |
母港/詳細閲覧(クリスマス) | 提督、メリークリスマス。今日は、僕がプレゼントを渡すよ。…はい。 |
提督、クリスマスシーズンだね。メリークリスマス。…あ、僕少し早かったかな。 | |
えっ、この格好かい? クリスマスはこうするものだって。…提督、もしかして嫌だった? ごめん… | |
母港/詳細閲覧(冬) | 流石に、冬は寒いね……あ……提督の手も冷えてるね。そうだね、暖炉で早く温まろう。 |
母港/詳細閲覧(おにぎり) | 長波、それ、良いおにぎりだね。うん、僕も食べたいな。え、そうなんだ…そう…僕もお料理、やってみようかな。 |
母港/詳細閲覧(16秋イベ限定) | この海域は…この海域は危険な感じがする。川内さん、江風、気を付けて。 |
この作戦…僕も一緒に行っていいかな? 何か…少し嫌な予感がする。でも提督と一緒なら、何かが変わる気がするんだ。 | |
母港/詳細閲覧(決戦前夜) | この季節は……ううん。提督、良い雨だね。 |
僕は…ううん、なんでもない。 | |
満潮? そうか、よかったね。一緒に準備をしよう……うん。 | |
そうだね…進むしかない。止まない雨は、ない。僕も…提督? ありがとう。うん、そうだね。わかった。 | |
出撃 | 時雨、行くよ! |
駆逐艦時雨、出撃するね。 | |
遠征選択時 | 雨は、いつか止むさ。 |
アイテム発見 | 雨は、いつか止むさ。 |
開戦 | 見付けたよ。 |
航空戦開始時 | |
夜戦開始 | 君たちには失望したよ… |
攻撃 | 見付けたよ。 |
ここは譲れない。 | |
残念だったね。 | |
小破 | やめてよ、痛いじゃないか。 |
当たった…っ? | |
中破/大破 | この僕を、ここまで追い詰めるとはね。まあ、いいさ。 |
勝利MVP | この勝利、僕の力なんて些細なものさ。 この雨と…そう、提督のおかげだよ。 |
帰投 | 艦隊が、無事帰投したね。よかった。 |
補給 | ありがとう。 |
改装/改修/改造 | ありがとう。少し、強くなれたみたいだ。 |
酸素魚雷とか…、うん、積みたいかな。 | |
雨は、いつか止むさ。 | |
入渠(小破以下) | ありがとう…これで行けるね。 |
入渠(中破以上) | みんなに迷惑かけてるかな…。この分は、きっと取り返すから。 |
建造完了 | 新しい艦が建造されたね。 |
戦績表示 | 提督、手紙が届いているよ。 |
轟沈(反転) | 僕もここまでか… 提督…みんな… さよなら… |
時報 | 改二にて実装 |
放置時 | 僕はまだ、ここにいても、大丈夫なのかな… |
ゲームにおいて 
- 2013/10/23のアップデートで響、夕立に続き、Lv60にて二段階目の改造を行い時雨改二にまで成長する様になった。
対空最大72を誇る対空特化艦で、運も実に50にまで向上する。雪風、島風等にも攻撃力はそうひけをとらない。詳しくは当該項目を参照。 - 2013/10/16のアップデートで補給ボイス&放置ボイスが追加された。いよいよ彼女にもスポットライトが当たるはず。
- 「西村艦隊」の一員として任務で必要になるので、一応留意。
2-3クリアに立ち会う必要があるため、序盤から多少は育成しておくと任務達成が楽になるはずだ。- 西村艦隊には、満潮を加えて再編成・5-1クリアで勲章を入手する任務も新たに追加されているのでその点も留意。
- 艦娘では意外に少ないボクっ子なのだが、経歴が鮮烈すぎるためかあまり話題にならないようである。
- 背中に背負っている某MSのような状態の連装砲は、絵師さん曰く「リュックサックのように背負って持ち運んでいるだけで、
砲撃時はこうして前に持っていく(陽炎や黒潮の25mm連装機銃に近似したスタイル)からガンキャノンじゃないよね?」だそうだ。
某MSのような肩越し射撃説は、半ば公式に否定されている。但し、背負っているせいで、言われ続けることは間違いない。
アーケード版の砲撃シーンで正解を見ることが出来る。
小ネタ 
略歴
1933 | 12.9 | 浦賀船渠にて起工 |
12.15 | 「時雨」の名が与えられる | |
1935 | 5.18 | 進水 |
1936 | 9.7 | 竣工。横須賀鎮守府籍となる |
9.24 | 陸軍特別大演習の実施にあたり、御召艦となった比叡の警護にあたる(~10.12) | |
11.1 | 第9駆逐隊所属となる | |
12.1 | 第1艦隊第1水雷戦隊所属 | |
1938 | 12.15 | 佐世保鎮守府に転籍、予備艦となる。同時に第9駆逐隊が「第27駆逐隊」に改称 |
1939 | 11.15 | 第1艦隊第1水雷戦隊所属 |
1942 | 4.10 | 第5航空戦隊所属 |
5.8 | 珊瑚海海戦に参加 | |
7.14 | 第2艦隊第4水雷戦隊に転籍 | |
11.12 | 第3次ソロモン海戦に参加 | |
1943 | 7.19 | 第4水雷戦隊解隊。第2艦隊第2水雷戦隊に移籍 |
8.6 | ベラ湾夜戦。江風・萩風・嵐が戦没、陸海軍兵士合わせて1500名以上が戦死 | |
10.1 | 第2駆逐隊(7月1日解隊)より五月雨を第27駆逐隊に編入 | |
10.6 | 第2次ベララベラ海戦に参加 | |
11.2 | ブーゲンビル沖海戦に参加。川内・初風を失う | |
11.30 | 春雨が第27駆逐隊に編入 | |
1944 | 2.17 | トラック空襲。那珂・舞風など多数艦艇を失い、時雨も大破 |
6.8 | 渾作戦。時雨はB-25 4機を撃ち落とすも、春雨および第27駆逐隊司令・白濱政七大佐を失う | |
6.15 | 白露がタンカーと衝突、爆沈 | |
6.19 | マリアナ沖海戦。大鳳・飛鷹・翔鶴戦没 | |
8.26 | 五月雨戦没 | |
10.10 | 第27駆逐隊解隊 | |
10.25 | スリガオ海峡海戦。第1遊撃部隊第3部隊(西村艦隊)でただ一隻生き残る | |
11.8 | 哨戒中の米軍潜水艦*2を撃沈 | |
11.15 | 第2艦隊第1水雷戦隊・第21駆逐隊所属となる | |
11.20 | 第1水雷戦隊の解隊に伴い第2水雷戦隊に復帰 | |
12.31 | ヒ87船団の護衛に就く | |
1945 | 1.24 | 米軍潜水艦*3の雷撃を受け戦没。戦死38名 |
3.10 | 除籍 |
艦長
艤装員長 | 杉野修一 少佐 | 1935年8月26日~1936年9月7日 |
第1代 | 1936年9月7日~1936年12月1日 | |
第2代 | 横井稔 少佐 | 1936年12月1日~ ? |
第3代 | 緒方友兄 少佐 | 1938年12月15日~1939年4月1日 |
第4代 | 金田清之 少佐 | 1939年4月1日~ ? |
第5代 | 瀬尾昇 少佐 | 1941年9月1日~1942年11月20日 |
第6代 | 山上亀三雄 少佐 | 1942年11月20日~1943年12月8日 |
第7代 | 西野繁 少佐 | 1943年12月8日~1944年12月1日 |
第8代 | 荻原学 少佐 | 1944年12月1日~1945年3月10日 |
- 白露型駆逐艦2番艦。開戦時は同型艦の白露、初春型駆逐艦の有明、夕暮(未実装)と時雨の4隻で第一水雷戦隊第二十七駆逐隊に所属した。
1943年7月に有明、夕暮を相次いで失ったため同年11月に同じ白露型駆逐艦の五月雨、春雨が編入され、第二十七駆逐隊は白露、時雨、春雨、五月雨の4隻編成となる。 - 艦これのモデルになっている白露型の「時雨」は旧神風型を先代にもつ二代目である。
先代の時雨は旧神風型の10番目として、日露戦争直後に誕生。しかし第一次大戦に参加したという記録も無く、実戦を迎えることなく引退したとされている。ある意味本当の幸運艦だった。- 代々幸運に恵まれた名前にもかかわらず、海自、海保とも「しぐれ」の採用例は今のところ無く、「時雨」の系譜は彼女を最後に途切れている。
- 「時雨」とは晩秋から冬にかけての通り雨のこと、俳句では初冬の季語になっている。
室町以降の長い戦乱の時代に、人の世の定めなさを時雨に託し詩歌に詠む風潮ができた。
爾来、時雨は単なる自然現象としてだけでなく、人生の無常さの象徴とされてきたのである。 - 史実では歴戦をくぐり抜け、「呉の雪風・佐世保の時雨」と言われた超のつく幸運艦*4。時雨改まではその強運ぶりは影を潜めているが時雨改二に成長すると存分に発揮してくれるだろう。
- 一方で雪風と同じく、味方が沈むシーンも多数見る羽目になった。
- ブーゲンビル沖海戦では川内の部下として行動している。なお一部で「川内の救援要請を無視し黙殺した」と見殺しにしたかの様に言われているが、実際は川内が通信設備の内受信機をやられ送信機のみが生きている状態であった為*5時雨側は正確な状態が掴めず僚艦の白露と五月雨も衝突し離脱に掛かっており戦況から言っても危険な状態だった為救援を断念したというのが正しい。
- トラック島空襲(丁事件)、渾作戦(第二次作戦で春雨が空襲で沈没)、あ号作戦(作戦発動まもなく白露が衝突事故で沈没)、捷一号作戦警戒(この任務で五月雨が座礁しのちに爆撃され放棄)を経て、とうとう第二十七駆逐隊でひとりぼっちになってしまった。特に彼女の場合スリガオ海峡夜戦で臨時に編入された西村艦隊でほぼ壊滅の被害を受け(扶桑・山城・最上・満潮・山雲・朝雲)、彼女を除いて誰一人残らなかった。
孤軍奮闘スリガオ海峡海戦
1944年10月17日、前日までの台湾沖航空戦で壊滅したはずの米軍が、その一隊をスルアン島に差し向け占領、日本側は米軍の本格的なフィリピン侵攻の予兆と判断し、18日にフィリピン防衛作戦である「捷一号作戦」を発動する。この時、第二十七駆逐隊は10月10日付で解隊となっており、時雨は第二水雷戦隊直率となっていた。但しこの時リンガ泊地には不在*6だったため、直接最終補給地点であるブルネイに向かい、21日夕方に第一遊撃部隊と合流している。- 合流した時雨に課せられた命令は、新設された第一遊撃部隊第三部隊、通称「西村艦隊」に加わり、別隊としてレイテ湾に向かうというものだった。時雨の西野繁艦長は山城の司令官公室にて指揮官の第二戦隊司令官西村祥治中将からレイテ突入作戦の説明を受け、その壮烈な計画内容に身震いしながらも決意を眉宇に漲らせ「よくわかりました司令官。『時雨』は火の玉となって突入します」と答えたと証言している。
- 22日、本隊出発から7時間30分後の15時30分に西村艦隊はブルネイを出撃、何事もなく翌23日10時20分にパラパック海峡を通過しスルー海に入った。この時の艦隊陣形は対空戦闘を考慮した円形陣を取り、山城を中心に円形に艦艇を配置、時雨は山城から見て左舷後方に位置していた。9時30分頃ハルゼー機動部隊第4群「デヴィソン隊」の艦載機約30機が襲来、対空戦闘となり扶桑が艦尾に被弾し搭載偵察機2機が炎上、更に一部浸水が発生し少し傾いた状態となる。また最上も機銃掃射を受けて8名の死傷者がでた。
- この時時雨は第一砲塔に命中弾を受け、11名の死傷者が出たが砲の運用には支障はなかったと戦史叢書には記載されている。この損害について西野艦長は「艦長たちの太平洋戦争」などで「命中弾は貫通したので損害は大したことはなく、死者もでていない」と証言し戦史叢書の内容を否定している。但し作戦後に時雨が纏めた報告書である「駆逐艦時雨戦闘詳報」*7や、終戦後西野艦長自身が記載し第二復員省(旧海軍省)に提出した「1YB第三部隊比島沖海戦経過概要」*8では多大な犠牲を出したと記載されており、過去との証言とに食い違いが発生している。「艦長たちの太平洋戦争」は戦後何十年も経て、老境に差し掛かるころの証言を纏めたものであり*9、西野艦長の記憶違いではないかと考えられる。
- 空襲を切り抜けた西村艦隊だが、空襲はこれ一度であり艦隊は再び平穏となった*10。西村司令官は主隊に向け予定通り進撃している事を報告している。また西村司令官は最上と第4駆逐隊の3隻に対し、日没後に分離前進して前方針路の掃討とパナオン島西岸のレイテ島ソゴト湾の敵舟艇群の攻撃を命じている。
- 最上以下の前衛隊は日没後に分離行動するが、その途上魚雷艇3隻と交戦、双方損害はなく、間もなく司令官から合流命令を受けたので反転し再合流している。
- 掃討隊分離後、時雨は山城、扶桑と共に尚も前進していたが、23時前になって突如敵魚雷艇と遭遇する。右艦首側に魚雷艇3隻を見た時雨は直ちに通報、山城からも「探照灯を照射せよ」などの指令が出るが、時雨側は「距離遠し、射すれば我砲撃できず、止めたし」と応答している*11。時雨は敵発見とほとんど同時に発砲し、魚雷艇1隻の撃破を報告している。
- この戦闘の直前、西村司令官は栗田長官に対して「25日0400時「ダラグ」沖に突入の予定」と打電している。これはシブヤン海での戦闘で一時反転した栗田艦隊が、予定期日の突入が難しくなっており、それに関する西村艦隊への指示がないままスリガオ海峡眼前まで迫っていた西村司令官が単独での突入を決意し発信したものである。
- 25日1時30分頃に掃討隊と合流した西村司令官は第二索敵配備を下令しぶたいは単縦陣を形成した(但し山雲と時雨は旗艦山城の左右75度方向1500mに配置)。そして1時48分に20ノットに増速、北上突入を開始した。
- この前後、先頭を進む満潮が再び接近する魚雷艇を発見し照射砲撃を実施、魚雷艇1隻が命中弾を受けたのみに終わっている。
- この単縦陣の陣形に対して、西野艦長は「艦長たちの太平洋戦争」にて実際は3列縦隊で進行方向右から駆逐艦4隻、戦艦2隻、最上の3列で突入したと証言し、単縦陣は後続の志摩艦隊が誤認して報告したのを、一艦長の証言よりも艦隊司令部の証言の方が正しいと判断して取り上げたのが広まてしまったとしている。だが、これも「駆逐艦時雨戦闘詳報」では突入時の陣形は単縦陣であると、態々図を描いて報告しており、当時の証言と食い違う事になっている*12。
- 北上を続けると時雨は2時53分頃に北東方向に敵らしき船影を見つけ通報する。やがてそれが駆逐艦3隻以上であることが判明すると西村司令官は左右の山雲と時雨を呼びよせて駆逐艦先頭単縦陣に陣形を変える指令を出す。3時9分、西村艦隊は北東方向の敵に対して照射射撃を実施するが敵は煙幕を展開して反転し命中弾はなかった。
- 西村艦隊側は敵を砲撃で追い払ったと判断したが、この敵はカワード大佐指揮第54駆逐連隊の東側に展開していた駆逐艦メルビン、マクゴワン、リメイの3隻で、山城、扶桑、最上に対して魚雷を発射し回避行動を開始した直後であった。この魚雷を最後尾にいた最上以外は気づかなかった。最上は緊急回避でかわし、山城への魚雷は命中しなかったが、扶桑は気づかぬまま右舷中部に被雷したちまち右舷に傾斜、同時に速度が落ち、電気系統をやられたらしく全ての電力が落ち沈黙してしまう。最上は脱落した扶桑を追い抜き山城に続行したが、この扶桑脱落を前にいた山城や時雨らは気づかず、最上を扶桑だと誤認してしまう。
- その後扶桑は航行不能となり、間もなく大爆発を起こし船体は2つに断裂、その状態で炎上し続ける。後続していた志摩艦隊がこれを発見した際、最初は炎上する2隻の敵艦だと思ったが、やがて火の勢いが増し光芒が大きくなると、扶桑特有の大艦橋が崩れ落ちるのが見えた事で、これが扶桑型戦艦だと気づいた。結局分断した船体は志摩艦隊が突入を断念して南下した際も浮き続け、その姿はさながら溶鉱炉から取り出したばかりの真っ赤に燃えた鉄塊のような状態だったという。その後米軍の記録では艦首部分は4時20分頃、艦尾部分はそれから1時間以内に沈み、10名の生存者以外の乗員は艦と運命を共にした。
- 西村艦隊側は敵を砲撃で追い払ったと判断したが、この敵はカワード大佐指揮第54駆逐連隊の東側に展開していた駆逐艦メルビン、マクゴワン、リメイの3隻で、山城、扶桑、最上に対して魚雷を発射し回避行動を開始した直後であった。この魚雷を最後尾にいた最上以外は気づかなかった。最上は緊急回避でかわし、山城への魚雷は命中しなかったが、扶桑は気づかぬまま右舷中部に被雷したちまち右舷に傾斜、同時に速度が落ち、電気系統をやられたらしく全ての電力が落ち沈黙してしまう。最上は脱落した扶桑を追い抜き山城に続行したが、この扶桑脱落を前にいた山城や時雨らは気づかず、最上を扶桑だと誤認してしまう。
- 扶桑落伍を知らない西村司令官はなおも前進を続けたが、3時12分時雨は今度はレイテ島方向に敵らしい船影(第54駆逐連隊の西側に展開していたモンセン、マクデルマットの2隻)を見つけ通報、13分には山雲も雷跡発見を通報した。艦隊は急速回避をしつつ砲撃するが今度も命中弾はなく、敵も煙幕を展開して右に回頭、北方に避退していった。艦隊は3時18分に緊急斉動で元の針路に戻したが度重なる来襲と針路変更で、時雨と山雲は最初の駆逐艦先頭単縦陣の形成が完成していなかった。先頭2番艦の位置につこうとしていた山雲は司令駆逐艦の満潮に速力の確認を行い、3時20分に満潮より「我速力20ノット」との返信があったが、この行動が悲劇を招いた。
- 4隻の駆逐艦は単縦陣形勢に気を取られたのか、モンセン、マクデルマットが3時11分に放った魚雷に誰も気づかなかった。3時20分魚雷を受けた山雲は大爆発を起こし3分で轟沈、生存者はいなかった。同時に満潮も左舷機械室に被雷したちまち航行不能に陥る。更に朝雲が一番砲塔下に被雷し艦首を切断、速力最大12ノットにまで激減した。入列運動のため北東に針路をとっていた時雨のみが魚雷の襲来から逃れる事が出来た。
- あっという間に駆逐艦3隻を失った西村艦隊。満潮は程なく沈み、朝雲は低速で後退。残りは山城と最上、時雨の3隻だけとなる。時雨は第4駆逐隊の被雷を見るや直ちに26ノットに増速して北進し前方に躍り出たが何も見えず、自身の正確な位置も分からなかった。
- 実はこの時、時雨の西野艦長はある勘違いをしていた。最初の被雷で脱落した扶桑を旗艦山城だと思っていたのだ。そのため時雨は山城を見つけて西村司令官を収容すべく反転し1隻だけ南下を開始する。しかし南下しても見つけられず、見張り員の一人から山城らしい1艦が沈没するのを見たと報告があったので合同を断念、再び反転して北上を開始する。この為時雨は艦隊最後尾となりその後の戦闘で彼女が生き残る要因となる。
- 扶桑と山城を勘違いしていた時雨は前方を行く戦艦を旗艦脱落により指揮を継承した阪艦長率いる扶桑と思い込み進撃したが、時雨が南下と北上をしていた間に山城は米駆逐艦(マクメーン大佐指揮の第24駆逐連隊の6隻)からの襲撃を受けていた。山雲の爆発で付近が明るくなり、米側は攻撃がしやすかったと報告されている。この攻撃は時雨が未だ先頭にあった3時23分に魚雷が発射され、時雨に4本、山城に11本が向けられたが、時雨は気づかずに南下を開始した事でこれをかわし、山城には1本が左舷後部に受け後部弾火薬庫に爆発の危険が出たので篠田艦長は5・6番主砲弾火薬庫に注水を命じ速力は5ノットまで低下するが進撃を続けていた。間もなく山城は間断ない敵の艦砲射撃を受け始め、3・4番砲塔も火災で使用不能となる。更に魚雷が左舷中部に命中し、艦内通信が不能となる。これらの砲撃は第24駆逐連隊からのものだった。
- 時雨は山城(扶桑と思い込んでいた)と最上の前に出るべく前進する。この頃西村司令官から有名な「我魚雷を受く、各艦は前進して敵艦隊を攻撃すべし」との下令が届き、西野艦長は山城は既に脱落しており、これは指揮を継承した扶桑艦長以下残存艦への最後の指令だと判断し、指揮権は扶桑艦長に委ねられたと誤断した。3時40分には山城を先頭に最上が続行し、時雨はその右にいて先頭に立つべく航行していた。しかしその前方に待ち構えていたのは戦艦6隻を擁し完全なT字体制で待ち構えるオルテンドルフ艦隊主力だった。
- 3時51分、オルテンドルフ提督直率の巡洋艦部隊5隻が砲撃を開始、続いて6隻の戦艦部隊がその2分後に砲撃を開始する。この砲撃で先頭を行く山城はたちまち命中弾を受け艦橋下に火災を発生、1・2番砲塔のみで応戦する。またスムーツ大佐指揮の第56駆逐連隊の9隻が主力の砲撃開始前に襲撃を行うべく、3隻毎3隊に別れて接近しており、東より進撃した第二小隊3隻は3時51分に山城に対して射撃を開始し、54分には時雨に対して魚雷を放った後に避退する。西より進んだ第三小隊3隻は57分より時雨と山城に対して雷撃するが直後に2隻が反撃してきたのでレイテ島の方向に退避した。中央の第一小隊3隻は山城と同航態勢をとなり4時4分に5500mの近距離から魚雷を発射し2本が命中した。ところが米戦艦、巡洋艦が山城めがけて砲撃する渦中に突っ込んだことで同士討ちを受ける羽目になり、3番艦アルバート・W・グラントが18発も被弾(11発が友軍の誤射で7発は山城からのもの)してしまう。このためオルテンドルフ提督は第一小隊を避退させるため、4時9分に砲撃を一時中止する。
- 山城はここで力尽きた。4時前に針路を西方に替えて砲撃していた山城は魚雷は右舷機械室付近に命中し艦は艦首を南西にむけたまま機械が停止、続けて1本が右舷に命中し艦体は傾斜し始めた。篠田艦長は4時17分頃に総員退艦を命じるが傾斜は急速に増し、4時19分山城は沈没。主計長江崎壽人大尉外9名の生存者以外は西村提督以下総員が艦と運命を共にした。
- 時雨はこの間西野艦長の指揮で攻撃を何とかかわしつつ北東方向に航行しなんとか集中砲撃から逃れたが、米軍の砲撃は今度は後続していた最上に集中する。最初に3番砲塔に20㎝砲弾が命中し、続いて艦体中部にも命中して火災が発生。そして4時2分頃に中口径の砲弾が艦橋と防空指揮所に命中。藤間艦長以下副長、航海長、水雷長、通信長など艦橋にいた幹部や兵員は全滅し、横の旗甲板にいた信号員長(山本一曹)以下4名だけ無事だった。咄嗟に信号員長が舵を取り人力操舵に切り替えて南下を開始、艦橋の異変に気付いて射撃指揮所から降りてきた砲術長が指揮を掌握して南下を継続するが戦隊は無数の被弾を受け大火災が発生していた。
- この山城と最上の惨状を見て、西野艦長は西村艦隊は全滅したと判断、独断反転して戦場から離脱する事を決意する。この時次々と僚艦がやられて健在な艦が時雨一隻になったため、西村中将の命令に従い一艦だけでも敵艦隊に突っ込み刺し違えてやろうと西野艦長は考えたという。しかしこの時敵艦隊は煙幕を展開しており、既にその姿は見えなくなっていた。また敵艦の発砲する光芒がすさまじく、目を凝らすのも困難な状況だった。
砲には弾丸が込められ、魚雷も装填済み。にもかかわらず撃つことが出来ない。
「この状態で突っ込んでも、いたずらに犬死にするばかりだ」そう艦長が思いなおし、ともかく一旦反転してみようと反転する。ところが少し行った所で敵からの砲撃を受け艦尾に命中弾を受け舵が故障してしまう。
なんとか舵の修理が完了した時には30分も経過し完全に戦場から離れてしまっていた。これにより完全に機を逸してしまい、艦長の決意は実を結ぶことなく退却を開始する。- この後時雨は4時40分頃後続する第二遊撃部隊(通称「志摩艦隊」)とすれ違う。旗艦那智からは「那智の後につけ」との信号を受けたが、舵が故障しているし、西村艦隊の所属する第一遊撃部隊と南西方面艦隊に所属する第二遊撃部隊とは指揮系統が異なるので、西野艦長は「我舵故障中」とのみ報告して南下を続けた。
その後時雨は6時頃スリガオ海峡を脱出、6時48分には敵魚雷艇と遭遇しこれを撃退、9時42分から1時間米陸軍機約30機の攻撃を受けたが、相手は水平爆撃しかできないB-24などであった事が幸いして殆ど損害を受けずにこれを切り抜け、10時19分に西野艦長は栗田艦隊や連合艦隊などの各隊に報告、コロン湾に向かったが米軍機の空襲の危険がある事からブルネイに針路を替え、27日17時に帰還。時雨の長い戦いは終わった。
- この後時雨は4時40分頃後続する第二遊撃部隊(通称「志摩艦隊」)とすれ違う。旗艦那智からは「那智の後につけ」との信号を受けたが、舵が故障しているし、西村艦隊の所属する第一遊撃部隊と南西方面艦隊に所属する第二遊撃部隊とは指揮系統が異なるので、西野艦長は「我舵故障中」とのみ報告して南下を続けた。
- 大破しながら後退していた最上、朝雲のうち、朝雲は艦首を失った事で速力がでず、最上にも追い抜かれ、5時20分頃追撃してきた米巡洋艦部隊に捕捉され攻撃を受ける。この砲撃により火災が発生したので艦長の柴山中佐は総員退艦を命じ内火艇数隻に移乗したが、その後追いついた2~30隻の米艦隊の砲撃で朝雲は沈み、内火艇も接近した米駆逐艦2隻により沈められてしまう。生き残った艦長以下少数の生存者は漂流するカッターを発見し乗り移り、なんとか島に上陸し、土民に捕らえられ米軍に引き渡され終戦後に帰国している。最上の方は砲術長の指揮のもと南下するが北上してきた志摩艦隊の那智と衝突してしまい、志摩艦隊から駆逐艦曙が護衛につくが夜明けと共に米軍機の空襲を受け8時30分に機関停止、やむなく曙に生存者移乗ののち、最上は曙の雷撃で処分された。
- レイテ沖海戦後の1944年12月、フィリピンに特攻兵器などを緊急輸送する空母雲龍の護衛任務に就いたが、雲龍は目的地にたどり着くことなく潜水艦の雷撃によって撃沈されてしまった。
- そんな彼女も1945年1月24日、日本からシンガポールへ向けてヒ87A船団の「さらわく丸」を護衛中、マレー半島東岸のシャム湾において、米潜水艦ブラックフィン(Blackfin:SS-322)の雷撃により被雷、ついに力尽きてしまう。
- そのためか能力値は平均的。
- さらわく丸は香港での空襲による至近弾や機銃掃射、ブラックフィンの近くにいた米潜水艦べスゴ(Besugo:SS-321)の魚雷の命中(不発)、昭南到着直前の触雷と満身創痍になりながらもなんとか昭南に到着したものの、門司行きのヒ88J船団参加中に触雷沈没。同船団には後に第26号海防艦が加わっており、ブラックフィンに損害を与えている*13。
- 時雨の戦没により、10隻いた白露型駆逐艦は全滅した*14。
- なおこの際生き延びていた場合、所属や錬度の高さなどから考えても坊ノ岬沖海戦に参加することになった可能性は高い。もしそれが実現していた場合(途中離脱やトラブルにより参加予定に留まった艦も含めるIFではあるが)特型以降の全タイプの駆逐艦が一同に会するという光景が見られたかもしれなかったのである。
- 霰、敷波らを沈めたSS-215「グロウラー」を撃沈している。
- 護衛任務中にグロウラーを含む狼群に遭遇して、部隊全体でグロウラーを撃沈したことまではほぼ確実だが、時雨がとどめを刺したかまでは確認されていない。*15
- 渾作戦においてB-25爆撃機4機の撃墜を報告した際、「B-25ノ超低空爆撃敢テ恐ルルニ足ラズト言フベシ」と25mm機銃に相当な高評価を与えた上で対空戦闘に対する自信を見せている。続くマリアナ沖海戦にて龍鳳の直衛に就き、自分を狙った爆撃を回避し、龍鳳に迫る雷撃機アヴェンジャーの雷撃も砲撃を以て阻止した後、自身に向けて投下された魚雷をも至近距離にて回避した事から、錬度に裏付けられた自信であった事が窺える。
- またその当時から米軍のレーダー射撃を高く評価し、重大な関心を寄せていると同時に「敵トノ真面目ナル交戦ヲ避ケ避退運動中ノ陣形ハ単縦陣ハ不可ナリ、今日単縦陣ナレガ故ニ敵ノ電探射撃ノ左右精度ヲ増加セル傾向アリ、梯陣等ガ適当ナルベシ」と提言し、レーダー全盛時代の戦術を模索している。ここまで強い関心を持っていたのはベラ湾夜戦にて米駆逐艦がレーダーを装備し、十分に活用していたのに対し、日本駆逐艦がレーダーを搭載しておらず、敵にまったく気付かぬまま攻撃を受け、結果僚艦全滅に至ったという経験からだと思われる。しかし、戦場で得られた所見を艦隊全体に共有する時間的余裕はなかったという。
- 関心が深かった故か、対抗策の考案だけでなく行われる電探射撃の技量も高かったとされる。この事は沈没間際の対潜戦闘中に発せられた『本艦電探射撃照明射撃施設完備相當ノ練度アリテ自信アリタリ』という記録から窺える。*16
- 第十七駆逐隊の面々、特に磯風・浜風はソロモン海での戦いやヒ78船団の護衛などで関わり深く、歴戦を共にした戦友とも呼べる存在だが、並び称された「雪風」とは、同じ艦隊に編成はされても諸々の事情で別行動する事が多く、戦場での関わりはほとんどなかった。互いに別々の場所で活躍があったからこそ『呉の雪風、佐世保の時雨』と並び称されたのだと思われる。
- 頼りになるキャラクター性からか、コミックや小説で
ちょっぴりだいぶ優遇されていたりする。- 「side:金剛」が単行本化するにあたって連載時に白だった下着が黒になるという、些細だが非常に重要な変更がなされている。
- 「水雷戦隊クロニクル」でも佐世保駆逐隊(時雨・白露・五月雨・涼風)の旗艦として登場(デザインはほぼ改二)。こちらは残念ながら霧島率いる特別艦隊との演習で敗退。
- 「鶴翼の絆」、「陽炎、抜錨します!」、「瑞の空、鳳の海」に登場。「陽炎、抜錨します!」においては佐世保鎮守府随一の腕利きと称され、出撃時には独自の判断で単騎突撃し、戦艦棲姫を撃沈させている。
- かつての僚艦であった雲龍と仲が良いのか雲龍改の時報で夕食としておにぎりと沢庵を差し入れしてたりする。また佐世保籍であったことからか武蔵改二の時報では佐世保バーガーに興味を示した彼女に実物を差し入れしており、これを食べた武蔵は大層お気に召したご様子。
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