涼月

Cached: 2024-10-07 02:08:30 Last-modified: 2024-09-27 (金) 13:20:01
No.332
私は…涼月は必ず、帰ります…皆さんのもとに。涼月(すずつき)秋月型 3番艦 駆逐艦
艦船ステータス(初期値/最大値)
耐久21火力16 / 47
装甲10 / 29雷装16 / 46
回避45 / 83対空70 / 102
搭載0対潜25 / 61
速力高速索敵8 / 27
射程27 / 67
最大消費量
燃料20弾薬25
装備
10cm連装高角砲+高射装置
13号対空電探
25mm三連装機銃
装備不可
改造チャート
涼月涼月改(Lv55)
図鑑説明
乙型駆逐艦、秋月型、その三番艦、涼月です。
艦隊防空のために生まれました。
何度か大きな損傷を受けましたが、最後の二水戦の一員として大和と共に出撃します。
満身創痍ではありますが、港に戻りました。ずっと…皆さんを護り続けたい……そう願っています。

※初期値はLvや改修の補正を除いた時の数値であり、最大値はLv99の時の最大値を指します。

CV:藤田咲、イラストレーター:しずまよしのり (クリックするとセリフ一覧が開きます)

CV:藤田咲、イラストレーター:しずまよしのり

定型ボイス一覧

イベントセリフ改装段階備考追加


 


追加
入手/ログイン秋月型防空駆逐艦「涼月」です。皆さんを……皆さんをいつまでもお護りできるよう、私……頑張ります。よろしくお願い致します!編集
母港*1編集
母港1詳細お呼びですか、提督。編集
母港2私…私はずっと、お守りします。編集
母港3…心配しないでください。私は…涼月は必ず、帰ります…皆さんのもとに。編集
ケッコンカッコカリ提督、お呼びですか。え?あ、この艦首?あ…はい、あの時の修理で…えっ、この左手ですか。こう、ですか。あの…あの、これは…!?この装備は!…提督。編集
ケッコン後母港提督、私が…私がずっとお守りしています。心配しないでください。ずっと…ずっと一緒にいます。安心して。編集
放置時提督、見てください!私が作った菜園のカボチャがあんなに大きく!煮つけにしてもいいですね。今晩の食卓、期待してくださいね。編集
編成出撃編集
編成提督、了解しました。お任せください。秋月型防空駆逐艦、涼月。出撃致します。編集
出撃第六十一駆逐隊涼月、抜錨致します。お初さん、遅れないで。参りましょう。編集
開戦・攻撃*2編集
戦闘1昼戦開始敵、発見。皆さん、ご用意を。合戦、準備!編集
戦闘2昼戦攻撃よろしいですか。撃ちます。編集
戦闘3夜戦開始涼月に続いてください。突撃…します!編集
戦闘4夜戦攻撃近づけるわけにはいかない…撃て!編集
戦闘時ステータス*3編集
小破きゃあっ!浸水を…防いで!編集
はあぁっ!か、艦首が…くっ…編集
中破/大破いやぁっ!艦首…いやだ、艦尾も。水を…必ず、戻ります。編集
轟沈これが…海に…沈むということ…これが、そうなのね。姉さん、お冬さん…。編集
戦闘終了*4編集
勝利MVP涼月が、皆さんをお守り出来たのなら、それは…それは少しだけ…私も、嬉しいこと…です!編集
旗艦大破はあぁっ!か、艦首が…くっ…編集
装備・改修*5編集
装備1改修/改造この装備、ありがたく使わせていただきます。編集
装備2厳しい戦局の中、これは…助かります!編集
装備3改修/改造/開発/バケツ/遠征/発見心配しないで。私、必ず…戻ります。編集
その他編集
帰投ご心配かけてごめんなさい!今、帰投しました!編集
補給給油…貴重な…!すみません、提督。編集
入渠(小破以下)申し訳ありません。入渠致します。編集
入渠(中破以上)この損傷は…修理に時間がかかりそう…申し訳ありません、提督!前線に早く、私!編集
建造完了新戦力を投入可能です。編集
戦績表示情報、涼月がお持ちします。こちらです。編集

各ボイス項目の詳しい説明はこちらをご覧ください


時報ボイス一覧

時刻セリフ改装段階備考追加


 


追加
00提督、午前0時となりました。本日は、この防空駆逐艦、涼月がお傍で務めさせていただきます。よろしくお願い致します、提督!×編集
01マルヒトマルマルとなりました。こんな感じで、よろしいでしょうか。よかった。ありがとうございます、提督。×編集
02マルフタマルマルとなりました。この時間は少し肌寒く感じますね。提督、肩掛けをご用意いたしましょうか。温かいお茶のほうがいいですか?×編集
03マルサンマルマルとなりました。提督、温かいお茶をご用意しました。私の菜園で作った、お芋を使ったお茶菓子も置きますね。よかったら。×編集
04マルヨンマルマルとなりました。もうすぐ朝!夜が明けますね。そう、明けない夜はない…。提督、涼月も頑張ります。×編集
05マルゴーマルマルとなりました。提督、少し早いですが、涼月、朝食の準備を始めておきますね。麦飯をといで…あと、カボチャをとってきて、と…×編集
06マルロクマルマルとなりました。艦隊、総員起こし!提督、おはようございます!×編集
07マルナナマルマルとなりました。提督、朝食はこちらに。今朝は麦飯とカボチャの煮っころがし、カボチャのお味噌汁です。さ、いただきましょう。×編集
08マルハチマルマルとなりました。提督、おかわりはもう大丈夫ですか。お味噌汁、まだありますよ。カボチャのお味噌汁、おいしいですよね。うふふ。×編集
09マルキュウマルマルとなりました。澄み切った空…気持ちいい…!提督、今朝は爽やかな朝ですね。さ、本日も艦隊運用、始めましょう。×編集
10ヒトマルマルマ…あ、お冬さん!おはようございます!第四十一駆逐隊、本日も頑張って参りましょう!はい!×編集
11ヒトヒトマルマルとなりました。はい、お冬さんとは、ずっとずっと一緒に、皆さんを守ってきました。涼月の…私の大切な、妹…そして、仲間…です。×編集
12ヒトフタマルマルとなりました。提督、少し手を止めてお昼にいたしましょう。今日はふかし芋をご用意しました。意外とおいしいですよ。はい、どうぞ。お茶もご用意しますね。×編集
13ヒトサンマルマルとなりました。あ、はい、お冬さん、また後で、ね。提督、午後の艦隊運用を始めましょう。艦隊の状況を確認しますね。×編集
14ヒトヨンマ…あ、阿賀野さん!十戦隊の皆さん、お疲れ様です!能代さんですか?すみません、今日はまだお会いしてま…あ、はい、了解です。×編集
15あ!秋月姉さん、お初さん、お疲れ様です!はい、涼月も頑張っています。お初さん、お腹すいてませんか。もしよかったら、ふかし芋がまだ少しあります。秋月姉さんもどうですか。時刻はちょうどヒトゴーマルマルマルとなりました。×編集
16ヒトロクマルマルとなりました。お初さん、元気が出てよかった。頑張ってね!私も頑張ります!×編集
17ヒトナナマルマルとなりました。提督、晴れた日の夕日、本当にきれいですね。悲しく…綺麗。×編集
18ヒトハチマルマルとなりました。そろそろお夕食の支度をしますね。あまり材料が、ないのですが。×編集
19ヒトキュウマルマルとなりました。提督、お夕食をこちらに。カボチャの煮っころがしとゴボウのお味噌汁、あとお芋の炒め物です!召し上がってください!×編集
20フタマルマルマルとなりました。煮っころがし、お口に合いましたか。よかった。お醤油とお酒とお砂糖の塩梅、後、落とし蓋の扱いがポイントなんです。本当は、味醂もあるといいのですが…×編集
21フタヒトマルマ…あ、お冬さん!こんばんは。お疲れ様です!提督と一緒にお茶、どうですか?×編集
22フタフタマルマルとなりました。提督、お冬さん、今日も一日、お疲れさまでした!ふぅ…うふふふ。×編集
23フタサンマルマルとなりました。提督、少しだけでもお休みください。灯りを少し、消しますね。×編集


季節ボイス一覧


イベントセリフ改装段階備考追加


 


追加
桃の節句編集
春の訪れ編集
ホワイトデー提督……こちらを? わぁ……ありがとうございます! 大事に、大事に頂きますねっ! 嬉しいっ、です。あ、あの。お冬さん、にも? ぁは、良かったぁ。編集
春……了解です。大和さん、矢矧さん、お冬さん。涼月も参ります。……皆さんで、戻りましょう。必ず。編集
春本番編集
梅雨編集
初夏お冬さん。もうすぐ、また夏が来ますね。え? ……あ。水着ですか? えそっち? え?編集
編集
盛夏編集
夏祭り編集
寒くなってきましたね。もうすぐ、お冬さんの季節。うふふっ、私、冬も好きなんですよ。ね、お冬さん。編集
秋刀魚編集
晩秋編集
ハロウィン編集
秋のワイン編集
編集
師走編集
クリスマス提督。メリークリスマス! 材料さえあれば、もっといろいろ試してみたいのですけど。でも、工夫して作ってみました。お芋ケーキです! お冬さんにも取っておきたいけど……是非、召し上がってください♪編集
年末秋月姉さん! 鎮守府、大掃除ですね! 四十一駆、了解しました! お冬さんは……あれ、いない?編集
新年提督、お冬さん。 新年明けまして、おめでとうございます! 本年も、艦隊と四十一駆。どうぞよろしくお願い申し上げます! うふふっ♪編集
節分今年の二水戦の鬼役は、矢矧さん? あ、お冬さん、そんなに? あの、矢矧さん? あああごめんなさい! お冬さん、逃げてっ!編集
バレンタインうふふっ!涼月特製、かぼちゃ入りチョコ! 提督と、……お冬さん用も作っちゃった! 少し、自信作です!編集

二周年記念編集
三周年記念編集
四周年記念編集
五周年記念提督、艦隊、五周年。おめでとうございますっ! 四十一駆を代表して、お祝い、申し上げます。お冬さん、提督。本当に嬉しいです……ねっ♪編集
六周年記念提督。艦隊六周年。おめでとうございます! 四十一駆、涼月、冬月。共にお祝い、申し上げます。提督、お冬さん、本当に嬉しいです……ねっ♪編集
七周年記念提督。艦隊、七周年。おめでとうございます! 四十一駆、涼月。共にお祝い、申し上げます。提督、本当に嬉しいですね。感謝です。編集
八周年記念提督。遂に、八周年を迎えることができました。 四十一駆、涼月、冬月。共にお祝い、申し上げます。提督、お冬さん、全ての皆さんに、感謝……ですね。編集


ゲームにおいて

  • 2017年11月19日、2017年 秋イベント『捷号決戦!邀撃、レイテ沖海戦(前篇)』にて実装。
    • イラストと担当声優は2017年9月17日に開催された「第肆回『艦これ』観艦式」にて発表済みで、秋イベにて実装されることも告知されていた。
      前例もあるとはいえ、実装前にこれらが公表されるのは非常に珍しい。
    • 改装レベルは、Warspite大和神鷹に次ぐ55夕立改二にできるレベルと同じであるほど非常に高いが、秋月型故に十分な防空力を発揮してくれるだろう。
    • 何気に未改造で13号対空電探を持参する初めての艦である。
    • と間違えて誤解体してしまったという報告が挙がっている。注意されたし。(後に実装時のイベントでも出現海域が異なるものの涼月がドロップした。)
    • 長らく秋月型姉妹の中でなぜか唯一10cm連装高角砲+高射装置の改修ができなかったが、2018年10月26日のアップデートにてようやく改修ができるようになった。ついでに94式高射装置の改修担当も兼任している。これで「実は不器用?」疑惑が解消された

キャラクター設定について

  • 排水量のせいか比較的大人びたデザインの秋月型姉妹だが、その中でも特に姉属性が強い。妹のことは「お初さん」「お冬さん」と呼んでいる(それぞれ初月、冬月と思われる)。改の時報では姉のことを「秋月姉さん」と呼んでいることも分かる。
  • 長10cm砲ちゃんの目がしいたけである。[◇_◇]
  • 灰色のケープコートを羽織っている。イラストレーター曰く、コンクリート色をイメージしているようだ。(参照)
  • 長女曰く、「自慢の妹」である。
    後述するように涼月と秋月はその生涯ですれ違いを繰り返しており、一緒にいたのは涼月がトラック在泊時に、秋月が修理を終えて戻ってきた1943年12月1日から、12日に涼月、初月瑞鶴筑摩を護衛して本土に戻った11日間ぐらい。
    翌年8月3日に損傷修理を終えて涼月が訓練している間、秋月が硫黄島への輸送任務を終えて内地に戻り、レイテ沖海戦で出撃する10月19日までの間整備や訓練に勤しんでいた2か月ほどは同じ瀬戸内海にはいた。
    その間秋月は佐世保に行ったり尾道に行ったりしていて一緒に行動していた訳ではない。
  • 演じた藤田咲氏によれば「儚くも凛とした強さをもってますが、私の中で、支えてくれる人々を誰よりも愛してる、慈愛に満ちた娘なんですよ!なので、任務のときとオフのときに差があるように演じてます。」との事。気にしてボイスを聞いてあげると良いかもしれない。
  • 季節ボイスや改造後の時報でことあるごとにまるでそこにいるかのように冬月に話しかけるものが多いが冬月は未実装、という状態が長らく続いていたが、2022年3月にようやく冬月実装となった。よかったね。
  • 流れるような銀髪。実は中国では銀髪・白髪娘は格別に好かれるらしく、涼月も大人気のモヨウ。

期間限定グラフィック

  • 2018年8月17日に、艦これ第二期スタート記念を兼ねた期間限定グラフィック【水着mode】が実装された。
    • 同年の公式カレンダーで着ているものに似た、シースルーのショートパレオ付き水着の上からグレーのコートを羽織っている。
      本人は楽しげな表情だが、傍らの長10cm砲ちゃんはいつもより眼光(?)が鋭いような…。
    • イラスト担当のしずま氏曰く、透けているのは「平常運行」とのこと。
    限定イラスト:水着mode

    限定イラスト:水着mode
    お冬さん。もうすぐ、また夏が来ますね。

小ネタ

就役、そして激戦地へ

  • 秋月型駆逐艦の3番艦。建造は三菱長崎造船所ですぐ上の姉の照月と一緒。だが4か月ほど早く誕生した姉は涼月竣工の2週間ほど前にソロモン方面で沈んでしまい、二人が共に戦う機会はなかった。
    またすぐ下の妹で、この後共に行動する事になる 初月(舞鶴海軍工廠で建造)とは竣工日が1942年12月29日と一緒で、双子のような関係であった。
    • 名前は「涼やかに澄みわたった秋の月」から。
      ニスイの「月」との表記も見られるが、公式の艦名としてはあくまでサンズイの「月」である。
    • 長崎造船所では戦艦武蔵を第二船台で建造、1940年11月1日に進水式を無事に済ませた。そして空いた第二船台では秋月型駆逐艦を一度に2隻ずつ建造する事になり、早くも13日から1隻目の建造が始まった。これが照月で4か月遅れで涼月も起工する。2隻は武蔵が作られた船台で2隻ならんで建造された訳である。因みにお隣では豪華客船を目指すヒャッハーさんが建造中だった。
      • 因みに照月の進水後は妹の新月が、涼月の進水後は61駆で行動を共にする若月が建造されている。
  • 完成した涼月は1943年1月15日に初月と共に第61駆逐隊に編入される。先に竣工していた長姉秋月と照月で前年10月7日に編成された防空戦闘専門の駆逐隊だが、ソロモン方面の激闘に秋月、照月とも引っ張りだこで、照月が沈むまで遂に一度も2隻揃った事がなかった。そして涼月らが編入された時も秋月は未だソロモン方面で活動中*6であり、涼月・初月も3月まで慣熟訓練をしていたので、3隻が揃って行動するのは未だ先であった。
    • 編入翌日の1月16日、潮岬沖で涼月は浮上航行中の米潜水艦「ハドック」と遭遇し、初月と共に爆雷攻撃を実施、これが2隻の初実戦となった(ハドックは脱出に成功)。
  • 3月22日、訓練を経て涼月は初月、陽炎らと第二航空戦隊(飛鷹隼鷹)を護衛して出撃し、27日にトラック諸島に到着する。しかし姉の秋月は1月19日にブーゲンビル島沖で米潜水艦の雷撃で大破、応急修理を経て内地へ帰還中に寄港先のサイパンで損傷個所が悪化、船体が6度の傾斜で折れた状態となってしまう。そのためこの時点では同地で応急修理中であり、またも合流する事は叶わなかった。
  • そんな姉に替わり第61駆逐隊の司令駆逐艦となった涼月は4月以降同方面の輸送任務の護衛を務める。5月には戦死した山本五十六連合艦隊司令長官の遺骨を内地に運ぶ任務を帯びた、同じドック生まれの戦艦武蔵の護衛を務める。6月には第十戦隊旗艦も務めている。
  • 11月10日、トラック諸島南南西およそ210kmの洋上で第2082船団*7が米潜「スキャンプ(SS-277)」の雷撃を受け、特設運送船「東京丸」が被雷し行動不能となった。救援に涼月、初月が派遣され、現場に到達すると移動式排水ポンプを東京丸に貸し出したが排水が追いつかず、東京丸は12日になって右舷への傾斜が増して沈没する。涼月は救難作業のために残っていた乗員18名を収容した。
  • 12月1日、修理を終えた秋月がトラック諸島に到達。漸く涼月、初月は長姉と出会うことが出来た。6月には妹の若月(未実装)も合流していたので、漸く第61駆逐隊は本来の4隻体制となる。だが7日には内地に帰還する瑞鶴筑摩の護衛に涼月と初月がついたため、僅かの間の出会いであった。

二度の艦首切断

  • 内地に帰還した際、第61駆逐隊司令が大江大佐から泊満義大佐に変わり、新司令を迎えた涼月は整備も終え、ウェーク島への陸軍兵力を輸送する赤城丸の護衛につく。2回予定された輸送任務のうち1回目を無事にこなした涼月は、 1月10日附で艦長が赤澤次壽雄大佐*8から瀬尾昇中佐*9に替わる。
  • 1944年1月16日、第2回ウェーク島輸送に赤城丸*10の護衛として参加した際、高知・沖ノ島西方で米潜水艦スタージョンの雷撃を受け2本が命中。悪いことに弾火薬庫へ引火した。
    • 初月が「涼月爆発轟沈」と誤認したほどの凄まじい大爆発によって、一瞬にして艦首から二番砲塔~艦橋間の61番フレームまでの部分と、艦尾から第四砲塔後部の166番フレームあたりまでを切断亡失し、さらに大爆発で艦橋も原型を留めないまでに大破。
      艦橋から後部砲塔群までの中央部分だけが辛うじて浮いているという、乗員をして「まるでダルマ」「何もない」と言わしめた、変わり果てた姿となってしまった。
    • 初月は周りで潜水艦を制圧しながら「涼月ガンバレ、大丈夫カ、涼月ガンバレ」と手旗信号で呼びかけ、励まし続けた。
      また入港した際には涼月乗員たちのために心づくしの握り飯と味噌汁を用意し、彼らを涙させた。
  • 艦橋にいた第61駆逐隊司令泊満義大佐や艦長の瀬尾昇中佐他機関長、水雷長、砲術長、航海長など幹部のほとんどが戦死、通常ならまず最先任将校にはならない機関特務中尉*11が指揮を執る事態となった。
    最終的に乗員の半数以上の206名、さらに便乗中の陸軍兵89名が死亡するという大惨事であった。
    • なお、第61駆逐隊の隊司令は解隊までの間に4名が職を務めているのだが、その4名とも在任中やその後の配属先で戦死されている。また、3代目の泊大佐以外はレイテ沖海戦での戦死である。
      ・初代:則満宰次大佐(1943年10月7日~) 重巡洋艦筑摩艦長として沈没時に戦死
      ・二代:大江覧治大佐(1943年2月3日~) 重巡洋艦摩耶艦長として沈没時に戦死
      ・三代:泊満義大佐(1943年12月12日~) 1944年1月16日涼月被雷時に戦死
      ・四代:天野重隆大佐(1944年3月20日~) エンガノ岬沖海戦で初月沈没時に戦死
  • 輸送作戦は直ちに中止となり、生き残った涼月の中央部は初月に曳航され、なんとか宿毛湾に避難する。
    その後電纜敷設船や漁船の助けも借りつつ呉に入港した。
    福井静夫中尉をはじめ造船士官や工員たちはその姿を見て一様に絶句、「なんで沈まなかったのか不思議」が一致した感想だったという。
    • 右舷側の乾舷は海面からわずか60センチしかなく、浸水区画多数のため船体の安定性もほぼゼロ、わずかな荒天でも転覆沈没が危ぶまれる状態であった。
      前部砲塔は辛うじて存在こそしているものの、一番砲塔砲身が衝撃で最大仰角に跳ね上がったままというほどの爆発がもろに内部を吹き抜けていた。生存者はおろか、満足な遺体収容すら不可能だった。
      あまりにひどい損傷のため、廃艦として解体し装備品を新造艦へ流用することすら検討された。だが調査の結果、驚くべきことに船体残存部分はなお健全で、機関部や主砲も十分修復可能であった。
      特に第1缶室の隔壁が設計通りの強度を示したため致命的な浸水に至らず、沈没を免れたとか。秋月型の設計の尋常ならざる強靭さを実証するエピソードでもある*12
    • 復帰可能との結果を受け、ただちに修復工事が開始された。船体の半分近くを失った状態だったが、損失部を新造して接合するという半年にわたる大規模な工事により、涼月はなんとか生まれ変わった。
      この際、艦首は戦時量産秋月型である冬月型と同様の、設計を簡易化した直線型のものが取り付けられた。
      さらに艦橋も直線的な形状になったが、実はこのやたら角ばった艦橋、秋月型・冬月型・満月型のどれとも一致しない。
      一説には未成に終わった最末期型、清月型の設計流用とも言われるが定かではない。これによって涼月は姉妹のどの艦とも違う特徴的な姿を有するようになった。
    • なお輸送任務の方は更に輸送船2隻(靖国丸、愛国丸)と駆逐艦白露満潮を加えた7隻で再開され、靖国丸を失うもトラック諸島までたどり着く。しかし米軍の侵攻でこれ以上ウェーク島に近づくのは危険と判断され物資要員を陸揚げし中止となる。赤城丸はその後本土引揚げの日本人を乗せて香取舞風野分の護衛を受けてトラック諸島を出るが、直後に始まったトラック空襲で撃沈され、護衛の香取、舞風も先行していたIowaら水上部隊に捕捉され撃沈されるという悲劇に見舞われている。
  • この損害により涼月は6月に発生したマリアナ沖海戦に参加する事は出来なかった。
    7月10日に再竣役後、瀬戸内海で訓練を行い、10月16日に若月と共に台湾へ第三航空戦隊の基地物品の輸送任務の際、さらなる試練が訪れた。
    • 折悪しく当時は台湾沖航空戦の真っ最中で、さらに計画では一番危険な豊後水道を荒天下、夜間に通過しなければならない。
      61駆は計画の無謀さに憤怒し艦隊司令部へ猛抗議したが、この輸送命令が覆ることはなかった。
    • 案の定と言うか10月16日、宮崎県都井岬沖で米潜水艦ベスゴの雷撃を受け2発が命中。艦橋直下付近の1本は不発だったが、もう1本がまたもや艦首に炸裂。
      新造したばかりの艦首の舳先から一番砲塔のすぐ前までの部分が無残にもぎ取られ、復帰後初の任務でドックへ逆戻りする羽目になった。
      涼月たちは逆探でベスゴの存在を発見していたものの、事前の懸念どおり悪天候で雷跡の発見が遅れたのである。
      また「これほどの悪天候なら雷撃も出来まい」という油断があったともいうが、ベスゴのレーダー雷撃は「感心するほど正確だった」という。
      • この修理で取り付けられた3代目艦首は幸いその後亡失することもなく、最終時そして戦後軍艦防波堤となってもそのままであった。
        ちなみに、未だ地上に顔を出していた頃の軍艦防波堤の古写真を見ると、この3代目艦首、かなり特徴的である。
        一緒に写る冬月の艦首のフェアリーダーは通常の駆逐艦型であるのに対し、涼月の艦首はそれすら省略され、なんとボラード(繋船柱)を2個溶接してその代用としてあるのである。
        「機能しさえすればいい」と部分的造形すら捨てて突貫修理が行われた跡であり、当時防空駆逐艦の戦力復帰がいかに待望され、急がれたか、如実に現れている。
    • なお、涼月が入渠している隣のドックでは、妹で後に僚艦となる冬月も同様に艦首をもがれて寝込んでいた。
      • 冬月も少し前の10月12日に霜月(未実装)と共に大淀を護衛して航行中に遠州灘で被雷し、艦首を折損するという被害を被ってドック入りしていた。その損傷具合は涼月と全く同じだったという。
    • 駆逐艦にとって一発轟沈でもおかしくない深手を2度も負いつつ、その度ごとに不死鳥のごとく甦った涼月。
      この頃から乗員たちの間では「本艦は決して沈まない」「涼月は不沈艦である」という噂が、誰言うともなしに囁かれるようになったという。
  • 涼月の不運はこれだけではなかった。期しくもこの日、米軍の大部隊がレイテ島に来襲し、湾口にあるスルアン島が占領され、これを機に所謂「レイテ沖海戦」が発生する。この海戦に艦首を失って修理中の涼月は参戦する事が出来ず、マリアナ沖海戦同様決戦に参加できずドックで過ごす羽目になってしまう。そしてこれが第61駆逐隊の姉妹達との最後の別れとなった。
    • この海戦で、第61駆逐隊は栗田艦隊に加わっていた第10戦隊とは別れ、本来の任務である空母機動部隊の防空任務のため小沢艦隊に所属、冬月の損傷で1隻だけとなっていた第41駆逐隊の妹、霜月を加えて第二駆逐連隊を臨時に編成した。10月25日、来襲した米艦載機と交戦する中、まず秋月が突如爆発し程なくして沈没*13、そして夕刻には竣工以来共に行動した初月が僚艦の漂流者を若月らと救助中に追撃してきた米巡洋艦部隊に捕捉されてしまい、仲間を救うためにこれを食い止めるべく単艦で立ち向かい、2時間もの間これを足止めするのに成功し自身は戦没。初月に助けられた若月も、涼月に再会する*14ことなく、続く11月11日の第三次多号作戦にて島風らと共に戦没。これにより涼月は同僚の姉妹を全て失い、隊自体も11月15日に解隊となってしまった。
      同日付で第三艦隊(第一機動艦隊)も解隊され、秋月型が守るべき空母機動部隊は消滅*15。空母機動部隊護衛のための駆逐艦部隊だった第十戦隊も、任務を失い同日解隊となった。

坊の岬海戦での死闘

  • 残された涼月は修理を終え、11月15日、9月に開隊されたばかりの、秋月型によって構成されたもう一つの駆逐隊である「第41駆逐隊」に編入される。
    • 開隊当初は妹の冬月、霜月(未実装)の2隻編成だったが、冬月が涼月と同様レイテ沖海戦前に被雷して戦線離脱していたので、海戦には霜月単独で参加し生還していた。
      しかし涼月編入の少し前に第31戦隊に異動し旗艦となったが、それから間もない11月25日に戦没。この時点で冬月1隻だけの駆逐隊となっていた。
  • こうして涼月は冬月と隊を構成し、第十戦隊の解隊により第二水雷戦隊に異動となる。11月21日にマニラに向かう空母隼鷹を護衛、その帰路には戦艦榛名も加わるが、12月9日に隼鷹が被雷する。
    その後は守るべき空母もなく瀬戸内海で訓練に明け暮れていたが、1945年3月末に米軍が沖縄に侵攻。沖縄戦が開始されるとともに、天一号作戦が発動した。
    これを受けて戦艦大和以下の残存艦艇による突入作戦が決定、涼月の第41駆逐隊もこれに参加する事になる。
    涼月は磯風や冬月たちと同様、煙突に菊水の紋を描き込んで坊ノ岬沖海戦に臨んだ。
    • 4月7日、戦闘は苛烈を極めた。涼月の全火砲は敵機群へ間断なく火を吐き、秋月型の対空戦闘力を見せつけるかのように奮戦した。
      涼月の左舷800m辺りで戦闘していた浜風は敵弾を受け、航行不能ののち火柱とともに真っ二つに切断。涼月が通過した時には、既に沈んでしまっていた。
    • この戦闘の途中、涼月は魚雷を「撃沈」している。他の艦に向けて投下されたものが向かってきたものと思われる。
      ハリネズミのように配置された機銃はこれを狙って猛射を浴びせ、見事沈めることに成功した。
    • だが第一波の空襲が終わりに近づいたその時、涼月にも敵機2機が襲いかかる。艦爆から投下された150キロ爆弾が艦橋直前に命中、上甲板を貫通し艦内で炸裂した。
      この一撃は甚大な被害をもたらした。第1・第2主砲塔は大破して電源も途絶、通信も不能となり火災で海図全焼、ジャイロコンパスも故障。船として失明・失聴も同然となった。また外板は大きく吹き飛んで巨大な破孔が空き、構造材が肋骨のごとく剥き出しとなり、さらには火炎が艦橋直下の重油タンクに引火、大火災が発生した。
      おまけに舵もテレグラフも壊れ、右旋回のまま迷走。同じく舵故障で迷走中の大和へ突進しあわや激突寸前、距離わずか50メートルでギリギリ回避している。
      • 大破した涼月はそれでも残余の機銃と砲を狂ったように撃ちまくった。そのさなか、機銃員たちが命令無くして引き金から手を離し、一斉に立ち上がった。
        中央部機銃群指揮官の掌砲長・黒仁田茂兵曹長は「こらーッ、なんしょっとかーッ!」と思わずお国訛りで怒鳴りつけかけて、ハッと気づいた。
        傷つき果てた大和が、今まさに横転しようとしていた。彼らは、沈みゆく大和へ挙手の敬礼を捧げていたのだった。間もなく、横転した大和は大爆発、高度3000メートルに達する大爆煙とともにその身を水上から消した。
    • 大和沈没後*16、臨時の艦隊旗艦(第41駆逐隊司令・吉田正義大佐が指揮)となった冬月では「沖縄に突入しよう」と尚も沖縄突入を諦めなかった雪風の寺内正道艦長の上申を却下し、作戦中止を決断した。一方涼月でも通信不能のためこの命令は受信できなかったものの、もはや戦闘不可能であることから単艦帰還を決断した。
    • この時、初霜はあさっての方角へよろめき動く涼月を発見し、後ろについて正しい針路を示し手助けしている。だがこの目撃証言を最後に、涼月の消息はぷっつりと途絶えた。
      • 冬月から指揮権を引き継いだ初霜の二水戦司令部は、冬月に対し「涼月ヲ護衛シ至急佐世保ニ回航セヨ」と命令。同時に「状況ニ依リテハ涼月ヲ処分シテ差支ナシ」とも指示があったが、その肝心の涼月の行方は杳として知れなかった。
        冬月通信室では敵に位置を探知される危険を顧みず「ワレ冬月、涼月何処二アリヤ」と繰り返し打電し続けたが反応はなく、やむなく一縷の望みを託して周辺各部隊へ片っ端から涼月の援護を要請している。
    • 一方涼月では、炎と海水との死闘が繰り広げられていた。前部大浸水のため前のめりに10度も傾き、舷側は水面からわずか数十センチ、前進すれば沈没必至であった。試行錯誤の末に後進でなら航行できることが分かり、9ノットの微速で後進する事が決まった。そして少しでも前部浮力を保つため乗員総がかりで前部弾薬庫の砲弾を捨て、捨てれない重量物は後部へ移し、同時進行で排水作業と隔壁の補強も行った。だが亀裂の入った重油タンクからは油が漏れ続けており、消火してもまたすぐ燃え出すという状況が続いていた。
      • 生還した乗員いわく、いわば「落武者が松明を掲げたような」「カチカチ山」の状態、しかも低速後進で回避も何もできない。この為乗員たちは敵潜水艦の襲撃を何よりも恐れた。そして日付が変わった4月8日午前1時頃、案の定見逃されなかったらしく米潜水艦からの雷撃を受けてしまう。だが幸いにも接近してきた3本の魚雷はすべて外れ艦スレスレに通過していった*17
  • 夜を徹しての必死の消火活動の末なんとか消火に成功する。朝になって海上に待望の島影が見えた際には「九州西岸漁師出身者、後甲板」との珍命令が出され、やってきた一等水兵が島影を断定する事で艦の位置を把握する。なお一等水兵はそのまま指揮所壇上に祭り上げられたという。
    • さらに索敵中の指宿航空隊の水偵が涼月を発見。次いで漁船改造の特設掃海艇が涼月のもとに駆けつけ、手旗信号で「ワレ貴艦ノ側方ヲ護衛ス」と呼びかけてきた。乗員たちは小さな小さな漁船の健気な申し出に微苦笑するとともに、「これで助かった」と安堵し、大きく勇気づけられたという。
  • 悪戦苦闘一昼夜を経て、漁船の護衛?を受け続けた涼月はよろめくように佐世保軍港へとたどり着いた。先に帰着して心配し続けていた冬月、雪風、初霜は一斉に祝福の汽笛を吹き鳴らし、乗員たちは上甲板に駆け上がって大歓声をあげた。佐世保海軍工廠もまたサイレンを鳴らして奇跡の帰還を祝った。
    涼月の上甲板にも手空きの乗員たちが整列、軍歌『艦船勤務』を大合唱してこの歓呼の声に応えた。
    • しかし既に涼月は限界だった。武蔵用に造られた大ドック*18に入ろうと前進をかけた途端、急速に喫水が深くなりだした。
      急遽タグボート3隻が全速で駆けつけ、抱え込むようにドックへ引きずり込んだ。だが涼月はドックの排水完了まで持ちこたえることが出来ず、そのまま崩れ落ちるようにドック内で着底してしまった。
      砲術長・倉橋友二郎大尉*19は後年、吉田俊雄の取材に対し、目を潤ませながらこう語ったという。

      感動しました。われわれも頑張ったが、フネも頑張ってくれたんです。フネも生きているんです。われわれの仲間なんです。

      われわれ駆逐艦乗りにとって、フネと人は一体なんです。

      やったなあ、涼月。すごかったぞ。

      水が掻い出されたあと、私は、ドックの底に降りていって、フネの横腹を手で叩きました。

      下士官が四、五人、同じようなことをやっていました。きっと、私と同じことを言っていたのでしょう……

  • また、前述の冬月通信士・鹿士中尉もこう回想している。

    それはマラソン選手のゴールインに似ていました。まさに涼月は死力を尽くして戦ったのです。

    周りの士官たちも、目を赤くしてましてねえ……

  • やがて排水が終わり、艦内各部へ損傷状態の調査が入る中、内部から固く閉ざされた一室が前方区画、弾薬通路付近で発見された。その区画は厳重に補強されて水密が完全に保たれており、中には3名の遺体があった。2名は酸欠死、もう1名は短刀を使った自決であった。
    • 後の調査でこの区画が密閉され浮力を確保していたからこそ、破壊された涼月の前部はなんとか浮いていられたのであり、ここが浸水していたら前部は浮力を保てず艦首から沈んでいた可能性が高かった事が判明している。
      「いかなる堅艦快艇も 人の力によりてこそ その精鋭を保ちつつ 強敵風波にあたり得れ」「水漬く屍と潔く いのちを君に捧げんの こころ誰かは劣るべき つとめは重し身は軽し」
      3名は上甲板で皆が合唱した『艦船勤務』の歌詞そのままに、自ら退路を断ち切って涼月と仲間たちを守り抜いていたのだった。
    • こういった乗員たちの決死の貢献はこれだけではなかった。被弾時に発生した火災は機関室まで及び、3つの機関室のうち2つが滅茶苦茶に破壊され残り1つも火炎と海水が押し寄せたが、応急員の決死の努力で缶の爆発と浸水の悪化を防ぐことに成功した。しかしその応急員は角材を隔壁に押し当てた状態で黒焦げとなって発見された。浸水した水測室では水中探信儀配置の兵が戦闘配置の状態でハンドルに手をかけたまま事切れているのが見つかっている。
      この戦闘で涼月は57名の戦死者と34名の負傷者を出した。こういった文字通り生命をかけた乗員の奮闘が、涼月を奇跡的に故国へ生還させたのである。
  • 黒井緑作の短編漫画作品集『ユトランド沖海戦』に収録された「涼月戦記」において坊ノ岬沖海戦での涼月の戦いが描かれている。

終戦、そして防波堤へ

  • 帰還は果たしたものの、日本には一駆逐艦を修理する余裕すらすでに無く、そして修理できたとしても動くための燃料も彼女が守るべき艦隊ももはや存在しなかった。そのため巨大な破孔は補強しただけで塞がれず、繋留中沈まない程度の最低限の応急修理が施され前部の1・2番砲塔や機銃群も撤去された。
    • 痛々しい姿のまま佐世保西部の相浦に係留され防空砲台として使用され、7月には第四予備艦に指定された。かつて500名近くいた乗員は100名まで削減され機関も火を落とし、電力は陸上からの給電で賄い乗員たちは農耕隊と漁労隊に分かれ畑作りや借りた漁船での漁など、自給自足でほそぼそと暮らしていたという。それでも来襲した敵機へ果敢に応戦し、P-51戦闘機1機を撃墜している。
  • 終戦後、彼女は損傷があまりに激しいため修復を断念され1945年11月20日除籍となる。そのままの状態で置かれた彼女は1948年4月から5月にかけて上部構造物を解体撤去が行われ、福岡県若松港の防波堤として使われる事になった。妹の冬月、練習船になっていた桃型駆逐艦柳とともに土砂や岩石を詰め込まれ、さらにコンクリートで周囲を固められ沈設、その波乱の生涯を終えた。
    • 戦後復興が進み余裕が出てくると、彼女たちは往年の駆逐艦の面影を偲ぶ観光名所として、また絶好の釣り場所として人気者になった。艦内の大半は土砂に埋まっているとはいえ、艦首楼の兵員居住区などはかつての姿を留め、各室のネームプレートなどもそのままだったという。しかし金属泥棒が後を絶たず、また年月の経過とともに船体の腐食劣化も進み、台風被害なども加わって急速に崩壊が進んでいった。
    • 1961年、補強工事が行われ彼女たちの姿はコンクリートで完全に覆われた。現在は柳の船体だけが僅かに顔を出し、軍艦防波堤であることを示している。涼月と冬月は、もはや永遠に沈まない本当の不沈艦として、今もなおコンクリートの下で頭を寄せ合い静かに眠りについている。
      • 軍艦防波堤を望む高塔山の中腹には、昭和51年、冬月、涼月、柳の戦没者合同慰霊碑が建立された。そこにはこのように刻まれている。
        「今日の日本の平和と繁栄はあなた方の尊い犠牲の上に築かれたものでありまして 私達は決して忘れはいたしません
         又あなた方と生死を共に戦った三艦は奇跡の生還を果たして当港の防波堤となり 戦後の復興に大きな貢献をしております
         そしてあなた方の魂と共に永くその使命を完うすることでありましょう  御霊よ安らかに」
  • 呉の長迫公園に建立されている「巡洋艦阿賀野慰霊碑」には、彼女が旗艦を務めた第十戦隊の編成表が刻まれ、慰霊碑を守るように囲む欄干にも所属駆逐艦16隻の名が刻まれており、その中には涼月の名もある。
    その16隻とは第4第16第17、そして第61であり、実は涼月の実装でこのメンバーが勢揃いしている。四水戦のポーズ」よりも先に「十戦隊のポーズ」が完成してしまった…
  • 涼月は姉妹艦12隻の中で、最も長命でかつ3度の大損害から生還するという幸運に恵まれた艦だった。一方でマリアナ沖海戦、レイテ沖海戦という戦争後半の大海戦に参加できず、本格的な海戦参加は坊ノ岬沖海戦で、そこで大破し奇跡の生還を遂げたがそのまま終戦を迎えるなど、武勲には恵まれなかった。
    その名は戦後は2代目あきづき型護衛艦で再度使用されており、初代と同様3番艦(DD-117)、かつ、姉は「あきづき」(DD-115)「てるづき」(DD-116)、そして妹は「ふゆづき」(DD-118)である。ニックネームは「Sailor Moon*20
    • 2016年7月10日~2017年1月12日の派遣海賊対処行動第25次水上部隊にDD-105いなづまと共にソマリア沖で活躍した。
  • 『軍艦防波堤へ―駆逐艦凉月と僕の昭和二〇年四月』*21という小説がある。著者澤章氏は最後の艦長・平山敏夫中佐の外孫(一人娘の子)である。

この艦娘についてのコメント

  • E2-3乙で二回連続来たときは、驚いた -- 2023-04-19 (水) 22:05:00
  • E1-2乙...出てくれ!もう燃料と弾薬がないんだ!!! -- 2023-08-19 (土) 20:58:25
  • E1-2丁Sマスで一体何回周回しただろうか…やっとの思いでゲット出来ました… -- 2023-08-21 (月) 23:32:22
    • まだ第22号はドロップしてないけど、涼月は2隻出た。高角砲が優秀だから何隻来てくれてもいい。 -- 2023-08-24 (木) 12:38:15
  • E2-3ってどこだよ~?E2-2のWマスじゃなくて?(新人提督です) -- 2023-08-23 (水) 16:30:39
    • とりあえず書き込みの日付を見てみるといいよ -- 2023-08-23 (水) 16:58:45
  • 来ない…あまりにも -- 2023-08-29 (火) 04:22:04
  • E1-2丁 Sマスで邂逅できました。当鎮守府へようこそ。 -- 2023-09-10 (日) 11:24:23
    • ああ…また鎮守府が一つ死んだ。行こう、ここもじきカボチャ畑に沈む -- 2023-09-10 (日) 11:29:53
      • ユパ様!! -- 2023-09-10 (日) 16:41:24
  • 海自の護衛艦すずつきカレーがアマゾンで発売されてた(但し単品ではなく、江田島海軍カレーや呉海軍肉じゃがカレーなどの6種類のセット品としてだけど、ちなみに価格は税込み3900円)。以前食べた時、すごく美味しかったから超おすすめ。掘りで疲れてる人もすずつきカレーを食べてリラックスしてみてはいかがでしょうか? -- 2023-09-19 (火) 04:03:55
    • カボチャ入れて食べたいんだけど合いそうだった? -- 2023-09-19 (火) 06:51:18
      • たぶん行けると思います。すずつきカレー、前に食べたのが2年位前だったので、美味しかったのは覚えてるけど正確な味まではさすがに‥・・でも食べやすかったから、味付けや調理の仕方次第ではカボチャ入れるのもいけるかもしれません -- 木主? 2023-09-19 (火) 22:00:57
      • ありがとう!調べてみたけどワインやはちみつ、コンソメ主体の欧風カレーですな。たぶん、そのままカボチャ投入だと甘すぎるかもだから、よく焼いて香ばしくしてトッピングにしてみますわ -- 枝1? 2023-09-19 (火) 22:07:49
  • E1-2 91周目まだまだ出ない けど頑張る -- 2023-10-07 (土) 23:20:28
    • 約180周目で今日ようやくドロップした。育成頑張らんばな -- 2023-10-10 (火) 21:07:28
  • 南瓜どこ?ここ……? -- 2023-10-12 (木) 14:21:40
  • 期間限定海域でしか邂逅できないの…?欲しかったーー! うぇーん… (夏イベ朝日もサーモンも掘らずに涼月掘ってた新人提督談) -- 2024-01-13 (土) 17:48:08
  • 涼月が息してない…!(ラウンドワンぽふゆさん -- 2024-06-30 (日) 13:32:12
  • 海上自衛隊の護衛艦「すずつき」が今月4日、中国浙江省沖の中国領海を一時航行したことが10日分かった。周辺では中国軍の実弾射撃訓練が予告されていた。!!!なんと、まあ!!!やはり即4スロにする必要ありよ! -- 2024-07-11 (木) 07:41:09
    • 現世の "すずつき" はカボチャマニアではなく案外武闘派なのか? -- 2024-07-11 (木) 11:16:15
      • 浙江省では南瓜や豆類の農産も盛んなんだよなぁ… -- 2024-07-11 (木) 12:29:26
  • 涼月さん、何してんのですか!? -- 2024-07-11 (木) 14:43:07
    • 「国際法で認められた無害通航権の行使です」キリッ -- 2024-07-11 (木) 15:12:21
      • それなりの自衛装備あってこそ可能なことよな -- 2024-07-11 (木) 15:39:33
    • 「こいつは危険を楽しんでいる...!!」涼月の姿を見て提督は戦慄した -- 2024-07-11 (木) 15:38:29
    • 涼月、不適に微笑んで「遊びは、危険な程楽しくはございませんか?」 -- 2024-07-11 (木) 15:41:20
    • こいつもうっかりさんのポンコツだったのか!?(;゚Д゚)いいぞもっとやれ。wwww。 -- 2024-07-11 (木) 23:22:00
      • うっかりさん、というより火遊び楽しむアブナイおんな系 (それはそれで……ボロン -- 2024-07-12 (金) 03:54:40
      • ↑ その汚い爪楊枝しまえよ -- 2024-07-12 (金) 10:16:11
      • ↑↑🇨🇳「ポーーテーートーーー!!」(ミサイル発射) -- 2024-07-12 (金) 12:25:15
      • うっかり、ではないでしょう。ただし現状では政府が現場を守ってやりそうにないのがね… -- 2024-07-13 (土) 20:43:00
  • 護衛艦すずつきに改装できるようになるんです? -- 2024-07-11 (木) 15:27:24
  • >海上自衛隊の護衛艦「すずつき」が7月に中国領海を一時航行したことについて、海自は重大なミスがあったとして艦長を事実上更迭した。乗員の処分も検討している。!!!って、んなバカな!おすずさんは正しいよ!こんなんじゃ、我々提督業やってたら国から処分されるのかよ!? -- 2024-09-23 (月) 06:59:50
    • 情報サンクス。更迭であって、降格ではないんだね、まぁ一応、政府側見解としては妥当と思えるかな、一旦表向きにそういうことにしておいて、またすぐに戻すだろうことに期待する。日本は今、軍事的政治的重要ポイントをとうとう迎えたからな。 -- 2024-09-27 (金) 13:19:58

*1 母港ボイスは各艦娘につき3つ割り当てられています。「詳細」ボイスは編成画面の「詳細」ボタンをクリックすることで聞くことが出来るボイスです。母港画面でも聞くことが出来ます。「母港3」ボイスは「母港画面でのクリック」もしくは「母港画面への遷移」でのみ聞くことが出来る、いわゆる「提督お触りボイス」です。編成画面での「詳細」ボタンでは聞くことが出来ません
*2 4つの基本ボイス(昼戦開始・昼戦攻撃・夜戦開始・夜戦攻撃)がありますが、各ボイスはその他の色々な場面でも使われます。各ボイスをどのフェーズ(航空戦/開幕雷撃/先制対潜/昼戦攻撃/各種CI...など)に割り当てるかは艦娘によって異なり、例えば開戦ボイスを攻撃でも使ったり、夜戦攻撃ボイスを昼戦でも使ったりします)
*3 「小破」ボイスの2つ目と戦闘撤退時の「旗艦大破」ボイスは共用化されています
*4 「小破」ボイスの2つ目と戦闘撤退時の「旗艦大破」ボイスは共用化されています
*5 装備ボイスは3ボイスありますが、改修/改造ボイスと共用化されています。また、ボイス3は「改修/改造」「開発」「バケツによる即時修復」「遠征出撃」「アイテム発見」ボイスと共用化されています
*6 年末に修理のため帰還していたが、修理が終わりトラック諸島に向かう瑞鶴の護衛で出撃して1月4日にトラック諸島に到着していた。
*7 輸送船2隻と護衛として時雨の編成
*8 開戦時の不知火艦長。瀬尾中佐に引き継ぎ第十駆逐隊司令として風雲に異動。
*9 開戦時の駆逐艦時雨艦長
*10 日本郵船所有の貨物船で特設巡洋艦として徴用されていたが、輸送任務もこなしていた
*11 機関科は兵科よりも指揮継承順位が下に置かれており、たとえ機関大佐であっても、兵科の少尉が一人でも生きていればその指揮を受けなければならなかった。さらに、この当時の特務士官とは水兵から叩き上げの士官を指し、指揮継承順位はキャリア組より下に置かれる。なのに機関特務中尉が最先任ということは、士官が文字通りほぼ全滅したのである。
*12 この時の涼月の状況を説明する資料の中には「被雷により艦橋部から切断した」という説明をする資料媒体もある(当ベージ初期でもそういう説明がなされていた)が、第一缶室の隔壁は艦橋直下であり、艦橋部から切断したのでは隔壁は無事では済まない筈である。実際の切断部は当ページ記述の通り第二砲塔と艦橋の間の61番フレーム付近であり、艦橋部も亡失したのではなく爆発の衝撃で原型が留まらない程破壊されたのである
*13 沈没原因については諸説あるが、状況としては艦中央部が突如爆発し機関部が壊滅、そのまま沈んでいった
*14 奄美大島まで帰還していたが、そこで大淀らと共にフィリピンに引き返した
*15 レイテ沖海戦後の残存空母は第一航空戦隊に集められ、第三艦隊廃止後は連合艦隊付属(後に戦艦大和も編入されて第二艦隊司令部直属)という形でしばらくの間残されたが、機動部隊としては使われることなく、1945年2月に第601航空隊を母艦航空隊から基地航空隊に改編されて翼を失い、坊の岬沖での壊滅により第二艦隊が解隊された4月20日に一航戦自体も廃止された。
*16 第2艦隊司令長官・伊藤整一中将は大和と運命を共にして戦死、同参謀長・森下信衛少将と、矢矧に座乗していた第2水雷戦隊司令官・古村啓蔵少将はこのとき漂流中
*17 外れた原因として涼月が後進微速で進んでいる事に気づかず、未来位置の想定を誤ったと考えられている
*18 佐世保工廠では「損傷した大和が入港する」と言われて最大のドックを用意していた。そこに半スクラップのようになった涼月が尻を向けながらヨロヨロ現れたので、工廠関係者一同はぽかんとしたという。
*19 『壮烈!水雷戦隊』作中では仮名で鴫之沢砲術長となっている。
*20 『月の守護を受けた水兵』という意味。ちなみに、ロゴマークの作画は武内直子先生…ではなく、あの小林源文先生。月にちなんで「敬礼したウサギ」が書かれているが、どう見ても『キャット・シット・ワン』である。一見の価値アリ。
*21 栄光出版社、ISBN 4754101243