No.183 | ||||
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大淀(おおよど) | 大淀型 1番艦 軽巡洋艦 | |||
艦船ステータス(初期値/最大値) | ||||
耐久 | 34 | 火力 | 24 / 48 | |
装甲 | 19 / 34 | 雷装 | 0 / 39 | |
回避 | 35 / 70 | 対空 | 18 / 62 | |
搭載 | 12 | 対潜 | 0 / 39 | |
速力 | 高速 | 索敵 | 24 / 80 | |
射程 | 中 | 運 | 24 / 69 | |
最大消費量 | ||||
燃料 | 35 | 弾薬 | 30 | |
艦載 | 装備 | |||
0 | 15.5cm三連装砲 | |||
6 | 10cm連装高角砲(砲架) | |||
6 | 零式水上偵察機 | |||
装備不可 | ||||
改造チャート | ||||
大淀 → 大淀改(Lv35) | ||||
図鑑説明 | ||||
艦隊旗艦として特化設計された新鋭軽巡洋艦、大淀です。 搭載予定の新型水偵の失敗や戦局の変化もあって、連合艦隊旗艦としてはあまり活躍できなかったの。 でも、北号作戦や礼号作戦では活躍したのよ。私も前線で、頑張りますね。 |
※初期値はLvや近代化改修の補正を除いた時の数値であり、最大値はLv99の時の最大値を指します。
CV:川澄綾子、イラストレーター:藤川
定型ボイス一覧
イベント | セリフ | 改装段階 | 備考 | 追加 | ||
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大 淀 | 大 淀 改 | 追加 | ||||
入手/ログイン | 提督、軽巡大淀、戦列に加わりました。艦隊指揮、運営はどうぞお任せください。 | ◯ | × | 編集 | ||
提督、旗艦大淀お供いたします。前線艦隊指揮はどうぞお任せ下さい | × | ◯ | 編集 | |||
母港*1 | 編集 | |||||
母港1 | 詳細 | はい。お任せください | ◯ | ◯ | 編集 | |
母港2 | 詳細 | 提督、そこは通信機ではありません。勝手に触られると、艦隊指揮に支障が出ます | ◯ | × | 編集 | |
提督、その通信方法はどうなんでしょう?暗号ですか?そうなのですか? | × | ◯ | 編集 | |||
母港3 | 提督、その通信方法はどうなんでしょう。平文で良いかと思います。はい | ◯ | × | 編集 | ||
提督、そこは司令部施設とは無関係です。お願い、艦隊指揮の邪魔、しないで! | × | ◯ | 編集 | |||
ケッコンカッコカリ | 提督、大淀をお呼びでしょうか?えっ、これを私に? ありがとうございます、提督。いつまでも、大切にします。 | ◯ | ◯ | 編集 | ||
ケッコン後母港 | 提督、大淀をいつも大事にして下さって本当にありがとうございます。 私、ずっと見ていたんですよ。気づいていました? | ◯ | ◯ | 編集 | ||
放置時 | 提督、次の任務のお時間です。…って、提督?提督?聞いていらっしゃいます?ねえ | ◯ | × | 編集 | ||
提督、改装された大淀どうですか?どうですかって聞いてるのに。もうっ! | × | ◯ | 編集 | |||
編成出撃 | 編集 | |||||
編成 | 艦隊旗艦 大淀、出撃致します | ◯ | × | 編集 | ||
連合艦隊旗艦 大淀、出撃致します | × | ◯ | 編集 | |||
出撃 | 連合艦隊旗艦 大淀、抜錨します | ◯ | × | 編集 | ||
旗艦 大淀。全力出撃。参りましょう! | × | ◯ | 編集 | |||
開戦・攻撃*2 | 編集 | |||||
戦闘1 | 昼戦開始 | 敵艦隊見ゆ。砲戦、用意。お願いします | ◯ | × | 編集 | |
敵艦隊見ゆ。砲戦、用意。みなさん行きましょう! | × | ◯ | 編集 | |||
戦闘2 | 昼戦攻撃 | よーく狙って。てーッ! | ◯ | × | 編集 | |
全砲門。よーく狙って。てーっ! | × | ◯ | 編集 | |||
戦闘3 | 夜戦開始 | 礼号作戦を思い出す。全艦、突撃! | ◯ | ◯ | 編集 | |
戦闘4 | 夜戦攻撃 | 艦隊運動。そう、上手よ、皆 | ◯ | × | 編集 | |
そう、これが本当の大淀型の力よ! | × | ◯ | 編集 | |||
戦闘時ステータス*3 | 編集 | |||||
小破 | やだ・・・右に傾斜。注水傾斜復元を! | ◯ | ◯ | 編集 | ||
中破/大破 | くっ・・・やられました。で・・・でも、沈みません。大淀沈みは・・・しません | ◯ | ◯ | 編集 | ||
轟沈 | 排水急いで!え…ダメ…?ダメなの!?提督…ここまでのようです…また、いつかどこかで…きっと… | ◯ | ◯ | 編集 | ||
戦闘終了*4 | 編集 | |||||
勝利MVP | え、私の武勲が一番? あら、意外なこと。でも何だか誇らしいですね、うふふっ | ◯ | ◯ | 編集 | ||
旗艦大破 | やっ!や、やられた! | ◯ | ◯ | 編集 | ||
装備・改修*5 | 編集 | |||||
装備1 | 改修/改造 | 私の改装ですか? ありがとうございます | ◯ | × | 編集 | |
さらに改装ですか?ありがとうございます | × | ◯ | 編集 | |||
装備2 | そうですね。雷装を積みたいような、そうでもないような・・・ | ◯ | × | 編集 | ||
雷装を積みたいような…水偵を積みたいような… | × | ◯ | 編集 | |||
装備3 | 改修/改造/開発/バケツ/遠征/発見 | 計算通りです | ◯ | ◯ | 編集 | |
その他 | 編集 | |||||
帰投 | 艦隊、作戦終了です。お疲れ様でした | ◯ | ◯ | 編集 | ||
補給 | 補給と兵站、大切ですね | ◯ | ◯ | 編集 | ||
入渠(小破以下) | 申し訳ありません。少し、後方に下がります | ◯ | ◯ | 編集 | ||
入渠(中破以上) | 大変申し訳ありません。少しお暇を頂けますと幸いです | ◯ | ◯ | 編集 | ||
建造完了 | 新建造艦が完成致しました | ◯ | ◯ | 編集 | ||
戦績表示 | 提督、我が艦隊の情報を整理しました | ◯ | × | 編集 | ||
提督、艦隊の情報。ご覧になります? | × | ◯ | 編集 |
時報ボイス一覧
時刻 | セリフ | 改装段階 | 備考 | 追加 | |
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大 淀 | 大 淀 改 | 追加 | |||
00 | 提督、日付が変わりました。本日もどうぞよろしくお願いいたします | × | ◯ | 編集 | |
01 | 提督、現在時刻マルヒトマルマル。時報担当もこの大淀にお任せ下さい | × | ◯ | 編集 | |
02 | 提督、マルフタマルマルです。あら?提督、もしかして寝てらっしゃいます? | × | ◯ | 編集 | |
03 | マルサンマルマル。提督のお休みの間に艦隊運営計画を再検討しておきましょう | × | ◯ | 編集 | |
04 | 現在時刻マルヨンマルマル。提督の寝顔可愛いわ。うふふ、少し得したかな | × | ◯ | 編集 | |
05 | マルゴーマルマルです。提督、朝です。総員起こしをかけますね。総員起こし! | × | ◯ | 編集 | |
06 | マルロクマルマル。提督、朝食をご用意しました。お味噌汁はお麩にしてみました | × | ◯ | 編集 | |
07 | 現在時刻マルナナマルマルです。提督、朝食はお済みですか?片づけますね | × | ◯ | 編集 | |
08 | マルハチマルマルです。よしっ!艦隊訓練です。訓練、厳しくいきましょう! | × | ◯ | 編集 | |
09 | 提督、マルキューマルマルです。演習の次は出撃ですね。出撃計画はこちらです | × | ◯ | 編集 | |
10 | ヒトマルマルマルです。今日も利根さんがいらっしゃいましたね。利根さーん! | × | ◯ | 編集 | |
11 | ヒトヒトマルマル。利根さんと筑摩さん、いつも仲が良くて少し妬けちゃいますね | × | ◯ | 編集 | |
12 | ヒトフタマルマル。提督、お昼はカレーにしましょう。軍楽隊付きでカレーです | × | ◯ | 編集 | |
13 | ヒトサンマルマルです。提督、大淀のカレーいかがでしたか?一味違うでしょう? | × | ◯ | 編集 | |
14 | 現在時刻ヒトヨンマルマルです。あら?足柄さん。どうされました?うん | × | ◯ | 編集 | |
15 | ヒトゴーマルマルです。重巡だけど足柄さんとは不思議と波長が合うの。うふふっ | × | ◯ | 編集 | |
16 | ヒトロクマルマルです。提督、足柄さん。大量のロース肉と食用油の申請でした | × | ◯ | 編集 | |
17 | 現在時刻ヒトナナマルマルです。提督、夕焼けと海が綺麗ですね | × | ◯ | 編集 | |
18 | 提督、ヒトハチマルマルです。お夕食は何がよろしいでしょうか?お刺身、とか? | × | ◯ | 編集 | |
19 | ヒトキューマルマルです。提督、お夕食は悩みましたがカツレツにしてみました。どうでしょう? | × | ◯ | 編集 | |
20 | フタマルマルマルです。提督、食後のお茶はここに置きますね | × | ◯ | 編集 | |
21 | 現在時刻フタヒトマルマルです。そろそろ夜戦…の時間ですね。うふふ。やりませんよ夜戦。ほら書類がまだ沢山 | × | ◯ | 編集 | |
22 | フタフタマルマルです。提督、そろそろ残業を切り上げてゆっくりされますか? | × | ◯ | 編集 | |
23 | 提督、フタサンマルマルです。今日も一日本当にお疲れ様でした。明日も頑張りましょう | × | ◯ | 編集 |
季節ボイス一覧
季 節 | イベント | セリフ | 改装段階 | 備考 | 追加 | |
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大 淀 | 大 淀 改 | 追加 | ||||
春 | 桃の節句 | 編集 | ||||
春の訪れ | 編集 | |||||
ホワイトデー | 編集 | |||||
春 | 提督……春の陽気が心地よいですね。 | ◯ | ◯ | 2015 | 編集 | |
提督、春です。鎮守府の桜も咲き始めました、やはりこの季節はいいですね。私が進水したのもこの季節なんですよ、桜の季節……です。 | ◯ | ◯ | 2017 | 編集 | ||
春本番 | 編集 | |||||
夏 | 梅雨 | 最近雨の日が続きますが、艦隊は稼動状態に有ります。梅雨の一日…提督、艦隊運用はどうなさいますか?…え、本日はお休み?本当に?提督、いいんですか? | ◯ | ◯ | 編集 | |
初夏 | 編集 | |||||
夏 | 提督! 夏は活力が高まりますね! | ◯ | ◯ | 2014 | 編集 | |
明石…なに?水着?いえ、私は鎮守府での任務がありますから。えっ、明石もそれはあるって?関係ないって?あのー、いや、だからね。 | ◯ | ◯ | 2017 | 編集 | ||
盛夏 | あーもぅ、明石に影響されてやってしまったけれど…ごめんなさい!私、着替えてきますね、やっぱり、無理ですぅ。 | ◯ | ◯ | 編集 | ||
夏祭り | 編集 | |||||
秋 | 秋 | 提督…秋の気配を感じますね。 | ◯ | ◯ | 編集 | |
提督、鎮守府も秋祭りの季節ですね、私も着替えてみました、どうでしょう…?提督も甚平とかいかがですか?私、ご用意してもいいですか? | ◯ | ◯ | 2016 | 編集 | ||
秋刀魚 | 灯りよし!水中探信儀、よし!大淀、装備は万全です。北方海域及び近海秋刀魚漁支援艦隊抜錨準備完了しました。 | ◯ | ◯ | 編集 | ||
晩秋 | 編集 | |||||
ハロウィン | 編集 | |||||
秋のワイン | 編集 | |||||
冬 | 冬 | 提督……。冬は、少し静かですね。 | ◯ | ◯ | 編集 | |
師走 | 編集 | |||||
クリスマス | 提督、クリスマスですね。メリークリスマス! | ◯ | ◯ | 編集 | ||
年末 | 提督、そろそろ礼号作戦ですね。私もがんばります! | ◯ | ◯ | 2014 | 編集 | |
新年 | 提督、新年明けましておめでとうございます。本年もどうぞ、よろしくお願い致します | ◯ | ◯ | 編集 | ||
節分 | 今年の節分の各艦隊、戦隊の鬼役は……えっと、あれ? 鬼役の人事資料がない……あれ? おかしいなぁ、昨日ちゃんと用意しておいたのに。 | ◯ | ◯ | 編集 | ||
バレンタイン | 提督。あの、すみません。大淀からのチョコレートも受け取って頂けますか。あっ……ありがとうございます。手作りなんです。 | ◯ | ◯ | 編集 | ||
周 年 | 二周年記念 | 編集 | ||||
三周年記念 | 提督。我が艦隊は、三周年を迎えることが出来ました。おめでとうございます。これからも、どうぞよろしくお願いします。 | ◯ | ◯ | 編集 | ||
四周年記念 | 提督、我が艦隊は遂に四周年を迎えることとなりました、おめでとうございます。5年目の艦隊もどうぞよろしくお願いいたします。 | ◯ | ◯ | 編集 | ||
五周年記念 | 提督。今日はとても大切な日ですね。私、任務とは言え、提督とご一緒できて……光栄です。ありがとうございます、提督。 | ◯ | ◯ | 編集 | ||
六周年記念 | 編集 | |||||
七周年記念 | 編集 | |||||
八周年記念 | 編集 |
ゲームにおいて
- 2014年8月8日のアップデートにて新規実装。2014年夏イベント『AL作戦 / MI作戦』のE-2をクリアすると入手できた。
- 長らく任務娘として看板を背負ってきた彼女がついに艤装を背負って登場となった。
- 明石同様、中破させて任務を表示させても任務娘の大淀は変化しないのであしからず。
- アイテム屋の明石ボイスは2015/03/27のアップデートで変更されたが、2016年3月11日のメンテナンス前まで任務娘版の大淀のボイスは変化していなかった。2016年3月11日のアップデートによってようやく変更された。
- 初期から10cm連装高角砲(砲架)を装備済み、他の持参艦は大鳳改、長門改二、陸奥改二のみというレアな防空兵装なので大事にしよう。2022/12/06から大淀で開発可能となっている。
- 索敵機スロットが0,6,6と偏っている(搭載0とそれ以外が混在する艦は大淀が初)。
- 史実では魚雷発射管や爆雷を装備していなかったため、艦これでもデフォルトの雷装・対潜値は0となっているが、徐々に上がっていくのでご安心を。とはいえ、この2つの値はそこまで伸びない。
- 阿賀野型と同様軽巡としては大型であることから、燃費は全軽巡洋艦でも最悪の水準。遠征には全くの不向き。史実では高効率で長大な航続距離を持ってて、けっこう輸送してるのに。
- 現在では燃費の悪い海外艦等が増えており相対的には悪くない方。
- 偵察巡洋艦としての出自から索敵が非常に高く、レベルが上がれば正規空母並みまで上昇する。
- 未改造で索敵80、大淀改で索敵84。必要索敵値のハードルが高い場面で重宝する。
- 未改造で索敵80、大淀改で索敵84。必要索敵値のハードルが高い場面で重宝する。
- 雷装、対潜の値は低いがその代わりと言うべきか装備スロットが初期で3つ、改造することで4つになるという夕張と同じ特徴を持つ。
4スロットについての記述は大淀改を参照。
- ゲーム的な性能とは何の関係も無いが、彼女の実装によって、「伊勢+伊号潜水艦5隻」に引き続き2組目の「頭文字統一艦隊」が組めるようになった。
「大淀・大鯨・大和・大鳳・大井・大潮」で「大」艦隊が組める。現在では大鷹、大東も対象である。「伊」艦隊同様そろえるのは、強運と資材消費の積み重ねが必要である。
入手方法について
- 長い間イベント海域ドロップ以外での入手手段が無かったが、2015年4月10日に追加実装された『1-6【Extra Operation】 鎮守府近海航路』からドロップが確認された。
期間限定グラフィック
- とんでもない脱げっぷりを披露してくれるのは、船体・艦上構造物ともにずたずたにされ大破、復旧されるも再び猛攻撃を受けて横倒しに着底という壮烈な最期からか。でもメガネは割れない。やはり艦娘のメガネは最強か 強度が高すぎる...。
- 2015年年始限定で、晴れ着バージョンの母港グラフィックが公開された。
- なお、大淀と大淀改とでは、それぞれ別バージョンのグラフィックが用意されていた。
晴れ着バージョンのグラフィックはあくまで立ち絵限定で、カードイラストはそのまま。
他の限定グラフィック同様、限定期間終了後に図鑑に格納された。 - 2016年年始でも、同じ晴れ着バージョンの母港グラフィックが公開された。
限定グラフィック:年末年始mode
- なお、大淀と大淀改とでは、それぞれ別バージョンのグラフィックが用意されていた。
- 2015年秋限定の浴衣バージョンの母港グラフィックは大淀改限定で、大淀には実装されなかった。
- アイテム屋画面の明石の水着と異なり、任務画面でも浴衣バージョンではなかった。
- アイテム屋画面の明石の水着と異なり、任務画面でも浴衣バージョンではなかった。
- 2015年クリスマス期間限定で、クリスマスバージョンのグラフィックが公開された。
- こちらも、大淀と大淀改とでは、それぞれ別バージョンのグラフィックが用意されていた。
クリスマスバージョンのグラフィックはあくまで立ち絵限定で、カードイラストはそのまま。
他の限定グラフィック同様、限定期間終了後に図鑑に格納された。 - 同時に3-5において同年12月29日までクリスマス期間限定ドロップイベントが実施されていた。
限定グラフィック:クリスマスmode
- こちらも、大淀と大淀改とでは、それぞれ別バージョンのグラフィックが用意されていた。
- 2016年3月の牛丼modeバージョンの母港グラフィックは大淀改限定で、大淀には実装されなかった。
- 通常絵は上述のコラボグラフィックの使いまわしだが、中破絵は描きおろしと思われる。
- 2016年8月限定で、告知なしに水着modeの母港グラフィックが公開された。
- 他の限定グラフィック同様、限定期間終了後に図鑑に格納された。
改造後と比べると、カチューシャ、パレオのインナー、右手のカタパルトの大きさ、水偵の有無などの差異がある。
限定グラフィック:水着mode
- 他の限定グラフィック同様、限定期間終了後に図鑑に格納された。
- 2018年2月17日のアップデートより、【決戦】差分グラフィックが実装された。
- いつもの笑顔より随分と凛々しいきりりとした顔になっている。
立ち絵限定で、カードイラストはそのまま。 - 通常の立ち絵は他の限定グラフィック同様、同年の冬イベント終了後に図鑑に格納されたものの、
通例は併せて格納されるはずの、カード状態に加工されたイラスト及び中破立ち絵は何故か図鑑に格納されていない。
- いつもの笑顔より随分と凛々しいきりりとした顔になっている。
- 2022年1月21日のアップデートにおいて、【節分mode】が追加された。
- 人事資料片手に豆の入った升を持っている。
- 地味に改と差異があり、制服が無印仕様な他、カーディガンの色と柄が違う。
限定グラフィック:節分mode
- 2024年5月29日のアップデートにおいて、【梅雨mode】が追加された。
- 紫陽花を持った任務娘mode共々、シックな装いの私服姿と和傘の組み合わせで実装となった。
限定グラフィック:梅雨mode
小ネタ
- マル4計画で阿賀野型と共に建造された、潜水艦隊指揮用の旗艦巡洋艦。
- 阿賀野型姉妹と同じく戦争中期(1943年2月)に就役した新造艦であるが、絶対不利な戦局となった戦争末期の、レイテ沖海戦(小沢囮部隊)、礼号作戦、北号作戦などに参加、無事に完遂。
1945年7月の呉軍港空襲で大破横転するまで戦い続けた強運艦である。- 小沢艦隊の囮作戦成功、礼号作戦での帝国海軍最期の勝利、北号作戦での帝国海軍最後の作戦成功と、戦争末期のなかで名高いこれら3つの作戦に全て参加したのは大淀だけ。
- また、帝国海軍最後の連合艦隊旗艦としても有名。
- そして一部の提督の間では、「最後の軽巡(軽巡のラスボス的な意味で)」的な期待をもって実装が待たれていた有名艦である。*6
- 阿賀野型姉妹と同じく戦争中期(1943年2月)に就役した新造艦であるが、絶対不利な戦局となった戦争末期の、レイテ沖海戦(小沢囮部隊)、礼号作戦、北号作戦などに参加、無事に完遂。
- 艦名は都城盆地に端を発し、宮崎県南部を流れ、日向灘に注ぐ『大淀川』に由来する。
- 地理的な理由で、艦内神社は強運艦として名を馳せた「日向」(こちらは宮崎県の旧国名)と同じ宮崎神宮を勧請していた*7。幸運に恵まれた所以はここにもある。
そんな日向(とその姉の伊勢)とはレイテ沖海戦から呉で最期を迎えるまで行動を共にしている(詳しくは後述)。- 当時の大淀乗員も日向との縁を感じていたらしく、その旨は後述の書籍「巡洋艦大淀~16歳の海戦」にも記載されている。
- ちなみに、レイテ沖海戦で瑞鶴から移乗し*8、また最期の聯合艦隊司令長官となった小沢治三郎中将の出身地も宮崎県児湯郡高鍋町だったりする。*9
- 「仁淀」という妹の計画もあったが未着工のまま終わってしまった。*10軽巡としては珍しく、姉妹でカップリングが感じられる命名だっただけに惜しい。
加賀さんと仲良くなれそう
- 地理的な理由で、艦内神社は強運艦として名を馳せた「日向」(こちらは宮崎県の旧国名)と同じ宮崎神宮を勧請していた*7。幸運に恵まれた所以はここにもある。
- 桃井涼太氏の公式4コマでは55話で初登場。準備期間も含め足掛け6話の「長丁場で語られる一大決戦」の長編として、破格の扱いがなされた一大イベントであったMI作戦の最中(6話中の5話め)のことであり、イベントを扱うエピソードで、その報酬艦である艦娘が初登場、というのは大淀が初の事例であった(大淀以外では116話のZaraと127話のIowaが該当するが、この二人はイベント内の展開に沿ったゲスト出演的な扱いで着任はさらに後の回だった)。
- 大淀は他の軽巡とは一線を画す設計・運用思想であり、また、就役から大破着底まで約2年半と言う短い生涯ながら非常に濃い戦歴と逸話を持っている。
そのため小ネタも非常に長くなっているので、箇条ごとに折り畳み形式で記載している。興味のある部分を読んでいただければ幸いである。
略年表
1941 | 2.14 | 呉海軍工廠にて起工 |
---|---|---|
1942 | 4.2 | 進水 |
1943 | 2.28 | 竣工 |
5.31 | 第27駆逐隊(時雨と『有明』)に護衛され鶴姉妹、最上とともに西日本へ。 柱島泊地に到着後、長門扶桑と共に停泊 | |
6.8 | 陸奥の爆沈を目撃する | |
7.9 | トラック泊地へ移動、南海第四守備隊をラバウルへ輸送 | |
7.26 | トラック泊地へ戻る | |
10.17 | クェゼリン環礁へ進出、10日ほど警備したのちトラックに戻る | |
12.26 | 戊号輸送作戦*11。大和へ横付けし同艦の運んできた陸軍部隊と軍需品を移乗 | |
12.29 | 能代、秋月、山雲とともにトラックを出発 | |
1944 | 1.1 | 早朝4時45分にカビエン到着。物資揚陸完了直後に米軍機約100機による空襲。 大淀は「秋月」と陣を組み対空戦闘。爆弾、至近弾、機銃掃射により死傷者6名。 大淀の45ノット発揮の伝説はこの時の出来事。 |
3.6 | 聯合艦隊旗艦となるための改装が始まる | |
3.31 | 海軍乙事件。聯合艦隊司令長官・古賀峯一大将殉職、代わって豊田副武大将が司令長官となる | |
5.1 | 改装完了。5月3日に豊田長官を迎え正式に聯合艦隊旗艦となる | |
9.29 | 聯合艦隊旗艦の任務を解かれる | |
10.25 | レイテ沖海戦。爆弾と機銃掃射で死傷者22名を出すも、瑞鶴の通信代行及び司令部移乗を行う。 この後奄美大島に向かって北上、戦線離脱 | |
10.27 | 奄美大島に入港、小沢長官以下の艦隊指令部が日向に移乗 | |
10.29 | 『若月』とともにフィリピンに向かう | |
10.31 | マニラ入港 | |
11.5 | 空襲の危険性を告げられ緊急出港。米機動部隊によるマニラ大空襲から間一髪で脱出に成功し、ミリ泊地へ移動。停泊中にB-24 3機による爆撃を受けるが被害なし | |
11.18 | 伊勢、日向、榛名、霞、足柄、羽黒、朝霜とともにリンガ泊地へ移動 | |
12.24 | 礼号作戦参加のためカムラン湾からミンドロ島へ向かう | |
12.26 | 礼号作戦。爆弾4発(命中2、至近弾2、直撃弾はすべて不発)により軽傷者1名、速力32ktに低下。 魚雷艇の雷撃を全回避後、23時より1時間ほどサンホセ港や飛行場を砲撃 | |
12.28 | カムラン湾へ帰還 | |
1945 | 2.10 | 北号作戦。第4航空戦隊と護衛駆逐艦と共にシンガポールから日本へ資源を強行輸送。損害無く成功する。 この作戦中に大淀が発進させた偵察機2機も後日無事呉に帰投した。 |
3.19 | 第1次呉軍港空襲。至近弾1、直撃弾2により戦死者52名。缶6基のうち4基使用不能。 応急修理後に江田島湾(飛渡瀬)に曳航され、浮き砲台となる | |
7.24 | 第2次呉軍港空襲。500ポンド爆弾3~4発命中、右に傾斜して着底。排水作業により傾斜復旧 | |
7.28 | 第3次呉軍港空襲。10時ごろ艦橋近くに被弾、浸水発生により右に傾斜。 その後も次々に爆弾命中、傾斜復旧が間に合わず12時ごろ横転。死傷者は24日と28日を合わせて計403名 | |
11.20 | 除籍 |
帝国海軍最後の軽巡洋艦大淀型、その概要
- 次世代型駆逐艦とともに前線に出てこれらを指揮する「水雷戦隊旗艦」としての能力に特化した乙型巡洋艦(阿賀野型)に対し、彼女は索敵兵装に乏しい潜水艦に代わって索敵を行い、後方から通信で作戦指揮を執る「潜水戦隊旗艦」として設計された丙型巡洋艦である。
- ちなみに甲型巡洋艦は最上型と利根型も含めた重巡である。この甲乙丙は役割によって分類されているもので、能力的な優劣を表しているものではない。
- 当初の構想では飛行甲板を張った1万6,000トンの航空巡洋艦*12だったが、
あまりにも無茶だったので、主砲も魚雷も積まない、徹底的に水上機運用能力と旗艦としての通信能力に特化した中型巡洋艦にまとめなおされる。 - その後、まがりなりにも最前線で活動するのだから水上戦闘能力がもっと欲しいという声があがり、最上と三隈から降ろした15.5cm三連装砲の砲塔が2基余っていたのでこれを搭載して主砲兼対空砲とし、これに新型高性能の長10cm高角砲連装4基8門と25mm三連装機銃6基(後に増備され12基)を合わせて強力な対空火力を得ることになった。
- この15.5cm砲と10cm高角砲の組み合わせが生み出す防空力は軽巡としては破格のもので、十分な錬度と相まってその力は軽巡はおろか重巡すら上回り、対空設備を強化された摩耶以上とも言われるほど。
- 砲戦火力についても、高性能な長砲身15.5cm3連装砲と長10cm砲の威力は水雷戦隊旗艦である阿賀野型を凌駕して日本軽巡最強である。
- 外観上の特徴はなんといっても艦全長の4分の1にも達する巨大なカタパルトと箱形の搭載機格納庫。
- 基準排水量は8,164t(満載11,433t)に達し、阿賀野型の6,652t(満載8,338t)と比較しても大きい、日本海軍で最大の大型軽巡洋艦である。
- 参考に、米軽巡クリーブランド級、満載14,131t。ファーゴ級、14,500t。ウースター級、17,997t。英軽巡エディンバラ級、13,175 t。軽巡‥‥?
- これら大型軽巡、実は『軽巡』最上型(基準11,200t、満載13,980t)に対抗するため設計されたクラスとその後継のため、規模で言えば日本の重巡サイズとなっている。
周知の通り最上は8インチ砲に載せ替え重巡に変身する前提で建造された「軽巡洋艦」。そのため比較するならもがみん達の方が適当だったり。
ガチンコの砲撃戦を主眼に置き設計されたマッスルな彼女達と、水雷戦を主眼に置いていた日本のコンパクトな軽巡達やあくまで潜水艦部隊の指揮艦であった大淀を比べるのは、ちょっと酷かもしれない。
- 大淀は「軽巡」ではあるが、水雷戦隊旗艦として前衛を務める役割を求められなかったことから日本の軽巡洋艦の中では唯一魚雷発射管を持たず、代わりに旗艦設備と偵察用の水上機運用能力が充実している。
- 軽巡洋艦としては唯一水上機格納庫を持つため6機もの水上機を搭載でき(史実では軽巡の搭載機数は阿賀野型で2機、他は1機である)、
さらに実質大淀型専用機となる新型水上機「紫雲」を射出する為の大型の空気式カタパルト「二式一号10型」に加え、回収用のクレーンも搭載しており、破格の水上機運用能力を持つ。
- 軽巡洋艦としては唯一水上機格納庫を持つため6機もの水上機を搭載でき(史実では軽巡の搭載機数は阿賀野型で2機、他は1機である)、
- しかし肝心の紫雲が期待された性能を発揮できず、この結果を受け日本海軍は紫雲の生産中止を決定した。
大淀での運用も諦める事となりカタパルトは竣工後直ぐに撤去され、従来型の呉式二号射出機五型に置き換えられ、搭載機は従来の零式水上偵察機2機という無難な装備となった。- そのため、イラストに描かれている水偵と初期装備は紫雲ではない。
- 彼女の本来の目的は、日本列島に近づいてくる敵艦隊の戦力をじりじりとすり潰す「漸減作戦」において索敵が苦手な潜水艦に代わって強行偵察を行い、敵を発見次第潜水艦に指揮を飛ばして敵戦力を減らすことである。
そのため偵察巡洋艦としての役割が求められていたこともあり、かなりの快足の持ち主。
翔鶴型や阿賀野型と同様の高温高圧缶*13を搭載しており、非常に優秀な艦体設計とも相まって、計画速力35ノットに対して実際には公試35.5ノットを記録した。実戦では39.5~40ノットという島風に匹敵するほどの速力を出せたと言われている。- 航海長内田中佐の証言によれば、公試運転でも36ノットを超え、また安定して39ノットを発揮できたという。
- エンガノ岬沖海戦において、「只今の速力40ノット」という艦内放送が流れたという大淀の水偵搭乗員の証言も残っている。
- 一説には過負荷時には45ノットもの速力が出せたとも。*14(後述)
- 大淀の速度の逸話については公式記録がなく、証言以外の証拠が残っていないため、判断には注意を要する。
- 新型缶の採用、翔鶴型と同様のバルバス・バウの採用などで燃費も良く、航続距離は10,180海里と設計段階の予想(8700海里)を遥かに超えるほどの長大さを誇った。
- 長期間の偵察行動を前提としていたこともあり、艦内は空調が完備され、一部居室の冷房が省略された大和型以上の快適さを持っていた。
- 第三次ソロモン海戦で戦没した比叡の元乗組員の多くがこの船に乗った。そのおかげで、巡洋艦でありながら訓練や制裁は戦艦並に非常に厳しかったと言われている。
「訓練は戦闘だと思え、戦闘は訓練だと思え」をモットーに、一日の訓練スケジュールは分刻みで管理され、一瞬のたじろぎも許されない厳格さだったとか。- これは元比叡乗組員の「乗艦を失う悲しみは二度と繰り返さない」という気持ちから来るものだった。
そうして鍛えられた乗組員の士気・錬度は共に十分で、幸運も味方につけた大淀は激戦地を転々としながらも1945年3月の空襲まで損害らしい損害を受けず戦い続けた。
- これは元比叡乗組員の「乗艦を失う悲しみは二度と繰り返さない」という気持ちから来るものだった。
- また就役から戦没まで6人艦長(+1人艤装員長)が着任したが、結構有名な人が多かったりする。
歴代艦長と概略(階級は着任当時のもの)
艤装員長 | 田原吉興大佐 (1942.12.31~43.1.20) | 初代艤装員長。青葉艦長と兼任。長良と山城で篠田大佐(後述)の前任艦長を務めており、何かと縁がある。最期は44年5月、山城艦上で病死。他、実装艦では初春の艤装員長・初代艦長、浦波艦長を歴任。 |
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富岡定俊大佐 (1943.1.20~8.29) | 2代目艤装員長と兼務。後に軍令部に異動して戦争末期の作戦立案、終戦工作に従事。USSミズーリでの降伏文書調印式にも参加している。 | |
第1代 | ||
第2代 | 篠田勝清大佐 (1943.8.29~44.5.6) | 前職は長良艦長。大淀ではカビエンでの100機以上の敵機の攻撃をことごとく退け、乗員の信頼も厚かった。後に山城の艦長としてスリガオ海峡夜戦を戦い、山城と運命を共にする。 |
第3代 | 阿部俊雄大佐 (1944.5.6~8.15) | 太平洋戦争中は第8駆逐隊や第10駆逐隊司令を務めた。大淀が連合艦隊旗艦だった頃の艦長である。後に空母「信濃」の艤装員長兼艦長。信濃は米潜水艦に撃沈され、阿部艦長も艦と運命を共にした。 |
第4代 | 牟田口格郎大佐 (1944.8.15~45.2.25) | 大淀のレイテ沖海戦から北号作戦までの活躍を支えた人。北号作戦後に戦艦伊勢艦長となり、45年7月24日の呉軍港空襲において伊勢艦橋で戦死。 |
第5代 | 松浦義大佐 (1945.2.25~5.15) | マリアナ沖海戦で龍鳳を無事生還させたことで有名。だが45年3月の空襲(後述)で部下の反対を押し切り出港を強行した結果艦が大破。半ば更迭の形で辞任。 |
第6代 | 田口正一大佐 (1945.5.15~8.15) | 雪風の艤装員長と初代艦長、他に初月艤装員長、初代艦長を務めた経験有り。7月24・28日の空襲では転覆まで大淀の艦橋に留まり指揮、艦橋への直撃弾もあった中で奇跡的に生還した。 |
最新鋭軽巡大淀、満を持しての就役・・・しかし
- ・・・そんな期待の新型として誕生したはずの彼女だったが、彼女が登場したのは既にミッドウェーの後。
漸減作戦の後に艦隊決戦という青写真は既に破綻してしまっていたため、本来の潜水戦隊旗艦としての能力を発揮できず、航空巡洋艦や巡洋艦戦隊旗艦として運用される事も無く、同型艦もなく戦隊もろくに組めないぼっちの彼女は、新型艦にもかかわらず警備や輸送などの地味な裏方に回る不遇な日々を過ごしていた。那珂ちゃんと仲良くなれそう。- 能代や秋月らとともに行ったカビエンへの輸送任務の際、100機を超える敵機の襲撃に遭った事がある。この時大淀は物資揚陸完了直後で、50km先の敵機を発見し緊急出港。
- 物資を降ろして身軽になった大淀は、直援の秋月と共に全力で加速していくと、速度計の針が45ノットの針当てを叩いていたという。*15これはあくまでも乗組員の証言でありもちろん公式記録ではないが、もしこの話が本当なら、大淀はこの時45ノット以上を発揮していた可能性がある*16。
- この戦闘で、大淀は主砲対空弾300発を40分ほどで撃ち尽くしてしまい、徹甲弾や演習弾まで撃っていたという。
敵機接近に気づくのが遅れた能代が中破するも、大淀は100ポンド爆弾1発を浴びたが幸運にも不発で、これは不発処理の後艦内神社に飾られた。
最後の連合艦隊旗艦大淀
- そんな中で戦局はさらに逼迫し、海軍内で主戦力である戦艦を旗艦任務で遊ばせず前線に投入すべき、という論が立ちあがった。
また、現実的な問題として、戦況の拡大により大規模な組織改編を行い複雑化した連合艦隊司令部の機能を、一隻の戦艦の設備だけを使って果たす事は不可能となりつつあった。
このため、陸上に新しい司令部用の施設を設けるか、連合艦隊司令部専用の軍艦を用意する必要に迫られていたという事情があり、今の所特に具体的な運用計画が定まっておらず、同型艦も存在しない大淀が、巨大な格納庫を連合艦隊司令部の常駐する施設に改装する事が出来ると判断され、連合艦隊旗艦として選ばれる事となった。
大淀の連合艦隊旗艦への改装は1944年2月に開始され、格納庫を三段に仕切りそれぞれの階に連合艦隊司令部の設備が施され、2ヶ月後の4月には正式に連合艦隊旗艦として新たな任務に就くこととなった。
こうして大淀は栄誉ある連合艦隊旗艦の任を武蔵から受け継いだ。- 戦艦以外の連合艦隊旗艦は初代連合艦隊旗艦である防護巡洋艦「松島」に次いで2隻目である。
- 豊田副武聯合艦隊司令長官を乗せて、あ号作戦(マリアナ沖海戦)を指揮、その後彼女は旗艦の任を解かれ、司令部は陸上*17に移っていった。
以後連合艦隊旗艦は空席のままとなり、結果として彼女は日本海軍最後の連合艦隊旗艦となった。 - 連合艦隊旗艦としての大淀の評判はあまりいいものではなく、豊田司令長官からは、「(従来の戦艦と比べて)こんな小さな船で戦死してしまったら連合艦隊の足元を見られる」と嘆き、最大の特徴である航空運用能力が減少したこともあり、現場からは「何をするにも中途半端な存在」と酷評された。
無理やり格納庫に司令部機能を詰め込んだために復元性能が悪化し、最大戦速発揮時に転舵するたびに大傾斜してしまう問題も抱えてしまった(攻撃を受けたと勘違いするほど)。 - なお、連合艦隊旗艦としての息苦しさから開放されたとして、乗組員は旗艦解任をむしろ歓迎していたという。
- 当時の国民にも連合艦隊旗艦大淀という名は知られていたようだ。
「軽巡が旗艦となることの意外さに、あの海を圧した戦艦群はどうしたのだろうかと不審に思った」
これは光人社『連合艦隊軍艦銘銘伝』大淀の項の冒頭文であり、当時海軍ファン少年だった著者の当時の感想である。
大淀、レイテの決戦へ
- その後小沢囮艦隊の随伴艦としてレイテ沖海戦に参加。
元々小沢艦隊旗艦になる予定だったのが、「囮とはいえ機動部隊を率いるからには旗艦は空母だ」という小沢中将の意向で旗艦は瑞鶴となり、大淀はその予備旗艦となった。- 結果として小沢長官によるこの旗艦の選択が、この海戦の経緯に重大な影響を与え、そして瑞鶴乗組員から大淀に対して理不尽だが心情的には尤もなヘイトを買う結果となったのだが・・・詳細は瑞鶴の小ネタを参照。
- 搭載機無き囮となった空母たちに殺到する敵機に対し、大淀は搭載していた主砲対空弾の8割を撃ち尽くすまでに奮戦(乗組員曰く、カビエンでの戦訓でこれでも発砲を控えめにしていたという。当海戦にて撃墜27機を主張)。
囮の役目を全うし大破炎上した瑞鶴から小沢中将以下司令部を移乗させ、艦隊旗艦の任を受け継ぐ。そして彼女の最期を看取った。*18- 空襲の間隙を突いての作業であり、間一髪の移乗劇だったという。下記動画のカッターは大淀のもので、小沢長官を迎えに行く途中の映像である。
ナレーションは不時着水した搭乗員を救出するためと言っているが実際は逆で、カッターの周りに戦闘機が相次いで不時着してきたものだった。
- 空襲の間隙を突いての作業であり、間一髪の移乗劇だったという。下記動画のカッターは大淀のもので、小沢長官を迎えに行く途中の映像である。
- その後、千代田や駆逐艦初月を襲った敵水上艦隊*19を撃破すべく、日向・伊勢ら生き残りが合流して追撃を開始したが、初月を撃沈した敵艦隊は直ちに撤退し機動部隊本体へ合流したため捕捉できず、小沢艦隊は奄美大島に帰投した。
奄美で小沢長官は旗艦を大淀から日向に変更している。
- このように、作戦目的を果たすために囮艦隊壊滅後も更に奮闘した大淀だったが、作戦自体に対する意見は非常に辛辣なものであった。
大淀戦闘詳報「敵軍上陸して数日を経過し、敵の防御体勢累整備し居る港湾に何等の術策を用いず、単純一突入する事は将に自殺的行為と云ふを得べく」- 現代風に言うと「敵がフィリピンに上陸して時間が経って、敵は万全の体制を整えてるのにこちらは何の策も立てずにただ突っ込めって・・・犬死にじゃないですか!」
- また、機動部隊を指揮した小沢艦隊司令部に対しても、「いつからいつまで、敵の攻撃を引き付ければよいのかという作戦の根本が不明瞭であった」などと批判を浴びせている。
- なお、上層部の将官以外の乗組員は、「この戦いは連合艦隊の総力を挙げての決戦であり、我々が帝国海軍の主力たる機動部隊の一員なのだ」と信じ、まさか自分たちが「囮」であるなどとは夢にも思っていなかったとのことである。
- このためか、開戦以来機動部隊の一員として戦い、レイテ沖海戦で沈んだ瑞鶴の生存者の中には、このような作戦をした小沢長官以下司令部に対して不平不満を持った者が多くいたようで、海戦後司令部を収容していた大淀が奄美大島に寄港した際、先に上陸していた瑞鶴生存者たちから怒号が飛び交う状態となり、瑞鶴の高田副長が「お前らの気持ちはよくわかるが、ここで言ってはならん」と必死に制止するという騒ぎになっている。大淀にとってはとんだとばっちりではあるが…。
- この戦いでは、大日本映画社から派遣されたカメラマン6人が艦隊各艦に分乗していた。
6名のうち、瑞鳳に便乗して駆逐艦「桑」に救助され生還した竹内記者と、大淀に便乗して生還した山根記者が撮影したこの戦闘の映像が、日本ニュース第232号として現存している。
- 生き残りの日向・伊勢らは、帰路にも潜水艦の度重なる襲撃を受けつつも呉まで無事に帰投した。
大淀はと言うと・・・途中の奄美大島で小沢艦隊司令部は旗艦を日向に移し、大淀は旗艦任務を解かれ、直ちにマニラへトンボ返りすることとなる。
このためレイテ沖海戦直後に満足な補給も受けられず、後に大和らの艦隊と合流するまで、主砲対空弾や高角砲弾等の在庫も殆ど無いまま、制海権が敵に落ちつつある危険な南西方面の海域で活動することとなる。
礼号作戦~北号作戦、帝国海軍最後の意地
- 第三艦隊司令部が退艦し再び旗艦任務を解かれた彼女はマニラ、ミリ、ブルネイ、リンガとフィリピン方面の泊地を回る。
レイテ沖海戦後に満足な補給も受けられないままの行動であり、特に主砲対空弾が不足したままの行動であった。
- 提督諸兄の合言葉「帰ろう、帰ればまた来られるから」でお馴染みの木村昌福少将指揮下で足柄、霞らと共に礼号作戦に参加する。
- 緒戦の最中に爆撃機からの爆弾2発が直撃、至近弾2発を受けるも直撃弾は全て不発という強運を発揮した。お前はどこの8番艦だ。
- その快足で敵水雷艇の魚雷を全て回避しつつ迎撃し、サンホセ港の物資集積所および飛行場を20分あまり砲撃した。
- その後、旗艦霞より撤退命令が下るが、沈没した清霜搭乗員の救助に当たっていた霞の安全を確保するため、足柄とともに撤退命令を無視し周辺の敵水雷艇を掃討してから撤退。
救助完了後霞も無事撤退し作戦を成功させた。 - 礼号作戦で霞が艦隊旗艦だったことは有名だが、12月14日から出撃直前まで、そして帰港後から翌年1月1日までは大淀が第二水雷戦隊旗艦になっていた記録があることはあまり知られていない。
出撃間際に旗艦を霞に変更したのは、困難な突入作戦には、旗艦設備は劣っても第一水雷戦隊時代から慣れ親しんだ駆逐艦*23で臨みたかったのが理由のようである。
日本の軽巡としては異質な彼女も、二水戦旗艦経験の持ち主なのだ。
- そして伊勢型姉妹の第四航空戦隊に編入されて、輸送隊の一員として北号作戦に参加。
既に無用の長物だった司令部を今度は輸送庫に改造。元に戻しただけとも言う。 物資を詰めたドラム缶を満載して日本へと向かい、「半分生き残ればいい方」とまで言われたこの無謀な輸送作戦で見事全艦無事で呉まで辿り着くという奇跡のごとき成果を残す。
だが、呉まで辿り着いたはいいものの、そこで作戦行動できるだけの燃料が尽き、この作戦が彼女の事実上最後の花道となった。
伊勢・日向とは最期まで一緒でした~呉軍港空襲
- 以後大淀は練習艦に転籍され、呉に繋留されることとなる。
- 1945年3月19日。呉を襲った敵爆撃機隊を友軍と誤認して反応が遅れる。そばにいた重巡利根がいち早く敵機と悟り発砲、これで大淀もこの編隊が敵だということに気付いたという。
迎撃自体は成功するも、呉に帰投しようと回頭中に敵機が来襲、至近弾により艦底より浸水、さらに直撃弾でボイラーと機関室、煙突が破壊され缶6基中4基を失い、戦死者52名を出す大損害を被る。
穴を塞ぐ応急修理は行われたものの機関部の修理はされず、戦闘行動はおろかもはや動かすだけで精一杯になった事で浮き砲台として飛渡瀬*24に繋留される事になる。- 松浦艦長は出港して回避運動を図ろうとしたが、機雷封鎖も始まった呉の狭い湾内では無謀だとして航海長内田中佐らが反対していた。また、乗員(巡洋艦大淀~16歳の海戦の著者)の回想でも、それまでの戦訓から、狭い湾内を小刻みに動きまわるよりも、停泊時のほうが射撃が安定して有効な対空弾幕が張れたのにと、暗に艦長を批判している(結果論だが、出港せずに戦闘を敢行した艦の損害は軽微だった)。
この事がきっかけで松浦艦長は半ば更迭される形で5月で退艦。田口艦長を迎えることになる。 - この時期、大和の沖縄特攻に大淀も同行することになるのではないかと、乗員の間でしきりに噂されていた。
しかしこの空襲により大淀は出撃能力をほぼ失った。もしこの時無傷だったら、大淀は大和や二水戦とともに沖縄に向かっていたかもしれない。
- 松浦艦長は出港して回避運動を図ろうとしたが、機雷封鎖も始まった呉の狭い湾内では無謀だとして航海長内田中佐らが反対していた。また、乗員(巡洋艦大淀~16歳の海戦の著者)の回想でも、それまでの戦訓から、狭い湾内を小刻みに動きまわるよりも、停泊時のほうが射撃が安定して有効な対空弾幕が張れたのにと、暗に艦長を批判している(結果論だが、出港せずに戦闘を敢行した艦の損害は軽微だった)。
- 同7月24日。第二次呉軍港空襲を受け、敵艦載機の爆撃によって上は大炎上、下は浸水。高角砲一基に直撃弾を受け使用不能になった挙句、右に傾斜したまま着底するも、消火と排水が行われなんとか復旧する。
- 同28日。再び呉を襲った大空襲によってさらに爆撃を受ける。残った機銃と高角砲で死に物狂いで応戦するも、10時ごろの艦橋付近への直撃弾を皮切りに続々と被弾、それがきっかけで傾斜がさらに増した事、連日の戦闘で酷使された機銃の故障が相次いだ事で、対空射撃がもはや不可能になってしまった。
抵抗する術を全て失いさらに直撃弾を受けた大淀は、正午前についに完全に横転。横倒しのまま大破着底し、力尽きた。- 呉軍港空襲の話題となるとほぼ出てくる、左舷を上にして重油の帯を引きずりながら擱座した大淀の姿は、
米軍の手によってこの時撮影されている。なお米軍は転覆後も執拗に爆撃を加えたり、脱出し負傷した水兵を載せて陸地に向かう内火艇に機銃掃射を行ったと伝えられる。*25
- 呉軍港空襲の話題となるとほぼ出てくる、左舷を上にして重油の帯を引きずりながら擱座した大淀の姿は、
- 「巡洋艦大淀~16歳の海戦」の著者である小淵守男氏は、7月の呉軍港空襲時には陸上砲台へ異動しており難を逃れている。
- 1945年3月19日。呉を襲った敵爆撃機隊を友軍と誤認して反応が遅れる。そばにいた重巡利根がいち早く敵機と悟り発砲、これで大淀もこの編隊が敵だということに気付いたという。
- 戦後大淀は転覆状態から復旧された後にドックまで運ばれて解体された。
- 普通着底した艦はその場で浮揚し解体されるのだが、「一隻ぐらいは生まれ故郷で解体してやりたい」とドックまで曳航されたらしい。
- また浮揚作業からドック入り、解体まで記録として写真に残されている。ドックで撮影された写真には、
着底の衝撃で根元から曲がった艦橋や、3月の空襲の応急修理跡、最期まで敵を追いかけた高角砲が最大仰角で停止していることが見て取れる。
大淀の魂、現代に語り継がれる
- 広島県江田島市大柿町飛渡瀬、ここが大淀の最後の地である。浮き砲台になってから大淀の乗組員は、田口艦長の指示も有り住民たちの手伝いを行い、飛渡瀬の住人達もまた最後の戦闘の際、必死に大淀とその乗員を助けた。
生き残った大淀乗員たちも、飛渡瀬を第二の故郷のように慕っているものも多いという。- また同地には大淀の慰霊碑とお堂が建てられ、それを囲むように桜の木が植えられている。この慰霊碑は終戦から日も浅い頃、住人達が占領軍に嘆願して黙認と言う形で建立したという話が残っている。
そして大淀が空襲を受けた7月24日、毎年この日に、地元住民や乗組員とその遺族、そして海上自衛隊らによって供養が行われている。
- また同地には大淀の慰霊碑とお堂が建てられ、それを囲むように桜の木が植えられている。この慰霊碑は終戦から日も浅い頃、住人達が占領軍に嘆願して黙認と言う形で建立したという話が残っている。
- 光人社NF文庫から「巡洋艦「大淀」16歳の海戦~少年水兵の太平洋戦争~」が出ている。戦列に加わったのが戦中だと言うことも有り残された資料や写真が極めて少ない彼女にとって、この本は彼女の足跡を知り、また士官でない一水兵の目を通した乗組員たちの生活や訓練、戦闘の様子などを克明に伝える名著である。
- 現在は2代目「おおよど(DE-231 あぶくま型3番艦)」が現役である*28。あだ名は宮崎県の県木であるフェニックスの不死鳥伝説に因み「Bright Phoenix」
現代での姉妹は、ネームシップの「あぶくま」の他「じんつう」「せんだい」「ちくま」「とね」 どいつもこいつも猛者揃いな姉妹である。 - 航空巡洋艦最上や利根型重巡などがよく「DDH(ヘリコプター搭載護衛艦)の先駆け」と言われるが、大淀の主砲2基→艦橋煙突→格納庫→航空甲板というレイアウトと、旗艦設備が充実して対艦攻撃力は最小限という性質、
そして艦隊旗艦として指揮しつつ航空戦力を展開するという運用思想は、最上・利根以上に後年の「はるな」・「しらね」型護衛艦にそっくりである。(現役の護衛艦の中で艦対艦ミサイルを搭載してないのは彼女らだけ)
- 一方で大淀の悲運を受け継いでしまったのが昭和49年から昭和55年まで博多~宮崎間を鹿児島本線周りで肥薩線・吉都線経由で走っていた特急「おおよど」である。
- 日豊本線「にちりん」のキハ80系間合い運用で誕生した列車だったが、間もなく日豊本線が電化、「にちりん」の485系電車化によりわずか5年ちょっとで廃止されてしまった。現在JRの列車愛称がコロコロ変わるのは珍しくないが、当時の国鉄特急は一種のステータスシンボルであり、これが廃止されるというのは一大事であった。*30
7/23(火)朝7時スタートだからな、忘れんなよ! -- 2024-07-21 (日) 15:44:27