朝霜

Cached: 2021-10-21 18:00:10 Last-modified: 2021-10-16 (土) 00:19:24
No.225
朝霜(あさしも)夕雲型 16番艦 駆逐艦
艦船ステータス(初期値/最大値)
耐久16火力10 / 29
装甲6 / 19雷装24 / 68
回避47 / 80対空9 / 44
搭載0対潜35 / 64
速力高速索敵6 / 19
射程16 / 59
最大消費量
燃料15弾薬20
装備
12.7cm連装砲
九三式水中聴音機
装備不可
装備不可
改造チャート
朝霜朝霜改(Lv45) → 朝霜改二(Lv77+改装設計図+戦闘詳報+開発資材x30)
図鑑説明
あたいは夕雲型駆逐艦、その十六番艦、朝霜さ。よーく覚えとくんだよ。
戦況が悪化した頃にデビューしたんだ。でも、その末期の戦線を、文字通り縦横無尽に駆けまわったぜ。
やるだけ…やったさ!

※初期値はLvや近代化改修の補正を除いた時の数値であり、最大値はLv99の時の最大値を指します。

CV:茅野愛衣、イラストレーター:藤川 (クリックするとセリフ一覧が開きます)

CV:茅野愛衣、イラストレーター:藤川

定型ボイス一覧

イベントセリフ改装段階備考追加


 
 



 



追加
入手/ログインよお! あたいは、夕雲型駆逐艦、十六番艦の朝霜さ。覚えといてよ。忘れんなよ……なあ!××編集
よお! 夕雲型駆逐艦、十六番艦の朝霜。いつでも出撃できるぜ。まだまだ暴れよう! …なぁ! 司令!××編集
いようっ! 夕雲型駆逐艦朝霜、来たぜ! 今日も元気で行こうぜ! なっ!××編集
母港*1編集
母港1詳細あたいかい? でーるよ!編集
母港2あー任せておきなよ。護衛でも夜襲でも♪×編集
ああ、任せておきなよ。最期の殴り込みでも、付き合うさ。××編集
母港3なんだよ清霜しつけーな! やめろって! ……って司令かよ!イイ覚悟だほら! 壁に手ぇつきなよ! いくぜ!編集
ケッコンカッコカリよぉ、司令。あたいになにか用だって? んだよ、皆がいるとこじゃ駄目なんか? なに、指輪?! おお、いいねぇ!! もらっとくよ! いいじゃんか♪編集
ケッコン後母港よぉ、どうした司令? 元気ないじゃんかさ。よっしゃ! このあたいが元気づけてやんよ。 ん? 歌でも歌ってやろうか? んん?編集
放置時……んだよーこのあたいを放っておいて、他に大事なことがあるってんのか?気に入らないね……でもまぁ、許してやんよ!××編集
そうだな~、また雪風や浜風、磯風達と沖に出るのもいいな。そん時きゃ司令、あんたも来なよ。楽しいさ、きっと。×編集
編成出撃編集
編成第三十一駆逐隊朝霜! でるよ!×編集
第二一駆逐隊朝霜ぉ! 出るよぉ! 霞、初霜、ついてきな!××編集
出撃あたいの出番か…行くっきゃないな。水雷戦隊朝霜、抜錨するさぁ!××編集
伊勢や日向も元気にやってんかなぁ…うん、よぉし! アタイも行くさ! 朝霜、抜錨!××編集
あたいの出番か、行くっきゃないな! 二水戦所属朝霜! 抜錨するさぁ!××編集
開戦・攻撃*2編集
戦闘1昼戦開始さ、始めるっきゃないね。撃ち方はじめぇーっ!編集
戦闘2昼戦攻撃ちっ、うるさい敵だな、やってやんよ!編集
戦闘3夜戦開始夜戦か。いいねぇ、思い出すねぇ! 突っ込むよー! ついてきな!編集
戦闘4夜戦攻撃この朝霜に掛かって来い! もっと! もっとだっ! 来いやぁ!編集
戦闘時ステータス*3編集
小破ちっ!食らったかぁ……編集
ちいぃっ……! いやいや、まだ行ける!編集
中破/大破ちっくしょー! やられたー! 機関は……よし、まだ航行可能だぜ! まだ進める!×編集
ちぃいい…!でも、こんなんで本気のアタイ止めらんないよ!まだまだ進むさ!××編集
轟沈へっ、寄ってたかって来やがって……まぁ、いいか……清霜、皆……また会える……な編集
戦闘終了*4編集
勝利MVPいよっし! あたいが一番槍だね! まぁ、こう見えてエースだぜ、任せな。編集
旗艦大破ちいぃっ……! いやいや、まだ行ける!編集
装備・改修*5編集
装備1改修/改造おぅ~気が利くじゃん!いいねいいねぇ~編集
装備2油断はしたくないしね。強化は歓迎さ!編集
装備3改修/改造/開発/バケツ/遠征/発見よっしゃーいったろー!編集
その他編集
帰投艦隊が無事戻ったぜ! ホッとすんな♪編集
補給おー有り難ーい! 油も弾も大切だかんな!編集
入渠(小破以下)やー……まだかすり傷だけどな! うん。編集
入渠(中破以上)うゅぅ……あたいとしたことが……ちょっとやられちまったなーすまん…編集
建造完了新しい仲間が来たってよー。編集
戦績表示状況分析か……。大事だね、ほらよっ。編集

各ボイス項目の詳しい説明はこちらをご覧ください


時報ボイス一覧

時刻セリフ改装段階備考追加


 
 



 



追加
00よっしゃー!司令、今日はこのアタイが秘書艦を務めてやんよ。イヒヒヒぃ、いいだろ?×編集
01マルヒトマルマルさ。ほーら、時報だってバッチリだって。へへっ×編集
02マルフタマルマルだ…ょ……×編集
03マルサンマルマルさぁ…はぁ、なんか、眠くね?まぁ、いいか…×編集
04マルヨン…マル…マ… ん、何だよ司令、もう食えねぇ…×編集
05マルゴォ…はっ!お…起きてるさ。と、当然だろ!マルゴーマルマル、朝だ!×編集
06マルロクマルマルになったぞ、司令。朝飯はどうする?霞とか握り飯持って来ねーかなぁ。×編集
07マルナナマルマル…ダメだ…腹減った…司令、間宮行こう。奢ってくれよぉ。なぁ!×編集
08マルハチマルマル!かァー!食った食った♪朝はこんくらい食わねーと力出ねーからなー♪!×編集
09マルキューマルm…お!清霜じゃーん!や、お前ももっと飯食えよ。でかくなんねーぞ!×編集
10ヒトマルマルマルさ、司令。ん?遠征?任務? まぁ、そーだなぁ。やっとくかぁ ・・・ん、と。×編集
11ヒトヒトマルマル。あぁ、もう腹減ってきた。司令?昼はどうする?無難にカレーか?×編集
12ヒトフタマルマル。お昼だぜ。お、霞じゃん! もしかしてその包みって… おぉ…おぉ~!×編集
13ヒトサンマルマル。かぁー!海の上での握り飯は最高だなぁ なぁ司令! あ、お茶くれ×編集
14ヒトヨンマルマルさ。よし、腹も膨れたし、真面目に仕事だな。司令、どうするかい?×編集
15ヒトゴーマルマルだ。はぁー 真面目にやると何気に腹減るなぁ。や、流石にまだ大丈夫。×編集
16ヒトロクマル… おお、足柄と大淀じゃん。やっほーぃ。ん? 元気にやってるよ、ああ。×編集
17ヒトナナマルマルさ。日が落ちるなぁ。司令、この時間っていいよな。なぁ。×編集
18ヒトハチマルマル。さあ夕飯だな。司令どうする?え、アタイが作るの? 無理無理無理!×編集
19ヒトキューマルマル。司令悪いな、夕飯作ってもらって。んんっ!うまいじゃん!×編集
20フタマルマルマル。やぁー司令の夕飯うまくって食い過ぎた。腹パンパンさぁ。ほらっ!×編集
21フタヒトマルマル…んんーあの軽巡うるせーなー 一発殴ってきていい? ん、…ダメか。×編集
22フタフタマルマルさ。ふぃー はぁー何だ、今日も疲れたな な?×編集
23フタサンマルマルになったぜ。やぁ司令、今日も1日お疲れさ。明日も頑張ろうぜ♪×編集


季節ボイス一覧


イベントセリフ改装段階備考追加


 
 



 



追加
桃の節句編集
春の訪れ編集
ホワイトデーんぉ?これくれんのか?ありがたいぜっ!編集
編集
春本番編集
梅雨あー、なんだぁ...。雨が続くよなぁ~。なんか部屋の中って落ち着かないぜぇ。あぁーなんだかなぁー!編集
初夏編集
編集
盛夏編集
夏祭り編集
なんか…さぶいなあ…へ、へっくしゅん!編集
秋刀魚あたい、秋刀魚は嫌いじゃないんだよねー。本気と書いてマジと読む! マジに取るぜ-…殺るっ!!編集
晩秋編集
ハロウィン編集
秋のワイン編集
大淀さん、行くのかい? じゃあアタイと、霞、清霜も連れてってくれよ! 当然だろ?編集
師走編集
クリスマスくり…す…ます? まーた面妖な祭りやってんなぁこの艦隊は。…飯はうまいから、いいか編集
年末編集
新年司令、今年もヨロシクなっ!新年っつーか…いつだって頼ってくれて、いいけどな!編集
節分節分は嫌いじゃないねぇ…。いよーっし投げるぜぇ!って痛ぇ、清霜!あたいに投げんな!編集
バレンタインバラン…タイ…? まーたおかしな祭りばっかだな、この艦隊は。…ぅ、一応あるぜ、はいよ!編集

二周年記念よっしゃあーっ! 今日は特別な日じゃんか! よし、司令! 一緒に祝おうぜ! なあっ!編集
三周年記念いよぉ! 三周年だってよ、マジかよすげぇなぁ! 司令、なんか記念に奢ってよ、なぁ!編集
四周年記念うおおぉぉっ! 四周年! うおおぉぉっ! なんか、叫びたい気分だああぁぁぁっ!!編集
五周年記念よっしゃあーっ! 今日は特別な日じゃんか! よし、司令! 一緒に祝おうぜ! なあっ!編集
六周年記念編集
七周年記念よっしゃあーっ! 今日は特別な日じゃんか! よし、司令! 一緒に祝おうぜ! なあっ!編集
八周年記念編集


ゲームにおいて

  • 2015年2月6日のアップデートで新規に実装。同時に実装された他のと異なり、イベント海域クリア報酬では無くドロップ艦。
    同日から始まった2015年冬イベント「迎撃!トラック泊地強襲」のE-2以降のボスやE-5道中のドロップで入手できた。
    • 入手が難しい艦娘の一人だが、実装から1年後の2016年冬イベント「出撃!礼号作戦」ではE-2の史実艦ルート固定に関わるためか高ドロップ率だった。
    • 2015年6月12日のアップデートで実装されたカレー洋リランカ島沖(第一期)にて、待望の通常海域でのドロップが確認された。
    • 第二期では4-5ボスマス、6-5ボスマスにてドロップが確認された。
      • 2019年版の秋刀魚&鰯祭りでは、1-4ボスマスにてドロップした(余談だが、秋刀魚&鰯祭り開始と同じアップデートにて朝霜改二が実装されている)。
      • 2019年版秋刀魚&鰯祭り、ならびに秋刀魚modeグラフィック終了後も、引き続き1-4で朝霜がドロップしている(所持済みでも可)。
        特に公式発表は無かったが、昨年の1-6 磯風ドロップ同様、1-4 朝霜ドロップが常設化した可能性がある。


  • 改造前で九三式水中聴音機、改造後で三式水中探信儀と、初期装備だけでソナーを2個回収可能。開発が難航している提督やより上位のソナーへの改修更新を目指す提督には有難い。
    • 特に四式ソナーの改修材料である九三式ソナーについては、未改造で持ってくる唯一の艦である。
    • また改造すると対潜値が駆逐艦改二並みの高さとなり、対潜先制爆雷攻撃を行う際に有用となる。(朝霜改を参照)


キャラクター設定について

  • 長波清霜などと同様に特徴的な髪色、こちらは銀髪(もしくは灰色)に内側紫となっている。
    • そして改になると内側の色が紫→蒼のグラデーションになる。今までにない変化。
    • 右目は髪に隠れており、早霜と違って中破しても見えないまま。実艦の朝霜の「右側」に関わるエピソードは撃沈状況の一説として右舷から集中攻撃を受けたというものがあるが、それが関係しているのだろうか。
      左目の特徴として瞳孔は極端に上向きについている。描きおろしイラストでは通常の位置にある時と上向きについている時の両方があるが。
  • 普段の立ち絵では解像度の関係でわかりにくいが、改造画面の顔アップで確認するとギザ歯である。
  • イメージに反して(?)通常立ち絵の頭身は夕雲型では中々高い方で、実際コンプティーク2018年10月号の表紙では姉の沖波より背が高く書かれている。また高解像度や秋祭りグラの中破立ち絵では胸部装甲にそこそこの膨らみが見受けられる。
  • ガキ大将のような喋り方が強烈な印象を与えるが、性格は意外に真面目で素直。ただし提督のセクハラに対しては容赦無い対応を見せる。
    • 「壁に手をつけ」とは、海軍でよくあった制裁「バッター」を受けるポーズ。汚い大人は修正されるのであるっ!
    • 分からない人の為に言うと、映画「男たちの大和」に、このシーンは登場する。ブッ叩く棒は少なくとも1~5号まであるようで、5号棒は何と鉄パイプである。彼女に海軍精神を叩き込んで貰いたい提督は挑戦してみるのもいいだろう。
  • はすっぱな性格は長波を想像させるが、実際にコンビを組んでいる(ボイスでは「第三十一駆逐隊」としか触れていないが)。
  • ドロップ時に「忘れんなよ!」とやたら念を押してくるのは、一人取り残されて最期を迎えた史実からだろう。そのような艦歴を「やるだけやったさ」とまとめるさっぱりとした子である。
  • 藤波・浜波と同様に現時点では夕雲型の中で時報ボイスが実装されていないいなかった。
    • 2019年10月25日、改二実装と共に時報ボイスが/改二に実装された。
  • 藤波からは「朝霜ちん」、浜波からは「あーちゃん」、沖波岸波からは「朝ちゃん」、秋霜からは「あさあさ」と呼ばれており、浜波からは彼女の乗員を救出した経歴があるためか、お花見限定ボイスで食べ物を差し出すと共にお礼を言われている。
  • 家具の『鎮守府カウンターバー』を使うと、時間帯によってビール→日本酒→ワイン→ウィスキーと変える「ちゃんぽん朝まで飲み勢」であることがわかる。とんだ呑兵衛である。
  • 2015年4月23日のアップデートでは夕雲型の中から唯一記念ボイスが用意されている。それにしてもいつも以上にテンションが高い。
  • 2015年12月、某雑誌のTVCMにフル出演を果たす。突如テレビから「朝霜出るよ~!(しかもいつもより高い声で)」と流れてきて茶を吹いた提督が続出したとか何とか……。


  • 2015年12月8日のアップデートで追加された「礼号作戦」(小ネタ参照)の編成出撃任務(2-5ボスS勝利)で必要となる。
    これらには比較的低ドロップ率の大淀清霜も必要なのでその点、現在最難関クラスの編成・出撃任務かもしれない。
  • 後述の艦歴の通りレイテ沖海戦では栗田艦隊所属として参加しているのだが、
    2018年2月17日開始の捷号決戦!邀撃、レイテ沖海戦(後篇)では名前の似た艦と取り違えられて栗田艦隊としてカウントされていないという疑惑が持ち上がっていた。
    (多号作戦参加艦がルート固定・特効艦とされる後段作戦では朝霜もカウントされている)
    • 朝霜が栗田艦隊としてカウントされていないことは前年の秋イベントでも報告されており、
      3月2日に追加された友軍艦隊(能代二水戦)でも類似した現象が起こっている。ついでに決戦グラも無い。彼女が一体何をしたというのか。

期間限定グラフィック

  • 2016年8月31日のアップデートで季節限定グラフィックとして秋祭り法被modeが実装。
    • 法被の下はサラシ一枚と威勢がいいが、やっぱり肌寒さが勝る模様。

    限定イラスト:鎮守府秋祭りmode

    限定イラスト:鎮守府秋祭りmode

  • 2017年初夏のローソンとのコラボキャンペーンで朝霜の浴衣modeグラフィックが描き下ろされ、同年7月31日のアップデートで季節限定グラフィックとしてゲーム内にも実装された。
    • 白い浴衣でべっこう飴を舐めながらお祭りを楽しんでいる模様。
    • 浴衣modeのグラフィックは立ち絵限定で、カードイラストはそのまま。
      限定期間終了後に図鑑に格納された。
      なお浴衣modeの艦娘の中で朝霜のみ、同年9月29日のアップデートで秋祭り法被modeに切り替わる形で一足先に浴衣modeが終了している。
    • また、同じく浴衣グラが用意されている藤波の限定ボイスでは彼女の着付けを手伝っていたようで、意外に器用な一面を見せている。

    限定イラスト:浴衣mode

    限定イラスト:浴衣mode

  • 2018年1月17日メンテナンスで節分modeが実装された。
    • どうやら清霜に不意打ちをくらった模様。中破すると嬉々として反撃を開始する。
    • 節分modeのグラフィックは立ち絵限定で、カードイラストはそのまま。
      限定期間終了後に図鑑に格納された。

    限定イラスト:節分mode

    限定イラスト:節分mode

  • 2018年10月10日メンテナンスで、秋刀魚modeが実装された。
    • 上記の秋祭り法被modeに代わる形での実装。法被姿で周囲に秋刀魚を振舞っている。

    限定イラスト:秋刀魚mode

    限定イラスト:秋刀魚mode

小ネタ

  • 夕雲型駆逐艦十六番艦。1942年度(マル急計画)仮称第344号艦として藤永田造船所で1943年1月21日に起工、1943年11月27日に竣工。
    • 夕雲型で同じ藤永田造船所出身の艦娘は巻雲長波藤波秋霜(2019秋イベント時点)。他にも駆逐艦を多く建造しているので、興味のある人はググってみよう
    • 同型艦の中で起工から就役までが最速であるため、「○霜」クラスの16番艦ではあるが、就役順では下に岸波沖波という「○波」クラスの名前を冠した艦が二隻いる。(ただし、彼女らのセリフでは妹扱いを受けている)
  • 夕雲型は艦隊決戦型駆逐艦の最終形ながら、戦線の不利や水雷戦の衰退が起こり始めた時期に就役した艦が多く、満足に結果を残せず短い生涯を終える艦が多かった。
    そのような中、この朝霜は図鑑での本人の言の通り、戦争末期に投入され実働期間は一年程度ながらも、非常に濃い経歴を持つ夕雲型屈指の殊勲艦である。
  • 竣工後は第十一水雷戦隊に編入し呉に移動。当時呉には修理復帰艦艇の満潮不知火がおり、彼女らとともに柱島に移動する。
  • 柱島では上記のメンバーに加え、同型艦の浜波(12月15日に転出)や第二艦隊所属の山城伊勢日向春雨矢矧らといった面々と訓練に励んでいる。
  • また、沖波・時雨・春雨と共に山城を護衛して横須賀まで回航するという任務も請け負っている。
    この頃就役した駆逐艦は22号対水上電探の訓練を行っており、朝霜はその成果を対潜活動などでしばしば発揮することになる。
  • 1944年2月10日、岸波沖波と共に長波一隻となっていた第三十一駆逐隊に編入され、能代旗艦の第二水雷戦隊付けとなる(もっともこの時期はその長波も修理中で不在)。*6
    • この時の艦長は2代目の杉原与四郎中佐、彼はこの後の朝霜での全ての艦歴において、艦長として指揮を取り続けた*7

      (杉原艦長の人となり)

      (杉原艦長の人となり)

      • 謹厳実直で家族思いの人柄で、息女の道子さんは幼いながら*8も久方ぶりの父の帰宅に喜んだ道子さんら兄妹が、はしゃいで晩酌をする父の身体まつわりついていると、艦長はニコニコしながら「静かにしなさい」と言いながら御猪口で飲み続けた、おとなしく優しい父の姿を覚えているという。
        • そんな杉原艦長が、一度だけ龍子夫人に厳しい態度をとった事がある。
          最後の出撃も近い1945年3月下旬、島根県の出雲に住む夫人は、急な夫からの呼び出しを受けて呉に向かい、指定の旅館で待っていた。
          やがて杉原艦長が驚いた顔で現れたのだが、艦長は一顧だにせず妻の腕をとり、「今は一番大切な時だ。私情を差し挟む暇も気持ちもない。駅まで送るから」と言って引きずるように呉の駅まで連れて行って汽車に乗せてすぐ返してしまった。
        • 呼んでおきながら会って早々に家に帰した夫の行動に夫人は「せっかく人を呼んでおきながら、なんと薄情な人だろう」とショックを受け、汽車の中で声をあげて泣いたという。そしてこれが夫人と艦長の今生の別れとなった。
        • だが夫人を呼んだのは、実は艦長ではなかった。実はこの日は出撃前の最後の乗員が上陸を許された日で、多くの乗員が家族と最後の再会をしたりしていた。只中には間に合わないからなどの理由で家族と会わない乗員たちもおり、艦長はそういった人々と一緒に酒を酌み交わしていた。そういった艦長に、奥さんと会ってもらおうと、水雷長の水野大尉が艦長の名で夫人を呼びだし、こっそりと会わそうと気を利かして行った行為だった。水雷長から妻が来ている事を知った艦長は、どの様な思いですぐ返したのかは分らないが、家族との最後の別れも出来ない乗員がいる中で、自分だけが夫人に会うことは出来ないと考え、敢えて妻に厳しい態度で追い返したのではないだろうか。
        • 後年、水野大尉の妹さんと会い、呼び出しの本当の経緯を知った夫人は、あの時汽車に乗せられた際に夫が言った最期の言葉「子供たちを頼む」と、敬礼しながら妻を見送った夫の姿を最後まで忘れず、「山も哭く、野も哭く、花も哭く、この世の分れの、夜を星降る」という詩を残した。そして夫の遺言を守り、3人の子と自身と夫の両親など10人の家族の世話を一人でこなし、夫の買ってくれたミシンで放出された布をシャツに仕立てて売り歩いたり、農作業に従事したり、出雲と大阪間を満員の汽車で往復してそれらを売り払ったりなどして必死に生きぬいた。そして大和の慰霊碑などがある徳之島犬田布岬には龍子さんの詠んだ上記の歌碑が建立され、現在も他の艦艇の慰霊碑と共に残されている。
      • 艦上においては僅かなミスも許さない厳しい杉原艦長だったが、普段は穏やかで下士官や兵士にもきつい言葉を一切使わなかったという。乗員たちからは優しい兄のように慕われており、規律を守りつつ艦内の雰囲気は良かったという。
        • 朝霜の雰囲気の良さは定評があり、艦長から一水兵に至るまで感じの良い乗員ばかりで居心地がよく、酒や食料や煙草にも恵まれていたといわれる。
          艦の厳しい生活で乗員が一番欲しい食べ物は「生野菜」であった。しかし保存がきかないため出航すると数日で食卓から消えてしまうのがどの艦でも見られる光景だった。
          そんな中で一番保存が利き、手に入れやすいのが「玉ねぎ」で兵たちの銀蠅行為の対象の第一位と言ってもよかった。乗員たちは寄港時の物資搭載作業の際、主計科の食糧搬入の応援要請が分隊毎に来ると、派遣された隊員が甲板から艦内の倉庫への途上で見張る主計科の兵たちの目が届かぬうちに食料の一部をちょろまかすのだが、よく狙われるのが「玉ねぎ」であり、多い時は甲板から倉庫に移動したら玉ねぎの量が半分になっていたという事もあった。朝霜でも玉ねぎは無論のことこういった銀蠅行為は他の艦と同様あったのだが、担当の主計科士官は「どうせみんなが食べるんだから、どこの分隊が保存してても同じこと」と笑って見逃してくれていたという。
          転勤等で生き残った元乗員は皆口を揃えて「朝霜ほど和気藹々とした人間関係の良い艦はなかった」「嫌なことや辛かったことは無かった」と述懐している。
          そのような暖かな絆に結ばれた艦だったため、乗員たちはおざなりな仕事などせず、自然と自分の役割に全力を尽くしていたという。
          このため、天一号作戦直前に転勤した航海長の芦田収大尉などは後述の「機関整備の手抜きによる故障」など絶対にあり得ないと、心ない噂を一笑に付している。

(トラウト撃沈)

(トラウト撃沈)

  • 再編された第三十一駆逐隊は初の外洋任務として、貨客船安芸丸・東山丸・崎戸丸の「松輸送」の護衛を行う。
    • この船団は米潜水艦ロックに捕捉されるが、朝霜は浮上したロックに探照灯射撃を行い、12.7センチ砲で潜望鏡を破壊。沈没を逃れたロックは船団発見の報を潜水艦トラウトに報告するが、この破損により哨戒を打ち切らざるを得なくなる。
      朝霜は22号電探で浮上したトラウトを発見し、探照灯射撃を行うがトラウトは潜航。朝霜はこれを沈没と誤認してしまうものの、潜没箇所に爆雷投下を行うなど念入りに対潜哨戒を行った。
    • だが、歴戦の潜水艦トラウト*9は、その後10時間にもわたり潜航したまま船団を追跡し、ついに魚雷を発射。朝霜は航跡に気づくが手の打ちようはなく、安芸丸は航行不能に陥り、崎戸丸は沈没し多くの将兵の命が失われてしまう。直後にトラウトの潜望鏡を発見した朝霜は、返す刀とばかりに爆雷攻撃を行いトラウトを撃沈する。
    • 同日に複数の潜水艦を撃沈・損傷させた駆逐艦はこの朝霜一隻のみであり、初陣ながら大手柄といえる。*10
  • その後は船団護衛や対潜警戒に従事している。リンガでは4月14日に第六十一駆逐隊(秋月初月・若月)と共に対潜哨戒を行うなど、第十戦隊と共に行動することもあったようだ。
  • マリアナ沖海戦では先立って浜風五月雨と共に日栄丸船団のバリクパパンからタウイタウイへのタンカー護衛任務を命じられ、本戦では二水戦能代の指揮の下で第三航空戦隊・第四戦隊に所属している。
    海戦後は島風と共に空襲を受けた榛名の佐世保帰投までの護衛を行った。
  • この間、第三十一駆逐隊所属ながら修理のため面識のなかった長波が復帰。岸波・沖波と合わせてようやく四隻が勢揃いする。

(レイテ沖海戦)

(レイテ沖海戦)

  • レイテ沖海戦においては栗田艦隊に所属。能代や三十一駆の僚艦や島風と共に旗艦の愛宕の護衛に当たっていたが、出撃後間もなく敵潜水艦ダーターの襲撃を受け愛宕が、デイスにより摩耶が沈没。高雄もダーターにより被雷してしまう。
    • 朝霜は岸波と共に愛宕の乗員救出を行い、その後は長波と共に応急修理中の高雄の護衛を行う。
      敵潜が潜んでいる可能性が高い中、停止しての応急修理とその護衛は危険を伴い、実際にこの時、先程のダーターとデイスが高雄にトドメを刺さんと付け狙っていた。
      それでもアメリカ側の記録によると駆逐艦の適切な対潜哨戒のため近づけなかったようで、朝霜と長波は高雄が無事航行能力を取り戻すまで護りきった。
      • なおダーターは追撃中(あるいは追撃を諦め帰還している最中)に座礁してしまい、デイスに乗員を救助された後に放棄された。長波・朝霜の対潜哨戒が間接的にダーターを喪失させたとも言えるかもしれない。
    • また、この最中第二艦隊旗艦である愛宕の通信員を多く乗せていたため、本来は駆逐艦が解読仕切れない数の暗号も解読し、戦況の情報を詳しく知ることが出来たという。*11
    • その後も朝霜と長波はブルネイに帰還する高雄を護衛し、その途中で放棄されたダーターを発見している。長波はダーターの処分に向かった後に護衛から離れ、朝霜はそのまま高雄をブルネイに送り届ける。
    • 杉原艦長はスリガオ海峡を経由してのレイテ突入を計画するも、愛宕艦長・高雄艦長に諌められ、栗田艦隊の反転の報が入ったこともあり断念する。
      ブルネイ湾は狭く、機雷が多数敷設されていたため、朝霜は10月28日に栗田艦隊から帰投する艦隊を誘導するよう命じられ、洋上で疲労困憊の大和長門らと再会したという(なお27日には西村艦隊からただ一隻生き残った時雨が帰投している)。
  • その後、二水戦旗艦を継承した島風と共にブルネイからマニラに向かう。そして多号作戦において長波と再びコンビを組む(沖波は熊野の護衛で一足早くマニラに着いていたが、岸波は別任務のため多号作戦に参加していない)。
    この時第三次船団は出撃予定日の前日に起こったマニラ空襲(那智が沈没、が大破)により延期せざるを得ず、第四次船団が先に出撃することになった。この空襲において朝霜も対空戦闘を行っており、砲術長が戦死するなど十数名の戦死者を出している。
    • 朝霜は第四次多号作戦に編入され、ヒゲのショーフクこと木村昌福司令官の乗る霞率いる・長波・秋霜・若月と共に第四次船団護衛を行う。
    • この船団は幸運にも空襲をさほど受けず、また輸送船が比較的高速であったため、オルモック湾への人員の輸送には成功する。しかし、輸送のための大発は木村司令官の事前の希望の一割しか用意されていなかった。これは敵の機銃で穴だらけになり使えなくなったり、前日の暴風雨により埋もれてしまったためだという。
      そのため激しくなっていく空襲の中で武器の陸揚げは困難だと判断し、人員のみの陸揚げで打ち切りとなった。このため、ほぼ丸腰で揚陸された兵士も結局陸上戦闘で大多数が犠牲となってしまう。
    • 更に帰還中の空襲で高津丸・香椎丸・第11号海防艦が沈没し、秋霜が大破。人命救助に定評のある木村司令官はこの時も現場に留まり、輸送船には海防艦を、秋霜には潮を付け先に退避させた。霞・朝霜・長波は香椎丸らの生存者を救助し、帰路についた。
  • オルモック湾からの帰還途中、遅れて出撃した第三次船団と遭遇し、朝霜・長波・若月は第三次船団の護衛(島風・浜波初春・竹・第30号掃海艇・第46号駆潜艇)に移るよう指示される。島風に座乗し船団護衛を率いる早川幹夫少将は第二水雷戦隊司令官であり、第三十一駆逐隊の朝霜と長波は元の所属に戻った形になる。
    • 朝霜らの代わりに第三次船団からは初春・竹が第四次船団に移った。これは事前の予定通りであったという。
      ――そして、これが一水戦と二水戦、両者の運命の分かれ目となるのである。

    (第三次船団、その顛末)

    (第三次船団、その顛末)

    • 湾外には魚雷艇が二隻待ち構えていたが、砲撃により撃退し被害は出なかった。朝霜は島風の指示により単独で魚雷艇を追うものの逃げられてしまい、すぐに隊列に復帰する(うち一隻の魚雷艇は逃走中に座礁し放棄された)。
    • そして、オルモック湾に突入した第三次船団は、木村司令官の時とは対照的に大空襲に見舞われる。その数は347機*12という大編隊であり、決死の覚悟で座礁を試みた輸送船団4隻は瞬く間に全滅してしまう。
      護衛艦は浜波・若月・島風・長波・第30号掃海艇・朝霜*13の順に連なり煙幕を張って回避行動をとる。
      まず若月が直撃弾を受け航行不能、のち沈没。長波は全弾を撃ち尽くした後に湾外に退避(その後救助活動のため湾内に戻った所を撃沈される)。浜波は被弾により舵故障を起こし航行不能。爆弾と雷撃を回避し続けた島風も至近弾で航行不能になり、艦橋の早川司令官は戦死してしまう。
      • 朝霜がただ1隻致命傷を逃れていたのは、最も狙われにくい殿にあったこと、また上手く煙幕を掻い潜ったこともあるが、他の艦が全て行動不能になった今は敵機の集中の的となる。それでも戦死者を出しつつも爆弾の直撃を回避し続けていた。
      • そしてようやく周りの様子を伺う余裕ができた時には、既にオルモック湾は地獄絵図と化しており、島風に三度横付けしようとするも速度を緩めようとする度に敵機が急降下し機銃掃射を受け失敗。
        満身創痍になりながらも尚も反復攻撃を受ける島風から、遂に先任参謀の松原瀧三郎中佐*14が朝霜に「帰れ」と命令し、朝霜はやむを得ず救助を諦めることとなった。
        • 芦田航海長の回想によると、何度か横付けを試みてピッタリとではないものの10~20メートルの距離を置いて止めることができた。甲板には松原中佐らがおり、海に飛び込んで泳げば救助できそうな距離であるため、杉原艦長は「早くこちらに乗り移ってください」と叫んだ。
          しかし松原参謀は「俺たちはここに残る。早くマニラに帰れ」と命令したため、断腸の思いで別れを告げたという。
          それでも空襲の合間、味方の零戦5機が駆けつけ、全て撃墜されたもののその間にできた隙を突き航行不能になった浜波からできる限りの生存者を移し、269名を救出している。*15
    • 朝霜が湾内から脱出したのち、第二水雷戦隊旗艦・島風は機関が爆発を起こし沈んでいった。これによりかつて精強を謳われた第二水雷戦隊はほぼ壊滅し、各駆逐隊の生き残りを集めて再編せざるを得なくなる。
      • 指揮をとった早川司令官は航空援護の無い状態で、低速の輸送船を護衛する輸送作戦の無謀さを挙げ反対していたにも関わらず、上層部が強引に強行させたという。*16
        この結果を受け滅多に上層部批判をしない木村司令官ですら作戦後、「艦隊司令部は毛が三本足りない」と独り言のようにこぼしたという。
    • 芦田航海長は、作戦後に杉原艦長が戦闘詳報の最後に記した「勝算少き作戦は直ちに中止すべきと思考す。徒に人命を失うのみなり」という旨の言葉が強く記憶に残っていると述べている。
  • 朝霜を残してこの大惨事第三次多号作戦の船団は全滅。ただ一隻この地獄の海から生還した朝霜だが、マニラに帰投した後も船団は大空襲を受け、木曾・初春・曙・沖波・秋霜が沈没・着底してしまう。
    朝霜は霞とともに僚艦沖波の救援に向かい、霞が泊地に戻った後も消火活動を続け、鎮火には成功するも沖波は大破着底した。
  • この状況を見かねた第五艦隊司令長官の志摩清英中将は一刻も早いマニラからの退避を具申する。朝霜は霞・潮・初霜・竹らとマニラから脱出。懸念通りその直後に再び空襲が行われ、残っていた船団は大損害を受ける。
  • シンガポールに到着した後、ここで駆逐艦勢は艦隊の再編成を行う。朝霜は第三十一駆逐隊から清霜と共に第二駆逐隊を結成する*17。そして第一水雷戦隊からほぼスライドする形で再編された第二水雷戦隊は、礼号作戦に挑むことになるのである。

(礼号作戦での朝霜)

(礼号作戦での朝霜)

  • この作戦において木村司令官が旗艦に霞を選んだエピソードは有名である。これは木村司令官にとって霞が乗り慣れていたこともあるが、清霜はあまり作戦経験がなく、死線をくぐり抜けた朝霜も人員の犠牲による乗員交代が激しく、練度に不安があったという事情もある。
  • 出撃後、清霜がB25の爆弾を受け落伍(その二時間後に沈没)、その20分後に朝霜は仇と言わんばかりにB25一機を撃墜している。しかし自身も空襲の被害を受け、魚雷発射管を損傷し魚雷を撃てなくなっている。
    ミンドロ島殴り込みの際は先頭を切る霞の後に続き陸上施設に砲撃を行う。そして帰投時に清霜のカッターを発見し、後から駆けつけた霞と共に多くの乗員の救助に成功した。
    • 当然、帰りも安全というわけではなく、空襲に加え、この時12隻もの潜水艦がカムランへの帰路を待ち伏せしていたという。敵潜は魚雷3本を大淀・朝霜に撃つが、鼻先をかすめる形で回避している。この時、朝霜の見張り員は魚雷の反応があったにも関わらず、それを荒れた波の反応だと思い込み上官へ報告をしていなかった。そのため作戦後の二水戦の報告ではこの時の朝霜と大淀の行動は手厳しく非難されている。
      朝霜は対潜警戒を行うが、前述の通り敵潜の反応と波の反応を誤認するほど海が荒れており、探知が困難だったため断念。これを手ぬるいと見たのか霞が駆けつけるものの、途中で空襲が行われたため哨戒を切り上げ帰還することとなる。
  • 北号作戦によって伊勢・日向・大淀・朝霜・霞・初霜ら完部隊は内地に帰還する。朝霜はゴムと錫を各50㌧ずつ積んでいた。この時既に清霜を喪ったことで第二駆逐隊は解散されており、初霜のいる第二十一駆逐隊に編入されていた。
  • 数々の激戦を生き延びてきた朝霜だが、その船体は多くの損傷を受けており、一刻でも早いドック入りを望まれていた。そして呉第四船渠(戦艦用)へ冬月・初霜・朝霜の三艦が同時に入渠することとなる。
    損傷程度の軽かった朝霜が最後になっていたが、二水戦司令部は「最重要優先事項」として矢矧の電探交換にかかった。杉原艦長も「矢矧電探の件、早急に解決されたし」と意見具申している。「現時点でも戦闘航行は可能だし、当面朝霜の出番はないのだから」と思っていたからである。
  • しかし、その僅か数日後沖縄方面での作戦が決定し、朝霜は満足に修理もできないまま呉から佐世保に移動することになる。
    その途中、僚艦の響が触雷し航行不能となり、朝霜はこれを呉への帰還の途中まで曳航する。響はこの損傷により後の作戦に外れることとなった。
    艦長は再度機関補修を依頼していたが、呉は空襲に遭っていたことなどから拒否されている。

(天一号作戦と朝霜の喪失)

(天一号作戦と朝霜の喪失)

  • 天一号作戦において、当初朝霜と初霜の二艦は参加を予定されていなかったようで、大和や矢矧といった大型艦への燃料移載が指示されていた。しかし直前になり朝霜と初霜の参加が決定し、その結果この2隻は対照的な結末を辿ることになるのである。
    • 朝霜艦長の杉原中佐は既に転出が決まっていたが、この最後の作戦において自ら留まることを申し出ていた。普段は冷静沈着な杉原艦長も、「生死はもとより問題ではないが、絶対戦果を期待し得ないような自殺作戦には大反対だ。駆逐艦一隻といえども、今は貴重な存在だ。国家は誰が守るのか。国民は誰が保護するのか。無為に沈んで堪るものか!」と色をなしていたという。
      また、出撃10日前に第二十一駆逐隊司令に着任したばかりの小滝久雄大佐*18も「連合艦隊最後の作戦である」と謳いながら陣頭指揮を執ろうとしない連合艦隊司令部*19「(旗艦で指揮を執った)ネルソンを見よ、東郷元帥を見よ」と草鹿龍之介連合艦隊参謀長が出席した会議の場で激しく非難している。*20*21
      • 小滝久雄大佐は父が日本郵船に務め、神戸ニ中から海軍兵学校に進学した神戸っ子。そして開戦時は同じ神戸で建造された巡洋艦熊野の航海長として参加している。ミッドウェ―海戦で敵潜水艦を発見した際、彼は即時攻撃を進言したが容れられず、直後に最上三隈が追突事故を起こし、翌日三隈が沈没してしまう。彼の進言が通っていたら両艦の運命も変わっていたかもしれない。
        また小滝大佐の長男国雄氏によると、小学生の頃夏休みの宿題で制作していた「水鉄砲」が中々上手く出来ず、帰宅した父が手伝ってくれたのだがそれでも上手くできなかった。すると父は「唐傘」を買ってこさせると、高価なその傘の竹製の柄を無造作に切り落とし、それで水鉄砲を完成させてしまった。だが国雄氏は後で母親から「海軍士官は物の価値を知らない人だから、ああいうもったいない事を真似してはいけませんよ」と諭されたという。息子の為に頑張るけど、それがちょっとズレてて微笑ましい父親って今も昔もいるもんですね。案外小滝大佐は、子供の見えないところで奥さんからお小言を受けていたかもしれない。
  • 第二水雷戦隊矢矧・雪風磯風・浜風・朝霜・初霜・霞・冬月・涼月は大和を中心に輪形陣を組み、第二十一駆逐隊の司令駆逐艦である朝霜は大和の左前方に位置していた。
    しかし、4月7日早朝、朝霜は突然機関故障を起こし艦隊から落伍。おそらくは左舷タービンのクラッチが焼きつき、結果12ノットしか出せなくなったのである。
    各戦場を東奔西走し続けた朝霜は酷使によって機関のあちこちにガタが来ており、前述の通り戦況の切迫によって抜本的修繕はついに行われなかった。そして、その機関がよりにもよって最後の最後に壊れたのだった。
    • 二水戦司令官の古村啓蔵少将は、「鹿児島に回航せよ」と命じたが、朝霜からは「12ノット可能のため本隊に続く」との回答があった。13時にはどうにか応急修理が完了する見込みであったという。
      しかし、12時10分「ワレ敵機ト交戦中」との電文が発され、さらに11分後の12時21分「九〇度方向ニ敵機三〇数機ヲ探知ス」との電文が発される。
      そして、これが日本側の知る朝霜の最後の消息になった。制空制海権を完全に奪われた海域で、機関故障した状態で単艦行動中に敵艦載機群に襲われた朝霜の運命はほぼ明白だったが、生存者ゼロのため日本側では戦後も長くその正確な最期は「消息不明」のままだった。
    • 大和沈没後、撤退していた冬月が朝霜が消息を絶った地点を捜索したようだが、暗くて何も見えず、探照灯の使用も危険が大きく、また既に沈没から8時間経った状態では生存者の発見は絶望的であるため捜索を打ち切ったという。
      • 杉原艦長、小滝司令以下乗員326人全員戦死と判断され、天一号作戦に参加した艦艇10隻の中で唯一総員戦死という最も悲惨な結末を迎えてしまった。朝霜の喪失により、19隻いた夕雲型駆逐艦は全滅した。
    • 戦後に判明した米側の記録によると、朝霜には米空母バンカーヒルらの編隊が襲いかかり、空襲の第三波までは回避したものの、第四波で一気に命中弾を浴び、爆発して沈没したという。沈没直前のおびただしく重油を流す朝霜の空撮写真はインターネット上でも見られる。
      • もう一つの説として。軽空母サンジャシントからの編隊が日本艦隊の北東をわずかに動いている駆逐艦を発見し、右舷からの集中攻撃によって三分足らずで撃沈したというものである。ただしこの駆逐艦は浜風のことではないかと言われている。
    • 朝霜の機関故障について、当時から「故障癖があった」「機関整備に無関心だった」「乗員が気弱なのでドック入りの順番を後回しにしていた」などという噂や評判が立っていた。
      実際の所は、急な作戦召集のため満足のいく修理を行う時間がなかった面が強い。もちろん、この時期の残存艦艇はどれも損傷を抱えており、満足にオーバーホールを行えなかったのは朝霜だけに限った話ではない。日本への帰還は果たしたものの、主機の不具合を起こしその後一切の行動ができなかった潮のような例もあり、あのタイミングでの故障が発生したことが不運だったとしか言えない。
      初霜の酒匂雅三艦長は戦後のインタビューで、「命令を出したら、それに対しての事後処理を当然やらなければいけないんです」と、司令部の幕僚が落伍した朝霜に対し救援する素振りも見せなかったことを非難している。

(海防艦「屋代」と幻の遭遇)

(海防艦「屋代」と幻の遭遇)

  • 御蔵型海防艦6番艦屋代は、昭和20年3月27日哨戒のため佐世保を出航、奄美大島方面へ向かった。
    4月7日佐世保に帰投しつつあった屋代は、大和を中心とした輪形陣とすれ違い、13時30分、一隻の駆逐艦と遭遇する。
    発光信号で「ワレ、朝霜、機関故障、修理中」と告げた、既に空襲波を受けたのか満身創痍のその駆逐艦は、
    屋代からの負傷者の移乗や曳航の申し出を断り、大和への打電を依頼したという。
    両艦の乗組員はお互いに帽子を振って別れを惜しみ、屋代艦長は「鳴らせるだけの汽笛を鳴らせ」と命じ、ややあって、朝霜は発光信号でそれに応じた。
    別れてから暫くして水平線の彼方に大黒煙が立ち上り爆発音がし、これは大和の最後だったと思われる。
    • この証言は屋代の電則員である宮田秀雄氏のものであり、朝日新聞昭和62年3月26日付けに「救助えい航を固辞した「朝霜」」として寄稿し、「屋代会だより第十二号」にも寄稿したという。
      記録では屋代は3月28日から4月8日まで佐世保に在泊したことになっている。当時は大和の佐世保回航命令やその取消などの様々な作戦変更の混乱があり、記録が正確に記載されておらずこの屋代の目撃もありえないこととして片付けられている。
      屋代の乗組員の証言も、当時の航路は上海から佐世保まで後退しており大和との遭遇はありえないとする方、大和の電報を傍受した覚えはあるが遭遇した記憶はないとする方、大和らしい艦との遭遇を覚えている方などまちまちで、朝霜との遭遇は誰も記憶していないという。
    • 「鎮魂駆逐艦朝霜」の阿部三郎氏の寄稿によると、この目撃証言を受けアメリカ側の報告書における朝霜の沈没時間を求めたものの、
      個々の空母からどの編隊がいつどのようにしてどの艦を沈めたということは、公式な報告書には記載されていなかったという。
      「特攻大和艦隊」で阿部氏は同エピソードを「人間の記憶は、まことに曖昧なもので、「朝霜」の場合も、宮田水兵の記憶があまりにも鮮明、かつ具体的であるので記載した」という言葉と共に紹介している。
  • 朝霜の慰霊碑は静岡県三島市の妙法華寺に建立されている。戦後に朝霜乗員の遺族が駆けまわって「朝霜遺族会」を作り、私財で建立したという。
    またその隣には愛宕の慰霊碑も並んで建っている。朝霜の慰霊碑が建立されたことを聞いた愛宕乗員たちが、
    かつて朝霜によって愛宕乗員492名の生命を救われた恩に感じ入り、傍らに建碑することを望んだためである。
  • またこの遺族会の際に出会った前述の小滝大佐の長男国雄氏と、杉原艦長の息女道子さんが、その時の縁が元で結婚されている。

(参考文献)

(参考文献)
「鎮魂・駆逐艦朝霜」(朝霜会)-朝霜の遺族会による発行冊子。寄稿はやはり坊ノ岬が中心となっているが、朝霜の艦歴についてもまとめられている。
「駆逐艦勤務」(矢花冨佐)-朝霜に乗艦されていた著者の体験記。駆逐艦での生活について細やかなところまで記されており、読みやすい。ただ朝霜の艦歴目当てなら少し物足りないかも?
「特攻大和艦隊」(阿部三郎)-坊ノ岬沖海戦に参加した十隻の艦についてそれぞれ個別でエピソードを収録した、坊ノ岬組ファン必読の一品。朝霜に関してはその風紀と杉原艦長の人となり、最期についての考証が行われている。
「地獄の海―レイテ多号作戦の悲劇」(岸見勇美)-朝霜が唯一の生還艦となった第三次輸送作戦を含めた多号作戦、その全貌について纏められた本。どちらかというと多号作戦そのものに興味がある人向け。あとこの時期の日本軍のアレさに気が滅入ることが多いので注意。
「死闘オルモック輸送作戦」(丸別冊第4号「日米戦の天王山」収録)-朝霜視点での多号作戦のエピソードを知りたいのならばこれ。前述の芦田航海長による朝霜のレイテでの戦いの貴重な証言。
 2016年4月出版の「駆逐艦物語」(志賀博)に「夕雲型「朝霜」多号作戦オルモック輸送」として収録されたため、以前より容易に読めるように。
「日本水雷戦史」「潜水艦攻撃」「第二水雷戦隊突入す」(木俣滋郎)-朝霜の大まかな活動、ロック・トラウト撃破、礼号作戦について触れられている。朝霜についてのみ知りたい場合は該当箇所だけ読むのがベターかも。

  • 朝霜の名は海上自衛隊には未だに受け継がれていないが、海上保安庁の巡視艇にはその名が存在した。
    • 旧・海軍17メートル内火艇「あさしも(CL-63)」がそれである。後に改造され、あさしも型巡視艇「あさしも(CL-302)」となった。
    • なお、いずれの時期においても「はつゆき」と「みゆき」は姉妹艇であった。あさしも型時代には「きよしも」(旧・海軍25トン内火艇(砲艇型)からの改造)と「はつはる」(旧・陸軍AB艇からの改造)も姉妹艇となった。
  • MVP獲得時に言ってくる「一番槍」とは、戦国時代からある武勲の概念。
    • 敵陣に真っ先に突っ込み敵を討ち取ってくる武功で、勇猛果敢かつ戦達者として激賞された。
      一番槍を達成した者には恩賞を授与することが通例であり、味方からも一目置かれるようになる。
      ただそれだけに一番槍の功を焦って命令違反を起こすこともままあり、特に血気盛んな大将格が一番槍に走ってあとから主君に灸を据えられるということも珍しくなかったりする。
    • そんな感覚は戦中の日本でも色濃く残っており、太平洋戦争史でもその手の武勇伝は少なくない。

この艦娘についてのコメント


*1 母港ボイスは各艦娘につき3つ割り当てられています。「詳細」ボイスは編成画面の「詳細」ボタンをクリックすることで聞くことが出来るボイスです。母港画面でも聞くことが出来ます。「母港3」ボイスは「母港画面でのクリック」もしくは「母港画面への遷移」でのみ聞くことが出来る、いわゆる「提督お触りボイス」です。編成画面での「詳細」ボタンでは聞くことが出来ません
*2 4つの基本ボイス(昼戦開始・昼戦攻撃・夜戦開始・夜戦攻撃)がありますが、各ボイスはその他の色々な場面でも使われます。各ボイスをどのフェーズ(航空戦/開幕雷撃/先制対潜/昼戦攻撃/各種CI...など)に割り当てるかは艦娘によって異なり、例えば開戦ボイスを攻撃でも使ったり、夜戦攻撃ボイスを昼戦でも使ったりします)
*3 「小破」ボイスの2つ目と戦闘撤退時の「旗艦大破」ボイスは共用化されています
*4 「小破」ボイスの2つ目と戦闘撤退時の「旗艦大破」ボイスは共用化されています
*5 装備ボイスは3ボイスありますが、改修/改造ボイスと共用化されています。また、ボイス3は「改修/改造」「開発」「バケツによる即時修復」「遠征出撃」「アイテム発見」ボイスと共用化されています
*6 2015春イベントで実装された姉の高波も「第三十一駆逐隊」を名乗っているが、朝霜らが就役した際には既に三十一駆の長波以外の僚艦(巻波・高波・大波・清波)は喪失しており、関わりは無い。
*7 初代艦長は艤装委員長時代を含めても3か月ほどで杉原中佐と交代しており、朝霜の短い一生の殆どは杉原中佐が指揮を執っていた
*8 杉原中佐の戦死時は5歳であった
*9 8度の爆雷攻撃を生き延びた猛者であり、ミッドウェー島砲撃を行う漣と潮を目撃したり、バラスト代わりにフィリピンの銀行から運び込まれた金の延べ棒を積み込んで輸送したり、第三次ソロモン海戦で霧島を雷撃したなどのエピソードを持つ。
*10 日本の駆逐艦が単独で潜水艦を撃沈した例はこれを合わせて4例であり、他はシャーク(山風あるいは)、パーチ(潮)、スカルピン(山雲)。
*11 一方で栗田長官の旗艦となった大和に艦隊司令部通信員は収容されず、第一戦隊司令部の通信員が第二艦隊司令部の通信業務まで代行するオーバーワークで、その後栗田艦隊の情報分析は混迷を増していく。同じく愛宕乗員の救出を行った岸波は大和に乗員移乗させているが、朝霜は直後に高雄の護衛に回っているために移乗させる機会がなく、この愛宕沈没と通信員の戦線離脱が栗田艦隊反転の一因となったと指摘する研究者もいる。
*12 あの坊ノ岬沖海戦でも敵機の総数は386機である。この数の機体が狭い湾内にいる駆逐艦部隊に襲いかかる光景は想像に余りある。
*13 第46号駆潜艇については各証言や記録で若干の食い違いがあるが、この直前に座礁した輸送船せれべす丸の護衛に回っており、湾内には突入していないようだ。
*14 先任参謀をはじめ生存者17名は第7次多号作戦にてオルモック湾に上陸した「竹」により救助された。後に松原中佐は雪風・初霜の17駆司令として宮津港空襲で指揮をとる。
*15 浜波から救助された乗員は十数名とする記述もあるが(『日本水雷戦史』など)、後に放棄された浜波に乗り継いだ長波乗員の証言では、艦内は兵士一名を残して空だったと述べているため、このページでは269名とした。
*16 陸軍気象班の予測では、実行期間中の三日間は豪雨が続くとのことで強く輸送を要望されていたという事情もあったのだが、「仮に晴れたらどうするつもりなのか」という早川司令官の抗議は無視された。懸念の通り、出撃時には雨天だったものの、オルモック湾突入時には空は晴れ渡っており(相手にとって)絶好の空襲日和となってしまう。
*17 その後、残った岸波が潜水艦によって撃沈され第三十一駆逐隊は解隊した。
*18 前任は北号作戦で共に生還した伊勢の副長であった。それ以前には日向の航海長だったこともあり、伊勢型姉妹に非常に縁のある人である。
*19 この時期の連合艦隊司令部は神奈川県日吉の地下壕内にあった。
*20 伊藤正徳「連合艦隊の最後」より。公の場での上級司令部批判はもちろん最大級のタブーであり、駆逐隊司令が連合艦隊司令部を公式の作戦会議で堂々と罵倒までするのは日本海軍の歴史上でも稀な異常事態である。
*21 映画「聯合艦隊」で、小滝司令による司令部非難が再現されている。