No.202 | ||||
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![]() | 天城(あまぎ) | 雲龍型 2番艦 正規空母 | ||
艦船ステータス(初期値/最大値) | ||||
耐久 | 48 | 火力 | 0 / 25 | |
装甲 | 26 / 51 | 雷装 | 0 | |
回避 | 33 / 59 | 対空 | 27 / 72 | |
搭載 | 51 | 対潜 | 0 | |
速力 | 高速 | 索敵 | 38 / 74 | |
射程 | 短 | 運 | 13 / 59 | |
最大消費量 | ||||
燃料 | 50 | 弾薬 | 45 | |
艦載 | 装備 | |||
18 | 25mm三連装機銃 | |||
24 | 12.7cm連装高角砲 | |||
3 | 未装備 | |||
6 | 未装備 | |||
改造チャート | ||||
天城 → 天城改(Lv50+改装設計図) | ||||
図鑑説明 | ||||
雲龍型航空母艦、その二番艦、天城です。戦時急造計画であるマル急計画により、建造されました。 空母機動部隊として運用されることは叶いませんでしたが、呉空襲時の対空戦で奮闘しました。 |
※初期値はLvや近代化改修の補正を除いた時の数値であり、最大値はLv99の時の最大値を指します。
セリフ | CV:堀江由衣、イラストレーター:くーろくろ |
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入手/ログイン | 雲龍型航空母艦、天城と申します。提督、どうぞよろしくお願い致します。天城、精進致します! |
母港/詳細閲覧 | えーっと、対空戦ですか? |
何…?対空射撃、撃ち方はじめ!あら、提督?あぁ…、えっと……。 | |
提督、天城の格納庫に何か御用でしょうか……? 艦載機を配備? わあ、嬉しいです! | |
母港/詳細閲覧(新年) | 提督、新年明けましておめでとうございます。天城、新年をご一緒できて光栄です。 |
母港/詳細閲覧(周年汎用) | 提督。今日は、特別な日ですね。天城、ご一緒できて光栄です。……ふふっ、嬉しい。 |
母港/詳細閲覧(Xmas) | メリークリスマスです、提督。函館や呉の夜景も今日は綺麗ですよ。きっと。 |
ケッコンカッコカリ(反転) | 提督、お呼びでしょうか? え、天城に? これを? …お受けいたします。提督、ありがとうございます! ずっと、大切にします! |
ケッコン後母港(反転) | 提督、いつも本当にお疲れさまです。天城、ここに待機していますので、御用があればいつでもお呼びくださいね。 |
編成 | 航空戦隊旗艦、天城、出撃致します! |
出撃 | 航空母艦天城!抜錨致します! |
航空戦隊旗艦、天城、出撃致します! | |
遠征選択時 | 天城が参ります! |
アイテム発見 | 天城が参ります! |
開戦 | 対空射撃じゃありません!攻撃隊の発艦です!天城航空隊発艦、始め!です! |
航空戦開始時 | 烈風……眩しい翼……。あっ……自分の艦載機なのに見惚れちゃいました! |
対空射撃じゃありません!攻撃隊の発艦です!天城航空隊発艦、始め!です! | |
夜戦開始 | つ、追撃ですか?そうですか……。が、頑張ります! |
攻撃 | 烈風…眩しい翼…あっ、自分の艦載機なのに、見惚れちゃいました! |
天城航空隊! あっ、お願いします! | |
小破 | 被弾!? 応急処置を! |
浸水を防いで! だ、大丈夫です! | |
中破/大破 | うぅ…やられました…艦載機、発着艦不能です… |
勝利MVP | 天城が一番ですか……?本当に……?あぁ……ありがとうございます!嬉しい……。 |
旗艦大破 | 浸水を防いで! だ、大丈夫です! |
帰投 | 艦隊が無事帰投しました、お疲れ様です。 |
補給 | 貴重な燃料や艦載機、ありがとうございます! |
改装/改修/改造 | 対空火器の、増強でしょうか? |
新しい艦載機!天城、感激です!ありがとうございます! | |
天城が参ります! | |
入渠(小破以下) | 深い傷ではないのですが……提督、すみません。 |
入渠(中破以上) | 申し訳ありません…長いお風呂を頂きます…本当に、すみません… |
建造完了 | 新造艦が就役した模様です。 |
戦績表示 | 提督、情報は大切ですね。天城もそう思います。 |
轟沈(反転) | 沈むのに…天城、不思議な気持ちです…今度は、精一杯…生きました… |
時報 | (0時) |
(6時) | |
(12時) | |
(18時) | |
放置時 | 函館……何でだろう懐かしい響き……気のせいですね。あ、提督お呼びでしょうか?天城、精一杯頑張りますね! |
ゲームにおいて 
- 2015年2月6日のアップデートで新規に実装。同日から始まった2015年冬イベント「迎撃!トラック泊地強襲」のE-5>クリア報酬。
- 扱いは基本的に雲龍と同一。燃費も性能も大差ない。
- およそ戦闘に向かない格好と、艦載機を一切積んでいないのは雲龍同様史実に基づいたものか。
- 改装によって、艦載機と共に本来の空母としての姿を取り戻す事ができる。
グラフィック 
- 同時に実装された香取ほどあからさまではないが、こちらも艦娘バナーについている艦種とレアリティを示すアイコンをよく見ると「工(工作艦)」の文字の上に「航(航空母艦)」を重ねたように見える。
香取ほどあからさまじゃなかったせいか香取の方は2015年2月23日のアップデートで修正されたのにこっちは修正されてない。何故だ。
- 中破イラストは、地面(?)にぶっ倒れているというなかなか斬新なもの。
- アップデート2016年1月1日未明で、期間限定グラフィック「新春の晴れ着mode」が実装された。
他の期間限定グラと同様、変更は立ち絵のみで、カードイラストはそのまま。- 初期天城とあまりのシルエットの違いに困惑する提督もおられるが、クラシックな和装の着付けは期間限定グラの方が正解とされている。帯も含めてまっすぐに近いラインを描くのが標準的な着付け(あのメリハリボディなので、恐らく帯の下にタオルでもごっそりつめ込んで補正しているのだろう)。
初期天城の着付けの理由については、下記のくーろくろ絵師の説明を参照のこと。
限定イラスト:新春の晴れ着mode
- 初期天城とあまりのシルエットの違いに困惑する提督もおられるが、クラシックな和装の着付けは期間限定グラの方が正解とされている。帯も含めてまっすぐに近いラインを描くのが標準的な着付け(あのメリハリボディなので、恐らく帯の下にタオルでもごっそりつめ込んで補正しているのだろう)。
- 2016年10月5日のアップデートでなか卯コラボ限定グラフィックとして【買い出しmode】が実装された。
- 紅葉の柄の秋らしい着物に。中破時に露わになる背中がとても艶やか。
限定イラスト:なか卯コラボVer.
- 天城についても雲龍と同じく絵師本人がTwitterで解説している。
史実の天城について、及び艦娘の天城のデザインについての絵師本人のつぶやき。
- 航空母艦天城は三菱長崎造船所で起工されました。
天城は雲龍の図面を転用して作られた為外見がほぼ同じですが、機銃のプラットホームが全て角型になるなど簡略化が更に進んでいます。
また、機関は改鈴谷型重巡から流用して雲龍と同出力になるように構成されました。 - 竣工後、第一航空戦隊に編成、瀬戸内海で松山基地の601航空隊と共に航空戦隊としての訓練をしていましたが、程なく第一航空戦隊は解体。
601航空隊は基地航空隊となり、天城は搭載する筈だった母艦航空隊を失い、呉鎮守府所属艦になりました。 - ●天城初期
着物姿は三ツ子島に擬装繋留されていた姿を表現しています
天城改の鉄ブラ、手蓋、服等の上に擬装(着物)を付けています。
着物の柄に松の木、道路、土、擬装網等、擬装に使われた物を取り入れています。
- 乗せられた擬装の為に甲板の機能は妨げられていましたので、甲板は帯に。旗竿は袋に収納されています。
繋留時は第4種予備艦となっていた為人員は最低限しかおらず、浸水に対するダメージコントロールができずに徐々に傾き、転覆しました。
ですので下の防御力を下げる表現で脚の鎧は外してます。
- 初期天城の絵は後ろに隠していた腰艤装を前に展開させる途中のイメージです。
開幕戦の画面の暗さに溶け込んだら面白いかと思い、暗めに塗ってます。
- 初期天城で胸が大きいのは着膨れです。
- 初期天城の帯ですが、普通の着物の帯の長さは4メートル近いので人が持てる幟程度の長さだと全然足りません。
なので、背中の結びは結んである形に作られたものをポンと付けているフェイクです。中破の時に留め金がちょっと見えます。
- 髪飾りは楓と結袈裟の房
- 航空母艦天城は三菱長崎造船所で起工されました。
小ネタ 
- 雲龍型航空母艦の2番艦。
姉の雲龍、そして雲龍喪失後は妹の葛城とともに、栄光ある一航戦最後の主力空母を務めた。
しかし彼女らが就役した頃(1944年9月)は、マリアナ沖海戦の大敗の後で飛ばす飛行機にも搭乗員にも事欠く有様で、既に一航戦の栄光は過去の話であった。*1- 実は、1941年に議会承認を受けた戦時予算案の「マル急計画」では雲龍一隻のみで姉妹艦建造の予定は無かった。
しかし、海軍はミッドウェー海戦で機動部隊を喪失したため、失われた空母を直ちに補う必要に迫られた。
そこですでに議定済だった定期的な軍備予算計画の「マル五計画」を急遽変更、「改マル五計画」と訂正して姉妹艦15隻を急造する予算を得ることになる。
この改マル五計画の予算で生み出された雲龍型の戦時急造版の初号艦が、この天城である。- 三菱重工長崎造船所にて1942年10月1日起工、1943年10月15日進水、1944年8月10日竣工。
起工から竣工までわずか1年10箇月という急造艦であった。 - 戦時急造のためか、雲龍とは各部寸法はほぼ同じものの少し異なった艦影になっている。
例えばスポンソン(艦舷に生えている銃砲を載せる膨らみ)が円形に作られていた部分を角ばった形状に変更して防波板の曲げを省略する、
マストを甲板ではなく一段上にある旗甲板から生やし建造を楽にする…など、細かなところが変更されている。 - また機関については、同時期に建造が中止あるいは艦種変更で機関が余剰となった改鈴谷型(伊吹型)二隻の機関を流用している。
これにより、アレも重巡クラスらしい。 - 空母信濃ほどではないにせよ、突貫工事のせいか不具合が多かったという。
特に電気系統は材料が粗悪なためか絶縁不良が多発し、新造艦なのにあちらこちら絶縁テープで応急修理されている有様だったという。
- 三菱重工長崎造船所にて1942年10月1日起工、1943年10月15日進水、1944年8月10日竣工。
- 日華事変に始まり真珠湾で世界にその名を轟かせた日本海軍機動部隊だったが、ミッドウェーを転機に、相次ぐ激戦で多数の航空機と貴重な搭乗員を失うことで凋落の一途を辿り、マリアナ沖海戦を経て事実上壊滅状態となっていた。
- 実は、1941年に議会承認を受けた戦時予算案の「マル急計画」では雲龍一隻のみで姉妹艦建造の予定は無かった。
- このため生前の彼女は僚艦の雲龍と、そして雲龍戦没後は葛城と組んで、機動部隊再建に向けた搭乗員錬成のため、第六〇一航空隊を載せて瀬戸内海で練習航海に明け暮れる日々を送った。
- 機動部隊再建の最中、3週間程だが天城は機動部隊の旗艦を瑞鶴から譲り受けていた時期がある。彼女にとって唯一の艦隊旗艦経験となった。
- しかし10月後半に始まったレイテ沖海戦には第一航空戦隊は艦の訓練不足と判断され不参加。せっかく育てていた第六〇一海軍航空隊も台湾沖航空戦で航空部隊を提供していて艦載機の無い瑞鶴ら第三航空戦隊に発着経験者を中心に貸し出してしまい、一からの再錬成となってしまった。そして航空隊はおろか三航戦の先輩達もレイテから帰ってくる事は無かった。
- そして空母を主力とする第三艦隊は海戦後解隊となる。姉の雲龍は前線への特攻兵器等の運送作戦に出撃し戦没、天城は妹の葛城と共に生き残った艦の寄り合い所帯と化していた第二艦隊に配属される。
- 結局、悪化する一方の戦局にあって機動部隊が復活することはなく、1945年2月10日には燃料不足を理由に、大和他一部の艦を除き、連合艦隊の艦艇を全廃することになり任務を解かれ、葛城や龍鳳とともに呉基地に係留。
同年4月20日には、遂に一航戦そのものが解隊されてしまった。- これにより六〇一空も基地航空隊に改編された。
- 呉三ツ子島に係留されてからは、艦と岸の間に網を張り飛行甲板上を樹葉で覆う擬装を施し、島の一部のように見せかけていたが…しばらくして、米軍機からこんなビラがまかれた。
「艦上の植木が枯れてきてますよ。そろそろ取り替えてはいかがでしょう」- 改になる前の着物の柄は、この話が由来であると推測される。
- ちなみに同じビラは近くに停泊していた利根にも撒かれており、彼女の乗員たちは地団駄踏んで悔しがったという。が、動かす油もない当時の情勢ではどうにもできなかった。
- この擬装に関して戦後海軍報道班員の一人は「この擬装は誤算ではないのではなかろうか、呉周辺の防空砲台と協力して来襲機を一機でも多く撃墜することを考えるべきではなかったのか、スクラムを組んだ防戦が効果的であっただろう」とコメントしている。
- ただし同じことは米軍もやっている(重巡ペンサコラ)。
- 一航戦解隊後は対空砲台として引き続き呉基地に停泊していたが、終戦直前の1945年7月28日、呉軍港空襲で米軍機の攻撃を受け浸水。
人員不足で応急修理もままならず、やむなく総員が退艦したのち、その巨体はガラガラと錨鎖を引きずりながら横転、着底してしまった。
艦を失った乗員たちは対岸の渡子国民学校を仮兵舎として起居することとなった。
横転してなおマストに掲げられたままだった大軍艦旗も8月に降ろされ、全乗員が見守る中、ラッパ譜『君が代』の吹奏とともに校庭で奉焼された。 - 倒れ込んだままの巨体はそのまま終戦を迎え、11月30日に除籍。
極度に陸岸に近く浅いところへ巨体が倒れ込んでいるため引き起こしすらままならず、天城の浮揚作業は困難を極めた。
水中発破作業や強力な排水ポンプを駆使し、8ヶ月がかりでようやく浮かばせることができたという。
1947年7月31日に浮揚作業が終わり呉港に曳船、同年末に解体完了。 - 解体された際に艦体の一部を当時の運輸省鉄道総局*2が函館港の浮き桟橋にすべく引き取っている。
- 当時低質な戦時標準船や戦中に酷使された他航路からの転属船で運行され、船舶の故障が頻発していた青函連絡船の修理・整備用のプラットフォームとして期待されていたのだ。*3
かくして天城の艦体の一部は全長140mほどに短縮化された形で呉を出発して1948年8月19日に函館港まで曳航され、青函連絡船の有川貨物桟橋に係留。五稜郭工場工機部の人員を載せて実際に連絡船修理を請け負った。 - が、この浮き桟橋は使い勝手が悪く、さらに程なくして地元の中堅造船所である函館船渠*4が機能を回復し、連絡船の修理がそちらで行われるようになったため、使い勝手の悪い浮き桟橋は翌年の1949年8月に機能廃止。
運輸省から大蔵省に移管された浮き桟橋はあまりにも巨大で民間転用も難しく、結局スクラップ業者に売却され、建築用の鉄筋材に姿を変えたという。
放置セリフやクリスマス専用ボイスで函館について言及しているのはこのためであろう。*5- 1948年8月27日撮影の米軍空撮写真に有川貨物桟橋の南東に四角い船のような物が写っており、多分これが天城の艦体を転用した浮き桟橋である。
この写真は国土地理院のアーカイブで閲覧できる*6ので、興味があるならぜひ見てみると良いかもしれない。
- なお一緒に駆逐艦を回航し函館港の防波堤に使用する案もあったようだが、こちらは実現しなかったようである。
- 1948年8月27日撮影の米軍空撮写真に有川貨物桟橋の南東に四角い船のような物が写っており、多分これが天城の艦体を転用した浮き桟橋である。
- 当時低質な戦時標準船や戦中に酷使された他航路からの転属船で運行され、船舶の故障が頻発していた青函連絡船の修理・整備用のプラットフォームとして期待されていたのだ。*3
- 「天城」という艦名は日本の艦艇としては三代目。
- 初代「天城」は海軍黎明期に横須賀造船所(後の横須賀海軍工廠)にて竣工した木造汽帆走スループ艦。
壬午事変や日清戦争に従軍し、日露戦争中に軍艦籍を外れ、1908年に廃艦。鳥羽商船学校に寄宿舎として売却されたのだが、老朽化により1916年に解体された*7。 - 二代「天城」は天城型巡洋戦艦のネームシップとして建造されたが、ワシントン海軍軍縮条約により姉妹艦赤城とともに航空母艦に改造されることになった。
…が、関東大震災により大破し、進水することなく解体。もともと廃棄予定だった加賀が彼女の代わりに空母に改造されることになった。- ちなみに、解体後の二代「天城」の鋼材の一部は横須賀工廠内で浮き桟橋を作る際に転用され*8、戦後、横須賀工廠が米軍利用施設となってからも「10-11号バース」という名前で2007年まで使用されていた。
その後は民間に払い下げられ、約100年経った現在もジャパン マリンユナイテッド(JMU)横浜事業所磯子工場で使用されており、mapでその姿を確認できる。
奇しくも、同所では新生護衛艦「かが」が建造されている。 - また、天城搭載用に用意されていたボイラーは「間宮」の心臓部へと流用されている。
- なお、天城型巡洋戦艦は3・4番艦「高雄」「愛宕」*9も建造中であったが、軍縮条約により建造中止となった。
高雄は元々の予定艦名は「愛鷹(あしたか)」で、天城型は全て「あ」で始まる山名になる予定であった*10。
- ちなみに、解体後の二代「天城」の鋼材の一部は横須賀工廠内で浮き桟橋を作る際に転用され*8、戦後、横須賀工廠が米軍利用施設となってからも「10-11号バース」という名前で2007年まで使用されていた。
- そのほか、海上保安庁の巡視船にはてるま型巡視船「あまぎ(PL67)」がいる。
2010年3月11日に第三管区下田海上保安部所属として就役したが、2013年12月20日を以って第十管区奄美海上保安部に配属替えとなった。なお、配属替えに伴う船名変更はなかった。*11 *12 - 天城という艦名は伊豆半島の「天城山」に因む。
「天城山」という単独の山はなく、伊豆半島最高峰の万三郎岳などからなる連山の総称である。
なお、「天城」と聞いて多くの人が連想する演歌の「天城越え」は天城連山を越える天城峠のことで、川端康成の『伊豆の踊子』の舞台にもなっている。- 空母の艦名の命名基準は、雲龍までは「空を飛ぶ瑞祥の動物」であったが、
ネタ切れになったためか昭和18年6月に艦船の命名基準が改訂され、元は一等巡洋艦の命名基準だった山岳名が追加された。*13 - 因みに瑞祥動物は最近になって海上自衛隊の潜水艦名の命名基準に追加された。これに則ってそうりゅう型潜水艦が命名されているが、現在就役中の7隻のうち、空母に使われていたのは一番艦の「そうりゅう(蒼龍)」と二番艦の「うんりゅう(雲龍)」だけである。つまり瑞祥動物でもあと5つは最低でも確保出来たハズ
- 空母の艦名の命名基準は、雲龍までは「空を飛ぶ瑞祥の動物」であったが、
- 余談だが、鹿児島県徳之島には天城岳があり、これを中心とした山塊は横から見ると女の人の寝た姿に見えることから寝姿山とも言われるそうな。ただし仰向けである
- 市川崑監督の金田一耕助映画「獄門島」(1977年)のオープニングに、焼け野原となった広島に続いて呉港で擱座した「天城」の実写映像がインサートされている。終戦直後の瀬戸内・復員・金属供出といった問題が事件に絡むこの作品ならではのセレクトらしい。
- 初代「天城」は海軍黎明期に横須賀造船所(後の横須賀海軍工廠)にて竣工した木造汽帆走スループ艦。
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