No.203 | ||||
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![]() | 葛城(かつらぎ) | 雲龍型 3番艦 正規空母 | ||
艦船ステータス(初期値/最大値) | ||||
耐久 | 48 | 火力 | 0 / 25 | |
装甲 | 27 / 52 | 雷装 | 0 | |
回避 | 34 / 59 | 対空 | 27 / 72 | |
搭載 | 51 | 対潜 | 0 | |
速力 | 高速 | 索敵 | 36 / 70 | |
射程 | 短 | 運 | 20 / 69 | |
最大消費量 | ||||
燃料 | 50 | 弾薬 | 45 | |
艦載 | 装備 | |||
18 | 25mm連装機銃 | |||
24 | 25mm三連装機銃 | |||
3 | 未装備 | |||
6 | 未装備 | |||
改造チャート | ||||
葛城 → 葛城改(Lv50+改装設計図) | ||||
図鑑説明 | ||||
雲龍型航空母艦の三番艦、葛城よ。 そう、正規空母。ちょっと生まれるのが遅かったみたい。 でも戦いが終わった後で、私は全力で働いたの。ある意味、私が一番なんだから。 ホントよ?ホントなんだから。 |
※初期値はLvや近代化改修の補正を除いた時の数値であり、最大値はLv99の時の最大値を指します。
セリフ | CV:茅野愛衣、イラストレーター:くーろくろ |
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入手/ログイン | 雲龍型航空母艦、三番艦、葛城よ! え?水上防空砲台ですって? ち、違うわよ!提督(あなた)、何いってんの! |
母港/詳細閲覧 | 一番いい艦載機を頂戴よ。わかってる? |
正規空母だかんね、正規空母! | |
あっ…そこは格納庫じゃ…ってあなた何してんの!?どういうつもりなの!?バカァ!! | |
母港/詳細閲覧(新年) | 新年あけましておめでとう、今年も機動部隊の中核としてガンガン頑張るわ! |
母港/詳細閲覧(節分) | 節分かぁ。…雲龍姉ぇと天城姉ぇに豆投げる感じでいいかな? …って、よくないよくない! |
母港/詳細閲覧(バレンタイン) | チョコ、ほしいの? ん~…一応用意したけど…ほんとに? 仕方ない、あげるわ! |
母港/詳細閲覧(ホワイトデー) | もちろんお返しはくれるんでしょ? …なにがって、そりゃチョコのお返しでしょ?! チョコのっ!! |
母港/詳細閲覧(三周年) | そっか、今日は私達にとって大切な日ね。あなたにとっても、そうよね? ねぇ? |
母港/詳細閲覧(2015秋) | なんか、秋ってもの悲しくない? 何となく。えぇ? 天城姉ぇは秋好きなの? なんで? |
母港/詳細閲覧(2015Xmas) | クリスマス、か…悪くないわね、この雰囲気。これが、シャンパン?そ、そう… |
母港/詳細閲覧(年末) | そろそろ年の瀬ね。格納庫も大掃除しなきゃ…って、コラ! 手を突っ込むなバカァ! |
ケッコンカッコカリ(反転) | なぁに、提督? 私こう見えて結構忙しいんだけど。結構機関がアレだから、色々と整備を…って、ぁあ、あの…ありがとう! 私っ…! |
ケッコン後母港(反転) | 提督…ね、補給と艦載機さえあれば私だって…え、なに? そんなに優しい目で見ても、なにも…何も出ないんだからね! もう! |
編成 | 航空母艦葛城、準備は万全よ。出撃するわ! |
出撃 | 機動部隊旗艦葛城、抜錨する!…くぅ~言ってみたかったんだぁ~ |
航空母艦葛城、準備は万全よ。出撃するわ! | |
遠征選択時 | 全力で行くわ。 |
アイテム発見 | 全力で行くわ。 |
開戦 | よぉし、敵艦隊を見つけたわ!稼働全艦載機、発艦はじめ! |
航空戦開始時 | よぉし、敵艦隊を見つけたわ!稼働全艦載機、発艦はじめ! |
攻撃隊、発進!かっ、葛城は空母なんだから! | |
夜戦開始 | 追撃かぁ…深追いは禁物なんだけど時には必要か…よし、いっけー! |
攻撃 | 敵発見!全高射砲は…ちっ違う、回せー!攻撃隊、直掩隊、発艦準備! |
追撃かぁ…深追いは禁物なんだけど時には必要か…よし、いっけー! | |
連撃/弾着観測射撃/夜戦攻撃 | |
小破 | やだ?!飛行甲板は無事?!誘爆を防いで!沈む気なんて…ないんだからね! |
かっ…葛城は…空母なんだから! | |
中破/大破 | くらっちゃったか…でもまだ機関部は無傷!これなら航行には問題ないわ! |
勝利MVP | えっ…私…?葛城が一番ですって…?…そう…ふぅん…ありがとう…そう… |
旗艦大破 | こんなとこで…この、葛城は沈んだりしない…!こんな、攻撃なんて…! |
帰投 | 作戦完了。艦隊帰投よ、お疲れ様! |
補給 | 貴重な補給ありがとう。よぉし、また行くわ! |
改装/改修/改造 | ま…まあまあの装備じゃない?うん。 |
よぉし、これなら戦える!嬉しいわ。 | |
全力で行くわ。 | |
入渠(小破以下) | お風呂入るわ!あなた…絶対のぞかないでよね! |
入渠(中破以上) | ふぅ~ちょっと長湯になっちゃうかも…ごめん、お風呂行くね。っ!覗いたら殺す! |
建造完了 | 新戦力が加わるって!楽しみ! |
戦績表示 | そうそう!情報は絶対大事よね!一緒に確認してみよ? |
轟沈(反転) | なるほど…これが沈むってことか…冷たいわ…あと、寂しい…バイバイ、みんな… |
時報 | (0時) |
(6時) | |
(12時) | |
(18時) | |
放置時 | そっかそっか、これが流星改ね。うんうん。話には聞いていて…んでもってこれが烈風…いいじゃない!私にピッタリ!えっ? |
目次 
ゲームにおいて 
- 2015年4月28日に開始された2015年春イベント「発令!第十一号作戦」のE-2をクリアすると入手できた。
- 2016年8月12日開始の2016年夏イベント「迎撃!第二次マレー沖海戦」にてE-4-Iマスのドロップ枠に初めて登場した。
ちなみに、長期にわたり入手手段がなかったことで有名なPrinz Eugen、秋月、姉妹艦天城をはるかに上回る1年半を経てやっとの入手手段解禁である。 - それから再び1年以上の時を経て2017年11月17日開始の2017秋イベント捷号決戦!邀撃、レイテ沖海戦(前篇)にてドロップした。
ドロップ設定されていたE-1-Lマスは周回コストや難易度が低かったため、戦艦、空母などの大型艦が出撃不可・道中マスという条件ながら多くの提督が殺到したようだ。
- 2016年8月12日開始の2016年夏イベント「迎撃!第二次マレー沖海戦」にてE-4-Iマスのドロップ枠に初めて登場した。
- 他の姉妹と能力に微妙な差異はあるが、ほぼ誤差の範疇。各スロットの搭載量は改造後も含めてまったく同じ。
運が姉妹艦で最も高いのは、大きな損傷もなく終戦を迎え、復員船としての勤めを全うした史実からか。 - 改造前は他の雲龍型同様艦載機は1個もない。もちろん改造すると持ってくる。設計図が必須な点も同様。
- 姉達(雲龍、天城)と比べると胸部装甲が少し貧弱。あの末妹を彷彿とさせる。
- ただし開口部は多め。
- 最近の傾向と一致するものの、全体的に台詞一つ一つがとにかく長い。
特に戦闘中は自分の番どころか戦闘終了時まで終わらないこともある。 - 入手台詞では文中で「提督」と書かれているところを「あなた」と読んでいる。
正妻空母だかんね、正妻空母!
- 雲龍・天城と同じく、絵師本人がTwitterで解説している。
葛城のデザインについての絵師本人のつぶやき。
- カモフラージュを捨てて戦うシーンのイメージです。敵襲が無い時は普通に着物を着てます。
いくつかの資料で最初の呉空襲の後に擬装されたと書かれていますが
島に繋留されていなかった一度目の空襲時に既に擬装状態であったという手記もあるので、擬装状態でも動きのあるポーズにしました。 - この時の発着艦の道具は梓弓と甲板模様の神社幟です。鳴弦の音エフェクトから艦載機に転じます。ペーパーレスです。
胸は駆逐艦機関とシャープな艦容からあの大きさにしました。
髪は葛城山に関係のある八咫烏に因んで烏の雰囲気を入れてます。 - 雲龍天城葛城の発着艦道具は神社幟+神道の祭具の組み合わせです。
雲龍は旗竿の両端に剣です。近接武器の印象を強くしたくないので仕込み剣にしてます。
天城は神楽鈴 、葛城は弓です。
- カモフラージュを捨てて戦うシーンのイメージです。敵襲が無い時は普通に着物を着てます。
艦歴 
年表 
1942 | 12.8 | 呉工廠で起工。 |
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1944 | 1.19 | 進水。 |
10.15 | 竣工。 | |
迷彩を施したり島に偽装したりして、本土決戦に向けて温存されていた。 | ||
1945 | 7.24 | 呉軍港空襲。飛行甲板に被弾。 |
7.28 | ||
10.20 | 除籍。連合国軍によって武装解除されたのち、復員船となる。 | |
12.~ | 葛城による復員輸送が開始される。 | |
1年の間に8度の航海を経て、計49,390名の復員輸送を行った。 | ||
1946 | 11.20 | 復員船の指定解除。 |
12.22 | 日立造船桜島工場で解体開始。 | |
1947 | 11.30 | 解体完了。 |
日本海軍最後の空母、葛城誕生 
- 雲龍型航空母艦の3番艦。日本海軍が最後に完成させた空母である。
- 呉海軍工廠にて1942年12月8日起工、1944年1月19日進水、同年10月15日竣工。
天城と同様、起工から竣工までわずか1年10箇月という急造艦であった。
- 本来なら搭載するはずの機関の生産が遅れ、
陽炎型の機関を積んで完成させた。と言われていたが、当時の技術将校の記述や戦後の米軍の調査によって葛城と妹の阿蘇の主機は秋月型のタービン二隻分であったことが分かっている。*1
なおこの主機は駆逐艦用に造られたものを横取りしたわけではなく、葛城用に製造された専用のものである。
そのため、雲龍や天城と比べると速度が遅い。- 最大速力は34.0ノット→32.0ノット(-2ノット)、機関出力は152,000馬力→104,000馬力(-48,000馬力)に減少。
- 雲龍や天城とは対空火器の種類等に差が見られる。
- 12cm30連装噴進砲の搭載。
- 対空機銃座の形状が、簡易化により半円形ではなく半六角形となっている。
- 爆弾や魚雷は、信濃や大鳳で採用された、飛行甲板まで揚弾される専用の揚弾筒で給弾。
- 砲弾に対する舷側装甲についてはその必要性が薄れたことより装甲厚が薄くされ、その分水面下の装甲に重量が割かれた。
遅れてきた主力艦 
- 天城とともに一航戦最後の主力空母を務めたが、既にレイテ沖海戦後の事であり、搭載する航空機も空母に発着艦できる熟練搭乗員も払底していた。
更に戦争末期の燃料不足も重なり、作戦活動には従事せず、本土決戦に備えて温存されていた。- 一応、レイテ沖海戦後も天城と組んで六〇一航空隊を載せ、機動部隊の再建を目指し瀬戸内海で練習航海を続けていた。ただしそれも1945年の2月までである。
- なおこの時葛城(または天城)で訓練をしていた六〇一空のパイロットは「葛城は着艦時の視界が良好で着艦が容易である」と語っており空母としてはなかなか好評であった。
雲龍型は飛龍で不評だった艦橋配置が右舷に変更され、また艦橋が飛行甲板の内側に食い込んでいた翔鶴型や大鳳に比べて飛行甲板の外側に張り出す形となっているため、艦載機の発着には有利に働いたようだ。
また雲龍型は、着艦フックを母艦の着艦制動装置に引っかけられずにオーバーランした機体を制止する装置を前部エレベーターの前方に移設している。
従来の正規空母は前部エレベーターの後方に着艦制止装置があったのだが、着艦区域を少しでも延長して着艦に不慣れなパイロットに対応するための改良だった。ただしこれは、着艦作業中に前部エレベーターが使用不能になるという代償を伴うものでもあった。*2
- なおこの時葛城(または天城)で訓練をしていた六〇一空のパイロットは「葛城は着艦時の視界が良好で着艦が容易である」と語っており空母としてはなかなか好評であった。
- 一応、レイテ沖海戦後も天城と組んで六〇一航空隊を載せ、機動部隊の再建を目指し瀬戸内海で練習航海を続けていた。ただしそれも1945年の2月までである。
- 1945年1月、鹿児島沖で公試を行ったのを最後に呉軍港へ係留。2月4日から3月19日にかけて呉工廠に入渠した。そして3月19日、呉軍港空襲に巻き込まれる。
葛城には噴進砲が搭載されており、これが効果抜群だった。噴進砲が起こす猛烈な炎と煙は、命中せずとも米軍機パイロットを恐怖させ、雷撃と投弾の機会を奪った。
このため空母は最優先攻撃目標になっていたにも関わらず、10機程度の攻撃に留まった。しかし右舷艦首部に直撃弾を受け、乗員1名が死亡。3名が負傷した。
さらに九四式高射装置が破損し、以降は機銃手の目視による射撃をしなければならなかった。空襲後、三ツ子島に回航された。 - 4月6日、水上特攻に赴く戦艦大和と軽巡矢矧から退艦してきた若手の候補生を収容。
- その後しばらくは軍港への攻撃は無く、市街地を狙った空襲が続いた。飛来するB-29や米艦載機を相手に対空射撃を行ったが、大して戦果は無かった。
葛城の終戦 
- 呉市の三ツ子島に対空砲台として係留されてからは、飛行甲板に家屋や道路を設けるなど島の一部を擬装していたが、米軍にはバレバレだったようで、7月28日の呉軍港空襲で爆弾3発が命中し中破。
飛行甲板がめくり上がり、空母としての機能を喪失した。
戦後 
復員輸送任務へ 
- 戦中はまともな活躍が皆無だった葛城であるが、戦後最大の功績をあげる。復員輸送任務である。
- 呉軍港空襲にて甲板に大破孔という被害を負った葛城であるが、機関部・艦体・艦橋などには大きな損傷はなく、輸送能力・航行能力にはなんら問題ない状態で終戦を迎えたため、戦後は最大規模の復員船として起用された。そのシーンがカラー映像
として残されている。(10:32-)
- 呉軍港空襲にて甲板に大破孔という被害を負った葛城であるが、機関部・艦体・艦橋などには大きな損傷はなく、輸送能力・航行能力にはなんら問題ない状態で終戦を迎えたため、戦後は最大規模の復員船として起用された。そのシーンがカラー映像
決死!復員船葛城を始動せよ 
- 復員船指定後、格納庫に仕切りを作って居住区にしたり、飛行甲板に通風孔を設ける*3などの改装を受ける。これにより約3,000名の収容が可能となった。
しかし破壊された飛行甲板は修理されなかった。- 輸送能力の高さ・航続距離の長さ・高速艦という空母としての特徴を最大限活かし、ブーゲンビル島やラバウルなどの遠く南方方面、そしてシンガポールや仏印などの東南アジアの復員輸送を担当した*4。
- 葛城が特別輸送艦に指定された際、一部の整備マニュアルを製造所の控えともども終戦時の機密処分の際に焼却してしまったことが発覚。
一時は運行どころか長らく使っていなかった機関を再始動させることもできない状態であったが、葛城のすぐ近くで横転着底している天城から整備マニュアルを持ち出し事なきを得た。- 葛城機関科の決死隊が命綱と防毒マスクを装備し、干潮時を見計らい天城に侵入。
なんとか整備マニュアルを持ち出すことに成功した。
- 葛城機関科の決死隊が命綱と防毒マスクを装備し、干潮時を見計らい天城に侵入。
- どうにか動かす事に成功したものの、当時の乗組員は僅か47名*5であり、一度に数千もの人間を復員させるのには到底足りない人数だった。
そこで佐世保復員局は1945年11月に人事発令をし、23名を補充する事にした…のだが、20名が逃亡。ちゃんと来た3名も、1名が階級詐称、もう1名が軍楽兵曹でありながら主計兵曹と詐称する始末。
結局葛城から分隊長が派遣され、佐世保・呉の復員局と交渉の後、機関科員のみ定数の80%を確保、どうにか航行が可能となった…のだが、これまた採用者の40%が身分を偽った航空兵と整備兵だった。どうやら明日の食事にも困っていたようで、機関科の募集に応じたんだとか。
葛城と5万の復員たち 
- このように様々な苦労があったが、1945年の12月いよいよ復員輸送が開始された。葛城最初で最後の外洋航海であり任務であった。
- 葛城を見た復員兵の多くは「日本にはまだこんな巨大な艦が残っていたのか!」と驚き大いに励まされたという。
また日本の兵士だけでなくオーストラリアを始めとした連合国の兵士もその巨大な船体を見て驚かされた。 - 葛城で復員した人の中には、南方各地を慰問していた途中で敗戦となり、インドネシア共和国の捕虜となっていた、「青い山脈」で知られる歌手の藤山一郎もいた。
彼の復員の際には艦内にてコンサートが催され、復員兵達を大いに盛り上げた。 - 東南アジア方面の復員を行った際にはあの「加藤隼戦闘隊」で有名な飛行第64戦隊の隊員を復員させている。
- なお、復員輸送時に葛城艦内で出された艦内食の雑炊、別名「猫のヘド」を乗組員の一人は大変不味かったと語っている。
終戦時日本内地にいて食事もできていた葛城乗組員は疲れていても食べたくなかったそうだが、南方の孤島に取り残され、食えるものはなんでも食った引き上げ者達は味については何も言わず全部食べた。- だが、水のように薄い粥には不満が溜まっていた。乗組員達は毎食山盛りの白米を食べ、また乗組員の知り合いがいる引き上げ者は缶詰や乾パンをもらっていたが大部分はろくに食べられなかった。
そこに引き上げ者一人あたり一日400g分の米があることわかり、さらに内地入港後適当に横流しするという噂が流れたから引き上げ者がいた格納庫内は騒然となった。
このままでは一騒動起きるため、引き上げ者の代表8名が幹部室へ乗り込み、葛城側の6名と交渉することとなった。なお葛城側は真新しい防空服に顔は紅色でふっくら、一方引き上げ者側はよれよれの上着にやせこけ、マラリアで青黄色の顔と同じ元海軍士官とは思えない有様であった。 - 葛城側はブインは食糧難で栄養失調であるから粥にしてるのだと説明したが*6、オーストラリア軍の捕虜であった6ヶ月間食料が配給されており栄養失調ではないと反論、それに対し葛城の炊飯能力では毎食5000人分はつくれない、あの程度で我慢していただかなければとの返事であった。
- 会談は1時間あまり続いたが、葛城側はああ言えばこう言うでついに引き上げ側が「我々は3年間食物もろくにない最前線で苦労してきた。これに対し先程からの態度はいったい何だ。もし便乗者の糧食をけちるなら俺たちにも考えがある。陸戦隊員だって皆もとは艦のりなんだぞ」と立ち上がりかけたところ、待ってくれと叫びながら引き止めた。
- やっと話し合いがまとまり次のように決まった
1.引き上げ者用の糧食はちゃんと支給する。乗組員の分はそれより多いが勤務についているということで納得すること
2.船の炊事員が手不足だから引き上げ者側から炊事当番50人を出して応援すること、応援者には一日あたり乾パン6枚を増配する
3.炊飯釜の能力が不足しているので引き上げ者側は毎食2組に別れること
表面上はこれで解決したが相変わらず闇取引が横行していたのであった。 - この後も引き上げ者には米130gと梅干しだけ、乗組員は山盛り食べており炊事所にいけば一杯20円で売っていたのであった。
- こんなことから悪評が広がり誰がつけたか地獄船と呼ばれるようになったのであった。こすい守銭奴の悪党キャラにならなくてよかった
- だが、水のように薄い粥には不満が溜まっていた。乗組員達は毎食山盛りの白米を食べ、また乗組員の知り合いがいる引き上げ者は缶詰や乾パンをもらっていたが大部分はろくに食べられなかった。
- 様々なこともあり約1年間、8回の復員航海により、南方からの約5万人が故郷の地を踏む事ができた。彼女が「戦いが終わってから全力で働いた」戦果であり「ある意味一番」と誇るのもこれが理由であろう。
- 現に米国側は日本の復員輸送について高く評価している。米国側は復員には少なくとも4~5年は掛かると考えていたのである。しかし葛城をはじめとする日本側の尽力により約2年で復員を終えることができた。
- 本ページでも、お祖父様や親類縁者が葛城で復員できたという書き込みが散見される。
もし、貴方の縁者で外地から引き上げてきた経歴を持つ方がおられれば、一度確認してみるのもいいかもしれない。もしかしたら貴方も葛城に関係している・・・かもしれない。
葛城の最後 
- 葛城は復員が収束し出した1946年11月20日に特別輸送艦の指定を解かれ、同年12月22日に日立造船桜島工場にて解体に着手、翌1947年11月30日に解体が完了した。
- 国土地理院の「地図・空中写真閲覧サービス」
で解体中の葛城(と思われる艦)の姿
が見られる。既に飛行甲板は無く船体のみである為断定することは出来ないが、周囲との比較から推定される全長は220~230m。葛城の全長は227mでほぼ一致することに加え、写真が撮られたのが解体期間中の1947年5月10日であることから葛城であるとみて間違いはないだろう。
- 余談になるがこの桜島工場、所有していたドックが100mに満たない駆逐艦や水雷艇、砲艦等小型艦艇用のものばかりであったため200mを超える葛城の巨体を所有する最大のドックでも収容できず、安治川上で解体作業が行われている。*7
- なおこの桜島工場跡地は現在、ユニバーサル・スタジオ・ジャパンになっている。
- 国土地理院の「地図・空中写真閲覧サービス」
小ネタ 
「葛城」の名 
- 艦名は、奈良県と大阪府の境にある葛城山(大和葛城山)に因む。(標高959.2m)大阪府の最高峰でもある。
- 水越峠を挟んで隣りに金剛
デース山がある。また葛城山の北には妹になる予定だった生駒山もある。- この一帯の山々を総称して「金剛山地」と呼ばれる。最高峰が金剛山(1,125m)、次いで大和葛城山、岩橋山(658.8m)、二上山雄岳(517m)など。
どの山も大阪や奈良から近く、登山道なども整備されているため比較的登山客が多い山である。 - ちなみに、鎌倉時代ごろまでは岩橋山、大和葛城山、金剛山をまとめて「葛城山」(かずらきやま。葛木山とも書く)と呼んでいた。
金剛山の山頂にあるのも「葛木神社」であり、現在でも金剛山地を「葛城連山」と呼ぶことがある。
- この一帯の山々を総称して「金剛山地」と呼ばれる。最高峰が金剛山(1,125m)、次いで大和葛城山、岩橋山(658.8m)、二上山雄岳(517m)など。
- 大阪府と和歌山県の境にも葛城山が2座あり、それぞれ和泉葛城山、南葛城山と呼ばれている。
ただ、大和葛城山の方が知名度が高く、単に葛城山と言えば普通は大和葛城山の方を指す。 - 葛城山へは近鉄が運営する葛城山ロープウェイ
でアクセス可能。奈良県御所市の近鉄御所駅からロープウェイ乗り場までバスが出ている。
- 葛城山は「葛城高原」とも呼ばれ、山頂付近にはツツジが多数生えている。見頃は5月上旬~下旬。
山頂には日帰り入浴施設や宿泊施設、キャンプ場などもある。 - ちなみに、このロープウェイで運行されてる車両の名前は「はるかぜ」(神風型)と「すずかぜ」(白露型)。何の偶然か、ここでも駆逐艦二隻が葛城の主機となっている。
- さすがにこれが陽炎型の名称なら出来すぎの話だが、温暖な内陸県である奈良県では、海にちなんだ名称や雪風など、そのほとんどが使えそうになく、かろうじて使えそうなのは「まいかぜ」「はぎかぜ」あたりか?
- 葛城山は「葛城高原」とも呼ばれ、山頂付近にはツツジが多数生えている。見頃は5月上旬~下旬。
- 葛城は大和と並んで奈良盆地南西部にかつて存在した旧国名でもあり、古代豪族葛城氏の本拠地である。中世には高天原は金剛山麓、大和葛城山麓に広がる葛城地域にあると考えられていた。また、天岩戸は葛城山中にあるとも考えられていたようだ。
- 葛城という艦名の艦は2代目。
初代は1887年に就役し、日清・日露戦争に参戦したスループで、同型には大和、武蔵があった。 - 戦後の海上自衛隊で「葛城」もしくは「かつらぎ」の艦名を継承した艦艇は存在しないが、海上保安庁の大阪海上保安監部所属の巡視船で2代にわたって「かつらぎ」の船名が使用されている(初代:PC-104・あかぎ型巡視船4番船1988年3月竣工、2代:PC-109・たかつき型巡視船2番船1993年竣工)。*8
- 一部書籍では艦名候補に「岩木」などが上がっていたと記されている。
- 他に葛城の名前を受け継いだものに関しては次節参照。
- 水越峠を挟んで隣りに金剛
「かつらぎ」一瞬の煌き~近鉄の「継続戦争」 
国鉄~JRの列車に命名されたことはないが、近鉄特急の復活とともに名阪連絡特急の名古屋方列車に「かつらぎ」が命名された。
- 当時、近鉄名古屋線は国鉄と同じ1,067mm狭軌であり、伊勢中川を境に1,435mm標準軌の他路線と分断されていた。
- これは実に昭和22年のことであり、路線の運行自体が綱渡りという状況にもかかわらず、状態のいい車両をかき集め、特急用として整備し、運行開始にこぎつけたのである。
- もっとも、この翌年に有名な「生駒トンネルノーブレーキ事故」こと近鉄奈良線列車暴走追突事故
を起こしてしまい、世間の避難を浴びたりもした。ただ、この手の事故は平成12年にも京福電鉄が越前本線(現・えちぜん鉄道)でやらかしている
が……
- もともと近鉄は、かの大東急
と同様、戦時合併を繰り返して路線網を広げた会社であった。大東急はこの翌年の昭和23年、小田急が謀反を起こし解体に至っている。
一方の近鉄も、旧南海鉄道の路線を高野山電気鉄道*9に譲渡させられるなど戦後処理でごたついていた。
そんな中、名阪連絡特急の運転開始は近鉄にとってまさにその存続をかけた「戦争」であった。
- もっとも、この翌年に有名な「生駒トンネルノーブレーキ事故」こと近鉄奈良線列車暴走追突事故
- 当然、運転開始直後から改軌問題が浮上する。一時期は国鉄・名鉄との連絡を意図して、名古屋線側に合わせて1,067mmに改軌するという話も持ち上がり、一部の大阪線用車両はそれに備えて標準軌であるにもかかわらず狭軌用モーターを装備して落成した車両もあった。
- そんな最中の昭和34年9月、伊勢湾台風が襲来。名古屋線は各所で寸断される大被害を受けたが、これで一気に1,435mm改軌を実施することが決まり、人海戦術を駆使した2ヶ月の突貫工事が実施される。
- そして昭和34年12月12日から名古屋線改軌が完了し直通運転となり、それまで上本町方だった「すずか」とともに今なお近鉄黄金期の象徴として名高い10100系ビスタカー*10に「かつらぎ」の愛称名が掲げられていた。しかし翌年1月20日の白紙ダイヤ改正とともに近鉄特急の列車愛称は廃止となり、まさに一瞬の煌きだった。
- 「近鉄の戦後」をかけた戦いの終幕を見届けて走り去った「かつらぎ」は、艦名「葛城」に通じるものがあるのかもしれない。もっとも、近鉄にはこの5年後、さらなる試練
が待ち受けているのだが……
- 「近鉄の戦後」をかけた戦いの終幕を見届けて走り去った「かつらぎ」は、艦名「葛城」に通じるものがあるのかもしれない。もっとも、近鉄にはこの5年後、さらなる試練
憧れの先輩 
- 葛城が瑞鶴の事を尊敬しているのは、雲龍型自体がマリアナ沖海戦で翔鶴・大鳳・飛鷹が戦没し機動部隊が壊滅した後に就役した事も大きいのであろう。
マリアナ沖海戦は1944年6月、葛城の竣工は同年10月、雲龍ですら8月の竣工である。その雲龍竣工の時点で、既に緒戦からの主力の生き残りは瑞鶴のみだった。- 葛城からすれば、瑞鶴は真珠湾まで攻めた主力空母6隻最後の生き残りにして歴戦の武勲艦なのだろう。もっとも、その瑞鶴も葛城竣工から数日後にはエンガノ岬沖に出撃、そのまま還ってこなかったのであるが…。
- また葛城竣工の1944年10月15日当時、瑞鶴は最期の出撃に向けて瀬戸内にて訓練中であったため呉に居た。葛城は呉海軍工廠にて竣工*11したため、葛城にとっては唯一その目に焼き付けることのできた正規空母が瑞鶴であった。
- 雲龍型は他にも同じくマリアナ生き残りの龍鳳とも何かと縁がある。
「ちっ違う、回せー!」 
- 攻撃時に「回せー!」というセリフがあるが、これは「艦載機のエンジンを回しておけ」という意味である。
当時の戦闘機のエンジンは、機体内部のイナーシャスターター(inertia=慣性。要は「はずみ車」)というパーツに回転の慣性を蓄積し、それをエンジンに伝えて始動するという仕組みであった。
その為、エンジンをかける準備段階として機体の外からクランク棒を差し込み、イナーシャスターターの回転に勢いがつくまで回し続ける必要があり、エンジンをかけるのも一苦労だった。
また、いざエンジンがかかった後も、しばらく暖機しておかなければ安定した飛行ができなかった為、敵機発見の時点でエンジンをかけておかなければ迎撃が間に合わなかった。
エンジン始動解説:実演- 因みに現代でもレシプロエンジンの始動は似たようなもの。違いはスターターがモーター等で自動化されているくらい。暖機も当時と比べれば時間を要しなくなったが依然として必要性は高い。
その他 
- 余談だが瑞鶴メインのノベライズ『鶴翼の絆』の作者である内田弘樹氏は元から雲龍型のファン
で艦これをプレイした時から葛城の実装を楽しみにしていた。そして喜びのコメント
も残している。
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