金剛

Cached: 2020-10-19 18:03:58 Last-modified: 2020-10-17 (土) 06:10:16
No.021
Wow!Congratulations!金剛(こんごう)金剛型 1番艦 戦艦
艦船ステータス(初期値/最大値)
耐久63火力63 / 89
装甲52 / 69雷装0
回避30 / 59対空24 / 69
搭載9対潜0
速力高速索敵13 / 39
射程12 / 49
最大消費量
燃料80弾薬110
搭載装備
335.6cm連装砲
315.2cm単装砲
37.7mm機銃
装備不可
改造チャート
金剛金剛改(Lv25) → 金剛改二(Lv75) →
金剛改二丙(Lv92+改装設計図x2+戦闘詳報+新型砲熕兵装資材+開発資材x300)
図鑑説明
超弩級戦艦として建造技術導入を兼ねて英国ヴィッカース社で建造された、金剛デース!
太平洋戦域でも持前の高速力を活かして、大活躍デース!
期待してネ!

※初期値はLvや近代化改修の補正を除いた時の数値であり、最大値はLv99の時の最大値を指します。

CV:東山奈央、イラストレーター:コニシ (クリックするとセリフ一覧が開きます)

セリフCV:東山奈央、イラストレーター:コニシ
入手/ログイン英国で生まれた帰国子女の金剛デース。
ヨロシクオネガイシマース!
母港/詳細閲覧紅茶が飲みたいネー
Hi! 今日もイイ天気ネー!
Hey、提督ぅー! 触ってもイイけどサー、時間と場所をわきまえなヨー!
母港/詳細閲覧(新年)A Happy New Year!! 提督ぅ、New Yearも、金剛型高速戦艦を、よろしくお願いしマース!!
母港/詳細閲覧(2016節分)Hey、提督ぅー! 今年の節分は、この金剛型四姉妹がDirection(ディレクション)*1させていただきマース! まず、鬼役ですが……あっ、提督ぅ! なぜ逃げるデース!?
母港/詳細閲覧(バレンタイン)Hey、提督ぅー! Burning Love!! な、Chocolates! 持ってきたヨー!
母港/詳細閲覧(ホワイトデー)Hey、提督ぅー、私へのホワイトデーのBigなお返しは何ですカー?
母港/詳細閲覧(二周年記念)Hey、提督ぅー! Second Anniversary(アニバーサリー)*2ダヨー!! Congratulations!
母港/詳細閲覧(三周年記念)Hey、提督ぅー! Third Anniversaryダヨー!! Yeah!! Congratulations! And Burning! Looooove!!
母港/詳細閲覧(四周年記念)Hey Hey Hey! 提督ぅー! Fourth Anniversaryダヨー!! Yeaaah!! Congratulations! And Burning! Looooooove!!
母港/詳細閲覧(五周年記念)Hey、提督ぅー! Fifth Anniversaryダヨー!! Congratulations! And Burning Looooooove!!
母港/詳細閲覧(六周年記念)Hey、提督ぅー! Six Anniversaryダヨー!! Yeah! Congratulations! And Burning Looooooove!!
母港/詳細閲覧(七周年記念)Heyhey、提督ぅー! Seventh Anniversaryダヨー!! Congratulations! And…… Burning Looooooove!!
母港/詳細閲覧(梅雨)Oh、Rainyな梅雨のSeason。私、苦手デース! うぅ~!
母港/詳細閲覧(2015/16夏)Summer Season! 到来デース! 比叡、私のSwimming wear*3は? ……えっ、Nothing(ナッシング)*4!?
母港/詳細閲覧(秋刀魚)サンマ……? Oh、秋刀魚デスネー! 探照灯を満載して、漁場に向かうデース! こういうのも、楽しいネー!
母港/詳細閲覧(秋)イェーイ! 鎮守府祭りィー!! 提督ぅ、一緒に行くデース! 今年は何やらぁ……変なお祭りデース?
母港/詳細閲覧(2015年クリスマス)Hey、提督ぅー! メッリィ~、クリスマスっだヨ~~ッホゥ!! サァ、私へのPresentsをぉ、早く出すのデース! サァ! サァ~! あっ、逃げたデース! 待てー!
母港/詳細閲覧(師走)Oh……!! 今年ももうDecemberネー。早いものデスネー、提督ぅ。鎮守府も大掃除デスカー? 私に任せるデース!
母港/詳細閲覧(2018決戦前夜)提督ぅ、私達三戦隊も、準備を始めるネ。
ケッコンカッコカリ(反転)提督ぅ~、時間と場所もそうだケド、ムードとタイミングも忘れたらNoなんだからネ……?
ケッコン後母港(反転)Hey、提督ぅ~、いつも頑張ってるけど、あまり無理はしないで欲しいデース!
編成私たちの出番ネ! Follow me! 皆さん、ついて来て下さいネー!
出撃私たちの出番ネ! Follow me! 皆さん、ついて来て下さいネー!
提督のハートを掴むのは、私デース!
遠征選択時Wow! Congratulations!
アイテム発見Wow! Congratulations!
開戦撃ちます! Fire*5~!
航空戦開始時
夜戦開始これでFinish!? な訳無いデショ! 私は食らいついたら離さないワ!
攻撃撃ちます! Fire~!
Burning Love!!
連撃/弾着観測射撃/夜戦攻撃全砲門! Fire!
小破提督ぅー!
あぁあっ!
中破/大破Shit(シット)*6! 提督に貰った大切な装備が!
勝利MVP私の活躍見てくれたの?もっと頑張るから目を離しちゃNo! なんだからネ!
旗艦大破提督ぅー!
帰投戦果Result(リザルト)*7があがったヨー!
補給Yes! 私の実力、見せてあげるネー!
改装/改修/改造Yes! 私の実力、見せてあげるネー!
やっと本当の私になれた気がシマース。
Wow! Congratulations!
入渠(小破以下)Tea timeは大事にしないとネー!
入渠(中破以上)うー……日頃の無理が祟ったみたいデース……。
建造完了Newfaceが登場したヨー。
戦績表示提督! You've got(ガット) mail*8! Love letterは許さないからネ!
轟沈(反転)提督……どうか武運長久を……私……ヴァルハラから見ているネ……。
時報にて実装
放置時にて実装

ゲームにおいて

  • 金剛型戦艦は、装備・入渠上は巡洋戦艦/高速戦艦というカテゴリになっている。*9通常の戦艦(低速戦艦)との違いは、
    • 速力が「高速」となっている。*10
    • 改造前の装備スロット数が3つ。*11
    • 中口径主砲が装備できない。
      • 中口径主砲は大口径主砲より性能が劣るので装備できなくても特に問題はない。
      • かつては九一式徹甲弾が装備出来ず、弾着観測射撃のバリエーションが制限されていた。2014年7月28日のアップデートで徹甲弾が装備可能に。
      • 同様に探照灯を装備できるというメリットも存在したが、11月20日のアップデートで全戦艦(航戦含む)が装備可能になった。
    • 入渠時間の倍率は重巡や軽空母と同等の1.5で、他の戦艦や正規空母の2.0よりも短い。
    • 羅針盤制御等においては戦艦として扱われることが多いが、戦艦と高速戦艦を区別する場合もある。
  • 金剛型はそれぞれLv25で改造可能。また金剛改比叡改霧島改の3隻はLv75で、榛名改はLv80で更なる改造が可能となっている。
    • 金剛改二の場合、火力/対空/装甲+5・耐久+7・回避+3・運+1といった能力向上が図られ、コストは燃料+10、弾薬+5と多少割増となる。

金剛について言及する艦娘

金剛について言及する艦娘

  • 浦風「生まれは大阪、所属は呉。~(中略)~最後は金剛姉さんを護衛して台湾海峡……まあ、もうどうにもならんなぁ……」(図鑑説明)
    • 史実で第十七駆逐隊(浦風・磯風・浜風・雪風)はレイテ沖海戦後に日本へ帰還する大和・長門・金剛を護衛。
      その道中、浦風は金剛と同じく潜水艦「シーライオン」の雷撃(同じく護衛していた長門を狙ったもの)により轟沈。
      金剛の乗組員を救助した磯風浜風が駆けつけた頃には、海面に浮いた重油ぐらいしか見つからなかったらしい。
      髪型も金剛と似ているのはそのため?
  • 浜風「こんな痛み……金剛や、信濃に比べたら……。次の、坊ノ岬では……負けないわ」(中破/大破)
  • 磯風「大和・武蔵・金剛・大鳳……彼女達の最期もこの目に焼き付いている。今度こそ……護り抜くさ」(図鑑説明)
    • この2隻は史実で潜水艦「シーライオン」の襲撃により沈没した金剛を看取った。
  • Bismarck「午前十時。金剛?長門?いえ、知らないわ。誰?強いの?」(時報)
    • 英国の巡洋戦艦フッドや戦艦プリンス・オブ・ウェールズをボコボコにした戦艦だからだろうか?
    • 沈没が1941年5月であるため、そもそも太平洋戦争を知らない可能性も
  • Roma「ヒトハチ……マル、マル。提督、夕食はどうします? へっ? 金剛? 霧島!? なになにっ!?」「ヒトキュウ……マル、マル。高速戦艦の会ってなに? え、えぇっ!? わ、私も? えぇ~っ!?」(時報)
    • 金剛型とイタリア戦艦で史実の絡みはない。四女が眼鏡をかけた火力特化型の娘な点がゲームにおける金剛型とよく似た立ち位置なためか、これ以前の時刻で霧島が声をかけており、後に金剛も介入した模様。
    • Romaはドイツ軍に撃沈された戦艦であり、姉のItaliaもドイツ艦娘に複雑な感情を持つと思しき台詞がある。「高速戦艦の会」はそんな彼女たちが早く馴染めるように金剛たちがお膳立てしたのかもしれない。
  • 金剛の一人称は「わたし」と発音するのは確かなのだが、文字で書き起こすと漢字で「私」(田中P原作の「いつか静かな海で」で「私たち」と言う)なのか、カタカナで「ワタシ」(「艦娘型録」の時報ボイス一覧)なのかは判然としない。
    その他の公式漫画・小説でも「私」表記と「ワタシ」表記は書き手によってまちまちである。*12
  • 提督LOVE勢筆頭「提督を想う気持ちは誰にも負けないネ!」
    • 艦これ稼働初期は提督に好意を寄せる艦娘は少数だったが、中でも彼女は明確且つ積極的に好意を寄せてくる艦娘の代表格であった。
      ボイス追加、新規実装などで他に提督に対して「好き」だと自ら発言する艦娘が増えた現在でも、その元祖と言うべき位置づけから「提督LOVE勢筆頭」と評価されている。
  • 2018年8月17日の第二期アップデートで、艦種別ソートで並べた際、一番最初に来るようになった。
    • 2018年12月27日開始の2019冬イベントで実装されたJohnstonは艦種ソートで一番最初に表示されたが、「ソート位置が仕様通りになっていない迷子症状」として2019冬イベント終了後に後方へ下げられた。

限定グラフィック

  • 2016年10月21日のアップデートでなか卯コラボ限定グラフィックとして【買い出しmode】が実装された。
    • いつもと違う落ち着いた印象の私服姿を披露してくれる。

    限定イラスト:なか卯コラボVer.

    限定イラスト:なか卯コラボVer.
    021_Nakau.jpg

小ネタ

金剛生誕の地 イギリス「ヴィッカース社」

  • 新時代の超弩級戦艦や巡洋戦艦の建艦技術がないことに焦った大日本帝国が、イギリスの先進的建艦技術を学ぶべくヴィッカース社に発注した艦。
    なお"金剛"の名を英訳すれば"Indestructible"(インディストラクティブル)、まさしく英国面イギリス生まれの巡洋戦艦である。
  • ゲームにおいて外国人口調で喋るのは、イギリス製であることに由来していると思われる。
  • ヴィッカース社は当時の英国を代表する重工業メーカー。\名門出身なのデース!/
    • 開発から1世紀以上経過した現代でもインド等が保有している「ヴィッカース重機関銃」、英空軍の爆撃戦力を支え対独戦で活躍した「ウェリントン爆撃機」も彼女と同じヴィッカース・ブランドの傑作兵器として有名であり、さらにスピットファイアのスーパーマーリン・ブランドの製造もヴィッカースグループであった。
    • 1920年代にはもう一つの英国重工業の雄・アームストロング社*13と合併。ヴィッカース・アームストロンググループとなった。
    • 戦後の事業国有化と業界再編でブランド自体は2004年に消滅してしまったが、その遺伝子はBAEシステムズ社などに受け継がれている。
      機械・材料工学等を専門に学んだ提督は「ビッカース硬度(HV)」という言葉を一度は目にしたことはあるだろう。まさにそれがヴィッカース社の名残である(測定器の基礎、硬度規格を作ったのがヴィッカース社であることにちなむ)。
      ちなみにビッカース硬度測定器側の試験片として使うのはダイヤモンド、つまり日本語で言うところの「金剛石」である。もちろん戦艦金剛とは関連性はないのだが、縁とは不思議なものである。
  • ヴィッカース社への発注は金剛が初めての事ではなく、技術力も工業力も発展途上だった日本は海軍草創期からたびたび大型艦を英国に発注している。
    日露戦争の武勲艦で、戦艦としては大先輩の「三笠」もヴィッカース社製であり、同じ造船所で建造された。
    • 三笠は聯合艦隊旗艦として、当時世界最強と謳われたロシア帝国のバルチック艦隊を日本海海戦で完膚なきまでに打ち破り、その名を世界に轟かせた。
      この三笠の活躍にはヴィッカース社員も大喜びしたそうな。
    • 生誕の地である、イングランド カンブリア州 バロー・イン・ファーネスにある博物館の記念碑には、今も金剛の名が三笠と並んで刻んである。
      接頭辞が簡易的なIJN(Imperial Japanese Navy、大日本帝國海軍艦)ではなく、HIJMS(His Imperial Japanese Majesty's Ship、大日本帝國の天皇陛下の軍艦)と丁寧な書き方をされている。
    • また、館内には進水式関連の各種パンフレットや建造当初の金剛の1/100スケールの模型も展示してある。
      この大きなスケールでの展示は5隻しかないらしいので、海外に売られたという事を考えても破格の扱いである。
      それによると進水記念食事会メニューのデザートに供された飲み物はコーヒーあれ、紅茶は……?*14
    • 余談だが、三菱電機が研究用に輸入したものを鉄道省が購入したED56型電気機関車は、ヴィッカースグループの一員であったメトロポリタン・ヴィッカース社製だった*15

艦名の由来と三代の金剛

  • 艦名は、奈良県と大阪府の境にある金剛山に由来する。
    • 金剛山はかつて北にある大和葛城山と合わせて「葛城山」(かずらきやま。葛木山とも書く)と呼ばれていた。現に金剛山頂には「葛木神社」が鎮座している。
      • 現在の山名は山頂の転法輪寺の山号に由来するとも、金剛砂(研磨剤などに使われる硬い鉱物の砂)の産地だったからともいわれる。『太平記』には「金剛山」という名で登場するので、その頃には定着していたようだ。
    • 「金剛」という言葉は、「世界で最も硬い金属」の意、転じてダイヤモンド(金剛石)のことを指す。もともとは仏教語である。

英国海軍の「ダイヤモンド(金剛石)」

英国海軍の「ダイヤモンド(金剛石)」

  • イギリス海軍には、Diamond(ダイヤモンド)という艦名の船が存在する。
    17世紀から現在までに12回使われている歴史ある名前である。
    • 戦艦金剛と同時期の艦では、1904年進水・1921年退役のトパーズ級巡洋艦(9代目)と1931年進水・1941年戦没のD級駆逐艦(10代目)が存在した。
      10代目は金剛と同じバロー=イン=ファーネスで建造された。
    • 45型駆逐艦(D級防空駆逐艦)の12代目ダイヤモンドが2011年に就役し、現役である。
  • 「金剛」という艦名は2代目。初代は金剛型コルベット艦1番艦「金剛」(コルベットが正式だがコルベット艦とも呼ぶ)であった。
    初代金剛も英国生まれ(アールス社製)で、比叡コルベットという英国生まれ(ミルフォード・ヘヴン造船会社製)の妹もおりました(なお初代金剛型は二人姉妹デース!)。
    • 稀に間違われる事があるが、日本とトルコの友好関係が始まったきっかけと言われるエルトゥールル号遭難事件にて生存者をトルコまで送還した金剛と比叡は、こちらのコルベット艦である。日露戦争に参加しているのもこちら。
    • 初代金剛は1910年に老朽化のため解体されたが、その甲板のチーク材は江田島の海軍兵学校の玄関床材に流用された。
      現在も同校は海上自衛隊幹部候補生学校となって現存するため、見に行く機会は十分にある。
  • 三代目は、海上自衛隊のこんごう型イージス護衛艦の1番艦「こんごう」(DDG-173)である。
    • 余談だが、「こんごう」は当初、「ひえい」「はるな」に続くヘリコプター搭載護衛艦に命名される予定だったが、諸般の事情*16で「しらね」になったたため、結果的にイージス艦第1号に回ったという逸話がある。
  • イギリスに発注、購入した初代と二代目金剛、そしてアメリカのアーレイ・バーク級ミサイル駆逐艦をタイプシップとするイージス艦「こんごう」(ちなみにタイプシップとは、設計の元となった船のことである)。
    奇しくも三代全てが海外の高性能艦をベースとした戦闘艦である。実は意外と珍しいことだったりするのだ。

金剛誕生前夜 「ドレッドノート・ショック」

  • 金剛発注より少々時間は遡る。
    当時日本は初の国産戦艦である「薩摩型」と後に巡洋戦艦へ分類される装甲巡洋艦「鞍馬型」を建造中で、どちらの艦型も当時の常識では十分な性能だった。
  • しかし1906年にイギリスが発表したドレッドノートの登場で生まれながらにして旧式化。世に言う『ドレッドノート・ショック』である。
    • 日本も弩級戦艦を保有するため河内型を設計・建造したが、風評に近い扶桑型とは異なりこちらはいくつかの欠陥を持っていた。
    • 一見すると軽巡洋艦のように主砲が左右に分かれて載っているように見えるが、前後の全周砲塔以外は砲身長が短かった*17
      そのため統制射撃には不都合であったが、長砲身側の装薬を減らし初速を統一することで問題は解決した。当たり前だが安定性も低い
      鞍馬型はドレッドノートと比較すると速度は同等だが火力や防御力が不足気味だった*18
      この辺を踏まえると、「取り敢えず英国に作ってもらおう」と言う決定は合理的ととれる。
    • ただ日本海軍にも、ドレッドノートに準じた画期的な単一口径主砲搭載戦艦の検討案自体は薩摩型の時点からあり、そして画期的すぎるがゆえに実現しなかった。
      用兵側が保守的だったこと、ドレッドノートですら見送った主砲の背負式配置で不具合(艦の復元性・給弾設備・発砲時の爆風問題)が恐れられたこと、そして何より船体規模が大きくなりすぎることは予算の関係で厳しかったことなど、革命的な戦艦の建造は当時の日本にはあまりにハードルが高すぎたのである。
    • ちなみにこのドレッドノート・ショックには英国海軍自身も陥っており、当時最優秀の威容を誇っていた自国の主力艦群まとめて旧式化というわりと洒落にならない事態を引き起こし、しかも既存艦だけならまだしも、まだ建造中の新鋭戦艦(ロード・ネルソン級)まで巻き込んで旧式化させてしまった*19。結果それまで圧倒していたドイツ海軍との格差を自ら縮めてしまうという事態を招く。オチまで含めて英国面とは、流石紳士の国。*20
    • とはいえ、アメリカのサウスカロライナ級などドレッドノートの設計思想に似た艦は他の国でも計画または建造中であり、既存の戦艦が旧式化するのは時間の問題であった。
  • だが、ここでめげるようでは大英帝国の名が泣く。これよりわずか3年後に超弩級戦艦(スーパードレッドノーツ)の雛形「オライオン級」の起工を発表し、大艦巨砲時代の本格的な幕開けを自らの手で行った。
    戦艦だけでなく巡洋戦艦もこの影響を受けた。んでジュットランド沖でドイツの大洋艦隊に沈められまくった。
    • どういうことかというと、「これだけ攻撃能力が高くて、しかも全方位に対応可能なら、防御なんて気にするだけ無駄じゃーん」という第二次大戦でどっかの国が航空機でやらかすことを巡洋戦艦でやっちまうのである。
    • 一方ドイツは巡洋戦艦*21でも比較的装甲が厚く*22、戦訓から消火設備の強化などを行っていたため、多少手数で負けている程度ではそうそう簡単に沈まず、最終的にはイギリス側が勝ったものの、その結果はドレッドノート以降の新型巡洋戦艦ばかりが沈むという散々な有様だった。
    • 金剛の先輩に当たるインヴィンシブルなどは、艦体がど真ん中でポッキリ折れるというこれ以上ないほど悲惨な沈み方をしている。

金剛型の建造

  • 明治37、38年度の日露戦争臨時軍事費で、失った戦力を急遽補充する目的で戦艦2隻と装甲巡洋艦4隻の予算案が上がった。この中に「卯号装甲巡洋艦(ひえー)」建造計画の予算案が上がったがこの時は着手されず・・・(なお、残りの戦艦2隻と装甲巡洋艦3隻のうち、「甲号戦艦」「乙号戦艦」「子号装甲巡洋艦」「丑号装甲巡洋艦」「寅号装甲巡洋艦」はそれぞれ安芸、薩摩、筑波、生駒、鞍馬である。)。
    • その後、海軍整備案で新型主力艦として戦艦2隻、装甲巡洋艦1隻の予算案が上がった。この中にあった「伊号甲鉄戦艦」、「呂号甲鉄戦艦」はそれぞれ河内と摂津。そして「伊号装甲巡洋艦(金剛ちゃん)」建造計画の予算案も上がったが、この時も着手されず・・・(伊号の「伊」はいろは順のい=1である。なお、これと同時期に八八艦隊という計画が作られていた)。
      • その後、明治44年になって再び「卯号装甲巡洋艦(ひえー)」と「伊号装甲巡洋艦(金剛ちゃん)」の建造計画の予算案が裁可された。
        新型装甲巡洋艦の設計自体は、明治39年頃からすでに試案の検討が始まっており、この段階では先に建造された「鞍馬」型ベースの12インチ主砲4門の前ド級艦というべき仕様だった。
        しかしその後「ドレッドノート」に続く画期的な装甲巡洋艦(巡洋戦艦)「インヴィンシブル」建造の情報が入り、設計は一度振り出しに戻ってさらに30種類の試案が作られるがなかなかまとまらなかった。
        その最中に、英国ヴィッカース社から装甲巡洋艦建造の売り込みが始まり、日英の試案が慎重に比較検討された結果、「伊号装甲巡洋艦」建造は英国に依頼されることとなった。
    • 既に国内で戦艦の建造が可能になったのに英国への発注が決まった理由には、ドレッドノート(インヴィンシブル)ショックからの打開の他に、英国の最新技術を吸収することで日本の軍艦建造のレベルを一気に引き上げたかった思惑があった。
  • 金剛はかつて「ライオン級巡洋戦艦をベースに改設計した」と言われ専門誌などでもそう紹介されたりしていたが、現在ではタイプシップはオスマン帝国(当時)が発注していた「レシャド5世」(後に英国が接収し、「エリン」に改称)であることが判明している。というのもヴィッカース社の軍艦設計部長で金剛型を設計したジョージ・E・サーストン卿自身が「『金剛』は『エリン』の巡洋艦版」であると発言している。
    • じゃあ「ライオン級巡洋戦艦をベースに改設計した」という話はどこから出てきたのか?実はそれがよくわからない。艦容が似ている事と建造時期が近い事からの推測が独り歩きしたのかもしれないし、先行して建造しているライオン級を参考にした可能性もなくはない
    • ライオン級の4番艦になるはずだった「タイガー」は金剛級の成功を受けて大幅な設計変更をしたという話もあり、ヴィッカース社一同曰く、「ロイヤルネイビー向けの制約が一切ないので、好き勝手設計できて大変楽しかったデース(意訳)!」だったらしい。いい意味での英国面を体現したこの話が誤って伝わった可能性もある。
      • だが英国では当の「タイガー」は「アイアン・デューク級戦艦」の巡洋艦版としていて、金剛級とライオン級、タイガーの三者の関係は混沌としている。まさに英国面。。只レシャド5世とアイアン・デューク級は、共に「キングジョージ5世級(初代)」をベースにしているので、タイガーと金剛級は縁戚にあたる。
    • どこが改設計かというとそれまで艦中央にあった砲塔を廃止して、前後のみの配置にした事である。これにより艦の長さを抑えられる上に重量の削減も可能といいことずくめであった。
  • 主砲はヴィッカース社で試作された、当時としては世界最大最強クラスの14インチ連装砲(35.6cm連装砲)が採用された。
    この金剛型を先駆けとして、長門型の41cm連装砲、そして大和型の46cm三連装砲と、新型戦艦に世界最大最強クラスの主砲を搭載することは日本海軍の恒例となる。

    14インチ砲搭載秘話

    14インチ砲搭載秘話

    • 主砲口径選定には2つの案があった。一つは現行の12インチのまま高初速の50口径にする案であり、もう一つは45口径のまま14インチへ拡大する案であった。
      12インチ50口径案は先の河内型への搭載が決定していたが、金剛の設計時点では全く実績がない。
      もちろん、14インチ砲などはこの世に存在してすらいない。
      決めあぐねた海軍は、イギリスに取引を持ちかける。
      「14インチ45口径砲が出来たら射撃試験データを全部あげるから、そっちの45口径砲と50口径砲のデータを見せて!」
      主砲の射撃試験データは、当時におけるこれ以上ないほどの最高の軍事機密であり、
      荒唐無稽な取引と思われたのだが、イギリスはこれに快く応じてくれた。
      その実績を見るに、50口径砲は散布界が大きく命中率に難がある事が判明、14インチ45口径砲の採用が決定している。また、50口径12インチ砲は砲身の寿命が短すぎるという欠点が露呈したことも14インチ砲採用の後押しとなった。
      そしてイギリスも45口径採用へ回帰し13.5インチ砲を開発した。
      中途半端な口径なのは12インチ50口径砲搭載艦の基礎設計をあまりいじりたくなかったため。
      当時ドイツとの熾烈な建艦競争下にあり、ペースを落とすわけにいかなかったのだ。
    • 余談だが、某オンライン海戦ゲームで登場する架空の戦艦「石鎚」「妙義」は、金剛の設計時に検討された案がそれぞれベースとなっている。
      前者は45口径12インチ砲10門搭載で装甲が薄く、後者は14インチ砲だが艦首の主砲塔が実際の金剛より1基少ない。
      もし歴史の歯車が狂っていたら、金剛は上記のようなより弱体な(巡洋)戦艦として生まれていたかもしれない。河内型から金剛型への飛躍がいかに画期的だったかの証明ともいえる。
  • 英国ヴィッカース社のバロー=イン=ファーネス造船所で1912年5月18日に進水、1913年8月16日に竣工した。
    • 進水式の時、日本側(技術吸収のために技官が派遣されていた)の要望で薬玉を割ってみたところ、英国紳士からは珍しく好評だったとか。
      「軍艦の進水式に平和の使者である鳩を舞わせるなんて、日本人は粋ネ!」ということらしい。
  • 竣工した金剛は喜望峰回りで日本へ回航され、11月5日に横須賀に到着した。
    • この後、彼女のデータを元に妹たちが建造された。
      ちなみに比叡は海軍製(実際は英国から部材の大半を取り寄せた半ノックダウン方式)、そして榛名霧島は民間発注された日本初の主力艦。
      そして、金剛は海外に発注された最後の日本戦艦となった*23
    • また金剛発注の翌年贈賄事件が発覚。大スキャンダルとなり山本権兵衛内閣は総辞職に至った。
  • 正木生虎元海軍大佐(海兵51期:1902-1990)が『正木義太傳および補遺』で金剛についての感想を述べている。
    なお、生虎氏の実父が義太氏(海兵21期、日露戦争では旅順港閉塞作戦に参加、後に海軍兵学校教頭、戦艦河内艦長、呉海兵団長、横須賀海軍工廠長を歴任、河内爆沈事故では九死に一生を得ている)にあたり、義太氏は金剛建造のためにイギリスに派遣されている。

    以下引用

    以下引用

    • そんな生活態度でしたから、金剛建設にまつわるシーメンス事件など、現場では全くどこ吹く風、造兵監督官としても、艤装員としても、副長としても言いたいことはビシビシ言ったので金剛の出来映えは素晴らしかったと思います。
      私自身は少尉候補生の時代に一年近く金剛で甲板士官をやりましたが、榛名・霧島・比叡の姉妹艦に較べて国産の三艦は電路のジャンクション・ボックスなど心持ちではありますが右肩が上がって居たり、左が高かったりというチグハグが目につくのに金剛だけはピシッと定規で引いたように揃って居り、それに長官公室(ケビン)等後部の舷窓は大きく正方形であり、これは当然防水上は不利であろうと思われる形状であるにかかわらず、どんな荒天にも水漏れした事がなく、また艦尾両舷に備えつけられた救難浮標がクロス・バーに銅の泛子の附いた見慣れないものであったり、珍しさも手伝って英国造船技術のスマートさに感心させられました。その後、私は少佐の時二年間に亙り金剛級高速戦艦戦隊である第三戦隊の参謀を勤めたので、その間何回か金剛に将旗を揚げて、その艦に居住しました。その時は既に艦尾を伸ばした大改造後の後であったので、舷窓も救難浮標も日本式のものに変えられて居りましたが、船は生き物のようなもので年老いてからでも、若かりし頃の気質をそのまま、三つ児の魂百まで、依然スマートで気持ちのよい軍艦でした。

「最年長」艦

  • 1913年就役の彼女は、艦これに実装された日本艦の中では最年長である。
    • なんと第一次世界大戦経験者である。武人たる凛々しさを持つ長門や母性溢れる鳳翔さんよりも年上の大先輩。世界最大最強のあの娘だって彼女からすれば可愛い後輩である。*24
    • 彼女より年上で実装される可能性があるとすれば、おそらく太平洋戦争にも参戦した元敷島型戦艦の工作艦「朝日」(1900年竣工)*25*26か、元浅間型装甲巡洋艦の敷設艦「常磐」(1899年竣工)、もしくは練習艦として使用された出雲型装甲巡洋艦の「出雲」(1900年竣工)「磐手」(1901年竣工)などだろう。
  • 2016年8月の夏イベントで、金剛型と同世代でしかも本場の英国戦艦であるWarspiteが実装されたが、「オールド・レディ」の異名を持つ彼女の竣工は1915年で榛名・霧島と同年である。
    ちなみにWarspiteはクィーン・エリザベス級の二番艦だが、ネームシップの竣工も1915年である。
  • 実装から4年の間最年長艦の座にあったが、2017年春イベントにて弩級戦艦Гангут(1911年進水)の実装によりその座を譲った。
    • ただし、Гангутは1909年起工・1911年進水・1914年就役、金剛は1911年起工・1912年進水・1913年就役のなので就役日ならば金剛の方が早い。金剛のほうが先輩と言えるかもしれない。
  • 最年長の艦であるが故に、何かとネタにされることも多い金剛だが、公式には艦娘としての年齢設定は一切明らかにされていない。これは彼女に限らず、どの艦娘も同じ。
    そもそも艦種も区別せずに艦の年齢イコール艦娘の年齢では、例えば睦月よりはるかに年下の大和というおかしな事態になってしまう。
    果たして艦の年齢と関係あるかは今のところ(そして恐らく今後もずっと)不明である。解釈は各自に委ねられるが、そもそも女性に年齢はデリケートな話題であることは一応留意しておこう。
    • 公式見解ではないが参考として、担当の声優さん曰く「金剛型は大学生くらいという年齢イメージ」という演技指導を最初のボイス収録の際に受けたという。

「巡洋戦艦」(装甲巡洋艦)と戦艦

  • 超弩級の主砲を搭載する関係で勘違いされがちであるが、巡洋戦艦は装甲巡洋艦から発展したれっきとした巡洋艦である。
    計画速力が28ktとなっていたのは、当初装甲巡洋艦として建造する予定であったため。
    • 初期の金剛型は書類上も一等巡洋艦であった。名前が旧国名ではなく山の名前なのはそのため。金剛型以前の巡洋戦艦(筑波型・鞍馬型)も同様である。

巡洋戦艦とは何か

巡洋戦艦とは何か

  • 「巡洋戦艦」という訳語から巡洋能力を持った戦艦と思われがちだが、元の英語は"Battlecruiser"であり、直訳すれば「戦闘巡洋艦」となるように、あくまで強化型の巡洋艦なのである。
    元々巡洋艦は偵察でも水雷艇などの露払いでも何でもやる小間使いの役目の艦*27だったが、列強は多くの巡洋艦を作っている内に「他国の巡洋艦を倒せるだけの巡洋艦を作ればもっと便利じゃね?」と考え出し、巡洋艦にも装甲をつけたりするようになっていった(装甲巡洋艦)。
    そうして皆が装甲巡洋艦を作るようになると、もう始めのアドバンテージはなくなってしまう。そこで更に強力な巡洋艦が研究された。
    装甲巡洋艦を圧倒できる巡洋艦、それが巡洋戦艦なのである。
  • 巡洋戦艦は他の巡洋艦を圧倒できる「超巡洋艦」だが、海戦で絶対的な存在である戦艦には基本的に敵わない。あくまで偵察や通商保護を主任務とする巡洋艦の延長上の存在で、戦艦と戦うことは目的外。
    よって、通常の戦時では、装甲巡洋艦が火力も装甲も劣る軽艦艇を倒すのに使われるように、巡洋戦艦は装甲巡洋艦を迎撃殲滅するのに使われる(具体的には、通商破壊のために来襲する装甲巡洋艦を迎撃する通商保護など)。
    艦隊決戦でもこれまでの巡洋艦同様偵察に使われるが、戦力としても優等なのを生かして敵前衛戦力を突破しながらの強行偵察を行ったり、決戦局面でも敵の偵察兵力や付属艦隊などの露払いをしたりもする。
    勿論戦艦には敵わないから、戦艦に遭遇したら巡洋艦譲りの速力で距離をとり、状況によっては射程外から追跡して味方の主力戦艦群が来るのを待つ。
    要するに、装甲巡洋艦以下を見つければフルボッコ、戦艦が来たら離脱して正面からぶつかる以外の方法をとる、というのが本来の戦い方である。
    フィッシャー提督の提唱した"Speed is Armour""Invincible"とは「最強ってのは、強い奴とは戦わねってこったい」ということであり、速ければ弾を避けられるという意味ではない。
    (そもそも30ノットや40ノットで初速700~800m/s超、落着時は450m/s前後の戦艦主砲の弾頭を回避できる訳がないし、当時の主砲もそこまで高精度じゃない)
  • 主力戦艦群で圧倒的な戦力があり、かつ広大な海域を制圧しなければならないイギリスは、他国より万能艦艇である巡洋艦の働きを重要視した。巡洋戦艦は一等巡洋艦の恐竜進化の末裔ではあるが、英国から生まれ出たのは決して偶然ではない。
    ただし、第二次世界大戦でも自軍の巡洋戦艦「フッド」を過大評価し、既存の情報だけでも少なくとも長門型並みと推測されていたビスマルクに差し向けてあっさり返り討ちにされている。
    英国紳士が何を考えてんだかさっぱりわからねぇ……*28
  • このように基本的に「超巡洋艦」として使われていた巡洋戦艦だったが、日本海軍ではそれだけではなかった。
    日本海海戦で日本海軍は、艦隊規模で運動戦を行って装甲巡洋艦部隊で敵艦隊の動きを制限、戦局を優位に進めた。
    ふつう巡洋艦は(魚雷無しだと)戦艦に有効打を与えられず、決戦局面では極端に言えば役立たずな存在だったが、日本海軍は巡洋艦の機動力を決戦局面で発揮させる戦術を見つけていたのである。
    その後も日本海軍は日本海海戦と同様に艦隊決戦を戦艦部隊と高速艦部隊との連携で優位に進めることを構想し*29、日本海海戦の第二艦隊(装甲巡洋艦部隊)の役割が巡洋(高速)戦艦に任せられるようになった。
    日本海軍が旧式の金剛型を大事に使い続けた理由の一つは、艦隊決戦で他の戦艦と連携する遊撃戦力となることを期待していたからだったのだ。*30
  • 装甲巡洋艦から恐竜進化した巡洋戦艦は、もはや戦艦と同じように高価で強力な艦艇と見なされるようになり、巡洋艦としてのフットワークの軽さを失った。巡洋戦艦は正真正銘の主力艦となったのである。
    こうして主力艦というステージに立ち戦艦と比較されるようになった巡洋戦艦は、フォークランド沖海戦などで装甲巡洋艦に対する優位を示したが、問題もあり*31、追い立てられるように更に巨大化し高速戦艦に発展、戦艦というカテゴリに収束する。
  • 一方、(それまでの)装甲巡洋艦が絶滅種とされたのち、軽巡洋艦から恐竜進化した艦種が再び現れる。それが重巡洋艦である。皮肉なことに軍縮条約がちょうどいいネックとなって重巡洋艦は闇雲に大型化せず、当初の巡洋戦艦が想定したような艦種に落ち着いた。その「すべての重巡の姉」が、巡洋戦艦として建造された金剛型の書類上の次級として建造された*32のもまた、偶然ではないのかもしれない。
  • ワシントン海軍軍縮条約締結後、ユトランド沖海戦*33の戦訓対応を盛り込んだ第一次近代化改装を受ける。
    改装の主目的は、防御力の強化だった。*34
    • 同時に機関を艦本式ロ号重油専焼缶と同石炭重油混焼缶に変更することで航続力を伸ばし、煙突を3本から2本に減らしている。
  • この改装により排水量が約3,000t増加、機関出力は強化されなかったため速力が低下して約26ノットとなった。
    そのため海軍は「巡洋戦艦」という艦種を廃止し、金剛型は「戦艦」に艦種変更となった。
    • ただし姉妹の中で比叡だけは、ロンドン軍縮条約の影響で第一次近代化改装の途中から「練習戦艦」への改装に切り替えられている。そして比叡は、公式書類上にはその最期まで練習戦艦籍のままだった。
  • 巡洋戦艦時代は高速艦で編成される第二艦隊の主力に長年位置付けられていた金剛は、戦艦への転身により、主力戦艦部隊の第一艦隊に異動することになった。
    そして、1931年度から1934年度にかけて連合艦隊旗艦を陸奥と交代で務めている。*35
    • 公式四コマで金剛が「旗艦ならワタシもやりましたヨー!」と言うのはこれが由来。
    • 戦前の連合艦隊旗艦・第一艦隊第一戦隊所属といえば、もっぱら長門型が務めた象徴的なイメージが強い。
      しかし平時の連合艦隊は、予算の制約、工廠での整備・改装スケジュール等の関係で戦艦の全てを常に現役で並べることがなかなかできなかった。*36
      そのため連合艦隊旗艦がひんぱんに交代したり、連合艦隊の中枢たる第一戦隊も長門型のみではなく、金剛・扶桑・伊勢型の稼働可能艦が選抜されて各艦型が雑多に入り混じった時期もしばしばあった。
    • 金剛型で連合艦隊旗艦を務めたのは金剛のみ。*37

「高速戦艦」変身

  • 本来はワシントン軍縮条約の「建造後20年経った艦は新造戦艦で代替してよい」という条文にもとづいて1933年には比叡とともに廃艦になる予定だった。
    だが、1930年にロンドン軍縮条約が締結され代替計画がおじゃんになり、結果的に延命された。
    • この代替艦(いわゆる「金剛代艦」計画)を巡っては、当時の主任設計官だった藤本喜久雄氏の設計案を不満に思った平賀譲氏(当時絶賛左遷中)が勝手に自分で描いた設計図を提出し、艦政本部を混乱させたというエピソードも残っている。
      なおこの時の両人の代替艦の設計は、結果的に実物の金剛代替艦に反映された。
    • その後、金剛代艦計画は第二次ロンドン軍縮条約締結を想定して小型化した案も再検討されたが、同条約を脱退することが決定したため廃案。名目上は旧式化した金剛型「戦艦」の代替という扱いで大和型が建造される。
    • そして今度は、水雷戦隊に随伴する高機動艦としての金剛型「巡洋戦艦(高速戦艦)」の代替*38が求められて「超甲巡」が計画されたが、これもミッドウェー海戦の敗北による建艦計画の変更により廃案。
      結局日本海軍は、金剛型を後継艦に世代交代させることは最後までできずに終わった。
  • そしてロンドン海軍軍縮条約の期間満了に先駆け、旧式化の進んでいた彼女らは第二次近代化改装が実施される。
    • 第二次近代化改装の主目的は『漸減邀撃作戦において味方水雷戦隊に随伴するための高機動化』*39なのだが、そのための改装法は
      艦上構造物を撤去して船体上部を切開し旧機関*40を摘出、新型機関*41に換装。さらに艦尾に鋼材被せて7.4m延長*42というマジモンの魔改造であった。が、それをしっかりやってのけた辺り流石帝国海軍の技術力は高かった。つーかプラモじゃねーんだぞ……。*43
  • 結果、戦艦でありながら最大速力30ノットという高速艦にワープ進化。
    最古参かつ最高速の戦艦という愉快な立ち位置となった。
  • 一方で、元が巡洋戦艦で有る以上防御力の向上には限界があり、重量の問題や改装期間、費用対効果を検討した結果、第二次改装時は防御の強化をほとんど行わなかった。
    そのため第一次改装以降に登場した新型の徹甲弾や魚雷に対する防御力は不十分なものとなってしまい、これらは金剛姉妹の喪失に影を落とす事になった。*44
    • 第三次ソロモン海戦で比叡は至近距離から巡洋艦隊の集中砲火を浴びて大損害を受け、霧島は米新型戦艦が反撃を開始するとものの数分で致命傷を負った。*45そして金剛自身も、たった2本の魚雷で悲運の最期を迎えることになる。
  • 後に、米国のアイオワ級戦艦が最高速力33.0ノットに3連装16インチ砲塔3基という、金剛と長門を足したような変態仕様になるきっかけとなったとされているが、米国ではそのような記録は残されていない。
    • 上記の「アイオワ級対金剛級説」にはこのような異論もあり、U.S. Battleships An illustrated Design Historyという書籍の307pには米海軍情報部が1942年12月まで金剛型の最高速力を26ノット程度に把握していたという記述が存在しており、米軍の識別表にも26ノットと記載されている。この事からアイオワ級は金剛型ではなく日本や欧州の新型戦艦*46などに対抗するために建造されたのではないかという説も存在する。

Hey提督!私の戦歴デース!私の事をもっと知ってくださいネー!

  • 太平洋戦争開戦時、金剛型4隻は第三戦隊を編制していた。
    • 昭和16年8月、当時の第三戦隊司令官小沢治三郎中将は、「第三戦隊はもっと手軽に考えるべき兵力であり、夜戦だろうが局地戦だろうが積極的に投入して特有の機動力と攻撃力を発揮させるべきである。虎の子扱いをして一切の気構えも行動も鈍重になるような癖でも付いたら宝の持ち腐れになりかねない。万事駆逐艦並みに扱うつもりで艦を練成しろ」と述べたと言われ、生粋の主力戦艦とは異なる運用思想が持たれていた。
  • 開戦後の金剛型は訓示の通り、特有の機動力と攻撃力を活かして機動部隊の護衛や警戒部隊支援、快足の打撃部隊としてなど様々に行動し日本戦艦でもっとも活躍した
    • 当初戦艦部隊の露払いとしか考えられていなかった機動部隊が海戦の主体となったこともあり、その随伴*47として虎の子扱いされた他の戦艦とは対照的に各戦域を駆け回った。その他にも、ガ島挺身砲撃など戦艦を主力とした作戦でも高速戦艦特有の能力を発揮した。*48
    • 金剛型は、大和型のように運用経費が問題となることもなく、長門型のように象徴としての権能を持たなかった。言い方は悪いが「攻防共に最弱の巡洋戦艦だから、仮に沈んでもダメージは最小で済む」という思惑もあった。そんな本型が新鋭戦艦を差し置いて活躍し、最古参にして最も活躍した戦艦と評されるのは日本海軍が考えた高速戦艦の構想が有益であったことを示しているだろう。

太平洋戦争前半

太平洋戦争前半

  • 1941年12月マレー沖海戦。榛名と共にマレー侵攻部隊の支援に参加。この時、第三戦隊の金剛型4隻はマレー作戦組の金剛・榛名とハワイ攻撃組の比叡(戦隊旗艦)・霧島とで分割されていた。
    • 敵方の英国海軍・フィリップス提督は偵察機によりこれをキャッチしており、敵護衛艦隊の主力艦は金剛ただ一隻、輸送艦隊より護衛艦隊と先に遭遇した場合は金剛を優先的に撃破せよという指示を出していた。
      榛名はガン無視された発見されなかったらしい。
    • 英国の最新鋭戦艦プリンス・オブ・ウェールズに対して、日本側は兵装・装甲共に性能が劣る金剛型による砲撃戦は避け、万が一艦隊が接敵した時には水雷戦隊で何とかするつもりでいた。
      • ちなみに視界不良のため両軍気が付かなかったが、一時金剛と榛名の第二艦隊は英艦隊と砲撃射程距離まで接近していたことが作戦後に判明した。
    • このように日本海軍は現地の水上艦隊で相手をするのは非常に難しいため、航空隊によって英艦隊を撃滅する事を計画していた。
      このため、敵方の旗艦である戦艦「プリンス・オブ・ウェールズ」は航空隊によって沈められる事となった。
      この海戦により大艦巨砲主義を唱えていたはずの日本が、航空機で行動中の戦艦を撃沈できることを世界で初めて実証してしまった。
      まさかの航空戦力の時代か?の始まりである。
      • この時、巡洋戦艦「レパルス」という金剛に似た艦がいたため、味方は金剛と区別が付かなったという。
        なお長門に乗っていた山本五十六司令長官は「このレパルスは撃沈できるがプリンス・オブ・ウェールズは撃沈できないだろう」と発言し、両方とも撃沈できると予想する参謀とビールを10ダース賭けていたらしい。ただし、「レパルス」も同時に沈められた。
  • 1942年2月機動部隊に編入され、インド洋作戦に至るまでの第一段作戦において南方進攻作戦に参加。3月にはジャワ島南方の英領クリスマス島を砲撃。島には白旗が掲げられたが、占領は考えてもいなかったのでそのまま通り過ぎた。
  • 1942年4月セイロン沖海戦。第一航空艦隊、第三戦隊として金剛型全艦揃っての参加。ちなみに四姉妹そろっての作戦行動はこれが最初で最後。
  • 1942年6月ミッドウェー海戦。珍しく比叡とコンビを組んでの参加。だが一航戦、二航戦の方々が開幕の航空戦で壊滅。撤退を余儀なくされた海戦となった。
  • 海戦後、北方部隊に編入。比叡・利根・筑摩と共にアリューシャン攻略を支援。龍驤・隼鷹を支援し、米空母と戦うためだったが、米空母はハワイへ引き返したため海戦は起きなかった。
  • 1942年7月、戦時編制の改訂により、金剛型4隻は金剛・榛名の第三戦隊(巡洋艦と水雷戦隊が主力の第二艦隊に所属)と、比叡・霧島の第十一戦隊(空母が主力の第三艦隊に所属)に分割された。
  • ガダルカナル攻防戦が始まると、当初は金剛・榛名の代わりに第二戦隊の陸奥が第二艦隊に所属して第二次ソロモン海戦に出撃したのだが、低速の陸奥は追撃戦で足手まといとなって艦隊から分離され、海戦後は第三戦隊と交替となった。
    • 低速の戦艦は「空母の護衛で足手まといとなったので使い道がなかった」などと言われがちだが、実際はマリアナ沖の長門やエンガノ岬沖の伊勢型など、空母の護衛で低速の戦艦がそこまで問題視されていたわけではない。
      低速が問題となったのはどちらかというと、この第二次ソロモン海戦のように敵艦隊を追撃したり、後述のヘンダーソン飛行場砲撃のように夜間に敵の勢力圏に突入して砲撃後直ちに離脱するような、高速が要となる水上打撃部隊だったのだ。
      後のレイテ沖海戦においても、低速戦艦を排除しようとしたのは空母機動部隊ではなく、レイテ湾に突入する水上打撃部隊の方だった。*49*50

1942年10月ヘンダーソン飛行場砲撃

1942年10月ヘンダーソン飛行場砲撃

  • ガダルカナル島への輸送船団上陸支援のため榛名と共に出撃。飛行場姫ヘンダーソン飛行場に対して艦砲射撃を実施し、滑走路と航空機に損害を与えた。
  • 参加したのは、戦艦金剛(旗艦)、榛名、軽巡洋艦五十鈴、駆逐艦黒潮親潮、早潮(未実装)、海風江風涼風、巻波(未実装)、長波高波
    • 飛行場を砲撃するにあたり、篝火を用いた測距や飛行場が観測できる山への観測所の設置などの準備が行われた。
    • 総計918発の砲弾が発射され、対空榴弾である三式弾が威力を発揮したと言われる。
      • ゲームにおいて、陸上基地型ボスの深海棲艦に三式弾が有効なのはこのエピソードのため。
        ただし三式弾を発射したのは金剛のみ、発射数も各種砲弾総計966発中の104発である。
        連合軍側の被害は航空機の半数以上に損害、燃料の殆どが喪失、飛行場は一時的に使用不能となり砲撃には成功した。
  • 戦艦主砲弾による艦砲射撃の威力は絶大で一夜明けてもガ島飛行場では燃料・弾薬の誘爆が続いていた。これを見た日本陸軍は大いに喜び、「野砲千門の砲撃に匹敵する」と評価、「欣喜雀躍ス」「勝算スデニ我ガ手中ニ在リ」と報じ増援の輸送部隊を突入させた。
  • だが、米軍はゲージ回復ブルドーザーなどでまたたく間に滑走路を修復し13日夜の砲撃にもかかわらず15日には発着可能なまでに回復した。
    • また、戦闘機用の滑走路が新設されており、日本側はその存在に気付いておらず無傷だった。
  • そのため、船団が揚陸した物資も主に新設されていた無傷の滑走路から飛来する航空機等によって焼き払われてしまった。制空権奪還には遠く及ばない結果であったが、陸軍の再度の砲撃要請もあり、これが第三次ソロモン海戦を招く。

1944年10月レイテ沖海戦・サマール沖海戦

1944年10月レイテ沖海戦・サマール沖海戦

  • 大和、長門、榛名ほか、巡洋艦戦隊らと共に栗田艦隊として参加。巡洋艦戦隊と金剛は敵空母に肉迫し、多数の命中弾を与えたとされる。またレーダー射撃も実施したらしい。この戦いで日本軍は鳥海、鈴谷、筑摩を失い、米軍は護衛空母ガンビア・ベイ、駆逐艦ホーエル、ジョンストン、護衛駆逐艦サミュエル・B・ロバーツを失った。
    • 日本側は戦艦や重巡洋艦を擁しアメリカ側は護衛空母と駆逐艦という戦力差ではあったが、サマール沖海戦は決して楽な戦いではなかった。
      • この戦いで撃沈されたガンビア・ベイは、味方の米軍兵士からも「ベビー空母」と揶揄されているほど貧弱な性能の量産型護衛空母にも関わらず(はわわ)栗田艦隊を足止めし、護衛の3隻の駆逐艦とともに散った。
        その戦いの様は米海軍の士官候補生が必ず学ぶ内容となっており、彼女をテーマとした書籍も米国で出版されている。敵ながらあっぱれデース!(く、栗田艦隊怖いですぅ!)
      • 戦艦や重巡洋艦を相手に1時間以上も死闘を繰り広げ、文字通り空母の盾となった護衛駆逐艦サミュエル・B・ロバーツ はその英雄的戦い振りから「destroyer escort that fought like a battleship(戦艦のように戦った護衛駆逐艦)」の二つ名で呼ばれている。清霜もこれくらい頑張れば戦艦と呼ばれるぞ!
    • サマール沖海戦の各艦の戦果には様々な異説がある。
      当時の日本側の戦果報告が過大であったことに加え、スコールや煙幕による視界不良、さらには米護衛駆逐艦と艦載機の奮闘により回避行動を余儀なくされるなどの要素が重なり、着弾観測が困難を極めたことなどが原因とされている。*51
      • 金剛の戦果に限っても、サマール沖で撃沈されたガンビア・ベイ、ホーエル、ジョンストン、サミュエル・B・ロバーツの全てに命中弾を与えたとする書物もあれば、そのそれぞれの信憑性を疑問視する声もある。
        金剛の戦闘詳報によれば「エンタープライズ型 空母 一隻撃沈(他艦ト協同)」(おそらくガンビア・ベイをエンタープライズ型と誤認)と 「敵クランベン型駆逐艦ヲ轟沈ス」と戦果を空母1駆逐艦1と報告しているが、昭和47年に建立された佐世保東山海軍墓地にある金剛の慰霊碑の碑文では戦果を空母1駆逐艦2と記されている。*52乗組員の証言なども食い違いが多く、さらには米軍の被害報告なども併せて検証するとさらに多くの矛盾が生じるため、現在に至るまでその詳細は判明していない。
      • また、サマール沖における重巡洋艦鳥海に対して、金剛が誤射したことが明らかになっている。この件に関しては鳥海の被弾を目撃した羽黒金剛の乗組員による複数の証言や羽黒の艦長が緘口令を敷いたという証言が存在し、それによると、鳥海艦長・田中穣大佐が命令を待たずに突撃し、金剛の砲火を浴びてしまったという。*53
        ただし、羽黒戦闘詳報では「鳥海敵主力ノ集中射撃ヲ受ケ右舷中部ニ被弾」となっている(金剛が航行していたのは鳥海の左側)。また米護衛空母ホワイト・プレーンズが砲撃により重巡洋艦を落伍させたと主張していることから、米軍の攻撃による被弾が航行不能に至る原因とするのが通説である。
    • サマール沖海戦は日本戦艦が昼間に砲戦能力を発揮できる機会に恵まれた数少ない海戦だった。ただ、敵機による空襲の中での砲戦というかなり厳しい状況下であった。この海戦における金剛の戦果で実際に確認できるものは護衛空母1隻と護衛駆逐艦1隻それぞれの共同撃沈のみだが、それは海戦に参加した戦艦のなかで最高のものだった。

金剛の最期

金剛の最期

  • 1944年11月21日、上記のレイテ沖作戦後を終えてブルネイにいた金剛らは内地への帰路につく。しかし台湾沖で米潜水艦の雷撃を受け、2発被雷。
    先のレイテ沖海戦でバルジ各部に被害が生じていた金剛の水中防御では新型のMk18型魚雷の弾頭には抗えず、直ちに第六缶室への浸水が始まった。
    だが当初は大した損傷とは思われず、とりあえず航行に支障がなかったため、潜水艦の追撃を避けるべくそのまま突っ走ったが、これがまずかった。
    荒天で波高かった不運も重なり、艦齢30年を超え老朽化が進んだ船体は、波に叩かれ鋼板の繋ぎ目が緩むなどして浸水が拡大。
    ついに機関も停止して傾斜復旧不能に陥り、午前5時30分頃、内地に辿り着くことなく転覆・沈没した。「うー……日頃の無理が祟ったみたいデース……」
    • 潜水艦の攻撃により戦没した日本唯一の戦艦。だが世界的に見ると大概は潜水艦が関与しているので、航空機に沈められた4隻の戦艦の方が稀である。
      戦艦以外の艦娘たちも潜水艦に落とされまくっていることから、潜水艦を怖がっている艦娘は多い。
      撃沈した米潜「シーライオン(英語でアシカの意)」は提督の誰もが敬愛してやまない間宮さんをも屠っている。アシカを見たら仇と思え!
      この時、同じシーライオンに撃沈されたのが金剛の護衛任務に就いていた浦風である。どんだけ被害者いるんだ……。
      • この時、榛名は東南アジアに残留しており、長姉の最期を看取ることはできなかった。榛名が内地に帰還したのは、金剛沈没から約一か月後のことである。
        余談となるが、金剛が居なくなってしまった上に油が無いという日本の台所事情も重なり、榛名もこれ以後の海戦には投入されず、空襲で大破・着底して終戦を迎えている。
        したがって金剛型が参戦した海戦はサマール沖海戦が最後となっている。
    • なお総員退艦命令が遅きに失したことに加え、金剛の沈没時には艦内爆発も発生しており、また荒天のため救助も難航。
      そのため第三戦隊司令官鈴木義尾少将、艦長島崎利雄大佐以下1,300名にのぼる乗組員が命を落としている。痛ましい状況であったとのことである。
    • 金剛戦没の報に接した初代艦長中野直枝中将は「孫の臨終に立ち会ったような気持ちだ」と嘆き悲しんだという。
    • なお、英語版ウィキの情報によると、現在の金剛は、台湾の最北の町、基隆市から北西55海里(約100㎞)の地点に沈んでいると推測されている。
      沈没地点は大陸棚に当たる場所のため水深は110m程度と比較的浅いことからも、見つけようと思えば見つけられるかもしれないが、如何せん台湾と中国のほぼ中間の海域に沈んでいるので、金剛の持ち主でもある日本としてもどうする事も出来ない。
      加えて沈没前に艦内爆発、横転をしているので、海底に眠っているであろう金剛の状況としては、坊ノ岬沖に眠る大和並みの惨状となっている可能性が高い。

余談

  • 観艦式で天皇陛下が座乗される「御召艦」といえば比叡が最多経験であり、榛名や霧島も観艦式で御召艦を務めたことがある中で、金剛のみは「観艦式で天皇陛下の御召艦」を務めたことがない。
    • ただ、広義の意味での御召艦になったことはある。
      大正時代に時の皇太子(後の昭和天皇)御座乗の御召艦として、比叡と霧島を供奉艦として引き連れて台湾を訪問したことがあるのだ。
  • 大正6年頃、横須賀の海軍機関学校で英語を教えていた縁から芥川龍之介が幼女巡洋戦艦時代の金剛に乗艦し「軍艦金剛航海記*54」という体験記を書き残している。有名作家を乗せたのは青葉だけではないのデース!
    その夜、「マストの上へ帽子をかぶつてゐる軍艦の夢」を見たという。微妙に擬人化のようで擬人化じゃない。
  • 金剛のキャラソン艦歌「軍艦金剛」は、ポリドール社によってレコードに吹きこまれ発売されている。
    「敷島艦行進曲」などの例を除いて、軍艦の艦歌が一般向けに発売されるというのは極めて稀なことであり、彼女がいかに国民に親しまれていたかが窺える。
    • ちなみに先代金剛の方は艦歌こそないが、「日清談判破裂して 品川乗り出す東艦 続く金剛、浪速艦……」と欣舞節に歌われている。
      後には手毬唄となって広く人口に膾炙したのでご存知の人も多いだろう。初代・二代目ともに、不思議と歌で国民に親しまれた艦でもあった。
  • 戦艦乗組員の「しごき」は苛烈なものだったと言われているが、金剛型もその例に漏れず4隻ともにおどろおどろしいあだ名が与えられている。
    ある戯れ歌にいわく「地獄榛名に鬼金剛、羅刹霧島、夜叉比叡」。別のあだ名では「鬼の山城 地獄の金剛 音に聞こえた蛇の長門」とも。
    特に山城とは「横須賀の山城、佐世保の金剛」と海軍しごきの両横綱として比肩された。
    「一国の象徴たる戦艦が生半可であってはならない」という帝国海軍精神の表れである。
  • 長い艦歴の中で金剛は実に32人の艦長を迎えている(つまりはほぼ毎年艦長は変わっている)が、
    その3代目艦長の名は「マツオカ・シュウゾウ(松岡修蔵)大佐」である。「Burning Love!!」の由来はもしかしたら……。
    • 艦これ収録の日本戦艦のうち、最も歴代艦長が多いのは榛名の38代で、これに扶桑・山城の36代、日向の35代が続く。金剛は艦歴の長さにしてはむしろ歴代艦長が少ない方である。
  • 月刊コンプティークで連載されていたコミカライズ作品『艦隊これくしょんー艦これーside:金剛』では「無駄無駄無駄デース」や「この距離なら艦載機は使えないネー」というどこかで聞いたことのある台詞を金剛が喋っている。
    前者は『ジョジョの奇妙な冒険』におけるジョルノ・ジョバーナやディオ・ブランドーのラッシュ時の台詞、後者は『仮面ライダー剣』第47話で仮面ライダーギャレンがギラファアンデッドに接射をした際の台詞『この距離ならバリアは張れないな!』が元ネタ。
    • ちなみに『仮面ライダー剣』に登場する仮面ライダーギャレンはトランプのダイヤ(ダイヤモンドは和訳すると金剛石)モチーフで更に必殺技の名前に『バーニング』がつくなど金剛との共通点が一応ないわけではない。
    • ついでにいうと、剣の登場人物に剣崎一真(ブレイド)、上城睦月(レンゲル)といったキャラクターがいるためか、提督たちの間では祥鳳(旧:剣埼)や睦月がネタにされているらしい。
  • 2018年2月3日に、日本武道館で行われた東山奈央の1stライブの際、「金剛に扮した東山奈央」の描き下ろしイラストが発表された。
  • 2019年1月に比叡が海底で発見されたことにより、太平洋戦争時の日本戦艦12隻で所在が未だ確認されていないのは金剛を残すのみとなった。
    しかし前述のように金剛の沈没地点は中国と台湾の中間地点という政治的に厄介な場所であり、海底の金剛を探すハードルはあまりにも高い。

聖地巡礼

  • 『造船所』ヴィッカーズ社は1999年に買収された後、2004年にBAEシステムズの子会社によって吸収されたため現存していないが、金剛はイギリスカンブリア州バロー=イン=ファーネス市で造られた。
    同造船所では戦艦三笠や香取といった日本戦艦も造られている。
    • ちなみに現地にある博物館では「三笠、金剛、香取」の資料も残されているとのこと。*55余談だが戦艦三笠は復元され博物館船となっている。*56
      さらに金剛に至っては建造当初を再現した大型模型も保存されている。
  • 『艦内神社』金剛山の麓に鎮座する「建水分神社」(大阪府)からの分祀である。尚、現在の「こんごう」は金剛山頂上の「葛木神社」へと変更されている。
  • 『金剛の碑』戦艦金剛の慰霊碑。長崎県佐世保市の佐世保東山海軍墓地。
    • ちなみに榛名と霧島もここに祀られている。あれ?誰か足りないわ……ひえー(比叡は横須賀に祀られている)。
  • 『36cm一式徹甲弾』ガ島砲撃時に発射した弾。広島県江田島市海上自衛隊第1術科学校。
  • 『戦艦金剛のヤーロー式ボイラー』第一次改装で取り外されたもの。36基搭載されていたうちのひとつ。広島県呉市海事歴史科学館(大和ミュージアム)。
    • このボイラーは戦後も再利用され、海軍技術研究所をへて科学技術庁金属材料研究所にて暖房用ボイラーとして1993年まで活用されていた。
  • 『軍艦旗』沈没時に艦尾に掲揚されていたもの。福岡県飯塚市歴史資料館。
    • 沈没する金剛からの脱出時に、同市出身の乗組員がこの旗を身体に巻き付けて泳ぎ、そのまま中国の捕虜となったのちに釈放、軍艦旗も帰国後に同氏に返還されたという経緯がある。
    • ただし常設展示ではなく、主に毎年夏に行われる戦争企画展でしか展示されない(※撮影には受付で許可をもらうこと)。
  • 『戦艦金剛のカップ』「軍艦 金剛」の銘が入ったカップ。茨城県笠間市筑波海軍航空隊記念館。
    • 2014年に元搭乗員の遺族によって発見され、筑波海軍航空隊記念館に寄託されたもの。
      なお、贈呈式では記念館のスタッフが金剛(艦娘)のコスプレをしていた。

この艦娘についてのコメント

最新の15件を表示しています。 コメントページを参照

  • ピクシブで「戦艦金剛の艦底にて」って小説があったんだけど、不覚にも泣いてしまった。金剛提督は必読ですな -- 2020-02-20 (木) 23:38:20
  • 金剛のこと「素敵なあの人」と呼んだら「まだそんな年じゃない!」って怒られた。どういうこっちゃ -- 2020-03-17 (火) 00:21:37
    • (60代向けファッション雑誌の名では・・・)男性提督ならそれくらいいるかもしれないが、女性提督では果たして? -- 2020-06-13 (土) 19:36:44
      • ミリタリマニアの年齢と性別は激しく高・男に偏ってるらしいし・・・某ガルパンおじが新作の製作スピードの遅さに耐えられず他界したと聞いて目頭が熱くなりました。 -- 2020-06-21 (日) 22:22:15
      • 禁止!金剛のコメント欄で年齢の話題は禁止! -- 2020-06-23 (火) 22:34:12
  • 台詞の表記を主に記号などの表記揺れを修正 -- 2020-04-05 (日) 16:33:07
  • 今回のバーニングラブ、聞き覚え有ると思ったら、シャイニングフィンガーもしくは、ゴーカイジャーのファイナルウェイブ。 -- 2020-04-27 (月) 01:03:48
  • 丙丙提督ー -- 2020-05-12 (火) 18:51:05
  • 最近ツイッター上でソロモン諸島が熱いが、改装時に金剛から取り外されたヴィッカース社製副砲が特定されそうで地味にすごい -- 2020-06-11 (木) 21:06:39
  • ナウルどうなっとんねん -- 2020-06-11 (木) 21:20:18
  • ”VICKERS SONS & MAXIM LTD 6IN BL No.1802A 1910”なので同型砲なのはほぼ確定か。https://togetter.com/li/1540840 -- 2020-06-12 (金) 20:11:35
    • 金剛型のは製造年が違う(重量も違う)って情報もあるね。ちょっと調べただけじゃよくわからなかったけど -- 2020-06-12 (金) 21:16:18
  • 地味に新規イラスト出てるね https://twitter.com/naobou_official/status/1283687958113955840 -- 2020-07-16 (木) 19:10:35
    • 地味というにはとても見目麗しい金剛嬢で・・・・・・ビクッ!?(イラストに目を奪われてやっと東山奈央のツイッターだと気づく) -- 2020-08-05 (水) 18:44:45
    • これは…指輪欲しいアッピルですかねぇ… -- 2020-09-13 (日) 19:18:01
  • 飯塚市の歴史資料館にて金剛の軍艦旗が展示だそうな。元乗組員が脱出時に持ち出したものだそうで -- 2020-08-13 (木) 21:04:19
  • さて次は欧州イベント。日本の海も欧州の海もどちらも問題ない金剛にまた頑張って貰うが、今はのんびりティータイム。 -- 2020-09-09 (水) 20:37:22
  • ド級編隊エグゼロスに出てそう -- 2020-09-12 (土) 13:36:18
    • そういえば、艦娘の中の人が、かなり出てるな。この作品 -- 2020-09-13 (日) 17:03:04
  • 最近ふと頭の中に「俺たちの金剛雪ちゃんを返して」って言葉が湧いて出た。まーた見たいな金剛雪ちゃん -- 2020-09-13 (日) 19:18:48
  • 今日だけで金剛さん4隻も出てきたんだがどうなってるんですかこれ -- 2020-10-10 (土) 14:12:59
  • 砲火後ティータイム -- 2020-10-17 (土) 06:10:14
お名前: URL B I U SIZE Black Maroon Green Olive Navy Purple Teal Gray Silver Red Lime Yellow Blue Fuchsia Aqua White

*1 指揮
*2 2周年
*3 水着
*4 ない
*5 砲撃
*6 ちくしょう 失敗を悔やむ時によく使われる
*7 結果・成果
*8 メールが届いたよ
*9 三式弾増設バルジ(大型艦)探照灯の説明文に「巡洋戦艦」の記述が見られる。また、九一式徹甲弾の仕様変更時の説明に「高速戦艦」という記述が用いられた。
*10 Гангутは速力「低速」でありながら例外的にこのカテゴリに属している。参考:艦種ごとの特徴
*11 速力と使用可能な装備が共通しているBismarckは初期でも4つスロットを持つ。
*12 ちなみに提督の呼び方も漫画や小説の多くは「提督」である一方で、艦娘型録では「テイトク」だったりとややこしい。
*13 幕末三大兵器が一つ・アームストロング砲の生産元であり、日本海軍の戦艦朝日などの建造も手がけた。
*14 なおほぼ同時期に同じ英国で竣工した客船タイタニック号の進水式での飲み物もコーヒーだった。
*15 機械部品だけはスイスのスイス・ロコモーティブ社製だった。
*16 当時の金丸信防衛庁長官のワガママ意向で自分の出身地の町の名前を艦名につけたため(公式にはその町の近くにある同じ読みの山に由来、となっている)。まあ、武運めでたき大型艦の名を受け継ぐのなら最初から「こんごう」になるの方が自然。ようするに「はるな」も起工時の防衛庁長官の地元の山名をつけてるわけだが・・・。
*17 前後の砲塔は威力を大きくすべしと東郷平八郎が横槍を入れたということもあった。
*18 戦艦ではなく装甲巡洋艦なので当然である。
*19 なんでドレッドノートが就役したら陳腐化するような戦艦(前弩級戦艦)をドレッドノートと一緒に作ってたの、なんで明らかにドレッドノートより弱い戦艦を作ろうとしたの、とも思うが、これは画期的な高性能を持つドレッドノートに「こんなうまい話があるか」と懐疑的になり、予防線を張ったから。つまりは保守的だったのである。
*20 ただしそれでも、第一次大戦で英国海軍のドイツ海軍に対する戦力的優位が崩れることはついになかったのも事実ではあるが、大戦による損耗と戦艦建造競争は国力を著しく疲弊させてしまい、これが英国海軍一強体制のプライドを捨てて米国と同比率を許容した軍縮条約の締結に奔走させることになる。ワシントン軍縮条約の背景には、日本を抑制したかった米国のみならず、その米国のダニエルプランと日本の八八艦隊による戦艦建造祭りに付き合う余裕などなかった英国の切実な台所事情があったのだ。
*21 当時のドイツには巡洋戦艦という艦種はなく、このタイプの軍艦を「大型巡洋艦」と呼称した。
というか類別「巡洋戦艦」を竣工・就役させたのは後にも先にも英国(と金剛を発注した日本)だけで、米・独・露各国で計画・建造された巡洋戦艦はすべて未成(空母改装も含む)である。

*22 最もこの頃のドイツ大型艦は運用水域がドイツ近海に限定されていたため長時間の作戦行動能力を求められず、そのため居住性を犠牲にして防御を強化している部分も大きかった。
*23 最後の海外発注艦はターボ・エレクトリック推進研究のために1922年にアメリカから購入した給油艦「神威」。
*24 とはいえ、公式メディアで金剛が周囲から最年長の重鎮として恭しく扱われるようなことはほとんどない。アニメ版では戦艦として後輩のはずの長門から呼び捨てにされるくらいである。
*25 上述の「三笠」の姉妹艦であり、もちろん日露戦争では連合艦隊の主力として活躍した。敷島型の中でも2番艦「朝日」と4番艦「三笠」は準同型で、双子とでも言うべき間柄。1942年5月26日、米潜「サーモン」の雷撃により沈没。
*26 ちなみにネームシップ「敷島」も練習艦として終戦を迎えるまで帝国海軍に在籍しており、1947年に佐世保で解体された。「三笠」は1923年に除籍となったが、船体は記念艦として保存され、今日も横須賀にその姿を留めている。
*27 それは駆逐艦でもできるじゃんと思うかもしれないが、特型など大型駆逐艦が登場するまでは駆逐艦はそもそも危険な外洋に出ていけるだけの凌波性が無かった。外洋に出てしまえば一番小さいのは巡洋艦だったのだ。
*28 フッドはその性能の高さから戦間期の改装は小規模にとどまり大規模な改装を受ける前に第二次大戦が起こってしまった。フッドの主砲の威力はビスマルクでも侮れないものだった。しかし、デンマーク海峡海戦では不運にもビスマルクの砲弾が後部弾薬庫に命中、誘爆を起こし轟沈した。
*29 例えば長門型戦艦は装甲を犠牲に一定の速力が与えられており、30ノットの巡洋(高速)戦艦との連携が想定されていた。
*30 しかし水雷戦がソフトウェアでもハードウェアでも著しく進歩した結果、日本海軍は艦隊決戦部隊から水雷戦隊に主力をすり替えるようになり、金剛型は漸減邀撃作戦における水雷戦隊の前衛へと役割を転換された。結局、金剛型は艦隊決戦から切り離せない存在となったのである。他の戦艦と違って太平洋戦争で温存されずに前線に繰り出されたのは、高い速力と比較的低い戦力ゆえ使い勝手が効いたからだけでなく、水雷戦隊の発達も原因していたのだ。
*31 WWⅠ頃発生。ジュットランド海戦で戦艦の速度不足(ないし巡洋戦艦の速度過多)と巡洋戦艦の防御能力不足が問題視され提唱された。QE級戦艦(英)、巡洋戦艦フッド(英)、長門型戦艦などが該当。QE級とフッドは主砲の口径・砲門数が同じで排水量ではフッドがむしろ上回っている。
*32 霧島 榛名の竣工後約10年間一等巡洋艦の新造はなく、榛名の次に竣工した一等巡洋艦が古鷹である。
*33 ユトランド沖海戦:戦艦の重装甲・大火力・大食い化を進めるきっかけとなった海戦。
*34 装甲版の重ね張りやバルジの装着により水平・水中防御が強化され、砲戦距離2万~2万5千mで35.6cm砲弾に耐えられるようになった。ここで艦橋が長距離戦を意識して大型化、機関も換装された。
*35 金剛が就役して間もない頃、まだ連合艦隊が非常設だった時代にも、連合艦隊旗艦に準じる扱いの第一艦隊旗艦を務めたことがある。まだ扶桑型が就役しておらず、最新鋭の金剛が戦艦の薩摩型や河内型より強大であったためだが、戦艦を差し置いて巡洋戦艦が第一艦隊旗艦というのは収まりが悪かったようで、扶桑型の就役が急がれてすぐに交代している。
*36 いわゆる「太平洋戦争開戦時の連合艦隊編成」の整然とした顔ぶれも、国の総力を挙げた臨戦態勢ということで可能になったものだ。平時体制から戦時体制への移行となるこの出師準備を一度行ってしまうと、海軍は色々な意味で後戻りが出来なくなる。
*37 榛名もごく短期間連合艦隊旗艦を務めた(一時的に代行した)のではないかと窺わせる断片的な記録もあるようだが、今のところ歴代旗艦にはカウントされていない。
*38 いくら近代化改装をしたとはいえ、老朽化による限界が近いことは認識されていた。
*39 なぜ金剛型戦艦が水雷戦隊と行動するのかというと、敵主力艦を護衛する重巡洋艦を抑え味方の突破口を開くためである。
*40 エネルギーロスの大きな直結式蒸気タービンと、燃焼効率の悪い石炭重油混焼缶
*41 艦本式減速タービン4基、重油専焼のロ号艦本式缶8基に換装、最大出力は竣工時の約2倍の136,000馬力にまで跳ね上がった。
*42 パワーを上げ、艦を細長くすれば速力は出る。が、言うは易し行うは難し。しかもそれを戦艦でやっちゃうあたり結構な無茶と言わざるをえない。
*43 第一次改装もあいまって、竣工時の面影は殆ど残っていない。
*44 戦艦としては脆く、SHSを使用する米軍の艦が相手の場合重巡の砲撃にすら耐えられない。
*45 一方防御の充実したサウスダコタは霧島をはじめとした日本艦隊の砲撃を至近距離から浴び続けても、艦体中枢には大したダメージを負っておらず撃沈には程遠かった。限定的対35.6cm防御の古参巡洋戦艦上がりと対40.6cm防御の純粋な新鋭戦艦、至近距離とはいえ三式弾が徹甲弾だったらどうのこうのという問題ではなかったのである。
*46 米海軍情報部は大和型を16インチ砲搭載、速力30ノット程と予想していた。
*47 最も期待されたのは空母が損傷した際の曳航能力。
*48 前述したように、金剛型に期待された役割は主力部隊の前衛を務める水雷部隊に高速力をもって随伴し、戦艦並の砲撃力で敵の前衛を蹴散らして味方水雷部隊の突撃を支援する突破口を開くことである。つまり金剛型は主力の露払いの露払いであり、大型艦艇としては誰よりも最前線を駆け回るべき存在だったのだ。
*49 西村艦隊が栗田艦隊から分離したのは低速の扶桑型の処遇のためであり、当初は長門も西村艦隊に分離し、栗田艦隊の戦艦は大和型と金剛型のみにしようとする作戦案もあった。
*50 空母部隊の小沢艦隊は金剛型どころか、高速の駆逐艦で編制する第十戦隊すらも栗田艦隊に移されて、低速の松型が所属する第三十一戦隊で代用されている。これは当時の日本海軍が、空母部隊の機動力よりも戦艦部隊の機動力を作戦上重視せざるを得ない状況だったためだった。
*51 金剛に至っては測距儀が破損するなどの被害を受けたためさらに観測が困難になった。
*52 碑文の内容は以下のとおり。「10月25日敵機動部隊とサマール島沖にて遭遇、数千米の至近距離にて一大砲撃戦を展開、空母1駆逐艦2を撃沈せり」。
*53 疑惑は以前から存在していたが元乗組員などからの反発も多く、今まで本格的な検証がなされていなかったが『丸』2015年 4月号に検証記事が掲載され再度この問題が提起された。今後の更なる検証が待たれる。
*54 軍艦金剛航海記:青空文庫等にて無料公開中。
*55 博物館のHPでは金剛の進水式の写真などを閲覧することができる。
*56 神奈川県横須賀市記念艦三笠。