Warspite

Cached: 2020-10-23 10:49:53 Last-modified: 2020-10-22 (木) 10:34:44
No.239
Fleet information? 了解、待ってて。Warspite (ウォースパイト)Queen Elizabeth級
2番艦 戦艦
艦船ステータス(初期値/最大値)
耐久72火力72 / 92
装甲72 / 91雷装0
回避26 / 54対空38 / 88
搭載12対潜0
速力低速索敵14 / 48
射程55 / 89
最大消費量
燃料90弾薬110
搭載装備
338.1cm Mk.I連装砲
3未装備
3未装備
3未装備
改造チャート
WarspiteWarspite改(Lv75)
図鑑説明
Queen Elizabeth Class(クイーン エリザベス クラス)*1 Battleship(バトルシップ)*2 二番艦、Warspiteです。Admiral(アドミラル)*3.よろしくお願いしますね。
生粋の英国生まれ、英国育ちの戦艦です。本国艦隊、地中海、そして、インド洋にも展開しました。
私の名前、Admiral. 是非その胸に刻んでください。

※初期値はLvや近代化改修の補正を除いた時の数値であり、最大値はLv99の時の最大値を指します。

CV:内田秀、イラストレーター:コニシ (クリックするとセリフ一覧が開きます)

セリフCV:内田秀、イラストレーター:コニシ
入手/ログイン我が名は、Queen Elizabeth class Battleship Warspite! Admiral……よろしく、頼むわね。
母港/詳細閲覧Battleship Warspite, I'm going(アイム ゴーイング)*4.
Admiral、どうしました?
母港/クリック時What's this(ワッツ ディス)*5, Admiral? あなた、この手はいったいどういう意味かしら。説明してくださる?
母港/詳細閲覧(新年)Best wishes for the happy new year(ベスト ウィッシーズ フォー ザ ハッピー ニュー イヤー)*6 Admiral!
母港/詳細閲覧(節分)セツブーン? あの子達、確かそんな風に……。あっ、金剛、セツブーン! ……え? 何で笑うの? どうして? Why!?
母港/詳細閲覧(バレンタイン)My Admiral.これを差し上げます。この艦隊の伝統のようですので。え……? 違う?
母港/詳細閲覧(ホワイトデー)Admiral、これを私に!? I don't know how to thank you enough(アイ ドン ノー ハウ トゥ サン キュー イナフ)*7...!
母港/詳細閲覧(四周年)I'm congratulated fourth anniversary(アイム コングラッチュレイテッド フォース アニバーサリー)*8! Admiral、ありがとう。
母港/詳細閲覧(五周年)I'm congratulated Fifth anniversary! Admiral、ありがとうございます。
母港/詳細閲覧(六周年)
母港/詳細閲覧(七周年)I'm congratulated Seventh anniversary! Admiral、Thank you very much indeed
母港/詳細閲覧(梅雨)Rainy day(レイニー デイ)*9。ふむ…Admiral? ううん、なんでもないわ。雨の日は古傷が痛むの…不思議ね。
母港/詳細閲覧(初夏)水着か。なるほど、一考の価値はありそうね。う~ん、どうしようか…
母港/詳細閲覧(夏)Japanの夏は、中々に厳しいわね。こう暑いと軽装になりたくなるわ。確かに。
母港/詳細閲覧(2019年夏イベ)We need to find Janus(ウィー ニー トゥ ファイン ジェーナス)*10, and bring her home(アンド ブリング ハー ホーム)*11.
母港/詳細閲覧(秋)Japanの秋。良いわね、この雰囲気。私は好き。食べ物も美味しいし♪
母港/詳細閲覧(2016秋刀魚)サンマ? Fishの? 戦艦が漁業のsupport(サポート)をするなんて、日本の艦隊はいい所、あるわね。私も手伝うわ!
母港/詳細閲覧(2018秋刀魚01)鎮守府秋刀魚Festival…。今年はこんなふうにひらくんですね。なんか懐かしい!
母港/クリック時(2018秋刀魚02)私もお手伝いします! させてください! Please! あ、いい大根さん! おろしますね!
母港/詳細閲覧(130th KURE 2019 01)Kure naval district(クレ ネイヴァル ディストリクト)*12. The home of the Japanese fleet(ザ ホーム オブ ザ ジャパニーズ フリート)*13. I wonder what a kind of place it is(アイ ワンダー ワット ア カインド オブ プレイス イット イズ)*14. 私も行ってみたいわ。
母港/詳細閲覧(130th KURE 2019 02)The place where Akagi Yamato and Nisshin were born(ザ プレイス ウェアー アカギ ヤマト アンド ニッシン ワー ボーン)*15. 素敵なところなのでしょう、楽しみね。What's delicious over there(ワッツ デリシャス オーバゼア)*16? ニク……ジャガ?
母港/詳細閲覧(晩秋)寒くなってくると、古傷が痛むわね。Fritz X(フリッツ エックス)*17、あれだけは反則だと思うわ。そのことを想うと…いた、いったたた…大丈夫。
母港/詳細閲覧(クリスマス)Admiral!Happy Christmas(クリスマス)!今日は飲みましょう、乾杯!いいわね、こんな日も。
ケッコンカッコカリ(反転)My admiral? Why are you calling(ワイ アー ユー コーリン)*18? え、この、Ring(リング)は?この私に?...そう。お受けします! My admiral! この身果てるまで、共に参りましょう!
ケッコン後母港(反転)My admiral, どうしたの?元気ないわね。う~ん...そうだ! 私が本場の紅茶とマフィンをご用意しましょう。 ティータイムで、きっと元気が出るわ。
編成Sally go(サリー ゴー)*19! 主力艦隊、抜錨する!
出撃Sally go! 主力艦隊、抜錨する!
Battleship Warspite、出撃する! 艦隊、Follow me(ファロー ミー)*20
遠征選択時
アイテム発見That will be great(ザッ ウィル ビー グレイト)*21.
開戦Enemy ship is in sight(エネミー シップ イズ イン サイト)*22. Open fire(オープン ファイア)*23
夜戦開始この私から逃げるつもり?面白い。艦隊、増速!追撃します!
攻撃Fire(ファイア)*24
Fire! fire!! fire!!!
連撃/弾着観測射撃/夜戦攻撃
小破Oh my god(オー マイ ガー)*25...
やあっ! やるじゃない...。
中破/大破No! ...私を怒らせたわね。
勝利MVPこの私がNumber One(ナンバー ワン)? 違うわ。全ては皆さんの健闘が成しえたこと。そうよね? Admiral.
旗艦大破
帰投A fleet has returned(ア フリート ハズ リターンド)*26.
補給I'm much obliged for your kindness(アイム マッチ オブライジド フォー ヨア カインネス)*27.
改装/改修/改造いい兵装ね。Thank you very much indeed(セン キュー ベリー マッチ インディード)*28.
Japanese weapon(ジャパニーズ ウェポン)*29? 悪くないわね。私は好きよ。
That will be great(ザッ ウィル ビー グレイト)*30.
入渠(小破以下)少しだけ、Dock(ドック)に入るわ。See you later(スィー ユー レイター)*31.
入渠(中破以上)Admiral、私、修理のために後方に下がるわね。Keep in touch(キープ イン タッチ)*32.
建造完了New shipが完成したわ。It was good, wasn't it(イッ ワズ グッド ワズン ニット)*33
戦績表示Fleet information(フリート インフォメイション)*34? 了解、待ってて。
轟沈(反転)この私が沈むというの?...そう。これが、戦場で倒れるということなのね。
時報にて実装
放置時Admiral, are you free now(アー ユー フリー ナウ)*35? ...ん、忙しそう...仕方ないわ。そうだ、金剛達のRoom(ルーム)にでも行ってみましょうか。

ゲームにおいて

  • 2016年8月12日アップデートで実装。同日から始まった2016年夏イベント「迎撃!第二次マレー沖海戦」の最深部E-4クリア報酬。初のイギリス艦娘。
  • 戦歴を反映してか、運の初期値が何と55と改装前の雪風を上回っている。不運ネタはかなり多いんだが……。どんな目に遭っても沈むことだけはない、という、ある意味無慈悲な一点評価なのかもしれない。
    • 惜しむらくはその高い運を活かす局面が、水雷戦隊系の艦種に比べて少ないことである。
      • ただ運による命中補正も馬鹿にできないため、そういう面では他艦に比べ頭一つ抜けている。
  • 旧式艦という位置づけらしく、低燃費かつ改造しても燃費が変わらない。
    それでいて改造後金剛型改二に迫る性能を持っており、普段遣いに、イベント時には支援艦隊にとワークホースとして使いやすい艦。
    しかし金剛型と同じ感覚で使うなら低速戦艦である事には留意したい。回避が低いのも気になる。史実で脚回りに爆弾持ちなので仕方ない所ではあるが…
    • ちなみに速力が低速の戦艦の実装は2013年の武蔵から数えて2年半ぶりである。
  • 艦船図鑑ではWarspite(No.239)の隣にIowa(No.240)が位置している。海外艦娘のゲスト枠なのかもしれない
  • 改造にLv75も必要。ついに大和の最高改造レベルが陥落し、またこのレベルは大半の改二改造もできるレベルである。*36
  • これまでに実装された海外の戦艦は、のいずれも「最新鋭かつ最後に建造された型式」が実装第一号だったが、英国に関してはその法則が崩れている。
    提督たちに根強く信じられていたジンクスや法則の類が新実装にあっさり破られるのは、艦これではよくあること。
    • 実際の艦の戦歴や古くからの知名度からみたら英戦艦実装の一番手に選ばれるのは妥当ではあるのだが……。
  • 16inch Mk.I三連装砲系列を装備することで火力+2、回避-2、装甲+1の装備ボーナスがつく。
    命中フィット・改修効果が付かない支援艦隊任務では持参砲系列よりも高火力・高命中が期待できる。
  • マンスリー任務「水上打撃部隊」南方へ!」では自由枠扱いとなるので注意。
    この任務の前提任務である「戦艦を主力とした水上打撃部隊を編成せよ!」で大和型・長門型・伊勢型・扶桑型が指定されているため。仕様です。
  • 提督たちからの愛称は「スパ子」「ウォー様」など。

キャラクター設定について

  • 発音がとにかく流暢。彼女を秘書艦にすると執務室が語学研修の場に早変わり。この機会に英語を本格的に学んでみるのも良いかもしれない。バロシッ
    • 声を担当した内田秀さんは、なんとこれが声優デビュー初仕事。*37今後に期待大である。
  • イラストで身につけているのはイギリス王室伝統の王冠・王笏・宝珠の3点セット。ロイヤルなネイビーのロイヤルなクイーンここにあり。
    • レガリア【regalia】(英語発音では“リゲィリア”)と呼ばれる王権象徴のための器物で、日本でいうところの「三種の神器」に相当する。
    • これらの装飾にはマストやブリッジをイメージしたデザインが取り入れられている。
    • 強く人目を惹く「玉座型艤装」*38は、舵を始めとした足回りの不具合に艦歴の最後まで苦しんだ実艦の史実にからめられて車椅子のイメージが付与され、「足が不自由」という解釈が二次創作のあちこちでなされていた。が、月刊コンプティーク2016年10月号で素足で立ち上がる設定画が掲載され、ある程度の立ち居が可能な事が判明した。ここからさらに先の解釈は、提督諸兄の艦隊司令部事情に委ねられるべき事柄であろう。
      • ちなみに艤装を接続したまま立ち上がり玉座の背を畳むことで、見た目オーソドックスな「戦闘展開mode」となる模様。
      • 艦これアーケードでは遂に2019年9月下旬にWarspiteが実装され振る舞いが注目されたが、航行・砲撃シーンは座りっぱなしで行っておりなんともシュールな光景である。
        なお、カットイン砲撃はSEGA公式紹介動画のように玉座から立ち上がって砲撃を行っている。ちなみに秘書艦にした際も母港では立っている。
    • イラストは第二次近代化改装後、迷彩と機銃の強化を施した第二次世界大戦中の姿を再現している。
      • ロイヤルでクイーンな姿は一見すると1番艦クイーン・エリザベスを連想する向きもあるが、イラストではメインマスト型王笏の太い柱(QEは三脚楼なので単脚楼のウォースパイトより細い)、38.1cm砲塔上の円筒形のエリコン機銃座(QEでは支柱が入っている)、背もたれ後部の砲郭式6インチ副砲(QEでは近代化改装時に撤去済)、開放砲架の10.2cm連装高角砲(QEでは密閉砲塔の11.3cm連装高角砲)といった相違点が反映されている。
  • 午後9時の時報でZaraPolaに逃げられているのは、史実のマタパン岬沖海戦において両艦が交戦し、姉妹艦とともに彼女たちを撃沈しているため。
  • 午後10時の時報で言いかけているのはドイツの誘導爆弾フリッツXのことと思われる。ItaliaRoma同様にフリッツXによる空襲を受け、ボイラー室大破・航行不能などの被害を受けた。
  • 梅雨限定ボイスにて「雨の時期は古傷が痛むので苦手」と言及する。史実を察するに、体中古傷だらけだろう…。
    • 晩秋ボイスでも言及しており、特に「フリッツX」のことを思い出すと不意に痛み出す様子。

限定グラフィック

  • 2018年1月1日のアップデートにて、晴れ着modeが実装された。
    • これまでは立ち姿はラフ絵のみだったが、ようやく公式絵でも立った姿を見せてくれた。はしゃぎ様が大変かわいい。そして中破絵でしょげた姿も大変かわいい

    限定イラスト:晴れ着Ver.

    限定イラスト:晴れ着Ver.
    Best wishes for the happy new year Admiral!

小ネタ

「戦いのあるところ必ずWarspiteあり、と海軍では言われている」 *39

  • イギリス海軍のクイーン・エリザベス級戦艦2番艦。デヴォンポート海軍工廠にて1913年11月26日進水、1915年3月8日就役。艦番号は「03」。
    第一次・第二次両大戦を戦い抜き、その戦歴から「傷だらけの不沈艦」「オールド・レディ」の異名を持つイギリスきっての、いや世界随一の殊勲艦である。

艦名について

  • Warspite(ウォースパイト)の艦名を持つ艦としては7代目。
    • 最初に命名されたのが1596年のことであり、Warspiteという艦名の正確な由来は今となっては不詳である。
      spite(またはdespite)は古い英語で「悪意」「軽蔑的な無視」の意味であり、一般には「戦争を軽蔑する者」の意味と解されている。
      また、キツツキ科のアオゲラの一種をspiteと呼ぶことから、「敵の艦体に穴を開ける」という意味合いもあると思われる。ウォースパイトの正式なシップ・クレスト(各艦毎に定められている紋章)は、緑地に大砲を描いたものであるが、前述の語意からキツツキも非公式なクレストとして用いられ、砲栓と搭載ボートの舳先の造形に取り入れられていた。*40 *41
      • 初代のガレオン船ウォースパイトが建造された16世紀末当時は、スペインと英西戦争の最中であった。「Warspight(Warspite)」という名前は後世一般的になった反戦的な意味合いよりも、敵国スペインに対する軽蔑を込めた命名であったというのが有力な説とされている。*42
      • ウォースパイトのモットーは「Belli dura despicio」、ラテン語で直訳すると「戦争の辛苦を軽蔑する」であり、意味合い的には「戦いの苦しみなんてものともしない」という感じになる。だがウォースパイト乗組員は専ら「やれるもんならやってみろ!」という意味で使っていたようだ。
  • アンドリュー・カニンガム中将*43が語ったコメントから、「グランド・オールド・レディ」(偉大なる老嬢)とも呼ばれる。決してBBAと呼んではいけない。でないとより高齢の金剛が。
    アンドリュー・カニンガムは1943年に地中海艦隊司令長官から第一海軍卿、すなわち英国海軍武官の最高位のポスト*44に上り詰めた提督であり、それだけ権威のある評価である。
  • 当艦の後は、1967年就役のヴァリアント級原子力潜水艦2番艦(HMS Warspite, S103)にその名が使われたものの、こちらも色々あって衝突と損傷と修理の連続で1991年に退役。しかし放射能の問題があって現在でも解体されずに静かに余生を過ごしている。

そもそもクイーン・エリザベス級戦艦とは?

そもそもクイーン・エリザベス級戦艦とは?

構想について

  • 産業革命に先んじたイギリスに対し、ドイツは国力に遅れをとっており、海軍軍備でも歴然たる差が生じていた。しかし、日本海海戦の戦訓を元にイギリスが生み出したドレッドノート級(弩級)戦艦は、これまでの戦艦とは「別次元の強さ」であり、従来型を一気に旧式化させた。しかしそれはイギリスが保有していた戦艦も同様であり、これまでの軍備の差は一旦リセットされてしまう。
  • こうして英独の間で弩級戦艦、超弩級戦艦の建艦競争が始まるのである。従来、伝統的政策として「二国標準主義*45」をとってきたロイヤルネイビーだったが、ドイツの急速な勃興と「三国協商」による対外関係改善によりこれを「対独二倍」に切り替えたところ、ド級艦出現による戦艦戦力リセットは大きな負担になっていた。
    • ドイツが毎年4隻の戦艦を建造する「艦隊法」を施行したため、「We want eight, We won't wait(八隻欲しい、今すぐ欲しい)」というトンデモないスローガンをひっさげて建艦予算をもぎ取ったエピソードさえ存在する。戦艦一隻の建造費が国家予算の数%にもなることを考えれば、これが如何に巨額であるか想像がつくだろう。*46
  • このような中、13.5インチ(34.3㎝)砲を連装5基搭載する超弩級戦艦「オライオン」級を建造し列強、特にドイツに差をつけたイギリスであったが、早くもドイツ、日本、アメリカが計画中の新戦艦は14インチ(35.6cm)砲を備えるという情報が得られた。更なる差を広げたいイギリスはリスクを取って15インチ(38.1cm)砲を備えた戦艦の開発を決定する。
    • 15インチ砲はこの時点では未完成であり、完成には2年から3年かかるとされていた。しかし失敗するリスクはあるものの増大した口径は砲塔を前後2つずつにまとめても十分な火力を期待でき、船体中央に余裕を持った動力系統を配置できることを意味した。石油専焼缶を使えば弩級戦艦とは段違いの高速力を発揮できるだろう……。*47
    • こうして弩級戦艦時代では前例のない『主砲が未完成状態で砲塔や船体の設計を始める』という方法を用いて、第一次大戦型の高速戦艦としてクイーン・エリザベス級は開発されるのである。
    • そして日英同盟もあってQE級の図面は日本にも提供され、長門の計画において大いに参考となっている。拡大強化された従姉妹のような関係といえなくもないかも。
  • ネームシップのクイーン・エリザベスに続き、ウォースパイト、ヴァリアント、バーラムの四隻の予算が組まれた他、英領マレーからの献金によりマレーヤ(マラーヤと表記する事も)が建造され、QE級は計5隻建造された。なお命名規則(略
    • クイーン・エリザベス - エリザベス1世(在位:1558年 - 1603年) より
    • ウォースパイト - 上記
    • ヴァリアント - 勇敢な(Valiant)
    • バーラム - 初代バーラム男爵チャールズ・ミドルトン(トラファルガー海戦時の海相) より
    • マレーヤ - 英領マレー(Malaya)
  • ちなみに、チャーチルは1912年10月に本級の1隻に「HMS オリヴァー・クロムウェル」と命名する提案をしている。彼は前級のアイアン・デューク級で同様の提案をしていたが、国王ジョージ五世の反対で断念していた。(ピューリタン革命で、当時の国王チャールズ1世を処刑し共和制を実施した人物を王立海軍の艦名にするとは何事か!というのが理由)結局、今度もジョージ五世や海軍高官の反対によって断念されている。チャーチルの提案では以下の通りであった。英領マレーからの献金によるマレーヤを除き、全て王・護国卿の名前で統一するつもりであったことが分かる。最終的にネームシップのクイーン・エリザベスのみ命名が認められた。
    • クイーン・エリザベス - 上記
    • ウォースパイト→リチャード一世(獅子心王。在位:1189年 - 1199年)
    • ヴァリアント→ヘンリー五世(百年戦争当時の国王。在位:1413年 - 1422年)
    • バーラム→オリヴァー・クロムウェル(護国卿・ピューリタン革命の指導者。在任1653年 - 1658年)
    • マレーヤ - 上記
  • さらに、6隻目のクイーン・エリザベス級戦艦として、エジンコート(アジャンクールの戦い-百年戦争中の1415年にイングランド軍がフランス軍に圧勝した戦い-)の建造が計画され、実際にポーツマス海軍工廠に発注が行われたが、第一次世界大戦勃発に伴い1914年8月末にキャンセルされている。その後「エジンコート」の名は、オスマン帝国海軍向けに建造中だったところを接収した弩級戦艦スルタン・オスマン1世*48に流用されている。
  • 英領マレーと同じく、カナダ政府も1913年度予算で3隻のクイーン・エリザベス級戦艦を建造する計画を立てた。建造後、イギリス海軍とカナダ海軍のどちらで使用する予定だったのかは定かではないが、肝心の予算案が議会で否決されたため計画は立ち消えとなった。艦名はカナダの地名から取り、アカディア、ケベック、オンタリオであったとされている。

性能について

  • 元祖・高速戦艦と呼べるクィーン・エリザベス級だけあり、走・攻・防全てにおいて高い次元でバランスされた優秀艦。
  • 主砲は当時世界最強の15インチ砲。後に「奇跡の大砲」と呼ばれたほどの優秀な砲で、単なるカタログ値だけでなく集弾性や整備性、故障の少なさなどあらゆる点で優れた素養を発揮した。なのに、どうして四連装砲という変態主砲を後に産み出したのやら・・・。
    • 副砲は6インチMk.12単装砲(これと同じヴィッカース社製だが異なる砲)をケースメイト(砲郭)式で14基(クイーン・エリザベスのみ16基)装備した。
    • クイーン・エリザベスだけ門数が多いのは、三番砲塔付近舷側に片舷2門ずつを真後ろに向けられるケースメイトで装備したため。これが位置が低すぎて波を被りまくりで使い物にならず(見れば納得するはず)、竣工後早々に撤去されその埋め合わせに上甲板煙突近くに片舷1門ずつ単装砲架が搭載された。以降の4隻は最初からその状態(16-4+2=14基)で竣工しているが、低すぎた後部ケースメイトの跡はそのまま残されている。図面引き直すの面倒臭いもんね、わかるわかる。
  • 防御は330mm装甲を中心に、就役当時のドイツ戦艦に十分対応できる強固な防御を持つ。ただしプレ・ユトランド戦艦であることには変わりなく、水平防御はやや薄弱だったが後に改装で補強された。
  • 速力はジョン・アーバスノート・フィッシャー第一海軍卿*49の強い後押しもあり、竣役当時の戦艦としては異次元の25ノットで計画された。しかし重量が予定された27,000tを大きく上回る34,500tとなってしまい、結果想定よりやや遅い24ノットとなる。太りすぎ?これほどの速度を出せたのはひとえにボイラーを石炭より燃焼カロリーが高い重油を主燃料とした重油専焼ボイラーに統一し、それまでボイラー室の後ろに挟まっていた中央部主砲塔(扶桑型や伊勢型の砲配置が典型例)*50を廃止して*51、その空間にボイラーを配置したことにある。
    • また重油専焼ボイラーのみにしたことにより、面倒この上ない補給時の石炭積み込み作業を不必要としたことや、煤煙の低減による視認性の向上などのメリットも産まれている。
    • 同時代の列強の戦艦の速力を比較すると
      艦名建造国速力(ノット)
      扶桑日本22.5
      アイアン・デューク英国21.3
      ケーニヒ独国21
      クールベ仏国21
      ニューヨーク米国21
      カイオ・ドゥイリオ伊国21
      インペラトリッツァ・マリーヤ露国21
      テゲトフ墺国20.3
      と大きく圧倒している(アイアン・デューク級はクイーン・エリザベス級の前級)。
      扶桑型が意外と同期では2位の速さであることは内緒?
  • しかしそれは竣役当初の話で、第二次世界大戦の時点では二度にわたる近代化改装で速力を1ノット落として23ノットとなっている。同じく近代化改装を受けながら、速力(だけ?)は22.5ノットから25ノット弱まで大きく向上した扶桑型や、原型をとどめない大改装を受けて21ノットから27ノットまで上げたカイオ・ドゥイリオ級とは大違いである。
  • まあ完成時のドイツ巡洋戦艦が26~27ノット程度だったことを考えれば十分に高速で、ユトランド海戦で巡洋戦艦に伍して参戦できた大きな要因となった。
    • だが次のリヴェンジ級(R級)では量産のためのコストカットや戦時燃料事情を考慮した結果から、重油石炭混焼ボイラーの搭載を再開し、速度も21ノットと従来の戦艦並みに抑えられた。
      就役直後に第一海軍卿に復帰したフィッシャー提督の命令でボイラーをすべて重油専焼ボイラーに置き換えられたが、もともとボイラースペースが狭いので1~2ノット優速になった程度に終わる。
      結果的にR級はQE級より新しいにも関わらず終始QE級より低い扱いを受けることとなったのであった。不幸だわ……*52
  • 戦間期には全艦で近代化改装が施行されているのだが、高速戦艦姉妹同様に、艦ごとに内容が見事にバラバラになっている。
    結果、同級は4種の全く外見が異なる艦が混在するという結果となった。

クイーン・エリザベス級の改装

  • 全艦に共通する1920年代に行われた第一次大規模改装は煙突の集合煙突化、バルジの装着、対空火器の増設など。
  • 1931年頃からトップを切って第二次改装されたマレーヤは本格的な航空艤装(煙突脇に格納庫とデリック、煙突後方に横向き固定式カタパルト)が追加されたが、その他の上部構造などには特に手は加えられず、三脚檣艦橋を備えたままだった。
  • 1934年から第二次改装を施されたウォースパイトはマレーヤのメニューに加えて上部構造物の一新が図られ、「アン女王の邸宅」の異名を持つ箱型艦橋を有した。
    また新型のQF4インチMk.16連装高角砲4基も装備されたが、一方で砲郭式の副砲も半減されたとは言え残ったままとなった。
  • 1936年と1937年にそれぞれ第二次近代化改装に着手されたヴァリアントとクイーン・エリザベスはウォースパイトの改修メニューに加えて副砲の完全撤去が行われ、高角砲もQF4.5インチMk.2連装両用砲10基の装備が実施され、同時期に建造されたキング・ジョージ5世級によく似た近代的な外観となっている。
  • 続いてバーラムも第二次改装に入る予定だったがここで第二次大戦が勃発。ヴァリアントとクイーン・エリザベスが改装中で戦列を離れている時にさらに稼働戦艦を減らす訳には行かなくなり、改装はお流れとなった。結果、同艦は第一次改装状態のまま(対空兵装は強化された)で行動し戦没している。
  • バーラムの他、巡戦レパルス・フッドにも改装計画があったが同様に全て中止されている。フッドなどは防御構造の全面改良で相当凶悪な艦になるはずだったのだが…
  • 第二次世界大戦時の姉妹たちの様子はこんな感じだった。
    クイーン・エリザベス(1941年2月、第二次近代化改装後)
    ウォースパイト(1942年7月、第二次近代化改装後)
    ヴァリアント(1939年後半、第二次近代化改装後)
    バーラム(1940年代、第一次近代化改装後)
    マレーヤ(1941年7月、第二次近代化改装後)

艦歴について

  • 第一次大戦・第二次大戦ともに数々の戦場で戦った歴戦の軍艦であった。
    非常に長いので一行で纏めるならば「戦艦が簡単に沈むか!!」である。

就役から第一次大戦終結まで

  • 1913年11月26日午後3時15分、デヴォンポート海軍工廠にてチャーチル海軍大臣や3万人もの観衆が見守る中、ウォースパイトはオースティン・チェンバレン*53夫人の手によって進水した。天気も良く、時折日の光が差す絶好の天気であったという。しばらく船台上で停止するトラブルがあったものの、すぐに水圧機の力を借りて動き出し、周囲の艦船が鳴らす霧笛やサイレンに祝福されながら偉大な戦艦はこの世に生を受けたのであった。
    彼女が就役したのは、それから1年4ヶ月後の1915年3月8日である。就役した際にはすでに第一次世界大戦が始まっていた。
  • この頃のウォースパイトはドジっ子属性がついていたのか、やたら事故に見舞われている。

    リトル・レディのドジッ子エピソード集

    リトル・レディのドジッ子エピソード集

    • 就役から6ヶ月後の9月にフォース湾*54にて濃霧の中で座礁事故を起こして燃料タンクを損傷。2ヶ月も入渠修理の憂き目にあう。
      • ウォースパイトのエドワード・フィルポッツ艦長はこの事故の原因を「護衛の駆逐艦がないためにUボートを警戒し、わざと高速で航行していたら、濃霧の中から陸地が現れた」と査問会で証言している
        (当時乗り組んでいた主計士官候補生は「ロサイスの巡洋戦艦艦隊所属の駆逐艦に掃海済みの水道へと案内されたところ、それが小型艦用の浅い水深の水道で、結果ウォースパイトは腹を擦った」という別説を提示している)。
    • 11月20日にドックから出て戦線に復帰するも、直後の12月3日には今度は演習中に姉妹艦バーラムの右舷中央部に衝突する羽目となる。
      • 原因は旗艦であったバーラムが回頭中に掲げた「速度8ノットに変更せよ(G・8)」という旗旒信号をウォースパイトの信号員が「速度18ノットに変更せよ(G・1・8)」と勘違いして報告し、18ノットに急増速してバーラムめがけて突っ込んだことであった。結果艦首を大きく損傷したウォースパイトは同年のクリスマスイヴまで再びドック入りし、フィルポッツ艦長は先の座礁事故に続き二回目の戒告処分を受ける羽目となった。
    • 後述のユトランド沖海戦の損傷修理から1ヶ月後の1916年8月24日深夜、今度はスカパ・フローでの夜間砲撃演習の帰路についていたウォースパイトは、不幸にも停泊地から移動中の姉妹艦ヴァリアントの横腹に衝突してしまう。
      • この事故で三度フィルポッツ艦長は戒告処分を受け(後に法的にはヴァリアント艦長に非があったとして戒告は取り下げられたが)、これが止めとなってウォースパイト艦長の職を辞すこととなった。
        そして再び艦首に傷を負ったウォースパイトは9月29日までドック送りとなり、衝突されたヴァリアントも9月18日まで入渠している。
    • この他1917年の6月にも駆逐艦(艦名不明)と衝突しているようだが、損傷は軽く修理が必要な程ではなかったらしい。
  • この頃のウォースパイトは根拠地であるスカパ・フローに停泊していたが、乗員達は上陸してスポーツやピクニックを楽しんだり、音楽隊の演奏のもとダンスパーティーをしたりして楽しい時を過ごしていた。また、スカパ・フローにはポラック(鱈の仲間)の群れがいたため、手製の敷網と餌のパン屑で捕獲したところ、全乗員に容易く行き渡るほどの量が獲れたという話が残っている。
  • ウォースパイトの初陣に待ち受けていたのは生涯で最初の危機であった。

    ユトランド沖海戦

    ユトランド沖海戦
    1916年5月31日のイギリス大艦隊(グランド・フリート)とドイツ外洋艦隊(ホーホゼーフロッテ)が激突したことで知られるユトランド沖海戦では、姉妹艦3隻*55とともにエヴァン・トーマス提督の第5戦艦部隊に所属した。

    • 開戦以来、イギリス海軍はジョン・ジェリコー大将指揮の大艦隊は「現存艦隊主義」を採り拠点のスコットランド北方のオークニー諸島スカパ・フローに籠り、活発的には動かなかった。代わりにデヴィッド・ビーティー提督率いる巡洋戦艦部隊が半ば大艦隊から独立して軍令部の直接の指揮を受け、フォース湾奥のロサイスを拠点に行動、コロネル島沖海戦でイギリスの装甲巡洋艦2隻を殲滅して本国帰還を図るドイツ東アジア艦隊をフォークランド沖海戦で壊滅させる等、活発的に行動していた。
    • 対するドイツもフランツ・ヒッパー*56中将の偵察部隊(巡洋戦艦基幹)が活発に活動、イギリス本土沿岸の都市を砲撃し、イギリス国民の士気を挫く作戦に出た。しかし3度目の出撃の際にビーティー部隊に捕捉されドッカーバンク海戦となる。双方共に巡洋戦艦1隻が大破し、ドイツ側は逃走に成功するが、これに懲りて活動が一時的に消極的になる。
    • 1916年になるとドイツ海軍は再び活発的になる。主力である大洋艦隊の司令長官がラインハルト・シェーア*57中将に代わり積極的に活動しだしたのだ。これに危機感を覚えたイギリスは編成替えを決断。大艦隊に所属していた第5戦艦部隊を巡洋戦艦部隊へ異動させ、偶々スカパ・フローにいた第3巡洋戦艦部隊を大艦隊に所属させ、巡洋戦艦部隊の戦力を増強させた。
    • 5月30日、暗号解読によりドイツ艦隊の出撃を知ったイギリス大艦隊は直ちに出撃、前衛を務める巡洋戦艦部隊は翌31日に同じく前衛として航行するドイツ偵察部隊を発見。ここにユトランド沖海戦の幕が切って落とされる。
      • つい2週間前に配属されたばかりの第5戦艦部隊は旗艦「ライオン」の旗旒信号を見落とすというミスを初手から犯してしまう。そのためイギリスとドイツの巡洋戦艦艦隊の砲戦は6対5とほぼ同数で始まってしまう。この時風は西風で、西に陣取るイギリス艦隊は自艦の排煙と砲煙が視界を遮り、対してドイツ側は夕陽を背にくっきりと浮かび上がるイギリス艦艇に、最初から精確な射撃を浴びせ、15分ほどで巡洋戦艦「インディファティガブル」を撃沈、旗艦ライオン他2隻が中破してしまう。
      • この窮地を救ったのがようやく追い付いた第5戦艦戦隊だった。彼女らは南進するドイツ巡洋艦隊を同航戦で迎え撃ち、ウォースパイトはドイツ巡洋戦艦部隊の後方に居た軽巡ピラウ、続いて殿艦フォン・デア・タンに砲撃を加えている。ユトランド沖におけるウォースパイトとマレーヤ。
        • が、イギリス側の砲撃精度はドイツ側に比べて甘く、また主砲徹甲弾の不発率の高さもあってドイツ側に有効打を与えることは出来ず、逆にイギリス側は巡洋戦艦「クイーン・メリー」を失ってしまった。
      • 16時30分には巡洋戦艦部隊の前方に展開していた巡洋艦部隊がラインハルト・シェーア提督率いるドイツ海軍の戦艦部隊を発見し、巡洋戦艦部隊は14時46分に、敵艦隊を本隊の方へおびき寄せようと北へ引き返す。
        が、またしても第5戦艦部隊は伝達ミスで転針することなく、巡洋戦艦艦隊とすれ違いかけた際にようやくビーティー提督から逐次回頭*58での北上を命じられた。
        第5戦艦部隊は命令の通り16時58分になってやっと逐次回頭を行うが、北上してくるドイツ主力艦隊を前にして所要時間の長い縦列での逐次回頭を行ってしまったため、回頭中の第5戦艦部隊はドイツ主力艦隊のいい的となってしまい、戦隊の二番艦にいたウォースパイトは回頭中に戦艦の主砲弾を3発も受ける羽目となった。
      • それからの北上中にもドイツ主力艦隊との撃ち合いは続き、18時にやっとジョン・ジェリコー提督の英国海軍の主力艦隊と合流するまで、ウォースパイトには戦艦の主砲弾5発が命中していた。
      • 艦隊合流後、巡洋戦艦部隊の後方へ位置するよう命じられた第5戦艦戦隊は再び回頭するのだが、18時18分、回頭点手前にあったウォースパイトの操舵装置が原因不明の故障を発生し、ウォースパイトは突如左に転舵。後続の姉妹艦ヴァリアントに異常接近する。
        なんとかヴァリアントと衝突は免れたが、舵は面舵のまま壊れて動かず、フィルポッツ艦長は機関出力を調整してウォースパイトを戦隊に戻そうとした。
        が、結果としてウォースパイトは速度を落としながらドイツ主力艦隊の眼前で旋回を行うこととなる。
        • フィルポッツ艦長は艦隊へ戻るのを諦め増速。ウォースパイトは故障した舵の力で右に旋回し続けた。
          ドイツ主力艦隊も単艦で旋回を続けるウォースパイトをカモとして見ないはずがなく、計20発もの主砲弾・副砲弾を叩きこまれている。
        • しかしウォースパイトのおかげで救われた艦もあった。
          先立つ戦闘で撃破されていたドイツ軽巡ヴィースバーデンを撃沈しようと近づいたイギリス装甲巡洋艦ウォーリアとディフェンスは、直後に霧の中から現れたドイツの主力艦隊に捕捉された。
          18時20分には先行していたディフェンスに砲撃が命中し、ディフェンスは轟沈。後続のウォーリアも砲火に晒されて戦闘能力を喪失し、撃沈されるのも時間の問題となっていた。
          だが時同じくしてウォースパイトの旋回がはじまり、ドイツ艦隊は死にかけの装甲巡洋艦から戦列から落伍し異常挙動を行う戦艦に狙いを変える。
          ウォースパイトが狙い撃ちにされている間にウォーリアは辛くも戦線を脱出。ウォーリアは損傷が激しく結果的に放棄されたが、生存者743名は水上機母艦エンガーディンに移乗し事なきを得た。
      • 15分間の間に数多くの命中弾を受けながら一回半円旋回を続けたウォースパイトは機関出力の調整でようやっと前進を保つことに成功し、ドイツ艦隊の射程外に離脱。英独両艦隊も砲戦をつづけながら東に向かっていき、ウォースパイトは完全に戦場から遠ざかった。
        被害は大きかったが人的損害は非常に少なくこれほどの危機的状況立ったのに戦死者は14名と損害に比べて非常に少なかった運がいいのか悪いのか・・・。
        安全圏に離脱したことを確認するとフィルポッツ艦長は一度艦を停止させて、応急修理を行うこととする。
      • 結果的にウォーリア脱出の時間稼ぎとなったウォースパイトのこの旋回は『ウィンディ・コーナー』として知られる事になる。
      • 修理を完了したウォースパイトは現状を第5戦艦戦隊に知らせると、トーマス提督はウォースパイトにロサイスへの帰還を命じ、ウォースパイトは命に従って姉妹より一足早くロサイスに帰投する。
        • その後、ジェリコーの艦隊から先行していた第3巡洋戦艦戦隊が海域に到着し、ビーティの巡洋戦艦部隊を支援する。戦力差が開いたドイツ艦隊は集中砲撃を受け多くの艦が損害を受け、まともに戦っているのはモルトケだけとなる。それでもドイツ艦隊の砲撃は衰えず、18時33分、第3巡洋戦艦戦隊旗艦で弩級巡洋戦艦第一号であるインヴィンシブルが砲塔に直撃弾を受け大爆発し瞬時に轟沈。戦隊司令ホーレンス・フッド少将は艦と運命を共にした。
        • フッド提督は代々海軍提督を輩出するフッド子爵家の一門で、夫を失った未亡人は後に夫の名(正確にはフッド家の初代サミュエル・フッドだが)を冠した1隻の艦の進水式に参加する。後にドイツ最強の戦艦ビスマルクと死闘を演じ北海に沈んだ『マイティ・フッド』こと巡洋戦艦フッドである。
        • こうして巡洋戦艦同士の死闘を経て、イギリス大艦隊は日没頃の19時頃にはドイツ艦隊をT字体制に捉えることに成功する。絶対絶命の状態となったドイツ外洋艦隊司令長官シェーアは非情な指示を出す。
          『全艦、180度一斉回頭、巡洋戦艦部隊は敵に肉薄せよ』
          既に深手の巡洋戦艦部隊を突入させて時間を稼ぎ、その間に主力は反転して脱出する。非情ではあるが絶対絶命なこの状況で主力を脱出させるには他に手はなく、シェーアのこの決断は吉と出る。
        • この後10分間にわたる交戦は、後に『死の騎行』と呼ばれるようになる。それでもシェアの外洋艦隊は困難な反転脱出に成功し、ヒッパーの巡洋戦艦部隊も残骸同然になりながらも一隻の沈没艦を出さずに脱出に成功する。
        • その後は退却するドイツ艦隊と、それを追撃するイギリス艦隊との間で一晩中交戦が続き、数隻の駆逐艦や旧式戦艦が沈んだが双方の主力に損害はなくドイツ艦隊は1日午後にヤーデ湾に帰還する。
        • 但しドイツ巡洋戦艦リュッツオウは損傷による浸水に耐えきれず、乗員退去後に雷撃処分された。
    • 戦線を離脱したウォースパイトは翌6月1日朝ロサイスへの帰投の途上、フォース湾の沖で出入港するイギリス艦船を狙っていたドイツ海軍のUボートU-51とU-63に遭遇。
      • U-51はウォースパイトを雷撃したが、いざ魚雷を発射中の段階でU-51の艦首がうねりで沈んだために魚雷は外れ、雷跡に気づいたウォースパイトは転舵し全速でU-51の潜む海域から離脱。
        2時間後にウォースパイトの見張りがU-63の潜望鏡を発見すると、フィルポッツ艦長は全速力で体当たりして撃沈させようと試みたが、操舵手への伝達が上手く行かずに失敗し、結局ウォースパイトは手ぶらで帰還することとなった。
      • ロサイスの港に帰って来た時、ウォースパイトは艦の艤装を大きく破壊され、艦内には大量の浸水があった。しかしボロボロになりながらも士気高く戦ったその戦艦を、多くの群衆が歓声でもって迎えたのであった。
      • 帰投したウォースパイトはすぐにロサイス海軍工廠のドックに入渠し、同年7月まで修理を施されることとなった。ただし、彼女の傷は一刻も早く戦列に復帰させるため不十分な修復しかされなかった。1934年からの第二次近代化改装の際、下部構造物の損傷の多くが単に金属板で隠されていただけであったことが判明している。さらに一部の損傷は廃艦となるその日まで一度も修理されなかった。
    • ウォースパイトはユトランド沖海戦で合計29発の命中弾を受けた。
      外舷側の機関室や操舵区画は浸水し、居住区画が大きく破壊されたものの、死傷者は死者14名・負傷者17名とわずかで済んだのだった。
      敵の砲弾により開いた大穴の写真。
      • なお、この時顔面に重傷を負ったウォルター・ヨー砲手に対して、後に世界初となる顔面皮膚移植手術が行われたことが知られている。
    • ユトランド沖から帰還した翌朝、フィルポッツ艦長はドックで傷を癒すウォースパイトを見に行った。彼はその時の気持ちをこう記している。
      感情的と思われるかもしれないが、ウォースパイトに愛着を抱いていると感じた。そして今も世界中を探しても、ウォースパイトのような船はないと思う。その名前はいつも讃えられるだろう
  • 1917年7月9日の夜、スカパ・フローに停泊中の戦艦ヴァンガードが爆発事故によって轟沈した。同じく停泊中だったウォースパイトは仲間を救うべく真っ先にボートを下ろし救助活動にあたった。警備艇や他艦のボートと共に捜索が行われたが、多くが就寝中の事故だったこともあり、観戦武官として乗艦していた日本海軍の江渡恭助大佐を含む843名が死亡、生存者は僅か2名であった。
  • 1918年の3月初日にウォースパイトの機関室の石油供給管から火災が発生し、消火にあたった乗員一人が火傷の重症を負った。幸い大事故には至らなかったが、リード線融解によってまた1ヶ月の修理を施されることになったのであった。
  • 1918年11月11日、ウォースパイトはドイツとの休戦の知らせをフォース湾で聞いた。全艦の全乗員にラム酒が特配され、乗員は踊りや歌で喜びを爆発させた。ウォースパイトや他の艦艇達は、3時間に渡って霧笛やサイレンを鳴らし凱歌を上げたのであった。そして1918年11月12日、ウォースパイトはグランド・フリートの一員として投降したドイツ艦隊を護送した。彼女の最初の大戦は、こうして幕を閉じたのだった。

戦間期

  • 第一次世界大戦が終わりを告げ、世界が束の間の平和を取り戻した後、ウォースパイトは大戦の戦訓と発達する新技術を盛り込むために二度の改装を受けることとなった。

    二度の改装

    二度の改装

    • 1924年から1926年にかけて、ウォースパイトはポーツマス海軍工廠にて最初の近代化改装を受けることとなった。工事内容は、バルジの装着による水線下の防御力強化や安定性の向上、艦橋への煤煙流入を防ぐために煙突を一本にまとめるなどであった。無事に改装を終えた1926年には地中海艦隊の旗艦に充当されている。
    • 1928年7月12日、エーゲ海を航行中に海図に未記載の暗礁に触れ損傷してしてしまう。そのため本国に帰還して修理を受けた。
      • 修理完了後の1929年7月、今度はタービンのトラブルによって地中海艦隊対抗の砲術競争への参加を見送る事態となった。
      • 同年7月29日には地中海で荒天下で遭難しかけていたギリシア帆船セント・ヘレナ号の乗員を救助してマルタ島まで移送した記録もある。
        • 救助したセント・ヘレナ号の乗員に対して、ウォースパイトの乗員達は手厚い保護を行うだけでなく、当面の生活費をカンパまでしたという。セント・ヘレナ号乗員の深い感謝の言葉は、当時の新聞記事によって今日に伝わっている。
    • 二度目の近代化改装は1934年から1937年まで施された。
      • 今回の改装は非常に大規模なものであり、上部構造物を完全に撤去した上で機関とボイラーをより強力なもの(7万5千馬力→8万馬力)に置き換えた。また上部構造物そのものも一新され、垂直に切り立った城のような外観の艦橋が設けられた。主砲塔も仰角の向上と新型砲弾採用によって最大射程が2万9千mまで増大。水上機用カタパルトと格納庫の新設。新しい脅威である航空機からの爆撃に対抗するため、水平防御を強化するとともに新型の対空火器を搭載した。有名なQF 2ポンド8連装ポンポン砲を初めて搭載したのもこの時である。艦体の外板も新規に置き換えられるなど新造に近い大改造であった。にもかかわらず、改装費は戦艦ネルソンの建造費の僅か31パーセントの費用で済んだという。
      • この改装で戦闘能力や機関能力は大幅に改善され、ウォースパイトは生まれ変わったのであった。
        だがユトラント沖で「ウィンディ・コーナー」を引き起こし、それ以降も度々ウォースパイトを危機に陥れ続けた操舵機の故障だけは残り続けた。操舵機を新規に交換したにもかかわらず、改装完了後の1937年3月8日、英仏海峡で全力操舵試験中にいきなり舵が故障したのである。
      • それでも3月11日の全力航行試験は無事に完了し、8万250馬力・23.84ノットを出す快調な走りを見せたが、3月18日の砲術試験で大惨事一歩手前の事態を引き起こしてしまう。主砲を最大仰角で二度斉射したところ、現場は視界が悪かったため、ちょうど落下点付近を客船が差し掛かっていたのを監視役の駆逐艦が見落としていたのだ。二回とも客船からほんの数百メートルのところに着弾したが、幸い直撃することなく難を逃れた。ドジッ子。 さらに試験完了後の同年7月にも、再度舵の故障やプロペラシャフトの異常振動といったトラブルが発生している。
      • 上記第二次改修は姉妹で最初の事例であったため、不調のせいか機密保持目的かは不明だが、出られないことは無いにも関わらず、ジョージ6世戴冠記念観艦式に出してもらえなかった。
        • 招待を受けた足柄には牧野造船少佐はじめ各国の最新鋭艦の諜報目的で多数の随員が同乗、ポーツマス軍港内でもそこそこの行動の便宜が図られていたにも関わらず、改装を終えて間もないウォースパイトの動静をつかんだ様子は無い。
          どうにもヴァリアント共々、非公開の船渠に引っ込んでいたようである。そんな足柄の最大の諜報戦果は「チャタレイ夫人の恋人」であったと云う…。
          なお、秩父宮両殿下はじめとする日本代表員団は英国側の特別の計らいでクィーン・エリザベスに乗艦して参列することとなった。
  • 1937年6月30日のこと、3月から続く試験や改修による過重な負担が原因で水兵達の間に不満が溜まっていたのだが、休暇と帰艦時間との兼ね合いからとうとうトラブルになりかけた。報告を受けたクラッチリー艦長は、直ちに乗員を後甲板に集めて彼らの不満に耳を傾け、適切な処置を執り事態を収拾した。しかし後日、事態が新聞社に漏れて騒ぎとなったことで査問委員会が開かれ、副長以下一部の士官が更迭、数名の水兵に除隊もしくは配置転換という処分が下された。ウォースパイトの数少ない反抗エピソードの一つである。
  • 1938年1月14日、マルタ島で対空射撃訓練中に命令の伝達ミスが原因で陸に向ってポンポン砲を誤射する事故を起こしてしまった。市街地に着弾する最悪の事態は避けられたものの、陸軍の射撃場にいた歩兵達が危うく掃射されかけた。陸軍の抗議に対して、艦長と砲術長は司令部へ謝罪に出向くと共に、ポンポン砲の弾で作った記念品と射撃場で機転を利かせたとある伍長を模った肖像を進呈した。そのユーモアのある対応に陸軍側も謝罪を受け入れ、双方ともすっかり打ち解けたという。ドジッ子その2。
  • 艦に問題を抱えているとはいえ、その基本性能と乗員の技量は非常に高かった。同年8月下旬、国際情勢の緊迫化を受けて行われた地中海艦隊の演習に巡洋戦艦フッドなどと共に参加したウォースパイトは、15インチ主砲をきわめて正確に目標へ命中させ、地中海艦隊司令長官パウンド提督の称賛を浴びている。

第二次世界大戦

  • 第二次世界大戦勃発当初は地中海艦隊旗艦を務めていたが、本国艦隊の根拠地スカパ・フローに潜入したUボート(U-47)により戦艦ロイヤル・オークが撃沈されるとその戦力補充のため本国艦隊へ合流。
    以後、数ヶ月にわたって北海や北大西洋で輸送船団の護衛や哨戒任務に当たることとなった。そして、ようやく地中海へ戻れると思われた矢先に下されたのはノルウェーへの出撃命令だった。
  • 雪と氷の北の海で、ウォースパイトは大勝利を収めることとなる。

    第二次ナルヴィク海戦

    第二次ナルヴィク海戦

    • 彼女の数多い武勲の中でも際立つのが、1940年のドイツ軍のノルウェー侵攻時に、駆逐艦隊と共にフィヨルドに突入した第二次ナルヴィク海戦である。舵の故障癖あるのにフィヨルド突入とかマジか?
      • ウォースパイトは駆逐艦と共同でドイツ駆逐艦2隻を撃沈し、他の6隻を自沈に追い込んだ。先の第1次ナルヴィク海戦で2隻を失っていたドイツ海軍は、保有駆逐艦の半数近く*59を損失する痛手を被った。実際の映像。
        • この戦い以前にZ1Z3も誤爆や触雷で失われており、ただでさえ駆逐艦が不足していたドイツ海軍は深刻な駆逐艦不足に悩まされることになった。このため、ナルヴィクでの勝利は戦略的に見ても少なからぬ影響を与えたことが指摘されている。*60
      • またドイツ駆逐艦隊との戦闘に先立って、ウォースパイトは搭載していた水上機型ソードフィッシュでUボート1隻(U-64)を撃沈するという、戦艦としては異例の戦果も挙げている。
        しかもこれは、第二次大戦において航空機による初の潜水艦撃沈でもあった。
        • ドイツ駆逐艦隊は先立つナルヴィクの戦いで燃料・弾薬を消耗していたため、正面からの対決を避け、各艦とも最低限の要員以外は陸に退避させた上、入り組んだフィヨルド内でイギリス艦隊を待ち伏せしていた。ただでさえ切り立った斜面が入り組んでいるフィヨルド、しかも雲が低く垂れこめ、靄や雪で視界が極めて悪い状況下にもかかわらず、偵察に出たソードフィッシュは的確にドイツの駆逐艦を発見して通報した。Uボート撃沈と優れた偵察活動で勝利に貢献したソードフィッシュの乗員達に対し、海軍は勲章授与と公報への掲載でもって報いたのであった。
      • 海戦後、ウォースパイトは英軍の負傷者と共に8名のドイツ海軍捕虜を移送することになった。初めて敵兵の顔を見ることになった乗員の一人は次のような感想を残している。
        彼らは(悪魔のように)頭が二つあるわけでも、角や二つに分かれた蹄があるわけでもなかった。彼らは我々と同じように、命令に従い自らの務めを果たした単なる水兵に過ぎなかった
        • 2名の士官は士官用キャビンに、6名の水兵は船室に収容された。彼らを監視した海兵隊員は、捕虜達は全員素直に指示に従う普通の水兵であったと証言している一方、何人かはその余裕は最終的なドイツの勝利を確信している傲慢に基づくものだったと語っている。
    • 4月19日、ウォースパイトはロイヤル・オークを沈めた相手であるU-47の魚雷攻撃を受けたが、幸い回避に成功しロイヤル・オークの二の舞は避けられた。U-47はその後駆逐艦からの爆雷攻撃で撃退された。
  • 1940年5月に地中海艦隊へ戻った後も様々な戦果を挙げることとなるのだが、それらに関してはZaraPolaのページも参考にしていただきたい。

    地中海での奮闘

    地中海での奮闘

    • 1940年7月9日、カラブリア沖にてイタリア艦隊と交戦。戦艦ジュリオ・チェザーレに対して21,000メートルの距離で命中弾を与えた。*61
       この戦いによりイタリア艦隊の行動は消極的なものとなり、その間ウォースパイトは各地で輸送作戦と対地砲撃を行った。
      • 1940年8月17日、ウォースパイトは重巡洋艦ケントと共にイタリア軍の拠点であるリビアのカプッツオ砦を砲撃、同時に戦艦マレーヤとラミリーズがバルディア港を砲撃した。
      • 1940年11月11~12日に行われたジャッジメント作戦では、タラントのイタリア艦隊を空襲した空母イラストリアスの護衛に付いた。
      • 1941年1月3日にはウォースパイトは戦艦ヴァリアント、バーラム、モニター艦テラー、防空巡洋艦カルカッタ、砲艦3隻および駆逐艦4隻と共に出撃、再びバルディア港を攻撃した。猛烈な砲撃によって英陸軍のバルディア攻略に大きな貢献を果たした。戦況を伝える当時のニュース。
      • 1941年1月10日、マルタ島への輸送作戦(エクセス作戦)に護衛として参加したウォースパイトは、地中海方面で初めてのドイツ空軍の空襲を受けた。だがここでもウォースパイトは幸運を発揮する。ウォースパイトを狙った爆弾は彼女の錨の先端に当たって爆発したため、錨鎖管に軽い損傷を受けただけで済んだのだ。しかし作戦は成功したものの、艦隊は空母イラストリアスが大破、軽巡洋艦サザンプトンが沈没し軽巡洋艦グロスターと駆逐艦1隻が損傷する大きな損害を受けた。
      • 1941年3月27~29日にはギリシャのマタパン岬沖でイタリア艦隊と交戦。
        • 当初は速度に優る前衛部隊が交戦、続いて空母とクレタ島からの空襲でイタリア艦隊は損傷を受ける。戦艦ヴィットリオ・ヴェネトは撤退したが、重巡ポーラは航行不能となってしまう。
        • ポーラの援護に向かったイタリア艦隊に対しウォースパイトら戦艦を含むイギリス艦隊が夜戦を敢行。戦艦ヴァリアントに搭載されたレーダーが無警戒なイタリア艦隊を捕捉し、至近距離から猛攻撃を加えた。
        • イタリア艦隊を夜戦で追撃するかどうかについて、イギリス艦隊では反対意見が大多数を占めたが*62、カニンガム提督は幕僚を一喝し追撃を決断した。
        • そして絶好の状況でザラ達を捉えた時の気持ちを、カニンガム提督は後にこう記している。
          私は次の数分間を決して忘れない。(中略)私の全人生の中で、射撃管制塔からの"照準監督士官が標的を確認"という静かな声を聞いた時ほどスリリングな瞬間は経験したことがない。確かに主砲は発射準備ができていて、指が引き金を引きたくてたまらなかったのである
        • イギリス艦隊各艦の奮戦で重巡ザラ、ポーラ、フィウメ、他に駆逐艦二隻が沈没。この海戦の結果、イタリア海軍は地中海における制海権を著しく失う事になった。当時のニュース映画。
    • 1941年4月20日、ロンメル将軍率いるドイツ・アフリカ軍団の猛攻で苦境に陥った英陸軍を支援するため、ウォースパイトは戦艦ヴァリアント、バーラム、空母フォーミダブルらを引き連れ、リビアのトリポリ港を砲撃した。
      • チャーチル首相の強い要望で、枢軸軍の重要な補給港であるトリポリを砲撃することになったが、カニンガム提督は空襲や沿岸砲台の攻撃を危惧し乗り気ではなかった。しかし海軍省が提示した代案は、戦艦バーラムやセンチュリオン*63、旧式巡洋艦をトリポリ港に閉塞船として沈めるという無茶なものであったため、やむなく実施が決まった。
      • フォーミダブル搭載機が投下した照明弾のもとで行われた夜明け前の攻撃は完全な奇襲となった。ウォースパイト以下各艦は損害なく、ウォースパイトは15インチ砲弾135発と6インチ砲弾106発を撃ち込み撤収した。
        • ただし、ほとんどの弾は海面に落ちたため、輸送船1隻を撃沈、2隻を損傷させたにとどまり、港湾機能もわずか24時間で復旧した。市街地に落ちた砲弾が原因で、トリポリ市民に約400人の死傷者を出してしまっている。
  • イタリア空軍の空襲に対してはさしたる損傷も受けずにいたウォースパイトだったが、ドイツ空軍に対しては度々苦しめられる事となった。
    • 1941年5月、ウォースパイトはクレタ島を巡る戦いに参加する。この戦いでイギリス海軍は、空襲や爆装艇によって巡洋艦3隻・駆逐艦6隻を失う手痛い敗北を喫した。ウォースパイトの姉妹艦ヴァリアントは爆弾2発が命中し損傷、そしてウォースパイト自身もメッサーシュミットBf109戦闘機が投下した爆弾1発が命中し大破、死者38名・負傷者31名という大きな犠牲を払ったのである。
      • ちなみにウォースパイトに痛打を与えたこの爆撃は、最終撃墜機数110機のエースパイロットクルト・ウッベン少佐によるものとされている。
      • アレキサンドリアに後退して検査したところ、限られた現地の施設では修理が不能のため、スエズ運河を通って紅海、インド洋、ハワイ経由で太平洋を横断し、米本土西海岸のシアトルで修理と改装を行う事になった。アレキサンドリアで停泊中に再び空襲に遭い浸水等の被害が出たものの、その後の航海は無事に進みアメリカへと到着した。
  • 損傷の修理に加え、新型レーダーの搭載や消耗した主砲砲身の交換などを行っていたが、この間に状況は激変した。
    • まず1941年11月25日、地中海を航行していた姉妹艦バーラムがU-331の雷撃で轟沈
    • 1941年12月8日、太平洋戦争が勃発。直後に行われたマレー沖海戦で東洋艦隊は壊滅的な打撃を被る。
    • 更に1941年12月19日には、イタリアの人間魚雷*64マイアーレ部隊がアレキサンドリア港に侵入し、停泊していたクイーン・エリザベスとヴァリアントを爆破、両艦は大破・着底してしまう。
  • そのような戦況の中でウォースパイトは防備を固めるべく、新たな戦場 - インド洋へと赴くのであった。

    東洋艦隊旗艦として

    東洋艦隊旗艦として

    • イギリス海軍が威信をかけて派遣した戦艦プリンス・オブ・ウェールズと巡洋戦艦レパルスがマレー沖で日本軍航空隊にあっけなく沈められた事実は、ウォースパイトの乗員たちにも大きな衝撃を与えた。
      乗員の一人は次のように述べている。
      マレー沖で2隻が沈められたというニュースを、アメリカの新聞やラジオがひっきりなしに報じていた。君が若ければ、血気盛んに『よし行こうぜ、奴らを捕まえてとっちめてやるさ』と意気込むだろう。だが彼女たち2隻の損失は、この戦争が敵を容易に倒すことができない深刻な仕事であり、そんなに単純なものではないのだという事実をいくらか本国へ知らしめたのだ。君はこの日が大英帝国にとって真にどんな意味をもっているのかを思い出さねばならない。しかし、これは本当の終わりではない。認識は2隻の損失によって変わった。長きに亘って帝国を守ってきた王立海軍は無敵ではなかったのだ。ウォースパイトに突然大量のエリコン機銃が追加されたのも、レパルスとプリンス・オブ・ウェールズの沈没が原因だ。我々は戦艦というものが航空機に対して如何に脆いものなのかということに気づいたのだ
    • ウォースパイトはシアトルから出航して太平洋を再び横断、日本軍の目から逃れるためオーストラリアの南を回ってセイロンへと無事に到着。1942年3月、東洋艦隊司令長官サマーヴィル提督*65の元で再建東洋艦隊旗艦となった。
      当時の東洋艦隊はウォースパイト以下戦艦、空母等それなりの戦力を有していたが、最も危険な敵との対峙を余儀なくされることになった。当時飛ぶ鳥を落とす勢いの南雲機動部隊である。
    • 4月5日、日本の機動部隊がセイロン島のコロンボとトリンコマリーを爆撃した時、幸運にもウォースパイトは多くの艦艇と共に南西約960kmの地点にあるアッドゥ環礁*66に停泊していたため難を逃れた。結局、捕捉された空母ハーミーズと重巡洋艦ドーセットシャー、コーンウォール等が撃沈された。
      • すでにイギリス側は、暗号解読によって日本軍がインド洋方面に進出しようとしていることを掴んでいた。そのため主力艦艇を防御上難のあるセイロン島の根拠地からアッドゥ環礁へ移していたのである。
    • 5月には、ヴィシー・フランスが保持していたフランス領マダガスカル島への上陸作戦「アイアンクラッド作戦」に参加する。一緒に参加していた戦艦ラミリーズが日本海軍の特殊潜航艇の雷撃で損傷したものの、ウォースパイトは特に損害を受けることはなく最終的に連合軍は全島を占領した。
    • 6月初めには、インド洋で通商破壊を行っていた日本海軍の特設巡洋艦愛国丸と報国丸の捜索にあたったが空振りに終わった。
    • 1942年6月のミッドウェー海戦で日本の機動部隊は壊滅したため、慢心ダメ、絶対 インド洋での危機は去った。そのため、1943年3月にウォースパイトは本国に帰還を命じられた。帰路の途中、喜望峰沖でイギリスへ向かう輸送船団と合流し護衛を務めたが、この時も舵の故障が発生した。ドック入りして修理を試みたが、完全には直らなかった。
  • 再び地中海へ戻って来たウォースパイト。そこで待ち受けていたのは激闘に次ぐ激闘であった。

    「オールド・レディ」

    「オールド・レディ」

    • 1943年6月、ウォースパイトは連合軍の本格的な反攻作戦の第一歩であるシチリア島への上陸作戦「ハスキー作戦」に参加するために再び地中海へと移動した。上陸支援と、イタリアの戦艦が出撃してきた時に備えてである。
      7月7日戦艦ヴァリアント、空母フォーミダブルと共にエジプトのアレキサンドリアから出撃したウォースパイトは、途中でアルジェリアのオランから来た戦艦ネルソンとロドニーの姉妹、空母インドミタブルらと会合、一路シチリア島を目指した。
      • ところが、7月16日に空襲でインドミタブルが損傷したため、ウォースパイトとヴァリアントは彼女をマルタ島まで護衛するよう指示された。マルタ島到着後、ウォースパイトのハーバート・パッカー艦長はカニンガム提督に作戦への参加を求めた。
        • だがカニンガム提督は、「それはどうかな、ウォースパイトは平時では地中海でいつも砲撃が最悪だったからな」とからかうように言った。
          それに対してパッカー艦長が「戦時ではどうです?」とすかさず切り返すと、カニンガム提督は答えた。
          絶対失敗しなかったな。マタパン岬沖の夜戦での功労艦の一隻だからな
        • かつての旗艦であり、全幅の信頼を寄せるウォースパイトに対してカニンガム提督も直ちに出撃許可を与えた。出撃が認められたウォースパイトとヴァリアントだったが、翌7月17日、仮泊地へ向かう途中でヴァリアントのスクリューが防潜網に絡まるトラブルが起きたため、ウォースパイトが先行してシチリア島へ向かうこととなった。
    • 老朽化した機関のために速度が出ず、さらに例によって舵が故障し駆逐艦と衝突しかけるトラブルのために遅刻しながらも、ウォースパイトは目標に指定されたシチリア島カタニアの沖合へ到着し、同日18時43分初弾を発射した。ドイツ軍陣地へ火を吹く15インチ主砲を写した写真。
      • ウォースパイトは艦砲射撃を続けた後、19時02分に全速力で撤収を開始。ドイツ空軍はウォースパイトに対して一晩中断続的な空襲を仕掛けてきたが、ウォースパイトは対空射撃を続け大過なく切り抜けた。そして7月18日の朝無事にマルタ島マーサックスロック港へ戻ってきた時、カニンガム提督はパッカー艦長に宛てて海戦史に残る一文を送ったのである。

    「作戦は成功した。オールド・レディもスカートを上げれば走ることができる」
    (Operation well carried out. There is no doubt that when the old lady lifts her skirts she can run.) *67

    • シチリア島占領後、9月8日には連合国によるイタリア本土サレルノへの上陸作戦「アヴァランチ作戦」が始まった事で、イタリア海軍の残存戦力は次々と投降し始める。これを警戒していたドイツ軍はイタリア艦艇の投降を阻止すべく行動に出た。9月9日、14時20分頃、最新の誘導爆弾フリッツXを搭載した第100爆撃航空団第3飛行隊のDo 217 K-2 11機(異説あり)がマルセイユ基地よりイタリア艦隊へ向けて出撃、新鋭戦艦「イタリア」「ローマ」を発見し爆撃、ローマを撃沈しイタリアも大破する。
      • その投降してきたイタリア艦隊を出迎えて、マルタ島へ護送したのがヴァリアント、そして他ならぬウォースパイトであった。その様子は、古参の乗員達に四半世紀前のドイツ艦隊投降を思い起こさせた。実際の映像。
      • 艦隊がチュニジアのビゼルト沖を過ぎていた頃、カニンガム提督がアイゼンハワー連合国軍司令官と共に駆逐艦ハンブルドンに乗り視察に訪れた。イタリア艦隊を先導するウォースパイトを見ていたカニンガム提督は信号を送った。
        「かつての旗艦が列の先頭という名誉であり、また当然の位置にいるのを見て嬉しい」
        それに対してウォースパイトのパッカー艦長は答えた。
        オールド・レディは立派にイタリア艦隊の世話をするつもりです
  • 栄光ある異名を受けたウォースパイト。しかし彼女を危機が襲う。

    アヴァランチ作戦

    アヴァランチ作戦

    • 投降するイタリア艦隊主力に大打撃を与えたフリッツXの脅威を、ウォースパイトのある士官候補生は日記にこう記している。
      我々は午後を通して、"バッグの中の物"を貯えた(=捕らえたイタリア艦隊をマルタ島に確保した)が、戦艦ローマはドイツ空軍に爆撃されて沈んだことが分かった。35,000tもの新鋭戦艦は艦体中央部に爆弾を受け、わずか20分で沈んだ。イタリア艦隊の司令長官もローマと運命を共にしたという。ドイツ空軍は我々が3年かかっても出来なかったことをたった20分でやってしまったのだ...
      そしてフリッツXは、今度は「アヴァランチ作戦」に参加した連合軍艦艇へ矛先を向けたのであった。
      • 元々ウォースパイトはイギリス本国で改装の予定であったが、9月14日の出港直後、サレルノに上陸しているアメリカ軍が艦砲射撃による支援を要請してきたため、急遽予定を変更してサレルノ沖へ展開した。上陸させたウォースパイトの海兵隊員による着弾観測の元、アメリカ軍に的確な支援を提供した。指揮を執るパッカー艦長(右端の人物)。
      • 9月16日、支援任務中のウォースパイトにドイツ空軍が空襲、フリッツX3発が投下され、内2発が命中する。ちょうど乗員が昼食のため警戒を解いたタイミングと重なり、対処が遅れてしまった。
        1発は水上機格納庫を貫いて機関区で爆発。船体中央の甲板に巨大な穴をあけた。もう1発は右舷バルジを貫通してボイラー室で爆発。残り1発も至近弾となり、6基あるボイラーのうち5基を破壊や浸水で使用不可能、浸水した量は5,000tにも達するほどの損害を出した。命中の瞬間はドイツ空軍機から撮影された写真が残っている。
    • 9日に新鋭戦艦のローマを轟沈させたフリッツX。それをローマと同じ2発、それも船体中央部という重要区画で受けてしまったウォースパイト。本来なら轟沈(下手をすれば竜骨が折れて真っ二つである)もありえる損害だったが、彼女は沈まなかった。戦死者もこれほどの損害の割には非常に少なく9名の戦死と14名の負傷者がでただけだった。
      これまでの不運ネタをひっくり返すような幸運っぷり。それが改になることで艦娘一の運の初期値70となる理由かもしれない。
    • しかしながら、危機的状況であることには変わりがなかった。大量の浸水によって艦は4度に傾斜(最終的に傾斜は4.5度まで増大し喫水は1.5mも沈下した)、主砲も使用不能となった。ウォースパイトはそのまま航行不能となり、円を描いて漂流しながら機雷原に突っ込みかけた。
      • 幸いにして、乗員の懸命のダメコンと救援に駆け付けたタグボートの援助によって復旧し、曳航されつつ4ノットで撤退を始めた。
      • 危機的状況を脱したとはいえ、艦の損傷は大きかった。換気扇が停止したため熱気と悪臭が充満。乗員は照明が破損し暗闇となった艦内をバッテリーランプで照らしながら排水作業を続けた。飲み水にも事欠く有様で、もちろん風呂や調理も不可能であった。それでも乗員は高い士気を維持しつつ警戒と復旧作業を続けた。
    • 大破したウォースパイトは、潮流に難儀しながらも修理をすべくマルタ島へ曳航された。大破したウォースパイトを何度もドイツ軍機が狙ってきたが、その度に共に戦火を潜り抜けてきた相棒ヴァリアントや護衛の駆逐艦達が全力で対空砲を撃ち上げ追い払った。何度も操舵不能に陥りかけ沈没すら危惧された状況ではあったが、9月19日とうとうマルタ島へ入港した。
      大歓迎の中マルタへたどり着いたウォースパイト。バルジが見えなくなる程沈下していることが分かる。
      パッカー艦長はその時の喜びを日記に記している。

    我々が通過する全ての船の乗員達がウォースパイトに(敬意を表して)向き直り、多くの(祝福の)通信を受け取った。もう二度と帰ってくることができないのではないか、という大変な不安を我々が抱いていたことは間違いない。ああ、そうだとも。そして我々は(ユトランド沖海戦以来)27年ぶりに再び重い傷を負ったウォースパイトを、港へ連れて帰ることができたのだ

    • マルタ島のドックではウォースパイトの修理は不可能であったため、応急修理を済ませた後、4隻のタグボートに曳航されて乾ドックがあるジブラルタルへ向かうことになった。ここでパッカー艦長がカニンガム提督の幕僚に栄転したため、艦は副長エドワーズ中佐(この後新艦長に昇格)の指揮の元で出発した。途中ボイラーが壊れ、5ノットまで速度が落ちつつも一週間後無事にジブラルタルへ到着した。
      • 到着の4日後にドック入りして修理が始まったが、艦底に開いた大穴を見たある下士官のコメントがその被害の大きさを物語っている。
        どうしてウォースパイトが浮いていられたのか決して分からないだろう。誇張ではなく、艦底の穴は二階建てバスが易々と通り抜けられる程だったのだ
      • ジブラルタルにいた時、ウォースパイト艦内で通称「ニシン事件」といわれる騒動が起きた。元々、ウォースパイトには「どんな尺度で見ても不味くて嫌われる料理」と言われた、ニシンを熱いトマトソースに漬けた激マズ料理(以下トマトニシン)があった。日曜日の夕食は調理員を休ませるために、作り置きの冷めた料理が出るのが通例であったが、その日は珍しく熱い料理が出ると聞き乗員達が期待していると、食缶に入って出てきたのは熱々のトマトニシン。しかもそのトマトニシンは傷んでおり、ひどい腐臭を放っていたのだ。みんな落胆と共に食缶を返品し、代わりに配給されたチーズやピクルスで我慢したのだが、一部の乗員は怒りが収まらずとんでもない行動に出た。食品買い付けの責任者である主計中佐が食事で不在の間、彼の私室の隅々まで食缶の中身をぶちまけたのである。その後の調査や処分がどうなったかは定かではないが、とにかく二度とトマトニシンが出てくることはなかったという。
      • ちなみに、このトマトニシンはイギリス軍全体でも評判は最悪のようで、海洋戦記小説の大傑作「女王陛下のユリシーズ号」の作中でジョークのネタになっている*68
    • ジブラルタルで修理中、ウォースパイト大破の知らせを聞いたカニンガム提督が、多忙な職務の合間を縫いパッカー前艦長らを連れて乗員とウォースパイトを見舞いに来てくれた。
  • 傷ついたオールド・レディ。しかし彼女は休むことなく史上最大の作戦に参加する。

    ネプチューン作戦(ノルマンディー上陸作戦)

    ネプチューン作戦(ノルマンディー上陸作戦)

    • その後イギリス本国に戻った彼女は翌年にかけて本格的な修理を受けるが、「ネプチューン作戦」(いわゆるノルマンディー上陸作戦)*69が近づき、作戦にはウォースパイトの参加が決まっていたので出せる最大速力は21ノット、艦底の穴はケーソンで取りあえず塞いだだけ、4つの砲塔のうち第三砲塔は未修理で使用不可能という状態のまま再出撃する。
      • 1944年6月2日、ウォースパイトは東方任務部隊を構成する戦艦ラミリーズ、モニター艦ロバーツ、重巡洋艦フロビッシャー、軽巡洋艦モーリシャス、アレシューザ、ダナエー、ドラゴン、そして15隻の駆逐艦と共にグリーノックを出発、ノルマンディーの海岸へと向かった。
      • 6月6日、上陸作戦が開始され、ウォースパイトはソード・ビーチに上陸したイギリス陸軍第3歩兵師団を支援する。発射した砲弾の数は2日間で300発以上に上り、多数の陣地・車両を破壊した。一度ポーツマスに戻り弾薬補給の後、6月9日には弾薬不足のアメリカ戦艦アーカンソーらに代わって今度はアメリカ軍を支援。さらにその2日後には、ゴールド・ビーチのイギリス軍へ反撃を仕掛けようとしていたドイツ軍戦車隊を、自慢の15インチ砲の猛烈な射撃で吹き飛ばした。
        現地の指揮官はその砲撃を短く、かつ的確な文章で称賛した。
        15インチ砲弾50発の迅速な射撃!
        砲撃をするウォースパイト。第三砲塔(X砲塔)が動いていないことが分かる。
    • 砲撃支援を続けていたウォースパイトだったが、6月13日午前7時48分、イギリス・ハリッジ沖45km地点で触雷してしまった。
      • 艦底に数ヶ所の穴が開いたほか、触雷した左舷側を中心にバルジに大きな歪みが生じた。それに伴って690tの浸水が発生し最大4.5度の傾斜が発生した。左舷推進器も破損したため、ウォースパイトは残った右舷側推進器を用いて10ノットでよろよろとロサイスに帰還した。
      • その際、傷ついたウォースパイトを励まそうと在泊していた戦艦アンソン、ハウ以下諸艦艇の乗員が登舷礼で迎えてくれた。
  • 二度の大戦を戦い続けた老嬢にも、まもなく最後の時が訪れようとしていた。

    ウォースパイト最後の戦い

    ウォースパイト最後の戦い

    • それから2ヶ月の修理が行われたものの、幾多の戦いに身を置きボロボロとなった彼女は、もはや十分に修理されることはなかった。支援任務をこなすためだけの艦として、主砲は新品に交換したが、左舷の推進器は内側のみ修理されただけであり、修理後の公試でも15.5ノットを出すのがせいぜいであった。
      • 人間で例えれば片足を引きずり全身包帯だらけのような状態にもかかわらず、戦列に復帰した8月以降、ウォースパイトはドイツ軍が立て籠もるブレスト等の要塞へ砲撃を実施し、地上の友軍部隊に多大な貢献をした。
      • そして1944年11月1日、オランダ・ワルヘレン島のドイツ軍陣地を攻撃する「インファチュエイト作戦」支援のためにその日353発目となる15インチ砲弾を発射した17時23分、二つの世界大戦を戦い抜いた不屈の戦艦の主砲は永久に撃ち方を止めたのであった。

第二次大戦後から最期の日まで

  • 偉大なる戦歴を持つウォースパイトを解体させてなるものかと保存運動も起こったが、莫大な戦費と植民地喪失により、戦後の大英帝国国庫は危機的状況だった。
    かつてフランスから鹵獲した栄誉の証である18世紀の木造戦列艦インプラカブル1隻すら維持できず、自沈処分せざるを得なかった状況下である。
    修繕するだけで相当の費用が予想される傷み果てた老朽戦艦を保存する余裕は、もうどこにもなかった。
    結局ウォースパイトは解体処分が決定し、武装を取り外された後係留されていたスピッドヘッドから解体場のあるクライド湾に曳航移送されることとなった。
  • だが曳航移送中に英仏海峡で突風に見舞われて曳航ロープの1本が切断され、ウォースパイトは漂流を始める。
    なんとか突風と闘いながら曳舟が再びロープを渡してウォースパイトを御し、彼女をコーンウォール州のマウント湾に投錨仮泊させることに成功したが、吹き続く突風にウォースパイトの錨鎖はちぎられ、彼女は再び漂流を始めた。*70
    そして最後にマウント湾東部の岩礁地帯(通称「プロシア入江」)に乗り上げるように座礁する。まるで最期のその時まで海と共にあり続けたいと願うかのごとく…。解体業者相手にウォースパイト最後の死闘である。
  • ウォースパイトは同地の岩礁の上に、完全に解体される1956年までその姿を留め続けたのであった。悪運艦ここに極まれりである。当時の様子。
    • 現在、プロシア入江を望む高台には小さな記念碑が建てられており、偉大な「オールド・レディ」最期の地を今に伝えている。
      また、クレストや船鐘をはじめとするウォースパイトの多くの備品が、英国各地の博物館に保存されている。
  • 第一次世界大戦ではユトランド沖海戦で死闘を繰り広げ、第二次世界大戦では老体ながら緒戦より北海や地中海で働き続け*71、晩年は2発のフリッツXを喰らって数名の戦死者だけで済むという武勲と超幸運っぷりは世界中のどの国の艦艇にもない海軍王国イギリスが誇る最高の武勲艦であった。そのため「ウォースパイト」の名は現在では「戦争を軽蔑する者」の意味の他にも「尊厳」や「勇気」の代名詞にもなっている。
    • ウォースパイトが第一次・第二次両大戦を通じて受けた戦闘名誉章(バトル・オナー)は、その数15個にのぼる。*72単艦でこれほどの評価を受けた艦は、300年以上の英海軍の歴史の中でウォースパイトただ一隻のみである。*73
      ウォースパイトが解体されてから60年、米海軍のアイオワの除籍に伴い、戦艦という艦種が世界から完全に姿を消して10年が経過した今もなお、世界の歴史家や海軍関係者からウォースパイトへの称賛が止むことはない。
  • 歴史に名を残した多くの英海軍艦艇と同様に、ウォースパイトは度々切手やコインの題材に選ばれている。
    参考:1982年イギリス発行の29ペンス切手「ウォースパイトとカニンガム提督」、1994年ジブラルタル発行の25ジブラルタル・ペンス切手「HMS Warspite」、2005年イギリス発行の5ポンド記念銀貨25ポンド記念金貨
  • 1978年5月、イギリス国鉄の50形ディーゼル機関車の一両(50014)がウォースパイトと命名された。
    • 50形は1978年以降全ての車両に第一次・第二次世界大戦の軍艦名が付与されている。そのため姉妹艦のヴァリアント、バーラムや空母アーク・ロイヤル、弩級艦の由来であるドレッドノートなどの車両が存在した。
  • ウォースパイトは他の艦艇と比べて、非常に雰囲気のよい艦であったという証言が多数残されている。士官や下士官・兵を問わず、(一部の例外的な事件を除き)温厚で不平不満を言うことなく、規律をよく守るものが多かった。大型艦に多少なりとも存在した下の者へのいじめ行為もほとんどなかったという。驚くべきことに、それは約30年におよぶ長い現役生活の全期間において維持されていた。そのため、ウォースパイトで勤務した者は、艦を降りた後でもウォースパイトへの愛着を持ち続けた。かつての敵国艦とも積極的に交わろうとする温厚な彼女の性格は、艦のそのような雰囲気を反映したものなのかもしれない。
    • ウォースパイトは生涯幾度もひどい損傷を負ったが、その度に決して沈むことなく耐え抜き乗員達を守った。そして乗員達もまた、一致団結し愛するオールド・レディを懸命に守り抜いたのである。
      前述のパッカー艦長も、かつて少壮の士官だった時をウォースパイトで過ごし、最初の危機であったユトランド沖海戦を共に戦った。それから27年の後、サレルノ沖で再びウォースパイトが危機に瀕した時には、彼は主たる艦長として彼女を救ったのだ。
  • イギリスの戦史家V.E.タラント氏は、著書「戦艦ウォースパイト~第二次大戦で最も活躍した戦艦~」の前書きでウォースパイトについて次のように賛辞を贈っている。
    第二次大戦を通じて ― 戦闘による損傷がひどかったため海軍工廠で過ごす時間を別とすれば ― ウォースパイトの大砲はほとんど絶え間なく火を吹いていた。ウォースパイトは自分自身の魂を持っていた船であり、乗組員すべてに愛された
  • 2019年2月25日、イギリス海軍第一海軍卿サー・フィリップ・ジョーンズ大将は、ドレッドノート級戦略ミサイル原子力潜水艦の3番艦を「ウォースパイト」と命名することを自らのツイッター垢で発表。その名を受け継ぐものとしては九代目、潜水艦としてはヴァリアント級SSN2番艦に次いで二代目となる。なお、就役は2030年を予定している。

余談

ウォースパイトのペット事情と「エイブル・ドッグ・プルート」

ウォースパイトのペット事情と「エイブル・ドッグ・プルート」

  • マスコットやペットとして動物を乗せていた軍艦は国を問わず多く存在しているが、同じようにウォースパイトもその生涯において様々な動物をマスコットとして乗せていた。
    • 例えば、就役間もない頃にはキツネザルをマスコットとして飼っていた。普段は前檣楼に住んでいて、ウォースパイト最初の修羅場であったユトランド沖海戦でも敵弾の破片を上手くかわしながら生還した。
    • 第二次世界大戦中には、「ストライピー」という猫がウォースパイトに乗っていた。
      • その名が示すように縞模様の所謂トラ猫であり、生まれも育ちもウォースパイトという叩き上げの船乗り猫であった。開戦以来、ウォースパイトの戦うところ常に乗員と共に過ごし終戦まで生き抜いた。
      • しかし、戦後ウォースパイトがその任を解かれた時、ストライピーの処遇が問題となった。除籍後係留されるウォースパイトに留まっていたストライピーは、幸いにも番人を務めていたジョージ・ワトソン氏に気に入られ互いに意気投合。めでたく二人は共に新たな任地である姉妹艦マレーヤへと移っていったのだった。
        ウォースパイトの救命浮輪と共に写るストライピーとワトソン氏。
    • ウォースパイトのマスコットで最も有名かつ乗員達に愛されたのは、「エイブル・ドッグ・プルート」という名前の垂れ耳の雑種犬である。
      • プルートはトブルク包囲戦中に誕生し、駆逐艦で幾度も実戦を経験した後にウォースパイトへ移って来たという強者であった。
      • 非常に賢い犬であったといわれており、プルートのファンの一人であったパッカー艦長は、妻ジョイに宛てた手紙の中で様々なエピソードを書き残している。プルートはただ乗員達と遊ぶだけでなく、乗員が錨を下ろす時には、集合ラッパが聞こえると舳先に座って作業を見守り、また海兵隊員が舷門を下ろす時には、冷静にそちらへ駆けて行き傍らで監督したという。
        また、イタリア艦隊降伏の際にはウォースパイトの艦首を走り回りながらイタリア艦隊に吠え続けていた。
      • 一方で、彼はプルートのこんなハプニングも記している。1943年6月のある朝、日課である軍艦旗(ホワイトエンサイン)の掲揚を終えた海兵隊員が後甲板から退出しようとしたタイミングで、プルートが後甲板に積まれていた大量の卵をばら撒いてしまったのである。
        卵を踏みつけた一人の海兵隊軍曹は、「南南西の方角へ25ノットの速さで」「スケートをするドナルドダックのように」滑って行き、後部砲塔の陰で見守っていたプルートの大きな尻尾のところでようやく止まったいう。
      • しかし、乗員達に愛されたプルートは、1943年11月ウォースパイトがジブラルタルでドック入りしてすぐに工廠内でトラックに轢かれて命を落とした。サレルノ沖でフリッツXを受け大破して間もない時期の突然の悲劇に、多くの乗員が悲しみに暮れた。エドワーズ艦長の命令によって、プルートの亡骸はそれまでの戦いで命を落とした乗員と同じく海軍の葬礼の元で水葬された。まさしくエイブル・ドッグ・プルートはウォースパイトの乗員の一人だったのである。
    • ウォースパイトは大型艦であり、(もちろん「人間用」ではあるが)ある程度の医療設備やスタッフが整っていたため、時にはより小型の艦から動物について相談されることもあった。
      • 1943年8月31日の午後、対潜トロール船ガヴォッテからウォースパイトの医療スタッフ宛に信号が送られてきた。
        「ペットの猿が誤って鉛丹(えんたん = 艦底の赤い塗装に使う鉛を含む有毒な塗料)を食べて死にかけています。手当ての方法についてご教授願いたい」
        ウォースパイトはすぐに返信した。
        「一般的に病気の猿には、ティースプーン半分の硫酸マグネシウムを水1カップに溶かして与える。小用量のブランデーを水で薄めて与えるのもありかもしれない」
        しかし、14時50分ガヴォッテからの返信は残念なものだった。
        「貴艦の援助に感謝いたします。悲しいことに、哀れな小さな仲間は息を引き取りました」

参考文献

本稿の記述は主に以下の文献に依る。

  • V.E.Tarrant著・井原裕司訳 「 戦艦ウォースパイト―第二次大戦で最も活躍した戦艦 (原題 Battleship Warspite) 」 (元就出版社刊 1998年・原著1991年)
  • Harry Plevy著 「 BATTLESHIP Sailors - The fighting career of HMS Warspite recalled by her men - 」 (Chatham Publishing刊 2001年)
  • Lain Ballantyne著 「 WARSPITE - FROM JUTLAND HERO TO COLD WAR WARRIOR 」 (Pen & Sword Maritime刊 2010年)
  • ネイビーヤード編集部編 「 世界の戦艦プロファイル - ドレッドノートから大和まで 」 (大日本絵画刊 2015年)

この艦娘についてのコメント

最新の15件を表示しています。 コメントページを参照

  • 秀提督を本気にさせたのはこの娘だったんだね(あみあみチャンネルの本人の発言より) -- 2020-10-01 (木) 08:38:39
  • 秀ちゃん、リンク・プランを退所。移籍かな? -- 2020-10-01 (木) 08:39:47
    • うん。ほかのところに移籍しましたね。ツイッターに移籍した報告が上がっていた -- 2020-10-01 (木) 16:50:24
  • ついに晴れ着ウォー様の立体化が……!! -- 2020-10-10 (土) 13:19:13
  • まさかの、大型建造だと -- 2020-10-16 (金) 20:02:08
    • そして、アークロイヤルも大型建造追加、秀祭りだw -- 2020-10-16 (金) 20:03:17
    • ようやくかって感じたよ。 -- 2020-10-16 (金) 20:06:13
    • 「紅茶の国で生まれた、改二改装以降のある艦娘がサポート~」って、金剛改二以降で建造可能、ってことですよね? -- 2020-10-16 (金) 20:06:50
  • ウォー様とあ~ちゃん様が大型堕ちかぁ・・・もしかして次のイベントは英国絡みなのかね? -- 2020-10-16 (金) 20:03:07
    • 地中海絡むと間違いなく英国艦はいるからね。にしてもイタリア戦艦よりも先になるとはなあ -- 2020-10-16 (金) 20:04:54
      • つーか、海外艦に限らず、追加が遅すぎると思う。 -- 2020-10-16 (金) 20:14:17
    • 次は関係なかったとしても英国関係するイベが来た場合必須になりそうですね???『ドロップしたことなくても当然作ってあるよね?』 -- 2020-10-17 (土) 01:03:27
  • ウォー様ついに大型艦建造に追加決定! 必要秘書艦は多分あの改二戦艦デース -- 2020-10-16 (金) 20:04:57
    • 老々介護というワードが頭を過った -- 2020-10-16 (金) 20:06:46
      • 16inch Mk.I海軍砲弾も枝主の頭を過ったぞ。 -- 2020-10-16 (金) 20:15:48
      • 陸軍特殊船〇〇◯丸「(枝主の脳天に)着弾、今!」 -- 2020-10-19 (月) 13:24:00
    • 「改二以降」って書き方だとそうなるよな。妹は日本生まれだしな。 -- 2020-10-16 (金) 20:08:27
  • 金剛旗艦で大和レシピ回したら、大和だった。いや、君じゃなくてウォー様を… -- 2020-10-16 (金) 20:30:37
    • つまり、逆に大和を狙うとウォー様がくるということだな -- 2020-10-16 (金) 20:39:12
    • 改二丙でないとダメかな?改二で10回試したが出ないですな -- 2020-10-16 (金) 20:39:30
    • 最適レシピは不明なれど -- 2020-10-16 (金) 23:06:15
    • 燃6000弾4000鋼6000ボ3000資材100で建造例有り。 -- 2020-10-16 (金) 23:06:56
      • コレで作りました。ボーキの消耗から算出して19回やったみたいです4000/6000/6000/2000で17回やって大和・武蔵・まるゆ各1でウォーが出る気がしなかったのでレシピ変えました -- 2020-10-17 (土) 01:00:49
      • 金剛改二(キラ付け済み)を秘書艦にして、そのレシピでやったら一回で着任。情報提供感謝です。 -- 2020-10-19 (月) 11:53:10
    •  tps://twitter.com/Fubuki_Tozawa/status/1317079175463776256 -- 2020-10-16 (金) 23:08:34
  • 秘書官は金剛改二丙だけな感じか -- 2020-10-17 (土) 00:07:53
    • 改二以降だから改二でも大丈夫だとは思うけど、建造報告出てこないと何とも・・・ -- 2020-10-17 (土) 02:29:33
  • 燃7000弾7000鋼7000ボ3000で着任!! -- 2020-10-17 (土) 00:38:25
  • これで次回イベで普通にドロップしたら笑う -- 2020-10-17 (土) 07:58:14
    • ドロップ(特効海域より後)という新人にはつらい可能性も -- うちには2人Lv99? 2020-10-17 (土) 12:01:00
      • 大型建造は新人にはつらいだろう。いまはガマンをし,イベントまでに備蓄やレベル上げ等をし,海域に出られるようになれば,ドロップのほうがラクと思料。 -- 2020-10-17 (土) 21:35:27
      • ドロップの方が大型建造よりマシやな、大型建造のビスマルクやサラトガが2%だからウォー様も2%程度だろうし出るまで50回以上が掛かるとか、その資源をイベントに回した方が↑の人が言う様に楽だろうね -- 2020-10-19 (月) 09:42:06
    • 秘書艦考えるとドロップのほうが楽かもしれないねぇ -- 2020-10-18 (日) 02:56:53
    • まあイベント終わってから余った資源で建造すればいいんじゃね? -- 2020-10-19 (月) 09:51:50
  • 建造確率が分からんからな...有志の活躍を待とう -- 2020-10-17 (土) 08:35:01
  • セガ秋葉原のウォー様&金剛の壁面広告が別のセガで出てた。小さくなったけどまた見れて嬉しい。 -- 2020-10-18 (日) 18:08:06
  • 「ブーリン家の姉妹」でも観ながらネームシップ実装期待しようかね -- 2020-10-19 (月) 12:52:02
  • 金剛改二秘書艦で出ました!丙でなくても出るよ -- 2020-10-20 (火) 19:27:57
  • 中の人、内田秀さん、ガンビーをゲットしたものの、スパ様とアークの建造可能告知に驚く -- 2020-10-22 (木) 10:34:43
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*1 クイーンエリザベス級
*2 戦艦
*3 提督
*4 そちらに行きます
*5 これは何ですか
*6 新しい年が良い年でありますように
*7 「感謝の言葉もない」「なんとお礼を言えばいいかわかりません」等、感謝と感激を両方表す表現。
*8 (艦隊の)4周年をお祝いします
*9 雨の日
*10 私たちはJanusを見つけなければならない
*11 そして彼女を故郷に連れて帰らなくては
*12 呉鎮守府
*13 日本海軍の本拠地
*14 どんなところなのか気になるわ
*15 赤城、大和、それに日進が生まれたところ
*16 あのおいしそうなのは何
*17 フリッツX。ドイツが開発した滑空式誘導爆弾
*18 なぜ私を呼んでいるの
*19 出撃する
*20 付いてきなさい
*21 良いわね。素敵だわ
*22 敵艦発見
*23 砲撃準備
*24 撃て
*25 何てこと
*26 艦隊、帰投しました
*27 感謝します。とても助かります
*28 どうもありがとうございます。【indeed】は「とても」「実に」といった強調表現。
*29 日本の兵装
*30 これは良いですね
*31 また後で
*32 またね。(単独で用いると「連絡を取り合う」の意味になるが、会話の最後につけると「またね」の意味になる)
*33 良かったわ。そう思わない?
*34 艦隊の情報
*35 今お時間ありますか
*36 改造可能レベルに必要な経験値はなんと319000。演習で旗艦にして1500の経験点をコンスタントに獲得できると仮定しても212戦の演習が必要である。
*37 加えて20歳デビューに対しオーストラリア在住18年の帰国子女である。日本の英語教育で聞き慣れない一部の発音は、オーストラリア英語の性質であるようだ。
*38 腰掛けるタイプの椅子型艤装は伊58が初である。
*39 1944年6月7日 英タブロイド誌「デイリー・ミラー」より
*40 戦史家のV.E.タラント氏は「戦艦ウォースパイト~第二次大戦で最も活躍した戦艦~」(元就出版社刊)で次のように解説する。「古い英語では『DESPIGHT』は『軽蔑して扱う』を意味する動詞だった。そして『DESPIGHT』を短縮した『SPIGHT』が『WAR』を前に付けて『戦争を軽蔑して扱う』という意味になった。18世紀初めまでは『WARSPIGHT』が一般的に使われている綴りだった。その後、近代的な形の『WARSPITE』が使われるようになった。しかし『SPIGHT』という言葉は、エリザベス女王時代には別の全く異なった意味を持っていた。つまりGREEN・WOODPECKER(ヨーロッパアオゲラ)の口語体の名前でもあった。このためWOODPECKER(きつつき)がウォースパイトの非公式の飾りとなり、大砲の砲栓とボートの舳先に取り付けられていた」。
*41 なお同じイギリス海軍のブラックスワン級スループの一隻にウッドペッカー(キツツキ)という名の艦があり、こちらもキツツキのクレストを持っていた。
*42 海事ジャーナリストのL.ヴァレンタイン氏によると、「ウォースパイトという名前の語源は明らかではないが、しかし最も有力な説は、『ある者の敵』に対する軽蔑を具現化するために(著者注:当時イギリス人がスペインに対して感じていたことの明確な反映である)、『War(戦争)』の『spite(悪意・侮蔑)』という形で合成して創造されたとするものである。『spight』という言葉はまたヨーロッパアオゲラの口語体であった。『warspight』という名前は、敵艦の木製の船腹に穴を開けてやるという心構えも明確に示していたのであろう」「WARSPITE~FROM JUTLAND HERO TO COLD WAR WARRIOR~」(Pen&Sword MARITIME刊)。
*43 Sir Andrew Browne Cunningham(1883~1963)英国海軍提督・地中海艦隊司令長官。英海軍内ではイニシャルからABCとして知られていた。
*44 帝国海軍の軍令部総長、海上自衛隊の海上幕僚長、アメリカ海軍の作戦本部長に相当する。帝国海軍は海軍大臣も現役武官制だったり、自衛隊やアメリカ軍はさらにその上に統合幕僚長・統合参謀本部長(陸自・陸軍や空自・空軍の出身者が就任することもあるので、海自・海軍出身者だけのポストではないが)がいたりとそれぞれ事情は異なるが、組織のほぼ最高位に当たる職である。
*45 大陸の有力海軍国フランス=世界二位とロシア=世界三位を合計したのと同等以上の海軍力を整備するマジキチ政策。広大な植民地を持っていた大英帝国と言えども経済力を圧迫させる政策だったが、日米の台頭で有名無実に
*46 恐ろしい事に、イギリスとドイツはこの建艦競争を19世紀の終わりから第1次世界大戦が勃発する1914年まで10年以上も続行し、この間に双方が建造した戦艦及び巡洋戦艦は100隻以上(イギリス72隻、ドイツ45隻)にも達する。しかし、ドイツは第1次大戦の敗北でほぼ全てを失い、イギリスもワシントン海軍軍縮条約でクイーン・エリザベス級以前の艦級を全て失ってしまう。
*47 こんなことを考え付いた上に実行できたのは、設計者が「あの」フィッシャー提督で、時の海軍大臣が「あの」チャーチルというコンビだったからである。
*48 12インチ砲を連装砲塔で7基14門も積んだことで有名な戦艦である。元はブラジル海軍向けの「リオ・デ・ジャネイロ」であったが、その後計画変更に伴いオスマン帝国が買い取った。しかし本艦を強制的に接収したことは、オスマン帝国の反英感情を掻き立て最終的に敵側へつかせる一因になった。
*49 戦艦ドレッドノート建造を指揮し、巡洋戦艦や駆逐艦というジャンルを創りだした、英国海軍艦政面における偉大な人物。しかし一方で所謂「英国面」の極北のような艦も多数建造指揮しているお方。なにかと砲火力と速力に拘る傾向がある。
*50 実は金剛型も設計上は中央砲塔配置。ただ彼女の場合は中央砲塔の後ろに障害となる構造物を設けなかったことで、擬似的に背負い式配置を実現している。あの三番砲塔と四番砲塔の間には機関区画がデンと鎮座ましましているのだ。
*51 当初はQE級も中央部主砲塔が計画されていたのだが、重量や艦体構造的な問題で断念された。
*52 ただ、基本設計は優秀だったので後のレナウン級巡洋戦艦やライオン級戦艦(未完成)、ヴァンガードの設計はリヴェンジ級の設計を拡大・流用したものとなっている。
*53 第二次世界大戦前の英首相で、ナチス・ドイツへの融和政策からヒトラーを増長させ第二次世界大戦勃発を招いてしまったネヴィル・チェンバレンの異母兄。第2次ボールドウィン内閣では外相として1925年にロカルノ条約締結に成功し、ノーベル平和賞を受賞している。彼自身は異母弟と異なり、ナチスのドイツでの台頭を警戒していた。
*54 スコットランド東岸にある湾。沿岸にはスコットランド首都エディンバラやロサイス海軍工廠が点在する。
*55 ネームシップのクイーン・エリザベスは当時入渠中。
*56 この戦いでバイエルン王より騎士位を授与され「フランツ・リッター(騎士)・フォン・ヒッパー」となる。アドミラル・ヒッパー級1番艦「アドミラル・ヒッパー」や戦後西ドイツ海軍の138型教育フリゲート「ヒッパー」に名前が使われている。後述するラインハルト・シェーアの後任としてドイツ大洋艦隊の司令長官に就任。
*57 こちらも後にドイッチュラント級装甲艦の「アドミラル・シェーア」に名前が使われている。
*58 旗艦に続いて、その時の陣形を維持したまま回頭すること。
*59 1939年時点でドイツが保有していた駆逐艦はZ1~Z22までの22隻
*60 例えば翌月のダンケルク撤退において、ドイツ海軍は駆逐艦不足から魚雷艇・Uボート主体の攻撃によるしかなく、撤退する英仏軍の艦艇を十分に妨害することができなかった。更にはアシカ作戦(英本土上陸)の断念や水上艦の出撃を控えるといった影響を及ぼしたともいわれる。
*61 これは「艦砲射撃による移動目標への砲撃命中」においてドイツ戦艦シャルンホルストに次ぐ長距離記録である。
*62 主に同士討ちの危険を恐れたことによる。実際夜戦中にウォースパイトは危うく空母フォーミダブルを主砲で吹っ飛ばしそうになった。
*63 初代キング・ジョージ5世級戦艦2番艦。ワシントン海軍軍縮条約に基づき1924年に装甲・武装を撤去されて標的艦になっていた。ちなみに、第二次大戦中はハリボテの四連装砲を乗せて戦艦アンソン(二代目キング・ジョージ5世級戦艦4番艦)の影武者になっており、船団護衛任務や拠点防衛で地味ながら(「戦艦がいるぞ」という無言の圧力で)活躍した後、1944年6月にノルマンディー上陸作戦での防波堤として自沈させられた。
*64 日本のアレのような特攻兵器ではなく、二人乗りの小型潜水艇で港内に停泊している艦艇に時限爆弾を仕掛けて爆破する。
*65 Sir James Fownes Somerville(1882-1949) 英海軍の著名な提督の一人。H部隊司令官、東洋艦隊司令長官などを歴任。また1927年から1928年までウォースパイトの艦長であった。
*66 現在のモルディブにある環礁。当時イギリス海軍が泊地として整備していたが日本軍はそのことを知らなかった。2015年春イベントE-5「アンズ環礁泊地」の元ネタとされる。
*67 「 WARSPITE - FROM JUTLAND HERO TO COLD WAR WARRIOR 」に依る。文献により「Operation well executed」「There is no question」等文章に多少の差異がある。
*68 ユリシーズ号のクルーの会話で「オレ達はこき使われて、あの戦艦はどうして出撃しないんだ」と1人がボヤくと、相方が「スキムミルクとトマトニシンの空き缶が戦艦の回りを埋め尽くしていて動けないのさ」と返すやり取りがある。軽妙かつ凝った内容だが、ネタが判らないと理解し難いジョークである。
*69 上陸作戦単体の名称。侵攻作戦全体は「オーバーロード作戦」といった。
*70 曳航する場合曳かれる側のエンジンは使わないので、このようなことがよくある。実際、1953年にやはり解体のための曳航中にロープが切れたブラジルの弩級戦艦サンパウロは、現在に至るまで絶賛行方不明中である。
*71 第二次大戦開戦から1943年までのウォースパイトの行動距離は次のように記録されている。開戦の1939年9月から年末までの3か月:12,984海里。1940年:43,978海里。1941年:25,253海里。1942年:61,481海里。1943年:17,168海里。
*72 1.ユトランド沖1916年、2.大西洋戦線1939年、3.ナルヴィク1940年、4.ノルウェー1940年、5.カラブリア沖1940年、6.地中海戦線1940-1943年、7.マルタ島輸送船団1941年、8.マタパン岬沖1941年、9.クレタ島1941年、10.シチリア島1943年、11.サレルノ1943年、12.英仏海峡1944年、13.ノルマンディー1944年、14.ビスケー湾1944年、15.ワルヘレン島1944年。
*73 バトル・オナーは初代から代々艦名が受け継がれるごとに蓄積されていくので、航空機修理艦ユニコーンのように合計で15個持つ艦は存在する。ウォースパイトに次いで多数単艦で受勲しているのは、13個を獲得したリアンダー級軽巡洋艦オライオン、J級駆逐艦ジャーヴィス、トライバル級駆逐艦ヌビアンの3隻や12個を獲得したトライバル級駆逐艦ターター、11個を獲得したF級駆逐艦フォークナーやハント級駆逐艦ファーンデール程度である。