日向改

Cached: 2026-03-21 16:47:42 Last-modified: 2026-03-20 (金) 14:16:56
No.103
やっと時代が私に追いついたのか……。日向 改(ひゅうが)伊勢型 2番艦 航空戦艦
艦船ステータス(初期値/最大値)
耐久77火力63 / 86
装甲-- / 92雷装0
回避36 / 77対空45 / 92
搭載47対潜0
速力低速索敵24 / 60
射程30 / 79
最大消費量
燃料95弾薬105
艦載装備
1135.6cm連装砲
11瑞雲
11未装備
14未装備
改造チャート
日向日向改(Lv10) → 日向改二(Lv90+改装設計図x2+試製甲板カタパルト+戦闘詳報+新型航空兵装資材+開発資材x181)
図鑑説明
航空運用能力を付与された航空戦艦、日向だ。
レイテでも奮戦したぞ。
戦略物資輸送作戦「北号作戦」も思い出深いな。
ああ、そうだ、海自のDDH「ひゅうが」に名は受け継がれている。

※初期値はLvや近代化改修の補正を除いた時の数値であり、改造直後の値とは異なります。
最大値はLv99の時の最大値を指します。

CV:大坪由佳、イラストレーター:しばふ (クリックするとセリフ一覧が開きます)

CV:大坪由佳、イラストレーター:しばふ

定型ボイス一覧

イベントセリフ改装段階備考追加


 
 



 



追加
入手/ログインあなたが提督?ふうん。いいけど。伊勢型戦艦2番艦、日向よ。一応覚えておいて。××編集
伊勢型航空戦艦、日向。推して参る。××編集
改装航空戦艦、日向だ。うん、さらに航空艤装を強化した。
なに、心配するな。瑞雲の運用も可能だ。いけるな。
××編集
母港*1編集
母港1詳細君は何の為にここにいる?××編集
あ…君…まだ居たんだ。××編集
案じることはない。この航空戦隊……この日向がいる。××編集
母港2あ、君……いや、提督か××編集
単なる戦艦の時代は終わったな×編集
母港3私たちは何の為に戦っているのだろうね××編集
第一護衛隊群って…なんだ…××編集
そうだな……対空、そして対潜警戒も必要だろう……うん。××編集
ケッコンカッコカリ提督なんだその顔は……表面温度も上昇している。病気か?一緒に寝てやろうか?××編集
航空戦艦、いい響きだろ?わかるか、そうか…よし飲もう!今日は朝まで帰さんぞ×編集
ケッコン後母港まぁ、悪くない××編集
提督、少し疲れているのではないか? 人間も艦艇も同じだ、疲れたら入渠が必要だぞ。熱い風呂にでも入ったらどうだ?×編集
放置時あぁ、何だ、別に退屈はしていない。瑞雲の整備もあるしな。そう、瑞雲が。××編集
提督もそうか、やっと航空戦艦の有用性に開眼したか。いや、とても良い事だ。……うん、色々と話し合う必要があるな。××編集
編成出撃編集
編成戦艦日向、出る!××編集
四航戦、出撃するぞ!×編集
出撃伊勢のやつ、張り切り過ぎだ××編集
戦艦日向、出る!××編集
航空戦艦日向、推参!×編集
四航戦、出撃するぞ!×編集
開戦・攻撃*2編集
戦闘1昼戦開始撃つぞ、それっ!××編集
航空戦艦の真の力、思い知れ!××編集
日向、航空隊、発艦始め!××編集
戦闘2昼戦攻撃ん…至近弾…次は当てる××編集
そうだ、艦載機を放って突撃。これだ…×編集
戦闘3夜戦開始ま、ここで仕留めておくか××編集
面倒だな。ここで殲滅させてもらう。××編集
昼間の航空攻撃……そして、水上打撃部隊としての突撃だ。この立体的な攻撃こそ。××編集
戦闘4夜戦攻撃敵艦隊は、何のために攻めてくるのだ…?××編集
まあ…後部甲板は盾ではないのだが…××開幕航空攻撃編集
お返しだ。いくぞ!××編集
戦闘時ステータス*3編集
小破ちっ!××編集
当ててくるな…××編集
あぁ、やるな。だが戦闘航行に支障はない。××編集
おいおい、なんで五番砲塔なんだ?××編集
やっ、やるじゃないか…××編集
回避!面舵!面舵だ!××編集
中破/大破まあ…涼しいと言えないこともない…が…××編集
あぁ…この格好は、伊勢には見せたくないな…××編集
うぅ、航空艤装こそやられたが、戦艦としては健在だ。まだまだやれるぞ!××編集
轟沈あの世とやらを見てみるか…伊勢、しばしの別れだ……××編集
大破着底するのは 呉軍港内と決めていたんだがな…… まぁいい×編集
戦闘終了*4編集
勝利MVP私の攻撃が効果的だったのか…なるほど。悪い気持ちではない、が意味もないな××編集
そうか…やはりこれからは航空火力艦の時代だな…。最上の奴も頑張っているか?×編集
旗艦大破おいおい、なんで五番砲塔なんだ?××編集
やっ、やるじゃないか…××編集
回避!面舵!面舵だ!××編集
装備・改修*5編集
装備1改修/改造この強化、どう戦力に影響するか…××編集
まさかの航空戦艦の時代か?××編集
ふむ……なるほどな。××編集
装備2ん…悪くはない…良くもないがな。××編集
やっと時代が、私に追いついたのか…××編集
そうなるか……まあ、そうなるな。××編集
装備3改修/改造/開発/バケツ/遠征/発見まぁ、悪くない××編集
…まあ、そうなるな。××編集
その他編集
帰投艦隊が帰ってきたぞ。賑やかになるな××編集
艦隊が帰ってきた。全艦健在だといいな。×編集
補給この強化、どう戦力に影響するか…××編集
まさかの航空戦艦の時代か?××編集
補給か…まあ、そうなるか。×︎︎◯編集
入渠(小破以下)休める時に休む主義でね××編集
修理しても、ロクマル((SH60K))は積めないぞ。×編集
入渠(中破以上)ま、前線は伊勢に任せるさ××編集
VLS?いや、そんな武装は知らんぞ。×編集
建造完了我が艦隊に新入りだ。…酔狂な船だな××編集
我が艦隊に新顔だ。迎えに行こう。×編集
戦績表示連絡だよ。読むか読まないか好きにするといい××編集
君に連絡だよ。…いや、私ではない。×編集

各ボイス項目の詳しい説明はこちらをご覧ください


時報ボイス一覧


季節ボイス一覧


イベントセリフ改装段階備考追加


 
 



 



追加
桃の節句編集
春の訪れ編集
ホワイトデーふうん、義理堅いな。お返しか。貰っておこう。編集
編集
春本番編集
梅雨この季節はよく雨が降るな…。瑞雲に、支障が出るのはあまり好ましくないが…。編集
初夏この季節は嫌いではないな。伊勢……伊勢? ……なんだ、寝てるのか?編集
編集
盛夏暑いな。……あの呉の夏を思い出すな。……まあ、いい。編集
夏祭り編集
ほう……この祭り、悪くはない。伊勢、たまには楽しもう。編集
秋刀魚編集
晩秋編集
ハロウィン編集
秋のワイン編集
編集
師走編集
クリスマスん…これがクリスマス、なのか。ふむ…赤と緑、そして白か。悪くないな。編集
年末うん、そろそろ大掃除をしないとな。格納庫の瑞雲も…よく磨いてやらんとな。編集
新年謹賀新年。明けましておめでとう。伊勢、そして提督、今年もよろしく頼む。編集
節分編集
バレンタインそうか、ヴァレンタインというやつだな。仕方無い、特別な瑞雲をやろう。ほら。編集

二周年記念そうか…今日はおめでたい日なのだな。みんな嬉しそうだ。まあ…悪くないな。-編集
三周年記念そうか…今日はおめでたい日なのだな。みんな嬉しそうだ。まあ…悪くないな。-編集
五周年記念5周年か……悪くはないな。伊勢、提督、おめでとう。-編集
七周年記念遂に我が瑞雲隊も7周年か……ああ、まあそうなるな!編集
八周年記念遂に八周年。……おお……瑞雲も祝賀編隊か……まあ、そうなるな!編集
九周年記念遂に九周年。……おお……瑞雲の祝賀大編隊か……まあ、そうなるな!編集
十周年記念遂に十周年。……瑞雲と彗星の祝賀編隊か……まあそうなるな!編集



エンガノ岬決戦航空戦艦、日向。防空戦闘に抜かりは、ない-編集
伊勢。次の戦いは……厳しいことになりそうだ-編集
伊勢………まあお互い無事に帰れて何よりだ。-帰投編集
捷一号作戦伊勢は佐世保、私は舞鶴か。 ん?何のことだ?  ああ、確かに落ち着くな。 ある種、最前線でもある、か。-オフタイム編集


瑞雲祭りそうか、またこの祭りか。仕方ないだろう。うん。まあ、自然と、そうなるな。2018/2019.1編集
しかし……今度は水の上に浮かべた雰囲気で……おお……しかも、首都に近いエリアに展開するというのか……よしっ!2019.2編集



ゲームにおいて

  • 基本的な部分は伊勢改を参照されたし。
  • 伊勢と同様、史実ネタにかけて運の数値がさらに+15上昇している。

  • 改修工房で二番艦に置くと瑞雲系多数の改修が可能になる*6

アップデート履歴

キャラクター設定について

  • 台詞では姉や最上改をはじめ、航空戦力好きな一面を見せてくれる。
  • 「これからは航空火力艦の時代だな」「単なる戦艦の時代は終わったな」「艦載機を放って突撃、これだ」「まあ、そうなるな」「VLS?そんな装備は知らんぞ」
    などなど名言(迷言)が多く、提督同士の会話で上記のセリフやそれを改変したものなど、日向のセリフに由来する言葉がたびたび交わされている。
    • 期間限定ボイスなどで瑞雲への言及が多いことや上記の名言などから、ついたあだ名が「日向師匠」。艦これにおいて単に「師匠」と言えば十中八九日向のことを指す。
      二次作品では瑞雲の魅力について延々語ったり、航巡たち相手に瑞雲のレクチャーをしたりとやりたい放題。
    • Commandant Testeの放置ボイスで瑞雲を布教渡していることが判明、半公式化(?)されてしまった。
      • 真面目な話をすると、4スロ・甲標的不可・瑞穂を上回る搭載数 という特徴を持つCommandant Testeは手数と索敵を稼ぐ瑞雲や制空補助の水戦に対する適性が高く、日向の行動も、彼女の適性を見抜いた上での瑞雲布教であると考えられる。そうだと言ってくれ。
  • 今でこそ「日向=瑞雲」のイメージが強いが、彼女が「瑞雲」に直接言及したのは2014年の年末ボイスが最初であり、巷で言われているような瑞雲愛好家的な側面は、少なくとも表面上は見受けられないことに注意。
    彼女の言動は、戦艦の火力防御力と航空戦力の融合による「航空火力艦」推しである。
  • 2018/04/01、20分の1航空戦艦日向を建造していることが運営より発表された。エイプリルフールネタじゃないのが恐ろしい、運営は頭おかしい間に合えば第二次瑞雲祭りに投入とのことである。瑞雲祭りもまたやるんだ…
    • 2018/04/20、1/20日向が1/1瑞雲と一緒に一般公開された。海上自衛隊護衛艦ひゅうが艦長の、5周年お祝いコメントも同日に発表されたとかいう予想の斜め上を突き抜けていく展開であった。
      • なお、1/20日向に瑞雲は搭載されていない、20mm単装機銃を飛行甲板に並べた、いわゆるレイテ決戦仕様である。

期間限定グラフィック

  • 2017/06/23のアップデートにて、富士急ハイランドでのリアルイベント開催を記念して鎮守府「瑞雲」祭り【法被mode】が実装された。
    限定イラスト:法被mode

    限定イラスト:法被mode
    103_Fujiq.jpg

  • 2018/04/23より、第二次瑞雲祭り開催に合わせて同法被modeも第二次仕様で実装された。
    限定イラスト:法被mode(第二次瑞雲祭り)

    限定イラスト:法被mode(第二次瑞雲祭り)
    103_Zuiun.jpg

  • 2018/02/17、冬イベント開始と同時に、【エンガノ岬決戦】差分modeが改のみに実装された。
    • 通常の立ち絵は他の限定グラフィック同様、冬イベント終了後に図鑑に格納されたものの、
      通例は併せて格納されるはずの、カード状態に加工されたイラスト及び中破立ち絵は何故か図鑑に格納されていない。

小ネタ

  • 伊勢型戦艦2番艦「日向」が改装により「航空戦艦」になった姿。戦艦時代についてはこちらを参照のこと

「世界唯一の航空戦艦姉妹」その理想と現実

  • 日向の航空戦艦への改装は、姉の伊勢に遅れて1943年(昭和18年)5月より開始され、同年11月18日に完成している。改装に関する経緯についてはこちらを、改装内容に関してはこちらを参照されたし
  • 航空戦艦姉妹として生まれ変わったわけだが、例によって艦載機の配備遅延などで航空戦艦として即運用されることはなかった。
    • そもそも日向の改装完了時点では搭載予定だった彗星22型*7は完成しておらず、これらを運用する634空も開隊すらしていない状況であった。瑞雲も部隊配置は1944年(昭和19年)春からであり、そもそもこの姉妹に乗せれる艦載機自体が水偵以外存在していなかったのだ。
      • このため日向は改装完了後、伊勢と共に第十一水雷戦隊に所属し、訓練に明け暮れる事になる。

新編四航戦、レイテ沖海戦に推参!!

  • 1944年5月1日、漸く日本海軍は航空戦艦で構成する航空戦隊「第四航空戦隊」を編成する。司令官には日向艦長も務めた事があり、縁のある松田千秋少将が着任し、慣れ親しんだ日向に将旗を掲げた。
    鬼才、松田千秋提督
    • 松田千秋提督は海兵44期卒で、同期には蒼龍最後の艦長柳本柳作や、連合艦隊参謀黒島亀人などがいる。少尉時代に着任した戦艦河内の爆沈事故に遭遇するも生還、当時の尋問書がアジア歴史資料センターに残されていたいりする。⇒松田千秋尋問書
      生還後は当時練習艦の任を務めていた装甲巡洋艦吾妻乗り組みとなり、兵学校を卒業した少尉候補生たちの指導教官を務め、その頃指導を受けた者の中には武蔵最後の艦長猪口敏平や、瑞鶴最後の艦長貝塚武雄、そしてレイテ沖海戦で自身が乗艦する日向の艦長を務めた野村留吉などがいて薫陶を受けている。
      • ガチガチな印象の強い砲術出身で、軍令部第1部第1課課員時代には大和型戦艦建造の基本構想に関わっている。だが駐米武官の経験もある視野の広い指揮官*8で、総力戦研究所所員時代に所員たちによる研究で、現実の日米戦争における(原爆投下以外の)戦局推移とほぼ合致する「日本必敗」の結論を導き出したことは有名である。研究生採用試験にあたって現在も広く使われている面接という単語を提唱しりもしている。
    • 太平洋戦争開戦時は標的艦「摂津」*9の艦長を務めており、航空攻撃回避術*10と弾幕射撃術*11を研究し「空襲は全て回避できる」と豪語、航空攻撃に対する操艦マニュアルである「爆撃回避法」を作成している。
      • 後述するレイテ沖海戦時の野村艦長や中瀬伊勢艦長達は、このマニュアルを参考に、米軍の猛攻を「ほぼ無傷」で切り抜けている。
    • 1942年(昭和17年)2月20日、松田大佐は日向の30代艦長に就任、これが彼と日向との縁の始まりだった。
      • こちらで触れてるように艦長在任中の5月5日に、日向は演習中の5番砲塔爆発事故に遭遇している。この事故が遠因となり、伊勢型戦艦が航空戦艦に改装される事になるのだが、直後に行われたМI作戦では修理は間に合わず、とりあえず損傷した砲塔を撤去した上で鉄板で塞ぎ、臨時に機銃座を設けて出撃している。
        • 因みにМI作戦前の「第二段作戦図上演習」では松田大佐が赤軍(敵勢力)を担当したという。青軍(日本側)は松田の結婚時に仲人を務めてくれた宇垣纏連合艦隊参謀長が務めたが、松田は砲術屋ながら赤軍機動部隊を適切に運用、青軍の空母部隊に爆弾9発を命中させて大損害を与える結果をだしてしまう。だが宇垣参謀長の裁量で損失判定を訂正して1隻を復活させて続行させたりなどしたことで「もしミッドウェー攻撃中に米機動部隊の攻撃を受けたらどうするのか」といった史実と同じ問題提起を検討する事を止めてしまうなど、この図上演習は戦後「ミッドウェー海戦敗北の一因」として問題視されることの多い演習となった。
        • 一方、МI作戦時に日向に試験的に搭載されていた電探の実力を正しく認識し、電探の有効性を周囲に訴えたことで、採用・開発が加速したという逸話もあり、色んな意味で先見の明と行動力に富んだ提督だった。
    • 12月17日には連合艦隊旗艦である大和の3代目艦長に着任する。大和艦長の頃は翌1943年(昭和18年)2月11日の連合艦隊旗艦を武蔵への変更、ほどなくして起こった連合艦隊司令長官山本五十六大将の戦死などがあったが大和自身は出動することはなく、5月8日に内地回航となりトラック諸島をでて呉に帰港。この際自身が推していた達の搭載工事が行われている。
      • またこの時期に松田は自身の甥で海軍に入隊していた松田廣和少尉戦死の報に接している。
    • 松田は5月1日付で少将に進級、9月7日には大和艦長を退任して軍令部第1部第1課出仕兼大本営参謀となる
      この際「この戦はどうやっても負ける、ならばせめて艦長として戦いたい」と希望したそうだが、既に少将に昇進していてたため*12実現することはなかった。
      だがその代わりというべきか、前線勤務として松田に命じられたのが、第四航空戦隊司令官という職責であり*13、こうして松田提督は再び日向に戻ってきたわけである。
    • 戦後はその構想力を活かして会社経営、発明家として100個以上の特許を取ったという。
    • 1995年(平成7年)に99歳で死去。大日本帝国海軍の将官のなかで最後の生き残りであった。
  • 1944年(昭和19年)6月にはマリアナ沖海戦が勃発しているが、開隊まもない第四航空戦隊(4航戦)は訓練のため参加しなかった。マリアナ沖海戦は日本側の大敗に終わり、機動部隊の航空戦力はほぼ壊滅してしまう。この結果4航戦及び634空は日本海軍に残された唯一の「即応可能の航空機動戦力」となってしまった。
    海戦後、解隊となった2航戦から隼鷹龍鳳が編入され、4航戦は再建中の空母機動戦力の中で最も再戦力化が早い部隊(8月末には戦力化可能)と目されていた。だがそれも日本側の予想を上回る米軍の侵攻速度の前に瓦解してしまう。
    • 9月にハルゼー機動部隊の中南比方面への攻撃と、誤報から始まった混乱による大損害(ダバオ誤報事件)が起こり、次に発生するであろう米軍侵攻に対抗する作戦「捷号作戦」での主力として、サイパン攻防戦で壊滅しつつも再建していた第一航空艦隊は壊滅的打撃を受けてしまう。
      そして10月に入ると米機動部隊が沖縄、台湾等を空襲し「台湾沖航空戦」が生起する。戦いは大消耗戦となり日本側は米機動部隊に大打撃を与えつつも(実は誤認)、主力となった第二航空艦隊は手持ちの戦力をすりつぶしてしまい、早急の戦力補充が必要となってしまっていた。
      ここで連合艦隊は補充戦力の一つとして634空を充てる事を決定する。来るべき捷号作戦では航空戦力の一翼として戦う事が予定されている機動部隊側は「捷号作戦発動が近いのに引き抜かれては航空戦力が無くなってしまう*14」と猛抗議するが、連合艦隊司令部の「当面は機動部隊を出撃させることはしない」との口約束を受け、10月12日に634空と653空の台湾沖航空戦への投入を決定する*15
      • だが、その後とんでもない事態に発展する。航空戦力の提供を決定し、各機が南九州の作戦基地に移動して程ない10月17日、大規模な米軍艦隊がレイテ湾東にあるスルアン島を占領し、米軍のレイテ侵攻の兆候をえた連合艦隊は、捷一号作戦警戒を発令、関係各部隊に出撃の指示をだすが、つい先日「当面は使わない」と言っていた機動部隊にも出撃を命じてきたのである。この舌の根の乾かぬ内に約束を翻した連合艦隊司令部の行為に、機動部隊司令部の中には激怒する声も多かったという。
      • 南九州に展開した634空の各機は15日頃より航空戦に投入されていて、多くが損失したり台湾や沖縄などの各基地に帰還していたりしており機動部隊本隊への合流は難しい状況となっていた。このため四航戦所属艦艇のうち、隼鷹と龍鳳は搭載航空機を確保が無理と判断され待機*16となり、伊勢と日向は艦載機を未搭載のまま「戦艦」として出動する事になる。
  • こうして「小沢機動部隊」の1隻として出動する事となった日向であったが、松田少将が次席指揮官であったこともあり、状況によっては前衛部隊として別行動をとったりする役目もおっていた。そしてこの想定は現実化する。
    • 10月24日、日中に発見した米機動部隊への空襲は不調に終わるも、小沢提督は米機動部隊のさらなる北方誘致を企図し、松田少将率いる日向と伊勢に、秋月型駆逐艦4隻*17を加えた「松田支隊」を編成、前衛として更に南下させることにする。
      部隊は夕方より南下を開始するが、20時に栗田艦隊より「敵航空攻撃による損害のため、一時的に敵の空襲圏外に退避する」という16時発信の無電が届き、続報もない*18事からこのままでは自艦隊のみが敵中に孤立すると小沢提督は判断、21時27分に松田支隊に反転北上するよう指示、これをうけて支隊は合流のため北上を開始する。
      • 実はこの時闇夜のため敵味方双方気付かなかったが、松田支隊はシャーマン少将指揮下の空母エセックス・レキシントンを基幹とする空母部隊に至近距離*19まで接近していた。
        もし小沢艦隊に電文が届いていて、連携が上手く行っていたら日向と伊勢は南下を続け、この正規空母群と雌雄を決する夜戦が出来ていたかもしれない。ただ彼我戦力から見て遭遇した場合、松田支隊は壊滅していた*20可能性の方が高く、松田少将も戦後のインタビュー*21で「この時シャーマン部隊と遭遇していたら、彼我戦力差から見て多勢に無勢で全滅していただろう」という旨の発言をしている。
  • 松田支隊は翌25日7時には小沢艦隊と合流し、第四警戒航行序列の体形をとる。これは瑞鶴と瑞鳳の第五群、千歳と千代田の第六群の空母2グループを個々に随伴艦艇が囲んで対空警戒にあたる陣形で、日向は第六群の旗艦として後方に位置し前方左右に展開する千歳と千代田を防衛しつつ、部隊を指揮することになった。⇒陣形図
    • 第三次空襲までは敵は空母を目標としていて日向らには向かってくる事はあまりなかったが、空母が壊滅したあとの第四次空襲で大型艦である伊勢と日向が狙われた。その際の2隻は陣形図を見てもわかる通り日向は伊勢と別の群で行動しており、攻撃は伊勢に集中した事もあって日向に来襲した機数は10数機(日向戦闘詳報)程度で済んだ。
    • 第四次空襲時点で第六群は千歳を失い千代田は大破航行不能で戦列からはぐれ、多摩は損傷して単独で撤退、五十鈴と槇は落伍した千代田救援に向かったりしていて、霜月*22のみが日向に随伴していて小沢の率いる第五群に合流すべく北上している状況だった。
      17時15分頃より日向及び霜月に米艦爆10数機が接近し、22分より日向が対空戦闘を開始、霜月も攻撃を開始して2隻で4機の艦爆を撃墜したと報じている。被害は日向の両舷側の前中部に落着した至近弾7発のみで、以後米艦載機は伊勢の方に向かい、日向らに向かってはこなかった。霜月も至近弾約10発の損害で済んでいる。
      • 命中こそなかったとはいえ、10数機の爆撃で至近弾を計17発を与えている米軍の精密な爆撃も評価に値する。
    • 海戦は小沢艦隊が囮作戦を果たしていたことが他部隊に全く連絡が届かなかった*23事もあって、半壊状態だった栗田艦隊が突入を取りやめた事で作戦中止となり、無謀な突入作戦は失敗に終わった。
      • 松田提督は戦後になり
        「帰路沖縄に寄港した際に小沢長官と会ったが、その時小沢は『栗田が再突入をしていたことは知らなかった』と言っていた」
        と証言している。これは前述している栗田艦隊が24日に再突入を開始した事を把握できる電文を小沢が傍受していなかったことを示唆しており*24、小沢は栗田艦隊が突入しているのか把握できないまま25日を戦っていた事を示している。25日の小沢艦隊の囮作戦成功の電文がどこにも届かなかった要因として、「小沢艦隊側も電文をちゃんと正確に、かつ傍受漏れが無いように何度も連絡する事をしていなかった」ことも戦史叢書などで挙げられているが、それにはこの「小沢は栗田艦隊が再突入していることを知らなかった」事が一因では?とも考えられている。

レイテ海戦後も危険海域をあっちこっち

  • 海戦後一旦内地に戻った4航戦は、「飛行機積んでないのにこんなもんがあったら主砲射撃の邪魔だ」と射出機を撤去され、航空戦能力を失った。そして輸送任務に従事するため再び東南アジアへと進出することとなる。
    旗艦日向の頭文字から「H部隊」と名づけられたこの部隊は、日向・伊勢の四航戦と軽巡五十鈴を旗艦とする第31戦隊(五十鈴の他に駆逐艦霜月・涼月・桐・槙・・桑・)を伴って11月7日に呉を出港、フィリピンのマニラに向かう。
    • だが台湾の馬公に寄港して程ない13日、マニラを米軍の大編隊が襲撃、那智を含む多くの在泊艦艇が犠牲となってしまった。このままマニラに進むのは自殺行為であると考えた部隊はここで解散し、日向ら4航戦と霜月、梅、桐は新南群島に、残りは空襲を警戒しつつマニラに向かう事になった。
      日向は14日には新南群島に到着し、ここで搭載物資、人員を第一輸送戦隊の一等輸送船3隻に移載する。翌15日、長らく空母機動戦力として活動していた「第三艦隊」は解隊となり、同時に「第一機動艦隊」「第三航空戦隊」「第十戦隊」といった関連組織も相次いで解隊となる。だが「第四航空戦隊」については戦艦部隊として残置され、所属を「第五艦隊」に変えたうえで米軍に対して抵抗を続けていく事になる。
  • 第五艦隊所属となった日向は、同艦隊内で最大の戦力となったが、制海空権を失い満足な燃料もない状況下で低速な戦艦を運用できる情勢などほとんどないと言ってよかった。
    2隻は新南群島から仏印のカムラン湾に移動し、第五艦隊の主力*25と合流したが、12月の米軍ミンドロ島侵攻の際は上陸地点への殴り込み作戦「礼号作戦」が企図されたが鈍重な2隻はこれに加わらず、二水戦を中心とした部隊が突入に成功するのを見守るだけで終わってしまった。
    • 一方で米軍は四航戦をフィリピン戦線の懸念材料*26と考えるようになっていた。実際のところ礼号作戦での米軍の損害はたいしたものではなく、ミンドロ島占領も予定通りに進んでいたのだが、米軍にとって「懐に入られた」という事実は大きな懸念となっていた。
      米軍は日向と伊勢が南シナ海一帯に展開している事は把握しており、もし突入してきた艦艇にこの2隻が居てたとしたら、大きな損害を被っていたと考えていたのである。
    • そこで米軍は南シナ海一帯に展開している日向以下日本艦艇を撃滅してフィリピン戦線の安全を確保する「グラティテュ―ド」作戦を発動、1945年1月9日今までは潜水艦しか侵入できていなかった南シナ海に大規模な機動部隊を侵入させる。
      だが、肝心の日本艦艇は、既にカムラン湾を引き払い昭南(シンガポール)に移動した後だった*27
      大きく空振りしてしまった米機動部隊は、代わりにとばかり周辺に避難していた日本の輸送船団に対していく度にわたり攻撃を実施する。この被害は甚大で、以後日本本土と南方との物資輸送は壊滅状態*28となってしまう。
      • 主力艦艇への損害自体はギリギリで退避できたことで大きくはなかったが、輸送船団の損害は日本にとって致命的なものだった。ここにきて日本海軍は南方方面に主力艦艇を展開するのを諦め、残存戦力を本土に集結させることを決断する。
        昭南に集結した残余艦艇のうち、日向ら4航戦と軽巡大淀、二水戦残余の霞、朝霜、初霜の計6隻が即時本土への帰還が決定する*29が、その際少しでも本土に物資を送るべく、物資人員をできるだけ搭載して帰還する事とされた。こうして日本海軍が企図し実行、成功させた最後の作戦「北号作戦」が開始された。

奇跡的な成功~北号作戦

  • この頃の4航戦は解隊となった第五艦隊*30所属から、「第十方面艦隊*31」所属となっていた。
    2月7日、リンガ泊地から昭南に移動してきた本土帰還艦艇は直ちに物資の搭載を開始、部隊名は「作戦を完遂する」という思いから「完部隊」と命名された。大きな格納庫を持つ伊勢と日向には大量の航空燃料や物資が搭載され、準備の整った6隻は2月10日夕刻、在泊艦艇に見送られ昭南を出航した。
    全滅覚悟の作戦だったが、最終的に20日に全艦無事に呉に帰投する。無傷で生還した彼女らを見て海軍上層部は狂喜乱舞したそうな。
    • 詳細についてはこちらに記述されているので割愛するが、護衛戦闘機や哨戒機の支援なき過酷な任務であったが、米軍側もこの時期「硫黄島の戦い」で艦艇をその方面に張り付けていて、完部隊と渡り合えるだけの水上艦隊がこの方面にいなかった事や、悪天候に助けられて敵陸上機の襲撃を幾度となく躱す事が出来たのが大きかった。
      また地上からもなけなしの戦力で哨戒支援をしてくれたり、部隊でたった2機*32しかなかった水偵が活躍してくれたのも作戦成功に大きく貢献したという。
      だが、6隻で奇跡的に本土に輸送する事が出来た燃料物資の量は「中型輸送船1隻分」程度でしかなかった*33。その程度の量でも狂喜乱舞しているという事実が、この頃の日本の末期的な状況を表している。
      • 因みに道中で日向は、伊勢に攻撃を仕掛けようと浮上追跡していた*34米ガトー級潜水艦「バッショー(SS-241)」に向けて、距離2万2千mで主砲を発射、初弾が1マイル(1600m)以内に着弾した(米側記録)事で驚いたバッショーは急速潜航して退避したため襲撃機会を逃してしまったという話が残っている*35
      • 2万メートル以上先にいる潜水艦という小さな目標に初弾命中など元からできることではない。
        「その気になったらいつでも反撃できるぞ」という意思表示を込めた威嚇目的であり、うまくいったわけだが、これが
        日本海軍の戦艦による艦船目標に対して行った最後の主砲発射
        となった。
      • 松田提督は戦後こう回想している。
        「富岡君*36がわざわざ呉に来てね、おかげさまで助かります、と言った。呉に入って大和の伊藤第二艦隊長官*37に挨拶に行ったら、油は全部おれのところへくれ、と言われた。そこであるだけ全部を大和に移した。大和はそれで沖縄特攻に出て行ってしまった。だから建艦を立案して大和を産み落としたんもおれだし、大和に末期の水をくれてやったのもおれだ、と私(松田)は言うんです」*38
  • なお、この「北号作戦」には対になる作戦「南号作戦」が存在している。この作戦は残された輸送船らで小規模の船団を編成し、本土への物資輸送を強行するというもので、それまで10隻前後で組んでいた船団を1~数隻で組み、被発見率を落として本土への輸送を強行しようとしたものだった。
    • 1月下旬から3月にかけて、計11度に渡って船団を派遣したが、残存するタンカー等を多く失う結果に終わり、3月末から米軍が南西諸島に侵攻してきたこともあり作戦は中止、南方航路は完全に封鎖される結果となった。
      南号作戦での船団と経過一覧

      赤字は損失、自沈した艦船

      船団名所属輸送船護衛艦艇出港日時・場所結果
      ヒ88A船団・タンカー:せりあ丸・駆逐艦:桜、
      ・海防艦:41号、205号、笠戸、沖縄
      ・駆潜艇2隻
      1月20日(昭南)成功
      ヒ88B船団・タンカー:大越丸延喜丸
      ・貨物船:辰珠丸*39
      ・海防艦:能美、60号
      ・哨戒艇、駆潜艇各1隻
      1月28日(昭南)辰珠丸のみ成功
      ヒ88C船団・タンカー:延長丸、大江山丸
      ・貨物船:聖川丸*40
      ・海防艦:干珠、三宅
      ・掃海艇1隻
      1月31日(昭南)成功
      ヒ88D船団・タンカー:延元丸大暁丸
      ・貨物船:治靖丸
      ・海防艦:屋久、13号、31号2月4日(昭南)サイゴン到着後解散
      ヒ88E船団・タンカー:延慶丸、神祐丸・海防艦:132号
      ・哨戒艇:104号
      ・駆潜艇:63号
      2月11日(昭南)成功
      ヒ88F船団・輸送船:栄丸、福栄丸・海防艦:能美、60号
      ・掃海艇:34号
      2月11日(昭南)成功
      ヒ88G船団・タンカー:第一弥栄丸、第二高砂丸、第三十南進丸*41・海防艦:31号
      ・駆潜艇:20号、34号。35号
      2月14日(昭南)ツーランでヒ88H船団と合流
      ヒ88H船団・タンカー:永昭丸日翼丸、鳳南丸*42第一弥栄丸、第二高砂丸・海防艦:屋久、13号
      ・駆潜艇:20号
      2月16日(昭南)ヒ88Gと合流。第二高砂丸のみ本土到達
      ヒ88I船団・タンカー:山国丸宝泉丸第六高砂丸第二十一南進丸
      ・貨物船:第二伏見丸開南丸*43
      ・駆潜艇:9号、33号
      ・敷設艇:立石
      3月5日(昭南)駆潜艇9号以外全滅
      ヒ88J船団・タンカー:さらわく丸海興丸阿蘇川丸鳳南丸
      ・貨物船*44:荒尾川丸、天長丸、北上丸
      ・駆逐艦天津風
      ・海防艦:満珠、1号、18号、26号*4584号130号、134号
      ・駆潜艇:9号、20号
      3月19日(昭南)タンカーは全滅、残存護衛艦艇はホモ03船団に合流
      ホモ03船団・貨物船:第二東海丸甲子丸・駆逐艦:天津風
      ・海防艦:満珠1号134号
      ・駆潜艇:9号、20号
      4月4日(香港)駆潜艇2隻を残して全滅
      ヒ96船団・タンカー:光島丸*46、富士山丸、あまと丸・海防艦稲木、8号、66号、81号2月22日(昭南)タンカー1隻戦没残りは本土に到着

燃料がなくては・・・しかし日向は死なず

  • こうして北号作戦を完遂した日向だったが、自身の燃料すら譲ったため損傷無く健在であるにもかかわらず行動能力を失ってしまい、昭和20年3月1日、ついに第四航空戦隊は解隊となった。
    • 司令官の任を離れた松田提督は、その後横須賀海軍航空隊司令となり、その職で終戦を迎えた。
      • 以後日向は「第一予備艦」に指定され、二度と戦隊を組む機会は訪れなかったのだが、開戦以来「第二戦隊」「第十一水雷戦隊」「第四航空戦隊」と数々の戦隊で旗艦を務めていた際には
        日向の直接指揮下の艦艇には一隻も損失がない
        という、特に戦争末期に活動した艦としては非常に幸運な記録を持つ(厳密には、礼号作戦の折、日向は出撃する足柄から第五艦隊兼第二遊撃部隊の旗艦を引き継いだ時期があり、その期間中、直接の指揮下ではないが第二遊撃部隊所属の二水戦麾下の駆逐艦清霜が礼号作戦中に戦没している。))。
        戦艦時代の事故連発が嘘のようである。航空戦艦となってからは「無事之名艦」とでもいうべき活躍だった。艦娘としての日向が、戦艦時代よりも航空戦艦に改装された時の方が吹っ切れたように明るく見えるのは、この辺りを意識したものなのかもしれない。
  • 彼女は数少ない生き残りとなった榛名ともども予備艦として呉鎮守府近海に停泊する日々を送る。だがグラティテュ―ド作戦で肩透かしをくらい、北号作戦で本土帰還を許す失態を演じてしまった米海軍は、3度目の正直とばかりに日向達に襲い掛かってきた。
  • 予備艦指定から間もない3月19日、呉一帯を米艦載機による大規模空襲が行われた。所謂「呉軍港空襲」の始まりである。
    • この空襲で日向は爆弾3発を被弾する。燃料も足りず動く事の出来ない身では反撃の砲火を上げるだけで手いっぱいでどうしようもなかった。
      4月になると米軍は沖縄に侵攻、これに対して海軍は大和以下の第一遊撃部隊を沖縄に突入させるが、こんな状況の日向には参加する事もできなかった。
      沖縄の戦いがほぼ決着がついた7月になると米機動部隊は再度呉に大規模な空襲を実施する。
      24日の空襲では日向は大損害を被り艦長草川淳少将以下死傷者800余名((戦死が艦長以下204名、負傷約800名])という「残留していた乗員の7~8割」に相当する乗員に被害が出てしまう。
      • 多数の至近弾が弾薬誘爆を引き起こし、浸水も止められず日向は26日に着底してしまう。だが残存クルーが無事だった機銃と12cm対空噴進砲で28日の空襲にも応戦し、終戦まで戦い続けた。
        航空写真を見ると甲板の半分近くが水面下だが、それでも迎撃を行った乗組員の根性には頭が下がる。
    • 戦後、アメリカ軍が着底した日向を調査した貴重な映像がカラーで残っている。艦首は吹き飛び、飛行甲板も直撃弾で滅茶苦茶に破壊され、艦橋もボロボロのままで佇む姿は、いかにこの空襲が激しいものだったかを伝えている。
      しかしここまで破壊されても、戦艦の命とも言える主砲は4基とも最期まで無事であった。
      • 日本海軍の「軍艦」で、終戦まで軍艦旗を掲げて姉妹揃って生存していたのは伊勢型のみである。

戦後解体・・・大変だったんです

  • 戦後に復興資材として引き揚げられ解体されたが、この時の逸話がまた凄まじい。
    解体するために引き取ったスクラップ業者が、作業のために日向を浮揚させたところ、これに目をつけた鉄泥棒が艦内に侵入。泥棒が砲金でできたバルブを叩き壊すと、浸水してまた着底してしまった。生涯二度も着底した軍艦など、探してもそうはいないだろう。
    • なおこの出来事はちゃんと「事件」として裁判になったのだが、浮揚したとはいえ航行能力のない船は、刑法260条(建造物等損壊の罪)でいうところの「艦船」になるのか?という議論がわき、結局「艦船」ではなく「建造物」として裁かれたという。(窃盗未遂器物毀棄被告事件 広島高等裁判所昭和28年(う)第196号
      • 海底に6年間も沈んでいて錆で腐食し、さらに3分の2を撤去されていたためもはや航行能力はないという理由で艦船ではないとされ、さりとて下甲板以下の巨大な構造をまだ残しており、さらに毎日7,80人ほどの作業員が解体作業のため出入りしており、地上ではないとはいえ一定の場所に係留されていたため単なる器物やスクラップの塊とも見なされず、結果として建造物扱いを受けるに至ったようだ。
    • さらに昭和21年7月30日、浮揚作業員の待機所として使われていた丙型海防艦「第五九号海防艦」が、荒天のために日向と接触して沈没してしまうという事故も起きている。
      人災天災の連続で、日向1隻を浮揚する作業で逆に2隻が着底してしまったという、非常に困難な作業だった。
    • その後生涯2度目のサルベージを受けて、昭和22年7月4日、播磨造船所呉ドックにて解体が完了。長年「日本海軍の主力」として愛され、太平洋戦争末期の困難な時期を戦い抜いた日向は、こうして日本から姿を消したのであった。
  • 呉海軍墓地にある「軍艦日向慰霊碑」とは別に、この困難だった浮揚解体作業を記念する「伊勢日向浮揚解撤記念碑」が、広島県呉市音戸町にある。
    また、日向が着底した海域が見渡せる情島の海岸には日向殉忠碑が建立されているが、此方は徒歩等では近づく事はできない。
  • 唯一残された航海灯と軍艦旗が大和ミュージアムに所蔵されている。

海上自衛隊新世代DDHの1番艦・・・その名は「ひゅうが」

  • 時は流れ平成の世、横浜で1隻のヘリ搭載護衛艦が竣工した。
    護衛艦として初めての全通甲板を持ち、自衛艦として初めて統合司令部機能*47を備え、災害派遣でも活躍できるよう医療体制も完備し、
    また初めて女性自衛官が乗り込むことを前提に設計された船でもあり、まさに革新的な新世代護衛艦だった。
    • その記念すべき最新鋭護衛艦にDDH-181「ひゅうが」と名付けられた。海上自衛隊として初めての旧国名採用であった。
      • 後に完成する2番艦には「いせ」と命名。2人は次代でも姉妹となったのである。今度は日向が姉だけどね
    • 「ひゅうが」の多目的室の一角に、ひゅうがと、その背後で守護神のように見守るかつての伊勢型航空戦艦の絵が展示されている。贈呈者はかつての敵手であったアメリカの企業*48であった。実は後ろで見守っている戦艦なのだが、後部マスト上部の取り付け位置から察するに日向ではなく伊勢だったりするのだが、まあいいか。
    • またこの時、宮崎県(旧日向国)から「日向の名を持つひゅうがの活躍を県民一同期待して」という祝電と共に東国原英夫(そのまんま東)知事(当時)のサインが贈られている。
      • 東日本大震災の際「ひゅうが」は竣工直後で参加が間に合わなかった「いせ」の分まで、航空運用力を最大に活かして東日本大震災の救援活動に奮闘している。
        さらに、平成28年の熊本地震においても、「ひゅうが」は熊本沖で救援ヘリのプラットフォームとして大活躍してくれた。
  • 2018年(平成30年)6月1日、門司港における「ひゅうが」の一般公開に合わせて、艦娘「日向」をアレンジした「ひゅうが」modeがお披露目された。

余話

  • 戦艦に空母と同様に航空機を搭載するというコンセプトはリアルの軍隊では「扱いずらい兵器」とみなされる事が殆どであるが、フィクション作品等では「定番の設定」としてフィクション内の軍隊で採用されているパターンが殆ど。航空火力艦のロマンは、現実・創作を問わず脈々と受け継がれるのである。
    • 未来を扱うSF作品においても登場する戦艦(海上、宇宙問わず)の殆どは航空機または機動兵器を複数基搭載する能力を持つものが殆ど。「宇宙戦艦」の代名詞である「宇宙戦艦ヤマト」ですら、ヤマトは1作目より艦載機を多数搭載する、実質「航空戦艦」として登場しているし、「機動戦士ガンダム」に搭乗するガンダムの母艦「ホワイトベース」も当初は「宇宙戦艦」である*49
      • 特に「宇宙戦艦ヤマトシリーズ」は敵味方共々「水上艦艇をモチーフにした宇宙艦艇同士が、近代海戦のような戦いを宇宙でする」という作品なので、空母だの駆逐艦などが数多く出演している。中には「戦艦の後部を飛行甲板にして航空機運用能力を強化した」という、航空戦艦時代の日向らをオマージュしたかのような艦も登場している。
        因みにこの艦、作中では固有艦名は登場せず、「空母」「地球側空母」としか呼称されていないが、2021年に公開された『宇宙戦艦ヤマト2205 新たなる旅立ち』ではドレッドノート級*50戦艦の流用・派生型の戦闘空母として登場した。その際固有艦名もつけられたが、ついた名前はDCV-01 ヒュウガ。やっぱりというかなんというか…
        作中ではヤマト、補給艦DAOE-01 アスカと共に第65護衛隊を編成してイスカンダル及びガミラスへ向けて旅立った…と思ったら未知の勢力・デザリアム*51との戦闘に巻き込まれることになった。続編となる『ヤマトよ永遠に REVEL3199』でも登場している。
  • 太平洋戦争前の頃、日向は連合艦隊の砲撃訓練でいつも最優秀な成績をおさめる最優秀艦であった。その理由の一つにこの頃の射撃長に後に戦艦大和の射撃手として竣工以来沈没まで務める事になる「村田元輝」兵曹長という方の存在があったという。⇒射撃手については此方を参照
    • 兵からのたたき上げで、かつ射撃の研究に熱心だった村田兵曹長は、この頃は射撃手として海軍内で1.2を争う人物だったという。そんな人物を「世界最強の主砲」を搭載する戦艦大和の射撃手として、欲しがらない訳がなく、村田は特務少尉に昇進のうえ大和射撃手に着任、以後大和が沈没するまで射撃手を務めあげ、生還後はなんと古巣の日向の射撃手に戻り、そこで終戦を迎えている。
      • 村田が戻った時点で日向は3月19日の空襲での損害が癒えておらず、7月の空襲では辛くも生還するがガスにやられて一時は意識不明になるなど危機的な事態も経験している。8月6日の広島市への原爆投下も、大破した日向の艦内で目撃したという。
    • 村田氏については、児島譲作「戦艦大和」にて詳細が描かれている。村田氏へのインタビューを基に、進水から沈没までの大和の一生を村田氏の目線から描いている同著では戦艦の砲撃に関する専門的な説明から、普段の大和艦内で起こった様々な出来事(自身の体験談含む)が描かれていて、記録集や軍紀ものにはない面白さがある。

この艦娘についてのコメント

  • いつの間にか母港ボイスが変わってる?「あぁ、この改装後の航空甲板か。この航空甲板にはな・・・。んっ、説明いらないか?」 -- 2019-11-25 (月) 18:22:10
    • 突然消えたし節分時期の限定ボイスだったのでは? -- 2024-03-04 (月) 20:58:22
  • 海上保安庁「積みたいのはわかるが余り調子に乗らない様に海上自衛隊さん」 -- 2019-12-01 (日) 00:49:08
  • 特別な瑞雲もらっちゃった…… -- 2020-02-28 (金) 19:38:15
  • ホーネットがMVPとるたびに日向の顔が浮かんできて困る -- 2020-08-22 (土) 23:06:04
    • まあ、そうなるな。 -- 2020-08-22 (土) 23:16:02
  • ネタ枠としても優秀だけど、辿ってきた経歴が壮絶なこともあって日向師匠一番好きだなぁ。そろそろ結婚できる。 -- 2021-03-03 (水) 22:57:07
  • 改修に必要でやっぱいないと困る伊勢型改 -- 2021-06-26 (土) 20:15:44
    • うちは支援要員の戦艦伊勢日向・改修要員の伊勢日向改・本妻の伊勢日向改二を取り揃えております。全部結婚済み -- 2021-07-15 (木) 19:10:24
    • イベントで航空戦艦使いたいけど改二型は温存しときたいって場面で便利だぞ(扶桑型改二を使えという話かもしれんが… -- 2021-07-15 (木) 19:19:16
  • 来月ハセガワから、1/700航戦日向の新製品でるね -- 2021-09-02 (木) 19:23:02
  • 大和改二も追従して真なる航空戦艦の時代が来たな… -- 2022-06-08 (水) 20:17:06
  • 遼寧が改二(ワリャーグ→遼寧→)で航空戦艦に…て無理ですよね。こっちとしては迷惑なだけだし。 -- 2022-07-11 (月) 14:16:35
  • 改修用にやっぱ改がいるなぁ… -- 2022-11-20 (日) 19:26:28
  • なんか今でもチョイチョイ改修員として必要になる時がある。コンバートって訳じゃにゃいから2隻持ちとかしたくないんだけど。 -- 2022-12-03 (土) 18:50:29
    • 1週間に何度か観る程度には比較的掘りやすく改装も早いのが救いなんだけど -- ? 2022-12-03 (土) 18:51:21
  • はて?「第一護衛隊群」じゃなくて、日向が話題にするなら「第三護衛隊群」じゃないのか?何年間ボイス放置してるんだか・・・。 -- 2024-01-21 (日) 00:32:15
    • 護衛艦ひゅうがさんの時代は終わってしまったんだぁ(´・ω・) -- 2024-03-04 (月) 20:34:31
  • 瑞雲12型、零式水中聴音機、カ号観測機、オ号観測機改 で先制対潜できないのですがどうやったら先制対潜できるようになりますか? -- 2025-10-17 (金) 20:49:21
    • 改ではどんな装備を積んでも先制対潜は不可能です。改二改装を行えばいくつかの方式でできるようになります。 -- 2025-10-17 (金) 21:18:55
  • びっくりしたわ 巫女服師匠、めっちゃ美人! -- 2026-01-01 (木) 10:34:50
  • 今の母港1ボイス「あぁ、この改装後の航空甲板か。この航空甲板にはな……えっ、説明いらないか。」って、節分ボイスなのか?? -- 2026-02-02 (月) 01:07:08

*1 母港ボイスは各艦娘につき3つ割り当てられています。「詳細」ボイスは編成画面の「詳細」ボタンをクリックすることで聞くことが出来るボイスです。母港画面でも聞くことが出来ます。「母港3」ボイスは「母港画面でのクリック」もしくは「母港画面への遷移」でのみ聞くことが出来る、いわゆる「提督お触りボイス」です。編成画面での「詳細」ボタンでは聞くことが出来ません
*2 4つの基本ボイス(昼戦開始・昼戦攻撃・夜戦開始・夜戦攻撃)がありますが、各ボイスはその他の色々な場面でも使われます。各ボイスをどのフェーズ(航空戦/開幕雷撃/先制対潜/昼戦攻撃/各種CI...など)に割り当てるかは艦娘によって異なり、例えば開戦ボイスを攻撃でも使ったり、夜戦攻撃ボイスを昼戦でも使ったりします)
*3 「小破」ボイスの2つ目と戦闘撤退時の「旗艦大破」ボイスは共用化されています
*4 「小破」ボイスの2つ目と戦闘撤退時の「旗艦大破」ボイスは共用化されています
*5 装備ボイスは3ボイスありますが、改修/改造ボイスと共用化されています。また、ボイス3は「改修/改造」「開発」「バケツによる即時修復」「遠征出撃」「アイテム発見」ボイスと共用化されています
*6 瑞雲12型系列と瑞雲改二(六三四空)は不可。瑞雲12型は最上改二、瑞雲改二(六三四空)は日向改二で改修可
*7 元々の彗星艦爆はカタパルト射出は考慮されておらず、期待構造等を強化する必要があった。22型はこれに対応するタイプであった
*8 但し松田氏自身はアメリカ嫌いだったとか
*9 河内型戦艦2番艦、金剛型の一世代前で、日本最初で最後の弩級戦艦。ワシントン海軍軍縮条約で退役となるが標的艦として生まれ変わることになる。爆撃演習時の爆弾等に耐える装甲と、乗員の安全確保のため無人操縦設備を持つ。戦争末期m日向と同じく呉軍港空襲で着底した。なお、1番艦河内は前述の通り松田氏が少尉時代の乗艦で、弾薬庫の爆発事故で喪失している。
*10 敵機が急降下爆撃の態勢を取ると同時に急転舵すると言うもの。
*11 高射砲や対空機銃が各自敵を狙うのではなく、高射長が指定した目標に向かって一斉に弾を撃ち込み、弾幕を張ると言うもの。
*12 艦長は原則として大佐が任命される。松田のように艦長在職中に少将に進級することはあっても、少将が艦長に任命される事はありえない
*13 戦隊司令官は少将が任命されるのが通例なので問題はない
*14 この補充は634空だけでなく653空の投入も指示されており、この2隊を供給してしまうと、機動部隊には最も練成が遅れている601空鹿手持ちの戦力が無くなってしまう
*15 派遣戦力は最終的には634空で零戦59機、彗星17機、天山17機、瑞雲18機。653空は零戦88機(爆装零戦含む)、天山40機、99艦爆9機
*16 但し隼鷹は搭載燃料を出撃艦艇へ配分する事になり、本土を出撃するまで随伴
*17 初月秋月、若月、霜月
*18 実際には栗田艦隊は再反転してレイテ湾に向かって進撃しており、そのことがわかる電報も打電し軍令部や連合艦隊も知っていたが、小沢艦隊だけには届いていなかった
*19 最至近距離は25kmほどと言われている。伊勢・日向の有効射程距離圏内である。
*20 日本側は火力が開戦時より劣る戦艦2隻に対空戦闘に特化した駆逐艦4隻なのに対し、シャーマン部隊は護衛戦力だけでも16インチ砲搭載の戦艦サウスダコタマサチューセッツに軽巡4隻、駆逐艦14隻の大戦力であり、まともに勝てるような相手ではない
*21 「艦長たちの太平洋戦争」より。
*22 秋月型駆逐艦7番艦。この時から海戦後の南方進出まで日向と行動を共にしている
*23 小沢艦隊が発した電文は小沢艦隊所属艦艇以外には軍令部も含め何処にも着電しなかった
*24 前衛として本隊から離れて南下していた松田支隊の記録にはこの電文を傍受している記録はあるが、その後松田支隊が本隊と合流して以降、松田の乗艦する日向は小沢の座乗する瑞鶴とは別隊として行動しているので、松田側が小沢にこの電文の事を伝えれる状況ではなかったと思われる(そもそもそういう情報の共有をするだけの時間的余裕もなかっただろうが…)
*25 足柄や羽黒など
*26 レイテ沖海戦後東南アジアに展開していた戦艦は四航戦の二隻のみだった事、またその海戦での激しい航空攻撃をほぼ無傷で乗り切ったので四航戦を「練度も高い危険な有力艦隊」と見ていた為。
*27 12月30日に行われた事前偵察をみて、米軍の大規模空襲の予兆と判断した日本側が昭南への集結を命じたので、伊勢らは1月1日には昭南沖合のリンガ泊地まで移動していた
*28 損害の総計は特設艦船および輸送船54隻(240,962トン)が沈没、艦艇は軽巡洋艦1隻を含む18隻が沈没。航空機が最低でも約207機が破壊された
*29 この他に重巡高雄妙高足柄羽黒天津風が昭南にいたが、足柄と羽黒は昭南周辺の拠点への輸送作戦に従事するため残置され、高雄と妙高は損傷していたので「修理が済み次第なるべく本土に退避する事」とされ、天津風も応急修理後残存船舶で行われる輸送作戦に護衛として参加して本土に向かう事になっていた。だが2隻の修理は結局行われずそのまま終戦を迎え、天津風は船団護衛中に力尽きて戦没、足柄と羽黒は周辺海域で輸送作戦に従事して相次いで撃沈された
*30 2月5日に解隊
*31 同方面を長らく管轄していた南西方面艦隊が、米軍のルソン島侵攻で司令部を置いていたマニラが戦場になり、他方面で活動する麾下部隊への指揮が出来なくなった事で、そういった部隊をまとめる艦隊として急遽編成された艦隊。仏印(インドシナ)に駐留する第一南遣艦隊と、蘭印(インドネシア)の防衛を担当する第二南遣艦隊及び第十三航空艦隊、そして第五艦隊解隊により前線に取り残された4航戦など第五艦隊残余艦艇が集まって編成された
*32 共に大淀所属機
*33 いくら艦載機用格納庫を持っているとはいえ、格納庫容積全てに物資を詰めれるわけではない(そんなことをしたら高重心となって日向は転覆してしまう)のだから、物資輸送を企図して設計されていない軍艦としては致し方ない事ではある
*34 当時のほぼ全ての潜水艦は、潜行中よりも洋上航行のほうが速力が速い。ガトー級潜水艦も然りで、洋上のほうが2倍以上の速力が出せる。なので、当時の潜水艦の襲撃方法は、遠方の敵艦を見つけたら、洋上航行で高速で追跡して先回りし、潜行して懐に潜り込んでから雷撃という襲撃方法が一般的であった。
*35 日向は側は撃退と記録
*36 富岡定俊少将。松田の1期下の海兵45期。大淀初代艦長で当時軍令部第一部長。主に残された艦の燃料がなくなることを理由に沖縄特攻に反対していた。戦後降伏文章調印式に出席。
*37 伊藤整一中将。海兵39期。
*38 『歴史と人物』 昭和56年5月号より。
*39 サンジャックまで同行
*40 舟山列島沖まで同行
*41 サンジャックまで同行
*42 サンジャックに向かうため途中分離
*43 当時は特設駆潜艇
*44 貨物船は全てサンジャック行き
*45 中破し戦線離脱
*46 道中損傷し香港で修理の後帰還
*47 陸海空三自衛隊を統括指揮できる前線の最高司令部機能
*48 米企業とは「ロッキード・マーチン社」。ひゅうが型護衛艦に搭載されるのではないかと一部で噂されていたF-35を作っている会社だったりする
*49 放送後に「空母」だとか「強襲揚陸艦」だとかに設定が変更された
*50 旧作では主力戦艦
*51 旧作では暗黒星団帝国