神風

Cached: 2020-10-16 04:37:19 Last-modified: 2020-10-13 (火) 13:16:31
No.271
神風型駆逐艦、一番艦、神風。推参です!神風(かみかぜ)神風型 1番艦 駆逐艦
艦船ステータス(初期値/最大値)
耐久12火力5 / 28
装甲5 / 17雷装12 / 36
回避39 / 80対空5 / 26
搭載0対潜20 / 60
速力高速索敵5 / 18
射程30 / 79
最大消費量
燃料15弾薬15
装備
12cm単装砲
53cm連装魚雷
装備不可
装備不可
改造チャート
神風神風改(Lv50)
図鑑説明
神風型駆逐艦一番艦、神風です。八八艦隊計画の時代に建造された艦隊型駆逐艦、そのネームシップです。
睦月型の前級にあたる私たちだけれど、あの戦いを最後まで駆け抜けたのよ。
私達のことも、覚えていてね。

※初期値はLvや近代化改修の補正を除いた時の数値であり、最大値はLv99の時の最大値を指します。

CV:川澄綾子、イラストレーター:パセリ (クリックするとセリフ一覧が開きます)

セリフCV:川澄綾子、イラストレーター:パセリ
入手/ログイン待たせたわね、司令官。神風型駆逐艦、一番艦、神風。推参です!
みんな、いい? ついてらっしゃい!
母港/クリック時やめて春風、私そういうのあまり好きじゃないの。
って、司令官じゃない! どういうことなの? 説明して頂戴!
母港/詳細閲覧旧型ですって? 馬鹿ね。駆逐艦の実力は、スペックじゃないのよ?
司令官、私を呼んだ? 準備はできてるわ。
母港/詳細閲覧(新年)新年明けましておめでとう、司令官。今年も、神風型をよろしくお願いね! んん? よしっ!
母港/詳細閲覧(節分)もちろん、神風型の鬼役は私がやるわ。だってネームシッ……痛っ、いたたっ! もうっ!
母港/詳細閲覧(2017年バレンタイン)作ってしまった! 私特製のチョコケーキ……。司令官、喜んでくれるかな? 大丈夫だよね?
母港/詳細閲覧(2017年ホワイトデー)そんなに美味しかったの? チョコケーキ。お返し、こんなに大きいなんて……。よ、よしっ♪
母港/詳細閲覧(2017年春本番)春風……どうしたの? そのお重。……あっ、もしかして、神風型でお花見? いいわね! 司令官も、もちろん来るでしょ? よしっ!
母港/詳細閲覧(四周年)司令官、おめでとうございます。艦隊は、四周年だそうです。私も……誇らしいですね!
母港/詳細閲覧(周年記念)司令官、今日は大切な日です。覚えてます? ……よかった。私にとっても、大切な日です!
母港/詳細閲覧(梅雨)羽黒さん、この季節は注意して! あ、足柄さんも! どこかに行くときは、私も一緒に行きますから!
母港/詳細閲覧(初夏)え、今年の夏は水着でって…嫌よ、嫌! そんなのやるわけないじゃない。私は嫌よ!
母港/詳細閲覧(秋)司令官、秋です! この季節、私なんかわくわくしちゃう! 司令官は、秋、どうですか?
母港/詳細閲覧(秋刀魚)これが噂の、秋刀魚漁支援…艦隊…。えっと、私もまず装備から、かな…? 光り物は必須よね、たぶん… あとは…
母港/詳細閲覧(Xmas)司令官、ほら、あ~んして? …あ~んしてって言ってるのに! 私の作ったクリスマスケーキなのに、食べないの?
母港/詳細閲覧(年末)年末の大掃除って、いつの時代も変わらないわ。大正の頃も……あっ、なんでも!なんでもない!!
ケッコンカッコカリ(反転)なに? 司令官。また船団護衛? いいけれど……。え、違うの? 手に持っているこれ、なに? 私……に? うそ、ホントに!? ありがとう。きっと大切に……大切に、するね♪
ケッコン後母港(反転)司令官、疲れてるみたい。よし、私がなにか温かい飲み物、淹れてあげる。ちょっと待ってて。はい、お待ちどうさま。どう、温まる? ホントに? よかったぁ♪
編成第一駆逐隊、旗艦、神風。さぁ、抜錨よ!
出撃第一駆逐隊、旗艦、神風。さぁ、抜錨よ!
旗艦、神風、進発します。みんな、準備はいい?ついてらっしゃい!
遠征選択時うん、いいわね。よしっ!
アイテム発見うん、いいわね。よしっ!
開戦敵艦隊発見。 さあ、合戦用意よ! みんな、私についてきて!
夜戦開始敵艦隊を追撃します。第五戦速……突撃します! ついてきて。
攻撃やります! 撃ち方、はじめ!
敵艦隊発見。 さあ、合戦用意よ! みんな、私についてきて!
連撃/弾着観測射撃/夜戦攻撃さあ、追い込むわ。てぇっ!
小破きゃあ! ま、まだなんだから。
いやっ!? ひ、ひどいじゃない。
中破/大破被弾!? どこ!? し、沈むもんか……っ!
勝利MVPやったぁ! あ、でも別に褒めないで。
普通のことをやっただけだし……そ、そうよ。
旗艦大破いやっ!? ひ、ひどいじゃない。
帰投司令官、艦隊帰投よ。何はともあれ、無事に帰ってこれて良かったわ。
補給よし! 補給は万全。次は何? 船団護衛?
改装/改修/改造私を強化してくれるの? あ、ありがとう。嬉しい、けど……。
うん……いいわね、これ。これなら、生き残れそう。ありがとう。
うん、いいわね。よしっ!
入渠(小破以下)少しだけ、少しだけ休むんだから。覗かないでね、すぐ終わるから。
入渠(中破以上)うわっ……ちょっと色々ひどいかな。司令官、少しお休み貰うからね。うぅー……
建造完了新造艦、完成よ。よしっ!
戦績表示情報を見るのね、それは大事。いい司令官で、私も嬉しい♪
轟沈(反転)うそ…嘘でしょ……、水が…そんな……
時報で実装
放置時第一駆逐艦? ああ……昔はそんな風にも呼ばれたときもあったけど。神風よ、神風! ネームシップなんだから、しっかり覚えてよね!

ゲームにおいて

  • 2016/5/3アップデートで開始した2016年春イベント「開設!基地航空隊E-3クリア報酬艦。
    • 2019年夏には夏季限定で期間限定ドロップイベントがあり、朝風と共に1-4でドロップした。
    • 2020/9/17アップデートより、7-3「ペナン島沖」のドロップ艦として待望の本実装。
      現状報告が上がっているマスはD・E(第一ボス)・M・P(第二ボス)の4箇所。Pマスではまたも朝風と共にドロップ可能性がある。
  • 改造可能レベルがLv50と非常に高く、実装時点では駆逐艦第一改造Lvトップだった。*1
  • 神風型は睦月型よりさらに旧式の駆逐艦である。そのため実装されている駆逐艦(17/12/31時点)の中では一番弱い。
    • 睦月と比べて、火力-1、雷装-23、対空-3、装甲-1。
    • 資材消費量は同値のため、遠征に回すのも有用。
  • 耐久12は潜水艦クラスの値で非常に低いが中破判定が6なので、カスダメ(7以下は全ミス)では中破しないという事でもある。とは言え装甲貫通そのものはよく起こる。


  • 羽黒が身を挺して庇ったこと等で有名な、何かと妙高型と縁のある神風型駆逐艦(2代)の1番艦。
    • このためか、期間限定ボイスや時報(改のみ)で羽黒や足柄のことを気にかけている。
    • 2019/7/18アップデートでは、神風・羽黒を必須とする新任務が追加された。
      任務追加タイミングでは恒常での入手手段が無かったが、7-3でドロップするようになったため任務がクリア出来なくなる事は無くなった。
    • 羽黒とともに7-3のルート固定艦として指定されている。神風羽黒がいなくてもきちんと攻略はできるのでそこはご安心。
  • 最旧式ながら大戦を最後まで駆け抜けた武勲艦であり、特に潜水艦ホークビルとの戦闘が有名。
    • そんな彼女が最も怖いのは「潜水艦」らしい。武勲を積んだ艦とはいえ、いつどこに潜んでいるかわからない(そして数々の艦たちを屠った)潜水艦はやはり恐怖の対象ということだろうか。

限定グラフィック

  • 2018/2/11のアップデートで「バレンタイングラフィック」が実装された。
    • 優に数十人前はあろうかという巨大チョコケーキを作ってしまおうとは…。

      限定イラスト:バレンタインmode

      限定イラスト:バレンタインmode
      作ってしまった! 私特製のチョコケーキ……。司令官、喜んでくれるかな? 大丈夫だよね?

小ネタ

諸元

諸元

排水量基準1270t
満載1400t
全長102.6m
全幅9.2m
吃水2.9m
機関出力38500馬力
(パーソンズ式オールギアードタービン2基2軸)
最大速力37.3kt
航続距離14kt/3600海里
乗員154名
兵装新造時45口径3年式12cm砲単装4基4門
6.5mm単装機銃2基2門
53cm魚雷連装発射管3基6門
爆雷投下軌条2基
最終時45口径3年式12cm砲単装3基3門
25mm連装機銃4基8門
25mm単装機銃2基
40mm連装機銃
53cm魚雷連装発射管2基4門
22号対水上電探

艦歴

艦歴

192112.15三菱長崎造船所において「第1駆逐艦」の名で起工
19229.25進水
12.28竣工。横須賀鎮守府籍
19231.6第1駆逐隊(野風/沼風/波風/第1駆逐艦)に編入
5.25第2艦隊第2水雷戦隊に編入
9.1関東大震災発生。救援のため横須賀に向かう
19244.24「第1号駆逐艦」に改名
192612.1艦艇類別等級表の改訂により、「第1号型駆逐艦」の1番艦となる
19288.1「神風」と改名。これに伴い艦艇類別等級表も「神風型駆逐艦」となる
192911.30第1航空戦隊に所属
19303.28佐世保出港。旅順へ演習航海を行う
11.30第1航空戦隊より除籍。横須賀鎮守府警備艦となる
12.1横須賀鎮守府部隊に編入
19338.16館山出港。南洋諸島方面で演習航海を行う
11.15大湊要港部所属となり北方警備に従事
19345.21大湊出港。カムチャツカ方面で警備任務に従事
19388.25第1駆逐隊より除籍。横須賀鎮守府部隊に編入
12.15第1駆逐隊に復帰。横須賀鎮守府第4予備艦となる
193911.15横須賀鎮守府部隊に編入。特別役務駆逐艦となる
19402.10横須賀鎮守府警備艦となる
194111.20大湊要港部所属となり北方警備に従事
12.4大湊出港。北海道⇔千島間で哨戒任務等に従事
19421.7厚岸に進出。以降北海道南東岸で哨戒任務に従事
6.2柏原出港。北方作戦支援としてアリューシャン方面の哨戒に従事
7.19温弥古丹海峡カパリ埼で座礁した輸送船『球磨川丸』を救援
7.25単冠湾入港。千島東部で哨戒任務等に従事
10.26アッツ島輸送部隊を支援
11.4
19434.20大湊寄港。宗谷海峡で哨戒任務等に従事
5.7大泊寄港。千島北部で護衛任務に従事
5.17第5艦隊第1駆逐隊に編入
6.11第1駆逐隊司令艦を拝命
6.15大湊警備府に編入。警備駆逐艦となる
6.21大湊出港。津軽海峡で哨戒任務等に従事
9.21キ803船団の護衛中、輸送船『利山丸』が被雷沈没
11.1第1駆逐隊司令艦を沼風に継承
12.18沼風が米軍潜水艦*2により被雷沈没、第1駆逐隊司令*3・艦長以下総員戦死。
これにより神風艦長が第1駆逐隊司令を兼務
19442.11大湊出港。千島方面で護衛等に従事
2.15北東方面艦隊千島方面根拠地隊に編入
12.15北東方面艦隊解散。第12航空艦隊に編入
19451.10聯合艦隊附属となる
1.28ヒ91船団の護衛中、米軍潜水艦4隻からなるウルフパックに発見され、海防艦『久米』、水上機母艦『讃岐丸』を失う
2.14北号作戦で北上する日向らの完部隊を中国沿岸の馬祖島まで護衛
2.20野風が米軍潜水艦*4の雷撃により戦没
2.22シンガポールに進出
4.1第1駆逐隊解散。聯合艦隊附属となる
5.17ペナン沖海戦に参加、被弾して死傷41名。羽黒乗員320名を救出し帰投
6.8足柄とともに陸軍兵士を輸送中、足柄が英軍潜水艦*5に撃沈される。
神風は足柄乗員・陸軍兵合わせて1253名を救助し単艦でシンガポールへ帰投
7.18哨戒中の米軍潜水艦*6と戦闘を行い大破させる
8.15シンガポールで終戦を迎える
10.5日本に帰投、除籍
12.1特別輸送艦に指定され復員輸送を行う
19466.7座礁した海防艦『国後』の救援中、神風も座礁。引き降ろしが出来ず艦体はそのまま放棄
6.27特別輸送艦指定解除
194710.31解体完了

歴代艦長

歴代艦長

艤装員長蒲田静三 中佐1922年9月20日~1922年12月28日
第1代1922年12月28日~1924年2月5日
第2代石川哲四郎 中佐1924年2月5日~1924年3月10日
第3代廣岡正治 中佐1924年3月10日~1924年12月1日
第4代白石邦夫 少佐1924年12月1日~1925年12月1日
第5代原顕三郎 少佐1925年12月1日~1926年12月1日
第6代佐藤慶蔵 少佐1926年12月1日~1927年5月28日
第7代帖佐敬吉 少佐*71927年5月28日~1927年8月10日
第8代村瀬頼治 少佐1927年8月10日~1927年9月10日
第9代帖佐敬吉 少佐*81927年9月10日~1927年12月1日
第10代小林徹理 中佐1927年12月1日~1928年5月28日
第11代帖佐敬吉 少佐1928年5月28日~ ?
第12代小林徹理 中佐 ? ~1928年12月10日
第13代長尾惣助 中佐1928年12月10日~1929年11月30日
第14代久宗米次郎 少佐1929年11月30日~1930年11月15日
第15代大森仙太郎 少佐*91930年11月15日~1930年12月1日
第16代伏見宮博義王 少佐1930年12月1日~1932年5月2日
第17代田村劉吉 少佐1932年5月2日~1933年4月1日
第18代小林徹理 大佐*101933年4月1日~1933年5月20日
第19代小野良二郎 少佐1933年5月20日~1933年9月1日
第20代山口捨次 少佐1933年9月1日~1935年10月31日
第21代谷井保 少佐1935年10月31日~1936年10月8日
第22代渡邉保正 少佐1936年10月8日~1937年12月1日
第23代有本輝美智 少佐1937年12月1日~1938年12月15日
第24代高橋鉄郎 少佐1938年12月15日~1939年4月1日
第25代矢野寛二 少佐*111939年4月1日~1939年9月26日
第26代高須賀修 少佐1939年9月26日~1940年10月15日
第27代橋本金松 少佐1940年10月15日~1942年4月10日
第28代松本正平 大尉→少佐1942年4月10日~1943年10月10日
第29代春日均 少佐*121943年10月10日~(1945年10月5日)

駆逐艦・神風とは

  • 峯風型を前級に持ち、次級には睦月型が続く「神風型(2代)」駆逐艦。本艦はその1番艦である。1922年(大正11年)12月28日、三菱造船長崎造船所にて竣工。
    実はその前日に空母の母こと鳳翔が竣工しており、お艦との歳の差は1日しか違わない。
  • 当時は八八艦隊計画等による海軍の大増強が計画されていた時代であり、多数計画されていた新規駆逐艦につける艦名が足らなくなることが懸念され、彼女から始まる駆逐艦には番号名が付与されることとなった。
    彼女を含む一等駆逐艦には奇数番号が、小型の二等駆逐艦(後の若竹型・若竹は第二駆逐艦)には偶数番号が振られることになった。この駆逐艦の番号艦名は、吹雪(第三十五号駆逐艦)竣工直前まで続くことになる。
    彼女の当初の艦名は「第一駆逐艦」だった*13が、1924年4月24日に「第一号駆逐艦」へと改称。さらに1928年8月1日には「神風」へと改称された。
    書類上でも竣工日基準でも、名実ともに神風型駆逐艦(2代)の一番艦だった。
    • 大正七年度計画(八六艦隊案)の計画艦の一隻。
      実装済みの艦ではのほか、由良鬼怒阿武隈鳳翔が同期にあたる。
  • 艦首を模した艤装には1と描かれているが、これが第1駆逐艦だからではなく、第1駆逐隊所属艦であることをしめしている。
    艦首には所属駆逐隊番号、艦名は艦体中央部に描くため神風と改名する前は同じ番号が2つ並んでいた。
    なお、同じ番号が2つ並んでいた駆逐艦はもう一隻あり、第5駆逐隊所属第5駆逐艦、後の春風である。
  • 艦名がダブることは世界的に見ても珍しいことではなく、たいがいそれらを区別する時には、例えば「ぜかまし」で知られる方を「島風型駆逐艦島風」、その先代を「峯風型駆逐艦島風」と艦型名で呼び分けることが多い。
    だが、神風については艦型名までがダブっているので「神風型駆逐艦神風」が2隻存在する*14のである。ああ、ややこしい。
  • 初代に続いてのネームシップ(一番艦)であり、一等駆逐艦として建造され、進水・竣工が大正11年、当初の艦名が第一駆逐艦(後に第一号駆逐艦)、神風に改称されたのが1928年8月1日
    太平洋戦争中は一貫して第1駆逐隊所属、戦後特別輸送艦の指定を受けたのが1945年12月1日、また一時は第1航空戦隊に所属したこともあったりと、「1」と妙に縁のある駆逐艦である。いっちばーん!*15
  • 戦間期から第2次大戦を駆け抜け、終戦時にはシンガポールにおいて唯一、ほぼ無傷かつ行動可能な艦として残存
    さらに復員輸送にも従事し、1946年6月7日に御前崎付近で座礁・放棄されるまで活躍を続けた殊勲艦である。
     
  • 「神風」という名を持つ艦としては2代目にあたる。
    神道用語で、神国日本を危機から救うために神が吹かせる風の意。
    用例は古代から見られるが、有名なのは元寇の際に吹き元の船を沈めたとされる風である。
    • 元寇における気象学的な正体は台風だったと考えられている。
    • 元寇は1274年と1281年の2回あったが、その両方で元軍は暴風雨にあったとされる。1回目は上陸後に日本側の頑強な抵抗にあったために、無理な撤退をしてその途上で暴風雨にあって、多数の兵を失った。2回目は、迎撃態勢を整えていた日本軍の抵抗に、まともな上陸すら出来ず2ヶ月ほど海上に足止めされて、そのまま台風の時期になって台風に巻き込まれて大損害を出した。
    • 第二次大戦中、海軍の特別攻撃隊にも神風の名がつけられた。こちらの正確な読みは「しんぷう」である。
    • 「神風が吹いて戦争に勝つ」と云う「風が吹いて桶屋が儲かる」より質の悪い標語が席巻した戦中、実際に神風が吹いたことはあまり知られていないが、その軍事的結果はこちら(と「後日談」)に詳しい。要は駆逐艦が焼け太りして某空母のある場所が縮退した。
      • なお本人はこの場に不在。妹たち(春風朝風松風旗風)が若干の被害を受けた
      • 意外にも、戦前の教科書では、元寇の勝因として、日本側の武士の奮戦を強調しており、暴風雨に関する記述はほとんど見られない。教科書にて「神風」が強調されるのは、戦中の1943年頃からである。
      • 戦後においても、日本の軍事的な成功を憚る空気からか、元寇の勝因は「神風」であり、鎌倉武士の奮戦は軽視される傾向にあり、「一騎打ちに固執した」「集団戦に対応できなかった」という風評もあった。現在では、当時の武士は、元の戦法にも素早く対応し、効果的に元の攻撃を防いだとされる。元軍を退かせた主な要因も、「神風」より、武士の奮戦が主という研究結果が主流であり、教科書でもそのように記述されるようになってきている。
  • なお戦後、海上自衛隊の護衛艦に「かみかぜ」の名は受け継がれていない。神風特別攻撃隊のイメージがあまりにも強いためであろう。
    • 海上護衛戦で名を残した3番艦「春風」の名が、海上自衛隊初の国産護衛艦という特別な意味を持つ艦名に晴れて選ばれたのは、
      武運に恵まれ活躍したにもかかわらず、名前の強烈なイメージから断念されたとも思われる長姉神風の殊勲も汲んでいるのかも知れない。
  • 海上保安庁にはちよかぜ級巡視艇の一隻として「かみかぜ」が1971年の竣工から1994年まで存在していた。
    こちらは最初の配属先が神奈川県であることにちなんだ命名らしい。

峯風系列・神風型(2代)、およびそれらの兵装について

  • 神風型(初代)と神風型(2代)は就役していた時期が比較的近く、被っている艦名もあるため識別に注意を要する。
    以下、特に注釈無く艦型を表記する場合は(2代)のことである。
    • 初代神風型は春雨型駆逐艦の改良型で、日露戦争に備えて多数の駆逐艦が必要だと判断されたため計32隻の大所帯となった。実際には日露戦争に間に合わなかったわけだが・・・
      1936年までに全てが廃艦となっており、その艦名の大半が神風型(2代)以降の第2次大戦期の艦につけられている*16
       
  • 峯風型・神風型・睦月型という一等駆逐艦の3艦型は、八八艦隊計画由来の「峯風系列」なるひとつのシリーズとして考えることができる*17。海軍の基本計画番号も各艦型共通でF41番台となっている。
    計画出力38,500軸馬力級のオールギヤード・タービンエンジンで推進される基準排水量1,200トン前後の船体を基礎として、航洋性と信頼性の向上、武装の強化を逐次実施したものである。
    後の特型駆逐艦と比べると小型で各能力も限られているが、大正~昭和初期のものとしては十分に強力かつ堅実な艦として仕上がっている。

詳細

詳細

  • 従来型駆逐艦の、艦首を乗り越えた波浪がそのまま露天の艦橋をザブザブ洗うという第一次大戦期からの英国式スタイルから脱却し、艦橋前に設けた低いウェルデッキに波を落とし込んで艦橋を直撃しにくいよう工夫した日本流スタイルになったのは、峯風系列に共通する特徴である。
    • この英国スタイル脱却のきっかけは1919年に荒天下で行われた大演習中に、第1駆逐隊の旗艦・浜風*18が艦首を乗り越えた大波浪によって艦橋圧壊し、笹尾源之丞駆逐隊司令が殉職した事故によるものと言われている。
    • とはいっても居住性はまだまだひどいものだった。
      大時化になるとやっぱり艦橋を海水の塊が襲い、窓枠に仕切られて飛び込んでくるそれはまるでトコロテンのようだったとか。
      艦橋前に配置した魚雷発射管は、前述したように艦首を乗り越えた波浪がもろに落ちてくる事になり、殊の外酷い有様だったそうな。
      赤銅色の肌に充血した目、大黒様のような軍帽にクシャクシャの軍服、草履か革スリッパをつっかけ、緑青まみれの帽章階級章…という水雷屋ファッションの原因である。
  • F41・峯風型は、各国の巡洋戦艦への追従と優越を目指した結果、計画速力39ktという高速を誇り、特に公試成績が良かった4番艦の島風(ぜかましの先代)は40ktの大台に乗った。
    が、それを実現した高回転型のパーソンズ式タービンは信頼性に欠けるきらいがあった。また後部の武装配置が複雑*19で、指揮や給弾に支障をきたしていた。
    • 武装配置に関しては、全15隻中、最後期型の3隻で見直しが実施され、2基ずつの砲と発射管をそれぞれ連続配置*20としたが、これは同時に重量バランスの悪化を招いた。
      この3隻については「改峯風型」、もしくは13番艦の名から「野風型」として区別される場合がある。基本計画番号ではF41A番。彼女ら3隻が神風型のプロトタイプとなっている。
  • F41B・神風型は、野風型の重心位置を改善して安定性を確保するため、排水量を50トンほど拡大。峯風型・野風型より艦幅を0.3m拡大し、喫水も0.02mと僅かに深くなっている*21
    さらに計画出力を維持しつつタービンの回転数を低減させ、信頼性の向上を図った。実際にはこれでもいまひとつだったようだが、それでも峯風型に比べれば現場の評価は高かったという。
    ちなみにこのパーソンズ式タービンの基本設計は、夕張のものへと流用されている。
    • 神風型の増備開始と同時期に、ワシントン海軍軍縮条約によって八八艦隊計画が頓挫。
      計画全体を縮小しつつ主力艦の不足を補助艦艇の打撃力増強で補う方針となり、在来の設計を踏襲しつつ雷装を強化した睦月型駆逐艦と、根本的に設計を改めた1,700トン級特型駆逐艦の開発が決定する。
      同時に、計27隻の大所帯となるはずだった神風型の増備数は9隻へと削減。さらに後期増備の4隻には、主に機関部の設計へ大きな変更が加えられた。後期型の彼女らは事実上、睦月型のプロトタイプという側面を持つ。
      • 信頼性向上と同時に低重心化、さらに居住性の向上も狙って、ボイラー室周りの船体構造とタービンを一新。
        当時制式化されたばかりの新型標準主機、ブラウン・カーチス式ベースの艦本式タービンを搭載した。
        特に8番艦の朝凪は、竣工日基準において、艦本式タービン採用艦の第1号となった。
      • 併せて機銃の更新(三年式6.5mm→九二式7.7mm)、爆雷投射機(八一式)および投下軌条の新規装備、予備魚雷搭載数の増加なども実施された。
        日本の艦隊型駆逐艦で爆雷を装備したのは、後期神風型が初となる。
  • F41E・睦月型は、新型の61cm魚雷を搭載すべく、さらなる排水量の拡大を実施。基準排水量1,300トン前後、公試時で1,500トン弱のサイズとなった。
    燃料タンク増積による航続距離延伸のほか、艦首形状などにも工夫が施され、凌波性・航洋性の向上が図られている。
    発射管は従来の連装3基から3連装2基へと合理化され、射線数を維持しつつ重量増加の相殺とスペースの圧縮、さらに全発射管分の予備魚雷搭載が実現した(と多くの書籍に記述されるが図面上は峯風型で4本、神風型で2本の予備魚雷格納スペースが船橋楼内に存在する(格納箱とあわせて計6本)。解せぬ…)。主砲の射撃管制には日本海軍駆逐艦として初めて、簡易型の方位盤射撃装置*22が導入された。
    • その他、詳細はネームシップのページを見るとよいぞ!参照されたし。
  • 船体の排水量増大に対して機関の計画出力が変わらないため、神風型と睦月型は峯風型に対してスペックシート上の最大速力が低下している。
    一方で航洋性の向上がシビアな条件下での運動性の低下を抑えている上、機関の信頼性向上が全力運転の維持と長距離航行を支えたため、総合的な実用性は着実に向上している。
    武装の整理と強化についてはいわずもがなであろう。
 
  • しかし睦月型の雷装を除けば、12cm砲4基4門と53cm魚雷6射線という主兵装は、昭和16年(1941年)の日米開戦時にはすでに旧式そのものだった。
    近代化改修が実施されてはいたものの艦齢は20年前後であり、老朽化も進行していた。往時は最高37.3ノットの俊足を誇った神風も、戦争中はもはや30ノットを下回っていたという。
    神風型の場合はすべての艦が駆逐艦籍のままで活動したが、兵装と機関部に関しては、船団護衛任務と対空・対潜戦闘を意識した撤去ないし更新・追加がおこなわれていたようである。
    各艦の詳細な改装内容は、戦時中ということもありはっきりとしない。
    • 終戦時の神風は、後部の4番砲および3番発射管の撤去と、対空機銃および爆雷とその関連装備の追加搭載が実施されていた可能性が高い。
      さらに電探や逆探、簡易なソナーなども追加されていたという。
      • 毘式40mm連装機銃ないし鹵獲品のボフォース40mm連装機銃を装備していたとも言われたが、この説は機銃研究家の乾氏によって否定されている*23
      • 22号対水上電探に関しては、神風電探員だった雨ノ宮洋之介氏の手記が光人社NF文庫から『駆逐艦「神風」電探戦記』として出版されている。
        なお、乗員たちは古い神風が大きな電探をつけている様子を指して「バアさんに大きなリボン」と評していたという。
        髪をまとめている黄色のリボンはそれかな?
 

神風・艦歴

  • 神風の戦歴を俯瞰した際に目立つ特徴は、ただ単に行動可能な状態で終戦を迎えただけではなく、そこに至るまでにいくつかの修羅場を潜り抜けている点であろう。
    開戦時、神風は艦齢20年の旧式駆逐艦であり、在籍する第一駆逐隊も大湊要港部所属の警備駆逐隊であり、主に北方海域での警備任務に従事していた。
    だが戦況の悪化とともに、第一駆逐隊所属艦も南方航路護衛に引きぬかれていった。
    昭和20年2月シンガポールの南方戦線に加わってから終戦までわずか半年弱、だがその短い間に幾多の激戦を潜り抜けたのだった。

主な艦歴・戦歴

主な艦歴・戦歴

新製から戦間期

  • 竣工後は改峯風型の野風、波風、沼風とともに第1駆逐隊を編成し、当時の最新鋭駆逐艦として花形の第2水雷戦隊に所属。
    ちなみにこの頃の2水戦旗艦は竣工間もない北上さまであった。
    • 第1駆逐隊に編入されて8月後、1923年(大正12年)9月1日11時58分の関東大震災が発生した。この時、旗艦北上率いる2水戦は長門らと共に朝鮮半島沖で演習中であったが大地震発生の報せを受け、演習を中止し被災地に急行した。
      神風(当時、第1駆逐艦)ら第1駆逐隊は9月8日以降、東京湾~湘南方面を中心にひと月ほど救援活動に従事した。
  • しかし1927年ごろから第一線を離れるようになり、1928年12月に大湊要港部所属になって以降、主に大湊を拠点として永らく北方海域の警備と漁業保護に従事した。
    • 当時の北方海域では、博愛丸*24、信濃丸*25、笠戸丸*26をはじめとしたさまざまな経歴の老朽商船が漁業工船となって余生を過ごしていた。
      ソ連監視艇に無言の威圧を与え、きわどい操業でしょっちゅう領海侵犯の嫌疑をかけられる彼女たちを守るのが警備駆逐艦の仕事である。
      また実際に彼女らが抑留された際、駆けつけてソ連当局と交渉したり、さらに交渉難航時は無理やり監視艇の進路を塞いでそのスキに強行脱出させるなど割と荒っぽい活動もしていた。
      峯風型も神風型もあまり北方向きに作られていないだけに、特に冬季は極寒と荒れ狂う波とに苦しめられる、危険で辛い任務であったという。
      • 北洋警備に出動しない時は大湊でスキー訓練をしたり、士官たちは時に浅虫温泉へ遊びに行ったりしていた。
        出動時は数ヵ月の長期に亘るので慰安も悩みどころで、詰将棋に詰碁、昆布の根でシガレットホルダーを彫ったりなどがヒマ潰しだったという。
        時には占守島に上陸してイワナ釣りなどもしたとか。野犬がいるので拳銃を携帯しながらだが、人を知らないイワナは面白いように釣れたという。
      • この任務の代替のために建造されたのが占守型海防艦
    • ちなみに1929年(昭和4年)に発表された小林多喜二の『蟹工船』はこの頃がモデル。
      つまりあの作品中に登場する「駆逐艦」とは神風たちのことであると言われている。*27なにせプロレタリア小説なので、酷い描かれようではあるが。
  • 1933年3月3日、昭和三陸地震が発生した際、4日早朝には当時横須賀鎮守府に所属していた第1、第4、第6駆逐隊とともに救援活動に従事した。

日米開戦・北方担当時代

  • 開戦時は、大湊警備府部隊、千島防備部隊に所属し、北方警備の任務に務めた。
    • 主要な任務は、オホーツク海の安全保護、千島列島の防護、海上交通保護などであった。
    • 1942年6月、アリューシャン攻略作戦(AL作戦)時は、攻略部隊の掩護につとめ、アリューシャン方面の哨戒任務を行った。
    • 10月下旬に神風は、第2次アッツ島攻略作戦のため第5艦隊主隊と合流、作戦を支援した。
      • アッツ島への人員や物資の輸送は挺身輸送隊(多摩木曾)によって10月29~30日に実施され、この間神風は第5艦隊旗艦那智と共にアッツ島北方で哨戒任務を行っていた。*28
  • 1943年5~6月、神風と沼風はアッツ島撤退作戦(ケ号作戦)のため第5艦隊のもと作戦に従事した。
    • 機を見て、撤退作戦に試みるものの、荒天のため中止・延期を繰り返したが、不幸にも5月29日アッツ島玉砕に至り作戦は失敗となった。
    • 6月6日18時頃、カムチャツカ半島南端ロバトカ岬南方で漁船第2長重丸を砲撃中の米潜水艦S-30(SS-135)を発見。急行して潜航したS-30に爆雷攻撃を敢行し、一部の魚雷管を損傷させるなど損害を与えた。
      • 第1駆逐隊は哨戒・対潜掃蕩の増援を要請し、第11駆逐隊がこれに駆け付けたものの、視界不良のため僚艦沼風が白雲と触衝してしまう。神風は沼風共々大湊へ帰還することになりキスカ島撤退作戦に参加することなく、波風と入れ替わる形で6月下旬に千島特別根拠地隊に復帰することになる。
  • 1943年8月以降、アリューシャン撤退に伴い、北方方面への防衛線は千島列島へと後退し、北東方艦隊が新設されると、神風ら第1駆逐隊の千島方面特別根拠地隊はこれに加わった。
    • この頃、神風の最終代艦長、春日均少佐任官となる。

      春日均艦長について

      春日均艦長について

      • 艦歴が長いだけに29代25人もの艦長がいるが、中でも神風を語る上で欠かせないのが最終代艦長・春日均少佐であろう。
        後述のペナン沖海戦やホークビルとの死闘など、神風を駆って戦争末期の難局を戦い抜いた人物である。
        • 出世のために勉強するなどという浅ましい根性は大嫌い、したがって海軍兵学校の成績はよろしくはないが*29
          心から海と駆逐艦とを愛し、まさに水雷屋を体現するような人物であったという。
          その卓越した操艦術と戦闘熟練度、そしてなにより部下への思いやりにあふれた人間的魅力で、乗員たちからの信頼は絶大だった。
          • 因みに春日氏は海軍兵学校は59期生であり、同期には友永隊として艦これでも有名な友永丈市、伊58艦長として米重巡洋艦インディアナポリスを撃沈した橋本以行、零戦の初陣を指揮した名隊長横山保、開戦時の台南空の零戦隊長として大空のサムライこと坂井三郎らを指揮した新郷英城、テストパイロットとして零戦、烈風開発などにも関わる小福田租、長月の艦長としてガダルカナルの戦いを生き抜き、若葉の最後の艦長となった二ノ方兼文といったそうそうたる顔ぶれである。
        • いたって気さくな飾らない性格で、革スリッパを突っかけてペタペタ艦内を歩きまわり、
          電探室に顔を出すと「おい、タバコの火くれ」と、電探の直流スイッチで火を点けるなどという水兵の裏ワザまで心得ていた。
        • こんなエピソードもある。ある夜、艦橋の陰で誰かがタバコを吸っているのを古参水兵が目ざとく見つけ怒り心頭、
          「誰だッ、タバコを吸う奴は!貴様、艦長のお気持ちがわからんのかッ!降りてこい、ヤキ直してやる!」と怒鳴りつけた。
          頭をかきかきノコノコ降りてきたのは春日艦長だった。艦長がヤキ直されたのかどうかは定かではない。
  • 1944年9月、神風は被雷大破した波風を曳航救助している。
    • 9月8日20時45分、五〇五船団護衛中の波風は択捉島北方で米潜水艦シール(SS-183)により魚雷の命中を後部に受けてしまい、大破・航行不能となった。
      大破した波風の救援の要請を受け、神風は小樽から急行。片岡から駆けつけた野風とも合流しその護衛のもと小樽まで9月9日~13日にかけて曳航し救助した。
  • 9月19日、小樽を出港した神風の護衛するキ803船団は21日夜知床岬北東沖で視界不良の荒天に見舞われ、利山丸を見失ってしまう。
    • 悪天候のなか船団から脱落した利山丸は、浮上した米潜水艦シーレイヴン(SS-196)の雷撃により沈没。神風は後方遠距離に爆発音を聞き反転したが視界不良のため確認できなかった。23日朝になって天候が回復し、四散した船団を掌握し海域を捜索したがその時利山丸の船影はなかった。
      のちの29日、状況捜索のため海域を訪れた給糧艦白埼によって多量の漂流物が発見され、これで利山丸の沈没を悟ることになる。
       

第1駆逐隊、南方へ

  • 12月になり野風、神風の第1駆逐隊に南方戦線出撃の命令が下る。入渠した神風は電探(二十二号改四超短波短信儀)や25ミリ機銃の増設を受けた。
  • 1945年1月10日、第1駆逐隊(野風・神風)は連合艦隊附属となり、大湊から日本海を通って呉へ向かい南方転進の準備訓練を行った。
  • 南方に向かう準備を終えた1月7日、神風に1つの連絡が入った。神風の若い航海長の許嫁が母親と共に旅館に最期の別れに来ているというのだ。許嫁は女学校5年生で、制服を着た容姿端麗のおとなしい人だという註釈までついていた。
    しばらくして春日艦長のもとに機関長と先任将校がやって来た。二人は士官全員の総意ですと前置きした上で、この二人を結婚させてあげ、それから神風は出撃するべきだと進言した。
    • 比較的静穏だった北方海域から、激戦地である南方に移動する事は二度と生きては帰れないかもしれない。だからこそ許嫁は最期の別れをしにきた訳だが、一方の航海長は逢えば未練が残ると意地になって会おうとしない。死ぬであろう我が身を思い続けるよりも、許嫁にはいい幸せをつかんでほしいという思いもあったのだろうが、同僚たちにはその航海長と許嫁が不憫に見えたのだろう。
  • 話を聞いた春日艦長は即座に了承する。それどころか自ら許嫁の説得に当たると宣言するや「機関長は俺に続け!旅館にいくぞ❗」とそのまま旅館に行ってしまう。
    • 旅館に乗り込んだ春日艦長らは許嫁を一目みるなり、「これは立派なお嬢さんだ。二人は必ず幸せになる」と確信し、今すぐ結婚するよう説得する。
      いきなりの艦長訪問と結婚要請に許嫁やその母親は目を丸くする。当然と言えば当然だが結婚自体に異議はないが、ただ今すぐといわれてもそのつもりで来た訳じゃないし、そもそも両方の父親の了承が得られていない。なので今すぐは無理だと母親は断ってくる(まあ当然ではあるが...)
      しかし春日艦長も引き下がらない。そこをなんとかと熱弁し遂に母親も根負けする。なお双方の父親には艦長自ら手紙で承諾を求め後日快諾を得たという。
    • 午後11時、艦に人をやって航海長を呼び出し、日が改まった深夜零時、旅館にて二人は式を挙げた。午後には士官一同が集合して披露宴、言い出しっぺの機関長は上機嫌で彼が歌った「高砂」はことのほか好評だった。
    • 実は神風の水中単信儀指揮官も出撃前に結婚式を挙げていた。神風は寿色一色で南方に向かっていったのであった。だから着物は赤系・ピンク系なのか?
  • 1月15、16日の2日間、内海西部で大和や2水戦(矢矧雪風)らを相手に訓練を行い、また電探を用いた夜襲訓練をやったこともある。
    この時は運良く電探が絶好調で、見張員よりずっと早く、数万メートルの距離から大和と矢矧をクッキリ捕捉、面目を施した。
    なおその後、大和の副電測士が神風の電探を視察に来たが、小さな艦に乗り慣れないせいか、ところも構わず電探室でゲロゲロやってしまいドヤされるという一幕も。
  • 1月26日に門司港を出港、海防艦3隻とともにヒ91船団の護衛として基隆へ向かう。
    • 1月28日鎮海湾沖にて、ポンポン(SS-267) ・アトゥル(SS-403)と連携しつつ船団を補足した米潜水艦スペードフィッシュ (SS-411)の攻撃を受け、特設輸送艦讃岐丸と海防艦久米が沈没。神風は、船団を護衛する野風と一時的に分離し、讃岐丸乗員や第四十三震洋隊数名ほか救助する。
  • 2月、馬公に到着した第1駆逐隊は、南方進出の準備を執り行う。
    • 当初、第1駆逐隊は在フィリピンの航空戦力の撤退など台湾-フィリピン方面での行動を予定していた。
      しかし、第43駆逐隊らが行っていたパトナリオ輸送作戦が失敗したことによりフィリピンは孤立、神風らはシンガポールの南方戦線へ向かうことに決まる。
    • 台湾方面にいた第1駆逐隊は北号作戦支援として、を主力としたと合同、台湾海峡での護衛を行った。
      • 14日早朝に海南島西方で四航戦と合同、15日馬祖島で完部隊が仮泊地で分離するまで護衛に従事した。
        第1駆逐隊にとって戦艦の直衛になることは実に20年ぶり近くのことであったという。
      • 悪天候だったこともあり、神風と野風は日向や伊勢たちに追従するのもやっとだったようである。
        上記の記録と差異があるが、旗艦日向の自伝とも言える書籍「軍艦日向栄光の追憶」によれば、季節風が非常に強く海は大荒れで、20ノットでの航行に難航を極め、台湾海峡の途中で第一駆逐隊を見失ったとの記述がある。
        ちなみに、この後に完部隊と偶然遭遇し、伊勢型姉妹の勇姿に歓喜して護衛を買って出た駆逐艦「蓮」*30は、悪天候かつ老朽化のため追従できず、30分ほどで脱落してしまったというエピソードもある。
  • 北号作戦支援を終えてすぐの2月16日、第1駆逐隊は馬公を出発、シンガポールへ向かった。その道中の2月20日3時頃、カムラン湾北東海域で米潜水艦パーゴ(SS-264)の雷撃により僚艦野風が沈没した*31神風は乗員30名の救助を行っている。
     

奮闘・シンガポールにて

  • シンガポールに到着した神風は、3月から4月にかけて船団輸送護衛任務を行いつつリンガ泊地にて第5戦隊(羽黒足柄)と訓練を行った。
    • リンガ泊地で水泳をしたり、甲板で飼ってた鶏が籠から逃げて落下、沈んでゆくのを慌てて拾い上げるなど、明るいエピソードもあった。
    • 第10輸送作戦の一環として、第5戦隊と共にシンガポールージャカルタ間の輸送や物資輸送船の護衛任務を行い陸軍兵士をシンガポールまで送り届けている。4月中旬に羽黒と、下旬には足柄と計2回行った。
  • 1945年5月、神風は羽黒とともにアンダマン・ニコバル諸島の輸送任務(に号演習)に参加、その任務の中マラッカ海峡ペナン島沖南方で、英駆逐艦と交戦する。
    • 輸送作戦のため羽黒と神風はアンダマン諸島ポートブレアに、輸送船第二黒潮丸と駆潜艇57号はニコバル諸島ナンコウリーに向かってシンガポールを出発した。

      作戦の経緯・流れ

      作戦の経緯・流れ

      • インド洋のイギリス東洋艦隊が勢力を強めたことにより輸送が困難となったアンダマン・ニコバル諸島に対し輸送任務を行うべく、戦闘可能な高速軍艦として羽黒・神風等が参加することになった。*32
        • 糧食や医薬品、弾薬や航空ガソリン等の軍需物資を満載にするため、羽黒と神風の両者の魚雷発射管までもが取り外されさらに弾薬も半分陸揚げされることになった。
          神風水雷長ら水雷科の乗組員は、戦闘の可能性がある任務にも関わらず駆逐艦戦闘虎の子の魚雷を外すことを嘆き、のちに「魚雷があったらなァ」と思わずにはいられなかったという。
          ホントは魚雷…外したくないんだけど…。
      • 5月9日、羽黒・神風および駆潜艇2隻はシンガポールのケッペル港を出港したが、通信傍受や潜水艦からの捕捉によりイギリス海軍にすぐさま作戦が知られてしまう。
        • 報せを受けたクイーンエリザベスを旗艦とする第61部隊は、羽黒らを待ち受けるべくアンダマン方面に展開していった。
          11日、プーケット島南方辺りで味方機の情報により敵の大艦隊の接近を知った羽黒らは会敵を避けるべく反転、マラッカ海峡を戻ることになった。
        • 12日朝、一尋礁北方辺りで避退する輸送部隊を待ち伏せていた英潜水艦サトルとステイツマンが、それぞれ羽黒と神風に対し魚雷を発射したが、両者ともこれを見事に回避・撃退した。
      • 一尋礁南方の仮泊地に到着すると次のマラッカ海峡突入の機会をうかがうためここで待機する。
        • 同行の駆潜艇2隻は燃料不足のためシンガポールに帰還、神風も燃料が不足していたが13日仮泊地に支援に来た足柄から補給を受けた。
      • 14日、再度ポートブレアに向け羽黒・神風の2艦は一尋礁を出発する。
        しばらく敵に捕捉されず進んできたが15日昼頃、敵艦載機に追われている第二黒潮丸らの支援を行ったことで再び羽黒らの位置は英艦隊に知られることになる。
        • 報せを受けてイギリス第61部隊から第26駆逐隊と少し遅れて英重巡カンバーランド・仏戦艦リシュリューがマラッカ海峡に突入、見張っていたサバン島からの通信により敵の接近を知った羽黒・神風は再び輸送を中止して反転南下する。
        • 後方から来る敵艦隊に警戒しつつ南下している中、味方偵察機から敵はインド洋に避退したという情報を受け、羽黒・神風乗員の間で少なからず安堵が広がっていたという。
          だが実際は先行してスマトラ島北側沿いを進んでいた第26駆逐隊は回り込むように接近していたのだった。
    • 5月16日の未明、2時過ぎ頃、羽黒と神風は英駆逐隊5隻の奇襲攻撃を受け交戦する(ペナン沖海戦)。

      ペナン沖海戦

      ペナン沖海戦

      • パワー大佐が率いる第26駆逐隊ソマレズ、ヴェルラム、ヴィジラント、ヴィーナス、ヴィラーゴの5隻は南東に進行する羽黒・神風の前方に囲い込むように展開していった。
        突如、前方に現れたことで不意を突かれた羽黒らは接近を許してしまうことになった。
        • 神風の春日艦長が休憩室で仮眠してると当直将校が羽黒がどんどん増速しますと届けてきた。1,000m以上離れたので第一戦速で追従していった。羽黒からは何か電話で言ってきたがよく聞き取れなかった。そうこうするうち突如探照灯を照射し始めた。
        • 事態を悟った神風でも即座に総員戦闘配置が下令されたが、折悪しくラッタルへ兵員たちが殺到したところへ敵弾が右舷後部居住室に命中、死者27名を出す惨劇となってしまった。
          羽黒を追っていたソマレズの前にタイミング悪く神風が飛び出す形になり、後部に砲撃を受けることになったのだ。
          被弾箇所では積み込まれていた40トンもの米が海水びたしとなり、そこへ戦死者の血や肉片が飛び散り、酸鼻を極めたという。
      • 羽黒も照明弾を発射すると砲撃を開始、ソマレズらと交戦する中魚雷が羽黒の二番砲塔下左舷に命中炎上、左舷に大きく傾きつつ艦内外を問わず満載した弾薬やドラム缶が被弾で引火大爆発、瞬く間に全艦火の海と化していった。
        • この時神風は輸送任務のために魚雷を発射管ごとおろしており、頼りとなるのは貧弱な12cm単装砲のみで、しかも旧式艦ゆえ方位盤がなく命中も期待できない。
          圧倒的に優勢な敵に探照灯を点けて撃とうものなら袋叩きに遭うのは必至で、砲撃開始を迫る砲術長以下の射撃関係者の要望を受け入れず、春日艦長は発砲を禁じるとともに脱出を決断した。
          辺りには敵の魚雷が交錯、「右舷魚雷2本!」「左舷雷跡!」「正面魚雷3本!」と見張員が怒号する中、必死の操艦でこれを躱したものの、反撃手段は無い。*33
      • 燃え盛りながら傾いてゆく羽黒の周りを、敵駆逐艦はぐるぐる回りながら集中砲火を浴びせ続ける。
        そんな悲痛な光景を後に、断腸の思いで離脱に移ったところへ運良くスコールに遭遇。敵の追撃を逃れることに成功、ペナン島に向かって北上していった。
        • 羽黒は傷つきながらも最期まで奮闘、3時半頃、ヴィーナスが放った魚雷により撃沈される。
        • 連戦連敗の戦況からの士気低下、敵はいないとの思い込み、そして作戦中止による緊張感の緩み。
          羽黒とはまともに連絡が取れず、神風も羽黒増速の時点で下すべきだった総員配置命令が遅れた。
          春日艦長はこのペナン沖海戦の惨劇を、油断とミスの積み重なった結果の痛恨事として嘆いている。
    • ペナン島まで逃げ延びた神風は、入港後、戦死者27名と重傷者14名を陸揚げし、燃料補給と第三居住区の排水作業をし応急修理した。
      その後出港し、すでに遭難者を発見していた羽黒の偵察機に誘導され、16日夕方16時ごろ現場に到着。日没まで羽黒生存者約320名を救助した。
      • 救助した生存者はペナンの第15根拠地隊に引き渡し、神風は17日にセレターに帰還、5月下旬まで入渠修理を行った。
  • 1945年6月、4月の任務に引き続き足柄と共に3度目のシンガポール‐ジャカルタ間の輸送を行う。その復路にて英潜水艦の攻撃により被雷沈没した足柄および陸兵生存者の救助を行った。
    • 6月4日にセレターを出発した足柄と神風は、ジャカルタ到着後に陸軍の兵員約1,600名や物資を乗せ、その帰り道のバンカ海峡で潜水艦の待ち伏せを受けた。
      • 6月8日、米潜水艦の情報を聞き足柄らの動きを捕捉した英潜水艦トレンチャントとステイジャンがバンカ海峡周辺で待ち伏せていた。
        未明の4時ごろ、トレンチャントは攻撃を試みるものの、先に神風によって捕捉され攻撃され、焦って魚雷攻撃を行うものの神風はこれを回避。トレンチャントはバンカ海峡北口へ潜む。
      • 10時半ごろ、足柄から先行分離してバンカ海峡を出た神風に向かって英潜水艦ステイジャンが魚雷を発射、神風はこれを見事に回避し、爆雷による反撃を行いわずかながらも損傷を与えた。
      • ステイジャンへの攻撃を終え神風が足柄のもとへ合流しようとしている最中、12時15分頃、バンカ海峡北側入り口で英潜水艦トレンチャントが足柄に発射した魚雷が命中し瞬く間に沈没することになった。
      • 足柄の乗員853名と陸軍将兵400名を救い上げた結果、神風の艦上は実に1,300名を越える人間で満員、というかギッチギチのすし詰め状態となった。
        なにせ小さな艦である。彼らが日陰を求めて移動するたび大きく傾き転覆しかける有様で、結局5度ほど傾いたまま帰還するはめになったという。
         
  • 6月、神風はシンガポール-ハッチェン間の輸送任務(ち号作戦)に参加、B-24の爆撃を受け沈没した東邦丸の救助を行う。
    • ち号作戦とはシンガポールから仏印サイゴンへの輸送作戦のことであり、燃料等を仏印に送り届ける換わりに米等の食料品をシンガポールへと持ち帰ることになっていた。
    • 6月12日、シンガポールを出発した1万トン級の輸送船東邦丸とその護衛神風と第4号掃海艇は、マレー半島沿いにハッチェンに向け北上する。
      15日昼ごろ、サムイ島付近でイギリス空軍第159飛行隊および第356飛行隊のB-24リベレーターに捕捉され爆撃を受ける。神風は第4号掃海艇と共に防空射撃を行う*34ものの東邦丸は沈没、神風は東邦丸の乗員200名を救助し帰還することとなる。
  • 7月、2度目のち号作戦として、神風は利丸ら特設掃海艇3隻と共に航空ガソリン満載の小型油槽船、第3菱丸、第3共栄丸ら3隻を護衛、シンガポール-ハッチェン間の輸送を行った。
    • 7月17日、シンガポールを出発した神風は、18日テンゴール岬にて当時新鋭のバラオ級潜水艦のうちの1隻、SS-366・USSホークビルの攻撃を受ける。*35

      ホークビルとの死闘

      ホークビルとの死闘

      • このころ、シンガポールで動ける艦は神風ただ一隻であった。
        シンガポールで石油を積んだタンカーを仏印まで護衛し、帰りは米を積んで戻ってくる輸送作戦を連日行っており、毎回潜水艦の襲撃にあった。
        神風1隻さえ撃沈すれば後の輸送船はいつでも沈められるという目算から、まず神風が狙われた。
        • SS-366・USSホークビル艦長ワース・スキャンランド少佐に、「日本駆逐艦神風に護衛された数隻のタンカーがシンガポールからサイゴンに向かっている。*36護衛の駆逐艦を攻撃せよ」という命令がくだった。
          タンカーではなく護衛の駆逐艦を攻撃せよというのは、何度も戦闘哨戒を行ったスキャンランド少佐にとっても今まで聞いたことがない異例の命令であった。
      • ホークビル艦長スキャンランド少佐は、マレー半島東岸にあるプロテンコール沖で待ち伏せた。一方、神風艦長春日均少佐もここで襲撃してくると予測していた。
        • ホークビルの潜望鏡に、南方向からくる船団のマストが見えた。一方神風も探信儀の記録器の映像に潜水艦らしきものが写っていた。いるぞいるぞと春日艦長は緊張したという。
      • 先手を取ったのはホークビルである。
        TDC*37も神風が回避運動をしているため、最適の発射位置を計算できなかった。だが、扇状に発射すれば一発はヒットすると予測、スキャンランド少佐は6発の魚雷を発射した。
        • だが魚雷が半分も行かないうちに、神風はホークビルのほうに方向を変え突進してきた。発見されたことを悟ったホークビルは全速で逃走するが、老朽といえど駆逐艦と潜水艦では速度が段違いなのである。逃げきれるものではなかった。
          ホーミング魚雷ももはや距離が近すぎて、信管のセットができず使えない。艦尾発射管より3本の魚雷を神風に向けて発射した。
        • この時、神風まで700m。神風の右舷前方より3本の魚雷が平行に並んで迫ってきた。真ん中の魚雷が命中コースであり、回避しようと左右どちらに方向転換しようとも左右の魚雷どちらかが当たるのだ、必殺の雷撃である。
          だがこの時、真ん中の魚雷が波に叩かれ、左に動いたように春日艦長には見えた。進路が変わったことによりできた魚雷と魚雷の隙間に神風を潜りこませるべく面舵を命ずる。
          神業というべき操艦により、神風は魚雷と魚雷の隙間に潜り込んだ。一本は左舷のすぐ横、2本は右舷を通過していった。神風改の高回避力はこのエピソードによるものと思われる。
      • ホークビルの真上を通過した神風は爆雷を投下した。ホークビルは60度の角度で、艦首を上に司令塔まで海面上にあった。ホークビルの下で爆発した爆雷が海面まで吹き飛ばしたのだ。すかさず後部機銃が射撃する。曳光弾が吸い込まれてゆき、艦尾から沈んでいった。
        • 海面に吹き飛ばされたホークビル艦内はパニックで満ちようとしていた。だがそうはならなかった。ホークビル航海長フレッド・タッカーが冷静に「ネガティブタンク、急速注水」=急速潜航と命令した。
          7トンの海水がタンクに流入しホークビルは後ずさりするように海中に戻っていった。海底に着底したが、潜望鏡の先端から海面までは3~5mしかなかったという。
          何度も神風のソナーのピン音がホークビルを叩いた。だが不思議な事だが、この後神風の投下する爆雷の位置はホークビルよりずれていたのであった。
      • 船団の護衛戦力は神風しかいないため、シャム湾の難所をどうしても護衛しなくてはならず、先行した船団を追って神風は去っていった。潜水艦撃沈確実と判断、同時に第10方面艦隊司令部に事の顛末を打電した。
        • だが、ホークビルは生きていた。当初神風攻撃はやる気はないが、命令だからやるつもりだったスキャンランド艦長は、今度は復讐に燃えていた。
          船団の航路を先回りし、翌朝シャム湾の入り口で待ち伏せていたのであった。だが、そこで船団上空を哨戒する日本機を発見する。ここで彼は、神風に対する個人的な復讐を優先するか、乗員の安全を優先するか、選択を迫られたのである。*38
    • ホークビルの掩護要請を受け、米潜水艦ハンマーヘッド(SS-364)・コッド(SS-224)、さらにはブリル(SS-330)・ブガーラ(SS-331)・バンパー(SS-333)が加わり、19日から20日未明にかけ神風ら輸送船団は計5隻の追跡・攻撃を受けることになる。
      • 神風ら船団は7度攻撃を受け、そのうち神風は潜水艦3隻から計4度16本の魚雷攻撃を受けたがこれを見事に回避した。*39だが最後の最後、20日5時半バンパーから輸送船に放たれた魚雷が命中し、第3共栄丸は轟沈してしまうことになった。
    • 復路、ハッチェンを出発した翌日昼頃、シャム湾の中央部で米軍B-24爆撃機3機が船団上空に出現、うち1機が超低空にで来襲して機銃掃射を加えてきた。
      神風はこれを利丸らと共に機銃射撃を行い撃墜させる。その後、神風は墜落沈没したB-24搭乗員7名(8名?)を救助した。*40
  • この頃神風の士官の間で1つのジンクスが流行していた。それは前述の大湊で緊急結婚式を挙げた航海長にまつわるものだった。
    • そのジンクスはこういうものだった。通常航行中、士官は交代で当直として艦橋に立つのだが、航海長の当直の時、決まって何か事件が起こるのだ。僚艦野風が沈んだ2月20日や輸送船団護衛中に潜水艦の攻撃を受けた6月18日、7月15日も航海長が当直だった。しかし事件は起こるが必ずスレスレのところで神風は助かるのだ。そして7月18日のホークビルとの死闘の時も当直は航海長だった。
      士官たちはこう囁きあったそうだ
      ~あの新婚の花嫁さんが必死で夫の無事を祈っていて、それが海を伝わって感応するのだろう~と。
 

戦の後、そして艦歴の終わり

  • 昭和20年8月15日、終戦。羽黒、足柄相次いで沈み、妙高高雄ともに航行不能。シンガポール方面で行動できる艦は、もはや神風ただ一隻となっていた。
    • 8月15日に神風は終戦の詔勅を拝したが、艦隊司令部からは停戦命令が未だなかったため、当初の予定通り8月16日から3度目のシンガポール-ハッチェン間の輸送護衛任務を行った。
      • いつもは逆探に敵の交信音が入るが、この時は静かで、敵機も潜水艦の攻撃もない静かな海で「戦争は終わったのか」と自覚することになった。
        司令長官から、戦闘行為の中止と機密書類焼却の命を受け、各種書類の焼却や電探の廃棄などを行っている。
    • 軍艦旗を奉焼、国辱にならぬよう大掃除を終えた神風は9月に英軍に引き渡され、10月下旬には特別輸送艦に指定され復員輸送に従事することになった。
      • 神風乗員のうち通常の航海に必要な人員が呼び戻され、在アンダマン兵力の一部をシンガポールまで輸送した。
    • 11月末になり、神風は福留繁第10方面艦隊司令長官ほか第1回内地帰還の一般邦人300名を乗せシンガポールを出発、12月8日に浦賀に入港すると、以後内地を拠点に復員輸送に従事することになった。
      • その時の姿が映画「海賊とよばれた男」で登場している。吉岡秀隆演じる国岡商店(出光がモデル)の元社員たちが戦地から復員する際、彼らを乗せて本土に帰って来る駆逐艦がそうで帰港して接舷しているシーンで船体横にローマ字で「KAMIKAZE」と書いているのが識別できる。
      • 乗員たちの大部分は英軍の収容所に収容、重労働と脚気に悩まされながら捕虜生活を送ることとなった。
        そんな中、復員輸送任務中の水兵から一通の手紙が届いた。それには戦後日本の現状の報告とともに、こう記されていた。
        「・・・きっと「神風」が迎えに行きますから、それまで身体に気をつけて元気で待っていてください。まちがいなく行きます」
        手紙は収容所中で回し読みされ、元乗員たちは何度も何度も、しまいに嗚咽を漏らしながら読んだ。
        不死鳥「神風」の名が、絶望の生活に尽きせぬ希望を湧かせてくれたという。
        だが、神風が迎えに来ることはついになかった。
  • 1946年6月7日、静岡県御前崎沖で座礁した海防艦国後を救援中、自身も座礁したのだった。
    老朽甚だしい船体にこの事故は致命的で、救援作業もことごとく失敗、ついに放棄された。1947年10月31日現地で解体完了。25年に渡る生涯を閉じた。
    • 「第一駆逐艦」として誕生し、「神風」として戦争を生き抜いた彼女、彼女の座礁放棄が奇しくも、日本海軍*41が亡失した最後の駆逐艦となった。
      願わくば、現代の海上自衛隊にあっても、彼女以降の喪失艦が出ないことを切に願うのみである。
  • 終戦後の1953年、復員して畑仕事に精を出していた最後の神風艦長・春日均氏の手許に、思いもよらぬ英文の手紙が配達されてきた。
    差出人は、米海軍第1潜水戦隊参謀長F.W.スキャンランド大佐であった。
    • 手紙の内容は、神風とホークビルとの間の戦闘について当時の春日艦長の側からみた事実を知りたいという書き出しから始まり、長い戦闘の記録を載せたもので、「勇敢な艦であり価値ある敵手」であった神風へその技量を讃え敬意を払いつつ純粋に技術的な意見交換を望むものであった。
      • 春日氏は手紙を読み終わった時、心の奥からこみあげてくる爽やかさと深い安堵を覚えたという。後にホークビルについて「今思うと、沈めんでよかった。ほっとした気分です」と語っている。
    • その後、直接対面する事はなかったものの文通する仲となり、神風の描かれた絵を贈呈するなど互いに友情を暖めあった。
       

主な書籍等

主な書籍等

  • 彼女についての書籍のなかで、現在入手容易なのは以下のとおり。いずれも光人社NF文庫。
    • 『艦長たちの太平洋戦争』『軍艦物語』(いずれも佐藤和正著)、『指揮官たちの太平洋戦争』(吉田俊雄著)、『駆逐艦「神風」電探戦記』(雨ノ宮洋之介ほか著)
      • 『艦長たちの太平洋戦争』は当時存命だった元艦長たちの証言集で、春日艦長のインタビューもそのなかの一つ。
        『軍艦物語』はその証言を元に艦歴・戦歴全体へスポットを当てたもの。
        『指揮官たちの太平洋戦争』は春日艦長の兵学校同期生、吉田俊雄元中佐による。元海軍士官かつクラスメイトならではの視点のインタビューが特色。
        『駆逐艦「神風」電探戦記』は神風の電探員として戦った雨ノ宮氏の手記で、下士官兵視点からの神風戦記。
        艦で起きた大小さまざまなエピソードや電探維持操作の苦労、そして艦の目としての戦闘描写など、前3冊とは違った毛色の作品。
        いずれの本も神風のみではなく、艦これ実装済みを含む数多くの艦についての証言・手記が満載で、どれを読んでも満足度は高いことうけあいである。

この艦娘についてのコメント

最新の15件を表示しています。 コメントページを参照

  • 7-3-2でもドロップしました。 -- 2020-09-18 (金) 10:27:46
  • まあ7-3-1で高確率ドロップしないと7-3-2がめんどいから… -- 2020-09-18 (金) 16:46:56
  • ↓下記*38の大佐のセリフ「人間はそう簡単には勝利者になれない」・・・うう~む、深イイ。ある意味、ここの提督みんな各々の、人生で最大とも言えうる真理だ。でも、花も嵐も、また数多の屍を踏み越え、その前に立ちはだかる無数の試練に勝ってこそ、最強の提督になれるのだ!!! -- 2020-09-18 (金) 20:08:41
  • ぽろぽろ出てくるね、所持制限なさそうw -- 2020-09-19 (土) 08:07:15
    • 神風の何がぽろぽろ出てくるんですかね?? -- 2020-09-19 (土) 10:11:32
      • 思い出やろ -- 2020-09-27 (日) 21:11:48
  • は?でねーよくそが おれのがそっちいってるだろ -- 2020-09-19 (土) 09:53:50
    • そのかわりこっちはポーラが全然こないねー -- 2020-09-19 (土) 17:58:18
    • 暴言かと思ったらちょっと可愛い -- 2020-09-22 (火) 00:22:13
  • 7-3-1を37Sでお迎え成功。ようやく7-3-2に進める -- 2020-09-19 (土) 17:49:44
  • 7-3-2 ボスマスでしか出ないと思ってたら道中 M マスで来てくれてびっくり。固定要員は君だけいなかったから助かった。運が 30 ならいけるかなーと旗艦にして魚雷カットインさせてマシュマロみたいな打撃を敵に食らわせる遊び、楽しい (?) -- 2020-09-20 (日) 17:55:14
  • 神風の袴を太ももがぎりぎり見えるくらいまでまくりあげたい -- 2020-09-22 (火) 00:32:01
    • やめたげて -- 2020-09-23 (水) 21:39:09
  • 本日のデイリーでも全くでないままもう30S超えたか・・・ -- 2020-09-22 (火) 05:45:28
  • 7-3-1で50S超えたが全く出る気配が無い。銀背景でピンクと赤の服着た藤波が来たけど実質これ神風って事にしてくれないかな・・・ -- 2020-09-23 (水) 21:21:00
    • ついに100S超えたが全く出ない。もう神風抜きで7-3-2攻略するかな・・・ -- 2020-09-26 (土) 21:10:49
      • 7-3-1ボス200S超えても全く出なかったので諦めて神風抜きで7-3-2攻略した。もう来なくていいよ -- 2020-10-13 (火) 13:16:30
  • 7-3神風・・・いっぱい出る・・・ふぅ。。。」 -- 2020-09-26 (土) 11:39:25
  • 古参でありながら最新の電子装備に身を固めた歴戦の勇士としての神風を見たいね -- 2020-09-26 (土) 23:48:24
    • 近い状況にならしてあげることはできるぞ。 -- 2020-09-26 (土) 23:49:54
  • いきなりD,Mマス連続で出た・・・ふぅ -- 2020-09-27 (日) 01:06:06
  • 平戸、岸波、ポーラ -- 2020-09-30 (水) 00:05:50
    • そしてルイ、朝風…それらを手に入れたのに神風だけは出てくれない定期 -- 2020-09-30 (水) 00:06:26
  • せっかく2隻出たのに1隻解体してしまった! こういうことにならないようにちゃんとロックしよう! -- 2020-10-11 (日) 08:19:32
    • もう一隻掘ってもいいのよ(4隻目が出たのでさすがに近代化にまわした) -- 2020-10-11 (日) 08:22:10
お名前: URL B I U SIZE Black Maroon Green Olive Navy Purple Teal Gray Silver Red Lime Yellow Blue Fuchsia Aqua White

*1 その後涼月に抜かれている。
*2 グレイバック(USS Grayback、SS-208)。
*3 かつての艦長であった渡辺保正大佐。
*4 パーゴ(USS Pargo、SS-264)。
*5 トレンチャント(HMS Trenchant)。
*6 ホークビル(USS Hawkbill、SS-366)。
*7 沼風艦長兼任。
*8 沼風艦長兼任。
*9 波風艦長兼任。
*10 第1駆逐隊司令兼任。
*11 波風艦長兼任。
*12 艦の除籍とともに自動免職。ただし46年7月21日まで復員事務官として同艦上で勤務。
*13 命名以前は「清風」という艦名が予定されていた。
*14 こういった例は戦後の海上自衛隊でも発生し、例えば「あきづき型護衛艦あきづき」も2隻存在する。そして両方とも2番艦が同じ「てるづき」なので「あきづき型護衛艦2番艦てるづき」も2隻存在する。本当にややこしい。
*15 橋本金松艦長の異動先が白露艦長なので全く無縁というわけでもない。
*16 艦これ実装艦では神風・初霜・弥生・如月・白露・白雪・春風・時雨・夕立・三日月・野分・潮・子日・響・初春・若葉・初雪・卯月・長月・菊月・磯波・綾波。
*17 厳密には小型の二等駆逐艦、樅型と若竹型も含む。
*18 磯風型駆逐艦の初代浜風。この子の先代。
*19 前位側から「砲・発射管・後部マスト・発射管・砲」の順だった。
*20 前位側より「発射管・発射管・砲・後部マスト・砲」の順に改正された。
*21 艦幅を拡大し重心位置を改善する手法は後の駆逐艦にも引き継がれるが、やがて初春型において破綻することになる。
*22 砲の旋回角度を、艦橋側の照準装置と各砲間とを結ぶテレメーターで一括指示する。一方で砲の俯仰は、測距儀に通じる伝声管や弾着観測で得た情報に基づき、各砲側で独自におこなう。
*23 日本が鹵獲およびコピーしたボフォース機関砲はいずれも単装型、終戦後米軍に提出された資料には40mm機銃に関する記述が無い、該当装備箇所は25mm連装機銃員の配置だった、など。
*24 かつて日本郵船で使用していた貨客船で義和団の乱での患者輸送や日露戦争での病院船任務で活躍した。1927年時は第1線を離れて北洋漁業の蟹工船として使用され、過酷な労働や船内でのリンチで犠牲者が出ている。小林多喜二の「蟹工船」はこれがモデルで、舞台の博光丸は博愛丸がモデルとなっている。1945年6月に米潜水艦の攻撃を受け沈没
*25 元々は日本郵船のシアトル航路の貨客船で、日露戦争で徴用され、バルチック艦隊を最初に発見した功を立てた事で有名。また日本海海戦で損傷したロシア戦艦「シソイ・ヴェリキー」を捕獲している(但し捕獲後に沈没)。1927年時は蟹工船に、その後はサケマス工船となっていたが、太平洋戦争では再徴用され輸送船として活動。陸軍兵士として前線に向かう際に乗船した水木しげるは「浮いているのが不思議」というほど老朽化していたと証言している。それでも戦争を生き抜きシベリア引揚げ者の本土移送に従事し1951年に除籍となっている
*26 元々ロシアの貨客船で、旅順港在泊時に日露戦争開戦となり、そのまま同港で被弾擱座していたのを日本側が浮遊修復し、笠戸丸として運用される。戦後東洋汽船となりブラジルへの移民者を運ぶなど外洋航路で活躍。1930年にイワシ工船となり、北方海域で活動する。太平洋戦争では徴用された信濃丸らとは異なり、工船として活動していたが、カムチャッカ半島ウトカに在泊していた1945年8月9日、ソ連が日本に宣戦布告し、兵士多数が笠戸丸に乗り込み乗員を下船させ捕虜とする。笠戸丸自身は動けない数人の病人ごと沖合に出され、ソ連軍爆撃機の攻撃を受け沈没する
*27 なお、リンチや過酷な労働による死者の出た博愛丸事件が作品のモデルになっているが、これは1926年の出来事なので当時まだ北方警備の任についてなかった第1駆逐隊とは実際には関わりない。
*28 結果的に加わることはなかったが、神風が挺身輸送隊に編入されることも検討されていた
*29 当時の日本海軍では、海軍兵学校の卒業成績が一生を決めると言っても過言ではなかった。成績上位者はエリートコースが約束される一方、中より下は小艦艇を渡り歩き、大佐か中佐で特務艦の艦長辺りを務めて予備役編入…というのが通り相場だった。118人中107番だったおヒゲの木村昌福提督が将官に抜擢されたのがいかに異例だったか分かる。
*30 峯風型を一回り小さくした樅型二等駆逐艦。要は神風たちや睦月たちの妹分である。大正10年生まれ。樅型はちっちゃいだけに老朽化や陳腐化が早く、姉妹の殆どは戦争前に除籍廃艦か哨戒艇へ格下げされているが、「蓮」は駆逐艦籍のまま留めおかれた。対馬丸事件にて、対馬丸を護衛していた駆逐艦でもある。米潜水艦の記録では蓮も撃沈したことになっているが実際は回避している。そして終戦時航行可能状態で生き残った、何気に強運艦の1隻である。
*31 これがアメリカ潜水艦による最後の駆逐艦撃沈となる
*32 輸送作戦任務には陸軍兵力の輸送転用も含まれていたがこれは秘密保持のためか神風の春日艦長には知らされていなかったという。
*33 ただし、英側の記録ではこの頃には神風のことを完全に見失っており、いつ退避したのかも把握していなかった。これらは燃え盛る羽黒に向け集中していた攻撃であった。
*34 神風乗員の証言では、この時B-24を1機撃墜しているとのことであるが、英空軍第159・356飛行隊のレポートでは1機の損害も確認されてない。
*35 この時の激闘や逸話は、エドワード・L・ビーチ海軍大佐の実体験を基にした小説を原作とするアメリカ映画、『深く静かに潜航せよ』(原題:Run Silent, Run Deep)のモデルになったとも言われている。
*36 実際の目的地はカンボジアのハッチェンであった。
*37 Torpedo Data Computer(魚雷照準コンピュータ)。
*38 その日から数十年後、スキャンランド大佐はこの時のことを右のように語っている。「傷ついた潜水艦で攻撃をするより乗員の安全を優先した半世紀前の自分の決断は正しかったと信じている。神風には勝てなかったが、人間はそう簡単に勝利者にはなれない」。
*39 これら潜水艦のうちコッドはそのレポートの中で右のように報告している。「あの神風というのは彼らの神々のご加護を何度も受けたに違いない。今日、3隻の潜水艦から魚雷攻撃を回避し、スコールの雨ごいをすることで我らのレーダーに魔法をかけた。触れることすら叶わなかった!」
*40 神風では負傷者を手厚く治療しセレター到着後に捕虜として第10特別根拠地隊司令部へと引き渡した。しかし不幸にもこの捕虜7名は全て尋問ののちニー・スーン射撃場で処刑されることになり、このことは10根司令部の戦争犯罪として戦後問題となった。
*41 当時は第二復員省。