No.317 | ||||
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占守(しむしゅ) | 占守型 1番艦 海防艦 | |||
艦船ステータス(初期値/最大値) | ||||
耐久 | 9 | 火力 | 4 / 18 | |
装甲 | 4 / 16 | 雷装 | 0 | |
回避 | 42 / 83 | 対空 | 7 / 24 | |
搭載 | 0 | 対潜 | 32 / 72 | |
速力 | 低速 | 索敵 | 3 / 13 | |
射程 | 短 | 運 | 40 / 79 | |
最大消費量 | ||||
燃料 | 10 | 弾薬 | 10 | |
装備 | ||||
12cm単装砲 | ||||
25mm連装機銃 | ||||
装備不可 | ||||
装備不可 | ||||
改造チャート | ||||
占守 → 占守改(Lv40) | ||||
図鑑説明 | ||||
沿岸警備や北方漁場警備のために建造された甲型海防艦、その一番艦っす。千島列島最北端*1の占守島の名前をもらったっす! 平時には漁場や漁民を守るため、小さい体だけど、大事な役目も証もあったっす。 戦いが厳しくなって、船団護衛や対潜哨戒にも全力っす。 全てが終わった後、みんなを連れて帰るとっても大切な役目も果たしたっす。*2 占守、その名、きっと憶えてほしいっしゅ。 |
※初期値はLvや近代化改修の補正を除いた時の数値であり、最大値はLv99の時の最大値を指します。
CV:咲々木瞳、イラストレーター:UGUME
定型ボイス一覧
イベント | セリフ | 改装段階 | 備考 | 追加 | ||
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占 守 | 占 守 改 | 追加 | ||||
入手/ログイン | 占守型海防艦一番艦!占守っす!司令、沿岸防衛は、この占守に任せるっす!海を守る……海防艦っす! | ◯ | ◯ | 編集 | ||
母港*3 | 編集 | |||||
母港1 | 詳細 | しむしゅしゅしゅっ~♪ | ◯ | ◯ | 編集 | |
母港2 | しれぇー、呼んだっすか? | ◯ | ◯ | 編集 | ||
母港3 | はぅっ?! 司令、脅かしっこなしっす。マジなしっす! | ◯ | ◯ | 編集 | ||
ケッコンカッコカリ | ふんふ~っしゅっしゅしゅ~♪ あれ、司令? 暇してるっす? じゃぁ、クナと一緒に歌でも歌うっすか。 お? へ? これは何っす? キラキラしてて、綺麗っす♪ ほぉ~、なんでかピッタリっす?! | ◯ | ◯ | 編集 | ||
ケッコン後母港 | ん、鮭缶っすか? 贅沢っしゅね~。仕方ない。占守のとっておき、開けるっしゅ! 北の海の恵み、召し上がれっす! 占守もお相伴♪ ん~、とっても美味しいっしゅ♪ | ◯ | ◯ | 編集 | ||
放置時 | しれぇー、これはどうするっしゅ? って、聞いてないっしゅぅ! しむしゅしゅしゅっ! もう、こっちを見るっしゅ。海防艦占守様っすよ? んん? んんんっ! よ、よし、それでいいっしゅ! | ◯ | ◯ | 編集 | ||
編成出撃 | 編集 | |||||
編成 | 第一海上護衛隊「占守」、抜錨っす! | ◯ | ◯ | 編集 | ||
出撃 | ほら、クナ。しっかり付いてくるっす。艦隊、出撃っしゅ! | ◯ | ◯ | 編集 | ||
開戦・攻撃*4 | 編集 | |||||
戦闘1 | 昼戦開始 | て、敵っす! やばいっす~! | ◯ | ◯ | 編集 | |
戦闘2 | 昼戦攻撃 | てぇ~っ! てぇ~っ! | ◯ | ◯ | 編集 | |
戦闘3 | 夜戦開始 | 深追いは禁物っす。でも、仕留めるっすよ! | ◯ | ◯ | 編集 | |
戦闘4 | 夜戦攻撃 | 負っけるかー! てぇー! | ◯ | ◯ | 編集 | |
戦闘時ステータス*5 | 編集 | |||||
小破 | あぁぁっ! | ◯ | ◯ | 編集 | ||
しむ…しむ…しゅしゅしゅ~…。 | ◯ | ◯ | 編集 | |||
中破/大破 | ふっしゅ~…ちょっと、やばいっす。 | ◯ | ◯ | 編集 | ||
轟沈 | えぇ? えぇぇ? うそぉ~…沈むとかって、聞いてないっしゅ~… | ◯ | ◯ | 編集 | ||
戦闘終了*6 | 編集 | |||||
勝利MVP | あっ、どもっす。占守、一番? っす? ……大湊のみんな、見てたっす? 見てたっすか!? | ◯ | ◯ | 編集 | ||
旗艦大破 | しむ…しむ…しゅしゅしゅ~…。 | ◯ | ◯ | 編集 | ||
装備・改修*7 | 編集 | |||||
装備1 | 改修/改造 | うおぉぉっ、いいっすね~。 | ◯ | ◯ | 編集 | |
装備2 | ふひひ♪ これでクナに一馬身リードっしゅ! | ◯ | ◯ | 編集 | ||
装備3 | 改修/改造/開発/バケツ/遠征/発見 | ん? なんかいたっす? 気の所為っしゅ? | ◯ | ◯ | 編集 | |
その他 | 編集 | |||||
帰投 | しれぇー、艦隊戻ってきたっす。ふぅ…。 | ◯ | ◯ | 編集 | ||
補給 | ふひひ。ありがとっしゅ! | ◯ | ◯ | 編集 | ||
入渠(小破以下) | あ痛ぁ~、お風呂直行っすぅ…。 | ◯ | ◯ | 編集 | ||
入渠(中破以上) | しれぇー、ちょっとお休みもらうっしゅ…。 | ◯ | ◯ | 編集 | ||
建造完了 | 新戦力、完成っす! うひひっ♪ | ◯ | ◯ | 編集 | ||
戦績表示 | あ、情報っすね? 待つっす。 | ◯ | ◯ | 編集 |
時報ボイス一覧
時刻 | セリフ | 改装段階 | 備考 | 追加 | |
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占 守 | 占 守 改 | 追加 | |||
00 | 編集 | ||||
01 | 編集 | ||||
02 | 編集 | ||||
03 | 編集 | ||||
04 | 編集 | ||||
05 | 編集 | ||||
06 | 編集 | ||||
07 | 編集 | ||||
08 | 編集 | ||||
09 | 編集 | ||||
10 | 編集 | ||||
11 | 編集 | ||||
12 | 編集 | ||||
13 | 編集 | ||||
14 | 編集 | ||||
15 | 編集 | ||||
16 | 編集 | ||||
17 | 編集 | ||||
18 | 編集 | ||||
19 | 編集 | ||||
20 | 編集 | ||||
21 | 編集 | ||||
22 | 編集 | ||||
23 | 編集 |
季節ボイス一覧
季 節 | イベント | セリフ | 改装段階 | 備考 | 追加 | |
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占 守 | 占 守 改 | 追加 | ||||
春 | 桃の節句 | 編集 | ||||
春の訪れ | 編集 | |||||
ホワイトデー | しれぇー! お返しありがとっす! ちょっと自慢っす! うひひ♪ いいっすねぇお返し。うふ♪ うひひ♪ | ◯ | ◯ | 編集 | ||
春 | 編集 | |||||
春本番 | お花見の季節っす! 桜は素晴らしいっす。クナ、ガッキ、ハチ、司令、お花見に突撃っす! ガッキ、ハチ、美味しいのいっぱい作るっしゅ! | ◯ | ◯ | 編集 | ||
夏 | 梅雨 | クナー、今日も雨っす。あれ、何してるっす? …なかなか器用っす。司令のぬいぐるみっすか? わ、なんで睨んでるっす? 違うっす? | ◯ | ◯ | 編集 | |
初夏 | クナ、夏の準備はバッチリっしゅ? え、まだ悩んでるっすか? 海防艦は思いっきりが大事っすよ? そうっす、それでいいっしゅ! | ◯ | ◯ | 編集 | ||
夏 | 編集 | |||||
盛夏 | 編集 | |||||
夏祭り | 編集 | |||||
秋 | 秋 | だぁぁぁぁ!秋っす!秋祭りっす!しむしゅしゅしゅっ!クナ!ガッキ!ハチ!盛り上がるっすよ~!いざ、鎮守府秋祭りに突撃っしゅ! | ◯ | ◯ | 編集 | |
秋刀魚 | よぉーっし! 漁業保護、漁業支援っすね? 超任せるっすよ! 海防艦の出番じゃないっすか。クナ、こうしちゃいられないっす。抜錨っす!! | ◯ | ◯ | 編集 | ||
晩秋 | うひひ♪ 冬っすよ、冬! でも、鎮守府の冬は流氷も来ないし余裕っす! 宗谷海峡辺りじゃ、こうはいかないっしゅ! しむしゅしゅしゅ。 | ◯ | ◯ | 編集 | ||
ハロウィン | 編集 | |||||
秋のワイン | 編集 | |||||
冬 | 冬 | 編集 | ||||
師走 | もー師走っす。一年って本当に早いっす。さぁ、海防艦集合っす! 大掃除、始めるっしゅ! | ◯ | ◯ | 編集 | ||
クリスマス | メリークリスマっしゅー! 司令、食べてるっす? もっとたくさん食べるっす! カニ缶も、サケ缶もあるっしゅ! | ◯ | ◯ | 編集 | ||
年末 | 編集 | |||||
新年 | しれぇー! おめでとうっしゅ! 占守とクナたちが、新年も司令といっしょしてあげるっしゅ! うひひっ♪ | ◯ | ◯ | 編集 | ||
節分 | はい? …セッツ、ブーン? ノンノンノン! 節分っすよ、せ・つ・ぶ・ん! ……ああーもう違うっす! | ◯ | ◯ | 編集 | ||
バレンタイン | うひひ♪ 作ったっすよー、チョコ! うひひー♪ これで司令もイチコロっしゅ! クナたちに負けんしゅ! | ◯ | ◯ | 編集 | ||
周 年 | 五周年記念 | 司令、やばいっしゅ! 五周年のお祝いっす! 占守たちは一周年! 艦隊は……ごっしゅうねんっしゅ~!! | ◯ | ◯ | 編集 | |
六周年記念 | 編集 | |||||
七周年記念 | クナ、司令、やばすぎっす! 艦隊七周年っす! 占守たちは三周年! 艦隊は……ななしゅうねんっしゅ~!! | ◯ | ◯ | 編集 | ||
八周年記念 | クナ、ガッキー、ハチ、そんで司令、やばいっす! 占守たちは四周年! 艦隊は……はっしゅうねんっしゅ~!! | ◯ | ◯ | 編集 |
ゲームにおいて
- 2017年5月2日にイベント『出撃!北東方面 第五艦隊』で先行実装。同日実装された新艦種「海防艦」に属する艦娘。
- 同イベントで実装された海防艦には他に国後、択捉がいる。
- 鎮守府秋刀魚祭2017期間中は、一部通常海域で邂逅可能。再入手の手段としてはこれが初となる。
また、2018年春の食材集めイベント期間中も、一部通常海域で邂逅可能だった。 - 2019年には鎮守府「秋刀魚&鰯」祭り 限定任務『【特別任務】今年は鰯が豊漁なのです!』選択報酬になった。
- 占守型は2隻しかいない状態が約2年間続いていた(占守や国後などのボイスでの言及はあった)が、2019年5月21日、イベント『発動!友軍救援「第二次ハワイ作戦」』開始と同時に3番艦の八丈、4番艦の石垣が追加実装され、これを以て占守型4隻が全て出揃った。
海防艦の特徴
- 駆逐艦と異なり魚雷、缶、タービン、探照灯、照明弾、ドラム缶(輸送用)は装備できない。
- 缶、タービンが装備出来ないので高速化が一切出来ない。
- 雷装値0なので雷撃戦参加不可。
- 未改造のまるゆに次いで全艦中同率2位の燃費で、遠征要員としても優秀。先制対潜攻撃も可能なためキラ付けも比較的しやすいが、艦種制限には気を付けたい。
- 一部遠征は駆逐枠の代わりに使える報告がある、特定遠征に限り特例で海防艦が指定枠に代用できる模様。
- ただし基本的にはその他枠。
- 一部遠征は駆逐枠の代わりに使える報告がある、特定遠征に限り特例で海防艦が指定枠に代用できる模様。
- 駆逐・軽巡等に比べ対潜先制爆雷攻撃に必要な対潜値のボーダーラインが低く、素対潜+装備対潜が60以上で対潜先制爆雷攻撃を行い始める。
- 占守の場合は初期値32なのでLV10になればもう四式ソナー2個で対潜先制爆雷攻撃可能になる。
- またソナー無しでも装備対潜値4以上を含む対潜値75以上で対潜先制爆雷攻撃を始める。
MVP調整等が無い限り爆雷単独装備は無いと思うが…
- ルート固定での扱いは明記がなければ駆逐と別扱いだが、基本的に駆逐艦と同等が多い。
- 水上/機動連合艦隊編成時はその他枠として扱われる。
- 輸送連合に限り駆逐枠として利用可能。もっとも輸送装備は装備不可なので、第二艦隊で対潜先制爆雷攻撃ぐらいか?
- 第1期では、艦種別ソートにすると一番最後になっていた。第2期では、駆逐艦と潜水艦の間に変更された。
- 耐久が低く、修理時の艦種倍率が潜水艦と同値の為、修理時間が短い。
- 同Lvで同じだけHPを削られた場合、駆逐艦の半分の時間で済む。
- 近代化改修の素材に使用すると、通常は上げられないパラメータを上げることができる。→近代化改修
キャラクター設定について
- UGUME氏が新規実装艦娘を描いたのはこれが初である。
- 袖口など見ると、この娘の制服は耐寒仕様と思われる。占守型で唯一南方を主戦場とした彼女にはさぞやきつかろう・・・
- 語尾が「っす」「っしゅ」と独特。一部セリフで語尾が「っす」になるのは嵐改がいるが、口癖として「っす」を常用する艦娘はおそらく艦これ初。
- 同じ位に特徴的なのが「しむしゅしゅしゅっ~」というセリフだが、こちらは福江も梅雨ボイスにて占守のあだ名として使っている事が判明した。
小ネタ
占守型一覧
※進水、就役、戦没順は各型毎に番号を付与しています。
艦番号 | 艦 名 | 建造所 | 進水日 | 順 | 就役日 | 順 | 所属隊 (開戦時) | 戦没日 | 順 | 艦これ実装 | 順 |
1 | 占守 | 三井造船玉野造船所 | 1939.12.13 | 1 | 1940. 6.30 | 1 | 南遣艦隊 | 生 還 (1959年5月16日解体) | - | 2017. 5. 2 | 1 |
2 | 国後 | 鶴見製鉄造船鶴見造船所 | 1940. 5. 6 | 3 | 1940.10. 3 | 2 | 大湊警備府 | 生 還 (1946年6月4日に座礁、放棄) | - | 2017. 5. 2 | 1 |
3 | 八丈 | 佐世保海軍工廠 | 1940. 4.10 | 2 | 1941. 3.31 | 4 | 大湊警備府 | 生 還 (1948年4月解体) | - | 2019. 5.21 | 3 |
4 | 石垣 | 三井造船玉野造船所 | 1940. 9.14 | 4 | 1941. 2.15 | 3 | 大湊警備府 | 1944. 5. 31 | 1 | 2019. 5.21 | 3 |
諸元
竣工時
排水量 | 基準 | 860t |
満載 | 1020t | |
全長 | 78.0m | |
全幅 | 9.1m | |
吃水 | 3.05m | |
機関出力 | 4500馬力 (22号10型ディーゼル2基2軸) | |
最大速力 | 19.7kt | |
航続距離 | 16kt/8000海里 | |
乗員 | 150名 | |
兵装 | 新造時 | 45口径3年式12cm砲単装3基3門 25mm連装機銃2基4門 94式爆雷投射機1基 爆雷18個 |
来歴
年表
1938 | 11.29 | 株式会社玉造船所(現:三井E&S造船株式会社玉野艦船工場)で「仮称第9号艦」の名で起工 |
1939 | 11.6 | 「占守」と命名 |
12.13 | 進水 | |
1940 | 6.30 | 竣工。舞鶴鎮守府籍 |
7.15 | 第2遣支艦隊に編入 | |
7.16 | インドシナ方面での警備・哨戒に従事 | |
1941 | 1.14 | 足柄に代わり一時的に第2遣支艦隊の旗艦となる(~1.16) |
7.31 | 平田昇中将以下南遣艦隊に編入 | |
12.8 | 太平洋戦争開戦。マレー上陸船団の護衛を行う | |
1942 | 1.3 | 『南遣艦隊』の改名に伴い第1南遣艦隊に再編入 |
4.10 | 高橋伊望中将以下南西方面艦隊に編入 | |
7.1 | 艦艇類別等級表の改正に伴い軍艦籍より除外される | |
以降は船団護衛が主な任務となる | ||
1943 | 2.11 | 第10特別根拠地隊の指揮下に入り、3月~6月にかけて行動 |
6. | 第1南遣艦隊に復帰 | |
12.20 | 海上護衛総司令部第一海上護衛隊に編入 | |
1944 | 1.13 | 佐世保に帰投 |
2.10 | ヒ40船団の護衛中、米軍潜水艦2隻*8に襲撃され輸送船5隻が沈没 | |
10.29 | 多号作戦に参加(~11.11) | |
11.25 | 米軍潜水艦*9に雷撃され艦首部分に被雷 | |
1945 | 1.20 | 舞鶴に帰投。修理を行う(~4.1) |
4.10 | 第104戦隊に編入 | |
8.15 | 北海道で終戦を迎える | |
10.5 | 帝國海軍籍より除籍 | |
10.12 | 特別輸送艦に指定され、復員輸送を行う | |
1947 | 7.5 | 特別輸送艦指定解除。ソビエト連邦に賠償艦として譲渡され、護衛艦EK-31に改名 |
1948 | 7. | 通報艦PS-25に改名 |
1957 | 6.17 | 工作艦に改装(~10.5)され、「PM-74」と改名 |
1959 | 5.16 | 除籍解体 |
艦名について
- 千島列島の最東端(本人が言っている「最北端」は誤り)に位置する占守島(しゅむしゅとう)に由来する。
- 占守型から鵜来型までの海防艦には島・島嶼に因む名前が付けられている。中には戦艦の命名に使われる律令国名と重なる名を持つもの(佐渡、壱岐、対馬、隠岐、淡路)もあるが、これらは国名ではなく島の名前から取られたものである。
- その後に大量建造された740tクラスの丙型、丁型海防艦は『第◯号海防艦』という番号艦名が付けられた。
- 占守島は北方領土エリアに属するため、簡単に上陸することはできない。
- 占守島の領有権は江戸時代から日本とロシアの間で揺れており、1875年の樺太・千島交換条約で日本の領有が確定された。日本が1945年8月15日にポツダム宣言を受け入れて降伏した後の8月18日に、日ソ中立条約を破りソ連軍が上陸侵攻、武装解除された日本陸軍守備隊を制圧して占領する。これが、17年春イベント出撃!北東方面 第五艦隊の元ネタとなった占守島の戦いである。以降、占守島はソビエト・ロシアが実効支配している。
- 同イベントで実装の装備特大発動艇+戦車第11連隊は、占守島の防衛にあたっていた「陸軍戦車第十一連隊(通称:士魂部隊)」がモチーフ。一式戦 隼III型甲(54戦隊)も、最後の戦闘で占守島に援護を行った部隊である。
- 島の名前は、正確には「しゅむしゅ」。アイヌ語由来地名という事は分かっているが、その意味は諸説あり確定していない*10。ロシア語表記は「Шумшу」で、国際的にはこれをラテン字転写した"Shumshu"と呼ばれる。「占守島の戦い」も「しゅむしゅとうのたたかい」という表記が一般的であるが、北海道地理小誌読本字引http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/763144/11など占守に「しむしゅ」とふりがなを付けている資料も見られるので、かつては普通に「しむしゅ」という表記が使われていたようである。
- 海防艦占守については海軍省昭和14年11月6日付 達 第190号で「海防艦 占守(シムシユ)」と命名されたので「しむしゅ」で合っている。…のだが、復員輸送艦時の艦舷記載は「SHUMUSHU」と記載されていたという。
- 占守型は、占守、国後、八丈、石垣の4隻が建造された。
- 占守型から鵜来型までの海防艦には島・島嶼に因む名前が付けられている。中には戦艦の命名に使われる律令国名と重なる名を持つもの(佐渡、壱岐、対馬、隠岐、淡路)もあるが、これらは国名ではなく島の名前から取られたものである。
Q.そもそも海防艦って何?
- A.明治時代に制定された艦種だが、1942年に類別が変更された。
- 元ネタは欧州の、特に大戦艦を整備するような国力を持たない小国が、沿岸防備を目的に建造した「Coast Defence Ship」である。「海防艦」はぶっちゃけその直訳。欧州の海防艦は航洋性を犠牲にして火力と装甲では戦艦に近いレベルにまで発展したものもあり、これらは「海防戦艦」と呼ばれることもあった*11。
- 日本が海防艦を艦種として類別・制定したのは1898年3月21日のことである。主に旧式化して前線に出せなくなった軍艦の余生を飾る称号であり、制定当初は金剛や大和など、初期のスループやコルベット等10隻が類別された。
- その後戦艦や装甲巡洋艦といった大型艦が順次類別されていく。元が主力艦級の大型艦であるため、実際の用途は警備よりも各種母艦や練習艦といった支援任務、あるいは砲艦に準じた対外任務が重視された。
- 以上の経緯から、日本海軍で運用された海防艦は菊の紋章を艦首に掲げた軍艦であり、艦長には中佐以上が就任した。
- 昭和17年(1942年)7月1日に分類を新しくし、船団護衛や沿岸警備用を目的とした新規艦艇を割り当てることになり、軍艦籍を解かれている。ざっくり分けると甲型、乙型、丙型となる。
- このためそれまで海防艦籍にあった旧式巡洋艦が一等巡洋艦に戻るという珍事も発生してしまった。
- 一方、その建造意図を見ると、同時期の他国で言う「スループ(艦)」に相当する艦種と言える。実際、英語文献では占守型以降の海防艦をスループに分類している事もある。
- 華々しい航空部隊や大型艦、勇ましく斬り込む駆逐艦などの陰に隠れ、裏方として活躍した艦達である。
- 鈍足なのは、高速を出して商船を置きざりにするわけにはいかないからである。その為、潜水艦や航空機のいい的にもなった。
- しかしながら、大戦末期、多くの大型艦が動けず港内で浮砲台と化していた時、最も活躍したのは紛れもなく彼女たちであった。毎日死と対面しながら心身を消耗し地道な船団護衛を行い、時には自らを生贄にして主力艦よりも辛く苦しい戦いを行ったのである。
- 潜水艦の発見は至難の業であり、船団の外周を護衛している海防艦のいずれかが攻撃を受け沈没、これによって他の海防艦が攻撃するというような戦法にならざるをえなかった
- 彼女たちの不遇は戦後も続く。平成10年(1998年)、老朽化や保存コストを理由に、帝国海軍艦艇の最後の生き残りで当時海洋公民館として保存されていた海防艦「志賀」(海上保安庁巡視船「こじま」)の解体撤去が決定した。
解体計画が発表されるや保存運動が巻き起こり1万2千人におよぶ署名も集まったが、その甲斐もなく千葉市は決定事項として解体を強行、あっという間にスクラップとなってしまった。
千葉市と呉市がその獲得を争った末、千葉市が獲得したという経緯があったにもかかわらず、である。
さらには解体決定の報を聞いた呉市海事博物館(現在の大和ミュージアム)準備室の職員が「船体は無理でも、せめて部品だけでもなんとか譲って保存させてほしい」と3度も市役所へ足を運んだが、千葉市は門前払いをくわせたという。
その後、同市の稲毛記念館に舵輪など艦橋機器の一部が「艦橋を再現した」と称しておざなりに展示されているほか、艦首先端部が那須戦争博物館で何故か本来付けたことのないご紋章を取り付けられて保存されている。よくよく余生に恵まれない艦であった。列強護衛艦艇史~強くないし速くもない軍艦たち~
- WW1においては、潜水艦・機雷・小型高速艦艇といった新たな脅威が海上交通に大きく立ちはだかる事となった。それらは全て低コストで、大国ならば大量配備が可能なものであり、古き良き大型艦による大艦隊では対処できない脅威であった。
- 小型で数が揃えやすく、方々にばら撒いて細々した任務に従事させられる戦闘艦としては駆逐艦があったが、その数にも限りがある。そこで、低コストで艦隊戦闘以外の二線級の任務に充当できる小型艦が求められたのである。英海軍によって大量建造されたそれは、かつての帆船時代の艦種名を復活させ「スループ」と呼称される事となった。(フラワー(花)級スループ)
- 低コストで平時の任務にも使い勝手の良いスループは戦間期にも建造が続けられ、低速だが駆逐艦級の武装とそこそこの航洋性及び航続力を持つ本格的な補助艦艇へと発展した。イギリスだけでなく、同じく遠隔地に植民地を持つフランスやイタリアといった国も、その保護のために呼称は様々であるものの同種の艦を整備している。
- やがてWW2が始まり、英海軍は同じように大量の二線級艦艇が必要な状況に直面した。だが大型化・高級化し建造期間が長くかかるスループはすでにその需要を満たせなくなっており、大型漁船の設計を流用し必要最低限の武装を備えた沿岸護衛艦「コルベット(艦)」、コルベットでは不足している航洋性と航続力を強化した「フリゲート(艦)」が大量に建造される事となった。いずれもスループと同じく帆船時代のものを復活させた呼称である。
- スループがコルベット/フリゲートに移行したように、海防艦も占守型から御蔵型/鵜来型へ、さらに丙/丁型へと移行した。平時における充実したスペックの護衛艦から、より簡易化され大量急速建造が可能な護衛艦へ…という意味では、全く同じ道程を辿ったのである。ただ、帝国海軍は全てが二年ばかり遅かったが…
占守型について
建造の目的
- 日本で新規に海防艦を建造しようという構想が芽生えたのは、ロンドン海軍軍縮条約が締結され、駆逐艦の保有量にも制限が加えられたためである。
- 軍艦の重要な任務に平時の警備(米国の沿岸警備隊、現代の海保に相当)があるが、広大な領海を有する日本は漁業資源の管理が重要な任務となっており、隣国ソ連や中国等との関係が決して良好とは言えなかったこともあり、駆逐艦を主とした警備艦艇を多数運用していた。
- しかしロンドン条約にて駆逐艦の保有量が制限されたため、これら二線任務に貴重な駆逐艦を割く余裕がなくなってしまったのである。
- 警備用小型艦の建造構想は、昭和6年度のマル1計画に早くも登場している。しかし予算難から建造は見送られ、昭和9年度のマル2計画でも実現せず、昭和12年度のマル3計画でようやく4隻の建造が認められた。
- 予算上は1200トンだが、実際は900トン弱で建造された。削られた25%分の予算はどこぞの戦艦に回ったとの話が......
占守型の特徴
- 占守型の建造目的は「北方海域の警備艦」である。このため、寒冷地での行動を考慮した特殊な構造や各種設備が設けられた複雑な設計となっていた。
- 設計はマル3計画遂行で多忙を極めていた艦政本部ではなく、その指導下で三菱重工が行った。
- 船体について
- 北方の荒天や着氷への対応として復元性や船体強度確保のため、当時としては珍しいタンブルホーム構造を取っている。つまり船体の最大幅部分が最上甲板よりも下に設定され、艦腹が膨らんだ丸みを帯びた断面になっていた。つまりイカ腹
- さらに着氷時にこれを排除しやすいよう、甲板も外側に向けて丸く整形された「キャンバー」構造となっていた。言うまでもなくこれらは複雑な構造である。
- 外板は荒天や氷海に耐えるため、小型艦には珍しい12mm厚を採用していた。
- 上部構造は、荒天時でも交通を確保するため、艦橋から後部まで一体化した構造物を設けていた。実はこの構造は甲板上を素早く左右両舷に移動することができないため、戦闘任務には向いていないことが後に判明する。
- 主機にディーゼル機関を用いたため16ノットで8,000海里という赤城に並ぶ長大な航続距離を有するのも特徴だった。
これはその後、戦局の悪化で石油事情が逼迫した際、「海外の産油地帯で給油しておけば日本で給油する必要なし」という大きな強みになった。
- 設備について
- 小型艦としては充実した暖房設備や解氷装置が設けられている。
- 長期航海や国際交渉を見越して各種公室や居室はゆったりとした設計で、ベッド、洗面台、ロッカー、デスクなども入念に作り込まれた美麗なものだった。
さらに、士官室の飾り棚のグラス類もシャンパングラス、シェリーグラス、ワイングラス、大中小各種タンブラーまで本式のカットグラスのものを完備。
香蘭社の洋食器から輪島塗の椀まで和洋両方の高級食器も備え、小規模の艦内レセプションがいつでも開催できるようになっていた。
もちろん各種の高級洋酒もきちんと揃えていた。 - 特筆すべきはその余裕を利用して設けられた「風呂」である。小型艦としては非常に贅沢なこの設備は、乗員や便乗者に好評だった*12。
- 前述のように主機は煙突の要らないディーゼル機関なのだが、暖房用に艦本式ホ号ボイラーを搭載しているため蒸気タービン艦のような堂々たる煙突を設けている。
- 兵装について
- 警備任務が主であり、外国の同種艦に対抗可能な武装が求められた。魚雷こそ装備しないものの、12cm砲3門を前1・後2で配置し、25mm機銃と合わせて十分な装備が設けられていた。
- 爆雷も18個と、艦隊型駆逐艦と同数を装備している。国籍不明潜水艦への警戒も兼ねていたため、当時としてはかなり強力な装備だった。
「軍艦」占守
- 占守型も建造当初はオホーツク海での漁業権を巡ってソ連海軍と交渉する必要があった事から軍艦と類別されていた。
- また、占守型が建造されるまでは海防艦と言えば旧式の戦艦や巡洋艦を類別したものだったので、860tの排水量を8600tと担当者が誤解して修正・発表されるハプニングがあった。
警備艦艇として
- 占守型は4隻建造され、2番艦以降は当初予定通り北方警備の任に就き、終戦まで任地を動かなかったが、一番艦「占守」のみ、就役早々南方に配属され、警備任務などに従事している。
- 海防艦の目的は警備任務から駆逐艦を解放することであり、その需要は当然北方ばかりではない。帝国海軍は完成した新型艦を南方でも使い、今後の運用に備えたテストベッドにしたものと窺える。
- 占守型はかなり強力な送風能力を備えていたが…やはり艦内は暑くてたまらず、居住性は悪かったと伝えられる。この件に限らず、占守が南方で得た貴重な知見はその後の護衛艦艇建造計画に数多く反映されるのである。
- 占守型は本来の目的の北方警備艦としては大変優秀であり、ソ連の砲艦を何度も追い払い、漁船員達にとっては文字通り守護神であった。
- 海防艦はその後も増強が予定され、昭和25年頃までに10隻程を就役させる構想だった。
護衛艦艇として
- 上記の通り、占守型は本来大量に建造することは想定していなかった。複雑な構造や装備も、当初の想定通りであれば問題視されるようなものではなかったと言える。
- しかし戦争の機運が高まり、特に蘭印方面への進出が求められるようになると、海防艦を護衛艦艇として用いる構想が持ち上がった。
- 従来の日本は中国近海やフィリピン周辺を主な戦場と考えていたため、駆潜艇や敷設艇などの600トン級の小艇を護衛任務にも充当する予定だったが、はるばる蘭印(オランダ領インドネシア)まで足を伸ばすとなると、このクラスでは性能不足が明らかだった。
- そこで白羽の矢がたったのが、900トン級の海防艦である。日本はこのクラスを主力護衛艦に定め、さしあたりマル急計画で一挙30隻の量産を決定する。
- しかしここで占守型の複雑な構造がネックとなった*14。明らかに量産に向かない本級を護衛艦のベースとした弊害は直ちに現れ、日本は護衛艦の充実まで貴重な時間を浪費するのである。
戦歴について
- 1940年6月30日に竣工。直後の7月15日に第2遣支艦隊に編入された。
これ以降、戦争末期の1945年4月2日に大湊へ派遣されるまで、ずっと南方海域で行動することになった。
北方警備用に設計されたネームシップなのに、南方でばかり活動するはめになったのである。艦内が暑くてそれはそれは大変だったという。 - 第2遣支艦隊では鳥海や第1水雷戦隊と共に中国のジャンクを臨検して武器を積んでいないか調べた。
- 大型のジャンクを捕えて16人の中国人を捕虜にしたり、陸戦隊で島を占領したりもした。
- 開戦時は南遣艦隊に所属し、シンガポール進駐第一陣の一隻であった。
- シンガポールでは、暫くの間、菊花紋章をもつ軍艦は、香椎と占守の2隻しかいなかった。
- 1942年1月3日、マレー半島上陸作戦の為、船団を護衛中、貨物船明光丸の積んでいた焼夷弾が自然発火、大爆発を起こし、沈没してしまう。
- 香椎、吹雪、特設敷設艦辰宮丸と共に救難活動を行い、乗船していた陸軍の挺進第1聯隊(パラシュート部隊)全員を救助した。
- 同じ月の下旬には南遣艦隊司令長官から英戦艦プリンス・オブ・ウェルズの正確な沈没位置を確認するよう命令が下る。
- また、巡洋戦艦レパルスも探すことになり、第1掃海隊と共に探索を行った。
1月29日には掃海艇がレパルスを、占守も2月1日にプリンス・オブ・ウェルズの残骸を発見した。
- また、巡洋戦艦レパルスも探すことになり、第1掃海隊と共に探索を行った。
- 戦争中は文字通り休むヒマもなく船団護衛に投入され続け、大小数え切れない数の船団を護った。
- その中で煮え湯を飲まされることもあった。
1944年2月のヒ40船団はタンカー南京丸、国栄丸、一洋丸、日輪丸、南邦丸、そして貨物船浅間丸の6隻で編成されていた。
そして肝心の護衛は占守1隻だけ。いくら護衛艦艇の数が足りないとはいえ、立案者の頭を疑うレベルの無茶振りであった。
案の定、この船団は運悪く敵潜水艦群に捕捉される。占守だけで対潜攻撃をしつつ広範囲の遭難者救助もしろというのは、何をどうしたって無理な話であった。
この船団は執拗な襲撃の結果、タンカー5隻全て沈没、浅間丸も小破するという悲惨な結果に終わっている。
- その中で煮え湯を飲まされることもあった。
- 1944年10月~12月にかけての多号作戦、すなわち地獄のオルモック輸送には第2次と第4次の2度参加している。
- 10月30日~11月4日にかけての第2次作戦では旗艦をつとめ、直接護衛部隊総指揮官として海防艦沖縄、第11号、第13号を率いた。
支援護衛部隊はヒゲの木村提督率いる第1水雷戦隊があたり、旗艦霞の指揮のもと潮、曙、沖波、初春、初霜が参加。
この作戦は陸軍四式戦闘機隊による決死の上空援護*15と巧妙な煙幕戦法の甲斐もあってほぼ揚陸を完遂、輸送船能登丸沈没のみという成功を収めた。 - 11月8日~11日にかけて行われた第4次作戦は海防艦沖縄旗艦のもと第11号、第13号とともに直接護衛を担当。
この時の支援護衛部隊は前回と同じく1水戦、旗艦霞の指揮により潮、長波、秋霜、朝霜、若月が参加。
しかし、この作戦は受け入れ側の大発準備不足というまさかの事態によって、地点に辿り着いたはいいが遅々として揚陸が進まなかった。
加えて、前回作戦からたった4日で制空権・制海権は完全に失われ、夜間は不眠不休の対魚雷艇戦闘、昼間は過酷な対空戦闘と悪戦苦闘を強いられた。- 10日に突入したが、浜辺に並べてあった大発は戦闘機の機銃掃射により浸水。上陸用舟艇母艦の高津丸も少しでも多く軍需品を運ぶため、船内の大発を降ろし、弾薬と食料を積んでいた。
また、甲板上の大発も機銃掃射で使えない状態だった。
そこで海防艦3隻に陸兵を移し、接岸するという行動をした為、重火器や大量の食糧を運ぶことができなかった。
- 10日に突入したが、浜辺に並べてあった大発は戦闘機の機銃掃射により浸水。上陸用舟艇母艦の高津丸も少しでも多く軍需品を運ぶため、船内の大発を降ろし、弾薬と食料を積んでいた。
- 結局、第11号海防艦と香椎丸、高津丸が被爆沈没し、人員と軽火器類しか揚陸できず、重火器や食糧弾薬類の大半が失われ、大失敗に終わった。
- オルモックから帰還後の木村提督のメモには「大発準備無ク無念」と記されていた。
また霞の三浦砲術長によれば、作戦帰還後の司令部への報告に際し、星野通信参謀が憤怒の形相で大発不備を難詰していたという。 - この作戦の帰途、進撃途上の第3次作戦部隊(第4次の方が先に実施された)とすれ違うことになり、朝霜、長波、若月が急遽合流し揚陸地へ取って返していった。
指揮官は第2水雷戦隊旗艦島風。詳細は彼女の史実を参照してほしい。この第3次作戦部隊から生きて帰ってきたのは朝霜だけだった。
- オルモックから帰還後の木村提督のメモには「大発準備無ク無念」と記されていた。
- この作戦では新兵器「防空凧」が使用された。
これは百足のような長さ10メートルの凧に爆薬や発煙筒を着け、艦尾から揚げる。
敵機が急降下してきた時にロープに触れると爆発するという仕組みだった。- あまり戦果はなかったようだ
- 10月30日~11月4日にかけての第2次作戦では旗艦をつとめ、直接護衛部隊総指揮官として海防艦沖縄、第11号、第13号を率いた。
- 1944年11月25日、マニラ湾口にて浮上潜水艦を発見し攻撃に向かうも、逆に雷撃を受け艦首を破損した。
- 占守はできるだけ接近し砲撃してから爆雷制圧しようと向かったが、敵もさるもの、占守の接近をいち早く察知して急速潜航した。
10分、15分経ち、水中探信儀の反応が一向になく、てっきり逃げられたかと思いきや、敵潜水艦は息を殺して待ち構えていたのである。 - 突如放たれた左前方2000メートルからの雷撃4本を緊急取舵一杯でかわし、爆雷投射のため突撃に移ったその直後、1000メートルを切る位置から更なる魚雷が発射された。
気負い込んで制圧に向かってきた艦の喉笛を至近で掻き切るという、雷が沈められ曙や神風がやられかけた、米潜水艦の常套戦法であった。 - 島村艦長はもはやかわす余裕は無いと判断、とっさに占守の艦首を魚雷の真正面へと向けた。
次の瞬間、轟音とともに凄まじいショックが占守を襲った。艦長は羅針儀に叩きつけられ、操舵員長も艦橋天蓋に頭を強打し失神したほどだったという。
艦首の主砲は外れて横倒しに転がり、機関も一時停止、兵員3名が水柱に飲まれて行方不明となった。
しかし、真正面からぶち当たったお陰で被害は限定的で応急処置も容易であり、速力12ノットに落ちたものの浸水は間もなく止まった。 - この時、僚艦の第13号海防艦は占守の大水柱を望見し、てっきり占守が敵潜水艦を撃沈したものと思っていた。
しかし緊急信号で事態を悟るや急行、すぐさま敵潜水艦を制圧しそれ以上の攻撃行動を断念させ、占守の危機を救った。
島村艦長は、第13号海防艦を命の恩人であると回想している。 - なおこの潜水艦、朝風を討ったハッド(USS Haddo/SS-255)である。
- 占守はできるだけ接近し砲撃してから爆雷制圧しようと向かったが、敵もさるもの、占守の接近をいち早く察知して急速潜航した。
- キャビテと馬公で応急修理をしたのち、タモ35船団の護衛として基隆から門司へ向かう。もはや損傷した艦ですら護衛として使わねばならない戦況であった。
- 舞鶴工廠で修理後、ソ連参戦に備えて稚内へ移動する。千島方面の陸軍部隊を本土決戦に備えての引き上げ作戦と、警備が目的であった。
- 5月18日、第47号海防艦、第112号海防艦、第205号海防艦と共に補給艦白埼(未実装)、輸送船3隻で編成されたチ船団を護衛して小樽を出港。19日、偶然通りかかったソ連商船からこの海域にアメリカ潜水艦が存在すると警告を受けてコースを変更し、23日に無事片岡湾に到着。26日に船団は損傷していた八丈を加えて小樽へ向け出港するが、28日に濃霧の中八丈が分離。同日、アメリカ潜水艦スターレット(USS Sterlet/SS-392)の雷撃で呉竹丸、天領丸が撃沈された。このうち天領丸は宗谷の姉妹船だったが、荒天で波が高かったため急速に傾斜し沈没。波浪により救命艇が転覆したこともあり、乗船兵員773名を含む856名が戦死した。31日、船団は小樽に到着。
- 7月18日、第112号海防艦がアメリカ潜水艦バーブ(USS Barb/SS-220)の雷撃で撃沈されたとの報を受けて現場に急行したが*16、救助できた生存者はわずか2名。他船に救助された者を含めても生存者4名のみという悲劇を体験している。*17
- 8月15日の朝に稚内港に入港する。そこで乗組員は終戦を知らされた。
- 8月17日より19日まで大泊と稚内を往復して、樺太在住の日本人の引き上げを行う。
だが占守には800人程度しか乗れず、ついに大泊市外にソ連軍が押し寄せこれ以上は無理となった最後の出港時もまだ、桟橋の上は人波でいっぱいであった。
婦女子を優先して乗艦させたため、親と子、夫と妻が泣き叫んで別れを告げる絶叫が渦巻く中、断腸の思いで出航するほかなかった。
そして、これが今生の別れとなってしまった人々も多かったという。*18 - その後は、復員輸送に従事。1947年7月5日ナホトカにて賠償艦としてソ連に引き渡される。この時同時に響、椎、榧、海防艦34号、105号、196号、227号も引き渡された。
- 彼女たち賠償艦艇の旅立ちと引渡しの光景については、井上長承氏が『世界の艦船』1974年7月~10月号に連載した「終戦私記 賠償艦艇回航の思い出」に詳しい。
元海軍将兵と艦艇たちの慟哭が聞こえてくるような、痛切な手記である。機会があればぜひ目を通してほしい。
- 彼女たち賠償艦艇の旅立ちと引渡しの光景については、井上長承氏が『世界の艦船』1974年7月~10月号に連載した「終戦私記 賠償艦艇回航の思い出」に詳しい。
- ソ連海軍では護衛艦に類別され「EK-31」との名を与えられた。その後、1948年に通報船へ類別変更され「PS-25」と改名された。
しかし実際の所1947年から1953年までは保管状態となっており、本来の通報船に改造されカムチャッカの艦隊司令部の通信局に配備されたのは1954年になった。
1957年には工作船に改造され「PM-74」とさらに改名された後、1959年5月16日に退役し、解体されたという。
その他
- しむしゅしゅしゅ~
- 「金比羅船々(こんぴらふねふね) 追風(おいて)に帆かけて しゅらしゅしゅしゅー♪
まわれば四国は 讃州那珂の郡(こおり) 象頭山金比羅大権現 一度まわれば♪」
香川県仲多度郡琴平町の象頭山にある金刀比羅宮、その参詣の楽しさを歌った民謡『金比羅船々』は明快な曲調と特徴的な歌詞で広く知られている。- 昭和十年代に日本海軍の宴席で歌われていたものには次のようなバージョンも。
「金比羅お宮の 御札を掲げりゃ しゅらしゅしゅしゅー♪
逆巻く怒濤も いつしか鎮まり マストに輝く軍艦旗♪」
- 昭和十年代に日本海軍の宴席で歌われていたものには次のようなバージョンも。
- 金刀比羅宮は古くから海上交通の守り神として崇敬され、漁船から商船、護衛艦、巡視船、宇宙船に至るまで、およそ船と名のつくもの全ての守護神である。
- 元はインド神話の川の神である鰐・クベーラ神を源流とし、それが中世日本で神仏習合の末に「金毘羅大権現」として根付いたものとされる。
- 特に江戸時代、「○に金」の文字を入れた団扇を配布することで参詣者を全国的に増やすことに成功し、金刀比羅宮への参詣を目的とする“金毘羅講”と呼ばれる同好会が各地で開かれた。
さらには、犬に金刀比羅宮への寄進を背負わせる「こんぴら狗」、酒樽に賽銭などの寄進を詰めて流す「流し樽」といった、拾った人間の善意を当てにした参拝方法も広まっている。*19 - 明治維新以後は、神仏分離令とそれに伴う廃仏毀釈の結果、もともとの松尾寺金光院は廃寺に追い込まれたうえ神社に改組されて仏教色が薄まり、現在のような固有の神宮となった。
- 日本海軍関連の慰霊祭も開かれているほか、朝鮮戦争で殉職した海上保安庁特別掃海隊の慰霊碑も同神社にあり、毎年その慰霊祭が開かれている。
また、高松沖を通過する艦船は航海の安全を祈って流し樽を奉納するのが慣わしだが、絵馬殿に並ぶ樽の中には練習艦しらゆきやかしまのものも確認できる。 - なにはともあれ、海上護衛を担う海防艦の口ぐせとしては、まことにめでたくふさわしい……かもしれない。
「お宮は金比羅 船神さまだよ キラキララー♪
時化(しけ)でも無事だよ 雪洞(ぼんぼり)ゃ明るい 錨をおろして遊ばんせ♪」
- 「金比羅船々(こんぴらふねふね) 追風(おいて)に帆かけて しゅらしゅしゅしゅー♪
声質全然違うやないか・・・ -- 2022-10-11 (火) 21:50:43