鳥海

Cached: 2024-11-05 05:53:40 Last-modified: 2024-09-24 (火) 19:46:32
No.062
私が鳥海です。よろしくです。鳥海(ちょうかい)高雄型 4番艦 重巡洋艦
艦船ステータス(初期値/最大値)
耐久45火力40 / 54
装甲35 / 49雷装24 / 49
回避35 / 59対空18 / 56
搭載6対潜0
速力高速索敵13 / 39
射程10 / 49
最大消費量
燃料40弾薬65
艦載装備
220.3cm連装砲
2未装備
2未装備
装備不可
改造チャート
鳥海鳥海改(Lv25) → 鳥海改二(Lv65+改装設計図)
図鑑説明
高雄型の4番艦、鳥海です。
マレー、ソロモン、マリアナ、レイテと数々の作戦に参加しました。
鳥海の名は、現在、海自のイージス護衛艦、その4番艦に受け継がれています。

※初期値はLvや近代化改修の補正を除いた時の数値であり、最大値はLv99の時の最大値を指します。

CV:東山奈央、イラストレーター:パセリ (クリックするとセリフ一覧が開きます)

CV:東山奈央、イラストレーター:パセリ

定型ボイス一覧

イベントセリフ改装段階備考追加


 
 



 



追加
入手/ログイン私が鳥海です。よろしくです。×編集
鳥海、参りました。本日もどうぞよろしくお願い致します。××編集
母港*1編集
母港1詳細あっ、司令官さん。お疲れ様です。×編集
鳥海、参りました。改装していただいたお礼、夜戦などでお返しできればと思います。××編集
母港2まだ何か御用がお有りですか?編集
母港3こっ!これも何かの任務なのですか!?編集
ケッコンカッコカリもし戦略に迷ったら、いつでも私に頼ってね。二人っきりで一緒に分析しましょう。編集
ケッコン後母港鳥海は、いつも感謝しています。ご一緒できて、光栄です。編集
放置時夜戦には自信あるけれど、敵の艦載機は……。そうね、私も摩耶みたいに。うーん、でもでも……。編集
編成出撃編集
編成抜錨!鳥海、出撃します!×編集
第八艦隊旗艦鳥海、抜錨、出撃します!××編集
出撃さぁ、行きましょう!やるわよー!編集
開戦・攻撃*2編集
戦闘1昼戦開始左(ひだり)舷に、敵艦発見!×編集
そこね…計算通り、見つけたわ。敵艦隊発見!全艦、突撃開始!××編集
戦闘2昼戦攻撃左(ひだり)舷、砲雷撃戦、用意ーっ!!×編集
目標、前方の敵艦隊。砲戦用意、撃ち方、始め!××編集
戦闘3夜戦開始追撃します!逃がしません!×編集
伝統の夜戦…今こそ鍛えた力をお見せする時!全艦突撃!この鳥海に続いてください!××編集
戦闘4夜戦攻撃主砲よーく狙ってー…撃てーっ!!編集
戦闘時ステータス*3編集
小破あぁーーっ!!×編集
痛っ…!艦橋の被弾?…っ!大丈夫、まだ…戦えますから!××編集
っ…!被弾箇所はどこ!?編集
中破/大破私の計算では…こんな事あり得ない…!編集
轟沈これは私の計算ミス… ごめんなさい……編集
戦闘終了*4編集
勝利MVP私の計算通りだったわ。もちろん司令官さんの戦略だから、できたのよ。編集
旗艦大破っ…!被弾箇所はどこ!?編集
装備・改修*5編集
装備1改修/改造近代化改修ですか。…嬉しいです。編集
装備2これは…気持ちのよいモノですね。編集
装備3改修/改造/開発/バケツ/遠征/発見私もうれしいです。編集
その他編集
帰投作戦完了の報告が入っています。編集
補給はい。大切な補給、いつも感謝です。編集
入渠(小破以下)損傷の修理にかかります。編集
入渠(中破以上)流石に、ちょっと無理をしすぎたようです。編集
建造完了新人ね。司令官さんも気になりますか?編集
戦績表示司令官さん、お手紙が届きました。編集

各ボイス項目の詳しい説明はこちらをご覧ください


時報ボイス一覧


季節ボイス一覧


イベントセリフ改装段階備考追加


 
 



 



追加
桃の節句編集
春の訪れ編集
ホワイトデーこれを……チョコレートのお返しに? あ、ありがとうございます。嬉しいです編集
あ、高雄さん。はい、お花見のお弁当作りですね。お手伝いします。……あぁ、こら、摩耶!つまみ食い禁止!編集
春本番編集
梅雨司令官さん。梅雨の季節は、少し落ち着きますね……え、違いますか!? す、すみません……。編集
初夏夏…ですね。え、水着ですか? あ、い、いえ私はそのような…。はい、では今度…。編集
夏…ですね。え、水着ですか? あ、い、いえ私はそのような…。はい、では今度…。編集
盛夏編集
夏祭り編集
秋は、落ち着きますね。特に私、秋の夜が好きなんです。司令官さんは……どうですか?編集
秋刀魚編集
晩秋寒いけれど、冬を過ごせるっていうのは、幸せなことよね。ね、摩耶。……摩耶? ……ああもう、風邪ひくわよ?編集
ハロウィン編集
秋のワイン編集
編集
師走編集
クリスマスメリークリスマス! 西洋のお祭りですけれど、素敵ですよね。はい、ケーキです!編集
年末編集
新年新年、あけましておめでとうございます。本年も摩耶共々、どうぞよろしくお願いいたします。編集
節分こ、こら、摩耶……。節分だからって豆投げ過ぎ……っていうか、どこに……! ……も、もう! 怒るわよ!編集
バレンタイン私の計算では、この甘さがベストなはず。あ、あの…このチョコレート、どうぞ。編集

二周年記念2周年、ですね。本当に、おめでとうございます。…そして、いつも、ありがとうございます。編集
三周年記念編集
四周年記念編集
五周年記念私達、ついに5周年ですね。おめでとうございます。…そして、いつも、ありがとうございます。編集
六周年記念私達、6周年なんですね。本当に、おめでとうございます。……そして……司令官さん。いつも、ありがとうございます。編集
七周年記念私達……7周年なんですね。本当に、おめでとうございます。そして……司令官さん。いつも……いつも、ありがとうございます。編集
八周年記念編集
九周年記念編集
十周年記念編集
十一周年記念11周年なんですね。本当に、おめでとうございます。そして……いつも……いつも、ありがとうございます。編集



決戦前夜いよいよ、捷一号作戦。四戦隊、全力出撃ね。摩耶、準備は良い?××2018編集
藤波さん、どうしたの?××編集
…そう。じゃあこれを預かっておいて。大丈夫、2つ有るの。…お願いね。××編集
エンガノ岬決戦そうね、摩耶。油断はしていない。全力で行くわっ!××編集
私が、仕留める!××攻撃時編集
帰投四戦隊、鳥海、作戦完了! ……司令官さん、わたしたち……今度は一緒に帰れるのね……ありがとう……!××編集


ゲームにおいて

キャラクター設定について

  • 重巡娘としては摩耶と同様かなりの軽装。艤装は両腕の20.3cm砲と両肩の高角砲に右足のブーツのようなモノ、そして頭のアンテナのみ。どこから魚雷発射しているのか疑問である。
    • 高雄型の魚雷発射管は甲板上にはなく艦の側面に内蔵しているので実は元の艦に忠実。だが艦娘の鳥海がどこから魚雷を取り出すのかは相変わらず謎。
  • 実は眼鏡っ娘。ぱっと見では分かりにくいが、縁無し眼鏡をかけている。
    遠目には鼻に乗ってるブリッジだけが見えるため、絆創膏を貼ったガキ大将スタイルと誤認する提督も多いようだ。
  • 丈の短いセーラー服とスカートの間から覗く腹部と臀部が素晴らしい。鼠蹊部も絶品♡!
  • はいてない。
  • ちなみに任務娘のボイスは、鳥海の台詞を流用していた。大淀が実装された後も変化していなかったという謎。
    • 2016年3月11日のアップデートで任務娘のボイスが更新強化されて、鳥海から流用のボイスはサービス開始3周年を目前にして遂にお役御免となった。
    • 中の人曰く「丁寧で奥ゆかしいタイプ」「私のもっている一番『いい声』を当ててあげたいと思った」と、好印象だった模様。

小ネタ

  • 高雄型4番艦にして書類上は日本最後の重巡洋艦。2代目にあたり、明治~大正にかけて、摩耶型砲艦の2番艦に初代にあたる同名の艦が存在した。
    • 史実の艦艇類別等級表では「高雄、愛宕、鳥海、摩耶」の順で並んでおり、書類上では鳥海は3番艦であった可能性がある(近年ウィキペディアの高雄型の項目でもそれを根拠として編集を受けている。しかし何故かウィキペディアは二次資料を参考にするよう薦めているのだ…)。
      ただし建造前の仮称名では「第7or第11大型巡洋艦」と摩耶より前で、起工も摩耶よりは早かったが進水は遅かったため(竣工は同日)、鳥海を4番艦と解釈する文献もある。
  • 名前の由来は鳥海山。山形・秋田の両県にまたがる活火山である。愛称は出羽富士など。
    庄内平野という盆地に街を築く山形県の鶴岡市では、丁度北側を見れば大体目に入る位置にあるため地元の人達からは「道に迷ったら鳥海山を探せ」とまで言われる程に道標として愛されている。
    高雄型でも数々の武勲を上げた艦で、公式漫画の31話では重巡でも一番活躍した「かもしれない」とまで評されている。
    姉妹の中で唯一改装を受けていないので性能自体は最弱。にも拘わらず一番活躍したのだから改装の意味とは…。
    • ひとつ上の姉も開戦までに改装が間に合わなかったが、防空巡洋艦化の際に色々近代化されている。
      しかし鳥海は本当に手つかずに近く、艦橋どころか航空艤装も魚雷発射管も旧型のまま。高角砲もテンプレ装備ではなく、旧式の12cm単装高角砲から更新されないままで生涯を戦い抜いた。*6
      • 1941年1月から近代化改装を実施する予定が組まれていたのだが、世界情勢が緊迫したため見送られた。改装内容はほぼ高雄・愛宕と同様で、後部マストの移設をしない点が異なっていたという。
      • また、摩耶が防空巡洋艦化した後に鳥海も同じ仕様に改装する予定で図面も用意されていたのだが、あ号作戦(マリアナ沖海戦)直前だったため見送られている。*7
    • 高雄型は艦橋のでかさ故に被弾率が高いと思われがちだが……実際間違いではなく、これは高雄型が条約による制限を守りつつ火力と速さを追求した結果である。
  • 高雄型として指揮系統に優れていた鳥海は旗艦を務める事が多かった。実際、被発見率が高く復原性も悪かったため(一応)次型の最上型では大きさは妙高型並に小型化されている。
    • 開戦前の北部仏印進駐の際には第二遣支艦隊旗艦として参加。
      しかし、海軍はもとより東條英機陸軍大臣や松岡洋右外務大臣も武力行使は避け平和進駐の方針だったのに対し、現地陸軍部隊は武力を以って強行上陸を決行するつもりで、そのため鳥海は半ば援護、半ば陸軍監視のようなスタンスだった。
      当時鳥海は海軍軍令部に対し、平和進駐などするつもりのない陸軍現地部隊の態度を難詰するような厳しい電文を何通も発している。
      • しかし、現地陸軍部隊参謀副長の佐藤賢了大佐は、大本営からの強行上陸差し止めの命令を司令官や参謀長に報告せず握り潰し、強行上陸を開始してしまった。
        これに怒り心頭となった鳥海は、現地で上陸部隊直接援護の任にあたっている第一護衛隊指揮官の川内に対し「陸軍の強行上陸は承認し得ず。中止を協議し応諾せざれば、協力不可能の旨を伝へ至急出港離脱せよ」
        と厳命。板挟みとなった川内は困り果てて徹夜で陸軍に談判したものの、ついに陸軍側は聞き入れなかった。
        このため川内は上陸部隊の援護を即時打ち切り、部下を率いて帰ってしまった。これがいわゆる「陸軍置き去り事件」である。陸海軍同士の蹉跌がついに表面化した形だった。ただ、護衛そのものは飛龍の航空隊が引き継いではいたようだ。
    • 太平洋戦争開戦時は南遣艦隊司令長官・小沢治三郎中将*8の旗艦としてマレー半島上陸作戦に参加、真珠湾奇襲攻撃より僅かに早く戦争の火ぶたを切る。
      その後もビルマ攻略作戦への補給作戦やベンガル湾での通商破壊作戦などで艦隊を率いて武勲を収めた。
  • そして鳥海の武勲の中でも特に華々しいのが第1次ソロモン海戦での活躍だろう。
    この時報道班員として鳥海に乗り組んでいた丹羽文雄(1904~2005)が、見聞した内容を小説『海戦』に書いている。伏字復刻版も出ているので一読してみると面白い。
    • フロリダ諸島の戦いにて日本軍は米軍の奇襲上陸作戦によりガダルカナル島及びツラギ島を失ってしまう。
      この反攻作戦として鳥海は天龍夕張そして神風型駆逐艦夕凪で編成された三川艦隊の旗艦として海戦に参加。
      闇に紛れ輸送船団を狙い泊地へと突撃した艦隊は索敵網を掻い潜り奇襲に成功。
      ガ島攻略により疲弊した米豪連合艦隊は不意を突かれ大混乱、そのまま反撃の隙を与えずフルボッコに処し、被害を最小限に留めつつ重巡4隻と駆逐艦1隻を沈める大戦果を挙げた。
      この勝利はミッドウェー作戦の大敗で下がっていた士気を大いに盛り上げたと言われている。
      • この第一次ソロモン海戦における第八艦隊の戦いが、実に三回に渡って編成と出撃を行うという破格の多さの三川艦隊任務や、重巡最強クラスとなった鳥海改二の実装に反映されたとなると、艦これに与えた影響はかなり大きいかもしれない。
    • しかしながら、第一次ソロモン海戦はその華々しい戦果と裏腹に「戦術上はパーフェクト」などという奥歯に物が挟まったような表現をされることが多い。
      思い出してほしい、三川艦隊の攻撃目標は何であったか。
      そう、戦闘は大勝利でも、輸送船団を叩くという本来の作戦は大失敗だったのである。
      結局、輸送船団は一時引き上げた後、輸送物資の揚陸に成功してしまう。
      戦闘はあくまでも作戦目的(戦略目的)を果たすための一手段にすぎない。この勝利もソロモンの戦い全体に与えた影響はそれほど大きいものではなかった。
      以下、論評が大分長くなるので折り畳み
      • S・E・モリソンはこの夜襲作戦を指し「アメリカ海軍のこれまで経験したことのある最悪の海戦のひとつである」と称している。
        米海軍にとっては一方的にボコボコにされた分、あいつらよりもよっぽど悪夢だったのではないだろうか。これだからこのゲームの大型艦メガネどもは…
      • さて、このような大戦果を上げた艦隊はどのようなものだったのだろうか?
        敵によりガダルカナル及びツラギ島が攻め落とされた際、鳥海は三川軍一中将率いる第八艦隊の独立旗艦としてラバウル基地に在泊していた。
        第八艦隊司令部では、反攻作戦として即席戦力での殴り込みが立案され、ラバウル近辺にいた重巡洋艦を呼び寄せ、鳥海は急ごしらえで編成された艦隊を率いることとなる。
        この奇襲作戦は当初、鳥海と第六戦隊の型及び型重巡四隻の計五隻で行われる予定だった。しかし発案された直後、ラバウルにいた天龍夕張、そして未実装の駆逐艦夕凪が参加強く希望したため、艦隊はこの三隻を加える八隻で構成されることなる。
        こうして三川艦隊が完成したのだが、その実情は「オンボロ余り物共の烏合の衆」であった。
        • 第六戦隊以外の作戦に参加した艦艇は、艦隊行動の訓練を行ったことがなかったため、複雑な艦隊運動に必要なスクリューの回転整合作業すらままならない状態での出撃となった。
          その上ただでさえ鳥海以外の重巡洋艦は艦歴が古かったのだが、後から参戦が決まった三隻はさらに前に建造された艦であり、速力や装備に問題があったとされる。
          特に夕張はスクリューの破損で速力が出せないため艦隊全体の速度を落とさざるを得ず、作戦に影響を与えた。というかそもそも航行不能になることを見越して陸戦用の機関銃や小銃を積み込んだりしてたりする。なんでこんな状態で参加しようと思ったんだ。
          さらに急遽参加が決まったため通信の設定が鳥海以外の第六戦隊の重巡までしか通信不可。つまり残り三隻は目視で状況把握せざるを得なかった。よりにもよって夜戦で。
      • 結果、苦肉の策として立てられた作戦は比較的単純な単縦陣で航行し、複雑な機動をできるだけ避けた一撃離脱に徹する、要するに「とにかく単縦陣で殴りこんでさっさと帰る」という至ってシンプルなものに。
        そしてお荷物同然の追加組三隻は夜戦の邪魔にならないよう艦隊の最後尾に配置されることとなった。
        このような艦隊が第一次ソロモン海戦の悪夢を演じたのだから、世の中わからないものである。
      • 奇襲作戦実行実行当日。勇み突入する艦隊であったが単艦で哨戒に当たっていた連合軍の駆逐艦二隻にそれぞれ一回づつ遭遇する。
        しかし長時間の哨戒任務による疲労に加え、島によってレーダーがうまく機能しなかったため二隻とも艦隊を誤認、もしくは見逃し湾内への突入を許してしまう。
        • さらに艦載機の水偵も発見され通信は行われたのだが、こちらも地形による不具合のため通じなかったようだ。
      • 第一次ソロモン海戦は二回の戦闘に分けられる。
        • 一度目の会敵はわずか六分間の遭遇戦であったが、完全な奇襲の甲斐あって三川艦隊は夕張が盲弾を一発受けただけであった一方、迎撃に当たった南方部隊は大破、連合艦隊は既に主戦力を失ってしまう。
          この際、古鷹が敵艦との衝突を避けたため、それに追走する天龍夕張と共に艦隊から離れてしまった。
        • 二回目の戦闘では先頭を行く鳥海が敵北方部隊に探照灯の照射し、味方と誤認した敵艦に向け砲雷撃を開始。
          敵艦隊から反撃を受けるも他方より古鷹ら三隻の別動隊が攻撃に参加。偶然にも挟撃される形となった重巡「アストリア」「ヴィンセンス」「クインシー」は撃沈。戦闘を離脱した後航空隊に撃破される駆逐艦「ジャービス」やその他艦船への損害などを含め敵艦隊に大きなダメージを与えたと言える。
          • 奇襲の際、活躍したのが重巡に搭載された艦載水上機、それらから投下された吊光投弾であった。
            艦載機より投下された照明弾は艦隊の姿を晒すことなく米艦隊の姿を照らし出したことにより、三川艦隊は有利な状態で一方的に砲撃することが出来た。だがゲームの夜戦では艦載機は九八式夜偵の夜間触接以外使用不可、何故だ。
            第一次ソロモン海戦時の鳥海に搭載されていたのは九四式水上偵察機という零式水偵の先代に当たる艦載機。
            旧式のこちらを用いている理由は当時射出機が二号三型射出機で射出力不足だったためである。
            ちなみにその他の装備同様、九四水偵も大戦期には旧式のものであった。お古やお下がりが多いのは末っ子の宿命なのだろうか。*9
          • また艦載機の吊光弾投下後鳥海は探照灯を照射している。
            単縦陣の最前に位置したため、被害が集中すると予想されたが、あえて囮になる事により、陣頭指揮の決意を全軍に示したと言われている。ケースとしては神通のコロンバンガラ島沖海戦が近いだろう。
            そして神通同様、鳥海も艦橋に20cm砲弾3発、10-13cm砲弾1発の計4発の直撃を食らった。不発だったからよかったものの、危うく第八艦隊司令部壊滅の惨事になるところだった。*10
          • 第一砲塔にも20cm砲弾が着弾したが、すでに砲弾を撃ち尽くした上、当たった弾がこれまた不発だったのこともあり被害は少なかった。
            しかし砲塔内にいた乗組員は一部除いてほぼ全滅、運良く生き残った兵もその光景をさながらの地獄絵図だったと語っている。
        • このことも装甲の薄さを物語るエピソードとして語られる事もあるが、どの艦もモンスターのようにどこもかしこも分厚くできれば苦労はしない。
          むしろリスクの大きい探照灯照射を行って神通や霧島が沈んだのに対し、鳥海は大した損害にならず以後も戦闘を続行していることを考えると、いかに敵艦隊を圧倒していたか、ひいてはいかに奇襲が完璧だったのかがうかがえる。
          • それでも鳥海は20cm砲弾7発程度、10-13cm砲弾も7発程度、機銃弾に至っては無数に受けており、不発弾や命中箇所が艦に影響のない場所だったのが幸いしているが、一つ間違えれば鳥海も沈んでいた可能性がある。
      • こうしてサボ島周辺の連合艦隊北方南方部隊は三川艦隊の奇襲により、わずか一夜にして壊滅することとなった。*11
        帰り際で潜水艦に加古が沈められてしまったのも含め損害ゼロとまではいかないが、だがそれでも数ある海戦の中でも希に見る戦術的大勝利であったことは間違いないだろう。
      • そして奇襲を成功させた後、艦隊は一度湾外に離脱した。
        この際、鳥海の艦長早川幹夫大佐が反転、再突入し輸送船団を撃破の進言をするも却下される。第八艦隊司令長官三川軍一中将は「輸送船団を攻撃し離脱が遅れたら、翌朝空襲を受け艦隊が壊滅する(おそれ)がある」という懸念を抱いていたからで、結局当初の目的を果たさぬまま撤退した。
        この判断は十分な説得力がある。実はそのとき敵空母はいなくなっていたのだが、ガダルカナル泊地を後にする三川艦隊にそんなことを知る術はなかった。
        • 敵の航空戦力の脅威だけでなく弾薬の消費が激しくほとんど使い果たしていたなど他にも撤退した理由はあったとされる。そもそも無茶言って艦隊についてきた誰かさん達を考慮し、再突入は考えられていなかったのである。
      • しかし連合艦隊司令部は作戦を無視して敵輸送船団を見逃したことを問題視した。山本五十六長官もこの結果に激怒し、一時は勲章の授与をなしにしようと考えていたほどだったらしい。
        その後ソロモン海域での戦闘は大消耗戦となり、結果日本軍はガダルカナル島から撤退。日本海軍の補給路断絶についての理解不足がここでも浮き彫りとなったのである。
        • 田中新一大本営陸軍部第一部長は第一次ソロモン海戦の結果を聞き「輸送船の大部分を逃がしたが、これがソロモン奪還の主目標であったはず」と遺憾の意を表明している。
          陸軍は輸送船撃破の重要性を理解していたようである。
          まぁ孤島の陸軍は補給の有無がダイレクトに影響する……言わば当事者であるわけで重要性を理解しているのは当然といえば当然なのだが・・・。
        • また、浮き上がった課題点についても対処されなかった。
          第一次ソロモン海戦の鳥海戦闘詳報には「探照灯・敵砲火の分担」が戦訓として書かれており、鳥海が複数の命中弾を受けた結果として旗艦が探照灯をつけたままで行動する危険性を提示している。
          しかし、この後のクラ湾夜戦の新月(第三水雷戦隊司令部)、コロンバンガラ島夜戦の神通(第二水雷戦隊司令部)などにおいても旗艦が探照灯をつけて司令部が全滅するという結果となり、戦訓は生かされなかったことになった。
          司令部の全滅は総合的な戦力低下に繋がるので看過できない問題であり、戦史研究家でもこの辺りを指摘している人もいる。
        • また鳥海砲術長仲繁雄中佐は戦後の回想にて「艦隊には『戦策』という規則があるが夜戦では一番艦が探照灯で目標を捕捉すると即座に二番艦が照射を引き継ぐことになっている、自艦の照明によって前方視界不良になるからであるが、この戦闘においては引き継いでくれなかった。そのため司令部や艦長は操艦に相当苦労したものと思われる」と証言している。
          ただし途中から別行動となった天龍は探照灯を使用している。
        • 一方で米海軍はこの敗戦を教訓とし、駆逐艦を前方に配置し、旗艦・大型艦を艦隊中央に配置するなどの対策を即座に取り、次のサボ島沖夜戦においてその成果を出している。
      • 結果から考えるならば、目的の輸送船団への攻撃を行えなかったためこの作戦は戦略的に見れば失敗である。
        というのも残された連合軍の輸送船団を取り逃がしてしまったからである。
        加古艦載機のツラギ泊地への吊光投弾投下や奇襲の成功による混乱によって翌朝残った物資の揚陸を行わず撤退し、敵上陸部隊の補給を遅延させる。しかしこれを活かせる作戦を日本は取れず、結局後日この部隊は物資の揚陸に成功。結果としてこの後の大消耗戦→甚大な犠牲を払ってガ島撤退につながっていく。
        このことから、この奇襲作戦は戦略的になんの効果も生み出さなかった。
      • 第一次ソロモン海戦にて輸送船が大量の物資を積んでおり、奇襲の成功によりその輸送船団を叩くチャンスがあったのは確かだ。
        しかしながら早川艦長の進言通り、三川艦隊が再突入したとしても目標を達成できたかどうかの保証はなく、逆に艦隊が被害を蒙るだけだった可能性も指摘しておきたい。
        仮に輸送船撃破が成功したとしても後に敵の物資の揚陸を許している事を鑑みるに、当時の軍に補給路を断絶し続けるのは難しかっただろう。
        その点で言えばこの奇襲作戦自体、その場しのぎの打算的なものではないかとも考えられる。
        だがその一方でこの大騒動の後、アメリカでは太平洋方面の輸送船の船会社でストが多発したとの話もあり、もう少し被害がでかければソロモンどころかアメリカの工業力にダメージを与えていた可能性もある、とこの記事では記載しているもののどれほど影響力があるかは断言が出来ない。*12
        そしてこれらは前述したとおり結果論である。
      • もし早川艦長の突入の進言を第八艦隊司令部が受け入れていたら、もし三川艦隊が輸送船団の撃破に成功していたならば、そしてもし天龍以下三隻を連れてこなければ、この後に起こる多大な犠牲を出したソロモンの大消耗戦はもしかすればもしかすると、違った様相になっていたかも・・・しれない。
        しかし歴史にIFはありえない。輸送船団を壊滅させるという第一次ソロモン海戦の主目的は失敗した。各々が作戦を放棄した三川中将の評価を決めようとも、それは絶対に変わらない歴史なのである。
        • ちなみに真珠湾攻撃で、機動部隊指揮官の南雲中将に再攻撃を「明確に」意見具申した記録が残るただ一人の指揮官が、当時第三戦隊司令官だった三川中将だった*13
          その後、三川が南雲と同じ立場になって同じ状況で同じ命令を下したのは因果な巡り合わせといえる。
        • 鳥海艦長早川大佐は後に第二水雷戦隊司令官となり、多号作戦でフィリピンのオルモック湾に無謀な輸送作戦を命じられて疑問を呈したものの上層部に押し切られた。
          そして危惧通り空襲で護衛艦隊もろとも輸送船団は壊滅。自身も旗艦島風艦上で戦死の憂き目を見たのもまた皮肉な運命かもしれない。
        • この殴り込み作戦を立案したのは神重徳大佐。ダンピール海峡悲劇とも呼ばれる八十一号作戦を強行させ、大和の沖縄特攻を推し進めた参謀である。
          以後神は作戦の神様と祭り上げられ、彼が立案した作戦が採用されやすくなったということも、第一次ソロモン海戦の大勝利に影を落としているのではないだろうか。
  • ガダルカナル島撤収後は第八艦隊旗艦任務を解かれて横須賀へ帰還し入渠。その際機銃を増設され21号対空電探22号対水上電探を付けられている。
  • 出渠後は高雄型姉妹で構成される第二艦隊第四戦隊に復帰。北方方面に派遣されていた摩耶も戻り、久しぶりに高雄型四姉妹が同じ部隊で揃ってソロモン諸島ブーゲンビル島に出撃……するはずだった。
    しかし第二艦隊がラバウルに集結したまさにそのタイミングで敵空母機動部隊の空襲に遭い、高雄も愛宕も摩耶も酷く損傷して出撃は中止。艦隊はそのままトラック泊地にとんぼ返りした。
    この時、鳥海はたまたまラバウルから離れた位置にいて無事だった。
  • 1944年1月に給糧艦伊良湖がトラック泊地近海で潜水艦の雷撃を受け立ち往生し、駆逐艦涼風がその曳航に難儀していた時、鳥海はと共に応援に駆け付け、伊良湖の救援を成功させている。もーなーか!もーなーか!!
  • それからマリアナ沖では四姉妹で参戦。
    レイテ沖海戦でも揃って推参!…した直後、米潜水艦により摩耶愛宕は沈没、長姉の高雄も大破し脱落。あっという間に一人ぼっちに。
    その後サマール沖海戦で奮闘するも、米護衛空母ホワイト・プレーンズの砲撃*14を受け右舷中部に被弾。運が悪い事に魚雷が誘爆を起こし落伍、雷撃処分となる。
    姉たちと別れた2日後の25日の出来事である。
    こうして長女の高雄を残し、わずか三日で高雄型姉妹は失われることとなった。
    • 漂流していた米護衛空母ガンビア・ベイの乗員たちが鳥海の最期を目撃、証言を残している。
      それによると、鳥海は一旦は立ち直って動き始めたが、直後再び米艦載機の攻撃を受けて被弾炎上、海上に停止してしまった。
      駆逐艦藤波は周囲をぐるぐる回って警戒しつつ復旧を待ち続けたが、その甲斐もなく炎上し続ける鳥海は、日没に至ってついに放棄が決まる。
      藤波は生存者を救出し魚雷で鳥海を介錯すると、別れの発光信号を明滅させながら去っていったという。
  • そして生存者を乗せた藤波も、この翌日早霜の救援の際に空襲を受けて沈没し、全員戦死した。
    したがって、鳥海と藤波の生存者、ともにゼロである。
    • このことから、慰霊碑は佐世保の旧海軍墓地東公園に鳥海と藤波、2隻の連名で建立されている。
      • 両艦とも生存者がいないため、戦後長らく慰霊碑が無い状態が続いていた。
        その状況を憂いた遺族たちが「このままでは英霊に申し訳が立たない」と一念発起し、戦後53年を経た平成10年12月、ついに建立にこぎつけたのである。
        現在、東公園の慰霊碑群の中で最も新しい慰霊碑だという。建立以来毎年、遺族と護衛艦「ちょうかい」乗組員により慰霊祭を執り行っている。
    • 声優の古川登志夫の長兄・善一郎も機銃員として乗艦していたがこの戦いで戦死している。なお、登志夫氏は戦後生まれの末子であるため、長兄との面識は全く無く、兄姉の話でしか知らないことを最近のツイッターで明かしている。

  • 戦後、三川提督本人は好きな艦艇の筆頭として鳥海の名を挙げている。(他は、青葉衣笠加古古鷹)このうち、鳥海と青葉は一時期三川大佐(当時)が艦長を務めている。
  • 沈没からちょうど75年、2019年10月25日。マイクロソフト社共同創業者、ポート・アレン氏が所有する調査船ペトレル(RV Petrel)により、沈没している鳥海の映像がFacebook上で公開された。
    • 2019年5月5日にペトレルが発見し、30日には搭載するROV(無人潜水機)により潜水調査が行われた。
    • 沈没地点はフィリピン海溝、深度5173m。映像冒頭の画像から船体とカタパルト、艦首がバラバラになって沈んでいることがわかる。
    • 映像では艤装などの様子が詳細に撮影されており、沈没前の対空戦闘が想像できる。彼女の特徴の一つ、更新されなかった12cm単装高角砲もしっかりと残っている。
    • ちなみにペトレルは同年7月1日に摩耶も発見している。他にも、これまでアメリカ艦や日本艦を中心に多くの沈没艦を発見しており、これからの調査にも期待がかかる。
  • 改造したらかゆそうな名前の艦娘第一位*15

唯一の江戸っ子イージス艦「ちょうかい」

  • 現在、鳥海の名はこんごう型四番艦「ちょうかい(DDG-176)」に受け継がれ、これが3代目にあたる。
    こんごう型護衛艦は艦隊の頭脳とも言えるイージスシステムを搭載した艦であり、艦これでの鳥海が頭脳派キャラなのはこういったところからも来ているのだろう。
    シンボルとキャッチは[GOLDEN EAGLE]。どこぞの野球チームみたいである。カレー*16が超美味い(巧い)とのこと。
    今日もどこかで「ちょうかい」は現代の日本を守っている。
    • この「ちょうかい」はほかの海自イージス艦が三菱長崎でつくられたのに対し、石川島播磨重工東京工場(現廃止。跡地はアーバンドックららぽーと豊洲)でつくられた。継子って言うな*17
    • 余談ではあるが、イージス艦であるこんごう型はフェイズドアレイレーダーや指揮機能の関係上艦橋が肥大化している。これが高雄型の巨大な艦橋と似ていることから、一番艦であるこんごうの名前が発表されてない頃は「日本が高雄型を建造中」と報じられることがあったという。後々、ちょうかいが建造されることを考えると興味深い。
    • さらに余談だが艦これでキャラがモロ被りしている霧島の名はこんごう型二番艦に受け継がれた。またこんごう型に名前が採用された艦の中で、艦娘の中の人が違うのは妙高のみである。
    • 「ちょうかい」は2011年3月11日の東日本大震災にて、地震発生後間もなく災害派遣のため横須賀から緊急出港、被災地に駆けつけた。その際、被災後43時間にわたって福島県沖で漂流していた男性を3月13日に無事救助している。男性の漂流の一部始終を実話に沿ってドラマ化したNHKスペシャル『星影のワルツ』でも、救助を求める男性の姿に汽笛で応えて救助に向かう「ちょうかい」の雄姿が描かれている。

参考資料・書籍

  • 重巡「鳥海」奮戦記―武運長久艦の生涯 諏訪繁治 光人社NF文庫

この艦娘についてのコメント

  • 秀麗無比なる鳥海さんよ -- 2019-12-20 (金) 14:26:56
  • 普段は敬語 バレンタインボイスもまだ照れが残る鳥海がケッコンボイスだと一気に親密なる この塩梅がいい -- 2020-02-18 (火) 19:30:47
  • 夏イベを機にサブ鳥海を育ててみたが、二期画質の中破が思いのほかグロくてビックリしとる -- 2020-08-11 (火) 19:35:18
  • 妙高型3人に続いてやっとの念願の高雄姉妹…長姉・一番好きな艦娘の次姉のどちらが・・・!から出てきてちょっと落ち込みかけたけど、そうか鳥海さん戦没日と発見一周年を来週に控えて出て来てくれたのか…(´・ω・`) -- 2020-10-17 (土) 08:39:04
  • 令和三年の新春任務で手に入る限定掛け軸が鳥海がしたためたものだとほんの数日前に知って、あの時に攻略の優先順位を間違え、そもそも報酬の家具が鳥海の家具だと知らずにいた自分はもはや鳥海提督の資格はない・・・・ -- 2021-02-09 (火) 23:48:40
  • (掛け軸の話題がしにくい流れだが)「祝 今春八周年 第八艦隊 鳥海」の正月掛け軸を書いた我が鎮守府の主力重巡 八周年も宜しく頼みます -- 2021-04-30 (金) 10:52:13
  • 金剛が鳥海を射撃した事実はないよ -- 2021-04-30 (金) 11:29:18
  • 過去ログをろくに精査せずの書き込み御免だけど、声優・古川登志夫さんのいちばん上のお兄さん・善一郎さんは鳥海の機関銃手として戦死なさっておられる。Wikipediaにもあるが登志夫さん誕生の際、「この子は善一郎の生まれ変わりだ」と言われたそうな(登志夫さんは15人きょうだいの末っ子として終戦直後の1946年=昭和21年生まれ) -- 2021-06-06 (日) 01:20:38
    • 過去ログというか定番ネタではないかと -- 2021-10-06 (水) 19:12:21
      • 途中送信御免上の小ネタにもしっかり書いてある -- 2021-10-06 (水) 19:15:03
  • 眼鏡娘が実装されては弾けていく中 古参の鳥海が知性派の牙城を守り続ける姿は 実に頼もしい -- 2021-10-06 (水) 18:48:10
  • こないだ出た横山信義さんの作品で、空母なってしまったわ -- 2022-06-24 (金) 14:34:41
  • 南瓜を御馳走しようと探してるが、物欲センサーが絶好調。 -- 2022-10-17 (月) 11:39:59
  • ららぽーと豊洲のリンク更新した -- 2023-02-15 (水) 21:44:39
  • 母港でつつくと「この夏、10周年のとき、忘れません」というボイスが。無改造と改二で確認 -- 2023-09-03 (日) 08:37:05
  • 重巡建造すると何故かこいつばかり出る加古よりはマシだが正直いらん妙高来てくれ任務(編成)が終わらん -- 2024-02-21 (水) 22:21:30
  • トマホーク対応改修、私もうれしいです。 -- 2024-09-12 (木) 10:33:19
    • そこね…計算通り、見つけたわ。トマホーク攻撃はじめ、SALVO!! -- 2024-09-24 (火) 19:46:32

*1 母港ボイスは各艦娘につき3つ割り当てられています。「詳細」ボイスは編成画面の「詳細」ボタンをクリックすることで聞くことが出来るボイスです。母港画面でも聞くことが出来ます。「母港3」ボイスは「母港画面でのクリック」もしくは「母港画面への遷移」でのみ聞くことが出来る、いわゆる「提督お触りボイス」です。編成画面での「詳細」ボタンでは聞くことが出来ません
*2 4つの基本ボイス(昼戦開始・昼戦攻撃・夜戦開始・夜戦攻撃)がありますが、各ボイスはその他の色々な場面でも使われます。各ボイスをどのフェーズ(航空戦/開幕雷撃/先制対潜/昼戦攻撃/各種CI...など)に割り当てるかは艦娘によって異なり、例えば開戦ボイスを攻撃でも使ったり、夜戦攻撃ボイスを昼戦でも使ったりします)
*3 「小破」ボイスの3つ目と戦闘撤退時の「旗艦大破」ボイスは共用化されています
*4 「小破」ボイスの3つ目と戦闘撤退時の「旗艦大破」ボイスは共用化されています
*5 装備ボイスは3ボイスありますが、改修/改造ボイスと共用化されています。また、ボイス3は「改修/改造」「開発」「バケツによる即時修復」「遠征出撃」「アイテム発見」ボイスと共用化されています
*6 客船も作っていた三菱造船所(長崎)の生まれで、姉たちより内装が良く重用されたため改装の機会を失ったという俗説あり。
*7 鳥海の幻の改装計画については「世界の艦船 傑作軍艦アーカイブ 重巡「妙高」型「高雄」型」より引用。
*8 後に南雲忠一中将の後任の空母機動部隊指揮官となり、レイテ沖海戦では囮作戦を指揮した提督である。
*9 加古などは、三座水偵に関してはこの時既に新型の零式水上偵察機に更新(当然射出機も対応した物に換装している)済み。九四水偵自体は終戦まで使われた機体だが、鳥海でも後に射出機を二号五型に換装して零式水偵を運用している。
*10 この時の被弾によって海図が失われた事も撤退に繋がったとかなかったとか。
*11 なお米軍はこの戦いの事を「Battle of Savo Island」と呼ぶが、日本側が「サボ島沖海戦」と呼称する戦闘は二か月後の出来事である。
*12 というのも船会社については不明だがアメリカでは労働者側から戦争中はストライキをなるべく行わないことを表明しており、43年にはストの強制仲裁を可能にした法律も整備されたと言われている。つまり要出典の話題である
*13 山口多聞少将が再攻撃主張の急先鋒だったとも言われていたが、彼は二航戦の参謀や搭乗員からの意見に「南雲さんはやらんだろう」とむしろ消極的で、「第二撃の準備完了」という遠回しな連絡しかしていないことが判明している。
*14 実は金剛の誤射ではないかという説もある。研究の結果、命中の有無は別として、金剛が鳥海を敵と誤認識して砲撃を実施したのは確実の様である。
*15 実は大和最後の艦長である有賀幸作大佐が艦長を勤めていた時期がある。もっとも鳥海で勤務中にデング熱に罹患した為、わずか一か月程度で艦を降ろされてしまっている。ちなみに乗員からの評価や勤務そのものは良評価だった。なお有賀幸作大佐は水虫でも有名である。ちょうかいかい。(余談だが、「鳥海、超快調かい?」なんて艦隊名で運用している提督さんも…。)
*16 第2回護衛艦カレーナンバー1グランプリ in よこすか(平成26年4月19日)では、第2位を獲得。
*17 ちょうかいのほかにIHI東京が建造した現役海自艦には、艦これつながりでは、むらさめ(4代目)・さみだれ(2代目)・あけぼの(4代目)がいるが、いずれもむらさめ型である。※「あまぎり(2代目)」は、あさぎり型護衛艦である。また、未実装艦も含めると、ほかに「あさぎり(←朝霧)」がある。