U-511

Cached: 2024-12-20 19:13:43 Last-modified: 2024-09-24 (火) 00:56:10
No.231
いろいろあるんです。いろいろ。U-511(ゆー511)UボートIXC型 潜水艦
艦船ステータス(初期値/最大値)
耐久8火力2 / 8
装甲4 / 16雷装22 / 58
回避18 / 44対空0
搭載0対潜0
速力低速索敵8 / 28
射程30 / 63
最大消費量
燃料10弾薬20
装備
WG42 (Wurfgerät 42)
装備不可
装備不可
装備不可
改造チャート
U-511U-511改(Lv35) → 呂500(Lv55)
図鑑説明
ドイツ海軍のUボート、潜水艦U-511……です。
頑張って、ここまで来ました。
皆と仲良くなれたら…いいなって…ここの文化に馴染めたらいいなって…思います。

※初期値はLvや近代化改修の補正を除いた時の数値であり、最大値はLv99の時の最大値を指します。

CV:茅野愛衣、イラストレーター:島田フミカネ (クリックするとセリフ一覧が開きます)

CV:茅野愛衣、イラストレーター:島田フミカネ

定型ボイス一覧

イベントセリフ改装段階備考追加
U

5
1
1



1
追加
入手/ログインドイツ海軍所属、潜水艦U-511です。*1ユーとお呼びください。少し遠出してきました。よろしくお願い致します……。編集
母港*2編集
母港1詳細Guten Morgen(グーテンモルゲン).*3編集
母港2知ってる。それ、この艦隊の挨拶でしょ? 変わってるね。編集
母港3郷に入っては郷に従えって聞いたけど…まぁ、どうなのかなって。編集
ケッコンカッコカリAdmiral…どうしたの? この指輪…ユーに? だ、Danke*4。…そ、その…だ、Danke!編集
ケッコン後母港Admir…じゃなかった。っと…提督、いつもありがとう…です。編集
放置時ユー…なんか間違えたかな。大丈夫かな。不安…ちゃんと出来てるかな。×編集
Ad...提督、ユー、ちゃんと出来てる、ですか?…そう、Danke(ダンケ).*5×編集
編成出撃編集
編成ユー、出撃します。編集
出撃潜水艦隊、出撃しますね。編集
ユー、出撃します。編集
開戦・攻撃*6編集
戦闘1昼戦開始敵艦隊発見です。Feuer(フォイヤー)*7編集
戦闘2昼戦攻撃ユーは、負けません!編集
戦闘3夜戦開始夜の戦いです。負けません!編集
戦闘4夜戦攻撃いろいろあるんです。いろいろ。編集
戦闘時ステータス*8編集
小破!?痛い…編集
はぁああん! とても…痛い…編集
中破/大破やられました。ちょっと良くないです。ユー、浮上したい…気もします。編集
轟沈もう…浮上できません…ふるさと…舞鶴…もう一度、帰りたい…な…編集
戦闘終了*9編集
勝利MVPユーが一番? Danke。わかった。もっと頑張るね。編集
旗艦大破はぁああん! とても…痛い…編集
装備・改修*10編集
装備1改修/改造改装…うん、Danke.編集
装備2Danke。アリガトウ…あってる?編集
装備3改修/改造/開発/バケツ/遠征/発見見たことある艦(ふね)もいる…気のせいかな?編集
その他編集
帰投艦隊が戻ってきたよ。編集
補給Danke.編集
入渠(小破以下)少し休ませて…編集
入渠(中破以上)いっぱい休ませて…Gute Nacht(グーテナハト)*11編集
建造完了新しい仲間みたい。編集
戦績表示状況報告かな? わかった。編集

各ボイス項目の詳しい説明はこちらをご覧ください


時報ボイス一覧

季節ボイス一覧


イベントセリフ改装段階備考追加
U

5
1
1



1
追加
桃の節句編集
春の訪れ編集
ホワイトデー編集
編集
春本番編集
梅雨編集
初夏編集
編集
盛夏編集
夏祭り編集
編集
秋刀魚編集
晩秋編集
ハロウィン編集
秋のワイン編集
編集
師走編集
クリスマスユーも、今日は楽しい。 ビスマルク姉さんも、楽しそう。 …でも、食べ過ぎかも…編集
年末編集
新年編集
節分編集
バレンタイン編集

二周年記念おめでとう、Admiral(アドミラル)*12。 ユーもお祝いします。編集
三周年記念編集
四周年記念編集
五周年記念編集
六周年記念編集
七周年記念編集



ゲームにおいて

  • 2015年2月6日アップデートで実装された。
    • 同日から始まった15冬イベント「迎撃!トラック泊地強襲」のE-3クリア報酬。
    • その後いくつかのイベント海域でのドロップとして入手可能となっているが、現在のところ通常海域でのドロップや建造では入手不可。
  • BismarckZ1Z3Prinz Eugenに続いて、実装5隻目のドイツ生まれ艦娘。
    • 2度の改装を経て呂500となる。Верныйに続いて、国籍と艦名がともに変化する艦としては2隻目となる。
    • 他のドイツ生まれ艦娘と違い、U-511だけは史実でも本当に日本に来ている。
      他のドイツ艦娘の参戦に釈然としていなかった提督がいたとしても、この娘だけは安心して使えるであろう。
    • ドイツ艦だが、建造でZ1Z3、大型でBismarckが建造できるかはPrinz Eugen共々要検証
      少なくとも100回程度では出ない模様。

基本性能について

  • 未改装の彼女は、近代化改修をしていないまるゆ改に匹敵するほど柔らかい。
    まるゆ改よりわずかに装甲値が高いものの、逆に「8」という数値のせいでまるゆ改と比べてダメージの端数切り捨ての恩恵がない。
    耐久2以下で大破判定になるので、育成する際は目を離さず大事に育ててあげよう。
  • U-511実装によりようやく実用的な意味でのオール潜水艦の艦隊が組めることとなった。

  • 2スロット目を獲得できる最初の改装Lvが35と低いので、演習や5-2-1(空襲マス)だけの育成でもさほど期間は要さないだろう。

キャラクター設定について

  • 最初は日本語が拙い彼女も、異国の文化と鎮守府の空気に馴染んだ結果、呂500への改装で姿が一気に変わる。
    • どうなったかは該当ページへ。今日も鎮守府は平和です。
  • イベントクリアの報酬として実装されたため、当初はU-511と呂500を両立することは不可能だった。変化が非常に大きいため改装するか悩んだ提督も多いとか。
    • その後イベント海域でドロップするようになったので、現在は頑張れば両立可能。

過去イベントのドロップ状況

過去イベントのドロップ状況

過去イベントのドロップ状況

  • 2015春イベでU-511のドロップが確認された。これにより、U-511と呂500の同時持ちが可能となった。
    • ただし最終海域であるE-6のボスS勝利限定、しかもドロップ率は決して高くない。連合艦隊MAPな上に決戦支援もないとS勝利が安定しないため、保有資材とよく相談して掘るかどうか決めよう。
    • ちなみにドロップ数には制限がない。すなわち呂500牧場でFaT魚雷をかき集めると命中が非常に高い潜水艦隊が作れないことはない。
    • Romaや酒匂を狙って無意識にU-511が集まる提督もいる模様。
  • 2015夏イベでもドロップが確認されている。
    • ドロップするのはE-5海域のボスマス(甲のみ)とGマス(乙難易度以上)、共にS勝利が条件である。
    • このうちGマスは潜水艦1隻で羅針盤を固定できる上に道中含めて2戦、通常艦隊で出撃するMAP、支援無しでもS勝利が比較的容易、など2015春イベントと比較すると非常に資材に優しい。
  • 2015秋イベはE-4海域のボスマス(全難易度)においてS勝利でドロップ。
    • 連合艦隊MAPであるが丙での掘りは潜水棲姫対策に第二艦隊を対潜特化させると比較的容易。空母機動部隊の場合はJマス・Mマス攻略で弱体化させておくとS勝利はほぼ確実。
    • こちらはGraf ZeppelinやRomaを狙って無意識に手に入れる提督もいる模様
    • ちなみに確率は圧倒的にGrafより低く、Romaとはいい勝負。
  • そして2016年春イベではE-3海域の道中でドロップが確認されている。彼女の持参する装備は後半海域で有効なもののひとつであったためか、これまでに比べるとかなり掘りやすくなっている模様。
  • 2017年冬イベでもE-1海域のIマスでドロップが確認された。丙でも確認され対潜装備さえあれば掘りに行く事は難しくなかった。しかしどの難易度でもドロップ率はかなり絞られていたようで…
  • 2017年夏にて改装後の呂500と同時に限定グラフィックの里帰りmodeが実装。
    同じキャラで改装前後の同時実装という非常に珍しい形となったが、こちらも日焼けして小麦肌に白スク水という改装後に近い姿のため、17年夏イベで彼女を初入手した提督は通常絵を見たらあまりの差に驚くかもしれない。
  • 2019年夏イベではE-1海域のボスマス(全難易度)においてS勝利でドロップ。
    • 通常艦隊MAPで、同じくボスマスでドロップするRichelieuの特効が強力だった。
    • 余談ではあるが、当イベント直前に新たな対地装備(艦載型 四式20cm対地噴進砲)が本実装されている。前回イベではWG42不足だった提督も、本艦の持参装備やイベント報酬などで、この夏一気に対地装備が増えたことだろう。
  • 2020年梅雨・夏イベではE-3海域のボスマスでドロップが確認された。U-511のみならず、伊13伊14といったレア艦をはじめ、当時実装済みだったすべての潜水艦がドロップしたため、潜水艦戦力の増強に励んだ提督も多かった模様。
  • その後も、2020年秋・冬イベE-3海域ボスマス、2021年夏イベE-2海域ボスマスでドロップ。今後も、欧州方面への出撃時に邂逅のチャンスが訪れると思われる。

限定グラフィック

  • 2017年8月12日のオンメンテナンスにて期間限定グラフィック【里帰り水着mode】が実装された。
    • 慣れない異国に連れてこられて内気だったゆーちゃんが、しおい達と遊びまわりながら馴染んでいき、ろーちゃんへと変わっていく過程を思わせるものとなっている。
    • 中破すると、服は破けないが、アイスクリーム頭痛に悩まされる。
    限定イラスト:里帰り水着mode

    限定イラスト:里帰り水着mode
    231_Summer_2nd.jpg

小ネタ

  • ドイツ海軍のIX C型Uボートの1隻。*13
    • IX型Uボートは、I A型Uボートの改良型として建造された1,000~1,600t級の航洋型潜水艦。
      IX C型はその中でも最も一般的な艦であり、VII C型(「7C型」 映画「Uボート」の主役艦U-96など、多くの人が「Uボート」と言われて思い浮かぶあの艦)と並びドイツ海軍の潜水艦戦隊の中核を為した名艦である。
      • 複殻式構造*14*15を採っているため、VII C型のように巨大な海水タンクのバルジがなく、スマートな船体が特徴。
        この恩恵から水中速度や対潜戦での生存性、安全潜航深度に優れ、VII型より一回り大きいだけにもかかわらず、2倍近い航続力を発揮できるようになった。
      • 但しその分建造費や工数がかかり、改良型も含め700隻が建造されたVII型とくらべ、改良型のIX C/40型を含めても194隻と生産数はVII型よりは少数にとどまっている*16
    • IX C型はU-505が連合軍に鹵獲されており、博物館船として現存する4隻の第二次世界大戦時のドイツの大型潜水艦の中の1隻となっている。
      U-505はシカゴのシカゴ科学産業博物館に寄贈されており、IX C型Uボートは艦これ実装艦の中では唯一完全な形で現存していて、その姿を現在も見ることが出来る枢軸国の艦である。
      前方、広角前方2前方3後方、スクリュー後方2甲板甲板2艦橋部隊章魚雷魚雷2魚雷発射口
      魚雷の位置や照明の色合いなどフミカネ氏がU-511を描く際におそらく参考にしたであろう事が見て取れる。
  • 初の艦底の色が艦底色(ココアブラウン、ハルレッドなどの赤茶色っぽい色)でない艦娘。艦底の色は黒。
  • U-511はハンブルクのドイチェ・ヴェルフト社307番ヤードにて建造され、1941年9月22日に進水、奇しくも太平洋戦争勃発翌日の1941年12月8日に竣工している。
    その後慣熟訓練の後、第4Uボート戦隊に加えられた。
  • 1942年の5月には潜水中におけるロケット弾の発射実験を行っている。
    • 当時のU-511艦長だったフリードリッヒ・シュタインホフ大尉がロケット技術者の兄、エルンスト・シュタインホフ博士と「ロケットによる対地攻撃が可能な潜水艦」を考えだしたのが原因で、実験に供されたそうである。
      U-511は甲板に陸軍用のネーベルヴェルファーを改造したWurfkörper 42 30cmロケット弾が6つ収まったラックを装着したまま潜水し、潜航深度12mからこれを発射。
      結果、見事発射実験は成功した。
    • しかし、狙いが不正確であることや、外付けのラックとロケット弾の産み出す水中抵抗がUボートの操縦性や速度・航行距離に悪影響を及ぼすなどの問題も露呈し、計画は破棄されたという。
      だが「ロケットによる対水上・対地上攻撃可能な潜水艦」というコンセプトそのものはドイツ海軍上層部に支持され、計画はV2ロケットの運用*17にまで拡大し、この計画や日本の伊400型のコンセプトを参考に戦後、米国とソ連はそれぞれ戦略原潜という究極の破壊システムを生み出すことになる。
  • その後は第10Uボート戦隊に移籍し、1942年7月から1943年3月までに3回の哨戒を実施。1942年12月にはシュタインホフ大尉に代わってシュネーヴィント中尉が艦の指揮を引き継いでいる。
    フランスのロリアン軍港を起点に遠くはカリブ海まで哨戒航海を行い、タンカー2隻、貨物船1隻合計総トン数27,003トンを撃沈し、別のタンカー1隻、8,773トンを損傷させた。
  • 1943年5月、U-511は大尉に昇進していたシュネーヴィントの指揮下、マレーシアのペナン軍港経由で日本の呉軍港に向かうこととなった。
    • その理由は技術交換の一環もあるがズバリ、「インド洋での日本海軍の通商破壊作戦の要請のため、通商破壊用の潜水艦のモデルとしてU-511を供与すること」。
      • ドイツは前々からインド洋におけるインドとイギリスの通商網の破壊を考えており、インド洋付近まで勢力圏を持っていた同盟国日本の援助も得ながら、仮装巡洋艦やマレーシアのペナンを起点に活動した「モンスーン戦隊」などによる地道な通商破壊作戦を展開していた。
        しかしそれでは埒が明かないとヒトラー総統が日本海軍にインド洋での大規模な通商破壊作戦を要請したのである。
      • その際に太平洋での運用を前提とした伊号では量産に不向きなことから、IX C型潜水艦を量産型の通商破壊用潜水艦のモデルシップとするために、無償供与することとしたのである。
    • 便乗者には日本海軍の駐在武官であった野村直邦中将や次期在日ドイツ大使、ドイツ人科学者や潜水艦技術者がいた。
      • なおこの時に野村中将が思いつき、U-511出港前の報告としてある「暗号」を用いて交わされた国際電話が、アメリカ軍の暗号解読部隊を相当に手こずらせている。
      • 外務省と駐独日本大使館の間で帰朝のスケジュールの打合せをするのに、米軍に盗聴されるのを覚悟の上で国際電話を使用したのだが、盗聴されてもわからないようにするために、鹿児島出身の外交官同士で会話をした。
        当然米軍に盗聴されたが、早口の鹿児島弁だったため、そもそも日本語かどうかすら判別ができなかった。米軍自身が暗号にインディアンのナバホ族同士の会話を使用していた*18こともあり、アジアの諸言語まで検証した。
        2ヶ月後、米陸軍情報部に勤める鹿児島出身の日系人*19が「翻訳」して、ようやく内容がわかった。
      • ちなみにこの方法による最初の通信は、5月の野村中将が出発する1週間前のことで、東京からの「モ タタケナー」(もう発ったかな)という問い合わせに対しドイツからは「モ イッキタツモス」(もうすぐ発ちます)と答えるなどしたという。こうした国際電話による連絡は、連合軍の爆撃により中継局が破壊されるまでの1か月ほど続けられた。
    • この航海はすなわち彼女のU-511としての最後の航海となったのだが、ついでとばかりにインド洋で商船狩りを実施し、アメリカ商船2隻、計14,370tを撃沈している。
  • 1943年7月15日にマラッカ海峡のペナン港に寄港。野村中将と技師たちをここで下ろすと、U-511は日本人回航員を載せて「さつき1号」の仮称で一路呉へと向かった。
    • その途上の7月29日、U-511は浮上航行中に、高雄発シンガポール行きの「ヒ03船団」*20と遭遇。
      明らかに日本の潜水艦とは異なる、見慣れない塗装*21と形状の潜水艦を見つけ、船団の先頭を行くタンカー・御室山丸は敵潜と判断して発砲を開始。
      どこかの輸送潜水艇よろしく、味方に敵と間違われたU-511であったが、回航員長だった奥田増蔵大佐が手旗信号と発光信号で説得を繰り返し、更に艦上で軍艦旗を大きく振って、御室山丸の誤解を解かせたのであった。
    • その後、臨検に訪れた護衛の海防艦択捉に事情を説明して、やっと船団側は納得に至ったという。
  • 1943年8月7日にU-511は呉軍港に到着。9月に入って艦籍が日本に移り、呂号第五〇〇潜水艦に改称された。
  • U-511時代の艦長は2名おり、前述のシュタインホフ大尉(後に少佐)と、26歳のフリッツ・シュネーヴィント中尉*22の二人。
    • シュタインホフ少佐はU-511退艦後、IX D/2型*23の新鋭艦U-873に乗艦。
      最初の哨戒航海でアメリカ東海岸にまで遠征を行ったが、哨戒中にドイツが敗戦し、1945年5月16日にポーツマス軍港付近で降伏。
      捕虜としてマサチューセッツ州ボストン、チャールズ・ストリートの刑務所に送還された。ここは民間の犯罪者も収監されていた一般的な刑務所であり、軍人向けの捕虜収容所に送られるまでの一時的な処置であった。5月19日に同刑務所内で自殺している。
    • シュネーヴィント大尉は東京で盛大な歓迎を受けた後に、元U-511乗員らと再びインド洋に戻り、IX C/40型のU-183の艦長に就任。
      インド洋を転戦しドイツ十字金章を授与される栄誉を得たが、ドイツ敗戦間際の1945年4月23日にジャワ海にて、米潜水艦「ベスゴ(SS-321)」の攻撃により乗艦U-183と、救助された一人を残したクルー全員と共に海色の波間に消えた。
  • Uボート(U-Boot、ウーボート)という単語は元来、Unterseeboot(ウンターゼーボート、英語に変換するとundersea boat、すなわちsubmarine)の略語でありドイツ語で単に「潜水艦」を意味するのだが、ドイツ国外でUボートと言うと第一次・第二次世界大戦期のドイツ潜水艦を指すことが多い。*24
    • UボートのアルファベットのUは、ドイツ語では「ウー」と読み、英語・日本語では「ユー」と読む、なのでドイツ語読みでは上記のように「ウーボート」と読むが日本では「ユーボート」と一般的に読まれることが多い。(これは「シュトゥーカ」を「スツーカ」とも呼ぶようにどちらも正しいのでどちらで読んでも問題ない。)
      • 彼女が「ユーとお呼びください。」と言っているのもこのせいかと思われる。「うーちゃん」って呼んでいいのはうーちゃんだけぴょん!
  • イラストが全体的にやや青白いが、イラストレーターいわく「水中表現に青緑系の色味に振ってある」との事。血色が悪いというわけではないらしい。
    • カードでは確認しづらいが、通常絵の魚雷発射管や中破絵の随所に見られる気泡も同様に水中表現だろう。つまり秘書艦にすると執務室が水没する。
    • また、全体図を見ると実に歩き難そうな靴を履いていることが分かるが、「腕とももの金部分から先は、陸では脱ぐ」らしい。
      • よく見ると該当部分に取り外し用のファスナーのようなものが描かれている。
      • 公式4コマ第83話で実際に脱いでいた。
    • 右手に持っているのは、「10.5cm砲」。糸鋸の刃のようなパーツは「敵潜が散布した防潜「毛」を処理するカッター」らしい。
      • 防潜毛とは一体…。深海棲艦の謎は深まるばかりである。
        史実なら対潜「網」だが、戦ってる相手は深海棲艦だから誤変換じゃないのかも…。
        ちなみに史実の防潜網*25は駆逐艦や駆潜艇(駆逐艦より一回り小さい対潜艦艇)も泊地周辺等に敷設するほか、「急設網艦」という専門の艦種もあった。変わった所ではあきつ丸も敷設可能であった。*26
    • 実際、大西洋の海の色に合わせてUボートは白灰色で塗装されていたので、史実通りである。
  • U-511とともに来日したHansSchmidt博士は、船体用の電気溶接性高張力鋼板の技術を日本に伝授した。結果として日本海軍はドイツのSt52に匹敵する性能を持つ鋼板の開発に成功する。鋼板は伊201型潜水艦に採用されたが、大戦末期であり実戦には投入されなかった。
    • 戦時こそ活躍の場が無かった電気溶接性高張力鋼板だが、昭和27年頃我が国の工業の各方面から溶接性に優れた高張力鋼が要望され、戦後復興に大いに役立ち昭和34年にSM50としてJISに制定された。
    • ところが日本の戦後復興の恩人たるHansSchmidt博士は、戦後変名して消息を絶ってしまったようだ。ドイツにおける「ヒトラーの協力者」の扱いの片鱗が見える…。

戦歴

折りたたみ
  • ドイツ海軍が建造したIXC型Uボートの1隻。1939年10月12日、ハンブルク造船所に発注。1941年2月21日に起工し、9月22日に進水。そして1941年12月8日に竣工した。初代艦長としてフリードリヒ・シュタインホフ大尉が着任した。まず第4潜水隊群に編入され、12月18日までエルベ川で試験。翌日からキールを経由してシュチェチンに移動。更なるテストに従事するが、12月28日にキールへ入港した時に海が凍りついてしまって長らく閉じ込められる。
     
  • 1942年4月17日にどうにかキールを出発し、バルト海で訓練。5月6日から13日にかけてピラウで第26潜水隊群と魚雷演習。5月20日から29日にかけては第27潜水隊群と戦術演習を行った。5月27日、シュチェチンの造船所にて水中用ロケット発射装置を搭載し、ペーネミュンデ沖でロケット弾発射実験に従事する。しかし6月4日にキールへ回航するよう命じられていたため、48発中7発のみの試射となった。このうち6発は水上から、1発は深度23mからの水中発射となった。U-511の船体に損傷は無く、実験は成功とされた。6月6日にハンブルクへ戻り、出撃に備えて残工事を実施。7月12日にキールに回航され、最後の戦備を整えた。
  • 7月16日、キールを出撃。最初の狩りに赴いた。2日後、前進拠点のクリスチャンサンに入港して燃料補給を行い、同日中に出発。敵の厳重な警備を突破してデンマーク海峡を通過し、北大西洋、カリブ海、ウィンドワード海峡を狩り場とした。7月29日、ウルフパック「ピラット」に加わる。8月1日、第10潜水隊群に転属。8月28日午前6時15分、グアンタナモ南南東でTAW-15船団を発見。午前6時29分に雷撃を行ったが、護衛の駆逐艦がすっ飛んで来たため潜航を強いられた。海中でU-511は3回の爆発音を聴音した。この時、イギリス船舶サンファビアン(1万3031トン)とオランダ船舶ロッテルダム(8968トン)を撃沈。アメリカ船舶エッソアルバを大破させていた。こうしてU-511は最初の戦果を挙げたのだった。9月17日、乳牛のU-460から燃料と修理用部品の補給を受ける。9月29日、ロリアンに入港した。
  • 10月24日、ロリアンを出撃して二度目の戦闘航海に出る。11月9日、ウルフパック「Schlagetot」に参加。連合軍が北アフリカへの上陸(トーチ作戦)を始めたため迎撃に向かったが、シュタインホフ艦長が発病したため早期に帰投しなければならなくなった。11月21日、U-118から帰りの燃料を補給してもらう。僅か35日の航海を経て、11月28日にロリアンに帰投。戦果は何も挙げられなかった。12月18日、シュタインホフ艦長は退艦し、新任のフリッツ・シュニーヴィント大尉が艦長に着任した。
     
  • 12月31日、ロリアンを出港。中部大西洋沿岸とアゾレス諸島の南北を狩り場に定めた。1943年1月9日17時25分、水平線に浮かぶマストの先端を確認して攻撃を開始。21時42分、カナリア諸島西方で敵船に対し2本の魚雷を発射し、イギリス船舶ウィリアム・ウィルバーフォース(5004トン)を撃沈。5054トンの西アフリカ製品とともに海の中に沈んでいった。U-511は尋問のため生存者を探したが、見つけられなかった。2月16日、魚雷発射管が損傷したU-108に燃料、潤滑油、六分儀、備品等を供給。2月23日、U-461から医療品や電波探知機Fu MBアンテナを受領。3月8日、ロリアンに帰投した。
     
  • 1943年2月26日、ヒトラー総統はインド洋での通商破壊を促進するために同盟国日本にUボート2隻の無償譲渡を決定。デーニッツ提督が反対したが、即座に却下された。こうしてU-511は遠く離れた日本に向かう事になり、帰国する野村直邦中将とその軍医杉田少佐、新任の駐日大使エルンスト・ヴェールマン、ナチス党員のフランツ・ヨーゼフ・スパーンと3名の技術者が列車でロリアンに到着。停泊中のU-511に便乗した。欧州事情を深く知る野村中将の帰国は日本にとっても重要であり、U-511の責任は重大だった。積み荷としてVIIC型用の600馬力ディーゼルエンジン、魚雷艇用のダイムラーベンツMB-518ディーゼルエンジン、メッサーシュミットMe163「コメット」の青写真、黄熱ワクチン、予備の魚雷、モンスーン戦隊向けの備品等を積載。しかし道中には連合軍の勢力圏が十重二十重に張り巡らされており、大変危険な旅路であった。
  • 1943年5月10日13時、ロリアンを出港。5月26日にフリータウンの西方でU-460と合流し、燃料や潤滑油の補給を受ける。翌27日、3ノットで潜航しながら赤道を南下した。喜望峰沖は一年中天候が荒れている難所で、敵国イギリスの舎弟である南アフリカ連邦が目を光らせていたが、敵に見つかる事無く6月10日にインド洋へ到達した。6月27日午前6時30分、マダガスカル南東沖でマストを発見して潜航。午前9時40分、2本の魚雷を発射してアメリカ船舶セバスチャンセルメノ(7194トン)を撃沈。10分後に沈んでいった。生存者は救命ボート5隻に分乗して脱出。U-511は浮上して接近し、生存者を尋問したのち解放した。7月9日18時、アメリカ船舶サミュエル・ハインツェルマン(7176トン)を捕捉し、19時40分に2本の魚雷を発射。20時30分に浮上してみると、既に敵船の姿は無く油だけが浮いていた。予想された敵襲は無く、7月15日にアンダマン海に到達。敷設艦初鷹と合流し、野村中将と杉田少佐が初鷹で入浴した。そして7月16日に日本占領下のペナンに入港。ここで整備と補給が行われたが、日本側が誤って重油を補給してしまい(伊号潜水艦は燃料は重油だが、Uボートは軽油)、騒音が酷くなったエピソードがある。ここでドイツ人技術者と野村中将を降ろし、日本への道案内役として奥田増蔵大佐以下4名が乗艦。7月24日16時に出港した。
  • 7月29日16時50分、道中でヒ3船団と遭遇。日本の潜水艦とは明らかに違う見た目から敵と誤認され、御室山丸から3発の発砲を受ける。慌てて奥田大佐が軍艦旗を振ったり、手旗信号を送った事で何とか誤解を解いた。海防艦択捉が臨検を行い、攻撃した事について謝罪した。8月5日、豊後水道の沖合いまでやって来た。ここで機雷敷設艦怒和島と合流し、護衛を受けながら進む。その後、日本の哨戒機から付近に敵潜を発見したとの報が寄せられ、怒和島が対潜掃討。山口県屋代島沖の安下庄で仮泊し、89日の航海を経て、ついに8月7日に呉へと入港。長く辛い旅が終わった瞬間だった。シュネーヴィント大尉と数名の将校は東京に行き、嶋田海軍大臣等から盛大なもてなしを受けた。 
  • 8月23日、呉を出港して大竹の潜水学校に移動。8月30日までU-511乗組員から操艦方法を習った。8月31日より日本人乗組員によって操艦され、訓練や潜航の演習を瀬戸内海で行った。そして9月15日に大竹を出発し、神戸に回航。翌16日、帝國海軍籍となって「呂500」と命名。日本に引き渡されて呉鎮守府に編入。呉に入港した呂500は、日本の技術陣と東京の海軍技術研究所に所属する3名のドイツ人技師から性能調査を受ける。ディーゼルエンジンの信頼性の低さ、不十分な換気及び冷却システムなどIXC型の欠点を指摘した。だがそれらを差し引いてもUボートの完成度は高く、日本の工業力では量産不可能と判断されてしまった。だが得られた情報をもとに伊200型の設計が始まっている。元乗組員47名は封鎖突破船オソルノに乗ってシンガポールに行き、降伏したイタリアから接収したUIT-23、UIT-24、UIT-25に配属された。戦果は5隻撃沈(4万1373トン)、1隻撃破(8773トン)。

この艦娘についてのコメント

  • イベントで2隻来てくれたので、やっとゆーちゃんさつきちゃんろーちゃんが揃う -- 2022-03-31 (木) 11:36:46
  • イベントで初ドイツ艦げと!ドイツ艦じゃなくなるのが勿体ないから改装したくないんだけど本人は馴染みたがってるしどうしたものか... -- 2022-10-04 (火) 12:40:06
  • 建造でも入手できるようになってほしいかも。 -- 2022-12-04 (日) 03:31:50
  • 改めて見る日焼け跡故にの旧スク水のエロさよ・・・これが新スク水が生まれた由縁の一端なのだろうか? -- 2023-07-09 (日) 20:54:09
    • 旧スクは素材の都合や縫製におけるインナーカップの付け方のまずさもあって水抜けが悪くて泳いでる時にベロンベロンになりやすく、かつ水はけも悪いから干しても乾きにくく不衛生で主にお母さん達に不評だったのよ。子供らがプール入ったあとびっちょびちょで持って帰ってくるから。そんで水着メーカーが機能性と実用性を強化する努力を続けて素材と形状を見直し、現在の形に進化したわけ。…決して邪な発想から形状進化の道を辿ったわけではない。断じて、無い。…たぶん。 -- 2023-07-09 (日) 21:45:51
      • ほう。 確か旧スク水って水抜きあったと思ったがそれでもなのか・・・。 水着で水はけ悪くて乾き難いって、それ水着で致命的じゃ・・・。 そういえばエロいといえばどこかでドイツのスク水がエロいというのを見かけたような? -- 木主? 2023-07-09 (日) 22:25:02
  • 後段作戦でゆーちゃんドロップするらしい。所持数制限無いといいな……。 -- 2023-08-27 (日) 12:36:12
  • E-6で2隻続けてお迎え。大切にします… -- 2023-09-12 (火) 05:44:42
  • E6堀で未所持から4隻ドロップしました。 -- 2023-09-15 (金) 06:17:12
  • ろーちゃんではダメで、ユーちゃんにしかできない事ってある? -- 2023-10-05 (木) 22:10:57
  • やった・・・!轟沈させてしまったU-511と数年ぶりに再会できた!滅茶苦茶嬉しい -- 2023-10-09 (月) 21:44:25
  • 今更なんだけどUボートだから、ゆーちゃんって後続出ませんよって意味だよね。伊号にいーちゃんってつけるようなもんだし。 -- 2024-01-24 (水) 01:08:10
  • 新米提督のころ(多分7年ぐらい前)、WG42欲しさに200周ほど掘り周回したのを懐かしく思い出します。ゆーちゃん二人お迎えし、一人はろーちゃんに、もう一人はさつきちゃんに…。そろそろ三人目に逢いたいなぁ。今度はゆーちゃんのままケッコンするぞ! -- 2024-04-16 (火) 22:45:25
    • うちはゆーちゃん、さつきちゃん、ろーちゃんの3人いますw 頑張って二人目掘ってゲットした後に気が付くと何時の間にか3人目が・・・ -- 2024-04-16 (火) 23:12:56
  • お願いします!!うちの鎮守府に来てください!!!もう資源がないんです!!!! -- 2024-08-10 (土) 00:41:58
    • 私もずっと周回してるのに出てきてくれません…どこで掘ってますか? -- 2024-08-16 (金) 18:51:51
      • E3のH2、Kマス周回で来てくれました! -- 2024-08-16 (金) 18:59:22
  • ありがとうございます!Kマス周回していて心折れかけていましたがもう少し頑張ってみようと思います! -- 2024-08-17 (土) 16:53:11
  • ようやく うちにも来てくれたよ! めっちゃかわいい水着姿で! -- 2024-09-22 (日) 09:23:16
  • ゆーちゃん、増設でCIができる今はゆーちゃんのまま育てるのもアリかな…… ゆーちゃんかわいいね…… -- 2024-09-24 (火) 00:56:09

*1 U-511は「ゆーごーいちいち」と発音。
*2 母港ボイスは各艦娘につき3つ割り当てられています。「詳細」ボイスは編成画面の「詳細」ボタンをクリックすることで聞くことが出来るボイスです。母港画面でも聞くことが出来ます。「母港3」ボイスは「母港画面でのクリック」もしくは「母港画面への遷移」でのみ聞くことが出来る、いわゆる「提督お触りボイス」です。編成画面での「詳細」ボタンでは聞くことが出来ません
*3 おはよう
*4 ダンケ:ありがとう
*5 ありがとう
*6 4つの基本ボイス(昼戦開始・昼戦攻撃・夜戦開始・夜戦攻撃)がありますが、各ボイスはその他の色々な場面でも使われます。各ボイスをどのフェーズ(航空戦/開幕雷撃/先制対潜/昼戦攻撃/各種CI...など)に割り当てるかは艦娘によって異なり、例えば開戦ボイスを攻撃でも使ったり、夜戦攻撃ボイスを昼戦でも使ったりします)
*7 撃て・砲撃 本来は「火」を意味する。
*8 「小破」ボイスの2つ目と戦闘撤退時の「旗艦大破」ボイスは共用化されています
*9 「小破」ボイスの2つ目と戦闘撤退時の「旗艦大破」ボイスは共用化されています
*10 装備ボイスは3ボイスありますが、改修/改造ボイスと共用化されています。また、ボイス3は「改修/改造」「開発」「バケツによる即時修復」「遠征出撃」「アイテム発見」ボイスと共用化されています
*11 おやすみなさい
*12 提督 アドゥミラルとも。
*13 IXはローマ数字の"9"。第二次大戦期ドイツ潜水艦の形式名はI型からローマ数字を用いて名付けられている。なおローマ数字記号は機種依存文字のためwikiなどでは「I」と「X」の組み合わせで代替表記されているケースが多い点に注意。
*14 船体が二重構造になっていて、二重構造の隙間に海水タンクや重油タンクを設ける方式の潜水艦。艦これ登場艦では伊401もこの方式。
*15 なお一般的な伊号潜やガトー級などはVII C型と同じサドルタンク(半複殻)式を採用している。
*16 日本で最多の竣工数を達成した巡潜乙型が20隻、アメリカのバラオ級の竣工数は120隻である。
*17 さすがにUボート自体に搭載は出来ないので、V2ロケットを搭載した発射サイロを曳航する計画だった。
*18 これを「コードトーカー」という。
*19 鹿児島弁で会話をしていた外交官のうちの一人と同郷で、渡米の際にお世話になった恩人だったという。
*20 かつての「太平洋の女王」浅間丸や元ニューヨークライナーの有馬山丸など、優秀船が数多く加入していた
*21 U-511の塗装は大西洋仕様の緑灰色だった。
*22 ドイツ語でシュネーは雪、ヴィントは風。つまり「雪風」中尉である。1943年3月1日、大尉に昇進した。
*23 IXC型から更に大型化する事で航続距離も延長した巡洋潜水艦タイプ。2隻がドイツ敗戦時に日本海軍に接収され、戦利潜水艦伊501・伊502となっている。
*24 英単語U-boat(ユーボウト)は、german submarineと全く同義である。
*25 文字通り、潜水艦を防ぐ網。「網」と言っても鋼鉄製である。防潜網カッターは、防潜網を突き破るためというよりは、引っかかった時の脱出用である。
*26 なお、日本海軍の特設艦船には「特設捕獲網艇」という艦種がある。同じく特設艦船に「特設防潜網艇」という艦種があるので若干奇異に思われるが、当時の日本海軍は機雷付きの防潜網を「防潜網」、機雷のない防潜網を「捕獲網」とそれぞれ呼称し区別しており、後者は引っかかった潜水艦を「捕獲」するためにそう呼称されたといわれる。