大鯨

Cached: 2021-04-20 23:35:29 Last-modified: 2021-04-19 (月) 17:17:23
No.184
大鯨(たいげい)大鯨型 1番艦 潜水母艦
艦船ステータス(初期値/最大値)
耐久39火力5 / 15
装甲15 / 37雷装0
回避24 / 39対空16 / 36
搭載8対潜0
速力低速索敵24 / 48
射程20 / 59
最大消費量
燃料35弾薬10
艦載装備
212.7cm連装高角砲
3毘式40mm連装機銃
3未装備
装備不可
改造チャート
大鯨龍鳳(Lv25+改装設計図) → 龍鳳改(Lv50)
図鑑説明
潜水母艦、大鯨です。
潜水艦隊旗艦機能と補給物資や水上偵察機を装備して、潜水艦作戦を支援します。*1
いざという時は空母に改装できる空母予備艦として設計されました。頑張ります!

※初期値はLvや近代化改修の補正を除いた時の数値であり、最大値はLv99の時の最大値を指します。

CV:小倉唯、イラストレーター:玖条イチソ (クリックするとセリフ一覧が開きます)

セリフCV:小倉唯、イラストレーター:玖条イチソ
入手/ログインこんにちわあ。潜水母艦大鯨です。
不束者ですが、よろしくお願い致します。
母港/詳細閲覧なんでしょうかあ?
潜水艦と編成ですか? お任せください!
えっと、この中ですか? 玉ねぎや馬鈴薯…あと…補給用の魚雷とか…です…はい…
母港/詳細観覧(2015新春)提督?あ、あの…潜水母艦、いいですよね?必要ですよね?…あー、良かった。はい!潜水艦達のお世話は、お任せ下さい!
母港/詳細閲覧(2016新春)て・い・と・く、提督♪ 新年あけまして、おめでとうございます。本年も、どうぞよろしくお願い致します!
母港/詳細閲覧(節分)節分なんですけど、潜水艦の子たちが…。痛ーい! や、やだ、痛ぁ! も、もうやだあ。あ~ん! やめてー! もう降参だからー!
母港/詳細閲覧(バレンタイン)て・い・と・く♪ はい! 大鯨からのチョコレート、どうか受け取って下さい。あ、ありがとうございます♪
母港/詳細閲覧(桃の節句)雛祭り♪ 雛人形、可愛いですね。潜水艦たちも、可愛い…あれ、菱餅が? おかしいわ、たしかに…また用意しなくちゃ。
母港/詳細閲覧(ホワイトデー)もしかしてこちらを私に?ありがとうございます♪ 私、だいじにだいじに頂きます♪
母港/詳細閲覧(春)お花見ですか? おまかせ下さい。お重いっぱいにお料理詰めて、馳せ参じますね。あの子達、何が好きかしら? 楽しそう。ふふ♪
母港/詳細閲覧(四周年)て・い・と・く♪ おめでとう御座います。艦隊は四周年を迎えました。大鯨も、お祝い申し上げます。祝賀のお料理、作りますね♪
母港/詳細閲覧(五周年)て・い・と・く♪ おめでとう御座います。艦隊はついに五周年を迎えました。大鯨も、お祝い申し上げます。祝賀のお料理、がんばりますね♪
母港/詳細閲覧(六周年)て・い・と・く♪ おめでとう御座います。艦隊はこの春また、新たな歴史を刻むことが出来ました。お祝いとお礼、申し上げます。
母港/詳細閲覧(梅雨)雨の季節。ふふ。作っちゃった。て・い・と・く・の・てるてる坊主。かわいい。あ、提督、ほら、似てるでしょ。
母港/詳細閲覧(初夏)て・い・と・く♪ え、何ですか? 水着ですか? 一応用意してあるのですが…え、今ですか?! 夏まで待っててくださいね?
母港/詳細閲覧(夏真っ盛り)て・い・と・く♪ あの、私…水着、着てみました。どうでしょうか? あ、あの、あまり見つめないで下さい…はわゎゎゎ…////
母港/詳細閲覧(秋)あ、時雨さん。お疲れ様です。え、秋はバルジが…? そうですね、時雨さんは大丈夫だけど、私気をつけなきゃ…。
母港/詳細閲覧(秋刀魚)艦隊で、秋刀魚漁支援ですか? 了解しました。あ、磯風さんも、準備万端ですね? よーしっ!
母港/詳細閲覧(晩秋)少し寒くなってきましたね。風邪を引かないようにしないと…提督も、暖かくしてくださいね?
母港/詳細閲覧(xmas)て・い・と・く♪ クリスマスですね。私、腕を奮っちゃいます! お料理のリクエストがあったら、言ってくださいね?
母港/詳細閲覧(師走)鳳翔さん、どうされたんですか? そうか、鎮守府大掃除ですね。私もお手伝い致します♪ あ、はい。まず掃き掃除からですね?
ケッコンカッコカリ(反転)提督…こんな私を、生まれたままの姿で育ててくれて、本当にありがとうございます…いつも、はい、いつも、感謝しています。いつまでも、提督といっしょに…
ケッコン後母港(反転)提督、お疲れではないですか?私、潜水母艦なので、居住性はちょっと自信あります。
編成潜水艦隊旗艦、大鯨、出撃します!
出撃潜水艦隊旗艦、大鯨、出撃します!
潜水母艦、大鯨、抜錨しますね!
遠征選択時嬉しいかも。
アイテム発見嬉しいかも。
開戦敵艦発見! …ど…どうしましょう……!
航空戦開始時当たって…当たってぇー!
夜戦開始この武装で艦隊戦は…無理かもー!
攻撃敵艦発見! …ど…どうしましょう……!
えっ!? えーっと…こ、攻撃!?
連撃/弾着観測射撃/夜戦攻撃当たって…当たってぇー!
小破きゃーっ!
やっ…やめてください!
中破/大破ちょ…直撃!? もっ…もうやだぁ……排水を急いで!沈んじゃう…!
勝利MVPえっ…嘘…わ、わたし!? …あっ、ありがとうございます…が、頑張ります!
帰投無事帰ってきました。よかったあ。
補給はい、ありがとうございます。
改装/改修/改造まあ~! ありがとうございます!
ほんとに? ちょっと嬉しいかも。
嬉しいかも。
入渠(小破以下)ごめんなさい、ちょっとお風呂に…。
入渠(中破以上)すみません、また少しお風呂に…うぅ、電気溶接だとダメなのかしら……。
建造完了まあ!新しいお仲間が来たみたいです。
戦績表示提督?状況把握ですね、大切ですね。
轟沈(反転)え…私、沈むの…? …これが…みずの…なか……
時報龍鳳にて実装
放置時て・い・と・く、提督! あ、あの…潜水艦作戦は……
あっ、しばらくお休み…そ、そうですか…いえ、なんでもないんです…はい……

ゲームにおいて

  • 2014年6月6日のアップデート時に実装された、艦これ初の潜水母艦
    • 長らく大鯨しか存在しない艦種であったが、2020年6月27日に迅鯨が追加された。
    • 元々戦闘艦ではないので戦闘時の特殊能力はない
    • ただし、編成任務「潜水艦隊「第六艦隊」を編成せよ」、遠征任務「遠洋潜水艦作戦を実施せよ!」「遠洋潜水艦作戦の成果を拡大せよ!」と
      遠征「遠洋潜水艦作戦」「西方潜水艦作戦」では潜水母艦が必須艦となっている。
    • 大鯨は改造によって艦種が変わるので要注意。
      任務・遠征の状況を確認した上で改造すること。可能であれば2隻以上確保してから改造すると安心。
      • 2014年9月26日の更新にて実装された6-1において、潜水艦隊に潜水母艦を入れることで、一部ルート固定できる可能性が示唆されている(特段に攻略が楽になるわけではない模様)。
      • 第二期に入り1-4、2-1、2-2、2-3、2-4、3-1、4-4、5-3でも大鯨によるルート固定が見られるようになった。
        2-4では開発資材を回収したい時にも編成上で一役買える(潜水母艦か、補給艦で資材マスにルート確定する)
        4-4では燃料を回収したい時にも編成上で一役買える(潜水母艦1海防2などで資材マスにルート確定する)
      • なお、ケッコンカッコカリ時のボイスとケッコン後の母港ボイスはとは別に用意されている。無論聞くためには潜水母艦のままでLvを99まで上げなければならない為、かなりの労力が必要。
    • れっきとした水上艦である伊401伊19改などの潜水空母と間違える提督も多いので注意。潜水艦隊に大鯨を入れて出撃すると、敵水上艦の雷撃と重巡以上の艦からの砲撃を纏めて受けてしまい、あっという間に大破する。
      潜水艦の支援用艦種であり戦闘できるようなステータスではない為、育成はあきつ丸や明石等と同様に演習の旗艦ボーナス等がメインになるだろう。
      しかし支援無しでドイツまで遠征できる艦これ世界で潜水母艦は必要なのだろうか。
    • かつては入手難度が高かったが、第二期になって4-4がかなり周回しやすくなったので比較的簡単に入手できるようになった。東方任務やあ号などの厄介な任務を同時進行できる上、経験値も比較的美味しく、大鯨以外にも長門五航のドロップが見込める。
      • 余談だが、大鯨を探し求めて周回する行為を「捕鯨」と呼ぶ。
  • Верныйに続き、改装で艦名が変わる艦娘である。
    • 「改造に伴い艦種・艦名共に変わる」という意味であれば、艦これでは初となる艦娘と言えるかもしれない。
      • 大鯨実装時点の既存艦で、艦種と艦名が同時に変わった艦は、小ネタに詳しいが、祥鳳だけが該当する。*2
        ただし、同時点では、改装・改名前の姿(潜水母艦「剣埼」)が実装されていないため、ゲーム内では大鯨が初となる。
      • 同じく実装時点の既存艦で艦名が変わるのは前述の響の例のみだが、艦種は、→航戦、→航巡、→雷巡、→軽母、→潜水空母など、既存艦にも複数存在する。
      • また同じく実装時点において、部分的な変更ではなく完全な新規グラフィックという意味では当時の龍驤に続き一人で3種の立ち絵を持つ艦娘である。*3
        驚異の五段階変身を遂げるちとちよといい、軽空母組はオシャレに敏感なのかも知れない。
  • なぜか艦船図鑑での音声では説明から欠落している文章がある。

艦種比較

  • 速度は艦種ではなく艦型依存なので記述対象外。
艦種主砲副砲艦載機甲標的大発ドラム缶電探爆雷バルジ弾着観測射撃備考
潜水母艦(大鯨)小口径水偵
水戦
回転翼機
不可不可不可小型不可中型対潜攻撃は不可
潜水母艦(迅鯨型改)小口径
中口径
水偵
水爆
水戦
回転翼機
不可不可不可小型不可中型対潜攻撃は不可
水上機母艦千歳小口径水偵
水爆
水戦
小型
大型
中型改造は雷撃可。甲標的搭載により先制雷撃可*4
水上機母艦秋津洲小口径水偵
水爆
水戦
大型飛行艇
不可小型
大型
中型低速、二式大艇を搭載可能。改造後は大発搭載可
揚陸艦あきつ丸小口径艦戦
回転翼機
対潜哨戒機
不可小型不可不可不可改造前あきつ丸は搭載0なので艦載機と対潜攻撃は実質改造後のみ
  • 大鯨が装備可能な兵装は、小口径主砲/副砲/小型電探/大型ソナー/機関部強化/対空機銃/高射装置/水偵/水戦/回転翼機/中型バルジ/照明弾/熟練見張員/艦隊司令部施設/WG42 など。
    • 潜水艦や水上機母艦とは違い甲標は搭載できない。史実でそういった改装を受けていないからだろうか。雷巡は…?
    • 水戦を積んでキラ付けに随伴させると旗艦に弾着射撃させられ、MVP失敗が少なくなる。おすすめ。
  • 大鯨には釈然としない装備可能兵装が多かったが、アップデートにより意味が出てきたものもある。
    • 回転翼機や大型ソナーを搭載できるが、対潜攻撃できない艦種のため、潜水艦には攻撃できない。
      • 秋刀魚漁には効果があるかもしれない
    • 熟練見張員を搭載できるが、当初は残りの装備スロットで夜戦カットインを成立できなかった。
      現在では補強増設に見張員または8cm副砲を入れれば主砲CIか主副CIを発動できる。ただし威力はお察し。
      PT小鬼群に対する熟練見張員の命中特効は利用できると思われる。
    • 艦隊司令部施設を搭載できる。史実の大鯨が潜水艦隊の旗艦だったので無線設備等が充実していたのだろうか。
      案外「可愛いから連合艦隊旗艦にして連れてくよ」という愛のある提督のための配慮かもしれない。
      なお連合艦隊マップで大鯨が羅針盤固定になった例自体は少数ながら存在する。
  • ちなみに小口径主砲と偵察機は搭載できるので主主偵と装備すると昼連撃が可能になる。ただし威力はお察し。
    副砲も装備できるので、同様に主副偵と装備すると弾着観測カットインが可能になる。やはり威力はお察し。
    15.5cm三連装副砲をガン積みすれば無印軽巡ぐらいなら一撃で倒せるようにはなる。が射程が中になるので演習等では使いにくいときもある。
    何気に水戦を装備できるので、制空能力の無い敵を相手にする場合は大鯨で制空確保が可能。演習等で活用しよう。
  • 開発においては空母系と同等の扱いになるらしく、艦載機レシピを利用するとSホロ艦載機が出現することが確認されている。
  • 潜水艦への給油も主任務としていたが、大鯨の実装から1年以上後に登場した洋上補給は装備出来ない。
  • 2017年4月5日のアップデートにて増設スロットに長8cm砲系列の対空兵装が装備可能となった。

限定グラフィック

  • 2016年最初のオンメンテにて期間限定グラフィック「晴れ着mode」及び期間限定ボイスが実装された。
    • 2021年には龍鳳/にも差分が実装された。

    限定イラスト:新春の晴れ着mode

    限定イラスト:新春の晴れ着mode

  • 2016年8月1日のアップデートで期間限定グラフィック「水着mode」が実装された。
    • 大和榛名改二はTwitterで、三隈は「艦これスタイル 弐」でそれぞれ実装を告知していたが、大鯨はサプライズ実装だったこともあり、提督たちを驚かせた。

    限定イラスト:水着mode

    限定イラスト:水着mode

    • 大鯨・龍鳳・龍鳳改でそれぞれ色が異なるちょっと豪華仕様。
  • 2016年10月21日のアップデートにて「鎮守府秋の秋刀魚祭り」mode及び期間限定ボイスが実装された。
    • 水着と同じく、着物の色が大鯨が青で龍鳳が赤になっている。振り向いた目線の先には磯風がいる模様。

    限定イラスト:鎮守府秋の秋刀魚祭りmode

    限定イラスト:鎮守府秋の秋刀魚祭りmode

  • 2020年12月10日のオンメンテナンスで、期間限定グラフィック「Xmasmode」が追加された。
    • 改装段階別に実装されたカラフル仕様。最初はブラックサンタ濃紺。

    限定イラスト:Xmasmode

    限定イラスト:Xmasmode

小ネタ

艦歴

艦歴

19334.12横須賀海軍工廠において起工
5.23「大鯨」と命名
11.16進水
19343.31(形式上)竣工。そのまま横須賀鎮守府予備艦となる
7.1呉鎮守府に転籍
11.15練習艦となる
11.20実質的に竣工
19359.26第4艦隊事件に遭遇。防水扉破損により操舵不能となる
19389.5第1潜水戦隊に編入。8日に同隊旗艦を拝命
194011.15第6艦隊第1潜水戦隊に編入
19411.16第6艦隊旗艦を1日だけ香取より引き継ぐ
4.10第6艦隊第2潜水戦隊に編入
5.3第2潜水戦隊旗艦を拝命
9.3第3潜水戦隊旗艦を五十鈴より引き継ぐ
10.3第3潜水戦隊旗艦を伊号第8潜水艦に交代
12.20第3予備艦に指定され、航空母艦への改装に着手する
19424.18ドーリットル空襲に遭遇。B-25の投下した爆弾を被弾する
11.30空母「龍鳳」として改装完了
以降は「龍鳳」の項に譲る

歴代艦長

歴代艦長

第1代鋤柄玉造 大佐1933年10月20日~1934年3月23日(艤装員長)
1934年3月23日~1934年11月15日(艦長)
第2代高須三二郎 大佐1934年11月15日~1936年11月16日
第3代茂泉慎一 大佐*51936年11月16日~1936年12月1日
第4代蓑輪中五 大佐1936年12月1日~1937年11月15日
第5代森徳治 大佐1937年11月15日~1938年5月25日
第6代中里隆治 大佐1938年5月25日~1938年12月15日
第7代原田覚 大佐1938年12月15日~1939年11月15日
第8代中邑元司 大佐1939年11月15日~1941年4月10日
第9代大倉留三郎 大佐1941年4月10日~1941年11月10日
第10代木山辰雄 大佐1941年11月10日~1942年4月23日
第11代相馬信四郎 大佐1942年4月23日~1942年11月1日
第12代亀井凱夫 大佐1942年11月1日~1942年11月30日
以降は「龍鳳」の項に譲る
  • ロンドン海軍軍縮条約での制限を潜り抜けるために、のちに航空母艦への改造を行うことを前提とした「空母予備艦」として建造された、「潜水母艦」である。
    1933年4月12日、横須賀工廠で起工。5月23日に軍艦大鯨と命名され、11月16日に進水。1934年3月31日に竣工した。
    • 潜水母艦とは、洋上に展開する潜水艦への補給・乗員の休憩などの施設を持つ補給艦のことである。潜水艦専用の速吸。あるいは間宮さん。*6
      潜水艦は居住性や食料搭載能力が低かったため、このような支援のための母艦が必要だった。
    • 食料や備品の補充、燃料や魚雷の補給のほか、各種部品の修理製作などの軽度整備、乗員の入浴や食事、宴会会場提供、
      また更に各潜水艦長が集合しての作戦会議、潜水戦隊旗艦として通信能力を生かしての指揮などもこの種の艦で行われた。
      • あくまで泊地での補給が主任務のため要求される能力はさほど高くなく、旧型艦や商船を転用することも多かった。
        たとえば開戦時の潜水戦隊旗艦は、専門の迅鯨や長鯨を除くと平安丸、靖国丸、りおでじゃねいろ丸などの商船転用の特設潜水母艦や、由良鬼怒といった旧式巡洋艦などが務めている。
      • 交戦時の台詞が大分あわてているが、それも当然の話で、本来なら、自ら砲火を交えるのは論外で、搭載している偵察機で索敵し、指揮下の潜水艦を派遣するところである。
        この手の「母艦」は、基本、自衛用の武装以外は持っていないに等しい。(初期航空母艦等での平射砲による重武装化はむしろ例外)
    • 名前のよく似ている潜水空母があるが、潜水空母は大型潜水艦に水上機運用能力を付加したものをあらわす、一種の便宜的な艦種である。
      正式な艦種としては存在しないため、余所でドヤ顔で「潜母=潜水空母でしょ?」とか言うと恥ずかしい目に合うので注意。実際やらかした人もいるようで。
      「ゲームにおいて」にもある通り潜水母艦は普通の水上艦で、潜水艦ではない。潜水空母のワッペン「潜空」にすりゃよかったんじゃ……?
      • 世界屈指の潜水艦運用国となった現代日本においても、上記潜水母艦機能に加えて、遭難潜水艦救援機能を兼ね備えた「ちよだ」を運用している*7
        また原子力潜水艦を戦力の中核とする現代のアメリカ海軍も、原潜修理能力を有したエモリー・S・ランド級潜水母艦を運用している。
        たまに横須賀に2番艦のAS-40フランク・ケーブルが寄港しているため、横須賀軍港めぐりで見た方もいると思う。
      • 尚余談ながらアメリカ海軍には似たような艦種で「駆逐艦母艦」というものもあった。
        こちらは居住性や水・食料の搭載量で劣ったWW2までの駆逐艦に補給と乗員休息を行う艦種であり、現在も維持されている潜水母艦と異なり、駆逐艦の大型化により消滅した。
        日本にも無かったわけではなく日露戦争では「水雷母艦」という艦種の補給艦があった。潜水艦の誕生により潜水艦を対象にすることとなったが、「潜水母艦」に改称されるまでには時間がかかった。
        太平洋戦争では貨客船を徴用した「特設水雷母艦」4隻が存在したがいずれも撃沈されている。
    • 「空母予備艦」としての巨体を活かした、潜水母艦としては破格の大型艦*8であり、充実した母艦機能を持っていた。そのため、潜水艦部隊からは大歓迎を受けた。
      居住性は極めて優れており、士官室など各公室も客船のサロン並みに広々ゆったりとしていて、のんびりリラックスするのに最適だったという。
      空母用格納庫も艦上機用エレベータも空母改装の先取りで既に一部設置されていたが、イラストで補給用魚雷を入れている袋が、それにちなんだデザインになっている。
      • なお、中破姿の彼女は煙突が印象的だが、実艦も艦中央部に立派な一本煙突を備えていた。
        ところが、彼女はディーゼルエンジンであるため、本来こんな大きな煙突は必要ない。
        実のところ、その下に格納庫などの空母改装用設備が整っていることを隠すためのダミー煙突なのであった。
    • 同様の「空母予備艦」整備目的で同時期に建造されたのは、「剣埼(のち祥鳳)」(高速給油艦、潜水母艦に計画変更し就役。後に空母改装)、「高崎(のち瑞鳳)」(高速給油艦、潜水母艦、空母に計画変更、最初から空母として就役)の剣埼型姉妹。*9
      • このような事情もあってか、この子とその改装後あるいは彼女の義理の姉と違い、瑞鳳だけ何故か胸部装甲が薄い。龍驤、瑞鶴、慰めてあげて……。
      • なお、同じように水上機母艦(兼高速給油艦)から航空母艦に改造された「千歳」「千代田」はミッドウェー海戦での空母喪失が改造のきっかけ。書類上では親戚のような存在だが、由来は少々異なる。*10
  • 「大鯨」という艦名の艦としては初の就役艦であった。
    が、実は巡洋戦艦赤城を空母に改装する際に、艦名を「大鯨」に改める計画もあった(実際には巡洋戦艦時代の艦名で就役したのはご承知の通り)。後に大鯨自身が空母に改装されることもあり、
    何かと空母と縁の深い艦名である。
  • 起工から進水まで僅か7ヶ月*11という超突貫工事で建造されている。
    • 当時はブロック建造・電気溶接により大幅な建造期間短縮を見込んでいたが、下記のとおりトラブルだらけ。しかし昭和天皇に進水式の日程を知らせてしまっていた為、
      延期する訳にはいかなかったのである。また昭和8年度予算で建造するためにも、1933年中に完成させなければならない背景もあった。
  • 建造に際しては、当時最先端技術であった「大型ディーゼルエンジン」「電気溶接」を採用した。が……
    • 電気溶接は先端技術ゆえの経験不足が祟り、歪みが発生して船体が反ってしまった。
      電気溶接は1900年ごろには存在、1904年には三菱長崎造船所がイギリスから輸入した鋳造設備一式にもあり、当時から使われていた模様。1920年にもフェリーボートを作る時に利用されており、海軍でも1919年から電気溶接の研究は開始されている。*12
      大鯨の起工前の1932年には電気溶接で建造された敷設艦「八重山」が竣工し、*13ひずみに関しても予見されていたが、その予想を超えていた模様である。*14
      ドック内の大鯨の船体は夜になって鋼板が冷えると収縮し、「キイィィィン」という不気味な夜泣きをしていたという証言が残る。
      進水直前に計測すると艦首が176ミリ、艦尾が160ミリも持ち上がっていることが判明し、進水式前に艦首と艦尾を切断してひずみを修正。
      しかし、進水後に再入渠して確認したところ、まだ歪んでおり、スクリューシャフトが通らないことが判明し、再度切断することとなった。*15
      船体を再接合する際は、今度は電気溶接は使用せず、従来通りリベットを使用した。
      • 本艦や、建造中の最上で主砲が回らないトラブル等、1万tを超える艦での電気溶接の全面導入失敗の反動は長期に及んだ。*16
        そのため、電気溶接は、大戦末期の戦時急造艦艇に全面採用されるまで、構造に影響しない部分への採用にとどまった。
        結果、大型艦の戦時急造に致命的な遅れをとることとなる。*17 と言われるが*18、それ以上に深刻だったのが、駆逐艦など5,000トン前後以下の補助艦艇の量産がはかどらなかったこと''である。*19そもそもがポスト特型の設計は日本の民間造船所の手に余るものだった上、工事を簡略化する電気溶接を封じられてはうまいこと量産できるはずがなかったのである。*20
        ''なお大鯨の後に建造された祥鳳(剣埼)も電気溶接で建造されており、こちらでは問題が発生しておらず、大鯨の経験が生かされていたのであった。*21
        また電気溶接は重量軽減という利点があるので大和などにも使われていて、大和もその重量軽減の恩恵を受けている。
      • 他に電気溶接については、あの大鳳のガソリンタンクの継ぎ目の溶接に使われていたと言われており、それがタンクの強度不足を招き、後の爆沈の原因になったという説がある。
      • とは言え、電気溶接による不具合は日本だけの問題ではなく、アメリカでも戦中に溶接とブロック工法を多用したリバティ型戦時標準船の自壊事件を幾つも起こしている。*22
        結局この自壊事件とその後の調査・対応が造船界のブレイクスルーとなり、戦後の電気溶接の主流化がなされたわけである。
      • ちなみにドイツでは、ほぼ同時期の建造であるドイッチュラント級装甲艦*23が溶接艦として有名である。
        「ポケット戦艦」とも呼ばれるこの級は、ヴェルサイユ条約の制限を満たしつつ重武装*24を施すため、代償として船体、機関部の重量を軽減する必要があり、全溶接と全ディーゼル駆動を導入していた。
    • 大型ディーゼルエンジンは、今後の主力艦への採用を見込んだ、先行採用であった。
      しかし、よほど自信があったのか、大鯨の実績も待たず、直後のにも、見切り発車で一挙に導入したのである。
      …結果、全艦見事に機関トラブルを抱えることに。出力は当初予定の半分、しかも発煙・故障に悩まされることに。文字通り実物大実験をやってしまったのである。最終的に安定して全力発揮が可能となるまで数年を要した。*25*26
      • そのため、設計中の新戦艦(後の大和型)では、改良された機関の搭載は間に合わないと判断され(装甲で囲んでしまった後では簡単に修理も交換も出来ない)、起工準備工事開始直前ギリギリ(1937年3月)に、ディーゼル+蒸気タービン駆動予定から全蒸気タービン駆動に設計変更して採用を断念したのである。*27
      • この時期に、主力艦にディーゼル主機を採用しようとしたのは日本に限った話ではない。
        新しいもの大好きドイツ海軍も、上述のドイッチュラント級で、重量減の他、速力と航続距離両立のためにディーゼル主機を導入している。*28
        また、大規模建艦計画「Z計画」では、多種多様な艦艇にディーゼル機関の採用をもくろんでおり、とりわけ、ビスマルク級の次の戦艦「H」級(1939年起工)では、大和に近い巨体を、全ディーゼル、かつ大和型以上の出力(3軸12基165,000馬力!!)で駆動しようとしていたのである。そんな装備で大丈夫か?
    • その結果、1934年3月31日に形式上は竣工ということにして横須賀鎮守府籍となったものの、実際には完工しておらず、そのまま予備艦として工事が続行された。7月、ようやく呉鎮守府籍となり、当初は練習艦となった。
  • 竣工翌年の1935年9月、第四艦隊事件で防水扉が破損して海水が流入したことにより舵が故障、人力操作で何とか横須賀まで戻ったものの、船体溶接部に亀裂が見つかり再度のドック入り。その後も、機関換装(要は総取替え)などで工事を繰り返し、潜水母艦としての実質のデビューは1938年まで待つこととなる。
  • 1938年9月に第6艦隊第1潜水戦隊に配属、第2潜水戦隊の軽巡「五十鈴」と共に南方で潜水艦部隊の支援に従事した。
    • なお、後に第1潜水戦隊第2潜水隊に伊19が在籍しているが、大鯨が第1潜水戦隊にいた時期とは重なっていない。
  • 開戦直前に日本に帰還し、1941年9月、いよいよ航空母艦への改造を迎えることとなる。
    • 大鯨、剣埼の「予定通りの」空母改装実施で、潜水艦部隊は、せっかくの最新鋭母艦を短期間で取り上げられることに。
      この新鋭大型潜水母艦2艦は、潜水艦部隊からすれば、大好評で迎えただけに、なおのこと。「大鯨と剣埼を返してほしいでち!」(あれ、はまだ建造前のはずだが…!?)
      以降、古くて小さい迅鯨型以前の母艦と、徴用船舶改造の特設潜水母艦*29が、戦時中の潜水艦部隊を支えることとなる。
    • この時に取り外された艦橋構造物が、陸地に移築されたらしい。『よりしろのふ』謎?の物件
       
  • 2020年10月14日、そうりゅう型潜水艦の後継艦にあたる3000トン型潜水艦の一番艦が進水。「たいげい」と命名された。
    • かつては潜水母艦だった大鯨だが、今度は機関・ソナーシステム・魚雷を一新した最新鋭の通常動力潜水艦へ名前が受け継がれる事となった。
      ちなみに、海上自衛隊における潜水艦の命名規則「海象・水中生物・瑞祥動物」による水中生物からの命名は、前級の(※このために命名規則を改訂した)「りゅう」型SSから遅れること十三年にして初めてであった。
       
  • ちなみに母港台詞にある馬鈴薯(ばれいしょ)とは、元々は中国福建省産の蔓性植物の事だが現在においてはジャガイモを指す*30
  • 胸部にある鯨の形が、尾部以外は実際の大鯨進水記念絵葉書に描かれた鯨の形と同一。もしかしたら影響があるかもしれない*31

  • 公式4コマ63話で初登場。同話は大鯨回だった。
    • 潜水艦達のおかんとして慕われている模様。
      飴ちゃんを常備していることから大阪おかんと思われる。横須賀生まれなのに…。
    • 公式4コマ的には潜水艦娘達からの懇願により、龍鳳になった際の所属となる空母寮生活とはならず、潜水艦寮生活となった模様。

  • 京都霊山護国神社にある長波の慰霊碑の裏側に何故か名前を彫られていたりするが、関係性は不明である

戦歴

折りたたみ

  • 大日本帝國海軍が建造・運用した大鯨型潜水母艦1番艦大鯨。ロンドン海軍軍縮条約で米英に対し不利な制約を課せられた日本は、彼我の戦力差を少しでも埋めるために知恵を絞った。排水量1万トン以下の補助艦艇には制約を設けないという条項に目を付け、水上機母艦と潜水母艦の建造を決定。この艦種は空母への改装が容易で、有事の際は空母にしてしまおうと考えたのである。条約の穴を突く形で、潜水母艦「大鯨」「剣埼(後の祥鳳)」「高崎」が建造される運びとなった。計画番号J-7の仮称が与えられ、建造費1194万8600円が投じられた。艦名の大鯨とは文字通り、大きな鯨を意味する。潜水母艦には鯨の漢字を付けるのが慣例だった。
    • 1933年度の追加計画により、お流れになった8000トン級潜水母艦及び9800トン級空母に代わる1万トン級潜水母艦の建造を決定。現行の潜水母艦である迅鯨と長鯨は急速に発達する潜水艦の能力についていけず、旧式化が著しかったため新型艦の建造は急務となった。補給能力は伊号潜水艦9隻分(一個分隊)とし、空母への改装は3ヶ月で済むよう設計がなされた。また一度限りの昭和8年度予算で建造するには1933年中に完成させなければならず、工程を切り詰めた。少ない制限時間で建造できるよう、福田烈造船中佐の進言で未知の技術「電気溶接」と「ブロック工法」を採用。設計は藤本喜久雄造船少将が行った。ちょうどこの頃、世界に冠たるドイツがドイッチュラントに電気溶接技術を使用して軽量化に成功。世界は電気溶接に関心を寄せている時期だった。一応日本でも1920年に諏訪丸で、1929年に駆逐艦夕霧で、1930年に敷設船八重山で試験的に電気溶接を用いていたが、大型艦での実験は今回が初めてだった。
    • ロンドン海軍条約の制約に触れないよう、速力は20ノット以下とした。どうせ制約があるならこれを機に実験をしようと考え、大鯨の機関には新技術の塊であるディーゼルエンジンが採用された。上手く活用できれば航続距離の増大や排水量の軽減が出来、既に技術大国ドイツでは革新的袖珍戦艦ドイッチュラントで性能が証明されていた。ドイッチュラントのディーゼル機関を作ったドイツのMAN社に特許料を支払い、技術を導入しようと試みたが、足元を見られたのか100万円(現在換算で約61億円)をふっかけられる。こんな大金を支払うくらいなら、自国開発の方が安く済む。日本政府は技術の導入を諦め、自力開発を目指した。一応、潜水艦用の小型ディーゼルは開発に成功しており、不可能では無かった。川崎重工が1932年夏から試作機を作り始めたが、大鯨にはそれを搭載する事になった。あまりにも性急過ぎる実艦への搭載に、技術者は困惑するしかなかった。しかも技術者たちが作っていたのはドイッチュラントをも超える出力を持った、暴れん坊機関であった。当然ながら艦政本部第五部の渋谷計画主任や内燃機設計の鈴木担当が反対したが、上層部から「これを引き受けねば、工廠には草むしりをさせるしかない」と威圧され、やむなく計画を始動させる事になる。この無理難題に技術者はよく応え、三気筒の試作機を一気三気筒に改造。大鯨用主機の製作図面を作り、てんてこまいな日々を送ってどうにか9000馬力のディーゼル機関を造り上げた。技術者の努力と苦労には頭が下がるばかりである。
       
  • 1933年4月12日、横須賀工廠で起工。電気溶接で一気に工事を進めたが、未熟な技術によって問題が発生。進水を目前にして船体の前後にひずみが発生したのである。前部176mm、後部160mmの上昇を招き、軸心の見通しが出来なくなる。本来であれば工期を延ばすべきなのだが、進水式の日程を既に昭和天皇へ伝えていたため変更が効かず、無理やりにでも予定日に間に合わせる必要があった。やむなく船体の前後2ヶ所を切断し、ひずみを修正。問題箇所にリベットを打ち込んで復旧した。工廠側は船体後部の修理を行うため9月4日より一週間、造船部の職工300名に1日4時間の残業をさせたいと横須賀鎮守府に乞うている。残業期間は延び続け、進水日が近づいてくると職工2890名が2時間の残業をするようになった。10月18日に達127号が発令され、「JLJA」の信号符字が与えられる。
    • 10月19日、進水式典の打ち合わせが行われた。翌20日、艤装委員長に鋤柄玉造大佐が着任。10月28日に横須賀工廠内に艤装事務所を設置し、事務を開始。11月6日、社団法人日本放送協会の関東支部理事長から進水式の中継放送についての出願を受け、海軍側が認可を下した。11月13日、艦政本部の者が艦内を観覧。ただ艦政部の者でも部外者扱いされ、許可なく飛行機格納庫、司令官室付近、機械室、電信室、機密保持が必要な部分は観覧できなかった。
  • 11月16日に進水式を迎える。横須賀は軍港都市なので進水式は市を挙げて行われ、進水記念の葉書や押印、陶磁製の酒盃が作られて配られた。式典の様子はラジオ実況され、入り口が開放される正午から14時のわずか2時間の間で多くの市民が駆けつけた。芝浦と横須賀を往来する駆逐艦2隻が用意され、式典に参加する観衆を運んだ。あまりにも多くの観衆が押し寄せたため水交社だけでは収容できず、式典は混雑を極めた。ただ、歩行が不自由な老人と10歳未満の子供は入場できなかった。ちなみに進水式典のラジオ実況が始まったのは大鯨からであり、記念すべき第一号を飾った。もちろん新聞記者の姿もあった。警備として横須賀駅に儀仗隊が、港内に兵曹長18名、下士官63名、兵300名、守衛長12名、守衛104名が配備された。軍人や工廠関係者だけでも1万3062名が参列し、大鯨の進水を今か今かと待ちわびた。彼らは通常礼装に身を包み、最上級の勲章1個を身に付けていた。饗宴場として水交社、工廠現場、本府大会議場を使用。この日の艦艇訓練は全て取りやめとなり、代わりに満漢飾で彩られた。
  • 14時、昭和天皇が横須賀鎮守府に着御。大鯨の船体を賜謁された。それが終わると鎮守府長官が建造明細書を読み上げた。14時30分、港湾部長や要員が大鯨に乗艦し、進水に備えて準備を開始する。準備が完了すると進水主任、造船部長、工廠長、鎮守府司令長官及び海軍大臣の順に報告。完了の報告を受けた海軍大臣は進水命令書を朗読し、これを長官に授けた。長官は横須賀工廠長に命令書を手渡し、命名式と進水を命じた。工廠長は造船部長に進水手順の実行を命じ、進水主任が作業を始める。中央部竜骨から盤木を外し、前後の行止めを外す。次いで前部竜骨の盤木を外し、安全装置を除去。一通りの作業が終わると進水主任が造船部長に報告。斧を持った工廠長が昭和天皇に敬礼。14時45分、工廠長の手で支線が切断され、大鯨の船体がするすると滑り落ちていき――無事進水。大鯨は初めて海の上に浮かんだ。進水の次に命名式が行われた。周囲には満艦飾の軍艦が並び、礼砲を撃って大鯨の誕生を祝す。軍楽隊や儀仗隊が式典を盛り上げる。帝國海軍が誇る未来の武勲艦は、こうして産声を上げた。進水式の写真は、海軍省が発刊するクラブ誌「海行かば」1933年12月号の表紙に使われた。昭和天皇への献上品として絵葉書、銀製の軍艦大鯨の模型、記念盆が贈られた。大鯨がいなくなったドックでは、すぐに鈴谷の建造が始まった。
     
  • だが、工事の方は問題百出だった。進水後に再入渠し、船体をガス切断で三分割。溶接からリベット打ちに改めた。歪みの大きさから、電気溶接工法への不信と不安が募ったとされる。さらに竣工直前に友鶴事件が発生し、復元性が問題視されたので補給用真水タンクを下部に移して重心を下降させた。また大鯨には帝國海軍が初めて開発したディーゼルエンジン四五型複動内火機械を実験的に搭載。結果が良好であれば大和型戦艦を含む7隻に採用する予定だった。電気溶接は広範囲に渡り、肋板、肋骨、梁、ロンジ、サイドストリンガー、デッキガーダー、外板、甲板などほぼ全身に電気溶接が使われていると言っても過言ではなかった。1934年1月26日午前、中国にある天津中日学院の少年学生11名と引率教師2名が母国見学旅行の名目で大鯨を観覧。2月17日には前田利為陸軍少将からの依頼で、午前9時30分より外佐官23名が観覧に訪れている。3月中旬から機関の積み込み作業を開始。
  • 紆余曲折を経て、1934年3月31日に(形式上は)竣工する。起工から僅か7ヶ月で進水するという史上類を見ないスピード工事を達成した。しかし大半の艤装工事は未了、主機も半分しか搭載しておらず、公試も行っていない等、形だけの竣工であった。竣工したので艤装事務所は撤去されたが、同所に軍艦大鯨陸上事務所を開設。どうやら残務がかなり残っていたようである。中村良三艦政本部長の特別な命令により、艦の安定性能の検査も兼ねて機関の耐久力試験を行った。海上で全力運転したところ、計画出力の半分まで上げたところで黒煙が噴き上がり、どうやっても5400馬力以上は発揮できなかった。つまり試験的に搭載した四五型複動内火機械は故障が多発する問題児であった。全力公試では20.1ノットが限界というひどい有り様だったとか。追い討ちをかけるかのように、内火機械のクロスヘッドに亀裂が発生。関係者に衝撃が走った。調査してみると材料や内部機械に欠陥があり、形態強度そのものも劣っている事が判明。ドイツが行った設計例を参考に、クロスヘッド・ピンの増径やピストン棒ネジ部を変更を施し、改善に向けて努力した。しかし故障や欠陥は一向に直らず、技術者は頭を抱えた。
    • ディーゼルエンジンの導入実験は、ものの見事に大失敗に終わった。大和型戦艦への搭載は当然見送られ、欠陥対策も困難を極めた事から水上機母艦瑞穂に搭載したディーゼル機関も全撤去している。日本の技術力では手に余る存在だった訳である。ディーゼル機関の導入失敗は、朝潮型駆逐艦で問題視された艦本式タービンとともに海軍艦艇臨時機関調査委員会(通称臨機調)設置の引き金となり、何気に帝國海軍全体に大きな影響を与えている。大鯨は電気溶接とディーゼル機関で失敗した艦として、良くも悪くも造船史や溶接史に記録される事になる。性急な建造スケジュールは大鯨のみならず、上層部をも巻き込んだ一大事件に発展していった。ドイツが誇る最新技術の塊ドイッチュラントは、極東の国まで大いに振り回したと言えよう。
       
  • とても運用できないので、とりあえず横須賀警備戦隊に編入して工事を続行。艤装事務所も陸上に移した。7月1日、内令第272号により呉鎮守府に編入し第2予備艦となる。8月中旬より予備運転を開始し、8月下旬から1ヶ月間の公試を行った。武装の積み込みは未定であり、公試発射も手付かずの状態だった。9月、工事について潜水学校から助言を貰う。11月15日、潜水学校の練習艦になり学校長の指揮下に入る。
  • 11月20日にひとまず工事完了。残りの作業を呉工廠で行うべく、11月下旬に横須賀を出発。伊勢湾を経由して呉に入港。最後の総仕上げを行った。12月26日、大鯨が持つ11m内火艇と青葉の9m内火艇を交換。竣工日から約1年後の1935年春、ようやく全ての工程が完遂された。大鯨は難産であったが、その教訓とノウハウは綿々と後続の建艦に受け継がれていった。
    • 要目は排水量1万500トン、全長211.12m、全幅18.07m、喫水5.53m、出力1万4000馬力(計画では2万56000馬力)、最大速力20ノット、航続距離は18ノットで1万海里。武装は九四式水上偵察機3機、12.7cm連装高角砲2基、40mm連装機銃2丁、13mm4連装機銃2丁。電気溶接を採用した事によって重量15%を軽減できたとされる。艦内神社は資料が無いので不明。ただ、艦名と縁がある神社が無さそうなので皇大神宮(伊勢神宮)の可能性がある。大鯨はディーゼルエンジンが搭載されていたので煙突は必要ないのだが、米英の目を欺くためにダミー用の煙突を中央に配している。また空母改装を見越して格納庫を艦内に持っている事を隠す役割も兼ねていた。しかし悲しいかな、米英には正体を見抜かれていた。一応書類上は潜水母艦だし、排水量も制限内に収められていたので黙認したとされる。水上機3機を運用するためのカタパルトを飛行甲板右舷に持つ。軽質油タンクは前部のみに搭載し、空母状態で前後に装着する予定だった。潜水艦用の洋上燃料補給訓練装置を持ち、訓練で用いられた。大鯨に搭載された11号内燃機関は研究が重ねられ、のちに改良型が瑞穂へ搭載されている。
    • 丹羽徳蔵氏著書「海軍生活 ある下士官の回想記」によると艦後部の右舷側が烹炊所となっており、反対の左舷側は主計科事務室や倉庫になっていた。次の防水扉を抜けると先任衛兵伍長室があり、残ったスペースを兵員室としていた。その次の区画は通風機用の電動機や通風筒があって、ここを真っ直ぐに進むと後甲板に出る。舷側の窓からは海がしっかり見えたという。中央に下甲板へと通じるラッタルがこしらえられていて、降りた先の区画も居住区になっていた。大鯨の艦内に関する資料は少ないので、大変貴重である。
       
  • 潜水母艦のお仕事は、指揮下の潜水艦に補給する事と乗員に休息の場を提供する事である。言うなれば動く潜水艦補給基地である。作戦行動に欠かせない真水、魚雷、食糧、衣類、燃料などを補給し、その間に乗組員は艦内の休養施設で羽を伸ばす。浴室や調理室の他に映写設備まであったという。もちろん医療設備も完備し、手術室、治療室、病室が設けられていた。狭く、異臭がする潜水艦での生活と比べると潜水母艦は天国のようなものであり、心身ともに乗員を癒やした。搭載量に優れているので、物資を運ぶ輸送艦に転用する事も可能。
  • 潜水母艦には工作能力が備わっており、必要があれば潜水艦の修理を行う。人員が少ない潜水艦では自力での機関や船体兵器の修理が難しく、潜水母艦の助力無しではとても行えなかった。軍需品の保管や、医務衛生及び会計整理なども潜水母艦が代行していた。まさに潜水艦にとって守護天使のような存在なのである。また潜水母艦は戦隊旗艦を務めるので通信能力が強化され、無線通信設備と水中信号設備があった。便乗する司令部要員向けに作戦室、会議室、居住室も用意されている。他にも補給工作施設を内包し、補給用燃料タンク、同真水タンク、糧食庫、被服庫、魚雷格納所、同調整所、弾薬庫、各種整備工場を備える。差し詰め工業都市である。補給艦なので前線に出る事は想定されておらず、武装は自衛用程度のものしかない。索敵用の水上偵察機を使い、敵を発見した時は指揮下の潜水艦を攻撃に向かわせる運用が想定された。
    • 艦内に大型の倉庫を内包し、それを貫くように昇降機が伸びていた。倉庫は潜水艦用の補給物資を積載し、昇降機は素早く物資を揚陸するためのものだったが、空母化した際はそれぞれ航空機格納庫と搭載機運搬用のエレベーターとして機能する。つまり、か弱い体の中に爪牙を隠していた訳である。上部格納庫は前後に仕切られていて前部に水上偵察機を、後部に潜水艦隊用の真水、重油、潤滑油タンクを搭載。下部格納庫は、潜水艦隊の士官用私室として利用された。艦橋は倉庫の最前部に設置され、改装時に飛行甲板直下へ艦橋を移す予定だった。見た目から悟られないよう、艦橋の外見には神経を使ったんだとか。
       
  • 1935年5月1日、横須賀工廠にてシャフトブラケット付近にサイドストリンガーを新設。5月15日、大鯨用の11m内火艇を足柄に供出。昭和10年度大演習にて長官が座乗するのだという。5月28日より4日間、陸軍の船舶工兵20名と下士官1名が信号見張術教育のため、大鯨に乗艦。下半期にある海軍大演習に備え、艦内では毎日船体や兵器の整備が行われた。大鯨から定期便のランチ(定員100名の舟艇)が出発し、軍需部に食糧を受け取りに行った。うまく接岸すると、衛兵司令から命を受けた公用使が乗り込んで郵便物を回収。代わりに大鯨宛ての郵便物を積み込んだ。そして桟橋へ回航し、公用使と砲術科の倉庫長を降ろし、軍需部に回って食糧を受領した。大演習の時期が近づいてくると、戦闘訓練が昼夜を問わずに行われた。夜間の訓練では探明灯の照射訓練が繰り返し実施された。探照灯の役割は闇夜に紛れる敵艦をいち早く照らし、味方艦に位置を知らしめる事である。しかし下手に使えば自艦の位置を敵に喧伝し、命取りになる危険性すらある。ゆえに探明灯を扱う灯長の責任と昼間の整備は非常に重大だった。照射の角度を誤ると、それが指揮官を含め誰の目にも見えてしまうので、失敗は許されない。
  • 就役まで漕ぎ着けたものの、さっそく大鯨に災難が襲う。1935年7月20日、緊迫する国際情勢の中、対米戦争を見越して帝國海軍は四年に一度の大演習を実施。参加艦艇の一員として大鯨も参加した。演習は順調に推移していたが、9月14日に室蘭沖で射撃訓練中だった足柄が第2主砲塔の爆発事故を起こす。図らずも、先行きを暗くする事故に巻き込まれてしまった大鯨であった。いよいよ最後を締めくくる対抗演習に差し掛かった。日本艦隊は白軍と赤軍の二つに分かれ、日本艦隊役(赤軍)を務める第4艦隊が函館港に集結した。その中には大鯨の姿もあった。
  • 出港当日の9月25日、当直将校より「出港すると本艦は太平洋上において、いよいよ敵の大艦隊と遭遇、一大決戦を展開する事となるが、無電によれば三陸方面に、台風襲来の公算は大である。各分隊、荒天準備を厳にし、短艇その他、移動物件の固縛を十二分にしておけ」と特別な注意が与えられた。各分隊によってランチ、短艇、舷梯、要具筐等が外舷索によって幾重にも固縛された。固縛できないものは海へ落ちないよう安全な場所に移された。舷窓の盲蓋、防水扉、防水蓋も念入りに閉められ、最小限必要な通路のみ僅かに開かれた。重巡洋艦足柄を旗艦とした第4艦隊が函館を出港。空母龍驤、14隻の巡洋艦、20隻以上の駆逐艦とともに三陸沖東方へ向かった。航行中にも訓練を実施し、昼間訓練、夜戦警戒配備訓練、哨戒直訓練が行われた。実はこの時、日本近海で2つの台風が発生していた。事前の予報では艦隊進路に影響は無いとされたものの、とりあえず1つ目の台風は回避。翌26日早朝、2つ目の台風が突然進路を変え、第4艦隊の方へと向かってきた。午後には確実にぶつかると予報され、進路変更して台風を回避する案が出された。しかし既に海は荒れており、一斉回頭する事は衝突事故を招く恐れがあった。また実戦に即した訓練が出来るとし、敢えて第4艦隊は真っ直ぐに台風へと突っ込んだ。ところが、この台風は想像以上に強力な超大型台風であり、これが悲劇の幕開けとなった。
  • 9月26日の朝、空は灰色の雲で覆われていた。時々襲い来る驟雨が大鯨の甲板を叩き、大波が大鯨の巨体を押し戻そうとする。いつしか周囲に駆逐艦の姿が見えなくなった。昼食頃になると艦の動揺が徐々に激しくなり、不気味に軋む音が鳴り始めた。絶え間ないピッチング(縦揺れ)とローリング(横揺れ)により、半数以上が青い顔をして船酔いに苦しめられた。せっかく出された昼食も手を付けようとしなかった。想像を絶する揺れ具合に古参の水兵すら参っていた。この中でも一番大変なのは新兵であった。船酔いに喘ぎながら、与えられた仕事をこなさなければならないからだ。ピッチングの時には体がフワッと浮き上がる感覚に襲われ、続いてぐうっと10mほど持ち上げられる。大鯨の1万トン級の船体が容易く揺さぶられ、傾斜は50度に達した。一方、艦の外では横殴りの風雨と波しぶきが、カッパを着ている乗組員に襲い掛かる。ともすれば強風で吹き飛ばされてしまいそうだ。頭上には黒い雲が渦巻き、大粒の雨を風とともに叩きつけてくる。視界は約2、300m程度。波の高低は15mほどだろうか。更には、波と波がぶつかって20mに達する三角波が発生。人間の都合などお構いなしに大鯨へ覆いかぶさってきた。何かに掴まっていなければ立っていられない動揺に、艦橋の当直者は次々に嘔吐。慌てて洗濯桶や石油缶が用意された。下を向いて海図を見たり、コンパスを引く者が真っ先に酔った。
  • 14時頃、暴風圏に突っ込んだ第4艦隊。その中は圧倒的な力を持つ暴風と波浪の世界だった。人類の科学はまるで役に立たなかった。台風の中心付近では風速約50mの風が吹き荒れ、襲う波浪は留まる所を知らない。一段と大きな波が大鯨にぶつかり、波頭の一部が羅針盤艦橋にまで上がってきた。一瞬、前甲板が海に飲み込まれた。次の瞬間、急に艦首が持ち上がり、今度は後部が波に覆われた。大自然の猛威に苦しめられる大鯨に、凶報が飛び込む。操舵室から羅針盤艦橋へ「舵故障」の報が伝えられた。続いて「後部浸水、舵機故障」との第二報が入ってきた。先ほどの大波が後部防水扉を破壊し、艦内に滝のような海水が流入してきた。舵取機室昇降口から浸入した海水が電動機をショートさせて電力系統に異常が生じ、舵機が故障したのである。こんな状況で舵が利かなくなるのは命取り以外の何物でもない。大鯨は波に揺られながら、右へ左へおかしな方へと流される。もし先程のような大波が船腹に直撃すれば、全員命は無い。死中に閉じ込められた大鯨は、必死に生を求めた。応急員が迅速に後部防水扉を閉めたため、更なる浸水は避けられた。「人力操舵急げ」の号令が下され、各分隊から数人ずつ応急員が派出。人力操舵室へと急行した。後部下甲板を降りた先にある人力操舵室には直径2mにもなる巨大な舵輪が中央にあり、それを6名で舵取りするのである。艦橋からの指示で舵輪を回すのだが非常に重いので、指示角度まで回すだけで汗だくになった。ともあれ、これで何とか艦橋の指示通り舵取りが出来るようになった。渦巻く雲に、一点の青空が見えた。いわゆる台風の目だった。通風管に海水が入り込み、水密不十分ゆえに錨鎖庫が水没。一号ビルジポンプを使って排水を行って応急処置。主機械室にも海水が入り込み、安全弁が作動する事態になったものの特に異状なし。第三運用科倉庫や中錨鎖庫は水密が十分だったため難を逃れた。
  • 夕方頃には大分動揺も収まり、無事台風の暴虐から逃れられた。大鯨の艦体中央部水線と艦橋前方の上方外板に大きなシワが発生していた。損害は大鯨だけに留まらなかった。睦月の艦橋が大破し、夕霧と初雪は艦首を切断。大鯨からもそのボロボロっぷりが窺えた。龍驤鳳翔も損傷し、54名が死亡する大事故に発展した。台風一過、生き残った艦艇は大湊へ回航もしくは曳航されていったが、自力航行が可能だった大鯨は体を引きずりながら横須賀軍港を目指した。その晩は当然ながら演習は行われず、通常航海だった。
  • 9月27日午前10時、一番遅れて横須賀に入港。ただちに損傷箇所の調査が行われた。艦としての大きな損傷は舵取機室浸水による電動機の故障であった。また固縛していたはずの通船1隻が行方不明になっており、波に流されたと判断された。ずっと後に、青森県下北半島の尻屋崎海岸へ艦名が入った外板が流れ着いたとか。艦尾灯や蛇管格納筐等が流失し、信号灯の多くが動作不良を起こすなど備品や装備にも大きな被害が出ている。傾斜50度になっても沈没しなかったのは、ひとえに友鶴事件による改良のおかげだった。もし改良が無ければ、三陸沖が大鯨の墓標になっていたであろう。調査の結果、電気溶接を行った部分に亀裂が認められた。これは船体重量を軽くするため必要以上に軽量化しており、これが原因で強度不足に陥っていたのである。事件がきっかけで電気溶接そのものが問題視され、10月10日に艦政部内に設置された調査委員会では電気溶接への糾弾が行われた。中でも重鎮たる平賀譲造船中将は溶接を徹底的に非難し、「私怨が混じっている」と言われるほど苛烈に追及した。このため、しばらく主構造継手への溶接が禁じられた。ゆえに一時期的とはいえ溶接技術の退行を招いたという。一応、電気溶接の一人者である福田烈主任によって技官がドイツに派遣され、知識や技術の吸収は続けられた。
  • 再び電気溶接に泣かされる事になった大鯨はまたしても長期の修理が必要になり、即日工廠から来た技術者が綿密に傷跡を調査。応急修理を開始した。10月4日、荒天遭難に関する報告書をまとめた。11月15日に第2予備艦となる(11月17日に呉へと回航されたとも)。大変な目に遭った乗組員たちであったが、12月末には冬休暇があったのでみんなしてうきうきしていた。
    • その休暇中、小銃を紛失する事件が発生。天皇陛下から賜ったものを紛失したとあっては大鯨の一大事である。さらに軍艦旗の掲揚に必要な指揮刀も失くなり、副直将校の部屋にある指揮刀で代用。かろうじて午前8時の掲揚に間に合い、軍港内の艦艇から一斉に君が代のラッパが鳴り響いた。何とか掲揚を終えたものの、必死の捜索むなしく指揮刀も小銃も見つからなかった。12月31日も終日探したが、やはり見つからない。万策尽きた先任衛兵伍長は、呉市の二河の奥にある白竜明神にお伺いを立てる事にした。すると「大きなものの下にある」とお告げを頂いた。まず12.7cm高角砲の下などを探してみたが、見当たらない。ひょっとしたら、大きなものとは軍艦の意味で、誰かが海中に投げ込んだのかもしれないと判断。明日は海中を探す事にした。
    • 元旦の四方拝の式が終わると、厳しい海軍と言えど艦内は終日休業となった。武技遊戯が許可され、酒保も開かれ、みんな思い思いに過ごしている。休暇にふける乗組員たちを尻目に、2隻のカッターを出して海中の紛失品を探す。底引きの要領で海底をさらうが、出てくるのはヘドロにまみれたワイヤーの切れ端や、朽ち欠けた木片ばかりだった。真冬なので、水に濡れた手が痛い。翌2日も捜索が続けられたが、発見できなかった。1月3日になって、事態が急展開を迎えた。休暇中の島田機関兵曹が憲兵隊に連れられ、大鯨に帰艦。先任衛兵伍長の取り調べを受け、ついに真実を語った。島田機関兵曹は風俗にうつつを抜かし、素寒貧になってしまった。金に困った彼は部下の班員から盗みを働き、それを誤魔化すために小銃と指揮刀を窃盗。海中に投棄して何食わぬ顔で休暇に出てしまった。艦内が大騒ぎになれば小額の金子を盗んだ事はうやむやになるだろうと踏んでの犯行だった。その日のうちに彼は軍法会議にかけられた。白状した場所を工作科の潜水員が捜索し、海底からヘドロにまみれた小銃と指揮刀が引き上げられた。こうして艦内を騒がせた紛失事件は一挙に解決した。
       
  • 1936年1月下旬に横須賀へと回航され、鳶が鼻の岸壁付近に係留。毎日工廠の工員が訪れて修理と船体の補強を受けた。船体補強、機関部修理、喫水線部外舷側バルジ装着が行われ、艦尾甲板に一層を追加して後部舷側の改良を図った。1月7日、大鯨が持つ12m内火艇1隻を特務艦鳴戸に供出した。電気溶接をふんだんに使った工事から一転。ありとあらゆる場所をリベット打ちに変更し、ドックの中には鋲を打つ音が絶え間なく響いた。
  • 2月26日の昼頃、大鯨に急報が飛び込む。青年将校によるクーデターが帝都で発生し、国会議事堂、警視庁、首相官邸といった要所を占領。要人が相次いで襲撃された。後の世に言う二・二六事件である。横須賀にも余波が及び、混迷を極めた。東京湾に支那の艦隊が攻めてきたというおかしな噂が流れるほど情報が錯綜していた。大鯨からも、山のように積まれた資材と100m間隔で立つ歩哨の姿が見え、物々しい空気がピリピリと伝わってくる。「東京には戦時警戒令が敷かれ、第1師団が任務に就いた」「横鎮管下からも警備戦隊や陸戦隊が編成され、東京に」「連合艦隊が訓練を中止し、東京湾に向かっている」など、様々な情報やデマが飛び交った。おかげで艦内の作業に手が付かない。東京の異常事態により予定されていた上陸は中止、艦内休養と相成って乗組員はがっかりした。やがて臨時ニュースが流れ、災禍の中心に青年将校のクーデターがある事を知った。反乱は2日ほどで鎮圧されたが、工事が遅延する影響を受けた。3月31日、運送艦知床が大鯨用の主機械2基と短艇2隻を運んできた。
    • 小銃紛失事件から2ヶ月ほど経った頃、再び大鯨で事件が起きる。今度の舞台は酒保であった。呉を出港する前に、海仁会呉支部から相当数のビールを倉庫に積み込んだのだが、その中身が無くなっていたのだ。その被害はざっと30本ほど。おそらく誰かが積み込みの際に飲み抜きしたか、艦底に出入りした者の仕業だろうと推測された。帳尻を合わせる必要がある酒保委員会がそのシワ寄せを喰らい、対応に追われた。
  • 天長節の4月29日、進級試験の結果が出る。大鯨艦内も合否の話題で持ち切りになり、朝食時に先任下士官から進級者の名前が読み上げられた。下士官に進級した者は上甲板に整列し、艦長の高須三二郎大佐から直々に辞令を賜った。信号兵がラッパを鳴らし、関係の無い水兵が後方で見守る中、一人ひとり辞令が言い渡された。5月1日、進級者は新たな配属先へと向かっていった。5月22日、横須賀工廠に大鯨用の冷却水喞筒扇車軸材製作の訓令が下った。翌年4月13日、大鯨の機関を陸上に揚陸。潜水学校の教材に転用され、敷地内に移された。
     
  • 1937年7月7日、支那事変が勃発。この危急に大鯨の工事が中断となり、第3艦隊の一員として緊急出動。指揮下に潜水艦が入っており、実質初陣となった。8月13日には第二次上海事変が発生し、ドイツ製最新鋭武器で固めた中国国民党軍3万名が国際法を破って上海市に侵攻。わずか4000名の日本軍守備隊に三方向から襲い掛かった。少数の守備隊は苦戦を強いられ、在留邦人は危険にさらされた。国民党軍は自力で航空機を造る能力が無いため、諸外国から買い集めた戦闘機と錬度未熟なパイロットしかない弱小空軍であったが、150機から200機の実用機を有し、その主力が上海に展開していた。陸上に基地を持たない我が方は、洋上の空母か渡洋爆撃に頼らざるを得なかった。航空機運用能力を持った艦艇は貴重かつ責任重大であった。
  • 風雲急を告げる中、水上偵察機で編制された偵察専門の第23航空隊が新編。8月19日に水偵16機が進出し、上海方面に展開した。8月23日、第23航空隊は補給母艦に大鯨を指定。物資と要員を乗せて佐世保を出発し、本隊が進出していた泗礁山泊地に揚陸。この日、大鯨は室戸、朝日とともに根拠地隊に編入。南支部隊の主隊や根拠地隊は、おおむね25日までに馬鞍群島へ集合した。第23航空隊の要員は全員大鯨に乗艦し、彼を母艦にして発着艦を行った。8月29日、馬鞍群島に国民党軍の戦闘機8機が襲来したが、被害は無かった。第3艦隊の長谷川長官は支那沿岸の海上封鎖を宣言し、挑発を続ける国民党軍に対抗。9月14日、大鯨は第1潜水戦隊や第23航空隊とともに南支部隊に編入。香港を中心に100海里の海域を監視した。
  • 9月15日、鞍山市に基地を設営。九五式水上偵察機3機を特設水上機母艦香久丸に譲渡した。そして香久丸とともに上海方面の陸戦隊に協力。大鯨から飛び立った水偵は上海市内や国民党軍を偵察し、苦戦する守備隊を援護した。9月22日からは南支方面に移動し、10月2日まで作戦に従事した。陸海軍の連携により、第二次上海事変は国民党軍の敗北に終わった。これに伴って10月3日に第23航空隊の母艦が水上機母艦能登呂に変わり、大鯨は任を解かれた。艦載機を全て能登呂に渡し、上海近海から戻った大鯨は残っていた工事を再開。船体の補強、バルジの装着、固定バラストの追加、射出機及び高射装置の増備を行った。11月11日から酒保を拡張し、また位置を変更する工事が加えられている。
     
  • 1938年初頭に工事完了。不調や欠陥を克服し、戦列に復帰した。要目は全長210m、全幅19.58m、喫水6.53m、公試排水量1万4400トン、出力2万5600馬力、速力22.2ノット、重油搭載量1897トン。全体的にパワーアップしている。9月5日には第1潜水艦隊の旗艦となり、10月20日から22日にかけてアモイに寄港。この際に速力不足が露呈し、艦隊型潜水艦に付いていけない事が判明した。散々な戦歴だったが、潜水母艦としての性能は抜群。潜水艦隊から歓喜の声で迎えられた。支那方面や南洋方面で活動し、潜水艦の作戦を献身的に支えた。
    • ちなみに大鯨でも帝國海軍伝統のシゴきが存在していた。一人の失敗は連帯責任で全員の失敗となり、消灯後に起こされて海軍精神注入棒で引っぱたかれる事は日常茶飯事であった。また徹底した上下関係も存在し、新兵は二等兵以上の者とは会話も出来なかった。他にも新兵は先任者のお世話や食事当番等で忙殺され、「朝、顔を洗うのは贅沢」と言われるほど忙しかった。そのせいか上陸した際に一人が脱走し、そのまま帰ってこなかった。一方で、食事に出される白米は柔らかくて美味しかった。軍艦では大きな釜に入れて米を炊くのだが、これでは米が硬くなってしまう。そこで大鯨では食缶に研いだ米と水を入れ、大きな缶に食缶を入れて多段式にする。こうすると蒸気によって炊き上がるので米が柔らかくなるのだという。
  • 1940年7月2日、内令第712号により特別役務艦となる。11月15日、悪化する対米関係を考慮して遂に出師準備第1着作業が発動。連合艦隊も戦時編制となり、大鯨は第6艦隊第1潜水戦隊に編入。第6艦隊は新設されたばかりの艦隊で、今まで各艦隊へバラバラに配備されていた潜水艦部隊を統一指揮する目的で創設された。第1潜水戦隊には伊9、伊15、伊16、伊17、伊18、伊19、伊20、伊21、伊22、伊23、伊24、伊25、伊26の3個艦隊13隻が所属した。戦争の足音は次第に大きくなりつつあった。
     
  • 対米戦争が不可避になってきた1941年4月、大鯨は伊号潜水艦を率いてマーシャル諸島クェゼリンに進出。クェゼリンはハワイ方面を偵察する潜水艦の拠点となっていたが、未だ基地施設が整っていなかったので大鯨の助力が必要だった。4月10日、第6艦隊第2潜水戦隊に編入。5月3日、第2潜水戦隊の旗艦を伊7から引き継いだ。仮想敵のアメリカでは勃発中の欧州大戦に対応するため、議会に海軍大拡張計画(第三次ビンソン計画)が提出されて成立。それを更に強化したスターク案が7月に発表され、実行に移された。有り余る予算で造られる艦艇は135万トンと、まさに天文学的数字。恐るべき増強を開始した敵国に対抗すべく、帝國海軍はマル五計画を始動。その中には大鯨の空母化も含まれており、大鯨の運命が決まった瞬間だった。9月1日、戦時編制により第6艦隊第3潜水戦隊に編入し旗艦となる。
  • 11月11日、将旗を伊8に継承。同月中旬、ハワイ作戦の支援に向かう潜水艦が続々とクェゼリンに寄港。大鯨から食糧と燃料の補給を受けた。11月20日13時、大鯨艦上に各潜水艦の科長以上が参集。司令官の訓示と、作戦の打ち合わせが行われた。ここで真珠湾攻撃の意図と内容が明かされ、各員の士気を大いに盛り立てた。補給を終えた潜水艦は11月23日に出発。旗艦の伊8は翌24日に出発し、敵の牙城へと勇躍向かっていった。出港時、潜水艦乗員は見えなくなるまで大鯨へ向けて手を振っていた。任務を終えた大鯨はクェゼリンを出発し、帰国の途についた。道中の深夜、国籍不明の巡洋艦と遭遇し、「総員戦闘配置」の号令が下った。ところがよく見ると味方の巡洋艦だったので、間もなく配置は解除された。12月1日、信号符字を改正。「JRSA」となる。
  • 開戦直前の12月4日に横須賀へ帰港。特設潜水母艦靖国丸に旗艦の座を譲り、潜水艦隊から除かれた。大鯨は今、空母に生まれ変わろうとしていた。大鯨の抜けた穴はとても大きかったようで、特設潜水母艦や旧式軽巡洋艦、果ては旧式化していた長鯨と迅鯨まで引っ張り出している。ちなみに1941年初頭頃に考えられた1951年度艦隊使用構想では龍鳳の名は無く、空母への改装は予想外だった模様。12月20日、大鯨は予備艦となり、横須賀工廠に入渠。空母への改装工事を開始した。
     
  • 1942年4月18日、ドゥーリットル空襲が発生。B-25爆撃機が横須賀軍港に来襲し、500ポンド爆弾を投じてきた。このうち3発目が第4船渠に入渠中の大鯨に直撃し、右舷バルジ前端付近で炸裂。舷側に縦8m、横15mの大破孔が生じる大損害を受けた。他にも不発弾8発を含む30発の焼夷弾が船渠の中に入り込み、火災が発生。5名が中程度の火傷を負い、7名が死亡した。致命傷ではなかったものの工事に遅延が発生、就役が遅れてしまっている。B-25は鹵獲対策で照準機を外しており、爆弾が命中したのは不運としか言いようが無かった。横須賀在泊艦艇で被害を受けたのも大鯨だけだった。
     
    以降の戦歴は龍鳳の項にお譲りします。
     
  • 時は流れて現代。横須賀海軍カレー本舗では、「大鯨カレー」という料理が提供されていた。1日300食の限定メニューで、名前の通り鯨肉を使用。カレーの他に牛乳、サラダ、鯨カツが付随する。食後にはコーヒーが出た。カレーの上には小さな軍艦旗がたなびく。期間限定メニューのため現在は終了。

この艦娘についてのコメント

最新の15件を表示しています。 コメントページを参照

  • 鯨だ!鯨だ!お前は鯨になるのだ! タイゲーマスク! -- 2021-01-04 (月) 00:04:26
    • wざぶとん1枚! -- 2021-01-24 (日) 13:31:51
    • ルール無用の敵艦に 鯨のパンチを ぶちかませ -- 2021-01-27 (水) 21:58:55
  • 2-5を任務消化で徘徊中、まさかの登場。しかも、今回で3人目。 -- 2021-01-22 (金) 21:01:44
  • 大鮪です -- 2021-01-24 (日) 13:28:14
    • おおままぐろ -- 2021-01-24 (日) 13:31:03
    • 大兎です(木の意図無視してトラウマ返しするスタイル) -- 2021-01-24 (日) 13:36:08
  • 今度の新遠征71以上まで上げろって? -- 2021-02-06 (土) 23:36:40
    • 65で良いですよ -- 2021-02-07 (日) 01:36:50
      • サンクスです。助かった…少し上げるだけで済みそう(現在57) -- ? 2021-02-09 (火) 06:52:23
  • どこで育てるのが一番なのかね。 -- 2021-02-08 (月) 01:22:25
    • 演習旗艦とか -- 2021-02-08 (月) 01:53:55
  • 55から65の10レベル分だったので5-2噴進レベリングで5隻輪形陣の旗艦で庇いながら、チマチマと育てたけど意外に被弾ゼロでいけるもんだな -- 2021-02-11 (木) 03:03:37
  • レベリングは5-3-pか5-2を旗艦で回すのが良い感じ。噴進砲揃ってないので、5-3の方が個人的には安定した -- 2021-02-13 (土) 10:03:22
  • 以前、西方潜水艦作戦の為に55までレベル上げるも 龍鳳して泣いたワイ・・・今回も無事65まで上げて 龍鳳にして泣いている模様(15日の0時?までにもう一人育てられるかな) -- 2021-02-13 (土) 16:45:31
    • Uちゃんの改造ボタンは幼いのに何でいつも大鯨の改造ボタンを押してしまうんやorz -- 2021-02-13 (土) 16:46:53
      • 幼い改造ボタン...ごくり -- 2021-02-13 (土) 16:51:37
    • なんで設計図用意してるんですかねぇ… -- 2021-02-13 (土) 17:15:58
      • 用意してるんじゃなくて余っているのよ・・・ジョージ4世はキープしてるのよ -- 2021-02-13 (土) 17:23:29
      • うあぁあ↑ああああああ↓・・・ジョージ4世って誰だよ!常時4枚だよ・・・俺はもうダメだ…ちょっと裏の用水で休んでくる -- 2021-02-13 (土) 17:28:11
      • ジョージ4世はちょっとおもろかった -- 2021-02-14 (日) 04:00:27
      • 新たなキャラクター爆誕の瞬間を見た。うっかりLv63なの忘れてて泣いてる気分が晴れたよ、ありがとう。 -- 2021-02-14 (日) 10:25:06
      • ジョージ四世、つまりおデブでお洒落でおバカだけど人気はある王様。 -- 2021-02-14 (日) 21:14:31
    • ウぉあああああっ!よく考えてみたらレベル55の大鯨がおるからこの娘を65まで上げればいいだけやん!なんでワイは無意味に2人目を65まで育ててるんや!そして何で無意味に練度1の3人目の大鯨を演習で育て始めているんや!・・・・ホンマにバカやワイorz -- 2021-02-13 (土) 17:17:17
      • (゚_。)? -- 2021-02-13 (土) 17:26:40
      • とりあえず大鯨が好きなのは分かった。もう誤改造しないようにね -- 2021-02-13 (土) 17:28:55
      • ↑↑ちょっと冷静になったわ・・・簡単に説明すると遠征の為に大鯨の練度55せなあかんのか(一人目)新しい遠征大鯨の練度65必要なんか(何故か2人目を練度1から育て始める)しもた!龍鳳に改造して下田 -- 2021-02-13 (土) 17:45:53
    • 大gayと龍鳳は両方押さえとくのがデフォルトではないのか!?(まあ改装ミスを防ぐものではないが) -- 2021-02-14 (日) 04:41:04
    • 此処まで大騒ぎして大鯨を練度65まで上げたのに・・・潜水艦2人しか編成してなくて遠征失敗したべ。ワイの12時間が・・・orz -- 2021-02-14 (日) 13:25:33
      • もう何らかの疾患レベルやろ -- 2021-02-14 (日) 13:49:57
    • 間に合った!何とか月遠征が更新される前に帰って来てくれた! -- 2021-02-15 (月) 08:39:57
  • ↑全然冷静になってなかったわ・・・(上の続き)生姜無いからまた大鯨育てるか(何故か3人目の大鯨を練度1から育て始める)→唐突に -- 2021-02-13 (土) 17:47:39
    • (6-1で迅鯨ひろってくれば改造しても平気…って書くのは野暮かね…) -- 2021-02-13 (土) 17:51:48
  • 旗艦にして5-2でレべリングついでにろ号消化中。掘りでボス戦まで行ってもそこそこ安定したしてるけど、資材は食うな…。 -- 2021-02-14 (日) 03:52:29
  • まったりマイペース勢提督ワイ、4-4攻略中についに念願の大鯨と初遭遇。これで一期から放置してる遠征解消できる。記念カキコ。 -- 2021-02-14 (日) 21:08:52
  • ウチは大鯨66まで上げたところで西方遠征送って成功できたよ。選択肢増やすために迅の方も66まで育てといたほうがよさそう -- 2021-02-14 (日) 21:12:52
    • そっちはLv55でいいはず、Lv65必要なのは”欧州方面友軍との接触”ってほう。 -- 2021-02-15 (月) 08:48:31
      • ごめん、イヤーリーだから欧州だね。欧州と西方がごっちゃになってました。 -- ? 2021-02-15 (月) 10:52:57
  • レベリングは4-5-1コツコツじゃいかんのかね。どっちも1戦で回数見ても資源は軽い -- 2021-02-19 (金) 14:07:13
    • この子対潜できたっけ? -- 2021-02-20 (土) 15:27:46
      • 無理っす -- 2021-02-20 (土) 15:30:52
    • 演習とデイリー任務くらいでも問題無いとは思うがどうしても急いで育てたいなら旗艦に置いて随伴を噴進弾幕100%艦4~5隻で5-2空襲マス輪形陣繰り返しかな、リアル運や装備にもよるけど30~40周で1回被弾するかどうかで旗艦MVP固定の1周540EXP前後くらい -- 2021-02-20 (土) 15:36:34
      • 6-1とか2-2とかで、ろ号消化時に旗艦においとけばいいんでない? -- 2021-02-20 (土) 15:44:55
    • 2-3で旗艦にして潜水2+空母3 でデイリー南西消化とかもいけるぞ。対空カットイン装備させてもよし、制空補助してもよし。 -- 2021-02-20 (土) 16:30:34
  • 補給艦として使えてもいいぐらいのスペックをお持ちなのにね -- 2021-03-29 (月) 22:54:58
  • 捕鯨はしたものの迅鯨既に55なんだけど愛以外の理由で育てる必要性あるのかな…弱小提督だからレベリング優先度がどうしても… -- 2021-04-19 (月) 16:32:14
    • ルート固定要員で使うなら射程短だし大鯨に軍配が上がるけど誤差ちゃ誤差だから必要性は薄いかな 迅鯨も探照灯持てたり、太かったり、勝る部分はあるし -- 2021-04-19 (月) 17:03:23
    • マンスリー遠征のキラ削減のためにまずはLV128まで育ててからレベリングすべきか考えようぜ -- 2021-04-19 (月) 17:17:23
お名前: URL B I U SIZE Black Maroon Green Olive Navy Purple Teal Gray Silver Red Lime Yellow Blue Fuchsia Aqua White
↑↑ここに捕鯨(ドロップ)報告を書き込まないで下さい↑↑
ドロップ報告に関しては出撃ドロップ内にあるコメント欄にて行なっていただけると幸いです。

*1 「潜水艦隊旗艦機能と補給物資や水上偵察機を装備して」の部分は、ボイスでは再生されずテキストのみ
*2 混同されがちだが、瑞鳳隼鷹飛鷹は、旧名では就役していない。大鯨、剣埼は、改装中も艦長が乗っていて、軍艦旗を掲げていたのである。
*3 アイテム屋や任務画面を含めるなら明石大淀も3種類、また期間限定を含めると龍驤など3種類以上持つ艦娘も増えつつある。
*4 未改でも先制雷撃はできるが通常の雷撃はできない。
*5 摩耶艦長兼任。
*6 特務艦籍にあった給糧艦(運送艦)とは異なり、正規の潜水母艦は艦首に菊花紋章を戴く軍艦であった。
*7 潜水艦救難艦は他に「ちはや」が運用されているが、これは潜水母艦の機能を排除し救難機能に特化している。
*8 前級迅鯨型の2倍以上もの排水量である。
*9 剣埼、高崎の当初艦名が、給油艦としての出自を物語っている。
*10 当初から空母改造(艦これでは「航」)を念頭に置いていた説と、あくまで甲標的母艦まで(艦これでは「甲」)までの説とあるが。
*11 起工1933年4月12日、進水11月16日
*12 出展元 『毎日新聞社 航跡 古波蔵保好 P13-14』。
*13 出展元 『海人社 世界の艦船 日本海軍特務艦船史 P67』。
*14 出展元 『毎日新聞社 航跡 古波蔵保好 P162-163』。
*15 出展元 『毎日新聞社 航跡 古波蔵保好P167-170』。
*16 友鶴事件、第四艦隊事件等の結果も巻き込み、元々仲の険悪だった平賀譲と藤本喜久雄の両海軍造船官同士での派閥争いの具にされた面もあった。結果的に藤本は失脚、その後暫くして心労がもとで脳溢血により他界している。
*17 開戦後に起工して竣工した巡洋艦以上の大型艦が、雲龍型航空母艦3隻(雲龍天城及び葛城)と酒匂だけで、しかも1944年の決戦(あ号作戦、捷一号作戦)に間に合わなかった時点で、目的を達せられなかったといわれても仕方ない。
*18 アメリカもハーバーズポイント事件など起こしているにもかかわらず、船体強度については日本以上に杜撰で初期から大型船舶に電気溶接を多用した結果、事故多発で愉快なもとい悲惨なことになった。
*19 日本の脱条約後の艦隊型駆逐艦建造数は朝潮以降わずかに56隻。対するアメリカはフレッチャー級だけで175隻である。
*20 もはや駆逐艦に艦隊同道の必要などなくなった改秋月型、雑木林などでようやく全面的に採用される。
*21 出展元 『毎日新聞社 航跡 古波蔵保好 P183』。
*22 その数なんと200隻以上! 欠陥船であることは就役直後からささやかれていたのだが戦時中を理由に封殺され、戦後大問題になった。要するにやってることはどこでもいっしょである。但しこれだけの数でも建造隻数の「14%未満の不具合」という…。
*23 同型艦に、アドミラル・シェーア、アドミラル・グラーフ・シュペー。ドイッチュラントも後年リュッツオウと改名。
*24 艦のサイズは重巡洋艦並だったが、主砲に28cm三連装砲塔を2基、副砲に15cm単装砲を8基搭載していた。
*25 千歳千代田は蒸気タービン機関も持っていたため、こちらをメインに使うことで影響を最低限としたが、純ディーゼルの大鯨と型、水上機母艦瑞穂(千歳型の準同型艦)は、長らく機関の最大出力発揮に支障をきたし、最高速力を著しく規制された。
*26 とりわけ瑞穂は悲惨で、問題の完全解決が開戦後の昭和17(1942)年までかかり、そして文字通り完了直後の航海で米潜水艦ドラム(USS Drum/SS-228)の雷撃で戦没した(菊の御紋章を持つ「軍艦」籍の、大戦中初の戦没艦となった)。なお、同潜水艦は、後に空母改装後の龍鳳も雷撃している。
*27 余剰となった新戦艦用ディーゼル主機(艦本式13号内火機械)は、最終的に水上機母艦日進に流用された。なお、大鯨や剣埼型、千歳型、瑞穂に積まれた主機の型式は、艦本式11号内火機械。
*28 ただし、振動や騒音等には不満だったらしい。また、燃料関係の重要機器が防御区画外にあり、実戦(1939年12月のラプラタ沖海戦)でグラフ・シュペー自沈の原因を作った。
*29 それでも潜水艦乗組員のことを考えてか、特設母艦に選ばれた船は日枝丸、平安丸、さんとす丸、りおでじゃねいろ丸などの大型優秀客船が多かった。
*30 出典:牧野富太郎編『植物一日一題 馬鈴薯とジャガイモ』。
*31 出典:戸高一成編『復刻版 日本海軍進水絵はがき 3巻』(光人社、2004年)。