No.500 | ||||
---|---|---|---|---|
山汐丸(やましおまる) | 特2TL型 2番艦 特設護衛空母 | |||
艦船ステータス(初期値/最大値) | ||||
耐久 | 36 | 火力 | 2 / 15 | |
装甲 | 7 / 19 | 雷装 | 0 | |
回避 | 14 / 25 | 対空 | 16 / 30 | |
搭載 | 8 | 対潜 | 23 / 63 | |
速力 | 低速 | 索敵 | 13 / 53 | |
射程 | 短 | 運 | 3 / 33 | |
最大消費量 | ||||
燃料 | 35 | 弾薬 | 15 | |
搭載 | 装備 | |||
6 | 三式指揮連絡機(対潜) | |||
2 | 二式12cm迫撃砲改 | |||
装備不可 | ||||
装備不可 | ||||
改造チャート | ||||
山汐丸 → 山汐丸改(Lv48+高速建造材x15+開発資材x10) | ||||
図鑑説明 | ||||
TL型戦標船として計画された量産型タンカー、 その改装により建造された特2TL型陸軍輸送護衛空母、山汐丸です。 低速のため第一線の艦隊への随伴は困難ですが、 ある程度の対潜戦闘が可能な戦力として期待されました。 出撃することなく横浜の港で大破着底、終戦の時を迎えました。 |
※初期値はLvや近代化改修の補正を除いた時の数値であり、改造直後の値とは異なります。
最大値はLv99の時の最大値を指します。
CV:松岡美里、イラストレーター:海原さかな
定型ボイス一覧
イベント | セリフ | 改装段階 | 備考 | 追加 | ||
---|---|---|---|---|---|---|
山 汐 丸 | 山 汐 丸 改 | 追加 | ||||
入手/ログイン | 戦時大型タンカーとして計画され、特2TL型 特設輸送空母として建造が進められた山汐丸であります。 提督殿、自分も何卒ご活用を……お願いしたい……です。 | ◯ | × | 編集 | ||
戦時大型タンカーとして計画され、特2TL型 特設輸送空母として建造が進められた山汐丸であります。 提督殿、本日もよろしくお願い……いたします。頑張ります。 | × | ◯ | 編集 | |||
母港*1 | 編集 | |||||
母港1 | 詳細 | 山汐丸を……お呼びでありますか? | ◯ | × | 編集 | |
提督殿…山汐丸を……お呼びでありますか? | × | ◯ | 編集 | |||
母港2 | 本船の活用……ご検討を? それは嬉しいことです。 | ◯ | × | 編集 | ||
本船の積極活用のご検討を? 有難うございます! | × | ◯ | 編集 | |||
母港3 | 輸送と船団護衛を同時に出来る船、便利じゃないですか? ……でも、中々そう上手くは行きませんよね。足も、そんなに速くはないし。 ……やっぱり、基地航空の方がいい……かもしれません。お役に立てると良いのですが。 | ◯ | ◯ | 編集 | ||
ケッコンカッコカリ | 提督殿、山汐丸、出頭いたしました。えっこの箱……でありますか?機密情報のフィルムかなにかでありましょうか。了解しました。大切に保管するのであります。山汐丸、下がります。 | 編集 | ||||
ケッコン後母港 | 反転ボイス | 編集 | ||||
放置時 | そうですね。戦いが終わったからといって、ぼんやりしていると、大変なことになることも。 常に気持ちは張っていないといけませんね。……あの……提督……?提督殿……? ……お疲れが出て……寝てしまったので……ありますか……? | ◯ | ◯ | 編集 | ||
編成出撃 | 編集 | |||||
編成 | 山汐丸船団、抜錨致します! 皆さん、参りましょう! | ◯ | ◯ | 編集 | ||
出撃 | 特設輸送空母、山汐丸、出撃であります。皆さん、気をつけて、道中参りましょう。 | ◯ | ◯ | 編集 | ||
開戦・攻撃*2 | 編集 | |||||
戦闘1 | 昼戦開始 | 敵、発見であります!皆さん、戦闘のご用意を! | ◯ | ◯ | 編集 | |
戦闘2 | 昼戦攻撃 | 撃て! | ◯ | ◯ | 編集 | |
戦闘3 | 夜戦開始 | 夜間の斬り込み……です。皆さん、参りましょう! | ◯ | ◯ | 編集 | |
戦闘4 | 夜戦攻撃 | 自分だって、このくらい……! | ◯ | × | 編集 | |
当ててください、お願いします! | × | ◯ | 編集 | |||
戦闘時ステータス*3 | 編集 | |||||
小破 | あああっ! | ◯ | ◯ | 編集 | ||
ひっ、飛行甲板がっ!? | ◯ | ◯ | 編集 | |||
中破/大破 | あああああっ! し、至近弾!? 飛行甲板に直撃!? 、ま、まだ……動けますか!? | ◯ | ◯ | 編集 | ||
轟沈 | 反転ボイス | 編集 | ||||
戦闘終了*4 | 編集 | |||||
勝利MVP | 自分が……? 本当に自分が、最も戦果を挙げたのでありますか……? 本当にそうなの!? 嬉……しい…! | ◯ | ◯ | 編集 | ||
旗艦大破 | ひっ、飛行甲板がっ!? | ◯ | ◯ | 編集 | ||
装備・改修*5 | 編集 | |||||
装備1 | 改修/改造 | まあ、あった方が……いいですよね。 | ◯ | ◯ | 編集 | |
装備2 | うふふっ、楽しみですね。 | ◯ | ◯ | 編集 | ||
装備3 | 改修/改造/開発/バケツ/遠征/発見 | 進めそうです。 | ◯ | ◯ | 編集 | |
その他 | 編集 | |||||
帰投 | 船団が戻ってきました。ホッとしますね。 | ◯ | ◯ | 編集 | ||
補給 | 有り難く、頂戴するので、あります。 | ◯ | ◯ | 編集 | ||
入渠(小破以下) | やられてしまいました……申し訳ありません…… | ◯ | ◯ | 編集 | ||
入渠(中破以上) | 大きな損傷を受けました。本格的な修理が、必要です。 | ◯ | ◯ | 編集 | ||
建造完了 | 新しい船の、就役であります。 | ◯ | ◯ | 編集 | ||
戦績表示 | 情報確認でありますか? 自分がお持ち致します。……はい、こちらであります。 | ◯ | ◯ | 編集 |
時報ボイス一覧
時刻 | セリフ | 改装段階 | 備考 | 追加 | |
---|---|---|---|---|---|
山 汐 丸 | 山 汐 丸 改 | 追加 | |||
00 | 提督殿、本日は自分、山汐丸が、提督殿の副官を勤めさせていただく…であります。すみません…… | × | ◯ | 編集 | |
01 | 提督殿、マルヒト…マルマルであります。 | 編集 | |||
02 | 提督殿、マルフタ…マルマルであります。……なにか、おかしい…ですか? | 編集 | |||
03 | 提督殿、マルサンマルマルであります。この時間、さすがに静か…ですね。あれっ? | 編集 | |||
04 | マルヨンマルマルであります。ほぉ?さきほどの?…申し訳ありません。自分の勘違い…のようであります。 | 編集 | |||
05 | 提督殿、マルゴーマルマルであります。もう朝…ですね。朝の用意にかかりましょう。 | 編集 | |||
06 | 提督殿、マルロクマルマルであります。起床ラッパでみんなを起こします。総員、起床!おねがいします! | 編集 | |||
07 | マルナナマルマル。提督殿、朝食の支度をこちらに用意したのであります。どうぞ、召し上がってください。 | 編集 | |||
08 | 提督殿、マルハチマルマルであります。朝の防空演習の時間で…あります、ご準備を。 | 編集 | |||
09 | 提督殿、マルキュウマルマルであります。横浜…みなとみらい…?どこか懐かしく感じる響き……みなとみらい…どんな意味なのでしょうか? | 編集 | |||
10 | 提督殿、ヒトマルマルマルであります。自分の錨…で、ありますか?あぁ、はい!こちらにちゃんと……うぅあれ?なんでこんなところに?…あ、あれ? | 編集 | |||
11 | ヒトヒトマルマル。提督殿、お騒がせしました。もう大丈夫であります。錨は…大切。大切であります。 | 編集 | |||
12 | 提督殿、ヒトフタマルマル、お昼であります。自分、おにぎりを作ってまいりました。中身は、梅干しですが…よかったら召し上がってください。お茶、こちらです。熱いです。気をつけて。 | 編集 | |||
13 | 提督殿、ヒトサンマルマルであります。前方に友軍艦船のようです。あ、あれは…? | 編集 | |||
14 | ヒトヨンマルマル。提督殿!あきつ丸先任が入港されるようであります!ご立派な船です…!誠に……! | 編集 | |||
15 | 提督殿、ヒトゴーマルマル。続いて、我が陸軍の神州丸殿が入港されるようです。誠に…誠に…本当にご立派な、見事な船です……!ええ、誠にっ……! | 編集 | |||
16 | ヒトロクマルマル。提督殿、薄暮の対潜演習の時間であります。我が精鋭たる三式機、発進用意!回せーっ!対戦迫撃砲も準備万端でありますか?…っ、ようし! | 編集 | |||
17 | 提督殿、見てください…!ヒトナナマルマル、夕日が…夕日があんなに綺麗で……ありますっ!横浜港の夕焼けも大変綺麗でした……えっ?提督殿…自分、泣いて…泣いていますか?あ……れ……? | 編集 | |||
18 | 提督殿、ヒトハチマルマルであります。そろそろ、お夕食の支度をいたしましょう。お待ち…ください。 | 編集 | |||
19 | ヒトキューマルマル。提督殿、お待たせしました!今日はとっておきの銀シャリを炊きました。あと、横浜の海で獲れたお魚、大根のお味噌汁とたくあん。少し、贅沢なお夕食、ぜひ召し上がってください!せっかく…ですから… | 編集 | |||
20 | フタマルマルマル。提督殿、あきつ丸先任と神州丸殿が……貴重な清酒を持ってきてくださいました!ありがとうございます!貴重な……提督殿、頂いても?……っ、はいっ! | 編集 | |||
21 | フタヒトマルマル……?てーとくどの、聞いれまふか!?自分だって…私だってっ……!海に…ちゃんとお役目に出たかったれすっ……!だって…わらひ…てーとくどのぉ…? | 編集 | |||
22 | 聞いれまふかっ!!?しまね丸っていいれすか!?そもそも戦時標準船ってのは……!っ……であるからして…てーとく!てーとく!?……えぇ?時間?えーっとぉ…フタフタぁ、マルマルでぇっ…ありまふっ!ヒック! | 編集 | |||
23 | えっ……?てーとく殿…?お水……んっんっんっんっ…っぷはあっ!す、すみません、生き返りました……あ、あの…本日も…大変お疲れ様…でしたっ!時間はフタサン…マルマルであります。す、すみません…… | 編集 |
季節ボイス一覧
季 節 | イベント | セリフ | 改装段階 | 備考 | 追加 | |
---|---|---|---|---|---|---|
山 汐 丸 | 山 汐 丸 改 | 追加 | ||||
春 | 桃の節句 | ◯ | × | 編集 | ||
春の訪れ | 編集 | |||||
ホワイトデー | 提督殿、これを自分に? わ、わたし、感激、ですっ | ◯ | 編集 | |||
春 | 編集 | |||||
春本番 | 陸軍船舶でお花見……ですか? いいかもしれません。 提督殿。もしよかったら……ご一緒に……如何ですか? | ◯ | ◯ | 編集 | ||
夏 | 梅雨 | 最近良く降りますね。自分も、てるてる坊主作ってみたのですが……どうでしょうか。 ……こちら、提督殿です。 | ◯ | ◯ | 編集 | |
初夏 | 編集 | |||||
夏 | 横浜も夏は暑い。……え? 防暑兵装……ですか? ……いいの? ありなの? 本当に? | ◯ | ◯ | 編集 | ||
盛夏 | 編集 | |||||
夏祭り | 編集 | |||||
秋 | 秋 | おいしそうな匂い。 あの……横浜のお祭り……もしよかったら、ご一緒に……は、はいっ! | ◯ | ◯ | 編集 | |
秋刀魚 | 秋刀魚漁の支援……ですね。 それなら自分の航空隊も、十分にお手伝いできるかもしれません。がんばります! | ◯ | ◯ | 編集 | ||
晩秋 | 編集 | |||||
ハロウィン | 編集 | |||||
秋のワイン | 編集 | |||||
冬 | 冬 | 編集 | ||||
師走 | 編集 | |||||
クリスマス | これがケーキ……これが、ターキーグリル……美味しい。 とてもとても、魅力的なお料理です。とても……。 | ◯ | ◯ | 編集 | ||
年末 | はい、横浜のドックもきれいにしたいですね。 横浜船渠の年末大掃除、どうぞ、お任せください。 | ◯ | ◯ | 編集 | ||
新年 | 提督殿。新年、あけまして、おめでとうございます。 おみくじ……末吉でした。悪くは……ない。 | ◯ | ◯ | 編集 | ||
節分 | 節分でありますか? 鬼役は……えっ、自分? あ、あの……いたっ! いたたた……や、やめてぇ! | ◯ | ◯ | 編集 | ||
バレンタイン | 提督殿……横浜元町のチョコレートケーキであります。よかったら……貰って、下さい。 | ◯ | ◯ | 編集 | ||
周 年 | 九周年記念 | 提督殿。艦隊は、九周年を迎えたそうです。誠に喜ばしいこと。おめでとうございます。 陸軍船舶も、よろしく……お願いしたい……ので、あります。 | ◯ | ◯ | 編集 | |
十周年記念 | 提督殿。艦隊は、遂に十周年を迎えたそうです。誠に、誠に喜ばしいこと。おめでとうございます。 陸軍船舶も、お祝い……申し上げます。 | ◯ | ◯ | 編集 | ||
イ ベ ン ト | イベント名 | 編集 | ||||
そ の 他 | 内容 | 編集 |
ゲームにおいて
- 2022/02/23実装。
- 初登場は『発令!「捷三号作戦警戒」』E-3 突破報酬。
- 2024年には『鎮守府秋刀魚祭り2024』限定任務『【鎮守府秋刀魚祭り】秋刀魚塩焼き演習!』選択報酬になった。
艦種について
- 艦種表記は「特設護衛空母」。しかし元がタンカーのためか実態としては補給艦である。宗谷と同じようなフレーバー艦種。
- 「護衛空母」と付いているが既存の護衛空母(軽空母)とは全くの別物。
- 空母ではないため対空噴進弾幕は発動不可。
- 護衛空母ではないため先制対潜は対潜100+ソナーが必要で艦載機は不要。
- 艦種ソートでは補給艦として「補助艦艇」に分類されている。
- 「護衛空母」と付いているが既存の護衛空母(軽空母)とは全くの別物。
運用について
- この段階で装備可能なのは「対潜哨戒機、対空機銃、ソナー、爆雷、小型電探、戦闘糧食、補給物資、機関部強化、中型バルジ、航空要員、高射装置」。
- 砲や魚雷の類は装備できず、航空機も三式指揮連絡機(対潜)系にのみ限られる。
- 対潜攻撃は対潜哨戒機装備時は航空機エフェクトによる攻撃(艦種別定数+8)を行い、非装備時は爆雷エフェクトで攻撃(艦種別定数+13)する。
- 補給艦属性ではあるが、ドラム缶(輸送用)も大発動艇系も特二式内火艇も装備できない。改造しても不可。
- 砲や魚雷の類は装備できず、航空機も三式指揮連絡機(対潜)系にのみ限られる。
キャラクター設定について
- 提督の呼び方はあきつ丸や神州丸たち陸軍船と同様「提督殿」であります。
- 一人称は「自分」……なのだが、時報で酔っ払った際にぽろっと「私」と言ってたりする。「自分」は勤務時用で、素は「私」なのだろう。
- 二式複戦 屠龍及び二式複戦 屠龍 丙型の装備妖精の片方と似た姿をしている。
- 陸軍という設定を反映しているためか上着は九八式軍衣などを連想させる折襟式*7のもので胸ポケットがパッチポケットであることから防暑衣を参考にしていると見られる。
- 彼女の艤装はベルトを2本通した、H型サスペンダー付きコルセット(ベルトパッド)で装着しており、珍しく実在する個人装具を強く意識したものとなっている。*14
- ベルトに付いている革のケースは弾薬盒*15。陸軍歩兵が小銃弾を入れておくためのポーチで山汐丸のものは三十年式弾薬盒*16の前盒*17の所謂「前期型」*18に類似した形状*19である。
- ちなみに基本的には革製であるが十一年式軽機関銃用に専用のキャンバス製のもの*20、第二次世界大戦期には革製のものをゴム引き布のものやキャンバス製で代用したものが登場している。また海軍では陸戦隊員用のこれを「胴乱」と戦国時代さながらの時代がかった名称で呼んでいた。
- なお、弾薬盒の中には小ネタでも触れられている錨が入っており、中破で確認できる。
- また、よく見るとベルトにはお守りがぶら下がっている。
- 武運長久を祈り出征将兵へ神社仏閣のお守りを贈るのは古今東西変わらない習俗だが、一番人気は当時もやはり成田山だったという。なお、戦地への慰問袋にお守りを入れるのも一般的で、「付けないと入れた人に悪いから」と律儀に10個以上もぶら下げている兵隊もいたとか。
- ちなみに基本的には革製であるが十一年式軽機関銃用に専用のキャンバス製のもの*20、第二次世界大戦期には革製のものをゴム引き布のものやキャンバス製で代用したものが登場している。また海軍では陸戦隊員用のこれを「胴乱」と戦国時代さながらの時代がかった名称で呼んでいた。
期間限定グラフィック
- 2022年4月1日のアップデートで、【花束】modeが実装された。
- 赤い着物がよく似合っている。
- 中破すると着崩れてしまうのだが、肩や胸元のさらしが見えて色っぽい。
限定イラスト:【花束】mode
- 2022年7月13日のアップデートで、艦娘水着modeが実装された。
- 『【山汐丸】にも少しレトロな艦娘水着mode&水着夏ボイスを実装です!』
- 長い髪を頭の上で縛っているので、かなり印象が変わって見える。
- 露出は少なめだが、水着越しにおヘソのくぼみが見えたりする。頭のサンバイザーには山汐丸だけに山のデザインが。
右肩から下げた保冷バッグは暑さ対策の飲み物入りだろうか。
限定グラフィック:水着mode
- 2022年10月14日のアップデートで、【浴衣】modeが実装された。
- 銀杏の葉が舞う中、落ち着いた色の浴衣が似合っている。髪をお団子にして頭でまとめているので、また印象が変わって見える。
- 飛行甲板柄でフリル付きの帯には、いつもつけているお守りが下げられている。
- 中破すると少し着崩れ、肩が見える。手にした銀杏の葉には赤とんぼが止まっている。
限定イラスト:浴衣mode
- 2022年11月9日のアップデートで、【鎮守府秋刀魚祭り】modeが実装された。
- 浴衣modeの差分で、右手に持っている物が銀杏の葉から塩焼きの載った皿に変更されている他、背中の帯に団扇が差してある。
また、よく見ると前髪に秋刀魚型の髪留めがついている。 - 美味しそうな秋刀魚を前にしているからか、表情も舌を可愛らしく出したものに変わっている。
- 中破で皿を落としてしまうが、身は完食している模様。
浴衣modeと比べ顔が赤いが、よく見ると地面に落ちた手提げの横にワンカップ系のお酒が転がっている。
限定グラフィック:秋刀魚祭りmode
- 浴衣modeの差分で、右手に持っている物が銀杏の葉から塩焼きの載った皿に変更されている他、背中の帯に団扇が差してある。
- 2022年12月6日のアップデートで、【Xmas】modeが実装された。
- トナカイイメージの茶色のコートを着て、頭にはトナカイの角と耳がついたカチューシャを装着。
ドラム缶とプレゼントの入った袋を載せたソリを三式指揮連絡機改で運んでいる。 - 中破すると、コートを引っ張ってお尻を隠す姿が可愛い。
限定グラフィック:Xmasmode
- トナカイイメージの茶色のコートを着て、頭にはトナカイの角と耳がついたカチューシャを装着。
- 2023年1月1日のオンメンテで、【晴着】modeが実装された。
- 晴着で右手には筆、左手には書き初めであろう、自身の名が書かれた半紙を持って得意げな表情をしている。
- この後羽根つきでもしたのか、中破では顔にバツを書かれ、書き初めはしわくちゃになった上、しかも墨が晴着にはねているというなんとも気の毒なことになってしまっている。
- 晴着もかなりはだけてしまっており、うなじどころか背中まで見える状態に。
限定グラフィック:晴着mode
- 2023年5月1日のアップデートで、【菖蒲】modeが実装された。
- すずらん柄の着物が良く似合っている。
- 改との違いは帽子と、左手薬指の指輪の有無。
限定イラスト:菖蒲mode
- 2024年1月25日のアップデートで、節分modeが実装された。
- 青い縞の入った着物に黄色い縞の入った帯で、青鬼イメージと言った感じ。頭には山汐丸を模したと思われる可愛い鬼の面がついている。
右手には豆の入った升、着物もたすき掛けで準備万端と言った感じだが、顔はそこまでやる気という感じではない。
限定グラフィック:節分mode
- 青い縞の入った着物に黄色い縞の入った帯で、青鬼イメージと言った感じ。頭には山汐丸を模したと思われる可愛い鬼の面がついている。
- 2024年4月23日のアップデートで、【カクテルドレスmode】が実装された。
- レトロなマーメイドスカートのカクテルドレス姿となっている。
限定グラフィック:カクテルドレスmode
小ネタ
略歴
1944 | 9.11 | 三菱重工業横浜造船所において起工 |
11.14 | 進水 | |
1945 | 1.27 | 竣工 |
2.16 | 貨物船への改造待機中、空襲を受け被弾損傷 | |
2.17 | 再度空襲を受け大破着底 | |
1946 | 3.6 | 未成標的艦「大指」と衝突し、大指が浸水着底 |
7月 | 解体を開始するも船体折損、沈没 | |
時期不詳 | 三菱重工業横浜造船所に売却 | |
七号岸壁に埋設して山汐岸壁となる | ||
1956 | 造船所拡張工事により撤去 |
- 山汐丸(やましおまる)は山下汽船(戦後、山下新日本汽船、ナビックスラインを経て、現在は商船三井。)に割り当てられた船で、2TL型タンカー5番船として昭和19年9月11日三菱重工業横浜造船所(旧横浜船渠)にて起工。
途中で陸軍の指示により特2TL型、つまり陸軍謹製タンカー兼用護衛空母へと設計変更がなされ、11月14日進水、昭和20年1月28日に竣工した。
2TL型とは?
- 2TL型とは第2次戦時標準船と呼ばれる形式の中の1つ。第2次戦時標準船は大小様々な型の船が作られたが、山汐丸の「2TL」は最も大型、海外産油地からの輸送を想定した1万トン級タンカーの船型である。
5000馬力の蒸気タービン機関が搭載され比較的優速の13ノット~15ノットが発揮できたが、それでも速力が不足のため艦隊への随伴は考慮されていない。一つ前の1TL型が艦隊随伴のために8600馬力のタービン機関を搭載し、航海速力15ノット、最高速力18ノット以上と比べると機関をケチっているのも判るだろう。川崎型油槽船は11000馬力のディーゼル機関を搭載したのだから。- 1万トン級、しかも途中で設計変更しているのにもかかわらず凄まじいスピードで進水、竣工しているのがお分かりだろう。なんせ進水まで2ヶ月、竣工まで4ヶ月である。同型船の最速には第2建川丸の62日(進水まで34日、艤装に28日)という建造期間がある。1TL型の建造は最短152日、最長240日を要しているのに。三菱長崎造船所では1TLと2TLを同時に建造していた時期もあったほどだ*21。
- 2TL型の中にはディーゼル機関を搭載して竣工した船も存在する。山汐丸と同じ三菱重工業横浜造船所で建造された三菱汽船(戦後、極東海運、三菱海運を経て、日本郵船に吸収される。)のさばん丸と日東汽船(戦後、日東商船、ジャパンラインを経て、ナビックスラインに吸収される。)の玉栄丸がそれで、機関は大鯨の龍鳳への改装の際に不要となった11号10型ディーゼル機関を改造し流用。ディーゼル機関2基の回転軸をフルカンギアで1つの推進軸に接続した特殊な機関部を持つ。しかし大鯨に搭載されていた際に悩まされた不具合が治るわけもなく機関調整に手間取り、建造期間がさばん丸で216日(進水まで89日、艤装に128日)、玉栄丸で228日(進水まで97日、艤装に132日)と他の姉妹船の倍以上の日数がかかった。そのため竣工が1944年9月以降にずれこみ、竣工後も機関不調に悩まされたこともあって南方に進出する機会のないまま2隻とも戦没。戦後、浮揚修理の際にさばん丸はタービン機関に、玉栄丸は25号2型ディーゼル機関*22に交換されている。
- 36隻の建造計画があったが、戦局悪化による資材不足で起工できたのは34隻にとどまる。終戦までには28隻が完成したが、うち21隻が戦没。そのうち4隻が戦後に浮揚再生された。その他3隻が戦後に竣工し、3隻が建造中止となった。粗製濫造?詳しくは下で。
そもそも標準船って何?
- 昭和11年、当時海上交通を管轄していた逓信省*23では、ワシントン海軍軍縮条約脱退後の国際情勢悪化の可能性を見込んで、標準船の制定計画が始まった。日中戦争中の昭和14年4月に正式決定され、造船量の増大や効率化を目的にA型からF型までの6形式の貨物船が計画された。その後の計画変更で艦隊随伴用大型タンカーのTL型*24、蘭印向け中型タンカーのTM型、鉱石運搬船のK型が追加されている。これらのグループを逓信省標準船(もしくは平時標準船)と呼ぶ。
- ちなみにTL型は「Tanker Large」(大型タンカー)の頭文字から、TM型は「Tanker Medium 」(中型タンカー)の頭文字から採られている。後述の1TS型タンカーも「Tanker Small」(小型タンカー)の頭文字から採られている。ちなみにK型は鉱石のローマ字表記「Kouseki」の頭文字から採られている。
- この逓信省標準船を基に戦時の海上輸送力の急速増強を達成するため、耐久性、航海速力、信頼性などを犠牲にして建造資材の節約と建造期間の短縮を図り制定されたのが第1次戦時標準船であった。逓信省標準船の型式に南方局地、内地沿岸での油輸送を目的とした小型タンカーの1TS型を加えて昭和16年から建造が開始された。
しかし逓信省標準船の設計をベースとしていたことと、民間船としての経済性など戦後も使用することを考えていたため、建造期間が長く生産性に劣っていた。そこで制定されたのが第2次戦時標準船である。 - 第2次戦時標準船とは、端的に言えばうなぎ登りに増える船舶喪失に対応するため、限度を超えた極度の簡易化で大量建造を図った船型である。
その徹底ぶりたるや凄まじく、資材も工数も最低限度を割り込んで節約し、設備は「船として動けて人間が生きられる」最小限に抑えられた。
近代船として当たり前の安全設備である二重底すら廃止しているという凶悪な設計である*25。
なにせ船なのに想定された耐久性は「船体3年、機関1年」。「戦争に勝つまでもてばいい、どうせその前に沈む」という思想が露骨に現れている。
設計すらそれなので、建造時の粗製濫造ぶりについてはもはや言うまでもないだろう。 - 第1次戦時標準船では10形式あった船型をA、D、E、TL、TMの5形式に統合したのだが、タンカー不足により2A型と2E型をベースに油槽船として手直しした2AT型、2ET型が追加されている*26。最大の特徴として、推進軸の建造時間削減のため、全ての形式で短い推進軸で済む船尾機関型を採用している。船尾機関型はタンカーとしては主流の船型だったが、貨物船では重量物運搬船の日之出型貨物船や濱江丸他一部の鉱石運搬船、海上トラックを除き機関部を中央に置いた船型が主流だった。
- 第2次戦時標準船では1Kの後継となる形式が計画されなかった。そのためか、1K型戦標船のうち大翼丸以下日立造船因島造船所製の後期建造船5隻は非公式の第2次戦時標準船設計で建造されたことがイラストレーター兼戦時輸送船研究家の岩重多四郎氏の調査で判明している。*27
- 昭和18年、海軍艦政本部が第2次戦時標準船建造にあたり日本郵船をはじめとした船主を集めて開いた審議会では、
「余り意見が出ないようであるが、それはこれでよいと言うのではなく、全般的に手のつけようがないからだと思う」という凄まじい議事録が残っている。
船の常識を超えたあまりの設計を前に、船主会社たちはお手上げ状態で暗然と黙り込むしかなかった。 - 船体形状は抵抗が増えるのを承知で量産最優先でどこもかしこも直線一辺倒。その船影はほぼ定規だけで描くことが出来る。
当然、船体の鋼板の品質も大幅に下げられ、通常は船舶建造に用いられないような粗悪鉄板も使用されているほか、肉厚も強度の限界まで薄くされている。
それに加え機関も量産最優先の低馬力機関、特に2E型に至っては漁船並みの焼玉機関で、粗製乱造のうえ無理な負荷をかけるためしょっちゅう壊れた。船が潮流に負けて流されていったなんて話も残っている。- 無論、悪い話ばかりでもない。前例のない短期間大量建造を実現するため、第2次戦標船には第四艦隊事件などの事例からそれまで忌避されがちだった溶接工法が大胆に取り入れられたほか、船体をブロック単位ごとに生産ラインで組み上げておき、一気につなげて船の形に仕上げるブロック工法も導入された。
これらの新たな工法は造船技術の進歩を一気に推し進め、戦後日本造船界の能率化に非常に大きな影響を与えたといわれる。- この標準船シリーズの建造に特に力を入れたのは宗谷を建造した川南工業で、上述の逓信省標準船では制定前にそのプロトタイプとして第二靑山丸(D型)他を建造している他、非公式となっているA型(レシプロ機関船)、D型(船尾機関型)はいずれも川南工業香焼島造船所が設計した。第1次戦時標準船でも1A型のプロトタイプとして川工丸*28を建造している。第2次戦時標準船で採用された溶接工法やブロック工法は元々川南工業の社長、川南豊作が缶詰の製造作業を基にベルトコンベア式の建造で2日に1隻の割合で船舶を建造する案が軍に提出され、その案を基に採用したものと言われる。
最盛期には三菱重工業長崎造船所に匹敵する造船量を記録し、大量の戦時標準船を世に送り出したが、戦後は艦船の設計能力に乏しく衰退の一途を辿ることになる。
2TL型の設計は三菱長崎造船所だが、同じく三菱長崎造船所で設計された2A型は川南工業香焼島造船所でも建造されており、1A型からの設計変更船4隻*29を含めて合計39隻が竣工している。
- この標準船シリーズの建造に特に力を入れたのは宗谷を建造した川南工業で、上述の逓信省標準船では制定前にそのプロトタイプとして第二靑山丸(D型)他を建造している他、非公式となっているA型(レシプロ機関船)、D型(船尾機関型)はいずれも川南工業香焼島造船所が設計した。第1次戦時標準船でも1A型のプロトタイプとして川工丸*28を建造している。第2次戦時標準船で採用された溶接工法やブロック工法は元々川南工業の社長、川南豊作が缶詰の製造作業を基にベルトコンベア式の建造で2日に1隻の割合で船舶を建造する案が軍に提出され、その案を基に採用したものと言われる。
- そんな船型なので、ついたあだ名は「轟沈型」。それはそれは涙無しには語れない、様々な逸話が残っている。
- 曰く、船倉から見上げるとスダレのごとく光がちらちら漏れており、試しに水を流すとザーザー雨のように漏る。船員は雨傘と下駄の支給願いを出そうかと顔を見合わせた。(2E・第三松邦丸ほか)
なかには「寝たまま天井越しに月見が出来る風流な船」すらあったという。なお第三松邦丸は新造船なのにデリックも揚錨機も壊れていた。
曰く、「航行中突然右舷に傾いた。驚いて調べると、船体の鉄板がゆるんで海水が漏れ積み荷の塩が溶けていた」(同上)
曰く、「潜水艦のように海面から船橋だけ出した状態で必死に航行している」(2E・伊香保丸)、「ライフジャケットを決して体から離しては駄目だぞ」(2E・伊賀丸)
一番小さな2E型が貨物を満載すると乾舷はたった50センチ、加えて前述の甲板の状態でシケにあうとたちまちに沈没の危機に瀕する。伊香保丸も必死で島へ擱座してどうにか沈没を免れている。
曰く、「浮上中の潜水艦を発見、刺し違えの悲壮な覚悟を固め「エンジンがぶっ壊れてもいい、いけえ!」と叫びながら全速力で体当りしたが、たった6ノットのためゴツンとぶつかっただけだった。ぶつかった潜水艦からは艇長が『こらあ、なんばしょっとか!』と怒りながら顔を出した。まさかの味方の陸軍潜水艦だった」(2E・伊豆丸)
曰く、「軽くなりすぎて傾きやすくなり積んだ貨車が脱線してしまう」「岸壁に接触して接岸のやり直しを行おうとするうちに沈没した」(W・第五青函丸)
曰く、「建造した浦賀を出港して、潜水艦の近づけない沿岸を航行する秋津洲流戦闘航海術を採った結果、房総半島を回った勝浦付近で地元民くらいしか知らない暗礁に乗り上げそのまま沈没、母港の函館*30に到着できずにその生を終えた、当然、一度も営業に使えていない」(W・第九青函丸)
曰く、「戦後の1950年の年の瀬、津軽海峡東方の太平洋上を航行していた空船状態の3隻の戦時標準船が発達した大型低気圧の暴風に煽られ、低出力低速な事が災いして暴風に負け、操船不能に陥ったまま東へ向かって風に流される。翌51年年明けまで3隻とも太平洋を漂流し、2隻は嵐の後に自力で帰還したが、1隻は別船に乗員が救助された際に放棄。5日後に発見されるまで太平洋のど真ん中を幽霊船状態で彷徨っていた。*31」(2D・洞雲丸、鉄山丸、能登丸) - 他にもボイラー爆発事故や分電盤漏電発火、クランクシャフト折損による漂流、座礁だけで大破沈没など、洒落にならない重大事故が頻発していた。
- 曰く、船倉から見上げるとスダレのごとく光がちらちら漏れており、試しに水を流すとザーザー雨のように漏る。船員は雨傘と下駄の支給願いを出そうかと顔を見合わせた。(2E・第三松邦丸ほか)
- そして重要なのが、乗員たちはこういった状態の船でただ航行すればよいのではない。苛烈の度を加える最前線において、対空戦闘・対潜戦闘までこなさなければならないのである。
敵潜水艦に包囲され敵機の空襲にさらされる中、速力を出そうにも出ず、故障が頻発し、至近弾一発で致命的な大浸水を起こす。そういう船に生命を預けて戦う船員たちの苦衷は察するに余りある。
「板子一枚下は地獄」を絵に書いた船にあって、船員たちの団結は強く、家族的な雰囲気に満ちていた。船に対してもなだめながら航海するうちひとしおの愛着が湧いた。「オーラオーラ、ドウドウ良い子だ、そうだその調子だ」「可愛い○○丸ちゃんよ、どうか元気で走っておくれよ」とまるで愛馬か我が子かのごとく声をかけて労り、危険な輸送を無事終えて入港するや羅針儀やテレグラフを抱き締めて「よく頑張った!よく頑張ったなあ、偉いぞ!」と号泣する、そんな光景があったという。 - というように凄絶なまでの粗製濫造量産船であるが、従来船がほとんど沈み果てた戦争末期において、日本の生命線を支えたのも彼女たちにほかならない。
責められるは彼女たちではなく、従来船が片っ端から沈められるまで海上輸送路を放置し、危機に陥ってから慌てて泥縄式にそんな船を設計し量産し始める側であろう。
彼女たちは船員たちの悪口を満身に浴びつつ、生まれながらに具合の悪い体をだましだまし、黙々と日本の動脈となって働き続けたのである。 - それゆえ雷撃や空襲で悲惨な最期を迎えたのも少なくない。
- 敵潜の攻撃により輸送中のガソリンが誘爆して火達磨となって沈没し、漏れたガソリンが炎上しながら海上を漂っていたため脱出は困難を極め、船長以下船員57名、船砲隊56名全員が戦死した船。(2TL・ありた丸)*32
敵潜の雷撃と空襲で満身創痍となり護衛艦に見捨てられ「本船は目下、敵機の猛攻を受け沈没に瀕す…」との無線連絡を最後に船長以下船員86名、船砲隊員84名、輸送中の陸軍将兵2117名全員と共に消息を絶った船。(2A・久川丸)*33
竣工後わずか32日で被雷轟沈し、船長以下船員63名全員が戦死した船や(2AT・辰洋丸)*34、竣工後初めての航海で被雷沈没した船。(2A・大寿丸)*35
連合軍捕虜を輸送中に被雷沈没してしまい、1800人近い捕虜が死亡した船。(2A・阿里山丸)*36
被雷により搭載していた特攻用モーターボート、震洋が誘爆し破片をまき散らしながら轟沈した船。(2D・道了丸)*37 - 中には曙や秋霜と運命を共にした船や(2ET・第五蓬莱丸)*38、被雷沈没後、護衛の海防艦による生存者救助作業を受けていたところ、その海防艦が被雷、船体をへし折られ轟沈してしまった船もあった*39。(2TL・あかね丸)*40
- 敵潜の攻撃により輸送中のガソリンが誘爆して火達磨となって沈没し、漏れたガソリンが炎上しながら海上を漂っていたため脱出は困難を極め、船長以下船員57名、船砲隊56名全員が戦死した船。(2TL・ありた丸)*32
- なお、山汐丸のように陸軍空母として特に指名された船の場合はさすがに入念に建造され、上記のごときお話にならないような不具合はあまり無かったという。
- ちなみに、第1次戦時標準船でも後期建造船については第2次戦時標準船と似たり寄ったりな状況で、上記と似たような逸話があった。特に有名なのは1C型戦時標準船の白馬丸(日本郵船)で、以下のような逸話が残されている。
- 無論、悪い話ばかりでもない。前例のない短期間大量建造を実現するため、第2次戦標船には第四艦隊事件などの事例からそれまで忌避されがちだった溶接工法が大胆に取り入れられたほか、船体をブロック単位ごとに生産ラインで組み上げておき、一気につなげて船の形に仕上げるブロック工法も導入された。
白馬丸の逸話
- 引き渡し前の試験をしたいと造船所に訴えたが、造船所からは「引き渡し日厳守だから不可能。せっかく造ってもすぐに沈められるし、我慢しろ」と言われた。
- 学徒動員による学生や囚人といった素人の集団によって建造されており、建造中に大雨が降ったため船内を確認したところ激しく雨漏りしていた。
- そのため海軍に修理を依頼したら「引き渡し日厳守だから今すぐの修理は不可能。そのかわり、引き渡し後に別の造船所で修理するよう手配する」と言われた。
- それでも雨漏りは治らなかったため、航海中雨が降ったら雨合羽を着用しようか検討された上に、「カチカチ山のタヌキのドロ船だ」と言われた。
- 電気配線は不備だらけで、船内のあちこちで配電盤のスパークに悩まされた。
- そんな状態で一斗缶詰めのガソリンを積み込んだが、この一斗缶がちょっとした衝撃で潰れたり穴が開いたりする低品質の物で、船倉は気化したガソリンで充満。スパークによる火花が引火しないか恐怖しながら航海した。
- 航海中には操舵機が故障したり、座礁したり、機関故障で動けない僚船を5ノットで曳航して米潜水艦が跳梁跋扈する海域を通過する羽目になったり等波乱万丈なものだった。
- 最期は、第八次多号輸送作戦において梅の指揮のもと大空襲下を擱座揚陸のため突撃中に被弾沈没という、凄絶なものであったという。*41
- 昭和18年12月には第2次戦時標準船を基に高速化を図った第3次戦時標準船、さらに昭和19年11月にはそれを基に敵の勢力下を強行突破できるように速力、防御力をさらに高めた第4次戦時標準船が制定されるが、この頃になるともはや空襲による造船施設の破損や深刻な資材不足により建造すらままならないという末期的様相を呈していた。
- 特に第4次戦時標準船は松型駆逐艦に搭載されたロ号艦本式缶と艦本式タービンを採用した4B型、4TM型等4形式のうち3形式は未起工のまま建造中止となった。
- これら戦時標準船は産業設備営団*42が発注を行い、建造中に各海運会社に割り当てられる方式となっており、船主・運航は割り当てられた海運会社が行うものとなっていた。とはいってもタンカーの割り当てを受けた海運会社の中にはタンカーの運航実績がなかったため運航に苦労したという記録*43がある。
- その他、鉄道車両をそのまま船内に搭載可能な青函連絡船用のW型(Wは「Wagon」(有蓋貨車という意味)の頭文字から)、博釜連絡船用にW型の出力向上として建造されたH型(Hは下関~釜山間の関釜連絡船の肩代わりのための博多~釜山間に設定された連絡船、その「Hakuhu」の頭文字から。完成が戦後となり、釜山航路が消滅したので、結局、こちらも青函連絡船に投入されている)、陸軍特殊船のM型(Mは「Military」の頭文字から)、冷蔵品運搬船のR型(Rは「Reizou」の頭文字から)*44等多数の船型が登場している。
- 戦後、これらの戦標船を調査したGHQはあまりの粗製濫造ぶりに唖然となり、安全上問題があるという至極もっともな理由で使用を禁止*45するも、敗戦国に新造船を建造させる訳にはいかないとして2A型戦標船を改造して国際船級を取得せしめるべきと指示し、A.B.船級(アメリカ船級協会が定めた国際船級)取得工事が28隻に対し行われた。この工事は機関室を中央に移設、上部構造物の大半を作り直す等の大掛かりな工事を含んだもので、2A型とは思えない船型となった。しかし改造費用がかさむため、大規模な工事をしなくて済むB.V.船級(フランスのビューロー・ベリタスが定めた国際船級)に移行。こちらは19隻が改造工事を受けた。
- 戦後の1947年からは日本政府の融資により海運会社に資金を与えて新造船を発注させる政策、「計画造船」が開始されたが、太平洋戦争による徴用商船の壊滅による深刻な船舶不足を補うため、KB、KC、KD、KFの4形式の標準船形が制定されている。しかし海運会社の好みに合わせているため、姉妹船であっても上部構造物の設計が個船ごとにまちまちだった。1949年の第4次計画造船を最後に標準船形は廃止され、一連の標準船シリーズは終わりを告げた。
- なお、第2次戦標船はその粗悪さから終戦時生存した船であっても戦後早期に淘汰解体されていった。特に昭和25年施行の「低性能船舶買入法」で大半が政府に売却され解体されている。もっとも、大型の2TL型タンカーや上記の国際船級取得工事を受けた2A型、青函連絡船では終戦時まで残存していた船や建造途中だった船*46が1960年代半ばまで、戦後に再設計・建造された改W型・改H型は1970年代前半まで第一線で活躍した。*47
- ところが、21世紀になっても、実は船体のみ2隻だけ現存する。広島県呉市安浦漁港の防波堤となっている第一武智・第二武智である。実はこの2隻は船体がなんとコンクリート製なのである。
正確には第2次戦標船2E型の設計を元に造られた広義の戦標船EC型(Cは「Concrete」の頭文字から採られている。)だが、マスト位置が変更されている以外はほぼ2E型そのままの形だったという。- コンクリートというといかにも水に沈みそうに思えるが、実は昔から世界中で研究されてきたもので、ある程度の実績はある。あの米軍すら戦時中鋼材不足対策で24隻建造している。
ただ建造時の型枠など資材が鋼鉄船よりかさみコストがかかるので、平時は全く顧みられることがなかった。コスト度外視で少しでも鉄材を節約したい戦時標準船ならではの船と言えるだろう。
搭載貨物量が若干少ないだけで能力的には遜色なかったという。また、機銃掃射などで損傷してもセメントを塗りつけるだけで簡単に修理できたという。
機関の騒音振動が少なく乗り心地も上々、性質上磁気機雷も反応しない。それに案外頑丈で、他船から追突されたものの無傷で相手だけ沈み、触雷しても小破しただけだった。 - 建造は後述するコンクリート製被曳航油槽船と共に武智造船所にて建造された。武智造船所はコンクリート船専用の造船所として兵庫県印南郡曽根町(現在の高砂市)の塩田跡を活用して1943年に完成した造船所であった。
- 竣工後、EC型貨物船は全て海軍省が所有したため、終戦まで船名に丸はつかなかった*49。終戦に伴い第二武智は大阪商船所有となり船名に丸がついた。
- 2隻は上部構造物が残ったまま防波堤にされたものの*50、朝鮮戦争時に金属泥棒によって破壊された*51。船体はコンクリートゆえ、現在まで盗まれることも錆び朽ちることもなく残存することができたのである。
どこもかしこも直線でできた船体形状とともに、わずかに残る鉄部分からは素人同然の稚拙な溶接跡が見て取れ、第2次戦標船がどのようなものだったかある程度想像することができる。
- コンクリートというといかにも水に沈みそうに思えるが、実は昔から世界中で研究されてきたもので、ある程度の実績はある。あの米軍すら戦時中鋼材不足対策で24隻建造している。
- また、EC型戦時標準船に先立ってコンクリート製被曳航油槽船が建造されている。こちらは鉄製被曳航油槽船のTE型戦時標準船*52の設計をベースにしており、全て海軍雑役船(重油船)に編入。呉海軍軍需部臨時付属の公称第6736号~公称第6740号となった。
乗組員もなく無動力で、 高速輸送船や護衛艦に曳航されて原油を運搬する目的で建造されたが、TE型と共にほとんど使用されず浮きタンクとして係留されることが多かった。曳航時の速力低下を懸念されたためと言われている*53。 - こちらは戦後に残存した1隻が伊勢が着底した地点にほど近い広島県呉市坪井漁港の防波堤として現存するほか、船体後半部のみとなった1隻が山口県笠戸島の海岸に座礁した状態で現存する。
- 戦後残存した14隻中、防波堤となった3隻を除く11隻中10隻は上述のB.V.船級取得工事を受け、1960年代半ばまで活躍していた*54。
- 姉妹船には、戦争末期に日本本土への石油輸送に成功したことで知られる三菱汽船のせりあ丸*55等タンカーとして活躍した船がいた一方、戦争末期に竣工したものの触雷沈没し、浮揚作業中に再度触雷沈没して二度と使えなくなった日本郵船の千曲丸や、1947年に竣工したものの、上述のように船主の大阪商船(現在の商船三井)にタンカーの運航実績がなかったため*56速攻で運輸省に売却され、船として使われることのないまま八戸港防波堤となった大杉丸*57といった悲運の船も存在する*58。
- 戦時中南方の日本軍占領地からの資源輸送船団は、連合軍潜水艦からの攻撃をしばしば受けていた。そこで、昭和18年に日本陸軍は商船に簡単な改造を施して若干の対潜哨戒機を搭載した簡易な護衛空母とし、輸送と船団護衛を同時に行える船を提案した。この提案に対して海軍は、沿岸基地からの陸上機による哨戒のほうが有効であるとして反対していたが、最終的に建造に同意した。そして、第1次から第4次までのTL型戦時標準船を原型として建造が決定したのが特TL型である。特2TL型以外の特TL型は以下の通り。
- 特1TL型は1TL型を設計変更したもので、海軍配当船として運航する予定だった。ミッドウェー海戦の敗北以降、空母不足に悩んでいた日本海軍は、場合によっては艦隊型空母の補助として艦隊戦に用いることも想定していた。4隻が割り当てられたが戦局の悪化により1945年3月に建造中止となり、しまね丸は完成直前の1945年7月に空襲を受け高松の近くの志度湾で擱座着底、大瀧山丸は進水はしたものの終戦直後、係留索が切れて逸走した挙げ句、アメリカ軍の磁気機雷に触れて沈没、大邱丸はキールと船体骨組みだけの状態で昭和24年の建造再開まで放置、大社丸は起工準備中に建造中止となった。
特3TL型は3TL型を設計変更したもので、原形の3TL型は2TL型をベースに機関を10000馬力の物に変更し最高速力19ノットを目指した船型。しかし実際には完成した原形船5隻中2隻は5000馬力の機関を搭載しているうえ、原形船で終戦までに竣工できたのはわずか3隻にすぎず*59、特3TL型は日の目を見なかった。
特4TL型は4TL型を設計変更したもので、原形の4TL型はこれまでのTL型戦標船が機関1基・1軸推進だったのを機関2基・2軸推進とし、最高速力22ノットを目指した船型*60。設計が完了した時期にはもはや南方に進出することすら困難なため、原形船すら起工されないまま建造中止命令が出された。
- 特1TL型は1TL型を設計変更したもので、海軍配当船として運航する予定だった。ミッドウェー海戦の敗北以降、空母不足に悩んでいた日本海軍は、場合によっては艦隊型空母の補助として艦隊戦に用いることも想定していた。4隻が割り当てられたが戦局の悪化により1945年3月に建造中止となり、しまね丸は完成直前の1945年7月に空襲を受け高松の近くの志度湾で擱座着底、大瀧山丸は進水はしたものの終戦直後、係留索が切れて逸走した挙げ句、アメリカ軍の磁気機雷に触れて沈没、大邱丸はキールと船体骨組みだけの状態で昭和24年の建造再開まで放置、大社丸は起工準備中に建造中止となった。
- 特2TL型は2TL型を設計変更したもので、陸軍特殊油槽船として運航することとなっていた。搭載機は空母としては三式指揮連絡機をあきつ丸より2機少ない6機を搭載。航空燃料タンクは特に設けられず、ガソリンを入れたドラム缶40本が積まれていた。
武装は対潜戦闘を重視しており、九三式水中聴音機や二式12cm迫撃砲も搭載されていた*61。もちろん、飛行甲板から下はタンカーなので、通常のタンカーと同様に油を輸送することができる。 - 2TL型は機関出力が落とされ速力が低下したため、海軍給油船としての運用は想定されていなかった。こちらの役目を担ったのは1TL型であるため、本来なら給油艦に適しているのは特1TL型のしまね丸であろう。しかし、タンカー不足からレイテ沖海戦では小沢機動部隊の補給部隊として2TL型の仁栄丸が駆り出されており、補給を行っている。しかし10月25日、屋久島近海にて米潜スターレットの雷撃を受け、撃沈されている。
- ここまで便宜上「陸軍空母」「護衛空母」と呼んできたが、実際のところあきつ丸などとはだいぶ性質が異なる。
あきつ丸は戦争後半こそ対潜哨戒空母のようになったが、本来自前の戦闘機で上空制圧をしつつ大発動艇をもりもり繰り出して敵前上陸を敢行するための船。
敵前上陸作戦の秘密兵器、陸軍の虎の子であって、一般輸送船のようなもったいない使い方はあまり想定されていない。
一方、特2TLは最初から輸送船団に混ざって対潜哨戒を行うための、量産可能な「対潜哨戒機も飛ばせるタンカー」であり、軸足はタンカー部分に置かれている。
つまり空母というより「対潜航空タンカー」とでもいうべき性質を持った船である。流星で敵空母の飛行甲板を爆砕するつもりの速吸より、もう少し守り寄りのタンカーといえる。 - なお、特2TL型となった2TL型は他に1隻だけいる。日本郵船の千種丸がそれで、1945年1月に進水はしたものの台風で流されて触雷、大破着底しそのまま終戦を迎えた。戦後に大洋漁業(現在のマルハニチロ)に売却されて浮揚修理がされ、竣工後は鯨油油槽船として1959年4月まで活躍した。
- また、岡田商船(戦後、オリオンシッピング、マリテックマネージメントを経て、2001年解散。)の瑞雲丸は呉への回航途中に潜水艦の攻撃を受けて大破したため、長崎に回航されて修理する際、並行して特2TL型への改装作業が行われていたとする資料があるが詳細は不明。こちらは戦後貨物船、次いでステーションタンカーに改装されて船主を転々とし、1964年6月に大阪で解体された。師匠からの瑞雲布教待ったなし…?
- ここまで便宜上「陸軍空母」「護衛空母」と呼んできたが、実際のところあきつ丸などとはだいぶ性質が異なる。
- 山汐丸が完成した昭和20年1月末時点では、もはや彼女が守るような船団は存在せず、それどころかタンカーとして海外産油地へたどり着くことすら不可能に近くなっていた*62*63
せっかく竣工したものの、そのような状況下で持て余された山汐丸はそのまま石炭焚きの貨物船への改造が決まってしまう。 - そしてその改造待機中の昭和20年2月17日、横浜港を襲った米58任務部隊艦上機の大空襲に遭遇。
飛行甲板があるため空母と思われたのか、集中攻撃を浴び250キロ爆弾1発とロケット弾多数が船尾付近へ命中、大破。浸水着底し船としての生涯を終えた。
完成からたった3週間、起工から数えても半年にも満たないという、あまりといえばあまりにも儚い生涯だった。- なお、着底状態のまま放置された彼女は終戦後、動けないにもかかわらず衝突事故に巻き込まれている。
昭和21年3月6日、完成目前で工事中止となり繋留放置されていた標的艦大指が浮遊機雷に接触。
爆発で錨鎖の切れた大指は無人のままふらりふらりと港内を漂流遊弋し、そのまま山汐丸にぶつかって沈没してしまったのである。
- なお、着底状態のまま放置された彼女は終戦後、動けないにもかかわらず衝突事故に巻き込まれている。
- 彼女の解体作業は昭和21年7月から始められたが、作業中の事故により船体が折れ、彼女は再び沈没。再度引き揚げて解体するには収支が合わないことが判明した*64。
やむなく上部を解体撤去された彼女は土砂を詰め込まれ船体を固定、岸壁として再利用されることとなった。
この通称「山汐岸壁」は、昭和31年に造船所拡張工事で撤去されるまで船舶の艤装作業用岸壁として使われた。
船としてはこの上なく薄幸だったものの、結果的に戦後日本で生まれる後輩たちのための足場となって、船としての生涯よりずっと長い期間活躍し続けたのだった。 - その後平成20年、山汐岸壁の跡地でみなとみらいセンタービルの建設工事が行われた際、残されたままの本船の錨が発見された。
現在、みなとみらいセンタービル脇の広場で保存展示されている。
ちなみに天霧は無改装と改二以降は持ち物が違ってるぽい。 -- 2024-11-10 (日) 01:40:17