No.542 | ||||
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![]() | Richard P.Leary (リチャード・P・リアリー) | Fletcher級 DD-664 駆逐艦 | ||
艦船ステータス(初期値/最大値) | ||||
耐久 | 17 | 火力 | 12 / 30 | |
装甲 | 7 / 20 | 雷装 | 20 / 62 | |
回避 | 43 / -- | 対空 | 32 / -- | |
搭載 | 0 | 対潜 | 49 / -- | |
速力 | 高速 | 索敵 | 20 / -- | |
射程 | 短 | 運 | 19 / 79 | |
最大消費量 | ||||
燃料 | 20 | 弾薬 | 20 | |
装備 | ||||
5inch単装砲 Mk.30 | ||||
SG レーダー(初期型) | ||||
装備不可 | ||||
装備不可 | ||||
改造チャート | ||||
Richard P.Leary → Richard P.Leary改?(Lv??) | ||||
図鑑説明 | ||||
Fletcher級駆逐艦、Richard P.Leary! 大戦の後半に就役して、太平洋戦線の上陸戦支援、 そしてスリガオ海峡夜戦にも参加したんだ。 戦後はHeywoodと共に護衛艦隊の再生に協力したの。 海自初期の護衛艦「ゆうぐれ」、憶えておいて! |
※初期値はLvや近代化改修の補正を除いた時の数値であり、改造直後の値とは異なります。
最大値はLv99の時の最大値を指します。
ゲームにおいて
- 2025/05/12アップデートにて通常海域の期間限定ドロップ艦として初登場。通常海域でのドロップによる新規実装は2018年の福江以来実に7年ぶりとなる。
2023年実装のHeywood L.Edwardsに続いての本艦の実装により、海上自衛隊の草創期に供与されたフレッチャー級駆逐艦2隻が艦これに揃った。- 南西諸島海域(2-X)でのドロップが運営から告知されており、これまでに2-3、2-4のボスマスでの邂逅が確認されている。なお、Heywood L.E.も同じく期間限定ドロップとなっている。
- 確率的には2-4のほうが高め(2-3が1%前後、2-4が2%と言われている)また2隻目もドロップする模様。
- 南西諸島海域(2-X)でのドロップが運営から告知されており、これまでに2-3、2-4のボスマスでの邂逅が確認されている。なお、Heywood L.E.も同じく期間限定ドロップとなっている。
- ビジュアルの初出は2023年発売の【「艦これ」運営鎮守府公式カレンダー二〇二四】の8月のイラストで、絵の上側にて同じく未実装の米艦と思われる艦娘と一緒に水着姿で登場している。
その後、実装に先駆けて、2025年4月22日からのローソンとの艦これ12周年コラボキャンペーンで発売された公式限定アクリルボードにて、Heywood.L.E.とペアでドレス姿のビジュアルがお披露目された。
- 性能に関してはほぼHeywood L.E.とほぼ同一であるが改造後等では雷装が3他、基本的に同じか高い関係で能力的には上位互換。持参装備等は全く同じ。
アップデート履歴
- 2025/05/12:期間限定ドロップ艦として実装。
キャラクター設定について
小ネタ
艦歴
- 元ネタはアメリカ海軍のフレッチャー級駆逐艦の一隻、「リチャード・P・リアリー」(USS Richard P.Leary, DD-664)。愛称は「アーピー(Arpy)」。
同じ造船所で同日に進水した姉妹艦の「ヘイウッド・L・エドワーズ」(DD-663)と共に1944年のスリガオ海峡海戦で日本海軍の西村艦隊と対決、戦後はこれまた共に海上自衛隊に供与されて草創期の主力の一翼を担った、日本と縁の深いフレッチャー級の一隻である。 - 艦名は19世紀後半のアメリカ海軍軍人、リチャード・フィリップス・リアリー少将(1842~1901)にちなむ。南北戦争、サモア危機、米西戦争に従軍し、米西戦争後はスペインからアメリカに割譲されたマリアナ諸島のグアム準州*2の初代海軍知事を務めた。
太平洋戦争
- リチャード・P・リアリーは1943年10月6日にボストン海軍工廠で進水、奇しくも隣の船台で建造されていた姉妹艦のヘイウッド・L・エドワーズと同日であった。1944年2月23日にフレデリック・S・ハベッカー艦長の下で就役、パナマ運河を経由して真珠湾へと移動する。
- 時は太平洋戦争の真っ直中。第56駆逐戦隊所属となったリチャード・P・リアリーは、1944年7月からのテニアンの戦いでは艦砲射撃を実施。同年9月からはパラオ諸島での戦いに参加し、ペリリュー島・アンガウル島上陸作戦における海兵隊や水中爆破チームの支援、周辺海域での哨戒や洋上での友軍機乗員の救助などに従事した。
- レイテ沖海戦に先立つ1944年10月、リチャード・P・リアリーはフィリピンへ移動して砲撃支援に従事。10月20日に軽巡洋艦ホノルルが日本側の航空魚雷により損傷した際には接舷して負傷者移乗等の救援活動を行っている。
- そして10月20日、スリガオ海峡にてジェシー・B・オルデンドルフ少将麾下の第77任務部隊第2群が日本海軍の第一遊撃部隊第三部隊(西村艦隊)を迎撃、スリガオ海峡海戦が生起する。
戦闘の詳細はヘイウッド・L・エドワーズ他の項に譲るが、リチャード・P・リアリーは姉妹艦のニューコム、アルバート・W・グラントと共に第56駆逐戦隊第1分隊を編制、西村艦隊に接近した同隊の放った魚雷二本が戦艦山城へのとどめとなった。
しかし、日米双方の激しい砲戦の中、敵味方からの砲弾でアルバート・W・グラントが大きく損傷し、無傷だったリチャード・P・リアリーはニューコムと共に同艦を支援しつつ退避した。 - 11月1日、第77.1任務群に配属されたリチャード・P・リアリーはレイテ湾での支援任務に従事するが、そこへ日本の神風特別攻撃隊が襲来、第48駆逐戦隊旗艦の駆逐艦アブナー・リードが特攻機の突入により沈没、駆逐艦クラストンが大破等の損害を受ける。リチャード・P・リアリーはクラストンの救援とアブナー・リードの生存者救助を行った。
その後もリチャード・P・リアリーはスリガオ海峡でのレーダーピケット任務や、1945年1月からのルソン島攻略で火力支援等に従事した。 - 1945年2月からの硫黄島の戦い、3月からの沖縄戦において、リチャード・P・リアリーは砲撃支援任務に従事。沖縄戦では火力支援からレーダーピケット任務、特攻迎撃、対潜、不時着機乗員の救助など多様な任務をこなした。4月6日に第56駆逐戦隊旗艦のニューコムが特攻機により大破した際には戦隊旗艦を継承している。
- 沖縄戦後、リチャード・P・リアリーはアラスカ州アダックへ派遣されアリューシャン列島方面での任務に就くが、その最中に終戦を迎えた。リチャード・P・リアリーは9月に大湊に到着、9月30日に日本を出港して米サンディエゴへと帰投した。
- 帰国後、リチャード・P・リアリーは不活性化措置を受け、1946年12月10日に退役、太平洋予備役艦隊に編入されてアメリカ海軍での経歴に終止符を打った。
第2次世界大戦においては損傷および戦死者等を出すことなく、戦功により従軍星章6個を受賞している。
戦後 ~海上自衛隊護衛艦「ゆうぐれ」として~
- 戦後、リチャード・P・リアリーはレイテ沖海戦以来の僚艦ヘイウッド・L・エドワーズと共に、日米艦艇貸与協定により発足間もない海上自衛隊への貸与が決定、つい9年前まで敵国だった日本で新たな艦歴を重ねることになった。
- 1959年3月10日に米国ロングビーチで日本側に引き渡されたリチャード・P・リアリーは、モスボール状態のまま曳船に引かれて日本の横須賀へと回航された。4月20日に自衛艦旗が授与されて正式に自衛艦*3となり、「ゆうぐれ」(DD-184)と命名された。一方、僚艦のヘイウッド・L・エドワーズは「ありあけ」(DD-183)と命名され、かつての初春型駆逐艦2隻の名前をそれぞれ受け継ぐことになった。
- 横須賀地方隊に編入されたリチャード・P・リアリー改め「ゆうぐれ」は、石川島播磨重工業東京第2工場にて「ありあけ」と同じくモスボール解撤工事および復原性改善工事(5インチ主砲3番砲、21インチ魚雷発射管、20mm機銃をすべて撤去)を行い、主任務が訓練用であることから実習員講堂の設置、燃料タンクの一部の真水タンクへの改造を行った。
- 「ありあけ」が公試中の主機タービン翼の折損事故で修理となったため、「ゆうぐれ」は先に1960年1月に再就役、5月からの第4次遠洋練習航海に参加した。翌年6月からの第5次遠洋練習航海には再就役した「ありあけ」と共に参加、以降1962年・1964年の計4回参加している。
また、1963年11月3日に大阪湾で実施された第6回自衛隊観艦式に受閲部隊の一隻として参加した。後に1970年11月3日に相模湾で実施された第11回観艦式にも受閲部隊として参加している。 - 1959年11月16日、「ゆうぐれ」は「ありあけ」と共に横須賀地方隊隷下に第1護衛隊を新編。1961年に第2護衛隊群が再編されると、第1護衛隊はその隷下となった。
その後、第1護衛隊は1963年12月10日に廃止され、「ありあけ」と「ゆうぐれ」は練習艦隊第2練習隊へ編入されている。 - 1962年10月からは「ありあけ」と同内容の特別改装工事(前部マストの三脚檣化、対空レーダーをSPS-12、対水上レーダーをSPS-10に換装、Mk.37射撃指揮装置のレーダー換装、Mk.57射撃指揮装置の新設、爆雷投下軌条1基と爆雷投射機(K砲)の撤去とMk.2短魚雷落射機の装備、士官室・CICの改造、艦橋構造物の拡張)を受け、さらに艦橋前の40mm対空機関砲2基を撤去してMk.10ヘッジホッグ対潜迫撃砲2基を装備した。しかし、「ありあけ」がその後さらに二度の大規模改装を受けて艦容を大きく変えたのに対し、「ゆうぐれ」は退役までそれ以上の大きな改装は行われなかった。
- 1970年3月2日に第2練習隊が廃止されると、「ゆうぐれ」は第2掃海隊群(現:掃海隊群)の旗艦となり、さらに1972年3月10日には第1潜水隊群の旗艦となった。この時、両舷後部に魚雷揚収用のダビットとレールを追加装備している。
- 「ありあけ」ほど大きな艦容の変化はなかったものの、「ゆうぐれ」も練習艦任務、海上防衛任務、掃海・潜水部隊の支援任務と多彩に活躍し、1974年3月9日に「ありあけ」と共に除籍、アメリカへ返還された。その後、1976年にスクラップとして台湾に売却され解体、日米を股に掛けた33年の生涯に幕を下ろしたのだった。
この艦娘についてのコメント
提案意見掲示板からのお知らせ
- ドロップ祈願や海域攻略祈願のために、wiki内神社というページが設置されました!ぜひご利用ください。
首脳部運営さんの作戦指揮ドロ率調整が拙かったからさ。」 -- 2025-05-15 (木) 09:26:58