No.396 | ||||
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Fletcher (フレッチャー) | Fletcher級 駆逐艦 DD-445 | |||
艦船ステータス(初期値/最大値) | ||||
耐久 | 18 | 火力 | 12 / 31 | |
装甲 | 7 / 20 | 雷装 | 20 / 60 | |
回避 | 45 / 82 | 対空 | 32 / 62 | |
搭載 | 0 | 対潜 | 50 / 83 | |
速力 | 高速 | 索敵 | 20 / 33 | |
射程 | 短 | 運 | 30 / 89 | |
最大消費量 | ||||
燃料 | 20 | 弾薬 | 20 | |
装備 | ||||
5inch単装砲 Mk.30 | ||||
533mm五連装魚雷(初期型) | ||||
装備不可 | ||||
装備不可 | ||||
改造チャート | ||||
Fletcher → Fletcher改(Lv55+高速建造材×10+開発資材×80) → Fletcher改 Mod.2(Lv88+改装設計図+高速建造材×30+開発資材×120) ⇔*1 Fletcher Mk.II(Lv90+高速建造材×30+開発資材×180) | ||||
図鑑説明 | ||||
最も成功し、量産された駆逐艦、そのネームシップが私、Fletcher class destroyer USS Fletcherです。 姉妹の数は170隻を超えているの。まさにデファクトスタンダード*2。 後に海上自衛隊にも配備されました。 |
※初期値はLvや近代化改修の補正を除いた時の数値であり、最大値はLv99の時の最大値を指します。
CV:宇民祐希、イラストレーター:ZECO
定型ボイス一覧
イベント | セリフ | 改装段階 | 備考 | 追加 | ||||
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未 改 造 | 改 | 改 M o d 2 | M K Ⅱ | 追加 | ||||
入手/ログイン | お疲れさまです。Fletcher級駆逐艦ネームシップ、Fletcher、着任しました。マザー、ですか?いえいえそんな……。皆さんのお役に立てるよう、頑張ります! | ◯ | × | × | × | 編集 | ||
お疲れさまです。Fletcher級駆逐艦ネームシップ、Fletcher、配置についています。提督、今日も皆さんのお役に立てるよう、わたくし、頑張りますね! | × | ◯ | ◯ | × | 編集 | |||
お疲れさまです。改装兵装の護衛駆逐艦、Fletcher。配置についています。提督、対潜戦闘はお任せを。近代兵装の力、存分にお見せします。行きましょう! | × | × | × | ◯ | 編集 | |||
母港*3 | 編集 | |||||||
母港1 | 詳細 | Lucky 13、お呼びになりましたか? | ◯ | ◯ | ◯ | ◯ | 編集 | |
母港2 | このNet、ですか? はい、色々役に立つんです。たとえば……。 | ◯ | ◯ | ◯ | ◯ | 編集 | ||
母港3 | なぁに? だぁれ? Jenkins? A、Admir……いえ、提督。どうされましたか? 出撃ですか? あ、この書類……これは先程、処理しておきました。 | ◯ | × | × | × | 編集 | ||
なぁに? だぁれ? Johnston? A、Admir……いえ、提督。どうされましたか? 出撃ですか? あ、この書類……これは先程、処理しておきました。 | × | ◯ | ◯ | ◯ | 編集 | |||
ケッコンカッコカリ | Engagement ring*4? Really? I…I love you so much*5……。 | ? | ◯ | ◯ | ◯ | 編集 | ||
ケッコン後母港 | お疲れですか?甘いもので回復されてはどうでしょう?私、美味しいPancakeとCoffee、用意しますね。 | ? | ◯ | ◯ | ◯ | 編集 | ||
放置時 | 姉妹達ですか? ……そうですか。 会ったことない子も多くて……。えーっと、そうです、100隻を余裕で超えるので。 | ◯ | ◯ | ◯ | ◯ | 編集 | ||
編成出撃 | 編集 | |||||||
編成 | Fletcher級駆逐艦1番艦、Fletcher。出撃します! | ◯ | ◯ | ◯ | ◯ | 編集 | ||
出撃 | 旗艦、Fletcherが預かります! 艦隊、抜錨! 続いてください。 | ◯ | ◯ | ◯ | ◯ | 編集 | ||
開戦・攻撃*6 | 編集 | |||||||
戦闘1 | 昼戦開始 | 敵艦隊発見! 全艦、戦闘態勢に! | ◯ | × | × | × | 編集 | |
Enemy in sight*7! 全艦、戦闘態勢に! | × | ◯ | ◯ | ◯ | 編集 | |||
戦闘2 | 昼戦攻撃 | Enemy in sight*8! Fire*9! | ◯ | × | × | × | 編集 | |
かかってらっしゃい! 一網打尽です! | × | ◯ | ◯ | × | 編集 | |||
近代兵装をなめないで。少し、痛いですよ。 | × | × | × | ◯ | 編集 | |||
戦闘3 | 夜戦開始 | 各艦、突撃隊形に。Fletcherに続いてください! 敵を追撃、撃滅します! | ◯ | ◯ | ◯ | ◯ | 編集 | |
戦闘4 | 夜戦攻撃 | 下がりませんよ。そこです! | ◯ | ◯ | ◯ | ◯ | 編集 | |
戦闘時ステータス*10 | 編集 | |||||||
小破 | きゃっ! | ◯ | ◯ | ◯ | ◯ | 編集 | ||
やだっ、だ、大丈夫!? | ◯ | ◯ | ◯ | ◯ | 編集 | |||
中破/大破 | やだっ、思いっきり被弾!? Damage control*11! | ◯ | ◯ | ◯ | ◯ | 編集 | ||
轟沈 | え...うそっ......まさか...沈んでる...?やだ...これが...沈むということ......これが......... | ◯ | ◯ | ◯ | ◯ | 編集 | ||
戦闘終了*12 | 編集 | |||||||
勝利MVP | また、Battle star*13ですか? ありがたいです。こういったものは、いくつ貰っても嬉しいですね! | ◯ | ◯ | ◯ | ◯ | 編集 | ||
旗艦大破 | やだっ、だ、大丈夫!? | ◯ | ◯ | ◯ | ◯ | 編集 | ||
装備・改修*14 | 編集 | |||||||
装備1 | 改修/改造 | I'm grateful for your support*15. | ◯ | ◯ | ◯ | ◯ | 編集 | |
装備2 | Thank you so much! 試してみますね。 | ◯ | ◯ | ◯ | ◯ | 編集 | ||
装備3 | 改修/改造/開発/バケツ/遠征/発見 | Everything is going well*16. | ◯ | ◯ | ◯ | ◯ | 編集 | |
その他 | 編集 | |||||||
帰投 | Operation complete*17. 無事、帰投しました。 | ◯ | ◯ | ◯ | ◯ | 編集 | ||
補給 | Supply has been completed*18! ありがとうございます。 | ◯ | ◯ | ◯ | ◯ | 編集 | ||
入渠(小破以下) | I'm sorry……少し、下がりますね。 | ◯ | ◯ | ◯ | ◯ | 編集 | ||
入渠(中破以上) | 提督、申し訳ありません。この身体、修理が必要です……。 | ◯ | ◯ | ◯ | ◯ | 編集 | ||
建造完了 | 新造艦の建造が完了しました。就役可能です。 | ◯ | ◯ | ◯ | ◯ | 編集 | ||
戦績表示 | Informationですね。お待ちください。 | ◯ | ◯ | × | × | 編集 | ||
Information? 了解です、お待ちください。 | × | × | ◯ | ◯ | 編集 |
時報ボイス一覧
時刻 | セリフ | 改装段階 | 備考 | 追加 | |||
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未 改 造 | 改 | 改 M o d 2 | M K Ⅱ | 追加 | |||
00 | 提督。今日は私、Fletcherが身の回りのお世話をさせていただきます。どうぞよろしくお願いいたします。 | × | ◯ | ◯ | ◯ | 編集 | |
01 | It is one o'clock*19. 提督、静か……ですね。 | × | ◯ | ◯ | ◯ | 編集 | |
02 | It is two o'clock. まだまだお仕事、大変ですね。Coffeeをお持ちしますね。 | × | ◯ | ◯ | ◯ | 編集 | |
03 | It is three o'clock. Coffee、おかわりをお持ちしますね。少しお待ちください。 | × | ◯ | ◯ | ◯ | 編集 | |
04 | It's four o'clock. 一番眠い時間ですね。提督、どうかご無理なさらず。 | × | ◯ | ◯ | ◯ | 編集 | |
05 | It's five o'clock. 提督、見てください。夜が明けそうです。1日が始まりますね。 | × | ◯ | ◯ | ◯ | 編集 | |
06 | It's six o'clock. おはようございます、提督。熱いCoffeeをここに。 | × | ◯ | ◯ | ◯ | 編集 | |
07 | It's seven o'clock. 朝食はこちらに。卵はFried bacon*20でよかったでしょうか? | × | ◯ | ◯ | ◯ | 編集 | |
08 | It's eight o'clock. 提督、Would you like to refill your coffee*21? | × | ◯ | ◯ | ◯ | 編集 | |
09 | It's nine o'clock. さあ、出撃です! | × | ◯ | ◯ | ◯ | 編集 | |
10 | It's ten o'clock. 演習も大切です。 | × | ◯ | ◯ | ◯ | 編集 | |
11 | Eleven. 提督。Johnstonも、頑張っているんですね。ふふっ……。あ、もうすぐお昼です。 | × | ◯ | ◯ | ◯ | 編集 | |
12 | It's noon. Lunchにしましょう。Fletcher特製、BLTサンド*22をご用意しました。Coffeeはここに! | × | ◯ | ◯ | ◯ | 編集 | |
13 | It's one o'clock. Lucky thirteenですね。さあ、お仕事再開です! 午後も頑張ってまいりましょう。 | × | ◯ | ◯ | ◯ | 編集 | |
14 | It's……あら大変! 提督、前方右舷に漂流者が! | × | ◯ | ◯ | ◯ | 編集 | |
15 | It's three o'clock. 救助作業、完了です。 | × | ◯ | ◯ | ◯ | 編集 | |
16 | It's four o'clock. このNet、実は本当に色々お役立ちなんです。提督もいかがですか? | × | ◯ | ◯ | ◯ | 編集 | |
17 | It's five o'clock. 見てください。ほら、Sunsetがあんなに……。綺麗……本当に……。 | × | ◯ | ◯ | ◯ | 編集 | |
18 | It's six o'clock. さあ、そろそろDinnerの時間ですね。お待ちください、用意します。 | × | ◯ | ◯ | ◯ | 編集 | |
19 | It's seven o'clock. さあ、召し上がれ! Dessertは特製Pancake! どうぞ! | × | ◯ | ◯ | ◯ | 編集 | |
20 | It's ei……ああ、あれが噂の3rd Squadron*23……夜なのに、元気……。ふふ、にぎやかですね。 | × | ◯ | ◯ | ◯ | 編集 | |
21 | It's nine o'clock. 提督、食後のCoffeeはいかがですか? ……はい! お持ちします! | × | ◯ | ◯ | ◯ | 編集 | |
22 | It's ten o'clock. Pancake、いかがでしたか? 私、少しだけ得意なんです。……よかった♪ | × | ◯ | ◯ | ◯ | 編集 | |
23 | It's eleven o'clock. 提督、今日は大変お疲れ様でした。Good night。 | × | ◯ | ◯ | ◯ | 編集 |
季節ボイス一覧
季 節 | イベント | セリフ | 改装段階 | 備考 | 追加 | |||
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未 改 造 | 改 | 改 M o d 2 | M K Ⅱ | 追加 | ||||
春 | 桃の節句 | 編集 | ||||||
春の訪れ | 編集 | |||||||
ホワイトデー | こちらを私に? ……提督、Thank you so much……嬉しい、です。 | ◯ | ◯ | ◯ | ◯ | 編集 | ||
春 | 編集 | |||||||
春本番 | 編集 | |||||||
夏 | 梅雨 | この地では、この季節は雨の日が多いんですね。でも、それはそれで楽しいですね! 毎日素敵です。 | ◯ | ◯ | ◯ | ◯ | 編集 | |
初夏 | 編集 | |||||||
夏 | 編集 | |||||||
盛夏 | 編集 | |||||||
夏祭り | 編集 | |||||||
秋 | 秋 | この国では、秋にTraditional*24なお祭りが色々催されるのですね。とても興味深いです。……あっ、あれは? | ◯ | ◯ | ◯ | ◯ | 編集 | |
秋刀魚 | 密かに待っていました、この時を! Sanma Fes! わたくしのこのnetが、お役に立ちますね! えっ、装備が違う? | ◯ | ◯ | ◯ | ◯ | 編集 | ||
晩秋 | 編集 | |||||||
ハロウィン | 編集 | |||||||
秋のワイン | 編集 | |||||||
冬 | 冬 | 編集 | ||||||
師走 | 編集 | |||||||
クリスマス | 編集 | |||||||
年末 | 編集 | |||||||
新年 | Happy new year! 提督、今年もどうぞUSS Fleet、そして私も、よろしくお願いいたします。 | ◯ | ◯ | ◯ | ◯ | 編集 | ||
節分 | 編集 | |||||||
バレンタイン | 提督、よかったらこちらを召し上がってください。特製のChocolate pancake。甘くて、ほろ苦いんです。 | ◯ | ◯ | ◯ | ◯ | 編集 | ||
周 年 | 二周年記念 | 編集 | ||||||
三周年記念 | 編集 | |||||||
四周年記念 | 編集 | |||||||
五周年記念 | 編集 | |||||||
六周年記念 | 編集 | |||||||
七周年記念 | Congratulations seventh anniversary! おめでとうございます! | ◯ | ◯ | ◯ | ◯ | 編集 | ||
八周年記念 | Congratulations eighth anniversary! 提督、おめでとうございます! | ◯ | ◯ | ◯ | ◯ | 編集 |
ゲームにおいて
- 2019年5月25日実装。イベント『発動!友軍救援「第二次ハワイ作戦」』後段作戦 E-4 のドロップ艦。
- 前回のイベントで実装されたJohnstonと同じFletcher級駆逐艦の、ネームシップ。基本的な特性もJohnstonと同じなのでそちらを参照。
キャラクター設定について
- 一人称は「 私」。
- カチューシャはフレッチャー級前期型の艦橋を模していると思われる。艦橋の前面に丸い形状をした操舵室があり、左右と後面に露天の通路が張り巡らされているのが特徴で、日差しを防ぐひさしもあったが対空戦闘時に見えづらいと不評であった。
- 網を持っているのはルンガ沖夜戦でのエピソードに基づくと思われる。
フレッチャーはアメリカ海軍の艦艇に救助用として装備されていた2つのフローターネット*25の他に4枚のカーゴネットを舷側に垂らし、そこをノーザンプトンの乗組員達は登ったのである。断じて秋刀魚漁のためではない、ハズ
……と思っていたのだが、2019/10/25追加の秋刀魚ボイスで漁に使う気満々だったことが判明した。 - 母港ボイスではルソン島の戦いで僚艦だったDD-447ジェンキンスに言及する(改では台詞該当部がJohnstonに変化)。
- 図鑑説明では一見フレッチャー自身が海上自衛隊に配備されたようにも読み取れるが、実際にありあけ型護衛艦として配備されたのは元フレッチャー級のHeywood L.E.、リチャード・P・リアリーである。主語が抜けているので非常に紛らわしい。
- 地味に「会ったことのない妹が居る」ことを正直にネタにする珍しい艦娘である。??「ねぇねぇ矢矧ぃ?この娘だぁれ?」??「ぴゃあ~」*26
- 衣装の設定資料が公開されている。
限定グラフィック
- 2020/07/31に水着modeが追加された。
- 白い水着で、いつものネットを日除けのように頭に乗せている。
限定イラスト:水着mode
- 2022/04/23に花束modeが実装された。
- いつものヘッドギアではなくヘアバンド状になっていて、網をヴェールのように垂らしている。Mk.IIとは形状が違うほか、改以上ではついている星がついていない。
スカートは薄いレースのものと二重になっているが、大きくスリットが入って大胆。
限定グラフィック:花束mode
- いつものヘッドギアではなくヘアバンド状になっていて、網をヴェールのように垂らしている。Mk.IIとは形状が違うほか、改以上ではついている星がついていない。
小ネタ
略歴(前期)
1941 | 10.2 | ニュージャージー州カーニーのフェデラル・シップビルディング・アンド・ドライドック社でラドフォードと並んで起工。このとき22隻の姉妹たちが各地で建造中であり、彼女たちは7ヶ月後には全て完成した |
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1942 | 5.3 | F・F・フレッチャー夫人によって進水。この日フレッチャーの他にグリーヴス級駆逐艦メルビンとクイックも進水した |
6.30 | 竣工。太平洋艦隊に配属される。初代艦長はウィリアムMコール少佐、副長はジョセフCワイリー大尉。彼らは乗組員を短期間の訓練でまとめ上げた | |
8.13 | オバノン、カウィーと共にウインドワード海峡で雷撃された商船を捜索し船の残骸と死体一体を発見。翌日、生存者89名を救助。船団を護衛しながらグアンタナモ湾に戻った | |
9.4 | オバノン、アルベマールと共にパナマ運河へ向け航海中、水中で静止している目標を発見し爆雷を4回投下。航空機のタイヤ4つが浮かび上がってきた | |
10.5 | ニューカレドニア島ヌーメアに到着。以来ガダルカナル島への護衛・哨戒任務に従事 | |
10.30 | ルンガを砲撃する。847発の5インチ砲弾を発射、反撃はなかった | |
11.13 | 第三次ソロモン海戦第一夜戦に参加、無傷で切り抜ける | |
11.29 | ルンガ沖夜戦に参加、僚艦ドレイトンと共に重巡ノーザンプトンの生存者を救助 | |
1943 | 2.11 | 潜水艦伊18を撃沈 |
4.23 | 5.4 | 修理のためオーストラリアのシドニーに寄港 | |
6.19 | 9.27 | 本国でのオーバーホールのためエスピリトゥ・サント島を出港、同年9月27日にヌーメアに帰港 | |
12.5 | マーシャル諸島航空戦に機動部隊護衛として参加 | |
12.9 | 真珠湾に帰港 | |
1944 | 6.8 | ビアク島攻略戦に参加、第二次渾作戦中の日本艦隊を迎撃 |
10.12 | レイテ島への輸送船団を護衛 | |
1945 | 1.8 | ルソン島の戦いを支援、日本軍機1機を撃墜 |
2.14 | ロス・コチノス岬の日本軍砲兵陣地を艦砲射撃中に被弾、死者8名、負傷者3名を出す | |
4.30 | 触雷したジェンキンスの負傷者を移乗し、オーバーホールのために西海岸へ向かう | |
8.15 | 終戦 | |
1947 | 1.15 | 退役 |
略歴(後期)
1949 | 10.3 | DDE-445として再就役 |
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1950 | 5.1 | サンディエゴを出港、第7艦隊所属になる |
6.30 | 竣工。太平洋艦隊に配属される | |
7.3 | 韓国沖に到着。以降朝鮮半島沖で任務に従事 | |
9.13 | 9.17 | 仁川上陸作戦の支援に参加 | |
11.11 | 真珠湾に帰港 | |
1951 | 11.19 | 真珠湾を出港、空母の護衛に参加 |
1952 | 6.20 | 真珠湾に帰港 |
9.5 | 11.24 | マーシャル諸島沖での核実験(アイビー作戦)に参加 | |
1953 | 5.4 | 11.30 | 極東での任務に従事 |
1955 | 第一次台湾海峡危機で対潜護衛任務を担当 | |
1957 | サモアとオーストラリアを航海、対潜水艦戦訓練を行う | |
1958 | ||
1962 | 6.30 | DD-445に再指定 |
1965 | ベトナム戦争に参加、空母護衛や艦砲射撃に従事 | |
1969 | ||
8.1 | サンディエゴで退役し、同日除籍 | |
1972 | 2.22 | スクラップとして売却 |
- アメリカ海軍のフレッチャー級駆逐艦のネームシップ、フレッチャー(Fletcher, DD-445)。
- 艦名は1914年の米塁戦争時にベラクルス上陸を指揮し名誉勲章を受章したフランク・F・フレッチャー海軍大将に因む。
- フレッチャーの名は1980年就役のスプルーアンス級駆逐艦(DD-992)にも使用されたが、こちらはフランク・F・フレッチャーの甥で珊瑚海海戦やミッドウェー海戦で空母ヨークタウンに座乗したフランク・J・フレッチャー海軍大将に因んでいる。
- fletcherはもちろん苗字だが、一般名詞としては矢を作る者という意味がある。
- 艦のモットーはFirst in Class。イッチバーン姉ちゃんと話が合いそうである。なお一度両者は交戦したことがある。
- アメリカ海軍の軍艦の例に漏れず、フレッチャーにも複数の愛称があった。
フレッチャーはラッキー 13(Lucky 13)、ファイティング・フレッチャー(The Fighting Fletcher)、マザー・フレッチャー(Mother Fletcher)と呼ばれており、ドロップ文や時報にも登場している。- ちなみに、ラッキー13という愛称は第三次ソロモン海戦でのエピソードに由来する。
第三次ソロモン海戦の第一次夜戦では日米両艦隊が大混戦を繰り広げ、多くの艦が多かれ少なかれ損傷を受けた。
しかし米艦隊の中ではフレッチャーだけ全く損害を受けなかった。
フレッチャーの艦番号445を足すと4+4+5=13、第三次ソロモン海戦で所属していた部隊は第67任務部隊で数字を足すとこれも6+7=13、フレッチャーがいたのは全部で13隻いるアメリカ艦隊の最後尾である13番目。
極めつけは第一次夜戦が起きた日は1942年11月13日の金曜日であった。
これだけ忌み数字の13という数字が揃っていたにもかかわらず被害がなかったことから、フレッチャーの乗員たちにとって13という数字は幸運の象徴になったのであった。 - 1945年の2月14日、ロス・コチノス岬の戦で被弾しても戦闘を継続したことからファイティング・フレッチャーという愛称に。
1949年再就役後多くの新人乗組員が乗船し長年にわたり乗組員の入れ替えを行いつつ新人を育てたことからマザー・フレッチャーという愛称に。フレッチャーは私の母になってくれるかもしれなかった艦娘だ!
- ちなみに、ラッキー13という愛称は第三次ソロモン海戦でのエピソードに由来する。
フレッチャー級駆逐艦について
- 大戦中盤以降、米海軍駆逐艦の主力となったクラスである。
1941年度および1942年度計画で総数175隻が建造され、終戦までに全艦が完成。19隻が戦没、6隻が修理不能の判定がなされ150隻が第二次大戦を生き延びた。
朝鮮戦争時も何隻かは現役であり、ベトナム戦争時にもまだ現役がいた。アメリカ海軍においては1971年に全て退役した。 - 175隻という数もさることながら、短期間で大量建造されたにもかかわらず艦ごとの性能のばらつきが少なく、数と質を兼ね備えた優れた工業製品だった。
- 数だけで言えばアメリカはWWI期に「平甲板型(4本煙突型)」駆逐艦を計273隻建造しているが、これらは造船所ごとで艦や主機の性能にムラがあった。
- ロンドン条約で駆逐艦は排水量1,850トン以下、1,500トンを超える艦は合計排水量の16パーセントまでと定められた。
やがて条約脱退を前提として大型駆逐艦の建造に踏み切った帝国海軍と異なり、米海軍では条約切れ後もしばらく1,600トン前後の中型駆逐艦の建造を続けていた。しかし初春型同様、この排水量で全ての性能要求を満たすのは困難であり、トップヘビー問題にも依然として悩まされていた。
そこで問題を一挙に解決すると共に、同時期に計画されていた主力艦に対し5ノットの優速を実現するべく、2,000トンを超える大型駆逐艦として計画されたのが本級である(なお建造中に太平洋戦争が勃発し、隻数確保の観点から、1,600トン級のベンソン/グリーブス級も継続して建造されている)。 - 前級・ベンソン/グリーブス級が5インチ砲5門・21インチ5連装魚雷発射管2基で計画されつつも、結局トップヘビーにより対空砲・レーダーを増備するためにそれぞれ1基減とせざるを得なかったのに対し、本級では大型化により同じ武装を問題なく実現することができた。
- 外観の特徴は、強いシア(反り返り)を付ける事で艦首艦舷を確保した平甲板型の船体。
当時の標準であった長船首楼型に対し船体強度を確保しやすい(同じ強度ならより軽量に作れる)のがメリットだが、どうしてもデッドスペースが発生するため船体容積的に不利な点と、建造に際し高い工作精度が要求される点がデメリット。米海軍の場合、WW1期に「平甲板型(4本煙突型)」駆逐艦*27を大量建造しており、その経験を踏まえて再度踏み切ったものである。
この独特の平甲板型船体は本級の直接の発展型である「アレン・M・サムナー」級駆逐艦および「ギアリング」級駆逐艦を経て、戦後の「フォレスト・シャーマン」級駆逐艦、「ミッチャー」級嚮導駆逐艦(→フリゲート)、「チャールズ・F・アダムス」級ミサイル駆逐艦まで引き継がれ、つい最近までその姿を残していた。
また、この船体設計をそっくり巡洋艦サイズに拡大したのが「アトランタ」級軽巡洋艦であり、こちらは戦後に対潜巡洋艦(→フリゲート)「ノーフォーク」へと発展した。その後の多くの米艦艇の母体となったのが本級なのである。 - 前期型は操舵室の床が約20cmほど海図室の床より高くなっており、操舵室の天井もまた高くなっている。
後期艦は操舵室の形が四角くなっており、全周に露天回廊が張り巡らされており、ひさしもなくなり対空戦闘時に見えやすくなったと好評であった。
また床の高さも海図室と同一となり操舵室の天井の高さも当然同一となり、前期型より1m弱低くなっている。またMk37方位盤も低い位置に変更された。
戦闘時にはジョンストンのように副長がCICに陣取って情報を整理して、艦橋で指揮をとる艦長に伝達するのが一般的であった。
今でも人間の目による見張りは重要であるが、この時代、レーダーが苦手な低空目標の探知、IFFも混戦時には役に立たないため人間の目による迅速な敵味方識別等見張りのし易さは必要とされていた。
建造スケジュール的に変更の可能な艦から順次切り替えられ、全175隻中前期型が58隻、後期型が117隻という内訳。
本艦DD-445は当然ながら前期型、DD-557「ジョンストン」、DD-663「ヘイウッド・L・エドワーズ」は後期型である。*28 - 兵装は前述した5インチ38口径両用砲単装5基5門・21インチ5連装魚雷発射管2基のほか、対空・対潜兵装は時期により変遷を重ねている。
- 初期艦の就役時の対空兵装は3番・4番砲間の架台に28mm4連装機銃1基、艦橋の両脇に20mm単装機銃2挺、中央部に20mm単装機銃4挺、後部に12.7mm単装機銃3挺を装備していたが、28mm機銃はすぐ銃身が過熱し故障も多かった。20mm機銃は射程が短くて敵機が突入してくる最終段階でしか使えず、12.7mm機銃は威力が不足し、貧弱であった。
増強が重ねられ最終的には、
・ボフォース40mm連装機銃×5(艦橋前両舷・2番煙突両舷・3番4番砲間)
・エリコン20mm単装機銃×7(2番発射管両舷2挺ずつ・後甲板機銃座3挺)
これが標準兵装となっている。
また大戦末期には特攻機対策として、1番発射管を撤去し2番煙突脇の機銃座を前方に拡大、そこの40mm連装機銃を4連装に換装する改装が進められたが、16隻に実施した所で終戦となっている。 - 対潜兵装はMk3爆雷投下軌条が2つ、Mk.6 片舷用爆雷投射機(K砲)が6基、QCソナーが装備されていた。なお英米の艦艇ではアクティブソナーをパッシブとしても使うのでパッシブソナーはないのが一般的である。
- 初期艦の就役時の対空兵装は3番・4番砲間の架台に28mm4連装機銃1基、艦橋の両脇に20mm単装機銃2挺、中央部に20mm単装機銃4挺、後部に12.7mm単装機銃3挺を装備していたが、28mm機銃はすぐ銃身が過熱し故障も多かった。20mm機銃は射程が短くて敵機が突入してくる最終段階でしか使えず、12.7mm機銃は威力が不足し、貧弱であった。
- また変わった装備として、初期艦のうち3隻(DD-477「プリングル」・DD-479「スティーブンス」・DD-480「ハルフォード」)は2番発射管・3番砲に替えて航空機用カタパルトを搭載し、OS2Uキングフィッシャー水上偵察機1機を運用可能な駆逐艦として竣工している。
「駆逐艦から水偵飛ばせれば便利じゃね?」という、誰もが一度は考えるアイデアであり、早速船団護衛で運用テストが行われたのだが……結論はボツ。駆逐艦程度の大きさでは荒天時の水上機の収容は無理と判定され、3隻とも速やかに他艦と同様の装備に改められてしまった。- なお駆逐艦に水上機を積むというアイデアを初めて本格的に実行したのはオランダ海軍であり、1928年から1931年にかけて各4隻が就役したファン・ゲント級とファン・ガレン級駆逐艦*29が完成時からファン・ベルケルW-A水上機1機を搭載して植民地であったオランダ領東インド(現在のインドネシア)の警備などに重宝したという。ただしカタパルトはなくクレーンで海面に下ろして運用しており、第二次世界大戦が始まるまでには航空設備は撤去されたという。
- また、日本海軍も1930年代、桃型駆逐艦の「樫」の魚雷発射管を撤去して九〇式一号水上偵察機1機を搭載する改造が行われている。
「樫」は水上機搭載のまま1937年6月満州国海上警察隊に譲渡され「海威」と改名されている。1942年6月に艦名そのままで日本海軍に貸与という形で再編入(このとき水上機を搭載していたかは不明)、1944年10月10日那覇港外にて米第38任務部隊艦載機の爆撃を受け沈没した(那覇空襲、十・十空襲とも)。
- 主機はバブコック・アンド・ウィルコックス缶(一部の艦はフォスター・ホイーラー缶)4基+ゼネラル・エレクトリック製オールギヤードタービン2軸、60,000馬力。蒸気圧力43.3kg/cm²/蒸気温度454℃(ちなみに島風は40kg/cm²/400℃)。前級ベンソン/グリーブス級に引き続き、缶・機・缶・機の交互配置としている。
- 目標通りに「主力艦に対し5ノット優速」とは行かなかったものの、最大速力36.5ノットを得ている……が、これは計画値であり公試速力は35ノット前後。さらに燃料弾薬を満載した実戦状態では30ノット台前半に落ち込んだようである。
- 航続力は15ノット巡航で6,500海里。……が、これも計画値で、公試では15ノット/4,800海里。さらに実戦状態では15ノット/4,490海里と判定されている。18ノット/5,000海里で計画され実際には6,000海里に達したと言われる陽炎型に比べるとどう見ても脚が短いのは否めず、概ね白露型に相当する航続力である。
これでも特に制約なく空母機動部隊の随伴までこなせたのは、つまりタンカーや駆逐艦母艦なども(当然護衛艦艇も含めて)大量に揃えて十分な支援体制を整えられたからである。逆に言えば、タンカーや前線基地まで揃えている余裕が無かったからこそ、駆逐艦にまで無茶な航続力を求めざるを得なかったのが帝国海軍だったのである。
- 終戦とともに残存艦の多くが退役しモスボール状態とされたが、現役に留まった艦は40mm機銃を3インチ連装速射砲(Mk.33)に更新した。
40mm4連装搭載仕様をベースとし、2番煙突前の4連装機銃を3インチ砲に置き換えると共に、3番砲を撤去して3番4番砲間の連装機銃座を拡大しそこに1基を搭載。5インチ砲×4・3インチ連装速射砲×3・5連装魚雷発射管×1という構成になった。
同時に艦橋前両舷の連装機銃はヘッジホッグ対潜迫撃砲に換装され、レーダー機器の重量増加に対応して主マストを三脚式としている。 - これとは別に、潜水艦の高速化に対抗するため護衛駆逐艦(DE)に代わり艦隊型駆逐艦を対潜護衛艦(DDE)に転用する事になり、フレッチャー級のうち18隻が改装を受けた。
2・3・4番砲と5連装魚雷発射管を撤去し、2番砲跡に旋回式ヘッジホッグ、甲板室に固定式連装長魚雷発射管と3インチ連装速射砲を1基または2基、といった内容である(該当艦はハル・ナンバーはそのまま、艦種記号のみDD→DDEに変更)。 - そして1960年代に入るとDD-446「ラドフォード」・DD-447「ジェンキンス」・DD-449「ニコラス」の3隻がFRAM-II改装を受け、「ウェポン・アルファ」対潜ロケット(Mk.108)、短魚雷発射管、そして無人対潜ヘリコプター・QH-50「DASH」の運用能力を与えられた。
さらに多くの艦が改装される予定だったが、予算問題のためサムナー/ギアリング級の改装に絞る事になり、上記の3隻のみに留まっている。 - この間、朝鮮戦争に伴い多くの艦がモスボール状態から復帰しているが、これまで述べたような近代化改装を何ら受けず、5インチ5門・40mm連装機銃5基・5連装魚雷発射管2基という大戦時そのままの姿で行動した艦も存在する。
さらにそのまましばらく運用する事になり、もはや有効でない機銃と魚雷は全て撤去して短魚雷だけ追加、ミサイル時代に入ろうかという時に5基の主砲を維持したまま使われ続けた艦までいたりする。 - かように、戦後のフレッチャー級のプロフィールは個艦ごと時代ごとに様々である。興味があれば調べてみるのも一興であろう。正直、沼です
175隻の姉妹たち
- ネームシップはDD-445「フレッチャー」(1942年6月30日就役)、最終艦はDD-804「ルークス」(1944年9月20日就役)。
最初に完成したのはDD-449「ニコラス」(1942年6月4日)、最後に完成した艦はDD-597「ワイリー」(1945年2月22日)。 - 最初に進水したのは「ニコラス」とDD-450「オバノン」の2隻だった(1942年2月19日)が、この2隻は戦後の再就役(1951年2月19日)や退役(1970年1月30日)が同日だっただけでなく太平洋戦争や戦後の朝鮮戦争、ベトナム戦争まで多くの期間を共に過ごしているなど因縁浅からぬ関係だった。
また従軍星章(バトルスター)受章数は「ニコラス」が30個で米海軍歴代艦艇の中で最多、「オバノン」も太平洋戦争において17個で米海軍駆逐艦では最多など殊勲に恵まれた艦である。
- フレッチャー級は初期に建造された艦達がソロモン諸島での夜戦に参加、レイテ島の戦いでは艦隊防空と地上砲撃を行い、沖縄では神風攻撃を防ぐレーダーピケット任務に就いた。44隻が10個以上の従軍星章を受領し、19隻が海軍部隊表彰、16隻が大統領部隊感状を受けたように武勲に恵まれた。
- ソロモン諸島の戦いではDD-469「ド・ヘイブン」、DD-467「ストロング」、DD-451「シャヴァリア」の3隻が失われたものの、先にソロモン海に進出し損害を重ねていた1,600t級駆逐艦達の穴を埋め戦局を支えた。
- 揚陸作戦中に撃沈された「ド・ヘイブン」は、フレッチャー級初の喪失艦であった。
- 「フレッチャー」と「オバノン」は第三次ソロモン海戦の第一夜戦で奮戦。「フレッチャー」は夕立を航行不能に追い込んだともいわれ、参加した米艦艇で唯一損傷らしい損傷を受けずに生還。「オバノン」は暁を撃沈した。
- 「フレッチャー」はルンガ沖夜戦にも参戦し、上述のように重巡「ノーザンプトン」の乗員を救助している。
- アーレイ・バーク大佐率いる「リトル・ビーバーズ」(第23駆逐戦隊)は1943年5月11日、DD-570「チャールズ・オースバーン」(旗艦)、DD-511「フート」、DD-512「スペンス」、DD-569「オーリック」、DD-571「クラクストン」、DD-572「ダイソン」、DD-509「コンバース」、DD-514「サッチャー」のフレッチャー級駆逐艦8隻により編成された。
- 「リトル・ビーバーズ」はブーゲンビル島沖海戦やセント・ジョージ岬沖海戦に参加し、特にセント・ジョージ岬沖海戦ではレーダーを活用した戦術で日本駆逐艦隊に夜戦で完勝を収めた。
- スリガオ海峡海戦ではジェシー・グラント・カワード大佐率いる第54駆逐戦隊、ローランド・N・スムート大佐率いる第56駆逐戦隊(いずれもフレッチャー級)、ケンモア・マシュー・マクメーン大佐率いる第24駆逐戦隊(5隻がフレッチャー級)が西村艦隊に対して水雷突撃を敢行している。
- 第54駆逐戦隊の東方隊(DD-688「リメイ」、DD-678「マクゴーワン」、DD-680「メルヴィン」)は雷撃により扶桑を爆発炎上させ、西方隊(DD-798「モンセン」、DD-677「マクダーマット」)は雷撃により山雲を撃沈、満潮、朝雲、山城を大破させた。
- 第56駆逐戦隊の旗艦DD-586「ニューコム」、DD-649「アルバート・W・グラント」、DD-664「リチャード・P・リアリー」の第1小隊は山城に正面から突撃を敢行、「アルバート・W・グラント」が山城の反撃で落伍するものの、雷撃に成功。DD-481「ロイツェ」、DD-662「ベニオン」、DD-663「ヘイウッド・L・エドワーズ」の第2小隊は西側から雷撃。DD-480「ハルフォード」、DD-563「ロビンソン」、DD-665「ブライアント」の第3小隊は東側から雷撃を敢行している。
- 第24駆逐戦隊(DD-476「ハッチンズ」、DD-470「バッチ」、DD-519「デイリー」、DD-593「キレン」、DD-471「ビール」、オーストラリア海軍のトライバル級駆逐艦「アランタ」)は雷撃により満潮に止めを刺した。
- サマール沖海戦では強力な日本艦隊に対し、DD-532「ヒーアマン」、DD-533「ホーエル」、DD-557「ジョンストン」が護衛駆逐艦4隻と共に果敢に戦いを挑んだ。
- ソロモン諸島の戦いではDD-469「ド・ヘイブン」、DD-467「ストロング」、DD-451「シャヴァリア」の3隻が失われたものの、先にソロモン海に進出し損害を重ねていた1,600t級駆逐艦達の穴を埋め戦局を支えた。
- レイテ沖海戦以降、フレッチャー級駆逐艦にも度々神風特別攻撃隊による被害があった。とくに沖縄戦では後輩のアレン・M・サムナー級とともに単艦での危険なレーダーピケット任務に就くことが多く、大きな被害を出している。
- DD-526「アブナー・リード」は1944年11月1日、フィリピン沖で第1ニコルス基地より発信した第701海軍航空隊攻撃第102飛行隊第二天兵隊の九九式艦上爆撃機が突入、誘爆の末沈没している。この際、火災により魚雷発射管が誤作動し、危うく同士討ちしそうになっている。
- DD-529「ブッシュ」は1945年4月6日、沖縄沖で菊水一号作戦・第一次航空総攻撃の特攻機3機が時間差で突入し船体断裂して沈没した。また1機目突入後に「ブッシュ」を救援するために駆けつけていたDD-801「コルホーン」も格好の標的となり、特攻機4機の突入を受け大破炎上、自沈処分された。
- DD-478「スタンリー」は1945年4月12日、鹿屋基地より出撃した第721海軍航空隊攻撃第708飛行隊第3神雷特別攻撃隊の一式陸攻二四丁型が放った桜花11型が艦首に突入、反対側に貫通して爆発したため沈没は免れたものの大破し修復不能となった。
- DD-477「プリングル」は1945年4月16日、沖縄沖で菊水三号作戦・第三次航空総攻撃の特攻機の突入を受け、キール破損しジャックナイフ状態で沈没した。
- DD-531「ヘイゼルウッド」は、沖縄戦の最中、1945年4月29日鹿屋基地を発進した第5航空艦隊第721海軍航空隊戦闘第306飛行隊第九建武隊の西口徳次中尉操縦による零戦の特攻を食らい大破、多数の戦死者を出した。
- DD-579「ウィリアム・D・ポーター」は1945年6月10日直撃こそ免れたものの撃墜した特攻機が近距離で爆発し、その衝撃で艦艇に穴が空いて沈没した。幸いにも乗員は全員脱出し死者は0だった。
ちなみに彼女は米海軍史上最大のミスをやらかしてしまった艦として有名。詳しくはIowaの項目を参照。 - DD-591「トゥイッグス」は1945年6月16日夜、瀬長島付近で哨戒中に夜間雷撃を受け、投下機はそのまま旋回して突入して自爆。「トゥイッグス」は大破炎上の後、弾薬庫が誘爆して沈没した。米側記録では彗星となっているが、魚雷を搭載できない上に当該機が存在しない。状況から第931海軍航空隊の天山が夜間雷撃後、被弾のため自爆したと推測されるがはっきりしない。
- DD-792「キャラハン」は1945年7月28日未明、台湾・虎尾基地から宮古基地を経由し発進した第29航空戦隊第132海軍航空隊中練隊第三龍虎隊の九三式中間練習機「赤とんぼ」(複葉布張りの練習機)の突入を受け炎上の末弾薬庫が誘爆し沈没。これは神風特攻隊による最後の撃沈戦果となっている。
- ハルゼー台風とも呼ばれるコブラ台風にも巻き込まれており、1944年12月18日に第23駆逐戦隊のDD-512「スペンス」が沈没している。
- トップヘビーな設計が原因とされることがあるが、これは同時に沈没したファラガット級駆逐艦2隻と混同していて厳密には誤り。
- 「スペンス」は連日の出撃で燃料が非常に少ない状態となっており、前日の17日に戦艦からの洋上給油を試みたが時化が始まっており失敗に終わる。
- このため喫水が大きく下がった状態で台風に突入する羽目に。そして応急注水の判断が遅れたなどの不手際も重なり転覆沈没してしまった。
- 時化の中での沈没だったため救助活動も行えず、生存者は24名のみ。残る317名が殉職する大惨事となってしまった。
- ちなみに、この台風にはオルモック湾への輸送作戦から帰還する途中の駆逐艦「竹」も遭遇しているが、戦闘で損傷して片舷航行であったにもかかわらず暴風雨の海を平然と航行して帰投している。戦時急造艦であっても第四艦隊事件の教訓を生かしていたのが功を奏していたと言えるだろう。
- 「フレッチャー」が伊18を、「ラドフォード」が伊19を、「ニコラス」が伊175(米護衛空母「リスカム・ベイ」を撃沈)を撃沈するなど、対潜戦での戦果も多い。
- 第三次ソロモン海戦の第一夜戦の翌日、退却中の米巡洋艦「ジュノー」を撃沈した伊26を哨戒機が発見し、「フレッチャー」が追撃したが逃げられている。
- ……とされるが、「フレッチャー」の戦闘日誌に当日対潜行動を行ったという記録はなく、伊26を追跡した可能性は極めて低い。
- 「オバノン」はジャガイモを投げて潜水艦を撃退するという変わった戦果も挙げている。
1943年4月5日の夜、浮上中だった呂号第三十四潜水艦に遭遇した「オバノン」は体当たりしようとしたが直前で機雷敷設艦と勘違いして回避したため真横に並んでしまった。俯角をかけても撃てないほど接近していたうえに、呂三十四の乗員が甲板上の8cm砲で反撃しようとしているのが見えた。
接近戦を想定していなかったので「オバノン」の乗員は当然銃を持っておらず、やけになった乗員は近くに保管されていた食料のジャガイモを投げつけた。暗闇の遭遇戦であり、ジャガイモを手榴弾と勘違いした呂三十四の乗員は慌ててジャガイモを捨てながら呂三十四を「オバノン」から離し潜航させた。そして「オバノン」は砲撃と爆雷で呂三十四を撃沈したのだった。*30
この椿事はアメリカ本土にも伝わり、メイン州のジャガイモ農家は「オバノン」に記念のブロンズ製プレートを贈っている。このプレートは1970年代までメイン州バス*31のメイン海洋博物館に展示されていたが、現在は所在不明である。
- 第三次ソロモン海戦の第一夜戦の翌日、退却中の米巡洋艦「ジュノー」を撃沈した伊26を哨戒機が発見し、「フレッチャー」が追撃したが逃げられている。
- 戦後は32隻がかつて敵であった日独伊を含む西側各国に供与されて活躍している。
- 日本の海上自衛隊には「ヘイウッド・L・エドワーズ」(DD-183「ありあけ」)と「リチャード・P・リアリー」(DD-184「ゆうぐれ」)の2隻が供与され、1959年から1974年まで使用されていた。前述のようにこの2隻はスリガオ海峡海戦で西村艦隊と交戦している。
- 2022年冬コミのKADOKAWA公式ブースで発売された「2023年実装予定の最新艦娘」の公式グッズにて、ヘイウッド・L・エドワーズが実装されることが明らかになった。その後、2023年早春イベントE-2にて夕暮と共に実装された。
- 供与艦のうち、1970年にメキシコに供与され「クィトラワク」と改名されたDD-574「ジョン・ロジャーズ」は2001年まで同国海軍で現役であり、これが最後の現役艦であった。保存のためにアメリカに返還の予定があったが結局現地で解体された。
- 日本の海上自衛隊には「ヘイウッド・L・エドワーズ」(DD-183「ありあけ」)と「リチャード・P・リアリー」(DD-184「ゆうぐれ」)の2隻が供与され、1959年から1974年まで使用されていた。前述のようにこの2隻はスリガオ海峡海戦で西村艦隊と交戦している。
- 現存するのはギリシャに「ヴェロス」(DD-581「チャレット」)、アメリカ国内にDD-537「ザ・サリヴァンズ」、DD-661「キッド」、DD-793「カッシン・ヤング」の4隻である。
戦歴
- 1941年10月2日にニュージャージー州カーニーのフェデラル・シップビルディング・アンド・ドライドック社で起工、1942年5月3日、名前の由来であるフランク・F・フレッチャー提督*32の未亡人によって進水する。
- 進水したころは太平洋戦争緒戦で、日本軍の快進撃が続くさ中、前線では1隻でも戦力が欲しい時期であり、10月にはソロモン諸島に進出して護衛作戦、哨戒作戦に従事する。そして1か月後の11月半ば、ヘンダーソン飛行場を再度砲撃で破壊しようとする日本艦隊を迎え撃つ艦隊に、フレッチャーは合流する。
フレッチャーVS霧島!~第三次ソロモン海戦第一夜戦~
- 1942年11月12日、第三次ソロモン海戦第一夜戦、フレッチャーのウィリアム・M・コール艦長は不機嫌であった。戦艦2隻を含む有力な日本艦隊に対し、巡洋艦5隻と駆逐艦8隻で戦わねばならなかったからである。「頭おかしいんじゃないか」コール艦長は吐き捨てた。
- 11月13日の夜1時30分にサボ島南西にてレーダーが日本艦隊を発見した。1時49分、左舷前方の敵艦がAtlantaをサーチライトで照射し、アメリカ艦隊は砲撃を開始した。
- フレッチャーは距離5500ヤードで砲撃開始、それはサーチライトで照らし出され、3本の煙突と2本のマストが見えた長良であり、他の艦からも砲撃されていたが、集中砲火はその後方にいた比叡に移動した。また、長良の側で爆発し火災を起こした暁が見えた。
- 1時53分、砲撃止めの命令がキャラハン提督よりあり砲撃をやめ、1時55分新たな目標に砲撃開始、なお天龍型巡洋艦となっているがおそらくは長良であり、小さな爆発の後沈んだと報告しているが誤認と思われる。
- 1時56分、日本駆逐艦からの魚雷がやってきた。フレッチャーの前方にいた駆逐艦バートンは艦の中央に命中し轟沈、フレッチャーにも右舷から5本の魚雷が向かってきていた。
発見したときはもう手遅れであった。一本は前方、もう一本は後方、3本はフレッチャーの下を通った。魚雷の深度が深すぎて命中しなかったのである。 - この時点でアメリカ艦隊で無傷なのは駆逐艦3隻のみ。それでも攻撃を続行した。激戦の中、一時的に凪が訪れ、コール艦長はワイリー副長に聞いた「ビル、俺たちは今いったいどこにいるんだ?」レーダースクリーンを見て状況を把握していたワイリー副長は「艦長、今我々はクソッタレの日本艦隊どもの真ん中にいます、右か左かに舵をきって脱出しましょう」。
- 左舷エンジンを後進させ、操舵手は舵輪を回して急旋回し、全速力で事前に決められていた合流地点である、南方のガダルカナル島沿岸を目指した。
- このときレーダーが左舷後方に追尾してくる艦を発見、砲術長は合流地点に向かっている味方だろうと考えた。だが用心として射撃方位盤をそちらに向け、発令所にMk1コンピュータの操作を命じ、発令員はノブを動かしクランクを回して調整し砲撃諸元を計算、全自動モードに切り替え、レーダーから直接入力されたデータにより人を介すること無く砲を操作した。
- 照明弾が上方で炸裂して辺りを照らし、フレッチャーの乗組員達は日本戦艦霧島を見たのであった。
- そしてある砲術士官は言った「なぜあいつらは俺たちを撃たないんだ?見えてるだろう」。それはフレッチャー乗組員全員の疑問であった。霧島の砲はフレッチャーを追尾したものの一発も発射されることはなかった。
- コール艦長はただちに煙幕を張り、面舵いっぱいを命じ、今来たコースを逆戻りして霧島へ突撃した。それは世にもまれなる駆逐艦と戦艦の一騎打ちであった。発令所からのデータをもとに魚雷の照準をセットし水雷長は「艦長、一回目は何発撃ちますか?」と聞いた。返答は「全部撃て、二度目はない」であった。魚雷10発が発射され、しばらく後に爆発の閃光が見えた。しかし霧島にはなんの損害もなく、この時期のアメリカ魚雷は欠陥があったため早発だったと思われる。駆逐艦と戦艦の一騎打ちはどちらにも損害なく終わった。そしてこれが開始から24分に渡る海戦の終わりでもあった。
- 夜戦を終えてアメリカ海軍第67任務部隊第4群で行動可能な艦は軽巡ヘレナ、重巡サンフランシスコ、防空巡洋艦ジュノー、オバノン、スタレット、フレッチャーであり、全体の指揮をヘレナ艦長のギル・フーバー大佐がとった。
- 日本軍による方位測定を恐れ、オバノンを分離してマキラ島の北方で戦闘の速報を打電させ、本隊はマキラ島の南方を通ってエスピリトサントへ向かっていた。
- 隊列は先頭にヘレナ、その後ろにサンフランシスコ、スタレットがヘレナの左舷前方、フレッチャーが右舷前方で対潜哨戒にあたっており、ジュノーはフレッチャーの真後ろ1500ヤードか2000ヤードに位置していた。
- 11時頃、コール艦長とワイリー副長は海図室にいた。深夜の戦闘で疲れ切っていたため、副長は医務室に医療用ウィスキー1本を艦橋まで持ってくるように命じた。それをコーヒーカップに注いだとき、大きな爆発音と衝撃を感じ、ふたりが艦橋を飛び出し艦橋両脇のウイングから後方を見ると、ジュノーが木っ端微塵となり破片が飛び散っていた。
- ワイリー副長はエンジンテレグラフを出力一杯にあわせ、コール艦長は上甲板の総員隠れろと叫んだ。破片はフレッチャーには当たらなかったが、5インチ連装砲塔がまるごと一つフレッチャーの後方100ヤード以内に落ちてきた。
- なおウィスキーはこの騒ぎの中いつの間にか消えていた。多分操舵手の誰かが飲んでしまったのだろうと副長は思っている。
- この大爆発の中で誰かが生きてるとはワイリー副長には思えなかった。それでもコール艦長は生存者を救助すべく面舵いっぱいを命じた。このとき、爆発の原因に関してアセチレン溶接の炎が弾薬に引火して爆発したのだろうと艦長と副長は語り合った。
- 150度くらい回頭したところでヘレナのフーバー艦長から対潜警戒にもどれと命令がきた。15分後に長文の発光信号がやってきた。隊列の左舷から雷撃され、ヘレナとサンフランシスコの間を魚雷が通過し、ジュノーの方向に進んでいった。エスピリトサントまでの進路に、2ないし3隻の日本潜水艦が待ち伏せていると思われる。
- フレッチャーはこの魚雷を見なかったし、また警戒態勢にもなかった。
- この日、南太平洋で戦闘可能な巡洋艦はヘレナだけであり、対潜能力があったのはフレッチャーだけであった。フレッチャーを生存者捜索と救助に向かわせて、そこを潜水艦に狙われたら? フレッチャーが離れてる間に無防備のヘレナ達が攻撃されたら? フーバー艦長はこのわずかな戦力を無事に帰還させる義務があったのである。
- だが生存者を見捨てたことが問題となり、南太平洋艦隊司令部はフーバー艦長を帰還後解任し、ワイリー副長は不当な判断だと思った。
- 襲撃してきたのは潜水艦「伊26」で、サンフランシスコを狙った雷撃がジュノーの左舷中央部の弾薬庫に直撃し、ジュノーは20秒足らずで轟沈した。
- およそ一時間ほどたったころ、アメリカ陸軍南西太平洋司令部(マッカーサー大将)配下のB-17がやってきた。ヘレナはB-17に対し、発光信号でジュノーが沈んだこと、沈没位置を送信、B-17からは応答信号が送られた。だがこれはどこかで消えてしまい、南太平洋艦隊司令部には届かなかった(ワイリー副長は「納得いく説明はその後40年以上経っても全くない」と述べている)。
- 翌朝、捜索機が海上に生存者100名ほどを発見、だがPBYカタリナがやってきたときにはわずか6名、さらに1名が駆逐艦に救助され、また3名がゴムボートで小さな島へたどり着き原住民に助けられた。これがすべてであった。これは決してコール艦長の責任ではないが、彼は見捨ててしまったことを生涯忘れなかった。
ルンガ沖夜戦
- 第三次ソロモン海戦後、補給を済ませたフレッチャーは再び哨戒任務などに従事していたが、11月29日夜、フレッチャーは重巡3、軽巡1を中核とする第67任務部隊に加わり、東京急行を阻止すべくガダルカナル島方面へ出撃する。
夜半、輸送任務のために接近してきた第二水雷戦隊を発見した第67任務部隊は先頭のフレッチャー以下前衛の駆逐艦4隻が突入、巡洋艦部隊がそれに続いた。フレッチャーは搭載する魚雷10本すべてを二水戦へ発射したが、僚艦のも含めて全て命中しなかった。- その後第67任務部隊は警戒の為突出していた日本駆逐艦高波を集中砲撃してこれを大破させるが、その間に残りの駆逐艦が魚雷を発射、これが巡洋艦部隊に殺到、結果重巡洋艦Northamptonが沈没、他重巡洋艦2隻が大破するという大損害を被ってしまう。
前衛の米駆逐艦は魚雷攻撃後に二手に分かれ、フレッチャーは損害を受けなかった軽巡洋艦Honoluluと合流する。その後ノーザンプトンの生存者を救助後エスピリトゥサント島に帰投した。
- その後第67任務部隊は警戒の為突出していた日本駆逐艦高波を集中砲撃してこれを大破させるが、その間に残りの駆逐艦が魚雷を発射、これが巡洋艦部隊に殺到、結果重巡洋艦Northamptonが沈没、他重巡洋艦2隻が大破するという大損害を被ってしまう。
その後のフレッチャー
- その後もフレッチャーは東京急行等のガダルカナル島への輸送作戦妨害任務に従事、翌1943年4月にシドニーに帰港して休息をとると6月に本土に帰還、本格的なオーバーホールを受ける。9月末に前線に戻ったフレッチャーはギルバート諸島の戦いやビアク島沖海戦などに参加、1944年10月20日にはレイテ島への上陸を行う部隊の援護もしている。
- 1945年5月、オーバーホールの為再び本土に帰還、そしてそのまま終戦を迎える。その後1947年1月に退役となるが、1949年の朝鮮戦争勃発と共に護衛駆逐艦として再就役、戦争終結後再び退役となるが1965年にベトナム戦争が起こると再び就役と老体にムチ打ちながら活動を続け、1969年8月に漸く除籍となる。保存する案もあったが幾多の退役からの復活で多くが改装された船体は、既にオリジナルの姿はなく、こういった要因もあり実現しなかった。
1972年2月にスクラップとして売却され、長い人生を閉じた。
CICコンセプト
現代の軍艦においてレーダー、ソナー、通信など自艦の状態に関する情報を集約し、指揮・発令を行う部署をCIC(Combat Information Center)と呼ぶ。海戦にCICコンセプトを適用する試みは第三次ソロモン海戦とルンガ沖夜戦においてフレッチャー副長だったジョセフ・C・ワイリーが先鞭をつけた。
- ワイリー大尉は、操舵手の後ろで船の操舵を指揮する伝統的な役割ではなく、航海艦橋に隣接する海図室にあったSGレーダーのPPIスコープを覗いて周囲の状況を把握し、艦長にそれを伝達したが、これが非常に有効であることがわかった。さらに壁にかけられていた航跡記録機を床におろして水平にし、PPIスコープに表示された他艦の航跡と速度を記録できるように改良した。
- ワイリー副長は1943年より駆逐艦にCICコンセプトを適用するためのケイラブ・バレット・ラニング中佐のプロジェクト・チームに参加し、駆逐艦にCICを導入するためのハンドブックを作成した。
- フレッチャー初代艦長ウィリアム・M・コール少佐はレーダーの専門家であった。艦長就任前に、ワシントンDCのアナコスティアにあった海軍研究所で勤務していたことがある。家族には霧の向こう側を透視できる研究をしていると語っていた。フレッチャー級は建造時からSGレーダーを搭載した最初の駆逐艦であり、フレッチャーのSGレーダーの製造番号は2番であった。
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私はそれは嫌なので、それもあってドロした米駆はすべて保持し続けている(フレ5,ジョン5,サム6w、エロ1)。 -- 2024-10-16 (水) 23:25:02