No.415 | ||||
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Helena(ヘレナ) | St. Louis級 2番艦 軽巡洋艦 | |||
艦船ステータス(初期値/最大値) | ||||
耐久 | 39 | 火力 | 30 / 60 | |
装甲 | 17 / 40 | 雷装 | 0 / 32 | |
回避 | 33 / 65 | 対空 | 30 / 72 | |
搭載 | 4 | 対潜 | 0 / 36 | |
速力 | 高速 | 索敵 | 18 / 64 | |
射程 | 中 | 運 | 9 / 59 | |
最大消費量 | ||||
燃料 | 35 | 弾薬 | 55 | |
搭載 | 装備 | |||
0 | 6inch三連装速射砲 Mk.16 | |||
2 | 未装備 | |||
2 | 未装備 | |||
装備不可 | ||||
改造チャート | ||||
Helena → Helena改(Lv45) | ||||
図鑑説明 | ||||
USS CL50 Helenaです。 St. Louis class 軽巡 2番艦として建造されました。 真珠湾空襲を経験、エスペランス岬沖海戦、第三次ソロモン海戦、 そしてクラ湾の夜戦で日本海軍の精鋭と激しく戦いました。 |
※初期値はLvや近代化改修の補正を除いた時の数値であり、改造直後の値とは異なります。
最大値はLv99の時の最大値を指します。
セリフ | CV:森山由梨佳、イラストレーター:A士 |
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入手/ログイン | My name is Helena. St Louis class 軽巡洋艦二番艦 USS CL50 Helena よろしくね! |
母港/詳細閲覧 | いいじゃない、Helenaと行きましょう? |
What can i do for you? | |
母港/クリック時 | 真珠湾でも、ワスプの時もソロモンでも、ホント好き勝手やってくれたわよね、貴方達? ……ま、夜の戦いは気をつけるようにするわ。今は味方同士、仲良くやりましょ? |
母港/詳細閲覧【節分】 | セッツブーンね。……そして、来ると思ったわJapanese Destroyers! さあ、返り討ちよ! |
母港/詳細閲覧【バレンタイン】 | Chocolate? why?誰に? ……ふふっ、嘘よ。はい、用意してあるわ。ここのcultureなんでしょ? |
母港/詳細閲覧【Xmas】 | Merry Christmas! 提督、楽しみましょ! 今日は、飲んじゃいましょ♪ |
ケッコンカッコカリ(反転) | |
ケッコン後母港(反転) | |
編成/出撃 | St Louis class USS Helena、抜錨する。さぁ、出港よ。 |
出撃 | USS CL50 Helena、出撃よ。見てなさい。 |
開戦/攻撃 | あれは……! 警報、Enemy in sight! 戦闘配置、急いで。 |
夜戦開始 | 夜。嫌な感じだけど……潰しに行く? |
攻撃/航空戦 | 近づけるな、fire! |
連撃/弾着観測射撃/夜戦攻撃 | ちっ、すばしっこい! |
小破 | んあああっ!? 何すんの!? |
小破/旗艦大破 | Oh my god…やだぁ、もう…… |
中破/大破 | ああっ!なんてこと、もう…… |
勝利MVP | ヘレナが殊勲賞を? I will be appreciated! 有り難くいただきますね。 |
帰投 | 無事なご帰還よ。I want to be next. |
補給 | I appreciate your kindness. |
改装/改修/改造 | Ok. |
Good! | |
改装/改修/改造(遠征選択/アイテム発見) | That's good! |
入渠(小破以下) | うぅーんもう、また修理。やんなっちゃう。 |
入渠(中破以上) | 結構重傷よ? ……今度会ったら、ただじゃおかないから! |
建造完了 | complete. |
戦績表示 | 情報は大事。不意打ちはごめんだもの。 |
轟沈(反転) | Helena、ここまでですか。……水が、冷たい。……提督、また逢いましょう。また……っ。 |
時報 | 改で実装 |
放置時 | そうね、艦隊戦では、電子兵装が大事。何より、レーダーは大事よ。 戦いが終わってから、気づいても遅いの。 |
ゲームにおいて 
- 2020/07/11実装。Atlantaに次ぐ米軽巡。防空巡でない純粋な米軽巡としては彼女が初となる。
- 初登場イベント「侵攻阻止!島嶼防衛強化作戦」ではE-5とE-6でドロップした。
ドロップするマスがかなり多かった事もあり、同イベントの新規艦の中では入手しやすい部類に入る。
- 初登場イベント「侵攻阻止!島嶼防衛強化作戦」ではE-5とE-6でドロップした。
- 穏やかそうな外見とは裏腹に性能は昼戦完全特化タイプであり、なんと最終的な火力はAbruzzi級どころか重巡の古鷹改二や摩耶改二すらも超えてしまう。
- 防御面も軽巡では中々高めで、耐久は軽巡1位・装甲は神通改二等と並び2位タイとなる。また改装するとスロット数が増えるので器用性も申し分ない。
- 史実では魚雷発射管や爆雷を装備していなかったためか、初期の雷装・対潜は0になっている。
その為、昼戦は最強だが夜戦は最弱という非常に両極端な艦となってしまっている。詳しい性能は改装後のページを参照。基本的には夜戦火力をあまり必要としない6-3等に向く。- 雷装・対潜が0の時の挙動は大淀のページを参照。
キャラクター設定について 
- 両脇の5inch両用砲をよく見ると顔が付いており、中破時には表情が変わる。砲配置的には秋月型の長10cm砲ちゃんに似てる。
- 改で中破すると……。
- 左手で保持している6inch三連装速射砲 Mk.16の載った銃型武装は、ブローニング・オート5がモデルだろう。
- 銃器デザインの天才ジョン・ブローニングが1898年に開発したセミオートショットガンで、オート5の名称はチューブ弾倉に4発、薬室に1発の計5発装填できることが由来。
軍用としては第一次世界大戦から使われ、第二次世界大戦、朝鮮戦争を経て、ベトナム戦争でも使われた。
日本でも、太平洋戦争末期に民間から供出されたオート5が海軍陸戦隊に配備されたという話も。- ちなみに開発は1898年という19世紀末、日本で言えば明治時代の代物だが、21世紀の現在も民間で使用されている息の長い散弾銃である。
- 銃器デザインの天才ジョン・ブローニングが1898年に開発したセミオートショットガンで、オート5の名称はチューブ弾倉に4発、薬室に1発の計5発装填できることが由来。
小ネタ 
略歴
1936 | 12.9 | ニューヨーク海軍工廠にて起工 |
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1938 | 8.27 | 進水 |
1939 | 9.18 | 就役 |
1941 | 12.7 | 真珠湾攻撃に遭遇、雷撃機の魚雷が命中し20人が死亡 |
1942 | 9.15 | 伊19の雷撃で炎上したワスプの乗員400人を救助 |
10.11 | サボ島沖海戦に参加、日本艦隊をレーダーで探知する | |
10.26 | ワシントン、サンフランシスコ、アトランタらと共に南太平洋海戦に参加 | |
11.3 | 船団護衛中に伊172をレーダー探知、同艦の撃沈に貢献する | |
11.13 | 第三次ソロモン海戦第1夜戦に参加 | |
1943 | 2.11 | 搭載機(SOCシーガル)が潜航中の伊18を発見、フレッチャーに通報する(伊18はその後フレッチャーにより撃沈) |
7.4 | 輸送中の第三水雷戦隊に遭遇、魚雷と陸上砲撃によりストロングが撃沈される | |
7.5 | 輸送中の第三水雷戦隊に再度遭遇し交戦(クラ湾夜戦)。ホノルル、セントルイスと共に新月を撃沈するも、谷風、涼風からの魚雷が命中し沈没 |
- 元ネタはアメリカ海軍のセントルイス級軽巡洋艦の2番艦「ヘレナ」(CL-50)。艦名はモンタナ州の州都ヘレナに由来し、その名を持つ艦としては2隻目となる。
セントルイス級について
- アメリカ海軍が最上型に対抗して建造した9隻のブルックリン級の内、最後の2隻(セントルイス、ヘレナ)は小改良が施されており、「セントルイス級」として区別される場合がある。最上型に対する鈴谷型のようなものである。
ブルックリン級は、ロンドン条約で保有量を制限された重巡洋艦の穴埋めとして計画された。計画案には前2・後部艦橋を挟んで後3とした配置や4連装4基を前2・後部艦橋を挟んで後2とした案、果ては前方に5基全ての3連装砲塔を集めた案などもあったが、ニューオーリンズ級重巡洋艦と同程度な装甲に15.2cm砲12門を搭載する、9,600トンクラスの軽巡洋艦として設計が決まった。しかし、日本海軍が最上型軽巡洋艦を建造している情報が入ったことで、15.2㎝砲を15門搭載し、排水量をロンドン条約制限一杯の1万トンを誇る大型巡洋艦となった。
攻撃力について
- セントルイス級は、ブルックリン級と同様、5基15門もの6inch三連装砲を搭載し、最大の特色となっている。カタログ上1門当たり8~10発/分とされる速射はライバルである最上の5発/分を上回り、この砲を前3・後2で日本の妙高・高雄と同じピラミッド式に配置している。
- なお8~10発はカタログ値(公試でCL-42サバンナが1393年3月、計138発を発射した際のレートとして記録)なので実戦ではそこまでの早さにはならない。砲身長が最上の60口径に対して47口径と比較的短く、初速・射程ともかなり劣るので、主砲の実戦力としては、最上型とほぼ互角と見るのが妥当だろう。
- 実際に蓋を開けてみると、夜戦において日本の水雷戦隊や巡洋艦群を相手に6inch砲では突撃を阻止できず、致命的な雷撃を屡々許したことで威力不足を痛感し、大威力の8inch砲を短時間に速射する必要性から砲戦型巡洋艦最大・最強のデ・モイン級へと繋がっていくことになる。
- 副砲・対空砲としてはアメリカ艦の代名詞とも言えるMk.12 38口径5inch両用砲を、セントルイス級から巡洋艦として初めて採用した。原型のブルックリン級では一つ前の25口径砲だったが本級では改良としてこの砲を連装4基搭載し、原型とのわかりやすい識別点となっている。
- なおブルックリン級3番艦サバンナはフリッツXによる損傷からの修復時に副砲を38口径5インチ連装砲塔4基に換装しており、セントルイス級と類似したシルエットになった。
- 機銃兵装はブルックリン級同様、当初はブローニング12.7mm機銃単装8挺だけだったが、後にスタンダードであるエリコン20mm機銃やボフォース40mm機銃に置き換えられた。
- 一方で、ポートランド級以降の重巡と同様に、オマハ級まで搭載していた魚雷はブルックリン級より廃止された。本級はワシントン条約の補助艦上限1万トンの中で火力のみならず後述の防御力にも大きく意を払った結果、魚雷まで搭載する余裕はなくなったのである。
- 他国は片舷3~6門程度の発射管を搭載しており、酸素魚雷の誕生で最終的に駆逐艦と同レベルの片舷8門(しかも次発装填装置付)にまで至った日本ほどではないが、各国とも大型艦や同クラス艦との戦闘用の切り札として、魚雷を捨てることはなかった。逆に言えば、魚雷を捨てるという事はそういった実戦における選択肢の柔軟性を捨てるのと同義である。
その気になれば積めない事は無かったはず(特に、ニューオリンズ級は排水量1万トンを切っている)の魚雷を、あえて捨ててまで防御に意を配ったという事は、「魚雷を必要とせず、より防御が必要とされる」運用コンセプトがあった事を意味する。雷装を廃止した巡洋艦は他に伊Zara級の例があるが、クラスを越えて一貫して雷装廃止に動いたのはアメリカのみであり、極めてユニークな事象といえる。
- 他国は片舷3~6門程度の発射管を搭載しており、酸素魚雷の誕生で最終的に駆逐艦と同レベルの片舷8門(しかも次発装填装置付)にまで至った日本ほどではないが、各国とも大型艦や同クラス艦との戦闘用の切り札として、魚雷を捨てることはなかった。逆に言えば、魚雷を捨てるという事はそういった実戦における選択肢の柔軟性を捨てるのと同義である。
防御力について
- ブルックリン級は各国と同じく、ワシントン条約やロンドン条約で制約のかかる中で誕生した「条約型巡洋艦」である。そのため設計にはそれまでの知見が盛り込まれているが、その一つに防御装甲の大幅な強化が挙げられる。当時整備された各国の重巡洋艦は排水量の制限に苦しみ総じて火力の割に装甲が薄く、最も強固な高雄型やZara級でも部分的な5~6inchが最厚だった。
- ブルックリン級ではこの教訓から6inch砲搭載艦でありながら重巡と同等以上の装甲が施され、舷側5inch(127㎜)と水平2inch(50.8㎜)に達し、砲塔前面に至っては6.5inch(165.1㎜)にもなった。これは軽巡としては最強レベルで、弾片防御25mmに甘んじていた日本はもとより、英サウサンプトン級51mmや仏ラ・ガリソニエール級100mm、伊アブルッツィ級135mm(共に主砲塔前盾の装甲厚)等と比べても遙かに強固で、抗堪性は世界一、二を争うものとなった。
機動力について
- ブルックリン級が缶缶機機のオーソドックスな配置だったが、新型の高圧缶採用を機に配置を見直し、缶機缶機のいわゆるシフト配置となった。この結果煙突を含む上構のレイアウトも見直され、特に後部艦橋付近は前級とかなり異なっている。
- 速力は33.6kt。航続力は2千トンの重油を積み、新型缶の燃費向上もあり1万浬/15ktにも達した。
- セントルイス級を含むブルックリン級9隻の内、ヘレナを除く8隻は大きな損害を受けた艦もいたものの戦争を生き延びた。
- 著名な艦としては緒戦でドーリットル空襲に参加し(Hornetの小ネタ参照)、後期にはマッカーサー大将の乗艦となった「ナッシュビル」、ソロモン海で日本海軍と交戦した「フェニックス」「ボイシ」「ホノルル」「セントルイス」、そして地中海戦線でかのフリッツXの被害を受けた「サバンナ」が挙げられるか。
- 戦後は8隻中6隻がブラジル・アルゼンチン・チリの南米3か国に2隻ずつ売却され、それぞれ1隻ないし2隻ずつ保有していたド級~超ド級戦艦に代わる海軍の象徴的存在として長く在籍した。姉のセントルイスはブラジルで「タマンダーレ」に改名して運用された。
- ブルックリン級5番艦「フェニックス」と6番艦「ボイシ」はアルゼンチンに売却された。特にフェニックスは「ヘネラル・ベルグラノ」として1982年のフォークランド紛争に参加したが、イギリス海軍のチャーチル級原子力潜水艦「コンカラー」に撃沈され、紛争全体のアルゼンチン側死者の半数がここで亡くなるという壮絶な最期を遂げた*1。
- アメリカ海軍が最上型に対抗して建造した9隻のブルックリン級の内、最後の2隻(セントルイス、ヘレナ)は小改良が施されており、「セントルイス級」として区別される場合がある。最上型に対する鈴谷型のようなものである。
艦歴 
- ヘレナは1939年9月18日に竣役する。この月の1日に欧州では第二次世界大戦が勃発しており、アメリカは未だ参戦していないとはいえ、緊迫した状況下で試験航海などを実施していた。
- 12月27日からヘレナは訓練航海に旅立ち、アルゼンチンのブレノスアイレスなどを訪問している。1月29日にモンテビデオを訪れた際は、1月ほど前に近辺で発生したラプラタ沖海戦で自沈したドイツのポケット戦艦「アドミラル・グラーフ・シュペー」の残骸を見学したりもしている。実際にヘレナ乗員が撮影した残骸となったアドミラル・グラーフ・シュペーの写真
- 12月27日からヘレナは訓練航海に旅立ち、アルゼンチンのブレノスアイレスなどを訪問している。1月29日にモンテビデオを訪れた際は、1月ほど前に近辺で発生したラプラタ沖海戦で自沈したドイツのポケット戦艦「アドミラル・グラーフ・シュペー」の残骸を見学したりもしている。実際にヘレナ乗員が撮影した残骸となったアドミラル・グラーフ・シュペーの写真
- 訓練を終えたヘレナは太平洋艦隊に配属され、その拠点である真珠湾に進出する。そして運命の1941年12月8日日曜日、ヘレナは数百機もの日本軍航空機の空襲に晒される事になる。真珠湾攻撃である。
- 2020年12月現在で実装されているアメリカ艦娘たちの中で、ヘレナは唯一の真珠湾攻撃経験者となる。他に真珠湾攻撃時点で竣役していた艦娘にはColorado、Washington、Saratoga、Hornet、Houstonらがいるが、大西洋方面に配備されていたり、作戦行動中だったりしていて、真珠湾攻撃時は同港には不在だった。
真珠湾攻撃 
- 1941年12月7日は日曜日であり、ヘレナの乗組員は休暇のため半分は上陸して不在であり、もう半分も休日の朝ということで多くが艦内でくつろいでいた。
- 攻撃が始まった時、ヘレナは湾内の海軍工廠近くの埠頭に係留していた。本来であればここは戦艦ペンシルバニアが係留される場所だったのだが、ペンシルバニアはこの時乾ドックに入渠していて空いていたため、ヘレナは右舷側に機雷施設艦オグララ、左舷側が埠頭と、挟まれる様な形で係留されていた。
- ヘレナの乗員によると、その日は日曜日でもあり乗員の多くは休日だったので、7時30分に朝食を食べると銘々が休日を楽しんでいた。
7時56分に警報が鳴るものの、本来同時に鳴る「総員戦闘配置」のアナウンスがなかったため、皆は誰かが誤って鳴らしたのだろうと考えていた。それでも「日曜日の朝から訓練かよ」と文句を言いながら各自が戦闘部署へ向かって歩き出し、攻撃を受けているとは思っていなかった。- 空襲が始まって3分もたたないころ、1機の97式艦上攻撃機が接近し魚雷を投下、オグララの方へ突進してきた。だが、大型艦攻撃用に調停深度が深く設定されていた魚雷は喫水の浅いオグララの船底を通過し、7時57分*2、ヘレナの右舷中央部に命中してしまう。付近にいた乗員20名が戦死する事態となったが、新造艦ながら乗員の素早い対応で浸水の拡大などを抑える事に成功し、被雷から2分後には電力を復旧し、以後大きな被害を受ける事はなかった。
- 一方、隣にいたオグララは、ヘレナ被雷の余波と、その後の空襲による至近弾で浸水が発生し、転覆沈没してしまった。
- ヘレナの乗員によると、その日は日曜日でもあり乗員の多くは休日だったので、7時30分に朝食を食べると銘々が休日を楽しんでいた。
- 攻撃終了後、ヘレナは応急修理を済ませると、本格的な修理のため、カリフォルニアのメア・アイランド海軍造船所に移動する。ここでの修理は長期化し、前線復帰した時は既にミッドウェー海戦も終わり、ガダルカナル島での死闘が始まっていた。前線に進出したヘレナは空母「ワスプ」を中心とする第18任務部隊に加わる。
空母ワスプ沈没 
- 1942年9月15日、ヘレナの所属する第18任務部隊は、ガダルカナルへ海兵隊を輸送する船団の間接護衛任務を実施していた。ワスプが艦載機への燃料弾薬の補給を実施していた13時45分、ワスプの見張り員は右舷から接近する魚雷を発見、艦長のフォレスト・シャーマン大佐は直ちに回避行動を開始するが間に合わず、ワスプは計3本の魚雷が命中、大火災が発生する。付近に潜伏していた日本の潜水艦伊19による魚雷攻撃である。
- 航空機への燃料補給中であったワスプは、艦内がたちまち猛火に包まれ、30分後には総員退艦命令が発令される。護衛をしていたヘレナは僚艦と共にワスプの乗員救助を実施し幹部など400名近い乗員を救助している。
- ワスプの乗員を救助したヘレナは、エスピリトゥサント島まで後退し、乗員を降ろす。そして輸送船団の護衛も兼ねてガダルカナル島に戻ると、今度は第64任務部隊に所属、ノーマン・スコット少将の指揮下に入ることになる
エスペランス岬沖海戦(サボ島沖海戦) 
- 10月11日、日米両軍ともガダルカナルへの増援を輸送する船団と、それを護衛する水上艦隊をガダルカナルへ向けて進撃させていた。11時47分、接近する日本艦隊を発見した米軍は、船団護衛の第64任務部隊を先行させてこれを迎え撃つ事を決断し、第64任務部隊は先行する。
- 日本艦隊より先に到着した第64任務部隊は、ガダルカナル島北西端のエスペランス岬とサボ島の間を往復哨戒しつつ、日本艦隊を待ち受ける事にした。
- なお、この後起きた海戦を、アメリカ側はエスペランス岬とサボ島付近での戦いなので『エスペランス岬沖海戦』、対して日本側は『サボ島沖海戦』と呼んでいる*3。
- 日本艦隊より先に到着した第64任務部隊は、ガダルカナル島北西端のエスペランス岬とサボ島の間を往復哨戒しつつ、日本艦隊を待ち受ける事にした。
- 23時25分、ヘレナとソルトレイクシティのSGレーダーが日本艦隊を発見、だがこれを報告する前にスコット少将は取舵を命じ、今きたコースをもどって南西エスペランス岬へ進むよう命じた。
両艦はこの動きを、「スコット少将も敵を発見して、それに対応する行動をとろうとしている」と判断した。だが実は、スコット少将は先頭がサボ島に到達したため予定通り変針しただけであり、旗艦サンフランシスコではなにも見えていなかった。
しかもサンフランシスコは前をゆく駆逐艦と同時に取舵をとり、後続するボイスはサンフランシスコに続いたため、隊列が2列になってしまった。- その後、少将のもとにヘレナとソルトレイクシティの報告が来たが、「味方駆逐艦ではないか?」との疑念がでたため、スコット少将は直ぐに射撃命令を出さなかった。このためアメリカ側は奇襲のアドバンテージを失ってしまう。
- 発見されたのは第六戦隊司令官五藤存知少将指揮する第六戦隊*4に第11駆逐隊第2小隊*5計5隻の部隊で先行する輸送隊*6とは別にヘンダーソン飛行場に砲撃をするために進軍中であった。
- 日本艦隊の方も、21時43分に旗艦青葉の見張り員が第64任務部隊を発見、報告していた。しかし戦隊司令部はこれを先行する輸送隊と判断し警戒しなかった。そしてこの判断は日本側に大きな悲劇をもたらすことになる。
- 彼我の距離5000m、ついに目視でも見えるところまで接近してしまい、ヘレナのレーダー室ではある少尉が「どうするんだ?このまま乗り込む*7のか」と叫んだ。
元々スコット少将は事前に艦長の独自判断での発砲許可を与えていた。だが許可なしでの発砲は各艦ともためらわれ、23時45分に漸くヘレナが発砲許可を求る。それに対して旗艦から「Rogger」と返ってきたので23時46分に発砲を開始、他の艦も続いた。だが、この「Rogger」は『前の通信を受信した』という意味で返信されたもので、発砲を許可する意味ではなかった。- この時スコット少将は味方の駆逐艦を攻撃しているのではないかと考えていて、同士討ちを恐れたので発砲命令をすぐには出さなかった。そのため砲撃開始から1分後には砲撃中止命令を下している。そしてスコット少将が危惧した通り、駆逐艦ファレーンホルトとダンカンが両艦隊の間にいたため両方から攻撃されアメリカの砲弾が命中、ダンカンは沈んでしまう。
- だがスコット少将の砲撃停止命令に対して、興奮するヘレナ以下全艦は命令を無視し、青葉と古鷹に砲撃を続行、2隻に大ダメージを与えることに成功する。
- この時スコット少将は味方の駆逐艦を攻撃しているのではないかと考えていて、同士討ちを恐れたので発砲命令をすぐには出さなかった。そのため砲撃開始から1分後には砲撃中止命令を下している。そしてスコット少将が危惧した通り、駆逐艦ファレーンホルトとダンカンが両艦隊の間にいたため両方から攻撃されアメリカの砲弾が命中、ダンカンは沈んでしまう。
- 先制攻撃を受けた日本艦隊は、先頭を進む旗艦青葉に砲撃が集中する。しかも第六戦隊司令官の五藤少将は砲撃が始まっても、前方の艦隊は友軍だと思い同士討ちを辞めるため「ワレアオバ」の発光信号を送り続ける。そして砲弾が青葉艦橋に命中、これは不発弾だったのだが砲弾が艦橋内で飛び回り中にいた司令部要員と青葉乗員を壊滅させ、五藤少将も両足を失う重傷を負ってしまう。
- 帰路、第六戦隊司令官の五藤少将が死亡、日本海軍は夜戦で初めての大敗北を喫する事になる。海戦には勝利を収めた第64任務部隊だが、目的たる東京急行の阻止はできず、さらに海戦による補給と修復のためガダルカナル沖を離れた隙に、第三戦隊司令官栗田健男少将指揮する部隊がガダルカナル島沖に出現してヘンダーソン飛行場を砲撃、基地に大損害を与える事態となってしまう。海戦には勝利したが日本側の飛行場砲撃を阻止する事は出来なかったヘレナらは、完全な勝利を祝う気持ちにはなれなかった。
第三次ソロモン海戦 
- その後もソロモン海域で作戦行動を続けていたヘレナだったが、日本側は再び飛行場砲撃を企図した艦隊を送り込む。いわばリベンジマッチとなったヘレナは第67任務部隊に加わり、ダニエル・キャラハン少将の指揮下に入る。また、サボ島沖海戦で指揮を執ったスコット少将も、軽巡洋艦Atlantaと駆逐艦を従え、次席指揮官としてこれに加わる。
- 混乱はアメリカ側から始まった。日本艦隊よりも最初に敵を発見したアメリカ側ではあるが、どちらの側からもどこにいるのかわからなかった夕立と春雨がアメリカ艦隊先頭の駆逐艦カッシングの前方を横切り、カッシングは回避し雷撃すべく左旋回する。これはキャラハン少将の許可を得、カッシングは西北西へ進路を変えたが、すぐにT字に持ち込むため全艦進路真北へ変更と命令が出た。カッシングがそれに従い短時間で進路変更を繰り返した結果、後続も衝突をさけるため予定外の進路変更をせねばならず、混乱が生じた。また、サンフランシスコには水上用のSGレーダーがなく、サンフランシスコは日本艦隊の正確な位置は把握しておらず、ヘレナに何度も問い合わせたが同じ回線で他の艦が砲撃許可を申請したため混線、キャラハン少将には十分な情報が伝わらなかった。更に指揮官のキャラハン少将が、艦隊の混乱を考慮せずに「奇数番艦は右砲戦、偶数番艦は左砲戦」という命令を下したので、目標を捉えているのに撃てないなどという事態が発生した。
- こうした闇夜の大乱戦の結果、アメリカ艦隊は指揮官のキャラハン少将、次席指揮官のスコット少将両名が、座乗する旗艦の艦橋に命中弾を受け戦死、ヘレナの艦長フーバー大佐が部隊の指揮を継承する。
- フーバーは各艦に撤退を指示すると共に、大破した重巡サンフランシスコ、軽巡ジュノーの撤退を援護する。インディスペンサブル海峡を通過しようとしたとき、突然ジュノーに巨大な水柱が上がる。日本潜水艦伊26の待ち伏せ攻撃を受けたのだった。
- ジュノーは瞬く間に沈没したのだが、ヘレナは伊26が近くにいる以上、乗員救助は艦を停止する事になり危険と判断し、部隊に停止せずにそのまま帰還する様指示する。結局この時点で100名近くはいたジュノーの生存者は10名ほどを残して全滅してしまう。後にこの判断を聞いた南太平洋部隊司令官ウィリアム・ハルゼー中将は激怒し、結局フーバーは艦長を罷免させられてしまう。
- フーバーは各艦に撤退を指示すると共に、大破した重巡サンフランシスコ、軽巡ジュノーの撤退を援護する。インディスペンサブル海峡を通過しようとしたとき、突然ジュノーに巨大な水柱が上がる。日本潜水艦伊26の待ち伏せ攻撃を受けたのだった。
- からくも日本艦隊を撃退したアメリカ軍は、最終的にこの方面の勝者となる。ヘレナは1943年2月にシドニーに寄港しオーバーホールを受ける事になる
クラ湾夜戦 
- 修復を終えたヘレナは、第36任務部隊に所属し、ニュージョージア島攻略に従事する。7月5日、クラ湾に日本の「東京急行」が接近中との報告を受けた同部隊は、これの迎撃のために出撃する。
- 軽巡3、駆逐艦4のアメリカ艦隊は、ニュージョージア海峡を航行中、レーダーが日本艦隊を捕捉する。秋山輝男少将指揮の第三水雷戦隊の駆逐艦10隻で、高速輸送作戦を実施していた。
- 第36任務部隊指揮官エインスワーク少将はこれを迎撃する事に決め、艦隊を展開させ、サボ島沖海戦のように先頭を進む敵艦にたいして砲撃を集中する。砲撃を実施するヘレナ
- 不意を突かれた先頭艦「新月」*8はたちまち猛火を浴びて大炎上する。だが以後日本艦隊からの砲撃はない事から、エインスワーク少将は敵を撃滅したと思い込んでしまう。だがこれは日本側の作戦だった。
- 日本側は、サボ島沖海戦等の戦訓で、敵はレーダーなどを使って先制攻撃してきても、先頭艦などに集中砲撃を加えるが、僚艦に対しては先頭艦が行動不能になるまでは注意をあまり払わない傾向がある事を認識していた。そこで新たな夜襲戦術として、敵に先制攻撃を受けても、僚艦は反撃せずに敵に接近を続けて奇襲攻撃を仕掛けるという方法を立案し、このクラ湾夜戦で実施したのだった。
- なお、6日後に発生したコロンバンガラ島沖海戦でも、先頭で探照灯を使用する神通*9に対して米側が攻撃を集中したため、他の僚艦は殆ど攻撃を受けることなく*10雷撃を成功させた。
そして、日本側軽巡1、駆逐艦6。アメリカ側軽巡3、駆逐艦10という状況の中、日本側は軽巡1損失、第二水雷戦隊司令部壊滅という犠牲を出しながらも駆逐艦1撃沈、軽巡3全てを大破、駆逐艦2損傷という大戦果を挙げている。
- 勿論先制攻撃を受ける先頭艦は大損害を被りやすく、実際新月は沈没し、秋山司令官も戦死した。しかし米艦隊が新月攻撃に目を奪われている間に、涼風と谷風が距離4000mの近くまで接近し、必殺の魚雷攻撃を仕掛けてきた。そしてその射線上にいたのがヘレナだった。
- ヘレナには3本の魚雷が命中、2発目と3発目は船体中央のほぼ同じ場所に命中していた。艦首部に命中した1本目はヘレナの船首部を切断し、中央のは前後の機械室に浸水し、ヘレナは推進力を失った。そして命中から20分後、ヘレナの船体はvの字に折れ曲がり、沈没していった。戦死者は168名。
~チュー少佐たちの冒険行~
- ヘレナ副砲術長のジョン・L・チュー少佐は迷信深く、縁起をかつぐ古いタイプの船乗りで、いくつもの幸運のお守りは必ず身につけ、戦闘前には決して髭を剃らなかったのだが、ヘレナが沈んだ時、彼は戦闘前に髭を剃ってしまっていた。そのため彼はヘレナの沈没は髭を剃ったからだと信じていたという。
- 2時30分にヘレナが沈没した後、夜明け前に駆逐艦ニコラスとラドフォードが生存者救出のためにやってきた。だが救助中、レーダーが引き返してくる日本の駆逐艦*11を捕捉したため2隻は救助を中断、日本側制空圏内であるため撤退してしまう。
- しかし、2隻はそれまでに745名を救助、さらに4隻のボートを洋上に置いていったので、ヘレナ艦長以下88名ほどがそれに乗り込み、ニュージョージア島にまでたどり着いた。
- だが、残念なことにチュー少佐はそのどちらでもなく、洋上に取り残されたグループにいた。彼らはまだ浮いていたヘレナの舳先に乗り移り、捜索機が見つけてくれることを期待した。
- その考えは正しく、10時頃にB24が飛来、彼らを見つけ取りあえず3隻のゴムボートを投下していった。だが全員が乗る事が出来なかったので、チュー少佐らはまだ待つことにした。
- だがヘレナの舳先は日本機にも見つけやすい目標だった。今度は零戦がやってきたのである。生存者たちはビスマルク海で救命筏が機銃掃射されたことを思い出し、自分たちもそうなると覚悟した。だが零戦は数発撃っただけで、パイロットは彼らに手を振り去っていった。
- ここに留まることは危険と考えた約50名ほどの生存者は、ヘレナの舳先を離れコロンバンガラ島を目指すことにした。しかし風と潮流の関係で日本軍支配下のベララベラ島ランプランプの入り江ににたどり着いてしまう。チュー少佐たちは原住民の協力により中国人サム・チュウの家へ向かい、そこにいた沿岸監視宣教師シルヴェスター師と接触する。チュー少佐グループ以外のヘレナ乗組員たちも漂着し、総勢104名の集落ができた。また生存者の一人バウズワイン少尉他数人もララベラ島北のジャバの集落にたどり着き、沿岸監視員ヘンリージョスリンと合流、発見されないよう内陸へ向かっている。
- 彼らはチュー少佐を村長、シルヴェスター師を正式ではないが主教さんと呼び、ケリー少佐が村の警備隊長を務め、自身らを「ケリーイレギュラーズ」と呼んだ。
- ここに留まることは危険と考えた約50名ほどの生存者は、ヘレナの舳先を離れコロンバンガラ島を目指すことにした。しかし風と潮流の関係で日本軍支配下のベララベラ島ランプランプの入り江ににたどり着いてしまう。チュー少佐たちは原住民の協力により中国人サム・チュウの家へ向かい、そこにいた沿岸監視宣教師シルヴェスター師と接触する。チュー少佐グループ以外のヘレナ乗組員たちも漂着し、総勢104名の集落ができた。また生存者の一人バウズワイン少尉他数人もララベラ島北のジャバの集落にたどり着き、沿岸監視員ヘンリージョスリンと合流、発見されないよう内陸へ向かっている。
- ベララベラ島での生活はまず食べ物が少なく、一日2回、魚の目玉以外はなんでも材料にした毎回色が変わるシチューが出されたり、迷い牛を殺して牛肉を手に入れたりしたという。但し牛肉の方は村に持ってくるまでに日本軍のパトロール隊に邪魔されすっかりいたんでしまい、仕方なく捨てたところ、ある兵士が「(彼の故郷の)ユーコン川ではそんなことはしない」と彼以外知らない極秘の調理にて極上の料理を作ったこともあった。
- しかし島は日本軍の支配下にあり、村付近に日本軍の兵士4人がやってきた。イレギュラーズがこれと交戦し3人を殺害、1人を捕虜にした。だが捕虜の分の食べ物はなく、かといって解放するわけにもいかなかったので、チュー少佐は捕虜の処刑を決断する。シルヴェスター師も賛成はしてくれたが、皆にとっていやな出来事であったという。
- 一方バウズワイン少尉達も撃墜された零戦パイロットを捕虜にしていた。処刑すると決定したが誰もできなかったので、しかたなく連れてゆくことにしたという。
- ソロモン方面の上陸部隊指揮官であるリッチモンド・K・ターナー提督は、ヘレナの生存者が敵地べララベラ島に上陸している事を知り、救出作戦を考えていた。常々「もし最悪の事態が起こって諸君が船から吹き飛ばされどこかへ漂着したとしても、海軍は諸君を忘れるつもりはない」と言っていた彼は、165名もの生存者を速やかに救出すべく、第一次世界大戦時の旧式駆逐艦を改装した高速輸送艦「デント」と「ウォータース」、それを護衛する8隻の駆逐艦を手配し、救出作戦に投入した。
7月16日、165名のヘレナの生存者とサム・チュウとその親族16名、そして捕虜となった日本軍パイロットは無事に救助され、チュー少佐らは10日間すごした島をようやく脱出した。チュー少佐は島を離れる際、いつも肌身離さずもっていた幸運のお守りをシルヴェスター師に贈ったという。
- ヘレナには3本の魚雷が命中、2発目と3発目は船体中央のほぼ同じ場所に命中していた。艦首部に命中した1本目はヘレナの船首部を切断し、中央のは前後の機械室に浸水し、ヘレナは推進力を失った。そして命中から20分後、ヘレナの船体はvの字に折れ曲がり、沈没していった。戦死者は168名。
- こうしてクラ湾夜戦で沈没したヘレナだが、同士討ちや漂流する味方を見捨てるなど、失敗もある一方、サボ島沖・第三次ソロモン海戦・そしてクラ湾夜戦での活躍もある事から、海軍殊勲部隊章を受章した最初の艦となった。
- 「ヘレナ」の名はファーゴ級軽巡洋艦の8番艦(CL-113)に引き継がれる予定だったが、同艦の建造が1944年10月にキャンセルされたことに伴いボルチモア級重巡洋艦8番艦(CA-75)に襲名された。
- 2018年4月11日、ポール・アレン氏率いる調査チームにより、ソロモン諸島沖海底に眠るヘレナが発見されている。
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