零式艦戦21型

Cached: 2021-10-21 22:34:16 Last-modified: 2021-10-20 (水) 14:22:07
No.020
零式艦戦21型艦上戦闘機
装備ステータス
火力雷装
爆装対空+5
対潜索敵
命中回避
戦闘行動半径7
装備可能艦種
駆逐艦軽巡洋艦重巡洋艦戦艦
軽空母正規空母水上機母艦航空戦艦
備考
開発可、改修可
改修更新
零式艦戦21型零式艦戦32型★+3零式艦戦52型★+3
零式艦戦62型(爆戦)★+4零式艦戦63型(爆戦)
「ゼロ戦」の名で知られる名機「零式艦上戦闘機」の初期型です。7.7mm機銃2門と自慢の20mm機銃2門を装備。
優れた格闘戦能力と長大な航続距離で、その圧倒的な力を見せつけました。
やがて敵が強力な新型機になってくると、火力と速度、防弾性などの弱点が露呈していきます。

ゲームにおいて

  • 九六式艦戦の上位互換、そして(雲龍型を除く)の初期装備である。
    • 特に任務報酬の赤城が持ってくる本機は、装備開発をまともに回せない初心者提督の強い味方となる。
    • 艦戦自体は対艦攻撃力を持っていないが、制空権を確保するという重要な仕事がある。
      制空権を確保(もしくは優勢)になれば味方の開幕航空攻撃にプラスの補正がかかったり、砲撃戦時に弾着観測射撃を行うことができるなどの恩恵がある。
    • 艦戦を装備して出撃を繰り返し試運転を重ねると艦載機熟練度が成長し、制空能力が大きく向上する。
  • 序盤の海域ではこれで十分だが、中盤以降は早々にもっと高い性能の艦戦に切り替えていきたい。
    • 中盤の主力はおそらく52型になるため、21型の出番は少ない。
    • しかし52型と比べて対空が1しか違わないため、場合によっては21型を主力として使っても良いだろう。ちなみに★+5で対空値が同等になる。
  • 改修可能で、更新すると零式艦戦32型になる*1が、開発可能でわざわざ更新する必要性は無い。
    • 2021/10/15アップデート以前は九六式艦戦からの改修で入手可能*2だったが、同アップデートで更新先が変更されたことに伴いこのルートからは入手不可になった。

  • マンスリー任務で、熟練パイロット達が操縦する零式艦戦21型(熟練)へ機種転換*3できる。
    • 達成には、練度max(>>)の21型が1つ、別途廃棄用に21型2つと九六式1つ、そしてアイテムの「熟練搭乗員」が必要。熟練搭乗員の入手はイベントや任務に限られ(公式)、量産性は低い。
    • 但しこのマンスリー任務の達成が、零式艦戦52型(熟練)零戦21型(付岩本小隊)を初めとした各種機種転換任務の発生トリガーとなっている為、1つは熟練搭乗員を本機に消費する事となる。
    • 改修値がそのまま引き継がれるタイプの機種転換であるため、元の機体が★maxであれば零式艦戦21型(熟練)★maxになる。
      • なお、零式艦戦21型(熟練)からは最終的に岩井へと機種転換する事になる。
        転換が進むほど改修費用が重くなり、零式艦戦52型などが大量に要求されるため、零式艦戦21型の内に★maxにしておくと非常にお得。えっ、任務はあるけど明石がいない…?
      • マンスリー任務の零式艦戦52型(熟練)量産ルートにおいても同様。流石に量産となると熟練搭乗員の問題が出てくるが…

  • 自身の改修素材として消費され、他に零式艦戦21型(熟練),零式艦戦32型,零式艦戦32型(熟練),F4F-4の改修でも消費される。
  • 二式水戦改の製造(零式水上偵察機★maxからの更新)にも、これが3つ必要。
  • 任務 精鋭「艦戦」隊の新編成,主力「陸攻」の調達に必要。
  • 性能が低いため、紫電改二試製烈風 後期型など艦載機レシピではハズレ扱いだが、改修の素材として出番が激増した。
    いざ入手しようとすると、初期装備として持ってくるのは、正規空母と一部の軽空母改造(龍鳳千歳航千代田航)だけなので、出たら全部廃棄せずにある程度残しておこう。
    • 上記の通り強力なワンオフ機には要求されないが、その分量産可能でかつ性能の高めな機体に要求される為、この辺りを量産し出すとかなりの数が必要になる。

基地航空隊での運用について

  • 制空能力としては中堅以下だが、基地航空隊における戦闘行動半径7戦闘機カテゴリの最高値である。
    零式艦戦21型(熟練)零戦21型(付岩本小隊)も同じく7。史実の21型の航続距離の長さの表現と考えられる)。
    着任から間もない・熟練機の入手がままならない新人提督諸兄は、基地航空隊運用時にこの21型なら目標地点まで届くケースがある事を、ぜひ覚えておいて欲しい。
    • これは上位機の52型系統や烈風系統に半径7のものがないためでもある。
    • 本機の対空数値は低いといえど、艦載機熟練度を最高にしておけば結構な制空値を稼ぎ出すことができるので、
      零式艦戦21型(熟練)等を手に入れるまでは、基地航空隊用に、熟練度max(>>)にした本機をいくつか確保しておくと安心できるだろう。

アップデート履歴

  • 2015/11/18のアップデートでグラフィックが更新された。

    2015/11/18のアップデート以前の画像

    2015/11/18のアップデート以前の画像

  • 2017/02/28のアップデートで再度グラフィックが更新された。

    2017/02/28のアップデート以前の画像

    2017/02/28のアップデート以前の画像

  • いつごろ変更されたのかは不明(2014年5月頃?)であるが、テキストが若干変わっている。(20mm機関砲→20mm機銃)
    帝国海軍では40mm未満の口径の砲を機銃、それ以上を機関砲としていたためこちらの方が正しい。

小ネタ

  • 元ネタは、零式艦上戦闘機二一型(A6M2b)。かの有名な零戦(ゼロ戦)の初期型で、数々の伝説的な活躍を見せた傑作機。
    先行量産型(11型)を基に艦載機としての機構を実装。本格的な量産が行われ、大戦初期の快進撃を支えた。
    • 正式採用されたのは昭和15年、西暦(グレゴリオ暦)で1940年である。この年が「日本書紀」による神武天皇の即位から2600年にあたることから『零式』の呼称が付けられた。ただしこれは海軍の場合であり、陸軍の場合は『一〇〇式』の呼称を用いた。金ピカのアイツのことではない。*4
    • 一昔前までは「ゼロ」は英語(敵性語)なため「ぜろせん」読みは誤り、戦時中は「れいせん」と呼ばれていたと言われていた。
      しかし当時の新聞には「ゼロセン」と記れた例が少数ながらあり、パイロット他現場関係者も「ゼロ」や「れい」と両方使っていたと証言している。
  • 正式名称は「零式艦上戦闘機(れいしきかんじょうせんとうき)」であり、その正式名の略称が「零戦(れいせん)」で、部隊や民間の一部での愛称が「ゼロ戦」であると認識しておけば概ね間違いはないであろう。
  • 敵性語の排斥は陸軍の軍政部門と民間主導の運動であり、陸海問わず軍部は英語を積極的に禁止はしないが出来るだけ日本語への言い換えを行っていた。
    英語など生まれてから聞いたことのない、農村部出身の兵隊は意味を理解できなかったのだ。
    ある海軍の兵隊が放屁、放屁という命令を繰り返し聞き、意味がわからなかった。実際はGo Ahead、つまり前進だが言ってる方もよく理解せずに音だけ真似していたのもあり、放屁としか聞こえなかったのだ。

公式文書では和訳した語を用いていたが、これは明治の頃から和訳を推し進めた結果に過ぎない。

  • 連合国がつけた公式なコードネームは「ZEKE(ジーク)」*5だが、前線の連合国軍パイロットたちからは、畏敬の念を込めて、「ZERO」と呼ばれた。
  • 開発元の三菱だけでなく、中島飛行機でもライセンス生産が行われた。総生産10,000機以上と言われる零戦シリーズの2/3が中島製。
    だが中島製零戦は表面仕上げが荒いと言われ、また三菱製と一部部品の互換性がないといった問題があった。でも量産された零戦の大半が中島…
    • 互換性の問題は中島が独自に改良したせいとも、三菱が提供した図面が間違っていた、そもそも小改修し過ぎとも言われている。
      ただしこの手の問題は、当時の技術水準では世界的なもの。欧米でも区別のため生産メーカー毎に型番やサブタイプを分けているのが普通。
  • 零戦の試作名称「十二試艦戦」と言い読み方は「じゅうに」であるが、このように「十」の文字が使われない限り「じゅう」の発音は使わない、そして零戦に限らず機体名称の後に続く2桁の番号、例えば本項の21型は「機体Ver2、エンジンVer1」の数字なのでその読みは「にじゅういち」ではなく「にーいち」となる、部隊配属が本格化する前の零戦は「機体Ver1、エンジンVer1」なので当然11型「いちいち」であり、52型は「ごーに」53型は「ごーさん」となる。すっかり忘れられた感の公式艦これ用語集
    本来なら彗星一二型甲のように漢数字で表すが、ここではゲーム内表記に準じている。
    因みに日本で一番最初にお艦の胸へ飛び込んだ一〇式艦戦だが、これは漢数字で書いた場合に、十式、とはならず、一〇式艦上戦闘機「ひとまる」である。
    • 日本軍の装備全ての呼称がそのようになっており、九七式艦攻は「きゅうなな」九九式艦爆は「きゅうきゅう」、そしてどっかの巡洋艦のセリフにある九三式酸素魚雷は「きゅうじゅうさん」ではなく「きゅうさん」なのである。
    • 一一型は艦上運用設備を持たない陸上基地配備用の初期生産型で、実際に艦載運用されたのは二一型から。
  • 一般に「零戦」と言うと暗緑色に塗装された52型を思い浮かべる人が多数。だが真珠湾を始め、緒戦で活躍したのはこちらである。
    それ以前は空中での視認性を低くするために明灰白色*6の塗装だった。
    • とある娯楽映画監督の趣味映像の見栄えのため、暗緑色の52型を真珠湾攻撃のシーンに使用。歴史考証を疎かにした駄作と酷評された。
      そもそも娯楽映画で有名な監督にこんな話を持ち込んだ方に問題があるような…。
      • とは言えそもそも話が来た段階で飛べる零戦はわずかに2機、実写シーンを織り込む計画*7だった時点でこの機を使用することはやむを得ないことだった。
    • 小説『永遠の0』の実写版映画には、真珠湾から終戦直前までのほぼ全戦中シーンに21型が登場。
      明灰白色の赤城搭載機や緑まだらのラバウル航空隊機と言った、様々な21型の姿を見ることが出来る。
    • この塗色に関しては明灰白色ではなく別の色だったという説も多く、茶色がかった灰色『現用飴色』(現在は否定されている)、緑がかった灰色『青畳色』などかなり諸説入り乱れていたりする。
  • 九六式の要求性能が無難なものであったのに対し、一二試艦戦として課せられた要求は「ないものねだり」とも言うべき厳しいもの*8だった。
    あまりの厳しさに中島は開発辞退。三菱は2人の高官から「格闘力」と「速度と航続距離」を優先との答えを得て、開発を継続する。
    この結果、運動性能は神、防御力は紙とも言われる機体が完成する。
    • 日本の軍用機としては最大の生産数を誇り、5年の長きに渡って様々な環境で使われたこともあって毀誉褒貶の激しいことでも知られる。
      提督諸氏も調べてみては如何だろうか。
  • 初期の配備数は僅か400機。その400機で西太平洋の連合軍機を全て駆逐して制空権を確保。空戦技能に優れるパイロットたちと共に最強の神話を作っていく。特性を熟知した熟練搭乗員が操る零戦に対し、序盤の連合軍は零戦を攻略できず敗北を重ねていった。
    • ポートダーウィン空襲の時、フライングタイガーズの司令官だったクレア・シェンノート将軍は「英空軍の戦術はカルワザ的な日本軍に対しては自殺行為だった」と評価し、アメリカ戦略空軍司令部作戦部長補佐代理ジョン・N・ユーバンク准将は「ニューギニアやラバウルで我々が遭遇した日本軍は、本当に熟練した操縦士だった。我々は最優秀の敵と戦っているのだということを一時も疑ったことはなかった」と評価している。
    • 日本海軍は真珠湾奇襲攻撃の1941年(昭和16年)12月8日から、1942年(昭和17年)3月までのジャワ作戦終了までに、合計565機の連合軍機を空中戦で撃墜ないしは地上で破壊した。この数のうち零戦の戦果は471機すなわち83%を占めたというのだから連合軍からして見れば無敵神話が生まれるのも仕方ない。
    • 同世代のライバルとして比較されるF4Fとの対決はウェーク島からである。陸攻隊のウェーク島爆撃を生き残り奮闘していたF4F 2機に対し二航戦の零戦が6機来襲、損害無しでF4Fを2機とも撃墜した。
    • その後インド洋にも進出し、セイロン沖海戦などでハリケーンやバッファローを主力にする英空軍からインド洋の制空権を確保した。
    • 空母同士の戦闘である珊瑚海海戦でも零戦隊は活躍し、零戦2機の喪失に対しF4Fの喪失は14機に及んだ。
    • ミッドウェー海戦での航空戦でも母艦を失う失態を犯すも、代わりにアメリカ軍の数個の飛行隊を壊滅に追いやっている。特に雷撃隊は全滅した部隊もあるほどであり、当時を目の前で見たサッチ少佐は零戦の機動性と同時に零戦隊の連携の高さも評価している。
      南太平洋海戦でも母艦に向かう敵攻撃機隊を迎撃したり、味方の攻撃機隊を護衛してアメリカ海軍の空母戦力を壊滅させる大活躍を見せている。
    • しかしガダルカナル島ではアメリカ軍が早期警戒に徹底したことにより一転して苦戦、一進一退の空戦を繰り返すことになるが、最終的に敗北している。
      • ガダルカナル島の戦いで最も航空戦が激しかった1942年8月~11月までにF4Fは115機、零戦は106機を喪失している。*9
    • ほかにい号作戦にも攻撃隊の護衛として参加しており、迎撃機を撃墜したりしている。
  • 零戦の最大の長所は、よく言われる格闘戦力ではなく増槽装備で3,350㎞にもなる航続力である(増槽無しでも2,200㎞)。当時の欧米の常識をはるかに超えた長大な航続力は、広い太平洋や大陸で戦うにあたって大きな武器となった。
    そもそも、必要な戦地まで飛べない戦闘機など全く無価値なのである。
    常に残りの燃料を気にしながら戦わねばならない基地航空隊にとっては、この航続距離の長さは大きな心理的余裕となったが、大戦末期には無茶な距離を毎日往復させられるというブラック勤務形態を生み出す原因になった。
    • 開戦と同時に台湾南部の台南空が陸攻隊と共にフィリピンを攻撃、陸攻隊と共に米極東空軍を初日に壊滅させた。この時米軍は上記の常識から「空母が居る」と誤認していた。
      • フィリピン攻撃のため、台南空の搭乗員たちは低燃費飛行の訓練を繰り返し行なっていた。プロペラピッチ・燃料流入量・空気量等を繊細に調整してこの長駆飛行を実現していた。
        零戦に限らず、この当時の航空機の航続距離は搭乗員の技量によって少なからず変化していたようである。
      • この頃の戦闘機の常識的な航続距離とは、概ね1000km未満である。Bf109スピットファイア、ハリケーンなど、いずれも700kmに届かずどんぐりの背比べだった。Fw190がわずかに勝ったが、それとて1,000kmに届いていない。
        一方日本では「短い、短い」と言われる雷電や鍾馗でも1,200kmは(増槽なしで)飛べた。文字通り桁が違ったのである。
        しかし開戦時点での制式機としては、零戦の次点はF4Fワイルドキャットは機体内燃料タンクのみで1,224km、戦闘行動半径は約320kmほどとされた。さらにレシプロ双発戦闘機でほぼ唯一同世代の単発戦闘機と互角に渡り合ったP-38ライトニング(F型・3,200km)も配備間近だった。
        それでも米軍が勘違いを犯したのは、当時の単発単座戦闘機の航続距離がそんなに長いはずがないナメきっていたからである。
    • 強力な運動性能を活かすのが零戦の「視界の良さ」であった。流涙型の風防を備え、特に後方視界が抜群に良く、後ろを取られても即座に回避できた要因の一つである。
      大空のサムライこと坂井三郎氏も、零戦の長所として視界の良さと航続力を主に挙げていた。
      • 自機の安全や周囲の状況を確認するための見張りは非常に重要で、
        坂井三郎氏の金言の一つに「初心者は撃つ前に後ろを見よ、上級者は後ろを見ないで済むように周囲の状況を把握しておけ」と言うものがある。
        これは敵機を攻撃している間が一番無防備で危険な状態になるためである。
      • 同時期のF4Fなど他国の戦闘機はハイバック形式と呼ばれる風防が多く、後ろが殆ど見えなかった。そのため2~3機一組で行動し、互いの後ろを視覚的にカバーしあう作業が必要だった。
  • 運動性能において隙がないように見えた零戦だが、実は「高速時の操縦性が悪く、旋回半径も大きくなる」「高速で急降下すると機体がもたない」という二つの弱点があった。
    これらの弱点は生き残ったパイロットの証言やアクタン・ゼロ(古賀のゼロ)の発見によって次第に露呈されていき、対零戦戦術(サッチウィーブ)一撃離脱(ブーム&ズーム)という弱点を突いた戦術を導入され、次第に立場が逆転していくようになる。
    というのも零戦は320km/hまでは操縦桿の操作は軽快、ロールも早いものの348km/h以上では空中分解を避ける為、意図的に操縦桿が重くなるように設計されており、操縦性はもちろんロールと旋回半径も悪化していった。零戦搭乗員の手記でも時々見かける操縦桿が重いというのは大体が高速飛行時のことである。一例に挙げるならば坂井氏の「片手で米俵を持ち上げれるくらいの力が必要」というのはこのことである。米側の調査でも200mph以上で4Gの旋回を行う場合、およそ37kgから45kgまでの力が必要と記録されている。F6Fやスピットファイアは同条件下で7~9kg程度であり、かなり重いことが分かる。その為鹵獲機を用いた空戦テストを行った結果、高速域では連合軍機への追従が難しいことが判明した。その為対策として一撃を浴びせた後急降下で激しくロールバレルして離脱することが推奨された。しかし依然として320km/h以下での機動性は零戦が圧倒的であり、格闘戦の禁止という警告が発せられることになった。
    • 一撃離脱に関しては大戦中に日本も認識しており(高度・速度優位からの一撃離脱戦法は日本海軍でも編隊空戦の際に行う攻撃方法の一つとして認知されていた。)、対策として高度優位の確保、*10上空警戒を徹底し、攻撃を受けた際回避できるようにしたり改良型の開発などを行っていったが、サッチウィーブは仕掛けられた側からは「気づいたら敵の僚機が後ろにいる」ぐらいにしかわからず、戦後になってようやく存在が知られるようになった。
    • 3機1組のケッテ編隊の零戦は4機編隊のアメリカ機と戦うと、アメリカ側は二手に分かれ、片方だけ3機で追いかけると、無線連絡でもう片方が戻ってきて挟み撃ちにされ、こちらも二手に分かれると2機と1機になるため1機がやられてしまったと大原亮治氏は述べている。
      とはいえ前線の海軍航空隊はアメリカが新戦術を導入していることは当り前だが把握していた。当然無策である筈もなく後方警戒の徹底や、編隊空戦を徹底させている。ブインやラバウルの航空隊など二機一組*11となって支援しあう四機編隊を採用して対抗していたりするが、その時でも後方の内地では3機編隊を教えていたのであった。
    • これら欠点は戦訓により1942年4月から始まったタイプと1943年12月から生産されたタイプの零戦では「ロール率と速力、及び降下速度の向上」が考慮されるようになった。*12*13
    • 他には無線機か。零戦にも九六式空一号無線電話機(無線機)は積んでいたが、稼働率があまり良くなく、またエンジンや機体から発生するノイズ対策が不十分だったため*14死重だといって降ろしてしまうパイロットもいた。*15
      • ちなみに零戦搭乗員は無線電話機が作動するのならともかく、作動しない状況ではコクピット内が視認しやすかったのでそれぞれで決めた手信号や、携帯黒板、教育を受けた士官パイロットならば電信での連絡を行なったが、これらは気心の知れた熟練ペアならできても次々に戦死して行く中での急造ペアでの意思疎通は不可能であった。
        無線電話がマトモに通話できる状況になってくるのは1945年以降である。あるパイロットが無線機に入るノイズはスパークプラグから来てると気づき、プラグ全てで機体にアースを取った。それからは無線電話も聞こえるようになり、どこそこに集結せよなど地上からの命令で戦ったと大原亮治氏の証言がある。それでも取り付け位置とノイズ対策、受信機と送信機が電源切り替えであり、いちいち一方の電源を落としてもう一方の電源を入れなければならなかったり、操縦桿から右手を離さないと送受信切り替えが出来ないなどの問題が残ったままであったが、切り替えスイッチは撃墜したアメリカ機から入手したスイッチをスロトッルレバーに現場で取り付けた部隊もある。ただし日本海軍の場合、指示を送る長機が送信状態、指示を受ける列機が受信状態したままにすることが多く、上では問題視されていなかったが343空でも長機の後ろに敵機がついたことを教えてやりたくても方法がなく、そのまま撃墜された事例など問題は多かった。
  • 性能で米軍の無線機と同等になるのは52型以降に搭載された三式空一号無線電話機まで待たなければならない
    アメリカ軍もマリアナで捕獲した零戦五二型に搭載されていた三式空一号無線電話機を調べ、「自軍の無線機に匹敵する性能である」と評価、同時に取付位置や防湿対策の不足を指摘している。というのも、三式は取付位置等の問題でノイズが発生しやすかった。最終的には撃墜した米軍機の無線取付位置を参考にこの問題は解決する。*16
  • その栄光と凋落が帝国海軍のそれとほぼ同時期にあることから、『日本を代表する戦闘機』として挙げられることが多い。
    • そして、この機体が米軍に与えた衝撃は日本人の想像以上に凄まじく、米本土では「アジアの島国からこんな戦闘機が出てくるとは!」と青ざめる将校が続出。「日本軍の航空戦力はイタリア軍並の弱さ」「日本人は目が悪いからアメリカ軍が空戦で負けるわけがない」となめてかかっていたアメリカ軍を「青ざめさせた」機体として知られるようになる。*17
      これは終戦後、ダグラス・マッカーサー率いるGHQが、日本の航空機産業を徹底的に破壊した要因ともなった。*18
  • なお2014年夏のイベント海域で出現した北方棲姫の「ゼロ……オイテケ」というセリフはこのアクタン・ゼロに由来する。当時の戦訓蓄積ペースを考えれば時間の問題であった事だが、アクタン島で鹵獲されたこの「無傷のゼロ戦サンプル」は、米軍が対ゼロ戦術を組み上げる大きな時間的手助けとなってしまった。
  • アクタン・ゼロをテストしたチャールズ・ブース中佐は要約すると次のように評価している
    • 上昇力もよく、適当な速度ではロールも速い。視界も素晴らしいし、安定性もよく飛ばしていて楽しい飛行機だ。しかしこれで戦争をするのは嫌だ。上昇力、運動性、後方視界の良さは、防弾装備がかけている為である。かならずやそれの報いがあるだろう。と答えた。
    • 一方イギリス海軍航空隊のテストパイロットであるエリック・ブラウン大尉は「ゼロの旋回率に匹敵する戦闘機は見たことが無い。ゼロは完全に支配しており、世界で最も優れた戦闘機だ」と答えた。
  • 防弾装備に関してはエンジンの性能と戦闘機用の防弾装備に関する研究が進んでいなかった点から装備は遅れた。零戦のエンジンは940馬力程度であり、防弾装備を積むにしてはエンジンの余剰馬力がやや足りなかった。技術将校として開発に携わった岸田純之助氏は「パイロットを守るために速力や上昇力、空戦性能を上げて攻撃を最大の防御にした。(中略)日本は国力でアメリカに劣っていたため、対等に戦うにはどこか犠牲にしなければならない、防御装備には資金がいるので限られた資源でどう配分するか常に考える必要があった」としている。実際開戦時は制空優勢もあり、戦闘機パイロットの喪失は危険が大きい艦攻と艦爆や陸攻パイロット等と比べて死傷率はまだ少なかったものの、それでも決して無視していい数値ではなかった。*19
    • 当の零戦も搭乗員たちから防弾装備の要求が度々あった。初戦であった重慶上空戦のあと搭乗員たちから「陸攻についてあるように防弾タンクが欲しい」と要求された。日中戦争では空戦で喪失した零戦はなかったが被弾は頻繁にでており、三空、一ニ空行動調書には防弾の必要性が度々訴えられている。零戦の最初期から乗っていた羽切松雄氏も、防弾装備を必要性を強く訴えており防弾装甲が無理でもせめてタンクは防弾にしてほしいと何度も意見を上申している。同様に小福田少佐は実戦における戦闘機用法の研究を書いた。その中に戦闘機といえど防弾装備は絶対に必要であり、無しでは後悔することになる、と奇しくも同様のことを記した。彼が飛行隊長を務めた204空のパイロット総在籍者数205名中戦死185名、生き残ったものも手足がなかったり顎が半分吹き飛ばされたりと痛ましい姿が多かったのであった。しかしこれら意見が採用されるのは1943年のい号作戦以降の、山本五十六元帥の一言が出るまで待つ必要があった。
      • 昭和16年の開戦時の海軍搭乗員総数は全ての飛行科を合わせて約5500名、昭和17年の年末までの戦死者2300名と半数を失った。*20その為急遽搭乗員の急速育成が課題となり訓練を簡略化した予科練の育成を急いだ。最終的には練度低下と航空機自体の損失の穴埋めが追い付かず、育成システムは半ば崩壊していた。
        パイロットの育成は2年の月日と零戦6機分の30万という大金がかかり、それでも新人などある零戦の指揮官いわくヒヨコ以前の卵であり、何回か実戦をくぐってやっとヒヨコになるのであり、使い物になるのはさらにその後ともっとも補充が効かない部品なのであった。
    • 当の海軍でもい号作戦以降戦闘機用防弾装備の研究が始まり、雷電や紫電改では自動消火装置と防弾鋼板、及び自動防漏式タンクが標準装備となった。零戦自体は昭和18年から生産された52型では翼内タンク内に自動消火装置の追加、昭和19年から生産された乙型では防弾ガラス、座席背面に防弾鋼板を追加したが、防漏タンクに関しては53型の試作機に装備した程度であり、作戦機に装備されることはなかった。
    • 他の国は、イギリス、ソ連、ドイツの機体には当初は防弾装備が無く、戦闘を通じて自国搭乗員に損害が発生するようになってから防弾化に乗り出している*21*22F2AやF4Fに至っては防弾装備を追加したあと、一部現場からは運動性が下がることは空戦では致命的なことと思い込んでおり、重い防弾装備を外すようブーイングされていたが、次第に重要性が認知されるようになった。
  • 2014年秋、日本人が保有する飛行可能な唯一の零(この機体のエンジン換装型である二二型、部品交換が行われており完全なオリジナルではない)が日本に「帰国」。翌年の飛行を目標に11月21日からの分解状態の展示等で資金収集を行う予定である。
    • そして2016年1月27日に海上自衛隊鹿屋航空基地において国内初飛行を実施した。パイロットはSkip James Holm氏である。
    • その後さらに数回の飛行を行い、現在機体は米国にある。
      米国籍の機体のため飛行のたびに複雑な手続きを踏む必要があるため、ほぼ自由に使える米国で日本人パイロットを育成するそうだ。
    • 2017年6月3日エアレースにて日本人パイロットの手によって日本の空を舞った。

この装備についてのコメント


*1 2016年6月30日アップデート。
*2 更新では★+3の状態で入手可能だった
*3 機体は2014/6/6、任務「精鋭「艦戦」隊の新編成」は2015/10/30に実装。
*4 現在の陸上自衛隊でも「90式戦車」「10式戦車」と言った呼称を用いるが、こちらは年号は西暦でも読み方は「きゅうまるしき」「ひとまるしき」と、旧軍と同じである。昔、某Flashアニメで、90式戦車を「きゅうじゅっしき」と呼んでしまい、作者がお詫びして作り直す事態になったことがある。
*5 Ezekielの略称。旧約聖書に登場する預言者、エゼキエルに因む人名。が、綴が“ZERO”と同じ2字で始まるということにちなんで付けたという説も存在する。
*6 中島製零戦は明灰緑色とも。
*7 アメリカの戦争映画では、CGや特撮等を使って細かい考証を行うよりも、多少見栄えが異なっても実機を使ったシーンを織り込むことの方が喜ばれる。零戦以外でも、アメリカ戦争映画のレギュラーであるB-17などはF型以前の飛行可能機がいないため、アゴ銃塔付きのG型がE型に化けていたりはしょっちゅうである。
*8 敵攻撃機を阻止撃墜するため空戦に勝ること。大口径20mm機銃の搭載すること。最大6時間の飛行能力を有すること……等々。
*9 Stille, Mark. Guadalcanal 1942–43: Japan's bid to knock out Henderson Field and the Cactus Air Force
*10 なお日本側が一撃離脱と呼ぶが、降下して振り切った後上昇して上空から降下攻撃をかけるのを米側はドッグファイトと扱っている
*11 ロッテ戦術。長機と列機が相互に支援しやすい飛行隊形。対戦闘機としては現在も使われている戦術。
*12 ちなみに2017年5月現在で艦これでは登場していないが、航続距離の問題から32型を21型の主翼面積に戻した22型はバランスタブが装着されており、固定タブだった21型よりロールはよかった。
*13 零戦は設計段階では降下制限速度はもっとあると見積もられ、一説では時速900kmが降下制限速度と計算された。しかし、1941年4月に空中分解事故が起き、原因は主翼外鈑の強度不足とされた。改修が行われたが、二一型の降下制限速度は時速629kmに制限された。一説には降下制限速度が過大に見積もられた原因は計算ミスによるものとされる。
*14 南太平洋海戦では瑞鳳艦戦隊隊長の日高大尉が空母瑞鶴と交信しているが、これはモールス信号の電信を使用した。兵学校出身の士官パイロット達はモールス信号の送受信ができたが、下士官戦闘機パイロット達は海兵団での触りでしかやっていないためできなかった
*15 ただし九六式空一号無線電話機は電信機能もあり、これを丸ごと外したらそもそも母艦と連絡が取れないので、電話機の部分のみを外す
*16 また、1944年になるまで海軍には「機体に無線機を載せた状態での動作状態に責任と権限を持つ部署」が存在しなかった。それまではどうしていたかと言うと、機体は航空本部のスタッフが試験して受領し、無線機は艦政本部のスタッフが試験して受領し、部隊は機体と無線機を個々に受領して自分たちで搭載し配線していた。ゲームと関係ない話なので、興味がある人は海上自衛隊教育資料「海軍通信史」を参照
*17 そして、太平洋戦争終了後も、零戦の優秀さは米軍パイロットの間で語り継がれていくこととなる。東西冷戦期のF-14のパイロット達の間でさえも、「ゼロとは空戦をやりたくない。先輩パイロットからゼロの性能は散々聞かされているんだ」と口にしていた位である。なおフィクションではあるが、史村翔原作・新谷かおる作画の「ファントム無頼」にて、航空自衛隊のF-4EJと零戦が模擬空中戦を行う話がある。
*18 日本製の航空機の全機破壊、飛行禁止はもちろんのこと、日本人が航空機を操縦することや、戦闘機の模型を所持することまで禁じられたほどである。
*19 なお同じエンジンを搭載した陸軍の一式戦闘機一型は開発時は防弾装備の要求は無かったが、ノモンハン事変時の戦訓から設計三回で防弾装備の追加が決定された。とはいえ操縦席に装甲は乗せておらず、防漏タンクを装備するに留まった。この防漏タンクの対弾性能は7.7mmまでで連合軍機と戦うには十分とは言えなかった。その為防弾装甲や12.7mmに対応した防漏タンクを搭載したのは栄21型/ハ115を搭載したⅡ型かつ1943年6月から生産されたマイナーチェンジ版からである。
*20 開戦時2年6ヶ月以上の飛行勤務をした熟練者が全体の約5割、17年年末には2割まで減少した
*21 空技廠は欧州の空戦を分析しており、防弾装備のない戦闘機は実戦に耐えられないと報告をだしている。また、日中戦争における実戦で必要性は多々訴えられていた。
*22 F4FやP40といったアメリカ戦闘機達も防弾装備は開戦直前の改修による後づけである、F6Fといった新型は最初からだが、日本も雷電や紫電改では最初からついている。