零式艦戦21型(台南空)

Cached: 2021-10-22 21:22:29 Last-modified: 2021-10-13 (水) 18:45:28
No.416
零式艦戦21型(台南空)局地戦闘機
装備ステータス
火力雷装
爆装対空+11
対潜索敵+1
対爆+1迎撃+3
戦闘行動半径7
装備可能艦種
駆逐艦軽巡洋艦重巡洋艦戦艦
軽空母正規空母水上機母艦航空戦艦
備考
開発不可、改修不可
基地航空隊にのみ配備可能
2021春イベE-4甲・乙作戦突破報酬*1
圧倒的な練度を誇る、基地航空隊の戦闘機部隊「台南空」。
数々のエースを輩出した熟練戦闘機搭乗員による零戦隊です。
初期型ではありますが、航続距離が長く現場に愛された零式艦戦21型を駆り、
制空戦闘や防空、攻撃機援護に活躍しました。

ゲームにおいて

  • 2021/05/20 令和三年度春イベント「激突!ルンガ沖夜戦」で実装。
    • 名前は艦戦だが分類は【局地戦闘機】で、基地航空隊専用の機体。
  • ネームド以来約4年ぶりに登場した、戦闘行動半径7の戦闘機。
    • 出撃時の制空値は、甲作戦の★+4で16.3、乙作戦の★+2で15.9である。
    • 実装時点の行動半径7の戦闘機では64戦隊と零式艦戦22型(251空)に次ぐ性能を誇る優秀な装備である。

性能比較表(装備最大値/局戦・陸戦早見表/テーブルより転送)

長いので折りたたんでいます

No名称火力対空索敵対爆迎撃装甲対空値
(出撃時)
対空値
(防空時)
戦闘行動半径配置コストボーキ
消費*2
入手方法改修備考追加
175雷電65291826108任務、イベント、ランキング-編集
201紫電一一型81119.51136108、ランキング編集
202紫電二一型 紫電改913213.51446108改修、ランキング-編集
263紫電改(三四三空) 戦闘30111242171946108イベント-編集
333烈風改10621132449162イベント-編集
334烈風改(三五二空/熟練)1173115.52849162イベント-編集
418零式艦戦22型(251空)1211316.5177472イベント編集
416零式艦戦21型(台南空)1111315.5167472イベント編集
417零式艦戦32型(台南空)1211418185472イベント編集
350Me163B292201472イベント、ランキング-高高度局戦編集
351試製 秋水282181472任務、イベント、ランキング-高高度局戦編集
352秋水393211472イベント、ランキング-高高度局戦編集
354Fw190 D-92123316.52138144イベント-編集
176三式戦 飛燕81312.51337126任務、イベント編集
177三式戦 飛燕(飛行第244戦隊)934151947126イベント、ランキング編集
185三式戦 飛燕一型丁92313.51647126改修、イベント、ランキング編集
218四式戦 疾風101111.51357126イベント編集
221一式戦 隼II型62986472、イベント、ランキング編集
222一式戦 隼III型甲171311.5126472改修、イベント、ランキング編集
223一式戦 隼III型甲(54戦隊)2811312.5137472イベント、ランキング-編集
225一式戦 隼II型(64戦隊)11111518.5187472イベント、ランキング-編集
250Spitfire Mk.I17218.5124590任務、イベント、開発編集
251Spitfire Mk.V193212175590改修、イベント編集
253Spitfire Mk.IX(熟練)11024161846108イベント-編集
  • 濃緑色は局戦薄緑色は陸戦
  • 火力および装甲の効果は不明
  • 艦載機との制空値比較はこちらの表を参考のこと
  • ウグイス色は出撃時対空値空色は防空に関連する数値

小ネタ

  • 元ネタはラバウル基地に初期より零戦二一型を主力として展開し、ガダルカナル島をめぐる戦いでは往復で2000km強にもなる距離を連日戦った台南海軍航空隊所属機。
  • 台湾の地名である台南を部隊名に冠する当部隊がなぜラバウルに関連があるのか疑問に思う方もおられるだろうが、これは部隊が台湾台南基地で結成されたためである。
  • この台南空に所属していた太田敏夫・坂井三郎・西澤廣義の三大エースは、「台南空の三羽烏」とも呼ばれた。

発足

  • 1941年10月1日、日中戦争のさなか重慶・成都爆撃に参加していた第一航空隊*3から、戦闘機隊を分離し開設。台湾南部の台南基地にあって対米戦を見据え、台湾より1000km前後南方にあるフィリピン米軍基地郡への航空攻撃参加の為、長距離洋上飛行に重点を置いた訓練を積んでいた。
  • それに先立つ1941年1月15日、当時連合艦隊直轄だった第一第二第四各連合航空隊はその数字に「二十」を追加したうえで航空戦隊に名称を改めた。そしてその三個航空戦隊で日本海軍初の基地航空部隊による艦隊「第十一航空艦隊」が編成される。これにより、それまで連合艦隊や各艦隊に所属してバラバラだった日本海軍基地航空隊は指揮系統が一元化され、第一航空隊も開隊時は第四艦隊に所属していたが、重慶などへの爆撃任務を経て帰還後に第十一航空艦隊に移籍、第二十一航空戦隊に配属されるが、その際、戦闘機隊が分離して台湾に進出、それが台南海軍航空隊の母体となった。
    • 第一航空隊から分離した台南空は第三航空隊と共に新編の第二十三航空戦隊に配属となる*4
      • この編成替えの際、それまで各隊で陸攻隊、艦戦隊が混成していたのを改め、第二十一、二十二両航空戦隊所属の4隊(鹿屋空、一空、元山空、美幌空)は陸攻部隊のみとなり、艦戦隊は第二十三航空戦隊の三空、台南空の2隊に集約される事になる。

開戦~フィリピンへの攻撃

  • 1941年12月8日、第十一艦隊の航空戦隊のうち、台南空の所属する第二十三航空戦隊は、第二十一航空戦隊と共にフィリピン攻略作戦に従事する*5。台南空はアメリカ陸軍航空隊の拠点であるクラーク飛行場を攻撃する陸攻隊の護衛を担当する事になる。
    • この時、第十一航空艦隊側はハワイ真珠湾攻撃のタイミングに合わせて攻撃する*6ため、0230時の発進を予定していたが、その数時間前から台南を濃霧が多いだし、出撃が不可能となってしまう。その後も第十一航空艦隊は天候の状況を見ながら作戦を一部変更*7し、1000時頃から霧も晴れてきたことで1015時発進開始、1330時両飛行場攻撃とする。
    • 台南空は、新郷英城飛行隊長(大尉)*8に率いられて36機が出撃、高雄空の陸攻26機*9を護衛してクラーク飛行場攻撃に向かう。途中2機が引き返し*10て34機となるが1335時にクラーク飛行場上空に到着、直ちに攻撃を開始する。
      • 飛行場は滑走路に多くの機が並び、全くの奇襲攻撃となった。陸攻隊が爆撃を開始する中、台南空は二個中隊が基地上空を制圧し、残り三個中隊が飛行場の各目標への銃撃を開始した。制圧を終えた部隊の一部は、隣のデルカルメン飛行場への攻撃も行い、邀撃に出てきた米戦闘機と交戦するもこれを瞬く間に撃滅し、同飛行場にも攻撃を実施する。
      • 奇襲が成功した要因に、実は「濃霧による出撃の遅れ」があったという。米軍側は真珠湾攻撃の報を受け、直ちに飛行場の航空機を出撃させ、上空退避と迎撃態勢を取らせたのだが、なかなか日本側が襲来せず、そのうち燃料がなくなってきたので補給のため一旦飛行場に帰還させた。その瞬間に日本の航空隊が襲来したのである。
  • 開戦初日で台南空ら基地航空隊は大戦果を挙げ、その後もフィリピン攻略戦で戦果を挙げ続けている。

ラバウルへの進出

  • フィリピン攻略戦を経た台南空は更にバリ島ジャワ方面での制空制圧作戦に参加する。そのころ第十一航空艦隊では新しく第二十五航空戦隊を編成する。これは建制上は第十一航空艦隊所属だが、軍隊区分上は第四艦隊基幹の「南洋部隊」へ配属され、台南空も第二十五航空戦隊へ移籍する。
    • 当時南洋部隊が管轄する中部太平洋では、真珠湾攻撃を生き残った米艦艇が、空母を中心にした任務部隊を編成し、中部太平洋の日本側拠点をゲリラ的に攻撃を加えていた。しかしこの方面を管轄する南洋部隊の戦力は少なく、管轄海域の全てを防衛する事は不可能だった。
      また、連合艦隊は南方作戦成功後の第二期作戦として米豪の分断を企図していて、その布石としても有力な航空隊をこの方面に出しておこうという魂胆もあった。
  • 機体や機材を現地の南西方面部隊に残して台南空本隊は輸送船「小牧丸」に便乗、4月16日にラバウルに到着する。この頃はポートモレスビーを拠点に日本の占領したラバウルやラエを攻撃する連合国軍航空部隊と、それを迎え撃つ日本側との間で激戦が行われており、ラバウルにも連合国軍による空襲が頻発していた。実際台南空到着の2日後の18日にも空襲があり、荷揚げが済んでいなかった小牧丸は被弾炎上して沈没、桟橋や沿岸施設にも延焼して桟橋が使用不能になっている。
    • 台南空への新機や機材は、11日までには輸送船*11や特設空母春日丸*12で運ばれていたが、組み立てや整備が済んでおらず、作戦参加は20日以降となる。
      しかしその間にも連合国側からの空襲が頻発、前進基地でもあったラエにも攻撃の手が広がり、展開していた陸攻隊にも損害がでてしまう。そこで台南空の一部がラエにも展開する事になり、副長の小園安名中佐が同地に進出して現地指揮官となっている。
  • 4月20日以降、台南空はポートモレスビー攻撃のため、陸攻隊の援護や地上設備への銃撃、迎撃機への攻撃、更には来襲する連合国機への迎撃戦などで活躍する。5月にあるとポートモレスビー攻略作戦「MO作戦」にも参加し、ポートモレスビー攻略部隊、ツラギ攻略部隊を乗せた船団の上空護衛ポートモレスビーや豪州北東部の敵航空戦力の殲滅に従事する。
  • 坂井三郎氏の著書などでも紹介されている、ポートモレスビー上空での「反転宙返り」の話は、この頃の出来事である。
    • 零戦18機で出撃した台南空、それに加わっていた坂井氏と親友の西澤廣義、太田敏夫の3人は敵の度肝を抜こうと日頃考えていたある「企み」を実行する。
      空戦後、帰投する中で3人は独断で反転、ポートモレスビー上空に戻った3人は編隊を組み、敵基地上空で6回も見事な「編隊宙返り」*13を披露、敵も呆気にとられたのか反撃もせず、3人は何食わぬ顔でラエに帰投する。
      • この悪戯は3人だけの秘密だったのだが、瞬く間に搭乗員達の間で話題となり、3人は隊長の笹井中尉から大目玉を食らってしまう。
        また、一説では編隊飛行に感心した連合国側が数日後にラエに飛来した際、連絡筒を投下。中には「先日の宙返りが気に入ったので、次に来るときは歓迎しますよ」とあり、またまた3人は笹井隊長から怒られる羽目になったともいわれている。
    • …というのが「編隊宙返り」話として知られる話であるが、実際にあったのかどうかについては疑問符もある話である事を最後に付け加えておく。理由については長くなるので触れないが、一方で当時の連合国パイロットでも目撃情報があるとの話もある。日にちなどについても、著書では5月27日としているが、17日説などもある。
      あくまでも「戦場神話」「講談」の類として聞いてた方が良い話だと思っておいた方が良いと思われる。
  • 攻略作戦自体は珊瑚海海戦の発生などもあり作戦延期となる。五航戦などMO作戦参加艦艇は随時引き揚げていくが、ラバウルやラエに展開する台南空ら基地航空部隊は引き続きポートモレスビー等の連合国拠点への空襲や、逆に来襲する連合国航空機への迎撃戦を展開する。
  • 5月20日、ラエに展開していた台南空は休養と訓練の為ラバウルに帰投する。以後部隊はラウルにてポートモレスビーへの攻撃を継続していくが、8月7日のポートモレスビーへの攻撃は突如中止となる。連合国軍の船団がガダルカナル島へ上陸、同島で完成したばかりの飛行場が制圧されてしまい、その反撃のために台南空が陸攻隊を護衛して出撃する事になったためである。以後半年近くにわたり行われるガダルカナル島の戦いの始まりであった。
    • 急遽ガダルカナル沖の米船団攻撃に向かった攻撃隊(一式陸攻27機と99式艦爆9機)とそれを護衛する台南空の零戦17機は米軍機の阻止行動により思うような戦果は挙げれず、16機損失の大損害*14を被る。坂井三郎も帰路に米軍機編隊と交戦して頭部を負傷、戦線離脱を余儀なくされている。
      攻撃は翌8日にも実施されその夜には第一次ソロモン海戦が発生、これらの日本側の果敢な反撃に同地に居続けるのは危険と判断したアメリカ側指揮官のフレッチャー中将は揚陸作業を中断して空母群と輸送船団を南方に退避させる決断をする。
      このため上陸したまま取り残されたアメリカ第1海兵師団は支援も補給もないまま戦い続ける羽目となったが、日本側がアメリカ上陸部隊の規模を過小評価し、反撃戦力を当初は1個大隊規模しか送らなかった事などもあり、戦果を活かせずに奪還にも失敗してしまう。
      • フレッチャーが撤退を決断した要因に、戦闘機隊の損耗が激しかった(損耗率21%)事が挙げられるが、これは7日の台南空との交戦での被害と言われている。
  • 以後、台南空はガダルカナル方面へ主戦場をシフトし、厳しい航空戦を展開していく事になる。この間、数多くの隊員たちが再編の為に内地に帰還する11月中旬までの間に戦死したり負傷して後送されることになる。
    • 反転宙返りの項で出てきた「台南空三羽烏」の一人といわれる太田敏夫(10月21日戦死)や隊長の笹井醇一中尉(8月26日戦死)も、相次ぐ出撃の中で戦死していった。
  • そして11月1日、部隊名を「第251海軍航空隊」に変更、損耗の部隊は開戦以来初めて内地に帰還する。こうして開戦以来前線で戦い続けた台南海軍航空隊は、名称を変えてラバウルを去ったのであった。
  • 因みに台南空を指して「ラバウル航空隊」と言われるが、実際にはラバウルに展開したのは台南空だけでなく、それも進出第一号ではない。最初にラバウルに展開した航空隊は千歳海軍航空隊で、当初は九七式飛行艇、その後翔鶴瑞鶴に輸送された九六式艦戦18機が配備された。
    2月10日には一式陸攻18機で第四海軍航空隊が編成され配備、20日に発生したニューギニア沖海戦では九六式艦戦では足が短かったため一式陸攻だけで米機動部隊を攻撃して壊滅。その後第一航空隊から補充や、九六式艦戦の零戦への更新が行われつつ米軍と交戦し続けている。
    台南空らが配備されたのはこの後である。

この装備についてのコメント


*1 甲は★+4、乙は★+2
*2 1スロ当たり
*3 1941年4月10日新竹飛行場で開隊した部隊。艦上戦闘機24機、陸上攻撃機36機で構成する部隊で対米英戦を考慮して内南洋哨戒・敵艦隊迎撃を任務としていたが、日中戦争の激化で大陸に進出し、重慶や成都への爆撃任務に参加していた
*4 代わりに第二十四航空戦隊が第四艦隊に移籍したので、第十一航空艦隊が三個航空戦隊編成であるのには変わらない
*5 第二十二航空戦隊はサイゴンに展開、マレー沖海戦で活躍する事になる
*6 攻撃の報を受けて防衛体制を整えられるのを防ぐため
*7 当初は鹿屋空が陽動攻撃をするなどが盛り込まれていたが、濃霧で出撃が遅れた事で帰還が夜になってしまう事を懸念し、全航空隊が一挙に目標の、イバ及びクラーク両飛行場を攻撃するものに変更した
*8 海兵59期で、同期には艦これでは「友永隊」でおなじみの友永丈市、神風艦長として米潜水艦との死闘で有名な春日均、伊58艦長として米重巡洋艦「インディアナポリス」撃沈を果たした橋本以行などがいる。日中戦争では中国系アメリカ人で義勇兵として中国空軍に加わっていたアメリカ軍で第二次世界大戦最初のエースパイロットである陳瑞鈿(アーサー・チン)上尉と交戦もしている。台南空の後は六空などで隊長を務め、翔鶴の戦闘機隊隊長時には南太平洋海戦にも参加している
*9 本来は27機だったが発進時に1機がパンクによる離陸失敗で損失
*10 1機はエンジンの不調で、もう1機はフィリピン爆撃を終えて帰投する陸軍重爆隊を敵機と誤認し、接敵行動をしたことで仲間とはぐれてしまい、帰投した
*11 分解した零戦12機を輸送
*12 零戦24機を搭載して輸送
*13 高度4000mでの反転を3回、更に高度を落として2000mでも3回披露した
*14 内訳は一式陸攻5機、99式艦爆9機全機、零戦2機