No.175 | ||||
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雷電 | 局地戦闘機 | |||
装備ステータス | ||||
火力 | 雷装 | |||
爆装 | 対空 | +6 | ||
対潜 | 索敵 | |||
対爆 | +5 | 迎撃 | +2 | |
戦闘行動半径 | 2 | |||
装備可能艦種 | ||||
駆逐艦 | 軽巡洋艦 | 重巡洋艦 | 戦艦 | |
軽空母 | 正規空母 | 水上機母艦 | 航空戦艦 | |
備考 | ||||
開発不可、改修可、入手方法 基地航空隊にのみ配備可能 | ||||
「十四試局地戦闘機」として開発された、対爆撃機要撃に特化した迎撃戦闘機「雷電」です。 零戦などの艦上戦闘機「甲戦」に対して、局地戦闘機「乙戦」として開発・運用されました。 格闘戦向きではありませんが、優れた上昇力と大火力を備えています。 |
ゲームにおいて
- 艦これ初の【局地戦闘機】。
- ちなみに、局地戦闘機と陸軍戦闘機でカテゴリ違いによる挙動の違いは確認されていない。
…のだが、パラメータが異なるため運用上の「得手/不得手」が存在する。詳しい説明は後述
- ちなみに、局地戦闘機と陸軍戦闘機でカテゴリ違いによる挙動の違いは確認されていない。
局地戦闘機について
雷電について
- 基地航空隊「出撃時」の制空値*1は対空+9相当と紫電改二程度だが、「防空時」の制空値*2は対空+18相当である。
- 防空分野においては制空値こそ三式戦 飛燕(飛行第244戦隊)や紫電改(三四三空) 戦闘301には及ばないが、対爆+5による強力な撃墜ボーナスを考慮すると防空用に最適の機体だと言えるだろう。*3
- 拮抗状態でも敵機の全撃墜を狙える貴重な機体であるため、今後甲難易度への挑戦を考えている提督は万一の場合(拮抗で完全防空が要求されるなど)を考えるとできるだけ優先して入手しておきたい。
- 防空分野においては制空値こそ三式戦 飛燕(飛行第244戦隊)や紫電改(三四三空) 戦闘301には及ばないが、対爆+5による強力な撃墜ボーナスを考慮すると防空用に最適の機体だと言えるだろう。*3
- 対爆+5は実装時の陸上機の中では最大だった。一方対空値は+6と零式艦戦52型と同程度。初期型がモチーフだろうか。
- 対爆値の高い機体は、基地防空時に敵機の撃墜量が増えることが確認されている。
- 対爆値の高い機体は、基地防空時に敵機の撃墜量が増えることが確認されている。
- 開発可能な代替装備とその改修については以下の通り。
- Spitfire Mk.Iが特定の秘書艦で開発可能。
- これを改修更新してSpitfire Mk.V(対爆+3)にし、そこから更に★maxにすれば制空能力は雷電を上回る。
このため図鑑埋めを気にしないのであれば、Spitfire Mk.Vで雷電の代用が出来る。
改修で対爆値は伸びないので対爆+5は雷電のアピールポイントではある。
- これを改修更新してSpitfire Mk.V(対爆+3)にし、そこから更に★maxにすれば制空能力は雷電を上回る。
- 二式複戦 屠龍が特定の秘書艦で開発可能。
- これの改修更新で得られる二式複戦 屠龍 丙型(防空対空17,対爆+6)や、更に更新してのキ96(防空対空19,対爆+5)も防空の候補となる。
キ96は後半こそ改修素材が重いが、改修しやすい★+6時点でも防空対空20.2と、こちらが★maxでも勝てない領域になる。
- これの改修更新で得られる二式複戦 屠龍 丙型(防空対空17,対爆+6)や、更に更新してのキ96(防空対空19,対爆+5)も防空の候補となる。
- Spitfire Mk.Iが特定の秘書艦で開発可能。
入手方法について
- 入手方法は2020年11月現在、過去のイベント報酬、ランキング上位報酬、そして単発任務が1つ。
- 2018年 任務『基地航空隊戦力の拡充』選択報酬
過去の入手方法
- 2016年 春イベント『開設!基地航空隊』E-5 甲・乙作戦 突破報酬
- 2016年 7月作戦報酬 (1位~100位)
- 2016年 秋イベント『発令!「艦隊作戦第三法」』E-1 甲作戦 突破報酬
- 2018年 期間限定任務『護衛始め!「海上護衛隊」なお正月!』選択報酬
- 2024年 艦隊"南瓜"祭り任務『【期間限定任務】南瓜祭り艦隊、南西諸島へ!』選択報酬
- 2024年 鎮守府秋刀魚祭り『【秋刀魚祭り拡張作戦】北方漁場防衛強化!』選択報酬 (★+3)
性能比較表(装備最大値/局戦・陸戦早見表/テーブルより転送)
No | 名称 | 火力 | 対空 | 索敵 | 対爆 | 迎撃 | 装甲 | 対空値 (出撃時) | 対空値 (防空時) | 戦闘行動半径 | 配置コスト | ボーキ 消費*4 | 入手方法 | 改修 | 備考 | 追加 |
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175 | 雷電 | 6 | 5 | 2 | 9 | 18 | 2 | 6 | 108 | 任務、イベント、ランキング | ◯ | 編集 | ||||
201 | 紫電一一型 | 8 | 1 | 1 | 1 | 9.5 | 11 | 3 | 6 | 108 | 任務、ランキング、開発 | ◯ | 編集 | |||
202 | 紫電二一型 紫電改 | 9 | 1 | 3 | 2 | 13.5 | 14 | 4 | 6 | 108 | 改修、ランキング | - | 編集 | |||
263 | 紫電改(三四三空) 戦闘301 | 11 | 2 | 4 | 2 | 17 | 19 | 4 | 6 | 108 | 改修、イベント | - | 編集 | |||
264 | 紫電改(三四三空) 戦闘701 | 11 | 2 | 4 | 2 | 17 | 19 | 4 | 6 | 108 | イベント | △ | 編集 | |||
265 | 紫電改(三四三空) 戦闘407 | 11 | 2 | 4 | 2 | 17 | 19 | 4 | 6 | 108 | イベント | △ | 編集 | |||
333 | 烈風改 | 10 | 6 | 2 | 1 | 13 | 24 | 4 | 9 | 162 | イベント | - | 編集 | |||
334 | 烈風改(三五二空/熟練) | 11 | 7 | 3 | 1 | 15.5 | 28 | 4 | 9 | 162 | イベント | - | 編集 | |||
350 | Me163B | 2 | 9 | 2 | 20 | 1 | 4 | 72 | イベント、ランキング | - | 高高度局戦 | 編集 | ||||
351 | 試製 秋水 | 2 | 8 | 2 | 18 | 1 | 4 | 72 | 任務、イベント、ランキング | - | 高高度局戦 | 編集 | ||||
352 | 秋水 | 3 | 9 | 3 | 21 | 1 | 4 | 72 | イベント、ランキング | - | 高高度局戦 | 編集 | ||||
354 | Fw190 D-9 | 2 | 12 | 3 | 3 | 16.5 | 21 | 3 | 8 | 144 | イベント | - | 編集 | |||
418 | 零式艦戦22型(251空) | 12 | 1 | 1 | 3 | 16.5 | 17 | 7 | 4 | 72 | イベント | △ | 編集 | |||
416 | 零式艦戦21型(台南空) | 11 | 1 | 1 | 3 | 15.5 | 16 | 7 | 4 | 72 | イベント | △ | 編集 | |||
417 | 零式艦戦32型(台南空) | 12 | 1 | 1 | 4 | 18 | 18 | 5 | 4 | 72 | イベント | △ | 編集 | |||
516 | Me 262 A-1a/R1 | 15 | 6 | 1 | 16.5 | 28 | 3 | 13 | 234 | イベント | - | 爆装+3 | 編集 | |||
546 | 試製 震電(局地戦闘機) | 14 | 5 | 4 | 20 | 28 | 2 | 9 | 162 | ランキング | - | 編集 | ||||
176 | 三式戦 飛燕 | 8 | 1 | 3 | 12.5 | 13 | 3 | 7 | 126 | 任務、イベント | ◯ | 編集 | ||||
177 | 三式戦 飛燕(飛行第244戦隊) | 9 | 3 | 4 | 15 | 19 | 4 | 7 | 126 | イベント、ランキング、改修 | △ | 編集 | ||||
185 | 三式戦 飛燕一型丁 | 9 | 2 | 3 | 13.5 | 16 | 4 | 7 | 126 | 改修、イベント、ランキング | ◯ | 編集 | ||||
218 | 四式戦 疾風 | 10 | 1 | 1 | 11.5 | 13 | 5 | 7 | 126 | イベント | △ | 編集 | ||||
221 | 一式戦 隼II型 | 6 | 2 | 9 | 8 | 6 | 4 | 72 | 任務、イベント、ランキング、開発 | ◯ | 編集 | |||||
222 | 一式戦 隼III型甲 | 1 | 7 | 1 | 3 | 11.5 | 12 | 6 | 4 | 72 | 改修、イベント、ランキング | ◯ | 編集 | |||
223 | 一式戦 隼III型甲(54戦隊) | 2 | 8 | 1 | 1 | 3 | 12.5 | 13 | 7 | 4 | 72 | イベント、ランキング | - | 編集 | ||
225 | 一式戦 隼II型(64戦隊) | 1 | 11 | 1 | 1 | 5 | 18.5 | 18 | 7 | 4 | 72 | イベント、ランキング | - | 編集 | ||
250 | Spitfire Mk.I | 1 | 7 | 2 | 1 | 8.5 | 12 | 4 | 5 | 90 | 任務、イベント、開発 | ◯ | 編集 | |||
251 | Spitfire Mk.V | 1 | 9 | 3 | 2 | 12 | 17 | 5 | 5 | 90 | 改修、イベント | ◯ | 編集 | |||
253 | Spitfire Mk.IX(熟練) | 1 | 10 | 2 | 4 | 16 | 18 | 4 | 6 | 108 | イベント | - | 編集 | |||
445 | 二式複戦 屠龍 | 3 | 4 | 1 | 1 | 4.5 | 12 | 3 | 8 | 144 | 開発 | ◯ | 編集 | |||
446 | 二式複戦 屠龍 丙型 | 3 | 6 | 2 | 2 | 6 | 17 | 3 | 9 | 162 | 改修 | ◯ | 編集 | |||
452 | キ96 | 5 | 5 | 4 | 2 | 11 | 19 | 3 | 10 | 180 | イベント、改修 | ◯ | 編集 |
アップデート履歴
- 2016/05/03:実装。艦これ初の【局地戦闘機】。
- 2024/11/08:改修が可能になった。
提督、改修に三菱が開発した機体たちを使うのに、どうして任務達成で出来上がるのが、三菱の機体じゃないんだ?せめて、栄光にできなかったのか?
小ネタ
- 元ネタは、帝国海軍の局地戦闘機「雷電」(J2M)。連合軍によるコードネームは「Jack」。
- 支那事変で高々度を高速で飛来する爆撃機による爆撃の被害に悩まされていた海軍は艦戦だけではなく、海軍独自の陸上基地から発進する拠点防衛用の局地戦闘機を開発することを決断した。
- 海軍は十四試局地戦闘機の開発を三菱に指示、設計主務者は零戦の堀越二郎だった。
- これまで海軍の戦闘機が航続距離と運動性を重視していたのとは異なり、海軍はこの局地戦闘機に求めたのは敵爆撃機が飛行している高度に短時間で到達する上昇力と、敵爆撃機に追い付く速力、そして一瞬のチャンスに敵爆撃機へ致命傷を与え得る火力の三つであった。
- これに対し、高い上昇力と高速性を実現するためエンジンは当時日本で最大馬力だった「火星」を選択した。
- 「火星」は大直径の割に低馬力だったので*5、空気抵抗を可能な限り減少させるため、プロペラシャフトを延長して機首を絞り込み中央部が最も太くなる紡錘形の胴体を採用した。
- 飛行試験が始まると最大出力発揮時に激しい振動が発生する問題が発覚した。原因はエンジンとプロペラの剛性不足による共振現象で、プロペラ減速比の変更とプロペラを剛性の高いものに取り替えることで問題ないところまで低減している。
- この振動問題の対処により採用が遅れに遅れ、十四試局地戦闘機が「雷電」として制式採用されるのは昭和18年に入ってからだった。
- ちなみに、同時期に陸軍が中島に発注したキ-44、二式戦闘機『鍾馗』は同じように一〇〇式重爆撃機『呑龍』のエンジンを搭載したが、無駄な部分はスパッと落とした構造で『雷電』と同程度の性能を発揮している。
陸軍でも雷電を採用する計画があったとされ、キ65の案のひとつとして雷電の陸軍仕様の採用が検討されたと言われる。- ただし、例によって海軍と陸軍の仲の悪さはここにも影を落としている。海軍の飛行機はスロットルを前に押すとエンジンの回転数が上がるものであったが、陸軍機はこの逆、つまりスロットルを引くと加速する仕様だったのである。*6つまり、陸軍用に仕様を変更するか、さもなくば機種転換訓練を繰り返したとしても、現場の混乱は避けられなかったであろう。
スロットルの操作方法が逆だったのは導入機材が関係しているとも言われる。*7
一式戦以降の陸軍機のスロットルの操作は海軍機と同じ操作方法にしたとされる。 - さらに加えるなら、鍾馗の戦力化は、少なくとも雷電よりははるかに順調に進んでおり、火力で勝るが多少運動性が良いこと以外に目覚ましいものがない雷電を陸軍が採用するという、この計画そのものに疑問符が付いていた。ただ、この案が検討されたのは昭和15年の末頃と言われており、この時期の鍾馗は最高速度などの要求性能未達に悩んでいた時であった。雷電の開発が順調ではなくなると、最終的にキ65は陸軍航空工廠が設計を行う重戦闘機に計画が変更された。
- ただし、例によって海軍と陸軍の仲の悪さはここにも影を落としている。海軍の飛行機はスロットルを前に押すとエンジンの回転数が上がるものであったが、陸軍機はこの逆、つまりスロットルを引くと加速する仕様だったのである。*6つまり、陸軍用に仕様を変更するか、さもなくば機種転換訓練を繰り返したとしても、現場の混乱は避けられなかったであろう。
- これまでの日本軍機は翼面荷重を控えめにすることを心掛けてきたが本機においては翼面荷重は約175kg/m2(以下単位は省略)と比較的高い数値であった。当時海軍で主流だった零戦は107、後期の五二型で128とかなり低い数値であったため、これが後述の零戦で訓練を行ってきた操縦士による扱いづらいという評価にもつながっている。翼面荷重の高い本機は不安定であり雲が苦手であったという評価もある。
- ただしこの翼面荷重の増加に関しては世界的な動きであり、また大きいものが悪いという訳ではないのに注意が必要である。翼面荷重は翼面積当たりの重量で計算をされるが、エンジンの大型化や重武装化が進展するにつれコンセプトにより差はあれどこの数値は高くなっていくものである*8*9。零戦のような重武装+軽量+広い翼面積というのは特例のようなものである。なお軽量化のために防弾設備が犠牲になっている
- 翼面荷重が大きくなると滑走距離が自ずと伸びてしまう。また旋回力が落ちるため格闘戦がやや苦手となってしまう傾向がある。そこで従来日本軍機は翼面荷重を抑えるよう計画をしていた(烈風に関してもこの点が重要視され設計の困難さが増していた)が、雷電は陸上運用と迎撃機として利用をされたため、この点に関しては問題となっていない。
- また、格闘戦に関して言えば翼面荷重の他に翼線荷重、つまり同じ翼面荷重でも高アスペクト比の主翼のほうが有利になる。
- これがどういう関係があるのかと言うと、日本は想定戦場に整備された滑走路を期待できないことから、海軍にしろ陸軍にしろ長い航続距離を求めた。短い短いと言われる本機や鍾馗でも1000kmは飛べた。この為、高アスペクト比の主翼を採用せざるを得なかった。これが転じて、低空での異様な格闘性能の高さに繋がっていくのである。ちなみに、最初からこれを狙って採用したのが三式戦である。翼面荷重の数字だけ見れば大差ないスピットファイア*10でも日本機相手に格闘戦は禁物だった。いっそ清々しくロールレートをとって短い主翼を採用したFw190の方がまだ優位だった。
- よくある「烈風 v.s. F8F」で烈風が「……んー、(所定の性能が出ていれば)互角までは行けるんじゃないの?」と言われる所以はここである。ちなみにF8F-1の翼面荷重はメートル法換算で約160である。
- 後年アンダーパワーのレシプロエンジンから、エンジンの推力を使って多少強引な機動ができるようになったジェット機でも、この法則は破れていない。カッ飛ばし屋の空軍の超音速機に対して、艦載機のF-4は艦上運用という制約から低翼面荷重・高アスペクト比の主翼を採用していたことから、後々「結局戦闘機に格闘戦は不可避の存在」となった時、なんとか戦える性能を持っていた。その後継であるF-14やF-15では、更にアスペクト比は高くされている。
- 零戦に乗り慣れた古手のパイロットには着陸が難しく、幾人もの死者が出て殺人機の異名がついた。「雷電国を滅ぼす。国破れて銀河あり」と嘯くパイロットもいた。
- 理由は雷電が失速速度付近の安定性が悪く、失速に入る前触れがない、失速したときに舵の効きが顕著に鈍くなる*11ため回復に時間が掛かり、回復するまでに大きく高度が低下する特性にある。また、キャノピー前付近の胴体が一番太く、断面も円に近かった為、操縦席からの前下方視界が悪いのも拍車をかけた。ベテランに染みついた着陸の際高めに進入して、エンジン出力を絞り失速気味に3点同時接地する空母への着艦方法は相性が悪く、狂気の沙汰とも言えるほど危険であった。
- 余談だが横索式空母の着艦方法はアレスティングワイヤーをフックにひっかけて“落す”ものである。このため空母への着艦は『制御された墜落』とも言われる。
- このような機体の場合、陸軍式に滑走路に低く進入して主車輪を接地してブレーキ、尾輪接地の方法なら問題なく着陸できるため、空母への着艦に慣れていない若手のほうがうまく扱えたのだ。*12
- この急失速の性質は一度起こってしまうと立て直しが極めて困難であるため、熟練若手を問わず着陸寸前に墜落という事故が多発している。新鋭機の採用初期というのはこのような不測の欠陥を抱えていることも多かった。*13
- 理由は雷電が失速速度付近の安定性が悪く、失速に入る前触れがない、失速したときに舵の効きが顕著に鈍くなる*11ため回復に時間が掛かり、回復するまでに大きく高度が低下する特性にある。また、キャノピー前付近の胴体が一番太く、断面も円に近かった為、操縦席からの前下方視界が悪いのも拍車をかけた。ベテランに染みついた着陸の際高めに進入して、エンジン出力を絞り失速気味に3点同時接地する空母への着艦方法は相性が悪く、狂気の沙汰とも言えるほど危険であった。
- 烈風が当初は十六試艦上戦闘機として発注されるはずが、三菱の開発スタッフが十四試局地戦闘機の開発と零戦の空中分解事故対策や改良型*14の開発で余裕がなかったため、一年先送りになった経緯がある*15*16。
雷電の評価が芳しくなかったこともあって、「もしも雷電開発を中止して烈風を優先していれば」とする見解もあるが、これは結果論である。
そもそも、一般的には「零戦の後継機は烈風」とされるが、雷電もまた零戦の後継機と目されていたという意外な一面があったのである。- 太平洋戦争開戦と前後して、海軍は空母艦載機隊よりも基地航空隊をより重視するようになっており、その意味では局地戦闘機もまた海軍の次期主力戦闘機の一角だったのだ。
- そして雷電の存在は、零戦の延命にも影を落としていた。
零戦のエンジンを金星に換装しようとする改良案が「雷電の生産が始まったので、三菱はそちらを優先させる」ために却下され*17、零戦そのものも大幅に減産*18*19しようとした。雷電が、零戦にとって代わるべき存在とみなされていたためでもある。
しかし雷電の生産は捗らず、量産化後も不具合に悩まされたため、この目算はあえなく崩れ去り、零戦の増産と改良型の開発促進を再び命じる事態になった。
そして、エンジンを金星に換装した零戦六四型は烈風同様に戦争には間に合わなかった。
- 三菱に烈風の開発と雷電の生産を打ち切り紫電改ライセンス生産に切り替える指示が出た際、堀越二郎は怒り狂い川西に対する暴言を吐いている。
- 採用が遅れたため米軍機と比較して特別高性能とも言えず、また当時紫電改の実用試験が始まっていたこともあり生産は少数であった。
- とはいえ、紫電改では高々度性能が不足気味で、迎撃機としては雷電の方が適していた。B-29にもっとも善戦した海軍機は本機であった。
日本では紫電改の影に隠れがちだが、世界的には陸軍の二式単戦『鍾馗』と並んでB-29キラーとして名高い。- 厚木海軍飛行場所属の第三〇二航空隊の雷電隊はB-29に対し多くの戦果を上げた。
これは雷電の性能だけではなく、雷電隊の赤松貞明中尉の若手搭乗員に対する熱心な指導による部隊全体の練度向上のおかげでもある。
- 厚木海軍飛行場所属の第三〇二航空隊の雷電隊はB-29に対し多くの戦果を上げた。
- とはいえ、紫電改では高々度性能が不足気味で、迎撃機としては雷電の方が適していた。B-29にもっとも善戦した海軍機は本機であった。
- 雷電の型式には次のようなものがある。
- J2M1(十四試局地戦闘機) は最初に開発された型式、火星一三型発動機を搭載し、曲面ガラスを使用した背の低い風防を装備していた(後に背を高くして視界を改善する)。
- 武装は翼内20㎜機銃2挺、先端に7.7㎜機銃2挺であり、これは零戦と同じであった。
- J2M2(十四試局地戦闘機改/試製雷電) は、J2M1をベースに水メタノール噴射装置と燃料噴射装置を追加した火星二三型に換装、排気管を集合式から推力式単排気管に変更し、20 mm機関砲を九九式二号銃三型に換装した型となっている。
- 戦局の悪化から、この機体はトライアル中に制式化が決定。小規模な改修を施した後、試製雷電の名称のままで初期生産型が実戦投入された。その後雷電の量産体制が整うと、それに合わせて量産型を「雷電一一型」に名称変更した。
一一型の中には武装を二式30㎜機銃*202挺に換装したものが少数存在していた。
- 戦局の悪化から、この機体はトライアル中に制式化が決定。小規模な改修を施した後、試製雷電の名称のままで初期生産型が実戦投入された。その後雷電の量産体制が整うと、それに合わせて量産型を「雷電一一型」に名称変更した。
- J2M3(雷電二一型) は武装を翼内20mm機銃4挺に強化したタイプ。
- この型は制式化の時期が当時の海軍の主力航空機用機関砲であった九九式20mm機銃の一号銃から二号銃への生産移行のタイミングとモロ被りしてしまい、二号銃の必要数を確保できない恐れがあったため、翼内側に二号銃、翼外側に一号銃を混載することとなった。少数だが、20mm機銃を二号銃に統一したJ2M3a(二一型甲)も試作された。
こういったことは機関砲の移行時期にはよくある問題であり、陸軍でも隼(12.7mm2門の予定が、当初は7.7mmと12.7mmを1門ずつ積んだ)などで同様の対応をとった事例がある。
- この型は制式化の時期が当時の海軍の主力航空機用機関砲であった九九式20mm機銃の一号銃から二号銃への生産移行のタイミングとモロ被りしてしまい、二号銃の必要数を確保できない恐れがあったため、翼内側に二号銃、翼外側に一号銃を混載することとなった。少数だが、20mm機銃を二号銃に統一したJ2M3a(二一型甲)も試作された。
- J2M4(雷電三二型) は発動機を排気タービン過給器付きの火星二三型丙に換装した高高度迎撃型。
- 空技廠型と三菱型の2種類があり、少数が製造され、うち空技廠型は一部試験的に実戦配備されたが、どちらの型も問題が多発し大々的な配備はされずに終わっている。
- J2M5(雷電三三型) は二一型をベースに、発動機を火星二六型に換装し、風防の高さを50ミリ、幅を80ミリ増やした上で、胴体側面を削り視界改善を図るといった改修を施したタイプ。
- こちらも20mm機銃を二号銃に統一したJ2M5a(三三型甲)や、武装を五式30mm機銃2挺に換装した機体が少数存在した。
- J2M6(雷電三一型) は、二一型に三三型と同じ視界改善だけを実施した型。昭和19年(1944年)末以降の三菱生産機は主にこの型式。
- 二一型・三三型と同様、20mm機銃を二号銃に統一したJ2M6a(三一型甲)も試作された。
- J2M7(二三型) は二一型の発動機を火星二六型に換装したタイプ。三三型の性能低下もあって高座工廠では機体をそのままに発動機を換装することにしたが、生産数の不足によりほとんど生産されなかった。
- 他にも五式30㎜機銃を搭載した機体や、胴体後部に20㎜の斜め銃を装備した改造機体などが少数存在した。
- キ65(雷電の陸軍仕様) 1943年に陸軍は当時海軍で設計が完了していた雷電をベースに改設計を施した機体をキ44の後継機として計画し、これをキ65として開発する予定だったが、後に雷電の開発が難航していることを知るとこの計画は破棄された。キ65の番号は満州飛行機の新設計襲撃機へと引き継がれたが、これも設計段階で開発中止になった。*21
- J2M1(十四試局地戦闘機) は最初に開発された型式、火星一三型発動機を搭載し、曲面ガラスを使用した背の低い風防を装備していた(後に背を高くして視界を改善する)。
- 本機の操縦者として名を馳せるのが、海軍航空隊きっての古豪・赤松貞明(あかまつ さだあき、1910~80)である。
松っちゃん伝説
- あだ名は「松っちゃん」。
- 酒豪・女好き・喧嘩好きと、海軍航空隊指折りの大問題児(ベテランエース)。
どれだけ古株かと言うと、零戦虎徹・岩本徹三が操縦練習生の34期生(1936年12月練習課程終了)で、赤松は17期生(1932年3月課程終了)という辺りで、お察しいただこう。*22
- 同じ時期に操縦教育を受け、日中戦争初期に軍神と称えられた「南郷茂章」(海兵55期、飛行学生22期、1932年11月練習課程終了)がおり、赤松とは親友だった。共に空母赤城乗り組みだった時は訓練で「どちらが標的に多くの弾を充てれるか」で競争し、初日は南郷が勝ち赤松はパイナップルの缶詰2つをおごらされた。翌日赤松は再戦を申込み今度は赤松が勝った。すると南郷は当時生まれたばかりだった赤松の子供のために横須賀で人形を買って贈ったという。赤松はこれを非常に喜び、南郷の死後もこの人形を大切にしていたという。
- 空母勤務時代は赤城・加賀・龍驤でその腕を鳴らした。
- 特に女好きで有名で、後輩の岩井勉も「あんなに堂々と女遊びやるので笑うしかなかったです」と述懐したとか。鈴鹿航空隊時代に教員連中連れ立って遊廓に行って、宿帳に司令、副長、飛行長、軍医長、主計長ら幹部士官の名を書いて一夜を楽しんだが、2ヶ月後、憲兵が宿帳をチェックしたときに上層部にばれ、司令から大目玉を食らったそうである。
- その岩井一飛曹の結婚式で、素肌に料亭の白いカーテンを肩からまとっただけで、「酋長の娘*23」を歌いながら踊りまくったのは、赤松飛曹長であった。
- 武芸百般で、荒くれだらけの航空隊にあってその典型のような人物であったが、実戦においては理論派とも言える戦い方で戦果を上げていった。
部下には、敵の攻撃に真正面からぶつかる軽挙を戒め、敵航空編隊の端から切り崩す戦法により、数の優位性を生み出すよう徹底して指導し、合理的に戦闘を進めなければいけない事を常に強調していた。
赤松が古豪にもかかわらず、雷電の性能を十二分に発揮できたのも、豪快な性格に反して論理的に雷電の特性を分析・把握していたからと言われる。
赤松からすると、長く零戦の性能に甘え切って雷電の特性を理解しないベテランたちが情けなかったらしい。
もっとも後述するが、赤松自身は海軍航空隊でもチートレベルの操縦者であることも付随しておく……。 - 自称“撃墜王の中の撃墜王”と大言も憚らず、自己申告では「350機を撃墜した!!」と常に自慢していた。
- ただ、公式記録では30機前後と10分の1。それでも太平洋側の戦闘機乗りとしては間違いなくエース級である。*24
- そういった大言も実力に裏打ちされたもので、零戦に搭乗していた時はともかく、図鑑説明にあるように「対戦闘機としてドッグファイトに不向き」なハズの雷電を駆って、
戦闘機P-51ムスタング、F6Fヘルキャットを撃墜する戦果を挙げている。わけがわからないよ……。- 坂井氏は、『雷電でヘルキャットと渡り合えるパイロットは、後にも先にも赤松中尉以外にはいない』と脱帽気味の言葉を残している。
- 特に、彼の大胆さ・頭脳明晰さを伝える有名なエピソードとして、米陸軍のP-51(ムスタング)75機の群れに零戦1機で突っ込み、1機撃墜して帰ってきたのがある(しかもちゃんと米軍側に記録あり。米陸軍第7空軍第15戦闘航空団第45戦闘飛行隊所属のP-51D)。この時彼は硫黄島に帰ってゆく編隊の最後尾を狙い奇襲で撃墜し、そのまま群れに突っ込んだ。これはまっすぐ逃げると追いかけてくるが、空戦に入れば燃料に不安を抱えているP51のパイロットはかかってこないと読んだためである。読み通り編隊はそのまま直進していったが、誤算があり、撃墜した機の僚機だけはしつこく攻撃してきて危うく自分のほうが燃料切れになるところであったという*25
- 生涯飛行時間6000時間、被撃墜回数0、被弾5発。
良くも悪くも破天荒な「海軍航空隊の名物男」であり、支那事変から太平洋戦争終戦まで、一パイロットとして、そして後進への優れた指導者として第一線で活躍し続け、戦時の航空隊の行く末を見届けた生き証人。 - 公人としての評価は甲乙分かれる人物だが、おおよそこの破天荒であけすけな性質から多くの関係者から慕われた好漢でもある。坂井三郎は自伝で彼を何度か紹介し、そのたび「良い先輩でした」と称賛している。
- 戦争を生き延びた彼はその後、高知で酒屋を営みながら、漁業連やかつての仲間たちと小型飛行機を乗り回して過ごしたという。晩年は酒好きが祟り、気管を患い69歳で死去した。
- 日本ニュース第254號1945年(昭和20年)7月1日公開の放送にて、生前の中尉が撮影されている。※You Tube映像
- 1945年2月、フィリピンのマニラ近郊の基地で、米軍が2機の雷電二一型を接収した。*26
鹵獲された2機の雷電
- 鹵獲された2機は米軍の徹底した調査の後、2度の試験飛行で日本側の公称値以上の数値をたたき出し、試験技師を驚かせた。この時乗ったテストパイロットは、「P-51よりは下だが、日本機の中では最良である」と感想を述べている。
- ただし、この試験飛行は、事前調査で発覚した出来の悪い部品や計器は全部米国製の部品に替えた上、米軍の高オクタン価の燃料と高品質のオイルを入れた、オーバーチューンどころかチートレベルのいじりを行った上での試験飛行なので、日本人が真に受けてはいけない。*27
- また、零戦の運動性に慣れきってしまった飛行士からは「視界が悪い」「運動性が悪い」「着陸が難しい」と散々な評価の雷電だったが、米軍のテストパイロットからは「狭いゼロのコックピットよりも乗り降りが楽で居住性も良い」*28「F4UやF6Fよりも視界が良い」*29「航続距離が長い」*30と全く逆の評価がされている。日本では深刻だった振動問題も、体格で優位に立つアメリカ人パイロットでは全く気にならなかったという。離着陸の難しさもこれに比べたら「はるかにマシ」というレベル。
やっぱり肉を常食する連中の考えは分からん。
- 鹵獲された2機は米軍の徹底した調査の後、2度の試験飛行で日本側の公称値以上の数値をたたき出し、試験技師を驚かせた。この時乗ったテストパイロットは、「P-51よりは下だが、日本機の中では最良である」と感想を述べている。
- この装備が実装される前から、暁型が二隻集合して雷電というネタがあった。かわいい。
知っているのか雷電!- ちなみに、初期の日本海軍には「雷電」という名前の艦が本当に存在していた。
数奇な運命の艦「雷電」
- 実はこの雷電、元々は英国王室御用達の王室ヨットで「エンペラー」という名だった。
・木造スクーナー型蒸気船
・長さ23間(約41.8m)
・幅3間(約5.45m)
・深さ1丈7尺(約3.23m)
・排水量370トン。
という諸元で、当時の「ヴィクトリア」女王も利用したヨットで、小型でスマートな快速遊覧船ながら構造が頑丈で、進水当時はアメリカの新聞で紹介されるなどしている。- 安政5年(1858年)7月4日(以後月日は旧暦表記)、日英修好通商条約に調印するために来日した英国使節エルギン伯爵ジェイムズ・ブルースにより、ヴィクトリア女王の名において将軍に寄贈された。英国側は将軍の遊覧船にでも使ってもらえればと考えていた(そのため内装も王室ヨット時代の豪華さのまま寄贈され、引き渡しの際幕府役人を驚かせている)ようだが、当の幕府は砲艦として使おうと考え、そのまま幕府海軍に組み込み名前も「蟠龍丸」と命名する。元治元年2月には運送船との区別のため軍艦は名前に「丸」を付けないことになり、名は「蟠龍」と改めている。
- その後は榎本が樹立した蝦夷共和国での主力艦として行動する。旗艦開陽は江差攻略の際の時化で座礁損失してしまうが、残った回天と共に宮古湾海戦*35に出撃、またしても暴風雨にあって艦隊が四散してしまい、本戦には参加出来なかった*36にが、帰路で甲鉄艦「甲鉄」以下の新政府艦隊と遭遇、性能的に振り切るのは困難な蟠龍だが、松岡艦長の操艦と天候の助けもあり振り切ることに成功している。
- 明治2年4月9日、乙部に政府軍が上陸し箱館戦争は本格化する。蟠龍ら蝦夷共和国艦隊は他艦と共に出動して木古内沖や当別(現・北斗市)沖で新政府艦隊と交戦するが双方とも大きな損害は出ず、5月11日の箱館総攻撃、それに伴う箱館湾海戦を迎える事になる。
- 5月11日の時点で、蝦夷共和国艦隊で稼働している軍艦は蟠龍だけだった。旗艦回天は5月7日に甲鉄艦の砲撃を機関に受けて座礁、船として動けなくなり浮き砲台となっていた。千代田は4月29日夜に箱館港で暗礁に乗り上げ座礁、復帰は絶望的と判断した艦長らによって艦は放棄されるが、その後潮が満ちて船体が離礁し無人の千代田は新政府軍に捕獲されてしまっていた。
そうした中で発生した箱館湾海戦、浮き砲台となった回天や、箱館湾防衛のための砲台「弁天台場」からの援護を受けつつ、蟠龍は孤軍奮闘する。 - 対する新政府艦隊は日本唯一の甲鉄艦である「甲鉄」*37を旗艦に「朝陽丸」*38、「春日丸」*39、「陽春丸」*40、「延年丸」*41、「丁卯丸」*42、の6隻からなり、常識的に考えれば370tほどの元遊覧船でしかない蟠龍は新政府艦隊に圧倒される筈だった。だが蟠龍は狭い湾内を軽快に動きつつ応戦し、7時30分ごろついに1弾が朝陽の弾薬庫に命中、同艦は大爆発を起こして2分で沈没、乗員110名中艦長の中牟田倉之助は奇跡的に救助されたが副長以下80名が戦死し、救助後にも6名が死亡するという大惨事となった。この蟠龍の奮闘に箱館の共和国軍の士気は大いに上がったという。
- だがそれでもこの戦力の差は覆すことは出来なかった。浮き砲台となっていた回天は集中砲火を受けて乗員は脱出、その後政府軍に占領され放火、完全損失となった。だが蟠龍はそれでも戦い続け遂に船内の全砲弾を撃ち尽くす。それでも船体自体に被害は殆どなかったので、「後々使うかもしれない」という松岡艦長の判断で弁天台場近くの浅瀬に乗り上げ、機関の破壊など、最低限の破壊工作だけして乗員は船を脱出し弁天台場に合流した。
その後新政府軍により蟠龍は占領され、回天のように放火されたが此方は上手くいかず火災は帆柱を炎上させるのみで船体には殆ど引火せず、そのうち帆柱が倒壊しバランスを崩して横転し、鎮火した。
- 5月11日の時点で、蝦夷共和国艦隊で稼働している軍艦は蟠龍だけだった。旗艦回天は5月7日に甲鉄艦の砲撃を機関に受けて座礁、船として動けなくなり浮き砲台となっていた。千代田は4月29日夜に箱館港で暗礁に乗り上げ座礁、復帰は絶望的と判断した艦長らによって艦は放棄されるが、その後潮が満ちて船体が離礁し無人の千代田は新政府軍に捕獲されてしまっていた。
- 明治2年4月9日、乙部に政府軍が上陸し箱館戦争は本格化する。蟠龍ら蝦夷共和国艦隊は他艦と共に出動して木古内沖や当別(現・北斗市)沖で新政府艦隊と交戦するが双方とも大きな損害は出ず、5月11日の箱館総攻撃、それに伴う箱館湾海戦を迎える事になる。
- 箱館戦争後、浅瀬で横転していた蟠龍はイギリス人により船体が引き揚げられ、上海で修理される。この際、帆柱の数が3本から2本に変わり、甲板上に大きな船室が作られるなど船体上部がほぼ新造される大規模な改修を受け、姿は大きく変わって往年の優美さは失われてしまった。
- 明治6年(1873年)に北海道開拓使が修復された蟠龍を購入し、「雷電丸」と名を改める。そして明治10年(1877年)に日本海軍に籍を移して軍艦「雷電」となり、横須賀に配備された。主に練習船として使われたようで、その際に一度、護岸の石垣に衝突した事があったが、石垣が壊れるも艦は無事だったことがあり、その堅牢さを語っている。
- 明治21年(1888年)に廃艦となり、民間に払い下げられ捕鯨船となる。その後更に愛知の汽船会社が所有して利用され、明治30年に大阪の木津川造船所で解体、波乱にとんだ生涯を終えた。
在りし日の蟠龍(画像)
在りし日の雷電(北海道開拓使所属時)
- 実はこの雷電、元々は英国王室御用達の王室ヨットで「エンペラー」という名だった。
- ちなみに、初期の日本海軍には「雷電」という名前の艦が本当に存在していた。
飛行機が別の飛行機を回収したり運んだりするのは、フィクションだとマクロスシリーズに時折見られるけど、あれは推力が桁違いにデカイからなぁ。 -- 2024-11-15 (金) 08:34:01