紫電二一型 紫電改

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No.202
紫電二一型 紫電改局地戦闘機
装備ステータス
火力雷装
爆装対空+9
対潜索敵
対爆+1迎撃+3
戦闘行動半径4装甲+2
装備可能艦種
駆逐艦軽巡洋艦重巡洋艦戦艦
軽空母正規空母水上機母艦航空戦艦
備考
開発不可、改修不可
全ての艦娘に装備不可、基地航空隊にのみ装備可能
2017年「9月作戦」作戦報酬
改修更新
紫電一一型紫電二一型 紫電改
水上戦闘機「強風」から発展した局地戦闘機「紫電」。
同機主翼を中翼から低翼配置に改め、さらに自動空戦フラップの改良や防御力向上など、各種改良を施しました。
大馬力エンジンと空戦フラップ、そして火力と防御力。
零戦を大きく凌ぐ優れた空戦能力を持つ、海軍本土防空最後の切り札となる名機「紫電改」、その初期型の誕生です。

ゲームにおいて

  • 2017年10月28日に紫電一一型と共にランカー報酬として実装された局地戦闘機。
  • 詳しい使用方法は基地航空隊を参照。
    • 基地航空隊「出撃」時対空値は13.5*1「防空」時対空値は14*2相当。
    • 対爆値が1であるため、基地防空の敵機迎撃率では対爆値の高い機体より不利。
    • 装甲値がどのように作用するのかは不明。


  • 紫電一一型から機体対空+1、迎撃+2、装甲+1、半径+1。
  • 2017年12月11日のアップデートにて紫電一一型の改修更新により入手可能となった。
    • 紫電一一型★maxから出撃対空+2、防空対空+1なので改修更新前より基本性能が上がる珍しい部類である。
    • 本機は改修不可だが素で一式戦 隼III型甲★maxと同じ制空能力を持つ。
      戦闘行動半径はこちらが2劣るため、一概に同じ性能とは言えない。III型甲が遠距離出撃用、こちらは防空あるいは近距離出撃用といったところ。
      • またあちらはII型からの更新に新型航空兵装資材そして★max改修までに試製烈風 後期型×8が必要、
        こちらは一一型からの更新に瑞雲紫電改二×2を使用して終わり、という差異がある。
      • どちらも更新元の機体は同じ任務の選択報酬になっている。


  • 三式戦 飛燕一型丁とは防空対空-2、対爆-1、装甲+2、配置コスト-1の差。
  • Spitfire Mk.Vとは出撃対空+1.5、防空対空-3、対爆-2、迎撃+1、装甲+2、火力-1、行動半径-1、配置コスト+1の差。
    • Spitfire Mk.Vは改修可能なので、効果が不明瞭な装甲+2を除き結果的にこちらがほとんど下位互換となってしまう。防空機として対爆値に差をつけられているのが痛い。


  • 過去のイベントや任務以外では入手が不可能な局戦・陸戦が多数ある中、2020年10月現在で確実な入手・量産手段がある数少ない局戦である。
    これを集めていれば局戦は足りる、とは言えないのが現状ではあるが。
    • 陸戦だが防空に強いSpitfire Mk.Vがいつでも入手可能になったが、開発には条件があるため無条件入手となると本機になる。

性能比較表(装備最大値/局戦・陸戦早見表/テーブルより転送)

長いので折りたたんでいます

No名称火力対空索敵対爆迎撃装甲対空値
(出撃時)
対空値
(防空時)
戦闘行動半径配置コストボーキ
消費*3
入手方法改修備考追加
175雷電65291826108任務、イベント、ランキング-編集
201紫電一一型81119.51136108、ランキング編集
202紫電二一型 紫電改913213.51446108改修、ランキング-編集
263紫電改(三四三空) 戦闘30111242171946108イベント-編集
333烈風改10621132449162イベント-編集
334烈風改(三五二空/熟練)1173115.52849162イベント-編集
418零式艦戦22型(251空)1211316.5177472イベント編集
416零式艦戦21型(台南空)1111315.5167472イベント編集
417零式艦戦32型(台南空)1211418185472イベント編集
350Me163B292201472イベント、ランキング-高高度局戦編集
351試製 秋水282181472任務、イベント、ランキング-高高度局戦編集
352秋水393211472イベント、ランキング-高高度局戦編集
354Fw190 D-92123316.52138144イベント-編集
176三式戦 飛燕81312.51337126任務、イベント編集
177三式戦 飛燕(飛行第244戦隊)934151947126イベント、ランキング編集
185三式戦 飛燕一型丁92313.51647126改修、イベント、ランキング編集
218四式戦 疾風101111.51357126イベント編集
221一式戦 隼II型62986472、イベント、ランキング編集
222一式戦 隼III型甲171311.5126472改修、イベント、ランキング編集
223一式戦 隼III型甲(54戦隊)2811312.5137472イベント、ランキング-編集
225一式戦 隼II型(64戦隊)11111518.5187472イベント、ランキング-編集
250Spitfire Mk.I17218.5124590任務、イベント、開発編集
251Spitfire Mk.V193212175590改修、イベント編集
253Spitfire Mk.IX(熟練)11024161846108イベント-編集
  • 濃緑色は局戦薄緑色は陸戦
  • 火力および装甲の効果は不明
  • 艦載機との制空値比較はこちらの表を参考のこと
  • ウグイス色は出撃時対空値空色は防空に関連する数値

小ネタ

  • 帝國海軍の局地戦闘機、紫電二一型が元ネタ。因みに「紫電改」は通称で正式名ではない。
  • 各種派生型については紫電改二参照。
  • 紫電一一型は水戦を転用し開発期間短縮を図るという目的自体は達成できたものの、エンジンや引き込み脚等、様々なトラブルを抱えており、満足な出来とは言い難かった。
    • そこで「個々のトラブル解消に時間かけるより思い切って機体を再設計したほうがよくね? ついでに部品の一体化を進めて部品点数減らそう!」となって生まれたのが紫電二一型(紫電改)である。
  • 火星搭載のために図太かった胴体形状を見直し、主翼を中翼より低翼に改め、さらに400ミリほど胴体尾部を伸ばし尾翼も形状を変更した。視界がかなり改善された上、通常の引き込み脚が使えるようになったのが大きなメリットだった。
    • 特に低翼化と胴体幅のスリム化により下方視界が改善され、脚も不具合の多かった二段引き込み脚が不要になり信頼性が向上、また強度も改善された。
      胴体が延長されたことで滑走時の安定性も改善された。脚周りの改善により離着陸の事故が大幅に減ったことが紫電改の高評価に繋がったとも言われる。
  • 改良される以前の紫電は特に降着装置の不具合による事故が多く「出撃で失われる機体より着陸で壊れる機体のほうが多い」と言われる状態であった。
    • 紫電では中翼の為長い脚が必要とされ、解決策として油圧式二段引き込み脚を採用したが、動作が不確実であった上に比較的重量のある紫電には向かなかった。また車輪のブレーキにも問題を抱えていた。もっとも、カックンブレーキという評価は紫電改でも続いたようではあるが…
  • 自動空戦フラップは操縦者の操作を必要とせず、堅実に作動し、小さな旋回半径を得られるとの評価を得ている一方で、自動作動による速度低下を嫌い動作させずに空戦を行っていたパイロットも居たという。
    • 本来離着陸用であるフラップの空戦時の使用は、大きな揚力を得られる代償に空気抵抗によって大きく速度が落ちてしまう。急降下爆撃などの際にフラップをエアブレーキとして使用する事もある。
    • 特にベテランの搭乗員ほど自動空戦フラップを嫌う傾向があったという。
    • 彼らからしてみれば「変なタイミングでフラップが勝手に出てふわっと浮き上がる」という搭乗者が意図しない挙動と作動時の速力損失が不評であったようだ。
  • 武装は強力な2号20㎜機銃4丁、弾薬900発を翼内に標準装備した他、翼下に60㎏爆弾4発ないし250kg爆弾2発の懸架が可能である。


  • 紫電改は局地戦闘機であるゆえに航続距離が短い。それ以外では、零戦で不足していた速力と防弾装備を供え、良好な機動力、運動性に加え、一撃離脱戦法も可能な機体強度を有するなど、当時の戦況に合った優れた戦闘機であった。
    • 航続距離が短いと言ってもそれは零戦と比べての話で、当時の米主力艦戦であったF6Fヘルキャットとほぼ同程度の航続力を持っている*4
      • ただ、同じ系統の発動機を搭載し燃料の搭載量も大きく変わらない陸軍の四式戦が沖縄へ往復出撃していた事を考えると、「紫電改は航続距離が短く九州-沖縄を往復できなかった」と言う話は、沖縄での損耗を避けたい三四三空の意向だったのではないかと言われている。(諸説あり)
  • 元々水上機メーカーである川西には、鳴尾村(現:西宮市)の工場で完成した紫電を送り出そうにも飛行場がなく、伊丹の飛行場(現在の伊丹空港)まで大阪湾を横断し、市電の走らない深夜に陸路を輸送せざるを得なかった。
    そのあたりは名古屋港の水上機用の工場で作った機体を各務原まで輸送した三菱も一緒だが。
    この問題を解決するため、海軍の鶉野飛行場と隣接する形で1943年に姫路製作所を開設している。
    さらに大阪地区防空の強化もあって、隣接の阪神競馬場やグラウンドを接収して飛行場に改修したのだった。
    本館は管制塔に転用された他、スタンドも残されており、三三二空の戦闘機隊員のスナップ写真が残されている*5
  • 多数の改良紫電の供給が要望された。しかし、川西航空機の生産力は中島飛行機や三菱重工業などの大手に劣っていたこと、各地の航空機メーカーや海軍工廠での転換(ライセンス)生産準備や工場の疎開、海軍主導の無意味な増員で送られてきた人員の教育に、技術者が駆り出されたことや、エンジンや降着装置といった、官給品の部品供給が遅れていたことに加え、鳴尾や姫路の工場が爆撃で破壊されたこともあり、とても三四三空や横須賀航空隊以外に回せる余裕は無く、既に紫電改が配備された部隊での稼働機の定数維持すらおぼつかない状況だったために全部隊への配備は叶わぬ夢であった。
  • この転換生産先として選ばれたのは、三菱水島航空機製作所(現:三菱自動車工業水島製作所)、愛知飛行機徳永工場(現:愛知機械工業徳永工場)、昭和飛行機、第11航空廠(呉)/第22航空廠(長崎)/高座海軍工廠(神奈川)だが、これらの工場で製作された紫電改は、すべて足しても15機前後と非常に少ない数であった。
  • B-29迎撃戦にも4月から5月にかけて九州上空で参加、特攻機対策に飛行場を爆撃に来たB29を迎撃したものの、高い防御火力と防弾能力の前に苦戦させられた。なおこのころになるとB29も6000mあたりまで高度を下げていたので高度の問題ではない。
    • 事実、このころ管野大尉が考案した戦術は垂直背面降下攻撃である。これはB29の上空から背面降下に入り、B29の鼻先をかすめるようにしてダイブ、コックピットを狙って攻撃するというものであった。
      • これは大変危険であり、降下角度が少しでも浅いとB29の防御機銃にまっすぐ突っ込むことになり、さらに目測を誤ると空中衝突、これらを抜けても引き起こす際にパイロットの意識が飛ぶほどのGがかかり、時には空中分解を起こした。
    • 海軍によるB-29撃墜の大半は雷電によるものである。
      • なおB29の損失率は総出撃数26814機に対し、事故も含めた全損失403機、1.5%と戦後アメリカ空軍は日本上空での抵抗は取るに足らないものであったと記録した。
  • 余談だが紫電改を開発した菊原静男氏はYS-11の製作にも参加した人物である。*6
  • 1944年10月になるとエンジンをハ-43に換装したA7M2が登場し、海軍航空本部は艦上運用で重要な運動性、航続距離を誇るA7M2を艦上戦闘機/局地戦闘機として烈風11型の名で制式採用する。海軍では烈風と紫電改両方を決戦戦闘機として使う方針だった。
  • なお、同じ誉(陸軍名ハ45)搭載機でありながらすらりと伸びた胴体、小ぶりな垂直尾翼の疾風に対し、なんの偶然かずんぐりむっくり中翼な「紫電」はF4Fワイルドキャットさんに、低翼の「紫電改」はF6Fヘルキャットさんにシルエットがよく似ている。
    お陰で敵味方の両方から誤認され、攻撃される事があった*7
    • あまりに味方から誤認されるので、わざわざ陸軍の飛行場に着陸して展覧会をやったという心温まる(?)エピソードも存在する。
    • 上記「雷電」も、米戦闘機P-47にシルエットがよく似ていて同じような逸話も有る。ついでに名前も同じ(サンダーボルト=雷電)である。???「JAZZが聞こえたら俺がきた合図だ」
  • スペックでは日本海軍の公試記録において、試作機では水平620km/h、水平全速で644km/hを発揮した。
    • 紫電改が搭載した誉エンジンの「圧縮比を高め回転数の上限を引き揚げて小さな排気量で高出力を絞り出す」と言う設計はつまりレーシングカー用のチューンドエンジンの設計のそれであり、使用する電装部品類やオイルの品質は出力に大きく影響してしまう(高い圧縮にはハイオク燃料も必須になる)。
      • 誉エンジンは2018年9月に広島県呉市広黄幡町の第11海軍航空廠跡(現:在日米陸軍広弾薬庫)にて出土し、2020年6月より同市の大和ミュージアムに展示。
  • 日本の書籍やWikipediaでは米軍接収後に高オクタン燃料を入れて飛行試験を実施したところ日本側の記録を上回る性能を発揮したという逸話が記載されているが、アメリカ側の試験データは示されておらず、実物が保存・展示されている国立海軍航空博物館及び国立アメリカ空軍博物館でもそのような逸話の記述はなく、最高速度は5,600ft (1,707m) で369mph (594km/h) 、上昇能力は19,685ft (6,000m) まで7分18秒となっている。
    • そもそも紫電二一型は飛行試験記録もそれに付随する飛行試験データも無い。紫電一一型に関しても全速飛行はしておらず、「TAIC SUMMARY #33 GEORGE11」に記されている45分間の飛行後の着陸時に主脚を破損したのが全てで以後の飛行試験はしていない。
    • 疾風に関してもそうであるがWikipediaで引用されているTAICレポートの数値は実測値ではなく推算値である。Wikipediaではレポートの一部を切り取ったものを引用して飛行試験データだと記述しているが、元のレポートである「JAPANESE AIRCRAFT PERFORMANCE & CHARACTERISTICS TAIC MANUAL NO.1」の緒言部分には“PERFORMANCE CALCULATIONS”とはっきりと書かれている。
  • スミソニアン博物館の展示では「太平洋で使われた万能戦闘機のひとつである」と同時に「「B-29に対する有効な邀撃機としては高高度性能が不十分であった」とも書かれている。
  • 連合軍コードネームは「George(ジョージ)」。
    • 紫電を「George11」、紫電改を「George21」と呼び分けるようになったのは戦後からで、紫電改と紫電の姿が似ているので、同一機種と思われていたばかりか、情報不足もあってか、アメリカ軍側が交戦/目撃した時のレポートで零戦や疾風と誤って報告されていた。
  • ちなみに紫電改の設計に深くかかわった人物として志賀淑雄少佐が挙げられる。彼は日中戦争からのベテランで、真珠湾攻撃においては加賀分隊長として戦闘機隊を率いて出撃している。ミッドウェー直前の1942年4月に空母隼鷹戦闘機隊分隊長へ転任し、その後は飛行隊長に任命され、1943年1月に空技廠のテストパイロットとして試製烈風*8と紫電改の開発に取り組んだ。その後信濃飛行長へ任命される予定だったが、信濃喪失により343空飛行長*9に着任。
    • 志賀少佐は海軍航空技術廠のテストパイロットとして紫電の開発段階から関わっており、著書で紫電から紫電改への改良を高く評価している*10一方で「誉」搭載の試製烈風については機体寸法が大きい点、速度、上昇力が性能要求に達していなかった点を挙げ酷評している。*11
      ただし志賀少佐が試乗したのは誉22型搭載の試作機でありハ43に換装され最終的に採用された烈風11型には搭乗していない点に注意が必要である。

その他紫電改あれこれ

その他紫電改あれこれ

  • 1983年にカネボウ化粧品から発売され、今もなお売れ続けている育毛剤『薬用紫電改』のネーミングは、同社が1960年に発売した育毛剤『紫電』の改良品という説と、開発者が「紫電二一型に乗りたかったから」という説がある。
  • 日本人なら誰でも知っているアニメ「機動戦士ガンダム」でも、主人公アムロ・レイと共にMS(モビルスーツ)ガンキャノン(彼女じゃないよ)に乗り込んで戦う「カイ・シデン」の名前の由来もこの紫電改である。名前を日本風に姓・名に並び替えたらシデンカイになる。
    • 担当声優の古川登志夫は長兄が鳥海の機関砲手で、レイテ沖海戦で鳥海が沈んだ際に戦死なされている。古川の誕生年は戦後の1946年なので兄との面識はない*12が、生まれたときに両親から「この子は長兄の生まれ変わりだ」と言われたという。第13艦隊のエースパイロットの役を当てたのも血縁のなせる業なのだろうか*13

この装備についてのコメント


*1 対空+迎撃×1.5
*2 対空+迎撃+対爆×2
*3 1スロ当たり
*4 零戦がラバウルからガダルカナルへ往復したり、P-51がイギリス東部からベルリン、さらには硫黄島から東京まで飛んで行って戦える等、日米単発戦闘機の航続性能の方が世界水準で見たら異常という話も……
*5 終戦後、本館だけが残され、飛行場跡地には住宅団地や学校が建設された。本館は武庫川女子大学の付属高校・中学校の教室として使用されたが、建設当時に準じる形で復元されて保存されている。一方、宝塚の川西航空機の土地を結果的にトレードするような形で建設されたのが現在の阪神競馬場である。その隣には新明和工業の本社がある。
*6 海軍機開発に携わった人間で、GHQにより航空機のノウハウが全て破棄されて航空機産業が衰退した戦後で国産航空機に関わろうという人間は彼と山名正夫、堀越技師と東條輝雄技師くらいのものだった。民需転換の影響もあり、航空会社が次々と自動車産業に転向するのもあって、山名と共に銀河の共同設計に携わった三木忠直は鉄道に道を移し、後に新幹線0系を設計する。天才・百瀬晋六技師と日本初の油圧引込脚の開発者である小口芳門技師は日本のモータリゼーションを起こすスバル360をはじめとしてスバル黎明期の軽自動車・小型車開発に没頭、愛知航空において九九艦爆や彗星、流星や景雲の設計に携わった尾崎紀男技師は自動車エンジンの研究に没頭し日本自動車エンジン産業に影響を与えた。発動機の神様・中川良一はスカイラインGT系で市販車レースに専念といったあたり、戦後の海軍機設計技師は自動車業界で輝いた例が多い。九六式陸攻や双発なのに四発並の航続距離を持つ一式陸攻の設計を担当した本庄李郎技師はなんと自転車の開発の方がいいと言ってYS-11開発に参加しなかった。しかし本庄は本心では空への憧憬を捨てていたわけではなく、昭和52年に第一回鳥人間コンテストが開催されるとそれに出資したばかりか自ら人力飛行機を製造して参加して見事優勝した。一方、陸軍機の開発を担当した技術者の中には戦後自動車に転換した人も居るが、航空機や宇宙産業に進んだ人も居る。有名所では中島の糸川英夫技師、三式戦の土井武夫技師である。この人たちもYS-11の設計には関わっている。
*7 今も当時も有名で一般的な戦闘機、ゼロ戦と比べるとずんぐりとしたこのシルエットはどちらかと言うと米軍機に近い。勿論、風防周りや細部でかなり違うのだが、空中で遥か遠くから見分けるのは難しいのだ
*8 A7M1の方。A7M2の開発には彼は関わっていない。
*9 飛行隊長と紛らわしいが、飛行長は基本的に飛行機ではなく陸上もしくは空母艦上から指揮を執る
*10 紫電改は何にでも噛みついていける猪のようなおてんば娘で使える機体だと評価している
*11 志賀はテストパイロットを務めた経験から、「烈風」は使えない機体だと思ったという。零戦の後継機とされていたが、零戦を大きくしただけの機体であり、被弾面が大きく、防弾を考慮していないこと、またこの時期に必要とされた高高度性能や速度性能より格闘性能にこだわっていたことが理由だという。※出典『『零戦 最後の証言』55ページより』
*12 長兄は1922年生れで古川は15人兄弟の末っ子だった
*13 『銀河英雄伝説』のオリビエ・ポプランのこと。そのプレイボーイぶりから、読者から「イゼルローンの諸星あたる」という別名で呼ばれていた事が作者の後書きで記されている。この諸星あたるの声を当てていたのが古川氏で、銀英伝アニメ化の際にもすんなりポプランの声役に決まったという。