No.522 | ||||
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稲木(いなぎ) | 鵜来型 12番艦 海防艦 | |||
艦船ステータス(初期値/最大値) | ||||
耐久 | 9 | 火力 | 4 / 17 | |
装甲 | 4 / 18 | 雷装 | 0 | |
回避 | 37 / 81 | 対空 | 9 / 41 | |
搭載 | 0 | 対潜 | 41 / 83 | |
速力 | 低速 | 索敵 | 3 / 13 | |
射程 | 短 | 運 | 9 / 59 | |
最大消費量 | ||||
燃料 | 10 | 弾薬 | 10 | |
装備 | ||||
12cm単装高角砲E型 | ||||
25mm連装機銃 | ||||
装備不可 | ||||
装備不可 | ||||
改造チャート | ||||
稲木 → 稲木改(Lv45) → 稲木改二(Lv73+改装設計図+新型兵装資材+開発資材x13) | ||||
図鑑説明 | ||||
鵜来型海防艦、十二番艦、稲木だ。生まれた時にはもう戦力は大きく傾いていたが、生き残った航路の海上護衛任務に務めた。北海道そして東北方面の船団護衛の後に八戸に仮停泊中、敵機動部隊の艦載機と交戦した。もう味方の戦闘機は空に無く、後に「八戸の盾」という人達もいると聞く。 |
※初期値はLvや近代化改修の補正を除いた時の数値であり、改造直後の値とは異なります。
最大値はLv99の時の最大値を指します。
CV:上坂すみれ、イラストレーター:星灯り
定型ボイス一覧
イベント | セリフ | 改装段階 | 備考 | 追加 | |||
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稲 木 | 稲 木 改 | 稲 木 改 二 | 追加 | ||||
入手/ログイン | 海防艦、稲木!鵜来型海防艦、十二番艦です。 町も、人も……私が守ります。この身に代えてもッ! | ◯ | × | × | 編集 | ||
海防艦、稲木!鵜来型海防艦、十二番艦、ここに! 町も、人も……私が守ります。この身に代えてもッ! | × | ◯ | × | 編集 | |||
海防艦、稲木!改鵜来型海防艦、ここに! 最新兵装で改装されたこの船なら、街も、人も、私が守ります!もちろん…あなたのことも! | × | × | ◯ | 編集 | |||
母港*1 | 編集 | ||||||
母港1 | 詳細 | 稲木に御用ですか! | ◯ | × | × | 編集 | |
提督!稲木に新しい任務が? | × | ◯ | × | 編集 | |||
ウミネコ爆弾?もちろん、余裕で回避!慣れてる。 | × | × | ◯ | 編集 | |||
母港2 | 守るよ!この稲木が! | ◯ | ◯ | × | 編集 | ||
今の稲木なら、街には指一本触らせない!きっと! | × | × | ◯ | 編集 | |||
母港3 | あの夏…大湊や三沢、そして津軽海峡の青函連絡船が全滅する攻撃がありました。八戸にも襲ってきました。私は出撃、敵を迎撃します…。力の限り、戦いました…。 | ◯ | ◯ | ◯ | 編集 | ||
ケッコンカッコカリ | 稲木!入ります!提督、何か任務が?えっ、これを?私に…?ありがとう、少し照れくさいが…そうだな、受け取ろう。提督!今度は末永く…よろしく頼む! | ◯ | 編集 | ||||
ケッコン後母港 | 私の戦いで、少しでも人々が助かったのなら、それは…意味があったということだ。よかった。えっ?海上自衛隊第二航空群に?そうか…提督!今度の休暇に一緒に行ってみよう!少し照れくさいが…ありがたい! | ◯ | ◯ | 編集 | |||
放置時 | そうだな…あの時の敵戦闘機は、もはや戦闘爆撃機だ。機銃掃射もロケット弾の集中攻撃も、それは恐ろしいものだ…。だが、戦う。そこに意味があるのなら、是非もない。提督も、そこにいたなら、きっと、そうしただろう? | ◯ | ◯ | ◯ | 編集 | ||
編成出撃 | 編集 | ||||||
編成 | いきます!第一護衛艦隊、海防艦、稲木!出撃! | ◯ | ◯ | ◯ | 編集 | ||
出撃 | モシ船団、護衛艦、稲木!抜錨!海も空も、警戒を厳に! | ◯ | × | × | 編集 | ||
シモ船団、護衛艦、稲木!抜錨!海も空も警戒を厳に!行こう! | × | ◯ | × | 編集 | |||
改装海防艦、稲木!抜錨!海も空も警戒を厳に!さあ、行こう! | × | × | ◯ | 編集 | |||
開戦・攻撃*2 | 編集 | ||||||
戦闘1 | 昼戦開始 | 敵だ!戦闘よーい!全力でいく! | ◯ | ◯ | ◯ | 編集 | |
戦闘2 | 昼戦攻撃 | 守る! | ◯ | ◯ | × | 編集 | |
昼戦攻撃 | 触らせないって言ったろ! | × | × | ◯ | 編集 | ||
戦闘3 | 夜戦開始 | 夜か…警戒を厳に!両舷一杯! | ◯ | ◯ | ◯ | 編集 | |
戦闘4 | 夜戦攻撃 | この身に代えても! | ◯ | ◯ | ◯ | 編集 | |
戦闘時ステータス*3 | 編集 | ||||||
小破 | くっ…! | ◯ | ◯ | ◯ | 編集 | ||
これは…ロケット弾攻撃か!? | ◯ | × | × | 編集 | |||
ぐっ…この集中攻撃…!負けるかぁ! | × | ◯ | ◯ | 編集 | |||
中破/大破 | きゃーー!稲木はまだ…!沈むわけにはいかない!! | ◯ | ◯ | ◯ | 編集 | ||
轟沈 | 反転ボイス | 編集 | |||||
戦闘終了*4 | 編集 | ||||||
勝利MVP | この稲木が…!少し、照れくさいな…ありがとう。 | ◯ | ◯ | ◯ | 編集 | ||
旗艦大破 | これは…ロケット弾攻撃か!? | ◯ | × | × | 編集 | ||
ぐっ…この集中攻撃…!負けるかぁ! | × | ◯ | ◯ | 編集 | |||
装備・改修*5 | 編集 | ||||||
装備1 | 改修/改造 | よし、これなら!守れます! | ◯ | × | × | 編集 | |
よーし、これなら!守ってみせます! | × | ◯ | ◯ | 編集 | |||
装備2 | ありがとうございます! | ◯ | ◯ | ◯ | 編集 | ||
装備3 | 改修/改造/開発/バケツ/遠征/発見 | 守るさ、それが役目だ! | ◯ | ◯ | ◯ | 編集 | |
その他 | 編集 | ||||||
帰投 | 提督、報告です。艦隊、戻りました! | ◯ | ◯ | ◯ | 編集 | ||
補給 | 補給、助かる! | ◯ | ◯ | ◯ | 編集 | ||
入渠(小破以下) | 仮停泊で修復します! | ◯ | ◯ | ◯ | 編集 | ||
入渠(中破以上) | 本格的に入渠、修理します! | ◯ | ◯ | ◯ | 編集 | ||
建造完了 | 提督、新造艦、完成です! | ◯ | ◯ | ◯ | 編集 | ||
戦績表示 | 稲木が情報をまとめて報告します。こちらです! | ◯ | ◯ | ◯ | 編集 |
時報ボイス一覧
時刻 | セリフ | 改装段階 | 備考 | 追加 | ||
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稲 木 | 稲 木 改 | 稲 木 改 二 | 追加 | |||
00 | 編集 | |||||
01 | 編集 | |||||
02 | 編集 | |||||
03 | 編集 | |||||
04 | 編集 | |||||
05 | 編集 | |||||
06 | 編集 | |||||
07 | 編集 | |||||
08 | 編集 | |||||
09 | 編集 | |||||
10 | 編集 | |||||
11 | 編集 | |||||
12 | 編集 | |||||
13 | 編集 | |||||
14 | 編集 | |||||
15 | 編集 | |||||
16 | 編集 | |||||
17 | 編集 | |||||
18 | 編集 | |||||
19 | 編集 | |||||
20 | 編集 | |||||
21 | 編集 | |||||
22 | 編集 | |||||
23 | 編集 |
季節ボイス一覧
季 節 | イベント | セリフ | 改装段階 | 備考 | 追加 | ||
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稲 木 | 稲 木 改 | 稲 木 改 二 | 追加 | ||||
春 | 桃の節句 | 編集 | |||||
春の訪れ | 編集 | ||||||
ホワイトデー | ウミネコちょこれいとのお返しに……これを? えへへっ、提督、ありがと! ありがたく……頂くっ! | ◯ | 編集 | ||||
春 | 鵜来型でお花見かあ、悪くないな! 八戸の春も悪くはないが、この鎮守府の桜は見事なものだ! あまり料理はやらないけど、この稲木も手伝おう! 何をすればいい? | ◯ | 編集 | ||||
春本番 | 編集 | ||||||
夏 | 梅雨 | 編集 | |||||
初夏 | 編集 | ||||||
夏 | 編集 | ||||||
盛夏 | 編集 | ||||||
夏祭り | 編集 | ||||||
秋 | 秋 | 編集 | |||||
秋刀魚 | 秋刀魚祭り、秋刀魚漁支援か! この稲木に任せてもらおう! さあ、ウミネコ達、三陸の魚群を探して! | ◯ | ◯ | 編集 | |||
晩秋 | 編集 | ||||||
ハロウィン | 編集 | ||||||
秋のワイン | 編集 | ||||||
冬 | 冬 | 編集 | |||||
師走 | 編集 | ||||||
クリスマス | これが、クリスマス。話には聞いていたが……ああっ! これが、ケーキっていうのか? 折角だ、食べてみる。はむっ……はかいてき! うまあいっ! 何だ、これはっ! | ◯ | 編集 | ||||
年末 | 今年も押し迫って来たな。年末鎮守府大掃除の季節だ。三陸も冬は厳しいけれど、年越し準備は大切だ。うむ! | ◯ | 編集 | ||||
新年 | 提督、あけましておめでとう! 新年初詣がてら、一緒に八戸に行こうか? ……いいのか!? | ◯ | 編集 | ||||
節分 | 節分かぁ、平和な祭りはいい。……あ。あれは、エセックス級の空母じゃないか。こんな所に! よし、今こそこの節分弾で集中攻撃のお返しを! 用意っ、てぇーっ! よしっ! | ◯ | 編集 | ||||
節分弾、次弾装填! ……っ、げえっ! あれは、グラマンだと!? まずいな、た、対空戦闘、よーいっ! | ◯ | 編集 | |||||
バレンタイン | 提督! あの、その……その……私も、ちょこれいとってやつ、作ってみた。……ウミネコ、型の…… よ、よかったらっ! | ◯ | 編集 | ||||
周 年 | 記念 | 編集 |
ゲームにおいて
- 2023夏イベント前段作戦『船団護衛!輸送航路防衛戦』E-3にて報酬艦として初登場。
- 同E-4ドロップ艦。
アップデート履歴
- 2023/08/09:イベント報酬艦として実装。
メンテが遅延したおかげで奇しくも、後述の通り8月9日は稲木の戦没日でもある。
- 2024/05/29:改二実装。海防艦初の改二である。
- 前日発売の雑誌『みたいな!』vol.6にてシルエットのみ先行公開されており、まさかの翌日実装となった。
キャラクター設定について
- 姉と比べると、言動がかなり勇ましい。海防艦だと福江辺りが近いか。
- 艤装がかなり変化しており、特に右手は革製の袖を制服の上から着てベルトで固定し、更にその上から前甲板を大袖のように装備しているという重装甲っぷり。
- 腰の機雷入れをぶら下げているベルトも、姉より太く頑丈なものを使っている。
- 制服は姉とほぼ同じだが靴下は膝下までの長さになり、スパッツを履いている。
- 前甲板を盾として装備しているのは「八戸の盾」と呼ばれていることに対してと思われる。
- 手持ちの砲にウミネコ(八戸では「ゴメ」と呼ぶ)の飾がついている。これは稲木終焉の地の蕪島がウミネコの繁殖地の為である。
- 尚、乗組員の殆どが近畿中国地方出身者であるが、特に山陰(島根・鳥取)の出身者には故郷を思わせる懐かしい光景であったと思われる(島根県出雲市の日御碕沖にある経島も同じくウミネコの繁殖地)
- 中破すると左手に盾を持ち、右手を横にして後を守るような態勢をとる。
- 中破絵の煙突後方から火災が生じているのは、実際の空襲にて爆雷にロケット弾が命中、爆発したのを表している。尚、艦尾が水面下に傾斜しているのも沈没時、艦尾から沈んだためである。
期間限定グラフィック
- 2023/10/11のアプデで、艦娘「ハロウィン」modeが実装された。
- コウモリ系の仮装だが、丁型海防艦系よりもかわいさ重視な感じになっている。
髪のリボンも仮装に合わせて、紫のものに変わっている。
限定イラスト:ハロウィンmode
- コウモリ系の仮装だが、丁型海防艦系よりもかわいさ重視な感じになっている。
- 2023/12/24のオンメンテで「Xmas」modeが実装された。
- トナカイ仮装で左手にはプレゼント箱、右手にはウミネコ入りの袋を持っている。
髪のリボンは胸のリボンに合わせた緑。 - 中破するとウミネコを右手に抱えてふくれっ面に。
- 2023/12/26のアプデで格納されたため、わずか2日しか見ることが出来なかった。
限定イラスト:Xmasmode
- トナカイ仮装で左手にはプレゼント箱、右手にはウミネコ入りの袋を持っている。
諸元
小ネタ
来歴
1944 | 5.15 | 起工、仮称艦名:第4701号艦 |
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9.1 | 「稲木」と命名、呉鎮守府籍と仮定 | |
9.25 | 進水 | |
10.21 | 艤装員事務所を設置 | |
12.16 | 三井玉野造船所にて竣工。呉鎮守府籍となり、警備海防艦として呉防備戦隊に編入 | |
12.17 | 呉港入港。需品、食糧、弾薬等搭載 | |
12.26 | 訓練の為、佐伯湾に向け出港 | |
1945 | 1.24 | 勅諭下付される |
1.26 | 第1護衛艦隊に編入 | |
1.27 | 呉港へ帰着 | |
1.29 | 門司港へ回航 | |
1.31 | 南号作戦によりモタ34船団、ヒ95船団護衛。門司港出航 | |
― | この間、対空戦闘1回、対潜戦闘1回 | |
2.14 | セレター港入港 | |
2.24 | ヒ96船団護衛。セレター港出航 | |
2.27 | 未明、佛印カムラン湾沖合にて夜間警戒航行中、米潜水艦群襲撃。「USSブレニー(SS‐324)」の雷撃により油槽船1隻(あまと丸)撃沈 | |
3.1 | 海南島西方洋上にてB24の攻撃を受け、油槽船1隻(正島丸)が被爆中破 | |
3.6 | 中破の「正島丸」、航行困難となり「第66号海防艦」護衛の下、香港に退避(のちに2隻とも撃沈される) | |
3.10 | 海防艦「粟國」、商船1隻と合流 | |
3.13 | 門司港へ帰投(この間、対空戦闘5回、対潜戦闘2回)、翌日出航 | |
3.15 | 呉港入港。修理 | |
3.19 | 呉初空襲に遭遇。対空戦闘 | |
3.31 | 門司港へ向け回航中、部崎灯台沖にて触雷。船体の一部破損の為、呉に回航され修理 | |
4.25 | 第12海防隊に編入 | |
4.26 | 修理完了。門司港へ向け出港、同日着 | |
4.28 | モシ05船団護衛、門司港出航 | |
5.1 | 朝鮮半島西南端沖にて魚雷攻撃を受ける。再度、攻撃を受け、輸送船「美保丸」損傷。海防艦「男鹿」と共に爆雷戦の後、救助作業を行う(米記録によると「USSトレパン(SS‐412)」の雷撃にて14時8分に「美保丸」撃沈とのこと | |
5.2 | 黄海にて「美保丸」、米潜水艦の雷撃により沈没。稲木前方に浮上逃走する敵潜を発見追跡するが視界不良の為、艦影を見失う。夜半、「USSスプリンガー(SS‐414)」の雷撃により「男鹿」轟沈(生存者なし) | |
5.4 | 上海入港 | |
5.8 | シモ04船団護衛。上海出航 | |
5.15 | 鎮海入港、翌日出航 | |
5.19 | 佐世保入港 | |
5.23 | 佐世保出航。駕莫洋・麗水付近の哨戒任務に従事 | |
5.27 | 南鮮海面にて米海軍航空隊の誘導爆弾を受け損傷した海防艦「粟國」を鎮海港まで支援 | |
6.15 | 第105戦隊第4掃蕩隊に編入。石川県七尾方面にて米潜掃蕩に従事 | |
6.25 | 舞鶴出航。北海道方面の船団護衛任務に従事 | |
7.15 | 小樽港警泊中、対空戦闘。敵機2機撃墜 | |
7.26 | 大湊出航。三陸方面の船団護衛に従事 | |
8.8 | 津軽防備隊から903空部隊(三沢航空隊)に編入 | |
8.9 | 八戸港に仮泊中、対空戦闘の末、撃沈。戦死者29名、重傷者35名。当戦闘に於いて敵機7機撃墜、3機不確実 | |
9.15 | 除籍 | |
1964 | 12.13 | クレーン船「日本丸」により船体引き揚げ(16日まで) |
- 鵜来型(改乙型)海防艦12番艦。艦名の由来は備讃諸島に属する無人島「稲木島」・・・と言いたいところだが現在は「稲毛島」と呼ぶ(古い地図には稲木島と書いてある)
- 映画「世界の中心で愛をさけぶ」で、夢島として登場した島である
- 艦内神社は艦名の由来である稲木島の祠から分祠した
- 残念ながらこの祠の名前・祭神に就いては一切不明。(求ム情報)
稲木竣工から30年後に発刊された『庵治町史』(昭和49年)には調査に行ったがついに発見できなかったとある。
- 残念ながらこの祠の名前・祭神に就いては一切不明。(求ム情報)
- 士官は主計長(海軍経理学校卒)を除き、東京高等商船学校、神戸高等商船学校、水産講習所、一般大学卒の予備士官から構成されていたため、軍律厳しい大艦と違い、厳しいながらも家庭的な和やかな雰囲気が漂っていた
- ヒ96船団護衛の際、ドイツのUボート(艦名不明)と出会い、相互にWAY*6の旗旒信号(「航海の安全を祈る」)を上げた
- ヒ96船団の護衛完了後、無事帰還のお祝いに全員の食事に鯛を出そうということで、瀬戸内海で爆雷投下、無事夕食には尾頭付きの鯛が出た。
- しかし、入港と同時に防備隊本部から艦長宛に「すぐ出頭されたし」の信号が入った。各衛所から異常な爆発音を探知したがとの照会が殺到した為だった。
- 艦長は訓練中に誤って爆雷を落としてしまったと話したが、大分叱責されたようだ
- 尚、このヒ96船団の後、シンガポールを発った「ヒ98船団」はタンカー全滅、「ヒ88T船団」は護衛艦共々全滅となった為、南方からの最後の船団となり、唯一帰国した1隻(富士山丸)の重油が最後の重油となった。
- 大和を旗艦とする第2艦隊が沖縄特攻をかける際、片道分の燃料では忍びないとのことで、この持ち帰った燃料を追加して帰れるようにしたと言われている。
- 乗組員の思い出にあきつ丸やまるゆが属した「暁部隊」に関する話がある。
- 曰く「(呉軍港にて)稲木の右舷2、300米程のところに艦尾に“日の丸”を掲げ、毎日甲板上で蛮声を張り上げて体操やら、訓練を陸上と同じように行っている異色な陸軍船舶兵」を見た
- 部崎灯台沖にて触雷し、呉に引き返したが、無事門司港に着いていた場合、その行先は沖縄だったのではと言われている。(3月26日 米軍座間味島上陸。4月1日 沖縄本島上陸。4月6日 大和沖縄に向け出港)
- 大湊での弾薬搭載時、12cm砲弾の薬莢が鉄製であったのに驚き、日本の切迫した状況を思い知らされた(今迄は真鍮製か銅版製だった)
- 昭和20年7月12日、浮きドックに入る為、小樽港に入港。この時、港内には第11海防隊(36号、55号、57号、75号海防艦)が停泊していた
- 7月15日早朝、「敵機来襲の懼れあり」との緊急電が入り、在泊艦船が打合せの上、迎撃態勢をとり敵機を迎撃した
- 余談ではあるが、この時「第55号海防艦」は単艦港外に出て、対空戦闘を敢行、前部小破する(戦死9名、重傷者10数名)
- では、なぜ単艦出撃したのかというと、同艦は既に何回か北千島の兵員輸送に従事しており、危険にあいながらも帰港した。
しかしすぐに再出撃を命じられ、艦長は部下の疲労困憊具合を見かね「今少し休ませてほしい」と申し出たところ、司令より「卑怯者」と罵られた。
これに立腹し名誉挽回の為、この様な行動に出たといわれる。
- では、なぜ単艦出撃したのかというと、同艦は既に何回か北千島の兵員輸送に従事しており、危険にあいながらも帰港した。
- 余談ではあるが、この時「第55号海防艦」は単艦港外に出て、対空戦闘を敢行、前部小破する(戦死9名、重傷者10数名)
- この日の戦闘では山を背にした有利な防御態勢であった為、余裕を以て応戦することができた(稲木のみで2機撃墜)
- 昭和20年8月8日、船団を護衛し、釜石を出航。同夜、八戸に仮泊。
- この日はカッターで「昆布取り」作業を行い、上甲板一面の昆布の山が出来たという。皆物珍しさから腹一杯昆布を食べた。まだ昆布を取りに行く隊員に「もう止めたらどうだぁ」と嬉しい悲鳴を上げたり、満腹で呻き声を上げたりとのんびりした一日であった
- 完全に余談ではあるが、この日の早朝、稲木とは逆に特務艦「宗谷」が八戸を出航している(前日に第37機動部隊に接近されるが、濃霧に紛れて八戸に逃げて来ていた)偶然とはいえ2度も空襲を回避している
- この日はカッターで「昆布取り」作業を行い、上甲板一面の昆布の山が出来たという。皆物珍しさから腹一杯昆布を食べた。まだ昆布を取りに行く隊員に「もう止めたらどうだぁ」と嬉しい悲鳴を上げたり、満腹で呻き声を上げたりとのんびりした一日であった
- 8月9日午前6時3分、三沢航空隊襲撃中の報が入り、午前6時6分には「対空戦闘配置」の号令が下される
- 本来は午前7時出航予定だったが、ある事件(書くには憚られる為、省略)の捜査の為、カッター作業を行っていた
- この事件は『薬莢の海』という小説の題材となっている。
- この日の襲来はハルゼー提督指揮の米第38任務部隊(空母12、軽空母6、搭載機数約1700機)で、塩釜、松島、気仙沼、山田、八戸を分散襲撃していた(宮古で海防艦「天草」、尻屋沖で駆逐艦「柳」撃沈」)
- 7月から8月にかけて北日本はジェラルド・F・ボーガン少将指揮の米第38任務部隊第3任務群によって空襲を受けていた
第一戦隊 空母レキシントン、ハンコック、ベニントン 軽空母ベロー・ウッド 、サンハシント
第三戦隊 空母ランドルフ、エセックス、タイコンデロガ 軽空母モンテレー、バターン
第四戦隊 空母ヨークタウン、シャングリラ、ボノム・リシャール 軽空母インディペンデンス、カウペンス
英国機動部隊(第37任務部隊) 空母フォーミダブル、ヴィクトリアス、インプラカブル、インディファティガブル
- 7月から8月にかけて北日本はジェラルド・F・ボーガン少将指揮の米第38任務部隊第3任務群によって空襲を受けていた
- しかし当初、日本軍はこの大規模艦隊の接近を発見できず、正午前後になって彩雲がやっと発見している。その為、敵接近の情報を逸早く傍受できず、揚錨の時間もなく不利な態勢で交戦せざるを得なかった
- 本来は午前7時出航予定だったが、ある事件(書くには憚られる為、省略)の捜査の為、カッター作業を行っていた
- グラマン30機、F6Fヘルキャット戦闘機30機、F4Uコルセア戦闘機15機が襲来、対空戦闘を行う
- 米国資料によると、ムーアヘッド大尉の率いる第16戦闘爆撃機隊(VBF‐16)のF6F15機の編隊と第16偵察機隊(VS‐16)のSB2C14機が爆撃。
その後VBFのヘリオド大尉の隊がVBのロルファセン中尉の隊と共にロケット攻撃を行ったと報告している
- 米国資料によると、ムーアヘッド大尉の率いる第16戦闘爆撃機隊(VBF‐16)のF6F15機の編隊と第16偵察機隊(VS‐16)のSB2C14機が爆撃。
- 7時10分、艦長が頭部貫通銃創により戦死。航海長が代わって戦闘指揮を執るも、8時頃、機銃掃射により両大腿部負傷。
- 両舷とも錨は揚がっていなかった為、左右の三連装機銃の可動範囲の死角を突かれ、敵機の大部分は艦首方向より突入してきた。しかしながら、「稲木」は奮戦し、戦闘は3時間余続いた(来襲機延400機)。
- 午前9時頃、後甲板にロケット弾の直撃(信号員の記録によると37発目のロケット弾)を受け、爆雷が誘爆。機械室が大破し浸水、これにより発電機等停止、戦闘機能を喪失。
右舷に大傾斜、重傷の航海長より総員退艦の命令が下る。尚、航海長は兵員に助けられ、救助のカッターを待つうちに艦の傾斜が進み、波に浚われ海中に没す- 総員退艦の最中、後甲板が既に海中に没している時、突然、左舷2番機銃が発砲。稲木対空班の心意気を見せたと言われている。
- 米艦載機の攻撃は執拗であり、脱出した乗組員に機銃掃射を浴びせ、爆弾も投下していた。低空での攻撃であった為、搭乗員の顔を見たという証言が多々残っている。
- 稲木はすぐには沈まず、夕刻、後部より沈没。建造以来、休む暇無く活躍し、多くの戦果を上げた僅か9か月の生涯を閉じたのであった。
- その後もマストのみ見えていたが、11日頃には全て海面に没した
- 八戸地方にあっては、昭和20年の7月、8月はいつ空襲があるかわからない日々であった。当日も早朝から空襲があり、市内は防衛隊員のみが残り、市内は無人の街となっていた。
そして、多くの市民が避難先でこの稲木の戦いを見つめていた。市民にとってはこの戦いが、明日をも知れぬ人々に元気と勇気を与えたと言われている。
「稲木」が我が身を以て八戸市を守ったことから、市民からは「八戸の盾」と呼ばれるようになった。- 現在でも八戸市民の間には稲木の奮戦は広く知られており、小中学生の教材にも採り上げられたりしている。
- 実を言うともう1隻この空襲に応戦した船があった。漁民修練道場賓陽塾練習船で八戸海上警防団第一分団の警備船「開北丸」(55屯)である。非番であった同船の通信局長は空襲警報の音に飛び起き、急ぎ魚市場の岸壁に繋船してあった開北丸に一人乗り込み、稲木に群がるグラマンを一機でも少なくしてやろうと機関銃を撃ち始めた。やがて気が付いた2,3機が向かってきたが市場の上屋が邪魔になったのか弾が当たることなく、その間も通信局長は休まず機銃を掃射し続けた。6千発撃ったところで機銃が焼き付いてしまい動かなくなってしまった。そんな船には敵機も見向きをしなくなり、稲木に群がって行ったという。たった1人で稲木を助けようとした通信局長をこの場を借りて顕彰したい。
- 余談だが、「海防艦は、今日沈むか、明日沈むか、長くとも一月は浮いてはいない。半年以上浮いていれば珍しい。一年以上浮いている艦は奇蹟だ。一度でも内地に帰れる艦は幸せだ」というジンクスがあったそうだ。
安らかに尚 安らかに 眠れ眠れ
逝きし友ぞ 今ぞなつかし
海猫よ 心あらば 永遠に
亡き戦友のため 鳴いてやってくれ
八戸の盾とぞなりて 散華せる
海防艦稲木 今も目に見ゆ
涙にむせぶ 墓獅子の舞
恋しさに恋しき人を来てみれば
見るより早くしぼる袖かな
海猫の去りし 蕪島寒し 碑に刻みし
勇猛果敢 涙あふるる
甦る 沈みし瞬間 海暑し
偲ぶ忌に来し 兵皆老いぬ
八戸の盾とぞなりて 散華せる
海防艦稲木 今も目に見ゆ
海神魂に 祈り捧げん
八戸の盾とぞなりて 散華せる
海防艦稲木 今も目に見ゆ
永遠に忘れじ 子らに伝えん
米国資料に見る稲木の戦闘(抜粋)
- エセックス戦闘機隊の戦闘報告
「本州北部にある八戸飛行場に対する掃討任務のヘルキャット4個小隊をロビンソン大尉が率いる。(略)
八戸港の護衛駆逐艦(註・稲木)1隻とSD船1隻(註・開北丸と思われる)に対して機銃掃射を実施。その護衛駆逐艦は至る所から出火し、艦尾に於いて爆発が生じた。(略)
飛行場に於いては対空砲火を認めず。しかし、護衛駆逐艦からは密度・濃、口径・中及び小、及び密度・中、口径・大の対空砲火があった。(略)
3、護衛駆逐艦 450㎏(1000ポンド)爆弾×1発(命中なし)、機銃掃射 効果・大
八戸港内にあった護衛駆逐艦は機銃掃射を受けて至る所から出火、艦尾にて爆発1回」 - ランドルフ飛行隊の戦闘報告
「第16飛行隊戦闘爆撃機分隊のF6Fヘルキャット16機の部隊はムーアヘッド大尉の指揮下、第16飛行隊爆撃機分隊のSB2C14機と共に午前5時、大湊海軍基地の艦船及び施設攻撃の為、発進。
(略・この後、天候不順の為、比較的天気の良かった八戸に攻撃変更)
八戸港内に停泊していた護衛駆逐艦1隻に爆撃機及び戦闘爆撃機が攻撃を加えた。高度2100m(7000フィート)から急降下し、近接信管をつけた爆弾を1400m(4500フィート)にて全機が投下したが命中弾なし。
次いでヘリオド大尉の戦闘爆撃機小隊と、それに続くロルファセン大尉の爆撃機小隊が高度1800m(6000フィート)から急降下し、ロケット弾を高度750~450m(2500~1500フィート)、降下角60°で発射。
ヘレイド大尉機とヌトソン少尉機はそれぞれ2発づつ命中させたが、大きな効果があったかは不詳。しかし、ハレー中尉機は艦尾に致命的な命中弾を2発与え、弾着により爆弾庫もしくは艦上の爆雷が誘爆したものとみられる。
大爆発が起き、火球が300m(1000フィート)まで立ち上った。激しく発煙し続けてはいたが、この護衛駆逐艦の艦尾は水面下に没し、明らかに着底している。
この艦は戦闘初期では口径・中乃至小の正確な対空砲火を打ち上げていた。艦首部分に対しても艦全体を沈める為に何度も機銃掃射が加えられた。
3時間ほど後の攻撃隊の各機によると、この護衛駆逐艦は尚も発煙を続け、艦首部分が海面から覗いていただけであったとの事。(略)
1、護衛駆逐艦 1000t
8機で攻撃。110㎏(250ポンド)爆弾×14発(命中なし)、ロケット弾×22発(命中×6発)。撃沈。」 - ランドルフ戦闘爆撃隊の戦闘報告
「コルガン大尉率いる本攻撃部隊は第16飛行隊戦闘爆撃機分隊F6F-5ヘルキャット15機からなる。(略)
部隊は八戸港に向かい、小型船舶2、3隻に対して機銃掃射を実施。他には例の護衛駆逐艦のみがあった。明らかに艦尾が着底しているようで、上部構造物より発煙していた。
これはこの日の早い時間帯における第16飛行隊戦闘爆撃機分隊の攻撃結果である。(略)
港には例の護衛駆逐艦の他には小型船舶2、3隻しかいなかった。本分隊の機による本日中の早い時間帯の攻撃により、護衛駆逐艦の艦尾は沈下していた。」
「八戸の盾」の由来
- 八戸の初空襲は昭和20年7月14日。午前5時と午前11時の2度にわたり、グラマンの波状攻撃を受け、高舘飛行場、日東化学、尻内駅等が被害を受けた。この攻撃は翌日も続き、死者行方不明者452名、重軽傷者は多数にのぼった。
この時、市民は軍が迎撃してくれると信じていたが、実際は迎え撃てる航空機が無く、蹂躙されていった。この為、市民は軍に不信感を抱くようになる。 - 7月19日、大空襲予告のビラが撒かれ、それを機に八戸の疎開が強化される。
- 8月5日、B29が空襲を予告するビラを散布。
- 8月9日、2回目の空襲。稲木応戦。死者29人、負傷者35人(共に稲木乗組員のみ)
- 翌日(10日)も空襲があり、セメント工場や鉄橋、民家等が爆撃され、多数の死者が出た。
- 同日午後、八戸市長より市民に総退却の避難命令発令。
- 尚、昼過ぎに1隻の海防艦(艦名不明)が稲木と同じ港に接岸、1時間もすると揚錨し出航。この時、昨日と同じようにグラマンの襲撃を受けるが1時間余りの攻防の末、無事脱出したとの事。
- 8月17日、大空襲の予告日であったが、15日に終戦した為、中止。
- この2回の空襲により、市民に多くの死傷者が出たが、唯一、稲木が応戦した日のみ市民に被害が出なかった。その為、「八戸の盾」と呼ばれることになった。
稲木は何故、沖に出なかったのか
- 1020tの船体を固定する為の鎖の環は太さ10cmもあり、簡単に切ることはできなかった。
- 「臨戦準備入港」の場合、捨錨という方法もあったが内地入港中の稲木はこの方法をとっていなかった。
- 錨作業は全員砲術科員(一分隊)の対空班で構成されており、カッター、内火艇の上げ下ろし作業も行う。
- 当日は錨揚げ方用意、カッター揚げ方用意で甲板上を走り回っていたところに「対空戦闘配置につけ」の号令がかかった為、作業取り止めになった。
- 乗組員の証言によると「もう10分間があれば、稲木は外海へ出て十分な戦闘態勢を整え戦っていただろうに」と。
- 他の証言では「稲木は八戸港内に沈んでこそ、最小限度戦死者にとどまったのではないか。艦長の迅速的な決断をもって、我々乗員に命を与えて下さったのだ」
稲木と八戸
- 当時、八戸港警備の任にあった八戸海上警防団もまた、所属船に機銃を装備し対空戦闘にあたっていた。
前月14日、15日の空襲では漁船を改造した警備艇(70~80t、指揮官 海軍中尉)2隻が奮戦した。(15日の攻撃で1隻撃沈、1隻大破)
この警防団は、稲木沈没時には負傷兵の救出や乗組員の救助に身を挺して当たった。また、地元漁民も危険を冒し伝馬船を漕ぎ出して、同様に救出作業を行った。 - グラマンの追撃を逃れた乗組員たちは仮収容所にあてられた家や、蕪島の横穴の中で仮包帯をし、日赤病院に運ばれた。
- 稲木沈没の急報に決死隊を編成した看護婦の一隊は、グラマンが飛び交う市内をトラックで駆け抜け、救出された乗組員に対し、応急手当と看護に手を尽くした。
- この時、救助に参加した八戸赤十字病院看護婦養成所婦長・花田ミキは戦後、青森県民の命と健康を守るために尽力し続けた。その功績は「東は青森県の花田ミキ、西は高知県の上村聖恵」と並び称され、当時の看護関係者達からはその指導力や人間性から「西の上村天皇、東の花田天皇」とも呼ばれるほどだった。
- 終戦後も収容された負傷兵は、市議会副議長の経営する映画館に招待観映されたり、市内小学生のお見舞い、看護婦によるうどん等の夜中の差し入れなど慰問と励ましを受けた
- 稲木沈没の急報に決死隊を編成した看護婦の一隊は、グラマンが飛び交う市内をトラックで駆け抜け、救出された乗組員に対し、応急手当と看護に手を尽くした。
- 稲木乗組員はこの手厚い看護に感銘を受け、以後、八戸を「稲木の聖地」と呼ぶようになった
稲木、その後
- 昭和39年12月、稲木の船体が引揚げられ、八戸海交会により慰霊祭開催、以後、海軍記念日(5月27日)に稲木終焉の地、八戸市蕪嶋神社にて慰霊祭開催
- 昭和51年11月21日、第1回稲木会(戦友会)並びに慰霊祭開催
- 昭和55年11月23日、呉海軍墓地に海防艦稲木戦歿者慰霊碑建立
- 昭和56年8月9日、初めて戦友会・遺族を迎え蕪嶋神社にて慰霊祭開催
- 昭和58年8月7日、蕪嶋神社境内に海防艦稲木の碑建立
- 平成18年1月、稲木会解散
- 平成20年3月、靖國神社より海上自衛隊第二航空群資料室(八戸)に稲木の軍艦旗が永久貸与される
- 平成27年8月9日、蕪嶋神社境内に海防艦稲木慰霊碑建立
- 靖國の海防艦顕彰碑を含め、慰霊碑が4つも有るのは大変珍しいのではないだろうか
- 令和2年8月7日、稲木の勇姿を描いた鉛筆画『八戸の盾-海防艦稲木26050809-』が蕪嶋神社に奉納される
この艦娘についてのコメント
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- ドロップ祈願や海域攻略祈願のために、wiki内神社というページが設置されました!ぜひご利用ください。
出たら出たで・・・「ホンマに出してどないすんねん!」
(じゃあ、どうしろって言うんだよね?ホント) -- 2024-05-31 (金) 19:04:33
(実は白兵戦用にヒートホークも隠し持ってたり・・・) -- 2024-06-02 (日) 14:03:21