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歴代艦長

艤装員長・駆逐艦長
艦長氏名(期・本籍)
配属期間
他の経歴・小ネタ
艤装員長
初代
白濱政七 中佐(49・佐賀)
1938.12.15~39.6.28(艤装員長)
1939.6.28~39.11.15(艦長)
大戦中は水雷学校副官を経て筑摩副長。最期は第27駆逐隊司令として渾作戦中、乗艦春雨戦没時に戦死。少将に特進。他、松風如月(睦月兼務)、狭霧磯風駆逐艦長。
第2代磯久研磨 中佐(48・高知)
1939.11.15~40.11.15
開戦時は第11水雷隊司令。後、海防艦八丈艦長、第4駆逐隊司令。トラック島空襲に際し、乗艦舞風戦没時に戦死。少将特進。他、夕顔、長月(水無月兼務)、有明、狭霧磯風駆逐艦長。
第3代戸村清 中佐(49・千葉)
1940.11.15~42.8.20
開戦時の霞艦長。キスカ湾での大破後 満潮谷風駆逐艦長、摩耶副長、第6駆逐司令。電の戦没により6駆解隊。他、蓮、沢風、白雪駆逐艦長。戦後、大泊艦長、葛城臨時艦長。
第4代
(兼)
友重丙 中佐(47・広島)
1942.8.20~42.9.10
本務は舞鶴防備隊副長。
舞鶴工廠で修理を受けた艦の駆逐艦長・巡洋艦副長を兼務した。(薄雲、大潮那珂等々)
第5代
(兼)
杉岡幸七 中佐(49・広島)
1942.9.10~42.11.15
開戦時は狭霧艦長。従って同艦戦没時の艦長でもある。修理中の大潮に加え、不知火駆逐艦長を兼務。駆逐艦長に補され、ベラ湾夜戦にて戦死。大佐特進。
第6代
(兼)
山名寛雄 少佐/中佐(55・広島)
1942.9.10~42.12.20 (兼務)
1942.12.20 (主務)~45.3.1
開戦時は沖風駆逐艦長。戦没時の艦長で、同行した初春らに助けられた。修理中の大潮・不知火・初春の艦長を兼ねる。
第7代大潮新艦長*1が着任したため主務艦を霞に変更。43.5.20に修理完工し不知火・初春艦長兼務解消。以降、レイテ沖海戦、多号作戦、北号作戦等名だたる戦歴は彼の功績である。坊ノ岬沖海戦には冬月駆逐艦長として参戦。
第8代松本正平 少佐(59・石川)
1945.3.1~45.4.7戦没
開戦時は鷺艇長。神風駆逐艦長、第9次多号作戦で戦没した夕月駆逐艦長。坊ノ岬沖海戦で艦を失うが、山名前艦長乗艦の冬月により救助される。ポツダム昇級で中佐。

(未実装艦) 睦月型・夕月歴代駆逐艦長

■ 未実装最後の睦月型・夕月実装時に向けて作成しました。

艤装員長・駆逐艦長
艦長氏名(期・本籍)
配属期間
他の経歴・小ネタ
艤装員長
初代
穂本繁治 中佐(36・福岡)
1927.2.15~27.7.25(艤装員長)
1927.7.25~28.12.10(艦長)
峯風・島風艦長等を歴任。菊月艦長兼務。14駆司令、第6掃海隊司令、鎮海要港部港務部長。45歳で逝去。
第2代境澄信 中佐(37・山口)
1928.12.10~29.9.29
東雲艦長、22駆兼旧21駆司令等。
当時の水雷長(清水利夫大尉(46・山口) )は後に卯月・夕霧艦長、神威副長、国後艤装員長・初代艦長、29駆・21駆・31駆司令。ルンガ沖夜戦において乗艦高波にて戦死、少将特進。
第3代池田久雄 少佐(38・神奈川)
1929.9.29~30.3.8
本艦艦長の後、帆風・薄雲・敷波艦長、3駆司令。46歳で逝去。
第4代勝野実 少佐(40・東京)
1930.3.8~31.12.1
望月艦長兼務(31.1.8~4.1,31.9.5~12.1)。青葉副長の後は陸上勤務。最終所属は上海特陸隊司令官(少将)。
第5代森下信衛 少佐(45・愛知)
1931.12.1~33.11.1
一水戦参謀、二水戦参謀、四水戦参謀、第7戦隊参謀、8駆司令、大井川内榛名艦長。レイテ沖海戦における大和艦長、坊ノ岬沖海戦における第二艦隊参謀長。
第6代伊集院松治 少佐(43・東京)
1933.11.1~34.11.1
第三水雷戦隊司令官としてブーゲンビル島沖海戦に参戦。乗艦川内は沈没するも潜水艦により救助され生還。第1護衛船団司令官としてヒ63船団護衛中、乗艦壱岐撃沈により戦死。中将に特進。他に阿武隈副長、23駆・8駆司令、那珂愛宕金剛艦長。
第7代
(兼)
戸村清 大尉(49・千葉)
1934.11.1~35.10.31
主務は望月艦長。のち、沢風・白雪満潮谷風艦長、摩耶副長、最期の6駆司令。
第8代脇田喜一郎 少佐(48・鹿児島)
1935.10.31~36.7.22
夕月艦長時は望月艦長を兼務。村雨艤装員長・初代艦長、朝潮(荒潮大潮兼務)・吹雪朝雲雪風艦長、22駆、1駆(兼沼風艦長)、21駆司令。41駆司令として31戦隊旗艦を継承した霜月に乗艦中潜水艦に襲われ戦死、少将特進。なお、雪風艦長経験者唯一の戦死者。
第9代由川周吉 少佐(51/大甲34・山口)
(1936.7.25~36.10.31)
8戦隊参謀、夕立艦長、軍令部参謀。
第10代大田春男 少佐(49・神奈川)
1936.11.2~37.6.1
夕風(兼沖風)艦長、夏雲(兼帆風)艦長、厳島副長、国後艦長、52掃海隊司令。
第11代藤田勇 少佐(50・静岡)
1937.6.1~38.11.25
矢風、夕暮、朝潮艦長、巻雲艤装員長・艦長(戦没)。14戦隊参謀(死亡、大佐)
第12代
(兼)
小倉正身 少佐(51・岐阜)
1938.11.25~38.12.15
主務は如月艦長。開戦時満潮艦長。高波艤装員長・艦長としてルンガ沖夜戦にて戦死。大佐特進。
第13代作間英邇 少佐(50・山口)
1938.12.15~40.5.1
弥生艦長を兼務。睦月菊月艦長を経て綾波戦没時艦長、玉波艤装員長・初代艦長、冬月艤装員長・初代艦長。第43駆逐隊司令として坊ノ岬沖海戦時における対潜哨戒隊を指揮。戦後、鳳翔臨時艦長。
第14代竹内一 少佐(52・福井)
1940.10.15~41.9.15
沼風艦長を経て夕月艦長。開戦時の艦長。のち、黒潮艦長。
第15代橘広太 少佐(56・広島)
1941.9.15~42.5.4 (戦死)
春風艦長を経て開戦時の夕月艦長。ツラギで空襲を受け被爆時に戦死。中佐特進。
第16代森幸吉 少佐(57・宮城)
1942.5.15~42.7.10
睦月艦長を経て菊月開戦・戦没時艦長。夕月艦長を経て16戦隊参謀、沢風艦長。軍令部員。
第17代小山田正一 大尉/少佐(60・東京)
1942.7.10~43.10.20
陽炎水雷長、開戦時は愛宕水雷長。少佐昇進後16戦隊参謀、南西方面艦隊兼第三南遣艦隊参謀。
コレヒドールで戦死、中佐特進。
第18代松本正平 少佐(59・石川)
1943.10.20~44.12.15
開戦時は鷺艇長。神風艦長を経て着任した最後の夕月艦長。夕月は第9次多号作戦で戦没したが生還し帰国。45.3.1に最後の艦長となり、坊ノ岬沖海戦で艦を失うも、山名前艦長乗艦の冬月により救助される。ポツダム昇級で中佐。

(未実装艦) 夕雲型・大波歴代駆逐艦長

■ 夕雲型・大波実装時に向けて作成しました。

艤装員長・駆逐艦長
艦長氏名(期・本籍)
配属期間
他の経歴・小ネタ
艤装員長
(兼)
平山敏夫 少佐(55・鹿児島)
1942.11.15~12.20
開戦時の水無月駆逐艦長。本務は藤永田造船所で修理中の白雲駆逐艦長。12.20に後任の駆逐艦長が着任したため兼務解消。44年に入り再び藤永田造船所にて秋霜の艤装員長・初代駆逐艦長、早霜2代目駆逐艦長、中佐昇進後涼月駆逐艦長を歴任。坊ノ岬沖海戦において涼月にて参戦、同海戦にて被爆大破しつつ生還した。
艤装員長
初代
吉川潔 中佐(50・広島)
1942.12.20~12.29(艤装員長)
1942.12.29~43.11.24(艦長)
鳥海水雷長、春風駆逐艦長、弥生駆逐艦長、山風駆逐艦長、江風駆逐艦長、大潮駆逐艦長(開戦時)、夕立駆逐艦長を歴任。大潮・夕立の駆逐艦長として本サイトではあまりに有名。海軍兵学校教官への就任を辞しての駆逐艦長着任だった。43.11.24、セント・ジョージ岬沖海戦にて31駆僚艦巻波及び11駆夕霧と共に戦没、吉川も戦死した。異例の2階級特進により少将。

(未実装艦) 白雲艦長一覧

■ 吹雪型・白雲実装時に向けて作成しました。

本編へ移植しました


*1 廣瀬弘中佐。大潮戦没後は島風艤装員長・初代艦長。