大泊

Cached: 2025-04-27 21:45:06 Last-modified: 2025-04-23 (水) 21:26:44
No.595
595.png大泊(おおとまり)大泊型 砕氷艦
艦船ステータス(初期値/最大値)
耐久20火力2 / 8
装甲11 / 31雷装0
回避14 / 48対空6 / 18
搭載0対潜12 / 18
速力低速索敵7 / 14
射程40 / 80
最大消費量
燃料15弾薬5
装備
7.7mm機銃
7.7mm機銃
装備不可
装備不可
改造チャート
大泊大泊改(Lv55+高速建造材×8+開発資材×12)
図鑑説明
砕氷艦、大泊と申します。北方で起きた悲劇を契機に北の冷たい海を渡れる砕氷艦として日本で初めて建造されました。大湊を起点に、北方海域で活動する皆さんの支えとして、警備、救援、支援に努めました。
戦後はあの宗谷へと繋がっていきます。覚えていてくださいね。

※初期値はLvや近代化改修の補正を除いた時の数値であり、改造直後の値とは異なります。
最大値はLv99の時の最大値を指します。

CV:未発表、イラストレーター:未発表 (クリックするとセリフ一覧が開きます)

CV:未発表、イラストレーター:未発表*1

定型ボイス一覧

イベントセリフ改装段階備考追加


 
 



 
追加
入手/ログインある悲劇をきっかけに日本で初めて建造された本格的な砕氷艦、
名前を「大泊」と申します。戦闘を目的とした艦ではありませんが、北方の漁業、航行、そして皆さんの生命をお護りします。
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母港*2編集
母港1詳細戦闘とは違うやり方で、皆さんを守ります。編集
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母港2北方海域の守り神…って、そんな…。私は戦う船ではありませんし…。…でも、できうる限り、働きますね。編集
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母港3そうですね、助けに向かおうとしても、氷の海を渡ることができない。そして、起こった惨劇…。対応したくても、北方の氷の海で動ける艦のいない海軍。そんな自体を、二度と起こさないために、私が生まれました。編集
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ケッコンカッコカリ反転ボイス編集
ケッコン後母港反転ボイス編集
放置時そうですね。北の海、特に氷が融けだす季節まで、その環境は中々に厳しいです。そのために、私が生まれました。体が動かなくなる、その時まで。北方で活動する皆さんのために、できるだけ頑張ります。編集
編成出撃編集
編成北方警備、砕氷艦、大泊。抜錨いたします。編集
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出撃横須賀鎮守府所属、砕氷艦、大泊。進発いたします!皆さん、恐縮です。続いてください!編集
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開戦・攻撃*3編集
戦闘1昼戦開始あ、あれは…敵……?み、皆さん、気を付けて!編集
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戦闘2昼戦攻撃ど、どうしましょう!編集
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戦闘3夜戦開始夜の海…ですか。皆さん、どうぞお気をつけて!編集
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戦闘4夜戦攻撃皆を傷つけさせるわけには…!編集
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戦闘時ステータス*4編集
小破きゃあ!編集
やめてください!編集
中破/大破痛いっ!わ、私…沈むわけには…。編集
轟沈反転ボイス編集
戦闘終了*5編集
勝利MVP私にこのような栄誉を…?あ、いえいえいえ、大変恐縮なことです…ご辞退申し上げ…。…あ、はい、すみません…。編集
旗艦大破やめてください!編集
装備・改修*6編集
装備1改修/改造ありがとうございます。大変恐縮です。編集
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装備2こんな装備を…私に?あっ、は、はい!受領します。編集
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装備3改修/改造/開発/バケツ/遠征/発見とても素敵です。いいですね。編集
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その他編集
帰投皆さん、無事に戻ってこれました。ふぅ…良かった。編集
補給補給助かりました。大変恐縮です。編集
入渠(小破以下)大変恐縮です。少し修繕いたします。編集
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入渠(中破以上)提督、大変申し訳ありません。大幅な修繕が必要となりました。恐縮です。編集
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建造完了新しい船が完成しました。素敵です。編集
戦績表示全体状況を確認するのは大切ですね。はい、こちらです。編集

各ボイス項目の詳しい説明はこちらをご覧ください


時報ボイス一覧?

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季節ボイス一覧?

#table_edit(): No such page: 大泊/季節ボイス


ゲームにおいて

  • 砕氷艦という艦種として初の艦娘。内部的な仕様上は補給艦扱い
  • 2025春イベント前段作戦『北海道防衛作戦』E1にてドロップ艦として初登場。
    • 砕氷艦のフレーバーのためか、当イベント前段海域では多くの分岐条件にて大泊を加える事で条件が緩和される場面があった。
      • 特にE3-1では史実艦や北方バルジの個数を無視できるという特殊な一面を見せた。
  • 未改造の時点では12cm単装高角砲+25mm機銃増備を含む)、小型電探、小型ソナー、爆雷・爆雷投射機、機関部強化、対空機銃、応急修理、上陸用舟艇、北方迷彩(+北方装備)、探照灯、ドラム缶、照明弾、熟練見張員、戦闘糧食、洋上補給、発煙装置、阻塞気球が装備可能。

アップデート履歴

キャラクター設定について

  • 川崎造船所で建造された神戸艦娘。隣では加賀鬼怒神通を建造していた。
    • 北方での活動がメインとはいえ、観艦式に何度か参加、良い位置に配置されている。太平洋戦争以前に就役していた日本の 艦娘 艦艇とは、みんな顔見知り。
  • 就役直後、日本陸軍を乗せての出動が『韃靼海峽氷原航海 大正十二年二月』として映画化されている*7。つまりL.d.S.D.d.Abruzziと同じく女優艦。

小ネタ

間宮に匹敵する功労艦
  • 20年以上に渡って北洋をたった一隻で守り続けた陰の功労艦である。日本海軍はもとより、日本で建造された初めての砕氷艦。
    • ロシアの砕氷船「ドブルィニャ・ニキーティチ」をモデルに設計され、砕氷艦らしく艦首に衝角状の突起を設けて艦首の強度を高めるなどの対策が施された。
      • 約1mの厚さの氷盤を割るときは、艦首を氷盤の上に乗り上げてから、艦首部の海水タンクにポンプで海水を満たし、艦自身とタンク内の海水の重量で氷を上から押し曲げて割っていた。2mの砕氷能力を持つとされたが、実際の砕氷能力や連続砕氷能力はこれより小さいはずだった。*8
  • 日本海軍は健軍以来、北洋警備の重要性は認識していたものの、大泊就役以前は氷海を安定して航行できる専用の「砕氷」艦を持つことが出来ていなかった。
    砕氷とは
    • 砕氷とは、冬季に氷結する海域を氷を砕きながら航行することで、それに特化した艦船を「砕氷艦」「砕氷船」と呼ぶ。
      • 手順としては、まず前進して氷に衝突して割る。ここまでなら普通の船でもできないことはないが、砕氷船はここからが違う。なんと氷の上に乗り上げるのだ。そして船の自重で割るのである。
      • このため、砕氷船の船首は「そり」のように緩やかな傾斜を描いている(乗り上げ「過ぎない」よう、途中から角度を変えた「スケグ」という構造を併せ持つ)。
      • 一度に割れる量に限りがあるため、何度も衝突と乗り上げを繰り返さねばならないことから、前進と後退を素早く行えるよう、機関部にも手が加えられ、また船体の姿勢を安定させるため、船内の燃料を移動させてバランスを取る。
    • 北極圏の海域で冬季に発生する氷は、実は船舶にとってはとてつもなく大きな脅威であり、かの有名なタイタニック号も処女航海で氷山と衝突して沈没していることからも、どれだけ危険なものかということが分かる。
      • タイタニック号が衝突したのは氷山であり、あくまで氷の塊でしかなかった。しかし、凍結した北極海はその氷山や流氷が海面を見渡す限り覆い尽くしているという船乗りにとっては、最悪と言っても過言ではない状態なのだ。
    • 世界初の実用的な砕氷船は1871年、ドイツのハンブルクで造られた「アイスフックス*9」で、第二次世界大戦後の1956年まで運用されている。
    • 海上自衛隊では、海上保安庁から南極地域観測隊の輸送・支援任務を引き継ぐのに伴い、1965年に同任務を担う初の砕氷艦「ふじ」(AGB-5001)を就役させた。旧日本海軍の大泊以来、実に44年を経ての砕氷艦の建造であった。
      その後、1982年には後継の初代「しらせ」(AGB-5002)が就役して2008年まで活動、現在は2009年就役の2代目「しらせ」(AGB-5003)が毎年南極観測のための輸送・支援任務に就いている。
      • 南極観測を行う文部科学省での呼称に合わせてマスコミ報道等でも「南極観測」と呼ばれることが多いが、正式には海上自衛隊所属の「砕氷」である。
    • 海上保安庁では、南極観測支援任務を解かれた「宗谷」(PL107)が巡視船として北海道の第一管区海上保安本部に配属され、1978年の解役まで北洋での漁業監視、救難、流氷観測等に活躍した。その後、後継として海保初の新造砕氷巡視船「そうや」(PLH-01)が就役、1995年には2隻目となる500t型砕氷巡視船「てしお」(PM15)が就役した。現在は「そうや」の後継となる2代目「そうや」(PLH-01)の建造が進められている。
    • 最近では、この砕氷艦の機能を駆逐艦に取り入れようとする研究がアメリカで進められている。
      • 計画としては、アーレイ・バーク級ミサイル駆逐艦の後継として現在開発中の次世代イージス艦DDG(X)の艦首を砕氷構造にすることで北極圏での活動を可能にするというものである。
    • なおその性質上、非常に横幅が広いずんぐりむっくりとした艦型をしており、「オスタップ」(洗濯桶)というあだ名がついていた。ちなみに「オスタップ」は大和にもつけられたあだ名である。

建造経緯

  • 大泊が建造された理由、それは自身が自己紹介で述べている北方で起きた悲劇「尼港事件」が契機であった。
    • 1920年(大正9年)1月24日、ニコラエフスク(尼港)に駐屯中の日本軍は、パルチザンの攻勢に対し海軍陸戦隊の派遣を要請、海軍は救援として三笠と見島を送り出す。
      砕氷海防艦「見島」
      • 日露戦争後、拿捕したロシア軍艦艇の中でもバルチック艦隊(バルト海艦隊)所属艦艇は、元々ある程度自力で砕氷できるようになっていたため、砕氷艦への転用も期待できた。そして鹵獲艦の中の1隻、海防戦艦「アドミラル・セニャーヴィン」を海防艦「見島」と改名の上、第一次世界大戦たけなわの1918年に砕氷艦に改造した*10
        • 内容は武装の一部変更*11、艦首の砕氷構造化、艦橋の耐寒令設備の設置等であったが、所詮は間に合わせの急造でしかなく、能力的には心もとないものであった。
      • 見島の砕氷能力では氷海を突破することができず、日本兵及び民間人の虐殺後に救援部隊が到着することになる。これを受け、大正9年度計画の能登呂型給油艦のうち1隻を砕氷艦に変更、大正10年度軍備補充費で建造されたのが大泊である。
        尼港事件
        • 尼港はシベリア出兵により一時的に日本人統治下にあったアムール川の河口にある港町で、ロシア系、中国系、朝鮮系、そして日本人が雑居している12000人ほどの都市だった*12。ロシア革命後の治安悪化で日本軍が進出し、この時点では水戸歩兵第2連隊第3大隊の約300名と海軍関係者*13約40名、ソビエト政府と対立するコルチャーク政権白衛軍系の守備隊(約350名)が治安維持に努めていた。
        • 1919年11月、コルチャーク政権崩壊を受けハバロフスク地方アナスタシエフカ村で、沿アムール地方パルチザン部隊指揮官協議会が催され、ソビエト権力復活のためにアムール川下流地帯にパルチザン部隊を派遣することが決定する。ヤーコフ・イヴァノーヴィチ・トリャピーツィンを指揮官とするパルチサン(以後赤軍と表記)約4000名が組織され尼港方面に向けて進軍を始める。
          白軍の弱体化を受け、尼港防衛は日本側が中心に行う事になる。1920年1月10日には夜間外出禁止令が出され、1月23日には300人ほどのパルチザン部隊が氷結したアムール川の対岸から尼港を襲撃してくるがこれを撃退する。翌24日、副領事である石田虎松や三宅駸吾海軍少佐らの陸戦隊派遣要請を受け、尼港救援部隊の派遣が検討される事になる。
          • 陸軍戦力で尼港に一番近かったのはハバロフスクに駐屯していた第14師団主力*14であったがパルチザンが横行するようになった1919年の末ころから尼港との交通は困難になっていた。また、尼港の陸路の入り口を守るチヌイラフ要塞が赤軍側に占領*15されたことで尼港は完全に包囲されてしまう。
            海軍側は前述の砕氷艦「見島」と戦艦「三笠」*16を現地に派遣する事を決めたが、尼港は堅氷に閉ざされて艦船の近接、上陸は不可能だった。結局、兵力の増援は延期され、これが悲劇の始まりとなる。
            • 結局尼港はこれ以上の戦闘による民間人への被害を考慮して2月28日正午に開城する。白軍側の武装解除及び住民も含めた生命の保証、資産と個人の安全保障等は行われたが、日本軍側は赤軍入城後も居留民保護のため武装駐留していた。
              だが赤軍側は駐留後に白軍将兵や出入り商人、企業家、資産家、立憲民主党員、公務員、知識人、聖職者、個人的にパルチザンの恨みを買っていた者など400名が、女性も年少の者も区別無く次々と投獄拷問され処刑までされ始めた。このため尼港はパニック状態となり、日本領事館に助けを求めてきた。また赤軍側が中国朝鮮系の住民を集めて日本側を攻撃するという風聞も流れた。
              末松副領事と守備隊長の歩兵第2連隊第3大隊長石川正雅少佐は3月10日、トリャピーツィンに暴虐行為をやめるように勧告したが、かえってトリャピーツィンは日本軍に武器弾薬全部の貸与方を要求して、翌12正午までの回答を迫った*17
        • 3月12日午前2時頃、追い詰められた日本軍側は遂に決起する。約150名ほどが二手に分かれて赤軍本部を襲撃、90名ほどが監獄を襲撃して捕らえられていた市民の開放を目指したものと考えられている。赤軍本部ではっ参謀長が戦死し、トリャピーツィンも足に負傷しつつも脱出に成功する。一方でラプタは司令部にいなかった事で難を逃れ、直ちに付近の赤軍を集めて反撃、日本側は石川少佐が戦死、監獄襲撃も失敗して多くの将兵が戦死した。
          3月14日、赤軍は日本領事館を包囲して火を放ち、ガトリング砲などで攻撃、石田副領事は赤軍説得中に銃撃を浴びて死亡、その妻子*18、領事館にいた在留邦人、軍関係者、その全てが皆殺しとなった。
          日本軍守備隊の壊滅に伴い、赤軍は生き残った将兵や在留居留民への逮捕、虐待、殺戮をエスカレートさせていった。彼らの行った残虐行為を書くことは控えるが、女子供関係なくほとんどの住民が虐殺され、生還者は10数名しかいなかった*19*20
          • 惨事を知った日本軍は、赤軍との妥協点は見いだせないと判断、4月4日、日本軍は軍事行動を起こしてウラジオストクの赤軍は瞬く間に降伏、6日にはハバロフスクの赤軍も武装解除され、同日にはウラジオストクに共和制の臨時政府が樹立される。極東共和国の樹立は、トリャピーツィンには想定外であり、彼らは住民を防御態勢の構築を行ったが、彼らの虐殺行為は中国系や朝鮮系、ロシア系の住民にも及び、しまいには「パルチザンとその家族をアムグン川上流のケルビ村に避難させ、残ったニコラエフスクの住民を絶滅し、町を焼きつくす」計画を実行しようとまでする。結局解氷後の6月3日に日本軍が尼港に到着するまでの間、赤軍は尼港を焦土にして、推定約6000名の住民*21が虐殺されていた。
            • 赤軍は日本軍到着前に撤退していた。当初ソビエト政府はトリャピーツィン側の主張「赤軍の正義と日本軍の裏切り」を言い立てていたが、尼港からの避難民が周辺都市にたどり着いて状況を伝え、尼港での住民虐殺が世に知られると、「日本人以外の住民も大量に殺されている」事を初期に壊滅した日本軍守備隊のせいにすることなどできるわけもなく、ソビエト政府もトリャピーツィン側の主張に疑いを向けだす。危機感を持ったソビエト代表団は、6月の終わりにアムグン地域に出向き、反トリャピーツィングループと接触する。そして7月3日の夜、ムグン川に停泊する蒸気船にあったトリャピーツィンの司令部を襲って彼らを逮捕して裁判にかける事になる。9日、人民裁判が行われトリャピーツィンと相棒のニーナ・レベデワ以下7名が銃殺となった。ソビエト政府は「ニコラエフスク管区赤軍司令官として在職中、ソビエト政治の方針に従わず、職権者を圧迫し、ロシア共和国政府のもとで活動していた労働者間の共産主義に対する信頼を傷つけた」ことを罪状に上げ、彼らを反逆者として処罰している。

北洋戦線異状なし

  • 1921年6月24日に川崎造船所にて起工。同年8月2日、日本海軍は艦船令を改正し、大泊の就役に備えて特務艦の区分に「砕氷艦」という艦種を追加する。11月7日に大泊は竣工した。
    • 竣工後、舞鶴鎮守府、次いで横須賀鎮守府に籍を置いた。
      春季から夏季にかけて函館や大湊、横須賀に帰投して修理や乗員の交代を行い、それ以外は一貫して北洋で行動*22
      した。日本海軍唯一の砕氷艦として、北方全般の警備、航路啓開、漁業の保護に多大な貢献を果たしている。
      • 変わったところでは、1930年から1941年までの間、断続的にオホーツク海での流氷原の調査を行なった。1933年から1934年にかけて阿頼度島の噴火で新島が出来た際には、本艦が派遣されて乗組員が火山島を探検した。
  • 太平洋戦争中は大湊警備府附属として宗谷海峡などで活動し、ソビエト船籍の船の臨検等を行っていたが、軍事行動に参加する事はなく、1945年7月20日、補修整備のため横須賀に入港し、同地で終戦を迎えた。
    • 戦中、若葉も大泊のお世話になっている。詳しくは若葉の記事参照。

砕氷特務艦は辛いヨ

  • ただでさえ整備が後回しになりがちな特務艦*23、しかも唯一の砕氷艦のために酷使され続け、なおかつ艦の性質上全力の前進・後進を頻繁に繰り返すだけに機関の傷み方は激しかった。
    • 1939年10月にはもはや全く馬力が出ず、わずか4時間に18リットルもの潤滑油を浪費してなお軸受が過熱するという状態に陥った。
      この修理に海軍工機学校高等科卒の一上等兵曹、斎藤兼之助氏に白羽の矢が立った。氏が着任して艦長から修理の命を受けて機関を分解したところ、状態は惨憺たるものだった。
      • ろくに修理もせず使い倒された機関はまさに満身創痍。小さな故障は数知れず、状態を検査するための木型すら紛失しており、つまりは検査もされず酷使されていたということである。
        また、潤滑油を大量消費しても軸受が過熱したのも道理で、潤滑油の通る油溝が摩耗しきってそもそも跡形も無かったのである。
        主軸受に至っては遊びが規定では1000分の10ミリまでとなっているところ、なんと10ミリ(!)以上もすり減っていたという。
      • 下士官兵を動員して巨大な機関のあちこちを分解しては修理し、油溝をタガネで彫り、正常な状態を誰も知らないので実際に動作させて記録調整しと、悪戦苦闘すること1ヶ月。
        公試運転の結果、問題なく全速が出せ潤滑油も4リットルで済むなど、大泊の機関は見事に復活を果たした。艦長は一下士官である斎藤氏に固く握手をしてその労をねぎらったという。*24
  • なお、先にも述べた通り大泊は非常に横幅が広くずんぐりした艦型をしている。
    このため転覆しづらい代わりに、荒天ではハンパじゃないローリングをして乗員を苦しめた。60度まで測れる傾斜計が振り切ってしまうことも度々だったというから凄まじい。
    このほか氷山に阻まれにっちもさっちもいかなくなれば氷山にワイヤーを巻き付けて漂流を決め込んだり、水が欠乏すれば氷原の窪地に溜まっている水を探して汲み上げたり。
    他の艦とはまた違う、独特の苦労がある艦でもあった。
    • ちなみに北方海域勤務艦の例に漏れず、秋刀魚の缶詰の小ネタにあるような釣りを大いに楽しんだりもしていた。
      釣り竿も使わず、塩鮭の頭を餌に手製の釣り針をつけた糸を放り込めば、錘が海底につく頃にはもう食いついているという入れ食い状態。
      獲物は主にカレイでたまにタラ、一斗缶をいっぱいにするのに30分とはかからなかったという。
      このほか警備対象の漁船が大量の生鮭やカニをプレゼントしてくれたり、北方海域勤務ならではの役得もあった模様である。

大泊の終戦

  • 1945年12月1日、横須賀地方復員局所管の特別輸送艦に指定されるも、老朽化が著しく使用に絶えず、岸壁に係留されたまま1946年には復員船としての指定も解かれ、1949年10月から1950年3月にかけてひっそり解体された。
    • 本艦の退役により、日本は再び砕氷能力を持つ艦を失った。再び日本が本格的な砕氷能力を持つ艦を手に入れるのは1960年、海上保安庁の巡視船となり南極観測船として運用するべく砕氷能力を付与された宗谷まで待つことになる。
      • なお、宗谷はそもそも新造砕氷艦*25を建造するまでのつなぎとして、北洋での輸送・測量任務を補助的に行わせるべく民間から購入、海軍入りしたという経緯がある。一説には日本海軍も宗谷を本格的な砕氷艦へと改装するつもりだったと言われているが、それが海軍が健在なうちに実現しなかったのは周知のとおりである。
  • 厳しく広大な北洋を、たった一隻で守り続けた大泊の貢献は目を見張るものがあり、「間宮に匹敵する功労艦」と評された。彼女と彼女に関わった人々の思いは、確かに後輩の砕氷艦を通して今にも受け継がれている。

艦名について

  • 艦名の由来は樺太の玄関、大泊港。往時は稚泊連絡船などが発着し、稚内港と同様に鉄道が桟橋まで乗り付け、活況を呈していた。
  • 艦名としての読みは「おほとまり」*26であり、同様に地名としての読みも内務省に「おほとまり」*27と布告されてそう読まれたのだが、地名は「おおどまり」と濁って読まれることも多かった。
    • なお艦名の由来を載せている『日本海軍艦船名考』には艦名が「おほどまり」と記載されている。
      • これは誤記なのかそれとも俗にそう呼ばれていたのか。*28詳しい方がいたら是非ここを追記修正してほしい
  • 艦これ収録の艦名としては間宮鈴谷に次ぐ三艦目の樺太地名に因んだものである。
    • そして鈴谷、神威夕張などの例に漏れずこの名もまたアイヌ語由来である。
      アイヌ語名は「ポロアントマリ」、大きな港という意味。(ポロ=大、アン=ある、トマリ=港)
      他の艦娘の由来地名の例に反して音訳ではなく意訳である。(日本語において泊は港の意)
      • 何故かトマリ→泊の部分だけ意味も音もすんなりハマるなと思わなかっただろうか?
        それもそのはず、アイヌ語のトマリという言葉は日本語の泊からの借用語である。
  • なお、大泊の露名は現在コルサコフであるがこれは直ちにコルサコフとアイヌ語地名のポロアントマリが対応することを意味するものではない。
    • 大泊(広義)に対応するのがコルサコフ(広義)であり、大泊(狭義)に対応するのがポロアントマリなのである。

この艦娘についてのコメント

  • この子どういう使い方する感じですかね、、、? -- 2025-03-25 (火) 22:04:13
    • 一時期の秋津州みたいな、ルート制御専用艦になるんじゃないかな -- 2025-03-25 (火) 23:51:08
      • そういやこの子って泊地マスは通れるんだろうか -- 2025-03-26 (水) 00:09:59
  • E3で大泊いると泊地修理マスに寄るんだけど施設装備できないよなあ。何の意味あるんだ?? -- 2025-03-26 (水) 07:32:09
    • 修理施設乗らん(泊地修理不可)けど泊地マス寄る艦は元々居るじゃん、補給艦系共通で持ってる羅針盤特性ってだけでしょ。山汐丸とか宗谷とかで固定したことない? -- 2025-03-26 (水) 08:34:29
      • 泊地修理マス自体が海域によっては存在しなかったり、敵艦隊の強さ次第じゃ補給艦のような弱い艦を入れる余裕がないケースもあるから、ことと次第によっては泊地修理マスの要素自体に長いこと触れられないままなんてある。で、泊地修理マスって名前自体が明石と秋津洲改しか行けなかった頃の名残みたいなものだから、補給艦も行けるようになったうえで増勢されてきた今だと違和感感じるのも一理あるのよね… -- 2025-03-26 (水) 10:08:41
  • 後段で松型必須だからE2-1で渋々掘り開始して2回目で道中撤退したときに出た。偏りひでぇ。 -- 2025-03-27 (木) 12:51:16
  • 小ネタの所を読んで安彦良和のザバイカル戦記乾と巽の話ときっちり合うなと思い読み返す事にしました。 -- 2025-03-28 (金) 12:40:26
  • 改造時に高速建造材8、開発資材12消費することを一応報告しておきます -- 2025-03-29 (土) 16:05:25
    • 反映しておきました。 -- 2025-03-29 (土) 16:44:59
  • E1大泊堀58周目でお迎え完了;やっとやっと前段作戦終われた・・・さあ後段作戦開始だ(時間的にオール丙、若しくは丁になってしまうが致し方ない、か; -- 2025-03-30 (日) 01:09:57
  • 4日掘り続けて遂に100周超えたんだが?レア駆逐組はバカスカ出るのに… -- 2025-03-30 (日) 16:40:24
  • 補給艦扱いか。2-2補給艦狩り要員だな。 -- 2025-03-30 (日) 22:41:11
  • 2週間くらいずっと掘りしてる…100周間近… -- 2025-03-30 (日) 23:16:02
  • E2装甲破砕中にお迎え あとはボス落とすだけなんだがなぁ -- 2025-03-31 (月) 21:28:42
  • 艦隊のちいかわ枠 -- 2025-04-01 (火) 00:41:58
  • 出ないなぁ -- 2025-04-02 (水) 11:49:05
  • 表情が人を薄ら笑っているような感じがして密かに興奮するのは俺だけでいい -- 2025-04-02 (水) 22:13:35
  • 本日E-1-Oにて大泊をお迎え。掘り出撃たった2回目でドロップという幸運。 -- 2025-04-02 (水) 22:54:00
  • 目力がお強い -- 2025-04-04 (金) 23:43:00
  • E1削り1出撃目でいきなりドロップ。今までで一番運が良かった。これ以降でこの反動がこないといいんだけど。 -- 2025-04-07 (月) 06:00:26
  • 砕氷艦が活躍する通常海域が実装されないかな -- 2025-04-07 (月) 13:38:08
    • ルート制御を活躍といっていいものか…戦闘ではとても活躍できないしな -- 2025-04-07 (月) 13:43:17
    • 潜水母艦みたいにステータスじゃなく艦種が指定されてる遠征が実装されるのだったらまだわからなくもない。海域出撃はただの足かせにしかならない。 -- 2025-04-07 (月) 14:07:40
  • 再評価されるのに南極マップ出るの待つしかないな -- 2025-04-08 (火) 22:19:45
    • 南極といえば、ナチスの秘密基地… -- 2025-04-12 (土) 08:53:42
    • 来るか…ルルイエ海域 -- 2025-04-15 (火) 17:09:56
  • 大井、大潮、大淀、大鯨、大和、大鳳、大鯨、大東、大鷹、大泊で頭文字が「大」の艦も10隻目か。12隻まで2隻… -- 2025-04-09 (水) 17:16:23
  • 来てくれますように。 -- 2025-04-10 (木) 03:50:32
  • 口元がうっすらωなってる? -- 2025-04-12 (土) 08:27:06
  • オートマリー呼びしてしまう… -- 2025-04-12 (土) 16:32:56
    • オートマリーって呼び方…なんか…カッコいいじゃんかよぉ…(トゥンク) -- 2025-04-13 (日) 00:03:18
    • 彡(゚)(゚)「オマリー?(難聴」 -- 2025-04-13 (日) 08:21:49
      • で おま -- 2025-04-13 (日) 13:39:28
    • おはオイゲン -- 2025-04-13 (日) 08:59:02
    • OH!トマリー -- 2025-04-13 (日) 13:57:12
    • 自動人形のマリーちゃんか? -- 2025-04-23 (水) 00:48:26
  • 甲・乙・乙・丙・丙・丙で終了後に、E1堀一発ででた。 こんなこともあるよねニコニコ。  -- 2025-04-13 (日) 17:10:17
  • この子使ってやりたかったからE6-1のルート制御に発煙装置持たせて連れて行った(せめて3スロだったらなおよかったんだけど……) -- 2025-04-15 (火) 16:01:38
  • 二隻目来たけど取っとくべきかな?どうだろ -- 2025-04-17 (木) 00:29:19
  • 何かね、孤独な戦いを続けた果てに、誰にも知られること無く最後を迎える存在ってのが胸に来るんだよな(年寄りの感傷)。つーわけでE2Uマス丙にてお迎え完了。レベルアップに勤しむとするよ。 -- 2025-04-19 (土) 10:15:33
  • 演習旗艦で育成始めたけど、中破絵が清楚可愛くて癒される -- 2025-04-19 (土) 15:18:35
  • まさかのイベント中死体蹴りとは… -- 2025-04-23 (水) 18:50:23
    • まだ掘れるんだから蹴られてはいないだろう。キックモーションには入ってるかもしれないが -- 2025-04-23 (水) 18:56:36
    • 絵の発注は前からの筈だから、想定外(運営談)にイベが長引かなければ死体蹴りする気満々だったんだぜきっと -- 2025-04-23 (水) 18:59:03
      • 想定外も想定内な気がせんでもない。ユーザーとしては期限に余裕ができるのならうれしい限りだけど -- 2025-04-23 (水) 20:27:43
      • 最初の予定はひと月半だったんだっけ? -- 2025-04-23 (水) 20:37:27
    • まだ掘れるから問題なくないかな。GW丸々使えるんだし。 -- 2025-04-23 (水) 19:00:59
    • もし蹴られたとしてもあんま痛くないからいいかなあ…掘れない中任務指定もらうとかだったらこれはきついですね…となるけど。 -- 2025-04-23 (水) 20:15:44
  • 早めに掘れて一安心な反面、これから掘る人はドレスなドロップ画面が見れたりスクショしたりできるのか・・・と、何だろうこの切ないような寂しいような複雑な気持ち -- 2025-04-23 (水) 18:52:50
    • 見るだけなら画像検索すれば出てくるじゃん。 -- 2025-04-23 (水) 18:59:47
      • 他人が写した画像・・・それってntrぽくないですかねえ -- 2025-04-23 (水) 19:11:47
      • ↑えぇ…いや一番上の画像も他人が用意したものだろうし、気にする事? -- 2025-04-23 (水) 19:20:54
      • 違う、そうじゃない -- 2025-04-23 (水) 19:21:05
      • 用意ってか他人が泥した画面がってことじゃね。そして違うそうじゃないは完全同意 -- 2025-04-23 (水) 19:25:26
      • そもそも検索画像でいいんなら今までこんなに死体蹴り言われてないわけでw -- 2025-04-23 (水) 20:53:41
  • おお、清楚だ・・・と油断したら中破した後が大胆過ぎる! -- 2025-04-23 (水) 21:26:44

提案意見掲示板からのお知らせ

  • ドロップ祈願や海域攻略祈願のために、wiki内神社というページが設置されました!ぜひご利用ください。

  • 建造成果の報告は建造レシピ内にあるコメント欄に、
    ドロップ報告に関しては出撃ドロップ内にあるコメント欄にて行なっていただけると幸いです。

*1 CVやイラストレーター加筆時はそれぞれCV・イラストレーターに出典を記載
*2 母港ボイスは各艦娘につき3つ割り当てられています。「詳細」ボイスは編成画面の「詳細」ボタンをクリックすることで聞くことが出来るボイスです。母港画面でも聞くことが出来ます。「母港3」ボイスは「母港画面でのクリック」もしくは「母港画面への遷移」でのみ聞くことが出来る、いわゆる「提督お触りボイス」です。編成画面での「詳細」ボタンでは聞くことが出来ません
*3 4つの基本ボイス(昼戦開始・昼戦攻撃・夜戦開始・夜戦攻撃)がありますが、各ボイスはその他の色々な場面でも使われます。各ボイスをどのフェーズ(航空戦/開幕雷撃/先制対潜/昼戦攻撃/各種CI...など)に割り当てるかは艦娘によって異なり、例えば開戦ボイスを攻撃でも使ったり、夜戦攻撃ボイスを昼戦でも使ったりします)
*4 「小破」ボイスの2つ目と戦闘撤退時の「旗艦大破」ボイスは共用化されています
*5 「小破」ボイスの2つ目と戦闘撤退時の「旗艦大破」ボイスは共用化されています
*6 装備ボイスは3ボイスありますが、改修/改造ボイスと共用化されています。また、ボイス3は「改修/改造」「開発」「バケツによる即時修復」「遠征出撃」「アイテム発見」ボイスと共用化されています
*7 国立映画アーカイブ歴史映像ポータルで閲覧可能。大泊の雄姿が堪能できる。すっごく寒そう…
*8 初の砕氷艦という事で、建造当初は北洋での運用に向かない仕様がいくつかあった。羅針艦橋が開放式で防寒防風波浪への対応には天幕を張るだけだったこと、冬季における寒さ対策が十分でなかったこと、船体の強度が不十分だったことなどがあり、後に羅針艦橋を全周密閉式として室内に木材を張りガラス窓としたり等、後に改装工事が行われている。
*9 意味はホッキョクキツネ
*10 シベリア出兵を視野に入れての砕氷艦への改造であった
*11 前部主砲の撤去
*12 事件前年の1919年6月時点で領事以下353人(男169人、女184人)の日本人が居住していた
*13 無線電信隊が常駐していた
*14 もともと水戸歩兵第2連隊は同師団所属である
*15 兵力的に差があったのと、都市部と寸断され孤立するのを恐れた等もあって日本側が撤収した
*16 日本海海戦で連合艦隊司令長官東郷平八郎大将と秋山真之参謀が座乗し、今は横須賀で記念艦となっているあの「三笠」のこと。ちなみに大泊と朝日は観艦式で幾度か対面している
*17 『ニコラエフスクの破壊』の著者アナトリイ・ヤコフレビッチ・グートマンはトリャピーツィンにとって日本軍は邪魔だったので、挑発して片付けてしまうことを目論み、武装解除と武器引渡しを求める最後通牒をつきつけたとしえいる
*18 妻と長男、次女の2児。なお長女のみ小学校就学のため日本の祖母の元にいたので惨劇から免れた
*19 領事館が焼失した事により、この時点で尼港に日本人が何人いたのか正確な記録はない。石塚経二『尼港事件秘録 アムールのささやき』では軍属を含む陸軍関係者336名、海軍関係者44名、石田領事とその家族4名、判明している民間人347名。合計731名が犠牲になったと推測しているが、これ以上の日本人が犠牲になっている可能性もある。
*20 生還者の人数についても諸説あるが、命からがら尼港から脱出した毛皮商人の男性1名、避難する中国人の一団に匿われて共に脱出した子女16名のみ判明している。また郊外に住んでいた日本人の中にもトリャピーツィンの勢力から逃れるロシア人に保護されて、後に日本軍に保護された夫婦2名も判明している
*21 日本人だけでなく中国系、朝鮮系、ユダヤ系、ポーランド系などの多国籍な住民も虐殺された
*22 その活躍ぶりはサガレン州派遣軍の時期に撮影された大泊のドキュメンタリー映画で観ることができる。
*23 日本海軍では補助艦艇たる特務艦の扱いは概して悪く、給油艦など検査の結果「船体異常あり」「サビ落としは強くやらないように」とただし書きのついた、半分腐った艦を平気で運用していたりもした。
*24 『海軍かまたき出世物語』所収のエピソードである。
*25 1942年の改⑤計画にて大型砕氷艦「恵山」の建造が計画され、設計までは行われていたものの、建造にまでは至らなかった。
*26 旧仮名遣い。実際の読みは「おおとまり」でよい。
*27 前項に同じ。
*28 実は日本海軍の場合、長年の間にいつの間にか艦名の読みが変わってしまった例があったりもする。朝日と同年代の巡洋艦八雲が代表的で、建造当初は「やくも」だったはずが、昭和期にはいつの間にか「やぐも」に変化していたという。終戦直後復員船任務中の映像を見ても横腹の艦名は「YAGUMO」となっている。