No.450 | ||||
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宗谷(そうや) | PL107 南極観測船 | |||
艦船ステータス(初期値/最大値) | ||||
耐久 | 26 | 火力 | 0 / 1 | |
装甲 | -- / 62 | 雷装 | 0 | |
回避 | 27 / 88 | 対空 | 0 | |
搭載 | 6 | 対潜 | 0 / 4 | |
速力 | 低速 | 索敵 | 16 / 32 | |
射程 | 短 | 運 | 77 / 155 | |
最大消費量 | ||||
燃料 | 25 | 弾薬 | 5 | |
搭載 | 装備 | |||
1 | 未装備 | |||
2 | 未装備 | |||
3 | 未装備 | |||
装備不可 | ||||
改造チャート | ||||
宗谷⇒ 宗谷(灯台補給船)(Lv60+高速建造材×5+開発資材×5)⇒ 宗谷(南極観測船)(Lv60+高速建造材×10+開発資材×20)⇒ 宗谷(Lv60+高速建造材×5)*1 | ||||
図鑑説明 | ||||
耐氷型貨物船として生まれた宗谷です。 海軍特務艦として、MI作戦などの様々な作戦に参加、激戦のソロモン方面へも展開。 測量や揚陸、輸送などの任務に就きました。 戦後は、皆さんの帰還、そして灯台補給船。 さらに大改装され、南極観測船として、昭和という時代と、その海を駆け抜けました。 |
※初期値はLvや近代化改修の補正を除いた時の数値であり、最大値はLv99の時の最大値を指します。
CV:タニベユミ、イラストレーター:しばふ
定型ボイス一覧
イベント | セリフ | 改装段階 | 備考 | 追加 | |||
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未 改 | 灯 台 補 給 船 | 南 極 観 測 船 | 追加 | ||||
入手/ログイン | 特務艦、宗谷です。提督、お逢いできて、光栄です。 戦闘艦ではありませんが、私…精一杯、働きます! どうぞよろしく、お願いします! | ◯ | × | × | 編集 | ||
灯台補給船、宗谷です。 はい、原則として武装はできませんが、様々なものを運ぶことはできます。 私、今日も精一杯働きます。 | × | ◯ | × | 編集 | |||
南極観測船、宗谷です。 はい、このオレンジと白のユニフォーム素敵ですよね?かなり改装されました。 私、南極への旅も、精一杯働きます! | × | × | ◯ | 編集 | |||
母港*2 | 編集 | ||||||
母港1 | 詳細 | 測量ですか? 輸送ですか? ……やります! | ◯ | × | × | 編集 | |
灯台の補給ですか?お任せください。……やります! | × | ◯ | × | 編集 | |||
南極ですね? お任せください! もちろん! | × | × | ◯ | 編集 | |||
母港2 | 奇跡の船、ですか? ……いえ、いえいえ! ……そんな……。 | ◯ | × | × | 編集 | ||
海の守り神、ですか?……いえ、そんな……。働くだけです! | × | ◯ | × | 編集 | |||
不可能を可能にする船? いえっ、精一杯頑張るだけです! | × | × | ◯ | 編集 | |||
母港3 | はい、昭和という時代を、精一杯、働きました。 元々は……外国から発注されたんですが、色々あって、横須賀鎮守府所属となりました。 激戦のソロモンにも、行きました。 | ◯ | × | × | 編集 | ||
はい、昭和という時代を、精一杯、働きました。 海のサンタクロース? ……いえいえ! でも、運びますよ。皆さんのために! | × | ◯ | × | 編集 | |||
はい、昭和という時代を、精一杯働きました。 昭和基地、チャージング、氷の爆破、……幾多の南極観測隊、何もかも、皆懐かしいですね……。 令和の時代の静かなお台場も、いいものです。 | × | × | ◯ | 編集 | |||
ケッコンカッコカリ | あのう……これは……ホント……ですか。ホントに?あ、ありがとうございます。私、大事に、大切にします、絶対! | ◯ | ◯ | ◯ | 編集 | ||
ケッコン後母港 | お疲れですか、船……じゃなかった提督、コーヒーを煎れましょう。私、冷凍ですけど、美味しいもの結構積んでますよ。ご賞味されますか? | ◯ | ◯ | ◯ | 編集 | ||
放置時 | そうですね、サイパン、トラック、そして、ラバウル。 あの激戦のソロモン諸島で、強行測量や揚陸なども、行いました。 母港は横須賀だったんですけど……いろいろな所に、行きましたね。 今考えると……無事に帰ってこれたのは、確かに……奇跡、かも。 | ◯ | × | × | 編集 | ||
灯台補給船は大事な仕事でした。 全国各地の大切な灯台を守る灯台守の皆さんに、生活物資や補給物資をお送りしました。 そうですね、ひ……いえ、海のサンタクロース、と呼ばれたこともありました。 大切なお仕事、でした。 | × | ◯ | × | 編集 | |||
チャージング航行?懐かしい。まだ、行けるかしら…? 今は、ラミング航行っていうの?融雪用散水装置?……便利なものがあるのですね。 …いえっ、大丈夫。最悪、爆破で進めば……えぇ?強引すぎます? | × | × | ◯ | 編集 | |||
編成出撃 | 編集 | ||||||
編成 | 特務艦宗谷、抜錨、します! | ◯ | × | × | 編集 | ||
巡視船宗谷、抜錨、します! | × | ◯ | × | 編集 | |||
宗谷、出港! 必ずやり遂げて……戻りますね。 | × | × | ◯ | 編集 | |||
出撃 | 特務艦宗谷、抜錨、します! | ◯ | × | × | 編集 | ||
巡視船宗谷、抜錨、します! | × | ◯ | × | 編集 | |||
宗谷、出港! 必ずやり遂げて……戻りますね。 | × | × | ◯ | 編集 | |||
雑用運送艦宗谷、出港、します! | ◯ | × | × | 編集 | |||
灯台補給船宗谷、出航、します! | × | ◯ | × | 編集 | |||
南極観測船宗谷、出発します! | × | × | ◯ | 編集 | |||
開戦・攻撃*3 | 編集 | ||||||
戦闘1 | 昼戦開始 | 皆さん、ご注意を。警戒を厳に! | ◯ | ◯ | ◯ | 前半部は小声 | 編集 |
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戦闘2 | 昼戦攻撃 | や、やるしか……ありません! | ◯ | ◯ | ◯ | 編集 | |
……ど、どうしましょう!? | ◯ | ◯ | ◯ | 編集 | |||
戦闘3 | 夜戦開始 | よ、夜ですか? 危険では……は、はい、了解。 | ◯ | ◯ | ◯ | 編集 | |
編集 | |||||||
戦闘4 | 夜戦攻撃 | よく狙って、てぇーっ! | ◯ | × | 編集 | ||
編集 | |||||||
戦闘時ステータス*4 | 編集 | ||||||
小破 | あっ!? | ◯ | ◯ | ◯ | 編集 | ||
……ふ、不発。本当に……よかった。 | ◯ | × | × | 編集 | |||
……ん!?なにかぶつかったの?行ける?問題ない? | × | ◯ | ◯ | 編集 | |||
中破/大破 | ああああっ! ……宗谷は、沈まない。……だって、 令和の時代へ……。 | ◯ | ◯ | ◯ | 編集 | ||
轟沈 | うそ……うそ、です。……私、沈むん……ですか? うそ…… | ◯ | 編集 | ||||
戦闘終了*5 | 編集 | ||||||
勝利MVP | うそ……私、ですか? そんなことって……すみません。 | ◯ | ◯ | × | 編集 | ||
静かな海…。この時代のお台場もいいものですね。 | × | × | ◯ | 編集 | |||
旗艦大破 | ……ふ、不発。本当に……よかった。 | ◯ | × | × | 編集 | ||
……ん!? なにかぶつかったの? 行ける? 問題ない? | × | ◯ | ◯ | 編集 | |||
装備・改修*6 | 編集 | ||||||
装備1 | 改修/改造 | はい。私、元々は、民間の耐氷型貨物船ですから。 | ◯ | ◯ | × | 編集 | |
回転翼機、ヘリ、いけます!そのための改装も、万全です! | × | × | ◯ | 編集 | |||
装備2 | 了解しました、運用してみます。 | ◯ | ◯ | ◯ | 編集 | ||
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装備3 | 改修/改造/開発/バケツ/遠征/発見 | 参りましょう。 | ◯ | ◯ | ◯ | 編集 | |
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その他 | 編集 | ||||||
帰投 | 無事、戻ることが出来ました。皆さんのおかげです。 | ◯ | ◯ | ◯ | 編集 | ||
補給 | ……ありがとう。また、行けますね。 | ◯ | ◯ | ◯ | 編集 | ||
入渠(小破以下) | すみません。少し、修繕を。 | ◯ | ◯ | ◯ | 編集 | ||
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入渠(中破以上) | 申し訳、ありません。ドック入り……お許しください。 | ◯ | ◯ | ◯ | 編集 | ||
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建造完了 | 素敵な、船。……おめでとう。 | ◯ | ◯ | ◯ | 編集 | ||
戦績表示 | 情報をまとめます。……こちら、ですね。 | ◯ | ◯ | ◯ | 編集 |
時報ボイス一覧
時刻 | セリフ | 改装段階 | 備考 | 追加 | ||
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未 改 | 灯 台 補 給 船 | 南 極 観 測 船 | 追加 | |||
00 | 編集 | |||||
01 | 編集 | |||||
02 | 編集 | |||||
03 | 編集 | |||||
04 | 編集 | |||||
05 | 編集 | |||||
06 | 編集 | |||||
07 | 編集 | |||||
08 | 編集 | |||||
09 | 編集 | |||||
10 | 編集 | |||||
11 | 編集 | |||||
12 | 編集 | |||||
13 | 編集 | |||||
14 | 編集 | |||||
15 | 編集 | |||||
16 | 編集 | |||||
17 | 編集 | |||||
18 | 編集 | |||||
19 | 編集 | |||||
20 | 編集 | |||||
21 | 編集 | |||||
22 | 編集 | |||||
23 | 編集 |
季節ボイス一覧
季 節 | イベント | セリフ | 改装段階 | 備考 | 追加 | ||
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未 改 | 灯 台 補 給 船 | 南 極 観 測 船 | 追加 | ||||
春 | 桃の節句 | 編集 | |||||
春の訪れ | 編集 | ||||||
ホワイトデー | 編集 | ||||||
春 | 編集 | ||||||
春本番 | 編集 | ||||||
夏 | 梅雨 | 梅雨の雨……日本の四季、私、好きです。 ……え。……そう、ですね。昭和基地では雨は本当に珍しいんですよ。 | ◯ | ◯ | ◯ | 編集 | |
はい、内地では、勿論雨も想定済み。提督、濡れます。こちらに。 | ◯ | ◯ | ◯ | 編集 | |||
初夏 | 暑く……なってきましたね。お台場も、夏は日差しが厳しいですね。 ……夏服でも、いいかもしれませんね。 | ◯ | ◯ | ◯ | 編集 | ||
~ | 宗谷、夏服にしてみました。どうでしょうか。 北方や極地でなければ、この格好でもいいかもしれませんね。涼しいし。 | ◯ | ◯ | ◯ | 編集 | ||
夏 | 編集 | ||||||
盛夏 | 編集 | ||||||
夏祭り | 編集 | ||||||
秋 | 秋 | くんくんくんくん……いい匂い。秋祭りですか? いいですね、どれも美味しそう。 屋台って、独特のドキドキ感、ありますね。 | ◯ | 編集 | |||
秋刀魚 | 秋刀魚。秋刀魚漁の支援……ですか? 了解しました。北方の海、私も得意分野です! お任せください! | ◯ | 編集 | ||||
奇跡の秋刀魚漁、宗谷も尽力、します! | ◯ | 編集 | |||||
晩秋 | 編集 | ||||||
ハロウィン | あ、あの、宗谷もハロウィンしてみました。が、がるる~っ。……え、違う? | ◯ | ◯ | ◯ | 編集 | ||
え、じゃあ、こうでしょうか。に、にゃーん。……す、すみませんっ。 | ◯ | ◯ | ◯ | 編集 | |||
にゃーん! | ◯ | ◯ | ◯ | 攻撃時 | 編集 | ||
秋のワイン | 編集 | ||||||
冬 | 冬 | 編集 | |||||
師走 | 編集 | ||||||
クリスマス | 提督、クリスマスの季節ですね。鎮守府でも、今はクリスマスパーティーを盛大に開くのですね。 あっ、もちろん、もちろん宗谷もこんな宴、好きです! さあ食べましょう! とってきますね。 | ◯ | × | × | 特務艦 | 編集 | |
提督、クリスマスも灯台は休むことなく働く、大切な存在です。宗谷も、クリスマスの灯台、好きですね。 あっ、提督も? 良かった。 | × | ◯ | × | 灯台補給船 | 編集 | ||
提督。南極、昭和基地でも、クリスマスパーティーはやるんですよ。 白夜のクリスマス、いつか一緒に過ごしてみたい……あっ、いえ、なんでも! なんでもありません! | × | × | ◯ | 南極観測船 | 編集 | ||
年末 | 編集 | ||||||
新年 | 提督。新年、あけまして、おめでとうございます。 特務艦宗谷、今年もどうぞ、よろしくおねがいします。 ……あ、このTシャツですか? はい。手作りの、特務賀正Tシャツです。 提督の分も、お作りしましょうか? | ◯ | × | × | 特務艦 | 編集 | |
提督。新年、あけまして、おめでとうございます。 灯台補給船宗谷、今年もどうぞよろしくお願いします。 そうですね…。今年も海上安全。そして静かな海。お願いしたいですね。 新年、私も祈っています。 | × | ◯ | × | 灯台補給船 | 編集 | ||
提督。新年、あけまして、おめでとうございます。 南極観測船宗谷、今年もどうぞ、よろしくおねがいします。 オレンジの晴れ着、ご用意頂きました。ありがとうございます。 提督、ご一緒に初詣、いかがですか? はい、今年も海上安全を祈って。 ……あっ、ありがとうございます。参りましょう。 | × | × | ◯ | 南極観測船 | 編集 | ||
節分 | 節分ですね。鎮守府の節分は、実戦並みの真剣勝負! 鬼役も、年々増えているような…… はっ、これは何かの、陰謀!? | ◯ | ◯ | ◯ | 編集 | ||
バレンタイン | えっ!? ……今日はそういう日なんですか? しまった、宗谷、失念してました……。挽回を、目指します! | ◯ | ◯ | 編集 | |||
提督。宗谷、このシーズンの鎮守府の大事な行事、しっかり学習しました。 で、作ってみました。宗谷のチャージングチョコ! どうぞ! | ◯ | ◯ | ◯ | 2024 | 編集 | ||
周 年 | 十周年記念 | 提督、艦隊はこの春、10周年を迎えたそうです。誠におめでとうございます! これも一つの奇跡、ですね! 宗谷もお祝いします! そうだ、記念のTシャツ、作りましょうか? え!? 要らないですか……。 | ◯ | ◯ | ◯ | 編集 | |
提督方がお台場に逢いに来てくれて、宗谷も嬉しくなります。 この時代でも、奇跡を可能にしていきましょう。 | ◯ | ◯ | ◯ | 編集 | |||
イ ベ ン ト | イベント名 | 編集 | |||||
そ の 他 | 内容 | 編集 |
ゲームにおいて
- Lv60で灯台補給船から改造可能。
- 艦種の表記は南極観測船。出撃や任務では速吸などと同じ補給艦扱い、詳細は宗谷を参照。
- 更に改造すると特務艦に戻る。高速建造材5個、弾薬130、鋼材280必要。
史実ではこの後に巡視船になっている。
- 更に改造すると特務艦に戻る。高速建造材5個、弾薬130、鋼材280必要。
- 2021/09/10アップデートで図鑑の誤植が修正(旗艦→帰還)された。
宗谷(南極観測船)の運用について
- 火力と雷装の初期値0のため夜戦で攻撃に参加しない。
- 運が【77/155】と初期値最大値共に1位。
- が、運の活躍ポイントである夜戦(カットイン)においては、彼女はそもそも夜戦での行動自体が不可能となっており、その高い運も現状では命中率と回避率に少し影響するのみとなっている。
- 2023/04/23に実装された煙幕システムは運が影響する、司令部施設も装備可能なので旗艦への採用が考えられる。
- 運155(77+78)まで上げた状態で宗谷(特務艦)に改造すると運110(55+55)まで低下する、その後宗谷(南極観測船)まで戻しても運132(77+55)までしか戻らない。
詳細は鈴谷のコンバート後の運改修について参照。
- が、運の活躍ポイントである夜戦(カットイン)においては、彼女はそもそも夜戦での行動自体が不可能となっており、その高い運も現状では命中率と回避率に少し影響するのみとなっている。
- 小型電探・大型電探・ソナー・大型ソナー・機関部強化・上陸用舟艇・回転翼機・中型バルジ・大型バルジ・航空要員・探照灯・簡易輸送部材・戦闘糧食・洋上補給・司令部施設・応急修理要員・艦載発煙装置が装備可能。
- 神威と違い射程短なので主力艦の砲撃に割り込みにくいのもメリット。中射程電探か航空要員で射程を伸ばす事も一応可能。
- 回転翼機を搭載できるため相手に制空値が無い場合は制空権確保を取り他の艦の弾着観測射撃が可能となる。
一方で相手に制空値が1以上あると制空は取れず、また航空攻撃ができる機体は一切装備できない。- この点は宗谷の改造形態の中でも本形態のみの特権であり、本形態を採用する十分な理由となりうる。
- あくまでも相手に制空が無い場合のみにしか制空を取れないため、速吸や神威等水戦を積める補給艦の代用はできない。こちらの方が生存性が圧倒的に高いため、相手に制空値が無い場合の選択肢としては優位と言える。
- 装甲が(三隈改二特を除く)補助艦艇のうち最高で、回避もトップクラスと生存性が高い。さらに中型バルジと大型バルジを両方装備できる初の艦(船)である。
南極観測船への改造の際、(戦闘用ではないが)対氷用バルジを取り付けたことが由来と思われる。- 艦本新設計 増設バルジ(大型艦)を4つ装備すると装甲102に達し、並の戦艦より装甲が高くなる。
回避値と運が高いので、バルジを多数装備してもなお回避力が際立って高い。 - 低耐久なので、未婚なら残HP7までは中破を維持する。
この7という数字は、カスダメが0になるラインであり、高装甲が抜かれなければダメージを受けない要塞と化す。 - 羅針盤制御では補給艦として扱われるため、高難度海域の補給艦ルートを通る際に有力な選択肢の一つとなりうる。
自分が生き残る事に特化しているため、電探を載せる等の補助的な役割にうってつけの存在である。
- 艦本新設計 増設バルジ(大型艦)を4つ装備すると装甲102に達し、並の戦艦より装甲が高くなる。
- 地味に航空要員を装備できるのもこの形態のみ。そのため水上艦への昼火力が最も出せる形態となる。
ガン積してもなお力不足の為海域攻略での実用性は無いが、1-1キラ付けや秋刀魚漁では役に立つので覚えておいて損はない。
- 弾薬総搭載量が5で全艦中最低クラス。
燃費が安いメリットではあるが、一方で出撃においては逆にデメリットが発生する場合もあるので注意。
空襲戦や水上戦を計5回行うと残弾0になり有効ダメージが与えられなくなる。ソナーやヘリでの対潜や上陸用舟艇での攻撃を見込んでいる場合は注意。
- 手元のヘリコプターはベル47。
特徴的な大型ヘリ甲板がないことから第一次~第二次頃の姿がモチーフか?それにしても、その大型ヘリ甲板がない段階でベル47より大型のS-51シリーズをどうやって運用しているのだろうか
性能比較表(艦船最大値/補給艦上位早見表/テーブルより転送)
黄色はトップ、桜色は次点の性能
表上部をクリックするたびにその項目の昇順・降順で並べ替えできます
No. | 名前 | 改 造 Lv | 耐 久 | 装 甲 | 回 避 | 火 力 | 雷 装 | 対 空 | 索 敵 | 対 潜 | 運 | 搭 載 | スロット | 速力 | 燃 料 | 弾 薬 | 燃 + 弾 | 備考 | 追加 |
500b | 山汐丸改 | 48 +建35開15 | 39 | 28 | 28 | 23 | 0 | 38 | 63 | 82 | 7/47 | 16 | 3(8,6,2) | 低速 | 35 | 15 | 50 | 対空機銃・艦戦・艦爆・大型電探・対潜哨戒機・回転翼機・航空要員・大型ソナー装備可 | 編集 |
260b | 速吸改 | 25 | 48 | 19 | 33 | 36 | 0 | 48 | 59 | 36 | 8/44 | 10 | 3(6,3,1) | 低速 | 120 | 20 | 140 | 対空機銃・艦攻・大型電探装備可 | 編集 |
450 | 宗谷(南極観測船) | 60 +建10開20 | 26 | 62 | 88 | 1 | 0 | 0 | 32 | 4 | 77/155 | 6 | 3(1,2,3) | 低速 | 25 | 5 | 30 | 大型ソナー・回転翼機・航空要員・大型バルジ装備可 | 編集 |
408 | 宗谷(特務艦) | -*7 | 22 | 35 | 77 | 9 | 0 | 32 | 12 | 32 | 55/110 | 0 | 3 | 低速 | 20 | 10 | 30 | 爆雷・対地装備・対空機銃・高射装置・照明弾・見張員系装備可 | 編集 |
300 | 神威改母 | 60 | 39 | 33 | 38 | 25 | 0 | 34 | 54 | 30 | 20/79 | 3 | 3(1,1,1) | 低速 | 30 | 20 | 50 | 対空機銃・中口径主砲・副砲・大型飛行艇・大型ソナー・爆雷・中型バルジ・探照灯・照明弾・見張員系・司令部・対地装備装備可、射程中 | 編集 |
445 | 宗谷(灯台補給船) | 60 +建5開5 | 23 | 40 | 79 | 1 | 0 | 0 | 18 | 2 | 65/130 | 0 | 2 | 低速 | 20 | 5 | 25 | 大型探照灯装備可 | 編集 |
※表記のない限り射程・短
※全艦、小型電探・ソナー・機関部強化・洋上補給・戦闘糧食を装備可能。ただしドラム缶(輸送用)は、山汐丸のみ装備不可。
※速吸改・神威改母は、小口径主砲・水上偵察機・水上爆撃機・水上戦闘機・回転翼機・航空要員・大発動艇系・内火艇を装備可。
※宗谷(全形態)は内部的には補給艦扱い。
大型電探・増設バルジ(中型艦)・大発動艇系・司令部・探照灯・応急修理要員は全形態共通で装備可。
主砲(小口径、中口径、大口径)・副砲・魚雷・水上偵察機・水上爆撃機・水上戦闘機は全形態共通で装備不可。
※山汐丸は内部的に補給艦扱い。
未改造では、対潜哨戒機・爆雷・中型バルジ・航空要員・高射装置が装備可能。
改造後のみ、副砲・艦上戦闘機・艦上爆撃機・回転翼機・大型電探・大型ソナーが装備可能。
主砲(小口径、中口径、大口径)・魚雷・水上偵察機・水上爆撃機・水上戦闘機・艦上攻撃機は装備不可。
キャラクター設定について
- 宗谷のキャラクター設定を参照。
- 艤装が南極観測船としておなじみのオレンジとなり、フードつきの上着もフードのファー以外はオレンジとなった。
- 右胸の名前も「宗谷 SOYA」に変わっている。
- 右手の先で飛んているのは、南極観測船としての大規模改造で宗谷が運用能力を得たベル47Gヘリコプター。
- 家具「チャージング航行の床」でなんとタロとジロとペンギンを連れてくる。そして鞄の影には氷爆破用の発破も……。
期間限定グラフィック
- 2021年6月22日のアップデートで【梅雨mode】が実装された。
- 南極ではほぼ雪しか降らないが、極稀に流れ込んでくる湿った暖気の影響で雨が降ることもあるとの事。
限定イラスト:梅雨mode
- 2021年7月15日のアップデートで
クソTシャツmode【夏服mode】が実装された。- 橙地のTシャツにでかでかと「南極」と書かれている。
- バッグや艤装は普段の色を踏襲している他、「宗谷」と書かれているオレンジの浮き輪を、左肩からロープで吊るしている。
- 中破しても艤装がほぼ無傷なのは相変わらずだが、シャツが破れて下に着た橙に白のスポーツブラがチラっと見える。
限定グラフィック:夏服mode
- 2022年1月1日のアップデートで【新春&晴れ着mode】が実装された。
- 雪の結晶があしらわれたオレンジ色の振袖を身に着けている。
限定グラフィック:新春&晴れ着mode(2022年)
- 2023年10月11日のアップデートで、「ハロウィン」modeが実装された。
- 基本的には特務艦の差分となっており、相違点は艤装の差異と胸のリボンがオレンジ色に、スカートが白色になっていること。
限定グラフィック:ハロウィンmode
- 2023年11月28日のアップデートで、【Xmas】modeが実装された。
- 特務艦の差分となっており、サンタ服の赤が南極観測船のオレンジになっている。
- クリスマスボイスは三形態全てで違い、南極観測船だと、白夜のクリスマスを一緒に過ごしたいという願望を漏らしてしまう。
限定グラフィック:Xmasmode
小ネタ
- 戦後間もない1955年、日本は1957年から1958年にかけ開催される国際地球観測年(International Geophysical Year、略称:IGY)に南極観測参加を表明した。敗戦国として国際社会への参加すら批判される時代であり、当然この観測への参加についても他国から反対されたが、なんとか参加を許された。
- しかし、日本の担当地区であるプリンスハラルド海岸一帯は、米軍に「接近不可能」と評された魔境であった。
- 当初、外国船を借りる予定であったが観測に適当な船がなく、かといって日本に南極観測船を新造する余裕などないため、宗谷が初代南極観測船候補として名前が挙がった。
- 艦歴18年のボロ船が南極観測船に改造される決定打となった理由は、改造費やら砕氷実績やら色々あるが、その理由の中に「運がいいから」という声があったのも実に宗谷らしいかもしれない。
- だが、焼け野原から立ち上がらんとしている日本には、宗谷を改装するための十分な資金すらなかった。
しかし、宗谷は未来への希望と、最終的に1億5000万円もの募金が国民から集まった。
- だが、焼け野原から立ち上がらんとしている日本には、宗谷を改装するための十分な資金すらなかった。
- 艦歴18年のボロ船が南極観測船に改造される決定打となった理由は、改造費やら砕氷実績やら色々あるが、その理由の中に「運がいいから」という声があったのも実に宗谷らしいかもしれない。
もう一隻の候補「宗谷丸」
- 他の候補の中には「宗谷丸」という奇しくも同じ宗谷の名前を冠する船がもう一隻いた。
後者の「宗谷丸」は1932年に竣工した北海道の稚内と樺太の大泊を結ぶ鉄道省の稚泊連絡船だったが、航路消滅により青函連絡船に転用されていた。こちらもなかなかに運の強い船だった。- 1945年7月18日、大泊から稚内へ航行中に雲鷹を沈めた潜水艦バーブに狙われたのであるが、
騒ぎを聞きつけ「たまたま居合わせた海軍将校」が船橋に上がり指揮をとり「魚雷8本を回避する」などという訳の分からない幸運を発揮して無事稚内へ逃げ延びることに成功した。
もっとも、いくら運がよかったとはいえ護衛についていた第112号海防艦が捨て身で守ってくれなければ沈んでいたかもしれない(第112号海防艦は宗谷丸を守り沈没した)*8- その後こちらの宗谷丸も戦後の混乱期や洞爺丸台風直後の青函連絡船の代打運行や国鉄の石炭輸送などに勤め、1965年に解体され天寿を全うした。
- 1945年7月18日、大泊から稚内へ航行中に雲鷹を沈めた潜水艦バーブに狙われたのであるが、
耐氷船から砕氷船へ
- かくして南極行きが決まった宗谷は、元海軍技術大佐「牧野茂」氏*9の設計に基づき、船舶設計協会*10が詳細図面作成を担当。
厳しい予算に余りにも短い納期、前例のない砕氷船改装のため多くの大企業が尻込みする中、日本鋼管浅野船渠が手を挙げ、7ヶ月間にわたる昼夜兼行の突貫工事が始まった。- 主な工事内容は
・外板を増厚し、約1mの砕氷能力を付与
・蒸気タービンからディーゼル機関への換装
・小型ヘリ及びセスナ機格納庫の増設
・航続距離の大幅な延伸と燃料及び清水タンク容量の増加
・観測資材並びに各種物資の搭載 等
- 主な工事内容は
- 船体の改造を始めたところ、あらゆる箇所に歪みが生じ水漏れが発生するなどトラブルが続出した。補修箇所は数千を超え、単一のメーカーでは対処できなかったため、横浜中のありとあらゆる企業から資材と職人達が集まった。彼等は意地と誇りの全てを注ぎ込み、見事この改装工事を成功させた。
- しかし、艤装員乗船後新たに133カ所にも及ぶ修正が必要であることが発覚。これ以上の工事延期は不可能として海上保安庁に引き渡され、宗谷は東京に回航されたのだが、毎日わざわざ横浜から資材と作業員を乗せた台船が往来し、竣工式までにすべての修正工事を終えたのだった。
- 宗谷改装工事と並行して、もう一つの戦いが行われていた。
乏しい予算と限られた時間の中で進められていた、南極観測に向けたあらゆる面での準備である。 - 10月17日東京竹芝桟橋にて、満船飾で着飾った宗谷船上で竣工式が盛大に行われた。
ここに南極観測船「宗谷」が誕生した。- あとなにげに宗谷は日本初の本格的なヘリコプター搭載船でもある。
- 1955年12月24日、灯台補給艦を解役された宗谷は巡視船へと類別変更された。
- 勘違いされがちではあるが、「南極観測船」というのは南極地域観測隊輸送に充当される船舶の文部省ならびに文部科学省による呼称である。
南極観測船を保有する運用元の官庁においては、宗谷を運用していた海上保安庁では巡視船として、ふじ以降の南極観測船を運用している海上自衛隊では砕氷艦として、それぞれ分類されている。- もっとも、南極観測任務解役後も引き続き北海道近海の巡視船任務に当たっていた宗谷はともかく、海上自衛隊の砕氷艦は基本的に南極観測任務からの退役とともに砕氷艦としても退役となっているため、実質的には砕氷艦=南極観測船と言っても差し支えない。
そもそも宗谷以外の南極観測船の建造費は文部省・文科省持ちである。 - 歴代の南極観測船は現役が次の代に繋ぐための実験船としての側面を持っている。
- もっとも、南極観測任務解役後も引き続き北海道近海の巡視船任務に当たっていた宗谷はともかく、海上自衛隊の砕氷艦は基本的に南極観測任務からの退役とともに砕氷艦としても退役となっているため、実質的には砕氷艦=南極観測船と言っても差し支えない。
- 勘違いされがちではあるが、「南極観測船」というのは南極地域観測隊輸送に充当される船舶の文部省ならびに文部科学省による呼称である。
- 巡視船としてPL107の番号をもらった宗谷だが起工したときも107番船と同じ番号をもらっているがこれは全くの偶然である。旧海軍から引き継いだ大型巡視船PLは100番代で区別され
PL100栗橋(海軍救難曳航船栗橋)*14
PL101みうら(海軍救難曳航船三浦)*15
PL102おじか(海防艦生名)
PL103あつみ(海防艦竹生)
PL104さつま(海防艦鵜来)
PL105つがる(海防艦新南)
PL106こじま(海防艦志賀)
PL107宗谷(灯台補給船宗谷)
といったように番号が割り振られた。栗橋と宗谷だけは船名が変わらず漢字のままであった。宗谷は灯台補給船時代に船名表記が仮名に変更されているのだがなぜ漢字表記に戻ったのかは謎、ちなみに宗谷の船名のフォントは当時の海上保安庁長官が書いたものである。
- 1955年12月24日、灯台補給艦を解役された宗谷は巡視船へと類別変更された。
- あとなにげに宗谷は日本初の本格的なヘリコプター搭載船でもある。
南極観測船 宗谷、南極へ
- 第一次南極観測隊が派遣された年は、オングル島まで分厚い氷は避け海が見えている状態だったため、幸運にも*16島から11キロ地点まで接近でき東オングル島に昭和基地*17ができた。
- 1956年11月8日、鮮やかなアラートオレンジに身を包み、たくさんの夢と誇りを載せた宗谷は、一万人以上の群衆と港の全船舶の汽笛に見送られ、随伴船「海鷹丸」とともに東京・晴海ふ頭を出港した。途中、戦艦大和沈没地点とルソン沖にて花束を献花した。また、航行中2つの台風に遭遇し約40度という大傾斜を経験したこともあり、船長の松本 満次 氏は今後の航海の無事を祈って宗谷神社を復活させた。
- 12月5日、インド洋にて1時間あたり300個以上の流星雨が降り注ぐ流星群を観測。後にほうおう座流星群と名付けられるが、詳しい正体は長年謎となった。*18
- 1957年1月4日、右45度に氷山を発見。同月10日には南極周辺を固める密群氷に到着、ここで海鷹丸と別れた。
「極地航海保安部署、配置につけ」の号令を合図に16日厚い氷の海へ突入、ついに南極大陸に向けて砕氷前進を開始した。 - その後は基地への物資輸送を行うが、2月11日以降天候が悪化し、荷物の一部が流出する事態にまでなる。ギリギリまで輸送を続けるが、2月15日をもって11名の越冬隊員たちにしばしの別れを告げ離岸した。
- 途中、天候が急速に悪化し氷海に閉じ込められてしまう。乗組員は宗谷での越冬を覚悟したが、ソ連砕氷艦オビ号*21が救援要請を受けて駆けつけ、航路を切り開いてくれたおかげで無事脱出に成功した。宗谷のマストには「救援を感謝する」との信号旗が翻り、両船のデッキには互いの健闘を称え手を振る乗組員でいっぱいになった。
- 後日、両船はケープタウンで再会し、乗組員や研究員達と意見交換を行い、交流を深めた。
- 途中、天候が急速に悪化し氷海に閉じ込められてしまう。乗組員は宗谷での越冬を覚悟したが、ソ連砕氷艦オビ号*21が救援要請を受けて駆けつけ、航路を切り開いてくれたおかげで無事脱出に成功した。宗谷のマストには「救援を感謝する」との信号旗が翻り、両船のデッキには互いの健闘を称え手を振る乗組員でいっぱいになった。
- ケープタウン沖にて再び暴風雨に遭遇、69度という大傾斜に陥るなどの危機に遭遇するも、4月24日、宗谷は大観衆が埋め尽くす東京・日の出桟橋に無事帰還し、第一次南極観測を終えたのだった。*22
- 第1次観測の栄光から一転、第2次南極観測において悲劇が宗谷を襲う。
1957年12月23日に氷海に突入した宗谷であったが、厚い氷に囲まれて身動きがとれなくなり1ヶ月間漂流。- 46日後何とか氷海から抜け出し、米海軍砕氷艦の支援を受けて再度突入するも、猛烈な暴風雪に襲われ宗谷はスクリューの一翼が根本から千切れるという損傷をおう。悪天候の間隙をぬって救援機を飛ばし、越冬隊と猫、子犬を救出した。
脱出後、再々突入を敢行し救援機を飛ばせないか模索し続けるも天候がさらに悪化。宗谷は探照灯と電話アンテナをもぎ取られるなどひどく損傷した。
- 46日後何とか氷海から抜け出し、米海軍砕氷艦の支援を受けて再度突入するも、猛烈な暴風雪に襲われ宗谷はスクリューの一翼が根本から千切れるという損傷をおう。悪天候の間隙をぬって救援機を飛ばし、越冬隊と猫、子犬を救出した。
- 2月24日、観測本部より第2次越冬及び本観測の中止命令が下達され、深く傷ついた宗谷は日本へ舳先を向けた。
- 15頭の樺太犬が昭和基地に残置され、帰国した観測隊は激しい非難に晒された。*23
- 帰国を決めた松本船長の訓示を紹介したい。
「ただ今より、本船は帰路につく。長期にわたってよく目的達成のために続けられた全員の努力に謝す。自然の猛威に妨げられ本観測としての最少の希望をも果たし得なかったのは誠に残念であるが、全員141名は無事本船にあり。乗組員一同は一層注意と努力を傾けて残された海上輸送の万全を期せ」
- 帰国を決めた松本船長の訓示を紹介したい。
- 15頭の樺太犬が昭和基地に残置され、帰国した観測隊は激しい非難に晒された。*23
- 第2次南極観測の失敗を受け、宗谷は船上観測設備の一新に加え、バカでかいヘリ発着甲板や航空司令室を設置、さらに大型ヘリ収容用のクレーンを増設し、合計5機の航空機を運用する世界初の
ヘリ搭載護衛艦砕氷航空機母船に生まれ変わる大改装を受けた。- 船体の8割以上が変わる大改装を受けた宗谷の姿に、乗組員たちからは「ヘリ空母」「ミニ空母」と呼ばれた。かが「そ、宗谷先輩!お疲れ様です!」
- 実際の南極においては、20日間で58便にも及ぶ大型ヘリによる輸送飛行を行い、当初の計画の2倍以上になる57トンもの資材と11名の越冬隊の空輸に成功した。
- 船体の8割以上が変わる大改装を受けた宗谷の姿に、乗組員たちからは「ヘリ空母」「ミニ空母」と呼ばれた。かが「そ、宗谷先輩!お疲れ様です!」
- 1959年1月14日、昭和基地から約163kmの地点を空輸拠点と定め氷盤に横付けし、氷盤にヘリポートを設置。発進したs-58大型ヘリが、昭和基地上空にてなんと周辺を走り回る2頭の犬を発見*24、後に犬がかりがタロとジロと確認した。
これを題材とした蔵原惟繕監督、高倉健主演の映画「南極物語」が1983年に公開された。- 「南極物語」は邦画として、史上初となる興行収入100億円を突破した名作となった。宗谷の船内も劇中で使用されている。
- タロとジロ以外の13頭は餓死又は行方不明となった。
稚内公園の供養塔前にて、南極観測隊で活躍した樺太犬の慰霊祭が執り行われている。
生きて帰れなかった犬たちのこともどうか、どうか忘れないでほしい。
- タロとジロ以外の13頭は餓死又は行方不明となった。
- 「南極物語」は邦画として、史上初となる興行収入100億円を突破した名作となった。宗谷の船内も劇中で使用されている。
- 1959年10月31日に日本を出港、1960年1月1日ソ連のオビ号と合流し共同で基地への輸送に当たった。
1月7日オビ号と別れ、2月6日まで海洋観測と輸送任務を続けた。- 帰路の途上、米軍占領下の沖縄に招かれ、4月16日那覇に入港。大歓迎を受け、特に沖縄出身の甲板長はもみくちゃにされた。
- 帰国後、宗谷は大きなクラックが入ったスペクタルフレームの交換、帰国するタロ用の小屋の新設、1500本もの緩んだリベットの打ち直し等の工事が行われた。
この整備を通して、宗谷の老朽化が深刻であることが明確になる。
- 帰国後、宗谷は大きなクラックが入ったスペクタルフレームの交換、帰国するタロ用の小屋の新設、1500本もの緩んだリベットの打ち直し等の工事が行われた。
- 宗谷帰国後、越冬隊は1名の殉職者を出している。*25
- 帰路の途上、米軍占領下の沖縄に招かれ、4月16日那覇に入港。大歓迎を受け、特に沖縄出身の甲板長はもみくちゃにされた。
- 宗谷の老朽化とパイロット不足により、南極観測を第6次をもって終了することが決定する。1960年5月14日には、海保観閲式に観閲艦として参加。
- 1960年11月12日東京を出港、清水タンクへの浸水や急患の発生などがあるも1961年5月4日タロ*26とともに無事帰国。
- 航海中、宗谷はまぐろ漁船からインドマグロ、捕鯨船から鯨肉の差し入れを貰う。良かったね宗谷さん。
- 1961年10月30日最後の南極観測に向けて日の出桟橋を出港、観測任務と昭和基地の撤収作業にあたり、1962年4月12日帰国。
南極観測船としての役目を終えた。
- 1956年11月8日、鮮やかなアラートオレンジに身を包み、たくさんの夢と誇りを載せた宗谷は、一万人以上の群衆と港の全船舶の汽笛に見送られ、随伴船「海鷹丸」とともに東京・晴海ふ頭を出港した。途中、戦艦大和沈没地点とルソン沖にて花束を献花した。また、航行中2つの台風に遭遇し約40度という大傾斜を経験したこともあり、船長の松本 満次 氏は今後の航海の無事を祈って宗谷神社を復活させた。
- 6回の南極観測において、宗谷は100年以上行方不明だったブランペン彗星の再発見に寄与、世界初の電離層の船上観測などなど数多くの功績を残した。また、宗谷と随伴船「海鷹丸」の観測を本に詳細な南極海図が作成され、後継の「ふじ」の初南極航海で大いに役立てられた。
- 1~6次南極航海の総航程は約144,276海里、総日数1,031日であった。
ソ連との縁
- 特務艦ページの小ネタで触れられている通り海軍での先代「宗谷」はロシアの艦、そしてこの「宗谷」は元々ソ連が発注した船、と何かとロシアとソ連に縁のあるこの船であるが、
何の因果か第一次南極観測の時に救援に駆けつけてくれたのもソ連の南極観測船であり、「オビ」という名であった。
その時救援してもらってからというもののその後の観測ではソ連の南極観測隊員が宗谷に遊びに来たり、あるときは親善バレーボール大会が日ソ両南極観測隊員によって行われたり、日本人形とか感謝状とかを贈ってみたり*27、更には共同で昭和基地付近へ乗り込んだり、昭和基地のヘリポートをソ連観測隊に貸してあげたり……と、それはもう仲が良くなったようであり、後継のふじ号時代もソ連隊やオビ号とは良い関係だったらしい。*28
ちなみにであるが宗谷が南極に行っていたころは冷戦真っただ中であり、もちろんソ連と日本も仲がいいわけではなかった。
そんな世界情勢の中で、敵対関係にある国同士の人々がこんなにも仲良くなれたのも、宗谷が呼んだ奇跡の一つなのかもしれない。- しかしオビ号も先代「宗谷」と同じく寂しい最期を迎えることになる。1981年にコルグエフ島でハルクとして使用されたが、嵐によりブグリノ集落の近くにあるラメンカ湾に座礁。
以降はそのまま放置されて荒廃した姿を晒していたが、2009年冬に引き揚げられてアルハンゲリスクに曳航され、2010年春に同地で解体された。
- しかしオビ号も先代「宗谷」と同じく寂しい最期を迎えることになる。1981年にコルグエフ島でハルクとして使用されたが、嵐によりブグリノ集落の近くにあるラメンカ湾に座礁。
- 特務艦ページの小ネタで触れられている通り海軍での先代「宗谷」はロシアの艦、そしてこの「宗谷」は元々ソ連が発注した船、と何かとロシアとソ連に縁のあるこの船であるが、
- 1~6次南極航海の総航程は約144,276海里、総日数1,031日であった。
北洋の守護神、宗谷
- 南極観測任務から離れた宗谷は観測用の機材等を下ろし、奇跡の秋刀魚漁ならぬサケ・マス漁業監視のため、アラートオレンジ塗装のまま巡視船(PL107)として北海道第一管区釧路海上保安部にて任務についた。
当時、過酷な冬の北洋で満足に救助活動を行える巡視船は存在せず、高い砕氷能力を持った宗谷は大いに期待された。- 北洋では、主に流氷に閉じ込められた船舶の救出に活躍。
煙突から火柱を噴き上げ、厚い氷を砕いて助けに駆けつける宗谷は、さぞかし頼もしく見えたことだろう。- 海上保安庁最大の船であったことから、海洋少年団の体験航海・各地の慰霊・遺骨収集等に、しばしばピンチヒッターとして使用された。
父島・母島及び硫黄島には小笠原返還まで元島民を乗せて毎年赴いた。
- 海上保安庁最大の船であったことから、海洋少年団の体験航海・各地の慰霊・遺骨収集等に、しばしばピンチヒッターとして使用された。
- 北洋では、主に流氷に閉じ込められた船舶の救出に活躍。
- 1963年5月13日より、米、英、仏、ソ連、タイの大使館付海軍武官夫妻、運輸大臣、海上保安庁長官を乗せ、巡視船「もがみ」を従えて伊勢湾での観閲式に観閲船として参加した。
- 観測用資機材の撤去後、8月1日より第三管区海上保安本部所属になり北洋へ旅立つ。
監視任務を終えた後、24日に燈台補給船時代最後の船長が待つ函館に入港。彼は当地の保安部長になっており、全巡視船が参加しての宗谷のための観艦式が開かれた。そして息をつく暇もなく、同日午後11時東京湾に向け緊急出動した。- 巡視船としての最初の仕事となる、噴火した三宅島からの島民避難の任務であった。乗せた避難民は児童がほとんどで南極観測船宗谷に乗れると大喜びだったとか。
- このとき同じく旧帝国海軍艦艇である護衛艦「わかば」*29も避難作戦に参加している。
- 巡視船としての最初の仕事となる、噴火した三宅島からの島民避難の任務であった。乗せた避難民は児童がほとんどで南極観測船宗谷に乗れると大喜びだったとか。
- 1964年2月、南極観測船「ふじ」の初代艦長を乗せ、オホーツク海での氷海航海訓練を行った。
4月には紋別港沖で救助活動中、流氷に閉じ込められた巡視船「てんりゅう」を救出した。- 北洋での宗谷は、流氷観測に前進哨戒、医療哨戒、毎年の観閲式、海峡の巡視、そこに体験航海や遺骨収集、緊急の救助活動などをこなし北へ南へ駆けずり回った。もうおばあちゃんだぞいい加減にしろ
- 1970年3月16日、カムチャツカ方面を哨戒中の宗谷に「単冠湾へ急行せよ」との緊急指令が入る。
- 単冠湾にて19隻もの漁船が遭難、乗組員30名が死亡または行方不明となる史上最大の流氷遭難事故が発生。宗谷は流氷を押しのけて現場に急行し、11日間の捜索救難活動を実施した後、長い汽笛と黙祷を捧げて現場を離れた。
- この頃から漁民から「北洋の守り神」「福音の使者」の異名を頂戴するようになる。
- 同年4月、東京にて整備を行い、同時にアラートオレンジから巡視船カラーに塗り直される。
- 単冠湾にて19隻もの漁船が遭難、乗組員30名が死亡または行方不明となる史上最大の流氷遭難事故が発生。宗谷は流氷を押しのけて現場に急行し、11日間の捜索救難活動を実施した後、長い汽笛と黙祷を捧げて現場を離れた。
- 1972年3月7日、宗谷湾に大量の流氷が漂着、閉じ込められた多数の船舶を助け出すため出動する。
- 午前9時流氷群に突入、700mまで進んだところで厚さ2m以上の氷盤にはばまれ、いったん外海に脱出した。午後再突入を敢行、煙突から火柱を吹き上げて何度も氷に体当たりし、ついに午後4時湾内への航路の啓開に成功した。底引漁船や貨物船16隻、半底引漁船3隻、翌8日湾外の北防波堤付近の貨物船2隻の外海誘導を行った。チャージングGO!
- 1975年8月、遺族を乗せて「対馬丸」海上慰霊祭にも参加している。
- 宗谷と対馬丸は戦時中に東松第二船団に属していたことがある。
- 1978年3月、稚内港に閉じ込められた漁船41隻のため、流氷群を砕氷し航路を切り開いた。
同月、「ふじ」の退役に伴う新型南極観測船*30計画及び宗谷の後継となる新型巡視船建造*31に関する砕氷実験に従事する。- 5月、海上保安庁創立三十周年の観閲式に観閲船として参加。
- 竣工から40年以上が経過した1978年7月3日、ついに宗谷の解役が決定した。
- 巡視船時代の海難救助出動は350件以上、救助した船125隻、救助した人命は1000名以上の実績を挙げ、北海道の漁業者の彼女への信頼は絶大なものがあった。
不可能を可能にした、奇跡の船「宗谷」
- 最後の任務として海上保安学校生の実習を兼ねて、全国14ヶ所の港を巡るサヨナラ航海を行った。
9月5日、保存先が船の科学館に決定する。*32- 長年、北洋の守護神として活動した宗谷を間近で見てきた稚内の人々の陳情により、9月23日サヨナラ航海番外編として稚内港に入港。24日の一般公開には、11,000人の人々が見学に訪れた。
- 9月28日、「UW1(ご幸福を)」の国際信号旗を掲げ、長年の母港であった函館港を後にした。
- 長年、北洋の守護神として活動した宗谷を間近で見てきた稚内の人々の陳情により、9月23日サヨナラ航海番外編として稚内港に入港。24日の一般公開には、11,000人の人々が見学に訪れた。
- 10月2日、竹芝桟橋にて満船飾で着飾った宗谷の解役式が行われた。歴代の海上保安庁長官や宗谷の歴代船長を始め南極観測隊員として乗り組んだ者など宗谷にゆかりある人たちが見守る中、国歌とともにマストから国旗、海上保安庁庁旗、長官旗がおろされ海上保安庁長官に返納された。
これをもって、彼女は長い長い旅路を終えたのだった。
昭和の生き証人、宗谷
- 1979年5月1日より一般公開を開始。この時はまだ巡視船カラーのままだった。
- 1982年の修復工事に伴いアラートオレンジへ塗り替え、船名表示やヘリ甲板標識等が南極観測当時の姿へ復元された。
- 11月25日、最後の南極行に旅立つ「ふじ」を汽笛を鳴らして見送った。
- 2007年末より大規模整備工事を実施。翌年2月16日には宗谷の戦友会「軍艦宗谷会」を中心に古希祭が行われた。宗谷の建造や改造に関わった者、地領丸、特務艦、復員船、灯台補給船、南極観測船、巡視船時代など多くの関係者が集まった。
- 2018年には進水から80年を記念して、宗谷は満船飾を行った。令和6年現在、宗谷は86歳を迎えている。*33
- 姉妹をはじめ多くの死を見届け、多くの命を救い、多くの人々に希望と勇気をもたらした奇跡の船は、壮大な大航海の記憶をいつまでも語り継いでいくことだろう。
「偉大な宗谷よ、さようなら。いつの日か又、会いにくる。」
- 姉妹をはじめ多くの死を見届け、多くの命を救い、多くの人々に希望と勇気をもたらした奇跡の船は、壮大な大航海の記憶をいつまでも語り継いでいくことだろう。
- 2018年には進水から80年を記念して、宗谷は満船飾を行った。令和6年現在、宗谷は86歳を迎えている。*33
- この年の紅白歌合戦ではさよなら宗谷という曲が歌われている。
- この年のゆく年くる年では後継のそうやの新年の出港式の様子が生中継されている。
- その後、宗谷はお台場にある船の科学館にて展示・保存されており、また、現在でも海上保安庁特殊救難隊の特殊訓練場として使用されている。
- 展示開始にあたり当時の船の科学館館長から送られたのが「不可能を可能にする奇跡の船」の名前である。
- 南極観測船「しらせ(Ⅱ)」の出港地が東京晴海だった場合は宗谷の前を通過する際に汽笛を鳴らして見送ることもある。
- 晴海埠頭の客船ターミナル閉鎖後の2022年はしらせの出航地は晴海に代わる客船ターミナルである東京国際クルーズターミナルとなったが、奇しくも同施設は船の科学館に近接する海上という立地である。すなわち宗谷は後輩が南極に出発するのを目の前で見送る事が出来るようになったのである。といっても実際には宗谷としらせの間にはターミナルの建物がそびえているので全貌までは見えないのだが。
- 船の科学館は1974年7月開館時にゲスト船として宗谷を招いている縁のある所でもある。
宗谷にまつわる小話
- 今の海上保安庁には名実ともに宗谷の後継となるヘリコプター搭載型大型巡視船「そうや」(PLH-01)がいるのだが(第一管区海上保安本部釧路海上保安部所属)、この巡視船そうやは1978年進水・竣工であり、2010年に近代化改修され、2019年3月に「宗谷」の運用期間約40年4か月を超え今も現役である。海保初のヘリコプター運用能力を有する巡視船として建造され、先代と同じく砕氷船として北の海を守り、更には海保最古参にして海保船の最長運用期間を、いま提督諸君がこうして記事を読んでいる瞬間も更新し続けている。(だがしかしそろそろ三代目*34を作って交代させてあげてもいいのではないだろうか)
- 2021年度海上保安庁関係補正予算にて、「そうや」の代替となるヘリコプター搭載型巡視船(砕氷型)1隻の建造がようやく盛り込まれた。2025年度の就役が予定されている。
- 2024年8月30日、ようやくそうやの代船となる、名跡としては四代目(海保では三代目でひらがな表記では二代目、とややこしい)のPLH01そうやがJMU鶴見にて進水、令和7年度の引き渡しを目指して工事が進められている。
- 一方、海上自衛隊においては1971年に宗谷の名前を受け継いだ機雷敷設艦「そうや」(MMC-951)が竣工し、先代宗谷と名前と活動期間がかぶるという極めて例外的なケースが生じた。
機雷敷設艦「そうや」は第2掃海隊群の旗艦を務め、1996年に退役した。なお、以降は専用の機雷敷設艦は建造されず、機雷敷設能力は代艦となったうらが型掃海母艦に統合されている。
- 戦後の宗谷関係者にも元叢雲乗組員や元瑞鶴乗組員など、艦娘になった軍艦の元乗組員が多数いる。
- 副隊長を務めた村山雅美氏は戦時中は「長門」「瑞鶴」に乗艦した経験がある。*35船内新聞である「南極新聞」の編集者である朝比奈菊雄氏は戦時中は医療班として「扶桑」に乗艦していた。第三次観測時にタロとジロを発見した大塚正雄氏は「榛名」に搭乗し、ミッドウェー海戦に参加している。
- 南極観測船としての後継「ふじ」の初代艦長となった本多敏治氏はふじ艦長内定が決まった直後の1964年2月に当時巡視船となっていた宗谷に乗りオホーツク海で氷海航行訓練を行い、氷海航行術を学んだ。*36
その後、ふじ最初の仕事である第七次南極観測で、本多氏率いるふじ乗組員は宗谷の果たせなかった昭和基地接岸を成し遂げる。
宗谷の成し遂げられなかったことをふじが成し遂げ、そしてそれを成し遂げた艦長は宗谷で氷海航行術を学んだ元叢雲乗組員、というそんな少しアツくなるお話。
- ちなみに解役式には海上保安庁長官も出席したが、長官自らが解役式に出席したのは今のところ宗谷だけである。
- 「船の科学館」は開館から50年を経て老朽化が進行している事から、2024年以降本館の解体が開始される事となった。これに先立ち公開を続けていた別館展示場が同年1月28日をもって閉館、一部館外展示も解体される事となった。ただし建物こそなくなるものの博物館活動は教育普及活動を中心に継続しており、今後リニューアルする計画も存在している。なお「宗谷」については展示場の公開終了後も引き続き展示公開が行われている。
- 宗谷が第六次南極観測に出向いていた1961年、かつて宗谷を建造した川南工業で社長の川南豊作や同社の主要な幹部が政府要人暗殺による国粋主義クーデター計画を主導したとして逮捕される「三無事件」が発生。
川南工業は戦時中に戦時標準船を多数建造したが、艦船の設計能力に乏しかったために戦後の造船市場に打って出れず休眠状態となっており、一度破産宣告をうけて何とか企業活動を再開したところにこの事件が発生したわけである。
その後会社は昭和重工と改称して再出発を図ろうとしたが、結局この事件が後を引いて71年に破産したのであった。- 宗谷を建造した香焼島造船所は1967年に三菱重工に売却されて三菱長崎造船所の香焼工場となり、規模も大幅に拡張されたが、2022年までに建造部門が大島造船所に売却されるとの事である。
- ちなみに宗谷は南極観測船時代に船内で発行された船内新聞「南極新聞」で擬人化されている。ある意味元祖艦娘でもある宗谷さん……いったい何者なんだ
- 日本国の通貨(¥円)に刻印された・・・・・南極地域観測50周年記念500円硬貨(平成19年1月23日、流通枚数660万枚-33億円)
- 日本国の切手になった・・・・・・・・・・・・・・国際地球観測年記念10円切手(昭和32年7月1日発行)、南極観測地域観測50周年記念切手セット(平成19年1月23日〉、南極観測地域観測60周年記念切手シート
- 2017年に英連邦クック諸島政府から記念銀貨が発行された・・・・・日本南極観測昭和基地開設60周年記念ホログラムカラー銀貨10オンスプルーフ貨幣、全世界600点限定
- 功績を評価されて世界共通の地名となった・・・・・宗谷海岸(プリンス・ハラルド海岸のうち東経39度35分以南)
- 大和型等々の大型艦にラムネ製造機が載せられていたことは有名だが、こちらには豆腐製造機が積まれていた。そんなに豆腐が食べたいのかさらには酷熱の赤道地帯をしのぐため米軍艦並みにアイスクリーム製造機も積んでいた。
- タロとジロのほかに、三毛猫のたけしも当時乗船していた。昔から船に猫を乗せる風習はあるが、後にも先にも日本から南極に行った猫はたけしだけであろう。国立極地研究所のアーカイブに詳細が記されている。かわいい。
- 現在博物館船として海上に浮かんでいる宗谷は、船として建築基準法が適用された最初の船でもある……のだが、実際には建築基準法第二章で定められている各種規定を満たしている訳ではない。
- そもそも建築基準法は陸上の建築物への適用を前提としており、当然海上を航行する船舶など最初から考慮されている訳がなかった。そのため保存船として係留されている船舶などの「海洋建築物」には建築基準法の規定から外れた存在が相当数存在するのである。宗谷以前に保存船として係留公開されていた船舶については特段法的な規制を受けてこなかったのだが、初代南極観測船として著名な宗谷が不特定多数の見学者を迎え入れる博物館船として公開されるとなると、さすがにそうも言っていられなくなってしまったのである。
- 幸い建築基準法には、既存の規定では対応できないような工法・建材を用いた建築物に対し第三者機関による試験のもと担当省庁の大臣が個別に使用を認可する仕組み、いわゆる「38条認定」*37*38があった。船の科学館ではこれを利用して宗谷に建築基準法を適用する事とし、財団法人日本建築センターの評定のもと、無事に建設大臣(当時)から建築基準法適合相当と認定されたのであった。
- なお、それまで「船舶保存のための照合作業」など行われていなかった事もあって日本建築センターによる評定は相当てこずったらしく、1979年5月1日に始まった宗谷の一般公開までには終わらなかった。その結果、一般公開開始当初は船内の見学ができず、辛うじて前甲板とヘリ甲板だけ見学が可能という状態であった(船内の公開開始は一般公開が始まって1年以上経った1980年7月20日から)。
- その後、1985年に宗谷の後継南極観測船となった砕氷艦「ふじ」が名古屋港ガーデンふ頭で係留公開を開始されたりするなど海洋建築物が増加するようになると、評定審査の迅速化のため統一基準の制定が求められるようになった。こうした事もあり、宗谷の一般公開開始から21年が経った1990年に日本建築センターにより「海洋建築物安全性評価指針」が策定されている。
- 今の二代目しらせだと滅多にないが宗谷は度々南極で氷に囲まれ身動きが取れなくなることがあった。
- そんな時はいかにして切り抜けたのか。答えは単純「ダイナマイトで発破」か「竹竿で押し出す」である。
- 1979年5月1日からお台場にある船の科学館に保存されており、艦これに実装されている日本の艦娘として唯一の現存艦でもある。
- 当然ながら南極観測を題材にしたドキュメンタリーや作品の多く(高倉健主演の『南極物語』・木村拓哉主演の『南極大陸』等)に登場することが多いが、宗谷の遍歴そのものをアニメ化した『宗谷物語』というアニメ*39がある。現在はAmazonプライムで視聴可能だが、主題歌とED曲の制作にあの横浜銀蝿がガッツリ関わっている。単独主人公の作品と有名アーティストの手によるテーマ曲持ちなのもやはり彼女だけ。
- ふじや25回中24回着岸に成功した初代しらせが着岸に失敗した年におこなっているので南極観測船の伝統ともいえる。
- ボイスで「いざとなれば……」と言っているのは前者が由来だと思われる。なら竹竿絡みで云々も欲しいところ
- 家具「チャージング航行の床」にダイナマイトが置かれている。執務室に、それもあろうことかタロとジロのすぐそばに。火を近づけなければ大丈夫…なはず
- 今の海上保安庁には名実ともに宗谷の後継となるヘリコプター搭載型大型巡視船「そうや」(PLH-01)がいるのだが(第一管区海上保安本部釧路海上保安部所属)、この巡視船そうやは1978年進水・竣工であり、2010年に近代化改修され、2019年3月に「宗谷」の運用期間約40年4か月を超え今も現役である。海保初のヘリコプター運用能力を有する巡視船として建造され、先代と同じく砕氷船として北の海を守り、更には海保最古参にして海保船の最長運用期間を、いま提督諸君がこうして記事を読んでいる瞬間も更新し続けている。(だがしかしそろそろ三代目*34を作って交代させてあげてもいいのではないだろうか)
この艦娘についてのコメント
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ウチは大和武蔵加賀雪風時雨宗谷で固定になってしまった
駆逐の片方は秋月型でも良いと思う -- 2024-06-18 (火) 11:44:28