宗谷(南極観測船)

Cached: 2024-12-06 00:04:58 Last-modified: 2024-12-05 (木) 20:24:03
No.450
このオレンジと白のユニフォーム素敵ですよね?宗谷(そうや)PL107 南極観測船
艦船ステータス(初期値/最大値)
耐久26火力0 / 1
装甲-- / 62雷装0
回避27 / 88対空0
搭載6対潜0 / 4
速力低速索敵16 / 32
射程77 / 155
最大消費量
燃料25弾薬5
搭載装備
1未装備
2未装備
3未装備
装備不可
改造チャート
宗谷
宗谷(灯台補給船)(Lv60+高速建造材×5+開発資材×5)
宗谷(南極観測船)(Lv60+高速建造材×10+開発資材×20)
宗谷(Lv60+高速建造材×5)*1
図鑑説明
耐氷型貨物船として生まれた宗谷です。
海軍特務艦として、MI作戦などの様々な作戦に参加、激戦のソロモン方面へも展開。
測量や揚陸、輸送などの任務に就きました。
戦後は、皆さんの帰還、そして灯台補給船。
さらに大改装され、南極観測船として、昭和という時代と、その海を駆け抜けました。

※初期値はLvや近代化改修の補正を除いた時の数値であり、最大値はLv99の時の最大値を指します。

CV:タニベユミ、イラストレーター:しばふ (クリックするとセリフ一覧が開きます)

CV:タニベユミ、イラストレーター:しばふ

定型ボイス一覧

イベントセリフ改装段階備考追加






 





 
追加
入手/ログイン特務艦、宗谷です。提督、お逢いできて、光栄です。
戦闘艦ではありませんが、私…精一杯、働きます!
どうぞよろしく、お願いします!
××編集
灯台補給船、宗谷です。
はい、原則として武装はできませんが、様々なものを運ぶことはできます。
私、今日も精一杯働きます。
××編集
南極観測船、宗谷です。
はい、このオレンジと白のユニフォーム素敵ですよね?かなり改装されました。
私、南極への旅も、精一杯働きます!
××編集
母港*2編集
母港1詳細測量ですか? 輸送ですか? ……やります!××編集
灯台の補給ですか?お任せください。……やります!××編集
南極ですね? お任せください! もちろん!××編集
母港2奇跡の船、ですか? ……いえ、いえいえ! ……そんな……。××編集
海の守り神、ですか?……いえ、そんな……。働くだけです!××編集
不可能を可能にする船? いえっ、精一杯頑張るだけです!××編集
母港3はい、昭和という時代を、精一杯、働きました。
元々は……外国から発注されたんですが、色々あって、横須賀鎮守府所属となりました。
激戦のソロモンにも、行きました。
××編集
はい、昭和という時代を、精一杯、働きました。
海のサンタクロース? ……いえいえ! でも、運びますよ。皆さんのために!
××編集
はい、昭和という時代を、精一杯働きました。
昭和基地、チャージング、氷の爆破、……幾多の南極観測隊、何もかも、皆懐かしいですね……。
令和の時代の静かなお台場も、いいものです。
××編集
ケッコンカッコカリあのう……これは……ホント……ですか。ホントに?あ、ありがとうございます。私、大事に、大切にします、絶対!編集
ケッコン後母港お疲れですか、船……じゃなかった提督、コーヒーを煎れましょう。私、冷凍ですけど、美味しいもの結構積んでますよ。ご賞味されますか?編集
放置時そうですね、サイパン、トラック、そして、ラバウル。
あの激戦のソロモン諸島で、強行測量や揚陸なども、行いました。
母港は横須賀だったんですけど……いろいろな所に、行きましたね。
今考えると……無事に帰ってこれたのは、確かに……奇跡、かも。
××編集
灯台補給船は大事な仕事でした。
全国各地の大切な灯台を守る灯台守の皆さんに、生活物資や補給物資をお送りしました。
そうですね、ひ……いえ、海のサンタクロース、と呼ばれたこともありました。
大切なお仕事、でした。
××編集
チャージング航行?懐かしい。まだ、行けるかしら…?
今は、ラミング航行っていうの?融雪用散水装置?……便利なものがあるのですね。
…いえっ、大丈夫。最悪、爆破で進めば……えぇ?強引すぎます?
××編集
編成出撃編集
編成特務艦宗谷、抜錨、します!××編集
巡視船宗谷、抜錨、します!××編集
宗谷、出港! 必ずやり遂げて……戻りますね。××編集
出撃特務艦宗谷、抜錨、します!××編集
巡視船宗谷、抜錨、します!××編集
宗谷、出港! 必ずやり遂げて……戻りますね。××編集
雑用運送艦宗谷、出港、します!××編集
灯台補給船宗谷、出航、します!××編集
南極観測船宗谷、出発します!××編集
開戦・攻撃*3編集
戦闘1昼戦開始皆さん、ご注意を。警戒を厳に!前半部は小声編集
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戦闘2昼戦攻撃や、やるしか……ありません!編集
……ど、どうしましょう!?編集
戦闘3夜戦開始よ、夜ですか? 危険では……は、はい、了解。編集
編集
戦闘4夜戦攻撃よく狙って、てぇーっ!×編集
編集
戦闘時ステータス*4編集
小破あっ!?編集
……ふ、不発。本当に……よかった。××編集
……ん!?なにかぶつかったの?行ける?問題ない?×編集
中破/大破ああああっ! ……宗谷は、沈まない。……だって、 令和の時代へ……。編集
轟沈うそ……うそ、です。……私、沈むん……ですか? うそ……編集
戦闘終了*5編集
勝利MVPうそ……私、ですか? そんなことって……すみません。×編集
静かな海…。この時代のお台場もいいものですね。××編集
旗艦大破……ふ、不発。本当に……よかった。××編集
……ん!? なにかぶつかったの? 行ける? 問題ない?×編集
装備・改修*6編集
装備1改修/改造はい。私、元々は、民間の耐氷型貨物船ですから。×編集
回転翼機、ヘリ、いけます!そのための改装も、万全です!××編集
装備2了解しました、運用してみます。編集
編集
装備3改修/改造/開発/バケツ/遠征/発見参りましょう。編集
編集
その他編集
帰投無事、戻ることが出来ました。皆さんのおかげです。編集
補給……ありがとう。また、行けますね。編集
入渠(小破以下)すみません。少し、修繕を。編集
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入渠(中破以上)申し訳、ありません。ドック入り……お許しください。編集
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建造完了素敵な、船。……おめでとう。編集
戦績表示情報をまとめます。……こちら、ですね。編集

各ボイス項目の詳しい説明はこちらをご覧ください


時報ボイス一覧


季節ボイス一覧


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追加
桃の節句編集
春の訪れ編集
ホワイトデー編集
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春本番編集
梅雨梅雨の雨……日本の四季、私、好きです。
……え。……そう、ですね。昭和基地では雨は本当に珍しいんですよ。
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はい、内地では、勿論雨も想定済み。提督、濡れます。こちらに。編集
初夏暑く……なってきましたね。お台場も、夏は日差しが厳しいですね。
……夏服でも、いいかもしれませんね。
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宗谷、夏服にしてみました。どうでしょうか。
北方や極地でなければ、この格好でもいいかもしれませんね。涼しいし。
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盛夏編集
夏祭り編集
くんくんくんくん……いい匂い。秋祭りですか? いいですね、どれも美味しそう。
屋台って、独特のドキドキ感、ありますね。
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秋刀魚秋刀魚。秋刀魚漁の支援……ですか? 了解しました。北方の海、私も得意分野です! お任せください!編集
奇跡の秋刀魚漁、宗谷も尽力、します!編集
晩秋編集
ハロウィンあ、あの、宗谷もハロウィンしてみました。が、がるる~っ。……え、違う?編集
え、じゃあ、こうでしょうか。に、にゃーん。……す、すみませんっ。編集
にゃーん!攻撃時編集
秋のワイン編集
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師走編集
クリスマス提督、クリスマスの季節ですね。鎮守府でも、今はクリスマスパーティーを盛大に開くのですね。
あっ、もちろん、もちろん宗谷もこんな宴、好きです! さあ食べましょう! とってきますね。
××特務艦編集
提督、クリスマスも灯台は休むことなく働く、大切な存在です。宗谷も、クリスマスの灯台、好きですね。
あっ、提督も? 良かった。
××灯台補給船編集
提督。南極、昭和基地でも、クリスマスパーティーはやるんですよ。
白夜のクリスマス、いつか一緒に過ごしてみたい……あっ、いえ、なんでも! なんでもありません!
××南極観測船編集
年末編集
新年提督。新年、あけまして、おめでとうございます。
特務艦宗谷、今年もどうぞ、よろしくおねがいします。
……あ、このTシャツですか? はい。手作りの、特務賀正Tシャツです。
提督の分も、お作りしましょうか?
××特務艦編集
提督。新年、あけまして、おめでとうございます。
灯台補給船宗谷、今年もどうぞよろしくお願いします。
そうですね…。今年も海上安全。そして静かな海。お願いしたいですね。
新年、私も祈っています。
××灯台補給船編集
提督。新年、あけまして、おめでとうございます。
南極観測船宗谷、今年もどうぞ、よろしくおねがいします。
オレンジの晴れ着、ご用意頂きました。ありがとうございます。
提督、ご一緒に初詣、いかがですか? はい、今年も海上安全を祈って。
……あっ、ありがとうございます。参りましょう。
××南極観測船編集
節分節分ですね。鎮守府の節分は、実戦並みの真剣勝負! 鬼役も、年々増えているような……
はっ、これは何かの、陰謀!?
編集
バレンタインえっ!? ……今日はそういう日なんですか?
しまった、宗谷、失念してました……。挽回を、目指します!
編集
提督。宗谷、このシーズンの鎮守府の大事な行事、しっかり学習しました。
で、作ってみました。宗谷のチャージングチョコ! どうぞ!
2024編集

十周年記念提督、艦隊はこの春、10周年を迎えたそうです。誠におめでとうございます!
これも一つの奇跡、ですね! 宗谷もお祝いします!
そうだ、記念のTシャツ、作りましょうか? え!? 要らないですか……。
編集
提督方がお台場に逢いに来てくれて、宗谷も嬉しくなります。
この時代でも、奇跡を可能にしていきましょう。
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イベント名編集


内容編集


ゲームにおいて

  • Lv60で灯台補給船から改造可能。
  • 艦種の表記は南極観測船。出撃や任務では速吸などと同じ補給艦扱い、詳細は宗谷を参照。
    • 更に改造すると特務艦に戻る。高速建造材5個、弾薬130、鋼材280必要。
      史実ではこの後に巡視船になっている。
  • 2021/09/10アップデートで図鑑の誤植が修正(旗艦→帰還)された。

宗谷(南極観測船)の運用について

  • 火力と雷装の初期値0のため夜戦で攻撃に参加しない。
  • 運が【77/155】と初期値最大値共に1位。
    • が、運の活躍ポイントである夜戦(カットイン)においては、彼女はそもそも夜戦での行動自体が不可能となっており、その高い運も現状では命中率と回避率に少し影響するのみとなっている。
      • 2023/04/23に実装された煙幕システムは運が影響する、司令部施設も装備可能なので旗艦への採用が考えられる。
    • 運155(77+78)まで上げた状態で宗谷(特務艦)に改造すると運110(55+55)まで低下する、その後宗谷(南極観測船)まで戻しても運132(77+55)までしか戻らない。
      詳細は鈴谷のコンバート後の運改修について参照。
      • 宗谷(特務艦)にコンバートする必要が出る場面としては一式陸攻(野中隊)の改修が挙げられる。この改修は宗谷(特務艦)でのみ可能であり、そのために特務艦に戻す際には要注意である。取れるならサブを獲得するのもありかもしれない。
  • 小型電探・大型電探・ソナー・大型ソナー・機関部強化・上陸用舟艇・回転翼機・中型バルジ大型バルジ航空要員探照灯簡易輸送部材戦闘糧食洋上補給司令部施設応急修理要員・艦載発煙装置が装備可能。
    • 神威と違い射程短なので主力艦の砲撃に割り込みにくいのもメリット。中射程電探か航空要員で射程を伸ばす事も一応可能。
    • 回転翼機を搭載できるため相手に制空値が無い場合は制空権確保を取り他の艦の弾着観測射撃が可能となる。
      一方で相手に制空値が1以上あると制空は取れず、また航空攻撃ができる機体は一切装備できない。
      • この点は宗谷の改造形態の中でも本形態のみの特権であり、本形態を採用する十分な理由となりうる。
      • あくまでも相手に制空が無い場合のみにしか制空を取れないため、速吸や神威等水戦を積める補給艦の代用はできない。こちらの方が生存性が圧倒的に高いため、相手に制空値が無い場合の選択肢としては優位と言える。
  • 装甲が(三隈改二特を除く)補助艦艇のうち最高で、回避もトップクラスと生存性が高い。さらに中型バルジと大型バルジ両方装備できる初の艦(船)である。
    南極観測船への改造の際、(戦闘用ではないが)対氷用バルジを取り付けたことが由来と思われる。
    • 艦本新設計 増設バルジ(大型艦)を4つ装備すると装甲102に達し、並の戦艦より装甲が高くなる。
      回避値と運が高いので、バルジを多数装備してもなお回避力が際立って高い
    • 低耐久なので、未婚なら残HP7までは中破を維持する。
      この7という数字は、カスダメが0になるラインであり、高装甲が抜かれなければダメージを受けない要塞と化す。
    • 羅針盤制御では補給艦として扱われるため、高難度海域の補給艦ルートを通る際に有力な選択肢の一つとなりうる。
      自分が生き残る事に特化しているため、電探を載せる等の補助的な役割にうってつけの存在である。
  • 地味に航空要員を装備できるのもこの形態のみ。そのため水上艦への昼火力が最も出せる形態となる。
    ガン積してもなお力不足の為海域攻略での実用性は無いが、1-1キラ付けや秋刀魚漁では役に立つので覚えておいて損はない。
  • 弾薬総搭載量が5で全艦中最低クラス。
    燃費が安いメリットではあるが、一方で出撃においては逆にデメリットが発生する場合もあるので注意。
    空襲戦や水上戦を計5回行うと残弾0になり有効ダメージが与えられなくなる。ソナーやヘリでの対潜や上陸用舟艇での攻撃を見込んでいる場合は注意。
    • 運が高いので命中率が若干高く、昼戦カスダメを稼ぐ能力は高い。
    • 1-3の三重クル要員としては装甲・回避・燃費が神威改母を大幅に上回っているため有用。
  • 手元のヘリコプターはベル47。
    特徴的な大型ヘリ甲板がないことから第一次~第二次頃の姿がモチーフか?それにしても、その大型ヘリ甲板がない段階でベル47より大型のS-51シリーズをどうやって運用しているのだろうか

性能比較表(艦船最大値/補給艦上位早見表/テーブルより転送)

性能比較表。長いので閉じています。

黄色はトップ桜色は次点の性能
表上部をクリックするたびにその項目の昇順・降順で並べ替えできます

No.名前

Lv









スロット速力


+
備考追加
500b山汐丸改48 +建35開153928282303863827/47163(8,6,2)低速351550対空機銃・艦戦・艦爆・大型電探・対潜哨戒機・回転翼機・航空要員・大型ソナー装備可編集
260b速吸改254819333604859368/44103(6,3,1)低速12020140対空機銃・艦攻・大型電探装備可編集
450宗谷(南極観測船)60 +建10開2026628810032477/15563(1,2,3)低速25530大型ソナー・回転翼機・航空要員・大型バルジ装備可編集
408宗谷(特務艦)-*72235779032123255/11003低速201030爆雷・対地装備・対空機銃・高射装置・照明弾見張員系装備可編集
300神威改母6039333825034543020/7933(1,1,1)低速302050対空機銃・中口径主砲・副砲・大型飛行艇・大型ソナー・爆雷・中型バルジ探照灯照明弾見張員系・司令部対地装備装備可、射程中編集
445宗谷(灯台補給船)60 +建5開523407910018265/13002低速20525大型探照灯装備可編集

※表記のない限り射程・
全艦、小型電探・ソナー・機関部強化・洋上補給戦闘糧食を装備可能。ただしドラム缶(輸送用)は、山汐丸のみ装備不可
※速吸改・神威改母は、小口径主砲・水上偵察機・水上爆撃機・水上戦闘機・回転翼機・航空要員・大発動艇系・内火艇を装備可。
※宗谷(全形態)は内部的には補給艦扱い。
大型電探・増設バルジ(中型艦)・大発動艇系・司令部・探照灯・応急修理要員は全形態共通で装備可。
主砲(小口径、中口径、大口径)・副砲・魚雷・水上偵察機・水上爆撃機・水上戦闘機は全形態共通で装備不可
※山汐丸は内部的に補給艦扱い。
未改造では、対潜哨戒機・爆雷・中型バルジ・航空要員・高射装置が装備可能。
改造後のみ、副砲・艦上戦闘機・艦上爆撃機・回転翼機・大型電探・大型ソナーが装備可能。
主砲(小口径、中口径、大口径)・魚雷・水上偵察機・水上爆撃機・水上戦闘機・艦上攻撃機は装備不可

キャラクター設定について

  • 宗谷キャラクター設定を参照。
  • 艤装が南極観測船としておなじみのオレンジとなり、フードつきの上着もフードのファー以外はオレンジとなった。
    • 右胸の名前も「宗谷 SOYA」に変わっている。
    • 右手の先で飛んているのは、南極観測船としての大規模改造で宗谷が運用能力を得たベル47Gヘリコプター。
  • 家具「チャージング航行の床」でなんとタロとジロとペンギンを連れてくる。そして鞄の影には氷爆破用の発破も……。

期間限定グラフィック

  • 2021年6月22日のアップデートで【梅雨mode】が実装された。
    • 南極ではほぼ雪しか降らないが、極稀に流れ込んでくる湿った暖気の影響で雨が降ることもあるとの事。
    限定イラスト:梅雨mode

    限定イラスト:梅雨mode
    昭和基地では雨は本当に珍しいんですよ。

  • 2021年7月15日のアップデートでクソTシャツmode夏服mode】が実装された。
    • 橙地のTシャツにでかでかと「南極」と書かれている。
    • バッグや艤装は普段の色を踏襲している他、「宗谷」と書かれているオレンジの浮き輪を、左肩からロープで吊るしている。
    • 中破しても艤装がほぼ無傷なのは相変わらずだが、シャツが破れて下に着た橙に白のスポーツブラがチラっと見える。
    限定グラフィック:夏服mode

    限定グラフィック:夏服mode
    お台場も、夏は日差しが厳しいですね。

  • 2022年1月1日のアップデートで【新春&晴れ着mode】が実装された。
    • 雪の結晶があしらわれたオレンジ色の振袖を身に着けている。
    限定グラフィック:新春&晴れ着mode(2022年)

    限定グラフィック:新春&晴れ着mode(2022年)
    提督。新年、あけまして、おめでとうございます。南極観測船宗谷、今年もどうぞ、よろしくおねがいします。オレンジの晴れ着、ご用意頂きました。ありがとうございます。提督、ご一緒に初詣、いかがですか? はい、今年も海上安全を祈って。……あっ、ありがとうございます。参りましょう。

  • 2023年10月11日のアップデートで、「ハロウィン」modeが実装された。
    • 基本的には特務艦の差分となっており、相違点は艤装の差異と胸のリボンがオレンジ色に、スカートが白色になっていること。
    限定グラフィック:ハロウィンmode

    限定グラフィック:ハロウィンmode
    にゃーん!

  • 2023年11月28日のアップデートで、【Xmas】modeが実装された。
    • 特務艦の差分となっており、サンタ服の赤が南極観測船のオレンジになっている。
    • クリスマスボイスは三形態全てで違い、南極観測船だと、白夜のクリスマスを一緒に過ごしたいという願望を漏らしてしまう。
    限定グラフィック:Xmasmode

    限定グラフィック:Xmasmode
    提督。南極、昭和基地でも、クリスマスパーティーはやるんですよ。白夜のクリスマス、いつか一緒に過ごしてみたい……あっ、いえ、なんでも! なんでもありません!

小ネタ

不可能を可能にした、奇跡の船 宗谷
  • 戦後間もない1955年、日本は1957年から1958年にかけ開催される国際地球観測年(International Geophysical Year、略称:IGY)に南極観測参加を表明した。敗戦国として国際社会への参加すら批判される時代であり、当然この観測への参加についても他国から反対されたが、なんとか参加を許された。
    • しかし、日本の担当地区であるプリンスハラルド海岸一帯は、米軍に「接近不可能」と評された魔境であった。
  • 当初、外国船を借りる予定であったが観測に適当な船がなく、かといって日本に南極観測船を新造する余裕などないため、宗谷が初代南極観測船候補として名前が挙がった。
    • 艦歴18年のボロ船が南極観測船に改造される決定打となった理由は、改造費やら砕氷実績やら色々あるが、その理由の中に「運がいいから」という声があったのも実に宗谷らしいかもしれない。
      • だが、焼け野原から立ち上がらんとしている日本には、宗谷を改装するための十分な資金すらなかった。
        しかし、宗谷は未来への希望と、最終的に1億5000万円もの募金が国民から集まった。
もう一隻の候補「宗谷丸」

もう一隻の候補「宗谷丸」

  • 他の候補の中には「宗谷丸」という奇しくも同じ宗谷の名前を冠する船がもう一隻いた。
    後者の「宗谷丸」は1932年に竣工した北海道の稚内と樺太の大泊を結ぶ鉄道省の稚泊連絡船だったが、航路消滅により青函連絡船に転用されていた。こちらもなかなかに運の強い船だった。
    • 1945年7月18日、大泊から稚内へ航行中に雲鷹を沈めた潜水艦バーブに狙われたのであるが、
      騒ぎを聞きつけ「たまたま居合わせた海軍将校」が船橋に上がり指揮をとり「魚雷8本を回避する」などという訳の分からない幸運を発揮して無事稚内へ逃げ延びることに成功した。
      もっとも、いくら運がよかったとはいえ護衛についていた第112号海防艦が捨て身で守ってくれなければ沈んでいたかもしれない(第112号海防艦は宗谷丸を守り沈没した)*8
      • その後こちらの宗谷丸も戦後の混乱期や洞爺丸台風直後の青函連絡船の代打運行や国鉄の石炭輸送などに勤め、1965年に解体され天寿を全うした。

耐氷船から砕氷船へ

  • かくして南極行きが決まった宗谷は、元海軍技術大佐「牧野茂」氏*9の設計に基づき、船舶設計協会*10が詳細図面作成を担当。
    厳しい予算に余りにも短い納期、前例のない砕氷船改装のため多くの大企業が尻込みする中、日本鋼管浅野船渠が手を挙げ、7ヶ月間にわたる昼夜兼行の突貫工事が始まった。
    • 主な工事内容は
      ・外板を増厚し、約1mの砕氷能力を付与
      ・蒸気タービンからディーゼル機関への換装
      ・小型ヘリ及びセスナ機格納庫の増設
      ・航続距離の大幅な延伸と燃料及び清水タンク容量の増加
      ・観測資材並びに各種物資の搭載 等
  • 船体の改造を始めたところ、あらゆる箇所に歪みが生じ水漏れが発生するなどトラブルが続出した。補修箇所は数千を超え、単一のメーカーでは対処できなかったため、横浜中のありとあらゆる企業から資材と職人達が集まった。彼等は意地と誇りの全てを注ぎ込み、見事この改装工事を成功させた。
    • しかし、艤装員乗船後新たに133カ所にも及ぶ修正が必要であることが発覚。これ以上の工事延期は不可能として海上保安庁に引き渡され、宗谷は東京に回航されたのだが、毎日わざわざ横浜から資材と作業員を乗せた台船が往来し、竣工式までにすべての修正工事を終えたのだった。
  • 宗谷改装工事と並行して、もう一つの戦いが行われていた。
    乏しい予算と限られた時間の中で進められていた、南極観測に向けたあらゆる面での準備である。
    • 日本学術会議南極特別委員会が創設され、現地の情報がほぼ無い中、建設部門、機械部門、航空部門、医学部門、通信部門、食糧部門、犬部門などに分かれて、関係する学会や研究者を集めて懸命に進められていた。
      • 日本建築学会は越冬に不可欠な断熱性をもち、かつ限られた器材で容易に短期間で組み立てられる建築物を模索し、日本で初めて発泡スチロール*11を採用した日本初のプレハブ式住居を開発。
      • 越冬及び長期の航海に必要な保存食品については、従来の缶詰や乾物に代わり冷凍食品*12が宗谷に積み込まれた。*13
  • 10月17日東京竹芝桟橋にて、満船飾で着飾った宗谷船上で竣工式が盛大に行われた。
    ここに南極観測船「宗谷」が誕生した。
    • あとなにげに宗谷は日本初の本格的なヘリコプター搭載船でもある。
      南極観測船とはそもそも何か
      • 1955年12月24日、灯台補給艦を解役された宗谷は巡視船へと類別変更された。
        • 勘違いされがちではあるが、「南極観測船」というのは南極地域観測隊輸送に充当される船舶の文部省ならびに文部科学省による呼称である。
          南極観測船を保有する運用元の官庁においては、宗谷を運用していた海上保安庁では巡視船として、ふじ以降の南極観測船を運用している海上自衛隊では砕氷艦として、それぞれ分類されている。
          • もっとも、南極観測任務解役後も引き続き北海道近海の巡視船任務に当たっていた宗谷はともかく、海上自衛隊の砕氷艦は基本的に南極観測任務からの退役とともに砕氷艦としても退役となっているため、実質的には砕氷艦=南極観測船と言っても差し支えない。
            そもそも宗谷以外の南極観測船の建造費は文部省・文科省持ちである。
          • 歴代の南極観測船は現役が次の代に繋ぐための実験船としての側面を持っている。
      • 巡視船としてPL107の番号をもらった宗谷だが起工したときも107番船と同じ番号をもらっているがこれは全くの偶然である。旧海軍から引き継いだ大型巡視船PLは100番代で区別され

        PL100栗橋(海軍救難曳航船栗橋)*14
        PL101みうら(海軍救難曳航船三浦)*15
        PL102おじか(海防艦生名)
        PL103あつみ(海防艦竹生)
        PL104さつま(海防艦鵜来)
        PL105つがる(海防艦新南)
        PL106こじま(海防艦志賀)
        PL107宗谷(灯台補給船宗谷)

        といったように番号が割り振られた。栗橋と宗谷だけは船名が変わらず漢字のままであった。宗谷は灯台補給船時代に船名表記が仮名に変更されているのだがなぜ漢字表記に戻ったのかは謎、ちなみに宗谷の船名のフォントは当時の海上保安庁長官が書いたものである。

南極観測船 宗谷、南極へ

  • 第一次南極観測隊が派遣された年は、オングル島まで分厚い氷は避け海が見えている状態だったため、幸運にも*16島から11キロ地点まで接近でき東オングル島に昭和基地*17ができた。
    第1次南極観測 白銀に日の丸
    • 1956年11月8日、鮮やかなアラートオレンジに身を包み、たくさんの夢と誇りを載せた宗谷は、一万人以上の群衆と港の全船舶の汽笛に見送られ、随伴船「海鷹丸」とともに東京・晴海ふ頭を出港した。途中、戦艦大和沈没地点とルソン沖にて花束を献花した。また、航行中2つの台風に遭遇し約40度という大傾斜を経験したこともあり、船長の松本 満次 氏は今後の航海の無事を祈って宗谷神社を復活させた。
      • 12月5日、インド洋にて1時間あたり300個以上の流星雨が降り注ぐ流星群を観測。後にほうおう座流星群と名付けられるが、詳しい正体は長年謎となった。*18
    • 1957年1月4日、右45度に氷山を発見。同月10日には南極周辺を固める密群氷に到着、ここで海鷹丸と別れた。
      「極地航海保安部署、配置につけ」の号令を合図に16日厚い氷の海へ突入、ついに南極大陸に向けて砕氷前進を開始した。
      • 1月24日、厚い氷を時に発破し、時に竹竿でつつき、時に体当たりして突破した宗谷は、南緯69度00分22秒・東経39度35分24秒オングル島プリンスハラルド海岸に接岸。
        • 1月29日、第1次南極地域観測隊が公式上陸、昭和基地*19と命名し、白銀の大地に日の丸*20が掲げられた。この快挙は遠く離れた祖国でも号外をもって報じられ、戦争の爪痕が深く残る日本にたくさんの笑顔をもたらした。
    • その後は基地への物資輸送を行うが、2月11日以降天候が悪化し、荷物の一部が流出する事態にまでなる。ギリギリまで輸送を続けるが、2月15日をもって11名の越冬隊員たちにしばしの別れを告げ離岸した。
      • 途中、天候が急速に悪化し氷海に閉じ込められてしまう。乗組員は宗谷での越冬を覚悟したが、ソ連砕氷艦オビ号*21が救援要請を受けて駆けつけ、航路を切り開いてくれたおかげで無事脱出に成功した。宗谷のマストには「救援を感謝する」との信号旗が翻り、両船のデッキには互いの健闘を称え手を振る乗組員でいっぱいになった。
        • 後日、両船はケープタウンで再会し、乗組員や研究員達と意見交換を行い、交流を深めた。
    • ケープタウン沖にて再び暴風雨に遭遇、69度という大傾斜に陥るなどの危機に遭遇するも、4月24日、宗谷は大観衆が埋め尽くす東京・日の出桟橋に無事帰還し、第一次南極観測を終えたのだった。*22
    第2次南極観測 悲劇
    • 第1次観測の栄光から一転、第2次南極観測において悲劇が宗谷を襲う。
      1957年12月23日に氷海に突入した宗谷であったが、厚い氷に囲まれて身動きがとれなくなり1ヶ月間漂流。
      • 46日後何とか氷海から抜け出し、米海軍砕氷艦の支援を受けて再度突入するも、猛烈な暴風雪に襲われ宗谷はスクリューの一翼が根本から千切れるという損傷をおう。悪天候の間隙をぬって救援機を飛ばし、越冬隊と猫、子犬を救出した。
        脱出後、再々突入を敢行し救援機を飛ばせないか模索し続けるも天候がさらに悪化。宗谷は探照灯と電話アンテナをもぎ取られるなどひどく損傷した。
    • 2月24日、観測本部より第2次越冬及び本観測の中止命令が下達され、深く傷ついた宗谷は日本へ舳先を向けた。
      • 15頭の樺太犬が昭和基地に残置され、帰国した観測隊は激しい非難に晒された。*23
        • 帰国を決めた松本船長の訓示を紹介したい。
          「ただ今より、本船は帰路につく。長期にわたってよく目的達成のために続けられた全員の努力に謝す。自然の猛威に妨げられ本観測としての最少の希望をも果たし得なかったのは誠に残念であるが、全員141名は無事本船にあり。乗組員一同は一層注意と努力を傾けて残された海上輸送の万全を期せ」
    第3次南極観測 タロとジロの物語
    • 第2次南極観測の失敗を受け、宗谷は船上観測設備の一新に加え、バカでかいヘリ発着甲板や航空司令室を設置、さらに大型ヘリ収容用のクレーンを増設し、合計5機の航空機を運用する世界初のヘリ搭載護衛艦砕氷航空機母船に生まれ変わる大改装を受けた。
      • 船体の8割以上が変わる大改装を受けた宗谷の姿に、乗組員たちからは「ヘリ空母」「ミニ空母」と呼ばれた。かが「そ、宗谷先輩!お疲れ様です!」
        • 実際の南極においては、20日間で58便にも及ぶ大型ヘリによる輸送飛行を行い、当初の計画の2倍以上になる57トンもの資材と11名の越冬隊の空輸に成功した。
    • 1959年1月14日、昭和基地から約163kmの地点を空輸拠点と定め氷盤に横付けし、氷盤にヘリポートを設置。発進したs-58大型ヘリが、昭和基地上空にてなんと周辺を走り回る2頭の犬を発見*24、後に犬がかりがタロとジロと確認した。
      これを題材とした蔵原惟繕監督、高倉健主演の映画「南極物語」が1983年に公開された。
      • 「南極物語」は邦画として、史上初となる興行収入100億円を突破した名作となった。宗谷の船内も劇中で使用されている。
        • タロとジロ以外の13頭は餓死又は行方不明となった。
          稚内公園の供養塔前にて、南極観測隊で活躍した樺太犬の慰霊祭が執り行われている。
          生きて帰れなかった犬たちのこともどうか、どうか忘れないでほしい。
    第4次南極観測 沖縄寄港
    • 1959年10月31日に日本を出港、1960年1月1日ソ連のオビ号と合流し共同で基地への輸送に当たった。
      1月7日オビ号と別れ、2月6日まで海洋観測と輸送任務を続けた。
      • 帰路の途上、米軍占領下の沖縄に招かれ、4月16日那覇に入港。大歓迎を受け、特に沖縄出身の甲板長はもみくちゃにされた。
        • 帰国後、宗谷は大きなクラックが入ったスペクタルフレームの交換、帰国するタロ用の小屋の新設、1500本もの緩んだリベットの打ち直し等の工事が行われた。
          この整備を通して、宗谷の老朽化が深刻であることが明確になる。
      • 宗谷帰国後、越冬隊は1名の殉職者を出している。*25
    第5次南極観測 ホクホク宗谷さん
    • 宗谷の老朽化とパイロット不足により、南極観測を第6次をもって終了することが決定する。1960年5月14日には、海保観閲式に観閲艦として参加。
    • 1960年11月12日東京を出港、清水タンクへの浸水や急患の発生などがあるも1961年5月4日タロ*26とともに無事帰国。
      • 航海中、宗谷はまぐろ漁船からインドマグロ、捕鯨船から鯨肉の差し入れを貰う。良かったね宗谷さん。
    第6次南極観測 最後の南極
    • 1961年10月30日最後の南極観測に向けて日の出桟橋を出港、観測任務と昭和基地の撤収作業にあたり、1962年4月12日帰国。
      南極観測船としての役目を終えた。
  • 6回の南極観測において、宗谷は100年以上行方不明だったブランペン彗星の再発見に寄与、世界初の電離層の船上観測などなど数多くの功績を残した。また、宗谷と随伴船「海鷹丸」の観測を本に詳細な南極海図が作成され、後継の「ふじ」の初南極航海で大いに役立てられた。
    • 1~6次南極航海の総航程は約144,276海里、総日数1,031日であった。
      ソ連との縁

      ソ連との縁

      • 特務艦ページの小ネタで触れられている通り海軍での先代「宗谷」はロシアの艦、そしてこの「宗谷」は元々ソ連が発注した船、と何かとロシアとソ連に縁のあるこの船であるが、
        何の因果か第一次南極観測の時に救援に駆けつけてくれたのもソ連の南極観測船であり、「オビ」という名であった。
        その時救援してもらってからというもののその後の観測ではソ連の南極観測隊員が宗谷に遊びに来たり、あるときは親善バレーボール大会が日ソ両南極観測隊員によって行われたり、日本人形とか感謝状とかを贈ってみたり*27、更には共同で昭和基地付近へ乗り込んだり、昭和基地のヘリポートをソ連観測隊に貸してあげたり……と、それはもう仲が良くなったようであり、後継のふじ号時代もソ連隊やオビ号とは良い関係だったらしい。*28
        ちなみにであるが宗谷が南極に行っていたころは冷戦真っただ中であり、もちろんソ連と日本も仲がいいわけではなかった。
        そんな世界情勢の中で、敵対関係にある国同士の人々がこんなにも仲良くなれたのも、宗谷が呼んだ奇跡の一つなのかもしれない。
        • しかしオビ号も先代「宗谷」と同じく寂しい最期を迎えることになる。1981年にコルグエフ島でハルクとして使用されたが、嵐によりブグリノ集落の近くにあるラメンカ湾に座礁。
          以降はそのまま放置されて荒廃した姿を晒していたが、2009年冬に引き揚げられてアルハンゲリスクに曳航され、2010年春に同地で解体された。

北洋の守護神、宗谷

  • 南極観測任務から離れた宗谷は観測用の機材等を下ろし、奇跡の秋刀魚漁ならぬサケ・マス漁業監視のため、アラートオレンジ塗装のまま巡視船(PL107)として北海道第一管区釧路海上保安部にて任務についた。
    当時、過酷な冬の北洋で満足に救助活動を行える巡視船は存在せず、高い砕氷能力を持った宗谷は大いに期待された。
    • 北洋では、主に流氷に閉じ込められた船舶の救出に活躍。
      煙突から火柱を噴き上げ、厚い氷を砕いて助けに駆けつける宗谷は、さぞかし頼もしく見えたことだろう。
      • 海上保安庁最大の船であったことから、海洋少年団の体験航海・各地の慰霊・遺骨収集等に、しばしばピンチヒッターとして使用された。
        父島・母島及び硫黄島には小笠原返還まで元島民を乗せて毎年赴いた。
1960年代の活動
  • 1963年5月13日より、米、英、仏、ソ連、タイの大使館付海軍武官夫妻、運輸大臣、海上保安庁長官を乗せ、巡視船「もがみ」を従えて伊勢湾での観閲式に観閲船として参加した。
  • 観測用資機材の撤去後、8月1日より第三管区海上保安本部所属になり北洋へ旅立つ。
    監視任務を終えた後、24日に燈台補給船時代最後の船長が待つ函館に入港。彼は当地の保安部長になっており、全巡視船が参加しての宗谷のための観艦式が開かれた。そして息をつく暇もなく、同日午後11時東京湾に向け緊急出動した。
    • 巡視船としての最初の仕事となる、噴火した三宅島からの島民避難の任務であった。乗せた避難民は児童がほとんどで南極観測船宗谷に乗れると大喜びだったとか。
      • このとき同じく旧帝国海軍艦艇である護衛艦「わかば」*29も避難作戦に参加している。
  • 1964年2月、南極観測船「ふじ」の初代艦長を乗せ、オホーツク海での氷海航海訓練を行った。
    4月には紋別港沖で救助活動中、流氷に閉じ込められた巡視船「てんりゅう」を救出した。
    • 北洋での宗谷は、流氷観測に前進哨戒、医療哨戒、毎年の観閲式、海峡の巡視、そこに体験航海や遺骨収集、緊急の救助活動などをこなし北へ南へ駆けずり回った。もうおばあちゃんだぞいい加減にしろ
1970年代の活動
  • 1970年3月16日、カムチャツカ方面を哨戒中の宗谷に「単冠湾へ急行せよ」との緊急指令が入る。
    • 単冠湾にて19隻もの漁船が遭難、乗組員30名が死亡または行方不明となる史上最大の流氷遭難事故が発生。宗谷は流氷を押しのけて現場に急行し、11日間の捜索救難活動を実施した後、長い汽笛と黙祷を捧げて現場を離れた。
      • この頃から漁民から「北洋の守り神」「福音の使者」の異名を頂戴するようになる。
    • 同年4月、東京にて整備を行い、同時にアラートオレンジから巡視船カラーに塗り直される。
  • 1972年3月7日、宗谷湾に大量の流氷が漂着、閉じ込められた多数の船舶を助け出すため出動する。
    • 午前9時流氷群に突入、700mまで進んだところで厚さ2m以上の氷盤にはばまれ、いったん外海に脱出した。午後再突入を敢行、煙突から火柱を吹き上げて何度も氷に体当たりし、ついに午後4時湾内への航路の啓開に成功した。底引漁船や貨物船16隻、半底引漁船3隻、翌8日湾外の北防波堤付近の貨物船2隻の外海誘導を行った。チャージングGO!
  • 1975年8月、遺族を乗せて「対馬丸」海上慰霊祭にも参加している。
    • 宗谷と対馬丸は戦時中に東松第二船団に属していたことがある。
  • 1978年3月、稚内港に閉じ込められた漁船41隻のため、流氷群を砕氷し航路を切り開いた。
    同月、「ふじ」の退役に伴う新型南極観測船*30計画及び宗谷の後継となる新型巡視船建造*31に関する砕氷実験に従事する。
    • 5月、海上保安庁創立三十周年の観閲式に観閲船として参加。
  • 竣工から40年以上が経過した1978年7月3日、ついに宗谷の解役が決定した。
    • 巡視船時代の海難救助出動は350件以上、救助した船125隻、救助した人命は1000名以上の実績を挙げ、北海道の漁業者の彼女への信頼は絶大なものがあった。

不可能を可能にした、奇跡の船「宗谷」

  • 最後の任務として海上保安学校生の実習を兼ねて、全国14ヶ所の港を巡るサヨナラ航海を行った。
    9月5日、保存先が船の科学館に決定する。*32
    • 長年、北洋の守護神として活動した宗谷を間近で見てきた稚内の人々の陳情により、9月23日サヨナラ航海番外編として稚内港に入港。24日の一般公開には、11,000人の人々が見学に訪れた。
      • 9月28日、「UW1(ご幸福を)」の国際信号旗を掲げ、長年の母港であった函館港を後にした。
  • 10月2日、竹芝桟橋にて満船飾で着飾った宗谷の解役式が行われた。歴代の海上保安庁長官や宗谷の歴代船長を始め南極観測隊員として乗り組んだ者など宗谷にゆかりある人たちが見守る中、国歌とともにマストから国旗、海上保安庁庁旗、長官旗がおろされ海上保安庁長官に返納された。
    これをもって、彼女は長い長い旅路を終えたのだった。

昭和の生き証人、宗谷

  • 1979年5月1日より一般公開を開始。この時はまだ巡視船カラーのままだった。
  • 1982年の修復工事に伴いアラートオレンジへ塗り替え、船名表示やヘリ甲板標識等が南極観測当時の姿へ復元された。
    • 11月25日、最後の南極行に旅立つ「ふじ」を汽笛を鳴らして見送った。
  • 2007年末より大規模整備工事を実施。翌年2月16日には宗谷の戦友会「軍艦宗谷会」を中心に古希祭が行われた。宗谷の建造や改造に関わった者、地領丸、特務艦、復員船、灯台補給船、南極観測船、巡視船時代など多くの関係者が集まった。
    • 2018年には進水から80年を記念して、宗谷は満船飾を行った。令和6年現在、宗谷は86歳を迎えている。*33
      • 姉妹をはじめ多くの死を見届け、多くの命を救い、多くの人々に希望と勇気をもたらした奇跡の船は、壮大な大航海の記憶をいつまでも語り継いでいくことだろう。
        偉大な宗谷よ、さようなら。いつの日か又、会いにくる。
  • 解役よもやま話
    • この年の紅白歌合戦ではさよなら宗谷という曲が歌われている。
    • この年のゆく年くる年では後継のそうやの新年の出港式の様子が生中継されている。
    • その後、宗谷はお台場にある船の科学館にて展示・保存されており、また、現在でも海上保安庁特殊救難隊の特殊訓練場として使用されている。
    • 展示開始にあたり当時の船の科学館館長から送られたのが「不可能を可能にする奇跡の船」の名前である。
    • 南極観測船「しらせ(Ⅱ)」の出港地が東京晴海だった場合は宗谷の前を通過する際に汽笛を鳴らして見送ることもある。
      • 晴海埠頭の客船ターミナル閉鎖後の2022年はしらせの出航地は晴海に代わる客船ターミナルである東京国際クルーズターミナルとなったが、奇しくも同施設は船の科学館に近接する海上という立地である。すなわち宗谷は後輩が南極に出発するのを目の前で見送る事が出来るようになったのである。といっても実際には宗谷としらせの間にはターミナルの建物がそびえているので全貌までは見えないのだが。
    • 船の科学館は1974年7月開館時にゲスト船として宗谷を招いている縁のある所でもある。
  • 宗谷にまつわる小話

    宗谷にまつわる小話

    • 今の海上保安庁には名実ともに宗谷の後継となるヘリコプター搭載型大型巡視船「そうや」(PLH-01)がいるのだが(第一管区海上保安本部釧路海上保安部所属)、この巡視船そうやは1978年進水・竣工であり、2010年に近代化改修され、2019年3月に「宗谷」の運用期間約40年4か月を超え今も現役である。海保初のヘリコプター運用能力を有する巡視船として建造され、先代と同じく砕氷船として北の海を守り、更には海保最古参にして海保船の最長運用期間を、いま提督諸君がこうして記事を読んでいる瞬間も更新し続けている。(だがしかしそろそろ三代目*34を作って交代させてあげてもいいのではないだろうか)
      • 2021年度海上保安庁関係補正予算にて、「そうや」の代替となるヘリコプター搭載型巡視船(砕氷型)1隻の建造がようやく盛り込まれた。2025年度の就役が予定されている。
    • 2024年8月30日、ようやくそうやの代船となる、名跡としては四代目(海保では三代目でひらがな表記では二代目、とややこしい)のPLH01そうやがJMU鶴見にて進水、令和7年度の引き渡しを目指して工事が進められている。
    • 一方、海上自衛隊においては1971年に宗谷の名前を受け継いだ機雷敷設艦「そうや」(MMC-951)が竣工し、先代宗谷と名前と活動期間がかぶるという極めて例外的なケースが生じた。
      機雷敷設艦「そうや」は第2掃海隊群の旗艦を務め、1996年に退役した。なお、以降は専用の機雷敷設艦は建造されず、機雷敷設能力は代艦となったうらが型掃海母艦に統合されている。
    • 戦後の宗谷関係者にも元叢雲乗組員や元瑞鶴乗組員など、艦娘になった軍艦の元乗組員が多数いる。
      • 副隊長を務めた村山雅美氏は戦時中は「長門」「瑞鶴」に乗艦した経験がある。*35船内新聞である「南極新聞」の編集者である朝比奈菊雄氏は戦時中は医療班として「扶桑」に乗艦していた。第三次観測時にタロとジロを発見した大塚正雄氏は「榛名」に搭乗し、ミッドウェー海戦に参加している。
      • 南極観測船としての後継「ふじ」の初代艦長となった本多敏治氏はふじ艦長内定が決まった直後の1964年2月に当時巡視船となっていた宗谷に乗りオホーツク海で氷海航行訓練を行い、氷海航行術を学んだ。*36
        その後、ふじ最初の仕事である第七次南極観測で、本多氏率いるふじ乗組員は宗谷の果たせなかった昭和基地接岸を成し遂げる。
        宗谷の成し遂げられなかったことをふじが成し遂げ、そしてそれを成し遂げた艦長は宗谷で氷海航行術を学んだ元叢雲乗組員、というそんな少しアツくなるお話。
    • ちなみに解役式には海上保安庁長官も出席したが、長官自らが解役式に出席したのは今のところ宗谷だけである。
      • 「船の科学館」は開館から50年を経て老朽化が進行している事から、2024年以降本館の解体が開始される事となった。これに先立ち公開を続けていた別館展示場が同年1月28日をもって閉館、一部館外展示も解体される事となった。ただし建物こそなくなるものの博物館活動は教育普及活動を中心に継続しており、今後リニューアルする計画も存在している。なお「宗谷」については展示場の公開終了後も引き続き展示公開が行われている。
    • 宗谷が第六次南極観測に出向いていた1961年、かつて宗谷を建造した川南工業で社長の川南豊作や同社の主要な幹部が政府要人暗殺による国粋主義クーデター計画を主導したとして逮捕される「三無事件」が発生。
      川南工業は戦時中に戦時標準船を多数建造したが、艦船の設計能力に乏しかったために戦後の造船市場に打って出れず休眠状態となっており、一度破産宣告をうけて何とか企業活動を再開したところにこの事件が発生したわけである。
      その後会社は昭和重工と改称して再出発を図ろうとしたが、結局この事件が後を引いて71年に破産したのであった。
      • 宗谷を建造した香焼島造船所は1967年に三菱重工に売却されて三菱長崎造船所の香焼工場となり、規模も大幅に拡張されたが、2022年までに建造部門が大島造船所に売却されるとの事である。
    • ちなみに宗谷は南極観測船時代に船内で発行された船内新聞「南極新聞」で擬人化されている。ある意味元祖艦娘でもある宗谷さん……いったい何者なんだ
    • 日本国の通貨(¥円)に刻印された・・・・・南極地域観測50周年記念500円硬貨(平成19年1月23日、流通枚数660万枚-33億円)
    • 日本国の切手になった・・・・・・・・・・・・・・国際地球観測年記念10円切手(昭和32年7月1日発行)、南極観測地域観測50周年記念切手セット(平成19年1月23日〉、南極観測地域観測60周年記念切手シート
    • 功績を評価されて世界共通の地名となった・・・・・宗谷海岸(プリンス・ハラルド海岸のうち東経39度35分以南)
    • 大和型等々の大型艦にラムネ製造機が載せられていたことは有名だが、こちらには豆腐製造機が積まれていた。そんなに豆腐が食べたいのかさらには酷熱の赤道地帯をしのぐため米軍艦並みにアイスクリーム製造機も積んでいた。
    • タロとジロのほかに、三毛猫のたけしも当時乗船していた。昔から船に猫を乗せる風習はあるが、後にも先にも日本から南極に行った猫はたけしだけであろう。国立極地研究所のアーカイブに詳細が記されている。かわいい。
    • 現在博物館船として海上に浮かんでいる宗谷は、船として建築基準法が適用された最初の船でもある……のだが、実際には建築基準法第二章で定められている各種規定を満たしている訳ではない。
      • そもそも建築基準法は陸上の建築物への適用を前提としており、当然海上を航行する船舶など最初から考慮されている訳がなかった。そのため保存船として係留されている船舶などの「海洋建築物」には建築基準法の規定から外れた存在が相当数存在するのである。宗谷以前に保存船として係留公開されていた船舶については特段法的な規制を受けてこなかったのだが、初代南極観測船として著名な宗谷が不特定多数の見学者を迎え入れる博物館船として公開されるとなると、さすがにそうも言っていられなくなってしまったのである。
      • 幸い建築基準法には、既存の規定では対応できないような工法・建材を用いた建築物に対し第三者機関による試験のもと担当省庁の大臣が個別に使用を認可する仕組み、いわゆる「38条認定」*37*38があった。船の科学館ではこれを利用して宗谷に建築基準法を適用する事とし、財団法人日本建築センターの評定のもと、無事に建設大臣(当時)から建築基準法適合相当と認定されたのであった。
        • なお、それまで「船舶保存のための照合作業」など行われていなかった事もあって日本建築センターによる評定は相当てこずったらしく、1979年5月1日に始まった宗谷の一般公開までには終わらなかった。その結果、一般公開開始当初は船内の見学ができず、辛うじて前甲板とヘリ甲板だけ見学が可能という状態であった(船内の公開開始は一般公開が始まって1年以上経った1980年7月20日から)。
        • その後、1985年に宗谷の後継南極観測船となった砕氷艦「ふじ」が名古屋港ガーデンふ頭で係留公開を開始されたりするなど海洋建築物が増加するようになると、評定審査の迅速化のため統一基準の制定が求められるようになった。こうした事もあり、宗谷の一般公開開始から21年が経った1990年に日本建築センターにより「海洋建築物安全性評価指針」が策定されている。
    • 今の二代目しらせだと滅多にないが宗谷は度々南極で氷に囲まれ身動きが取れなくなることがあった。
    • 1979年5月1日からお台場にある船の科学館に保存されており、艦これに実装されている日本の艦娘として唯一の現存艦でもある。
    • 当然ながら南極観測を題材にしたドキュメンタリーや作品の多く(高倉健主演の『南極物語』・木村拓哉主演の『南極大陸』等)に登場することが多いが、宗谷の遍歴そのものをアニメ化した『宗谷物語』というアニメ*39がある。現在はAmazonプライムで視聴可能だが、主題歌とED曲の制作にあの横浜銀蝿がガッツリ関わっている。単独主人公の作品と有名アーティストの手によるテーマ曲持ちなのもやはり彼女だけ。
      • ふじや25回中24回着岸に成功した初代しらせが着岸に失敗した年におこなっているので南極観測船の伝統ともいえる。
      • ボイスで「いざとなれば……」と言っているのは前者が由来だと思われる。なら竹竿絡みで云々も欲しいところ
    • 家具「チャージング航行の床」にダイナマイトが置かれている。執務室に、それもあろうことかタロとジロのすぐそばに火を近づけなければ大丈夫…なはず

この艦娘についてのコメント

  • この子南極でゴジラ見たことあるらしい(当時艦長だった松本満次が自著した『南極輸送記』より) -- 2023-10-22 (日) 04:50:53
  • もしかして宗谷のハロウィンって専用ボイスだったりします?(戦闘昼戦開始ボイス) -- 2023-10-31 (火) 02:22:45
    • ハロウィン宗谷のしっぽ・・・二股なんだけど、これもしかして、あらし、たけしなのでは? -- 2023-11-14 (火) 19:56:43
  • 新クリスマス家具で走り回ってるタロジロ見てると、暖かい暖炉とみんながいる鎮守府で元気に可愛がられて過ごして欲しいと願ってしまう。 -- 2023-11-28 (火) 22:09:04
    • 「南極観測船」でそれは…… にっこり&じんわり ですよね -- 2023-11-29 (水) 06:51:37
    • 応挙みたいなわんこ連れてきやがって、どこまでほっこりさせるつもりだ! -- 2023-11-30 (木) 01:56:08
  • 不意打ちに定評のある運営…大好きです!! -- 2023-12-04 (月) 23:24:53
  • わがバカ狭い史...歴史に名を残した日本3大名犬、タロ・ジロ・ハチ公(異論、受けて立つ!) -- 2024-02-17 (土) 19:53:48
  • E4-4、その高い運を買って旗艦抜擢、煙幕改×2、煙幕★MAXで削りからボス撃破まで100%三重煙幕を展開してVマス突破に貢献、ボスにもソナーで割合ダメージを与えるなど自分としてはイベントクリアのMVPに彼女を推したいです。あとクリア後、味方がことごとく中大破する中、旗艦とはいえ彼女だけ無傷だった… -- 2024-03-18 (月) 02:42:47
  • Lv60に到達したので晴れて南極1号に改造!何だか感慨深いものがある。(昭和世代ならではかな… 因みにアレの世話になったことはない!) -- 2024-03-22 (金) 08:09:05
    • 「南極1号」....何となくヒワイな響きしか聞こえぬ。(現在は”ラブドール”と呼ぶそうな。提督諸氏中、タイプ・メーカー問わず持っているかたはソッコウ挙手せよ!!) -- 2024-03-24 (日) 20:18:49
  • 5-2-レベリングでLv11からようやくLv60で改装でけたぜ…。 -- 2024-05-12 (日) 13:32:22
  • バルジ1枚でエリレの先制雷撃、無傷で受け止めて草(不可能を可能に… -- 2024-06-16 (日) 16:27:10
  • なんか5-5で活躍するっていうけどほんとなん?自分はいつも大和武蔵+最上矢矧+駆逐2(大抵はフレッチャーに雪風か時雨)にしてるんだがこっちよりも宗谷入れたほうが断然いいんかね?宗谷事態演習にしか出してなくてイベント以外じゃ1回も使ったことないんだが…たしかにカッチカチにはなるだろうけどそんなに道中安定するもんなん? -- 2024-06-18 (火) 08:59:46
    • 5-5で活躍するするのは本当。そのカッチカチで生き残る。宗谷を育成する目的の面白い編成との個人評価。大和武蔵+最上矢矧+駆逐2中央下と比べて、空母と連携して制空を取りやすく、その分道中を安定させやすい。ただし大和武蔵空母が被弾してタッチが望めない場合、夜戦でのボス撃破(主にダブれ編成)の希望はない、昼一発勝負。参考例:めもおふ杯 -- 2024-06-18 (火) 09:35:40
    • カッチカチって言っても5-5に連れて行く場合の構成は大バルジ3つ~4つ積んでの評価だから、それらを積まない場合はさすがに軽巡未満駆逐以上の装甲しか持たない補助艦艇でしかない。ただそれらで武装した場合の南極宗谷はマジで不沈の補助艦艇となる。葉1氏の言うように空母と連携することの意義は大和型2隻に徹甲弾補正が最強になる装備を載せられるようになるから(水戦載せなくて良くなる)。この関係で大和改二重に夜瑞雲を積んで初手対潜の敗北防止、ボスで特殊砲撃不発の保険の夜瑞雲CIなんてことも -- 2024-06-18 (火) 11:25:41
    • 補給艦ルートになるので、制空も取れるようになるし
      ウチは大和武蔵加賀雪風時雨宗谷で固定になってしまった
      駆逐の片方は秋月型でも良いと思う -- 2024-06-18 (火) 11:44:28
    • 中央下ルート道中で厄介なヲ改・フラヌ・エリツ・フラチ辺りを弾着と戦爆CIで大分安定して処理できるようになるのが大きい。特にヲ改は大和型の単発砲撃を耐えてくることも多いしね -- 2024-06-18 (火) 13:38:37
    • 最上矢矧編成は、全員夜戦フィニッシャーにもできるからタッチで敵減らしつつ夜戦で決着する編成。補給艦編成は、航空優勢取ってやまむさの弾着とかで昼に大勢を決する編成。だから取るルートは同じでも戦闘の流れはだいぶ違うし好みの差もあるってのは前提。その上で、補給艦編成を選ぶ場合、宗谷は(制空補助できない代わりに)補給艦内でダントツに固いって利点がある -- 2024-06-18 (火) 15:16:45
    • 最近は煙幕積んでることも多い。意外に1マス目の被害多いんだよね -- 2024-11-01 (金) 18:08:06
  • 果たして、彼女は電気ウナギの夢を見るのだろうか?(考えだしたら夜も眠れなくなる) -- 2024-06-19 (水) 19:29:42
    • 単品ならわかるネタだけど、ロイテルちゃんがおるからそっちに引っ張られてなにか物足りない -- 2024-06-19 (水) 20:15:17
      • 木 そうか、そっちだとタイトルそのままになる罠(こりゃあ~一本取られちまったぜ) -- 2024-06-19 (水) 20:18:13
  • 本日PLH01そうや進水。三代目が来年配備になります -- 2024-09-02 (月) 22:58:53
    • 楽しみじゃのう、名前はまた「そうや」になりそうや -- 2024-09-03 (火) 06:53:30
  • ちなみに、第一回の航海時に幻の流星群といわれた、ほうおう座流星群に遭遇している。 -- 2024-10-16 (水) 20:46:00
  • チャージング・ゴー! チャージング・ゴー! 南極マシーン、弁天丸~ -- 2024-11-01 (金) 17:59:49
  • また今年も宗谷がスキャンプを箱詰めしてしまう時期になってしまった -- 2024-12-05 (木) 18:35:33

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*1 宗谷→宗谷(灯台補給船)→宗谷(南極観測船)→宗谷…の順にコンバートできる
*2 母港ボイスは各艦娘につき3つ割り当てられています。「詳細」ボイスは編成画面の「詳細」ボタンをクリックすることで聞くことが出来るボイスです。母港画面でも聞くことが出来ます。「母港3」ボイスは「母港画面でのクリック」もしくは「母港画面への遷移」でのみ聞くことが出来る、いわゆる「提督お触りボイス」です。編成画面での「詳細」ボタンでは聞くことが出来ません
*3 4つの基本ボイス(昼戦開始・昼戦攻撃・夜戦開始・夜戦攻撃)がありますが、各ボイスはその他の色々な場面でも使われます。各ボイスをどのフェーズ(航空戦/開幕雷撃/先制対潜/昼戦攻撃/各種CI...など)に割り当てるかは艦娘によって異なり、例えば開戦ボイスを攻撃でも使ったり、夜戦攻撃ボイスを昼戦でも使ったりします)
*4 「小破」ボイスの2つ目と戦闘撤退時の「旗艦大破」ボイスは共用化されています
*5 「小破」ボイスの2つ目と戦闘撤退時の「旗艦大破」ボイスは共用化されています
*6 装備ボイスは3ボイスありますが、改修/改造ボイスと共用化されています。また、ボイス3は「改修/改造」「開発」「バケツによる即時修復」「遠征出撃」「アイテム発見」ボイスと共用化されています
*7 南極観測船からコンバート時は60 +建5
*8 当の第112号海防艦は宗谷丸に迫る魚雷を発見してその盾となり被雷。艦尾の爆雷投下軌条直下に命中した魚雷により大爆発を起こした同艦は10分で沈没。その後占守以下救助部隊が到着して生存者捜索に当たったが、救助できたのはわずか4名。艦長の石渡俊一郎少佐以下乗員200名が戦死した。
*9 かの大和設計メンバーの一人である。当時の牧野氏は「不沈艦」を目指して設計した大和型が沈んでしまったのは自分の設計が悪かったせいなのでは?という考えを持っていた。そんな中舞い込んできたわが国初の南極観測船を改造するための図面を書いてほしいという依頼。その時氏は「次こそは沈まぬ船を作ってやろう」という決意を胸に図面を書き上げた。
*10 旧帝国海軍の残党技術者を中心に、警備艦(護衛艦)の設計を目的に組織された運輸省所轄の財団法人、という体裁をした実質的には保安庁(後の防衛庁)の外郭組織。戦後初の国産護衛艦(昭和28年度甲型警備艦1601号艦「はるかぜ」)をはじめ初期の護衛艦設計を担い、自衛隊艦船設計の基礎を築いた。1958年に解散したが、多くの人員が防衛庁技術研究所に吸収された。
*11 ドイツから輸入された。
*12 ニチレイフーズが開発を担当。茶わん蒸しやウナギ、ほうれん草など約70種類が開発され、11トンの冷凍食品が宗谷に積み込まれた。これが日本に冷凍食品が普及する大きなきっかけとなる。
*13 箱詰めされた冷凍食品の中には、女優プロマイドも同封された。
*14 彼女もまた、数奇な運命を辿った船であった。1897年デンマークにて救難汽船「ヘラクーレス」として完成し、1905年5月に旅順周辺の沈船を引き揚げるため帝国海軍が買い上げた。日本海海戦の10日前に日本に到着し、以降帝国海軍にてシベリア出兵や昭和天皇即位の大礼に参加しつつも終戦まで残存。引揚業務後、海保にて巡視、救難任務にあたるも晩年は練習船として活動し昭和30年3月に57年の生涯を終えた。
*15 昭和19年11月20日、雑役船「三浦」として進水、横須賀港務部に配属。終戦時残存し、除籍後は運輸省、海上保安庁に移管されみうら級巡視船となり、主に函館小樽方面で活動、昭和42年に解役された。
*16 この幸運は二度はなく、第二次では悪天候により基地から200キロ以上離れた地点までしか接近できず、宗谷による南極観測終了まで100キロ以内まで近づけることはなかった。
*17 ちなみに接近困難な場所にできた昭和基地周辺には南極では貴重な地面があり、近くの氷河からは隕石が大量に発掘されるなど、科学的にも良い場所ではあった。
*18 50年後の2006年、この流星群の正体は100年近く行方不明だったブランペン彗星であることが判明する
*19 実は、本来南極観測は2次で終了する予定であり、基地もそれにともない閉鎖されるはずだったが、何やかんやで現在まで日本南極観測の本拠地として使用されている。
*20 どこが日の丸を掲げた場所か、後に分からなくなっていた。50年後の2007年、第48次南極観測隊が1次観測隊が日の丸を掲げた竹竿と固定した岩を発見した。
*21 オビ号とはこの後も親交が続く。というか南極に行くたびに宗谷とオビ号はイチャイチャしている。この関係は「ふじ」になっても続き、東西冷戦の最中ではあったが、お互い言葉が通じないにも関わらずウオッカによる日ソ交流が育まれた。そんなオビ号だったが、離島に放置された挙句に2010年ごろひっそり解体されるという少々寂しい最期を迎えた。
*22 随伴船「海鷹丸」に加え、元海防艦鵜来の巡視船「さつま」も宗谷を出迎えた。
*23 隊員の一人は「最後のヘリで基地に自分を連れて行って、そこで犬と一緒に自分も置き去りにしてくれ」と要望したが当然のごとく却下された。隊員たちは何の努力も、何の苦しみもなく置き去りにしたというわけでは断じて無い。
*24 発見時のパイロットだった里野光五郎機長は、1966年にかつての宗谷搭載機S-58ヘリMH-201号機で全日空羽田沖墜落事故における遺体捜索中、エンジントラブルにより墜落、殉職された。
*25 1960年10月10日、地球物理学者の福島隊員が遭難、17日に死亡認定された。当時、基地は視界がゼロになるほどの強烈なブリザードに襲われていた。犬の餌やりのため外出したところ転倒してしまい、位置を見失ってしまったと思われる。8年後、基地から4.2キロも離れたところで発見、荼毘に付され、日本と南極両地で眠っている。現在のところ彼が日本観測隊唯一の殉職者であり、今後もそうであることを祈る。合掌。
*26 残念ながらジロは4次越冬中の1960年7月9日、故国の地を踏むことなく昭和基地で病死した。
*27 ちなみに日本隊がソ連隊へ送った品々は今もロシアに残っている
*28 1970年2月25日にふじが右スクリューを全損しビセットされた時には、フリーマントルから救援にきてくれたがオビの能力を持ってもどうにもならなかったが、氷状が好転したら再救援にくることを約束して別れた。
*29 元帝国海軍 橘型駆逐艦「梨」。伊予灘で空襲により轟沈。戦後引きあげられ、スクラップされるところを防衛庁が買い取り、護衛艦として再就役したというこちらもこちらでわけのわからん艦歴の持ち主
*30 のちの南極観測船「初代・しらせ」
*31 現ヘリコプター搭載型大型巡視船「そうや」[PLH-01]
*32 初代船の科学館館長により、「不可能を可能にした、奇跡の船」と評される。
*33 11月8日には第1回南極観測を記念して満船飾を行っている。皆んな宗谷さんをお祝いしに行くのだ
*34 日本海軍のご初代から数えたら四代目
*35 1968年12月19日、第9次越冬隊が日本人として初めて南極点に到達した時の隊長。瑞鶴・翔鶴が好きで南極点に到達した時の雪上車に瑞鶴・翔鶴と名付けていたり、宗谷の後継の南極観測船名に宗谷の名が継げないなら瑞鶴か翔鶴と名付けようと発言していたりする。
*36 南極観測の再開があと一年遅ければ宗谷とふじで合同氷海航行訓練できただろうとふじ航海記に書かれている。
*37 「この章の規定及びこれに基づく命令の規定は、その予想しない特殊の構造方法又は建築材料を用いる建築物については、国土交通大臣がその構造方法又は建築材料がこれらの規定に適合するものと同等以上の効力があると認める場合においては、適用しない。」(建築基準法第三十八条、令和3年改正時点の条文より引用)
*38 38条認定の仕組みは、2000年に建築基準法の規定を「仕様規定」ベースから「性能規定」ベースに移行したタイミングでいったんは削除されたが、様々な不都合があった事から2015年に復活している。
*39 一部で有名なロボットアニメ「J9シリーズ」の後番組で、J9シリーズのスタッフがそのまま手がけている作品だったりする。