宗谷(南極観測船)

Cached: 2021-12-05 04:55:52 Last-modified: 2021-12-04 (土) 08:14:38
No.450
宗谷(そうや)PL107 南極観測船
艦船ステータス(初期値/最大値)
耐久26火力0 / 1
装甲-- / 62雷装0
回避27 / 88対空0
搭載6対潜0 / 4
速力低速索敵16 / 32
射程77 / 155
最大消費量
燃料25弾薬5
搭載装備
1未装備
2未装備
3未装備
装備不可
改造チャート
宗谷
宗谷(灯台補給船)(Lv60+高速建造材×5+開発資材×5)
宗谷(南極観測船)(Lv60+高速建造材×10+開発資材×20)
宗谷(Lv60+高速建造材×5)*1
図鑑説明
耐氷型貨物船として生まれた宗谷です。
海軍特務艦として、MI作戦などの様々な作戦に参加、激戦のソロモン方面へも展開。
測量や揚陸、輸送などの任務に就きました。
戦後は、皆さんの帰還、そして灯台補給船。
さらに大改装され、南極観測船として、昭和という時代と、その海を駆け抜けました。

※初期値はLvや近代化改修の補正を除いた時の数値であり、最大値はLv99の時の最大値を指します。

CV:タニベユミ、イラストレーター:しばふ (クリックするとセリフ一覧が開きます)

CV:タニベユミ、イラストレーター:しばふ

定型ボイス一覧

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追加
入手/ログイン特務艦、宗谷です。提督、お逢いできて、光栄です。
戦闘艦ではありませんが、私…精一杯、働きます!
どうぞよろしく、お願いします!
××編集
灯台補給船、宗谷です。
はい、原則として武装はできませんが、様々なものを運ぶことはできます。
私、今日も精一杯働きます。
××編集
南極観測船、宗谷です。
はい、このオレンジと白のユニフォーム素敵ですよね?かなり改装されました。
私、南極への旅も、精一杯働きます!
××編集
母港*2編集
母港1詳細測量ですか? 輸送ですか? ……やります!××編集
灯台の補給ですか?お任せください。……やります!××編集
南極ですね? お任せください! もちろん!××編集
母港2奇跡の船、ですか? ……いえ、いえいえ! ……そんな……。××編集
海の守り神、ですか?……いえ、そんな……。働くだけです!××編集
不可能を可能にする船? いえっ、精一杯頑張るだけです!××編集
母港3はい、昭和という時代を、精一杯、働きました。
元々は……外国から発注されたんですが、色々あって、横須賀鎮守府所属となりました。
激戦のソロモンにも、行きました。
××編集
はい、昭和という時代を、精一杯、働きました。
海のサンタクロース? ……いえいえ! でも、運びますよ。皆さんのために!
××編集
はい、昭和という時代を、精一杯働きました。
昭和基地、チャージング、氷の爆破、……幾多の南極観測隊、何もかも、皆懐かしいですね……。
令和の時代の静かなお台場も、いいものです。
××編集
ケッコンカッコカリ 編集
ケッコン後母港 編集
放置時そうですね、サイパン、トラック、そして、ラバウル。
あの激戦のソロモン諸島で、強行測量や揚陸なども、行いました。
母港は横須賀だったんですけど……いろいろな所に、行きましたね。
今考えると……無事に帰ってこれたのは、確かに……奇跡、かも。
××編集
灯台補給船は大事な仕事でした。
全国各地の大切な灯台を守る灯台守の皆さんに、生活物資や補給物資をお送りしました。
そうですね、ひ……いえ、海のサンタクロース、と呼ばれたこともありました。
大切なお仕事、でした。
××編集
チャージング航行?懐かしい。まだ、行けるかしら…?
今は、ラミング航行っていうの?融雪用散水装置?……便利なものがあるのですね。
…いえっ、大丈夫。最悪、爆破で進めば……えぇ?強引すぎます?
××編集
編成出撃編集
編成特務艦宗谷、抜錨、します!××編集
巡視船宗谷、抜錨、します!××編集
宗谷、出港! 必ずやり遂げて……戻りますね。××編集
出撃特務艦宗谷、抜錨、します!××編集
巡視船宗谷、抜錨、します!××編集
宗谷、出港! 必ずやり遂げて……戻りますね。××編集
雑用運送艦宗谷、出港、します!××編集
灯台補給船宗谷、出航、します!××編集
南極観測船宗谷、出発します!××編集
開戦・攻撃*3編集
戦闘1昼戦開始皆さん、ご注意を。警戒を厳に!前半部は小声編集
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戦闘2昼戦攻撃や、やるしか……ありません!編集
……ど、どうしましょう!?編集
戦闘3夜戦開始よ、夜ですか? 危険では……は、はい、了解。編集
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戦闘4夜戦攻撃よく狙って、てぇーっ!×編集
編集
戦闘時ステータス*4編集
小破あっ!?編集
……ふ、不発。本当に……よかった。××編集
……ん!?なにかぶつかったの?行ける?問題ない?×編集
中破/大破ああああっ! ……宗谷は、沈まない。……だって、 令和の時代へ……。編集
轟沈うそ……うそ、です。……私、沈むん……ですか? うそ……編集
戦闘終了*5編集
勝利MVPうそ……私、ですか? そんなことって……すみません。×編集
静かな海…。この時代のお台場もいいものですね。××編集
旗艦大破……ふ、不発。本当に……よかった。××編集
……ん!? なにかぶつかったの? 行ける? 問題ない?×編集
装備・改修*6編集
装備1改修/改造はい。私、元々は、民間の耐氷型貨物船ですから。×編集
回転翼機、ヘリ、いけます!そのための改装も、万全です!××編集
装備2了解しました、運用してみます。編集
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装備3改修/改造/開発/バケツ/遠征/発見参りましょう。編集
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その他編集
帰投無事、戻ることが出来ました。皆さんのおかげです。編集
補給……ありがとう。また、行けますね。編集
入渠(小破以下)すみません。少し、修繕を。編集
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入渠(中破以上)申し訳、ありません。ドック入り……お許しください。編集
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建造完了素敵な、船。……おめでとう。編集
戦績表示情報をまとめます。……こちら、ですね。編集

各ボイス項目の詳しい説明はこちらをご覧ください


時報ボイス一覧


季節ボイス一覧


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追加
桃の節句編集
春の訪れ編集
ホワイトデー編集
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春本番編集
梅雨梅雨の雨……日本の四季、私、好きです。
……え。……そう、ですね。昭和基地では雨は本当に珍しいんですよ。
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はい、内地では、勿論雨も想定済み。提督、濡れます。こちらに。編集
初夏暑く……なってきましたね。お台場も、夏は日差しが厳しいですね。
……夏服でも、いいかもしれませんね。
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宗谷、夏服にしてみました。どうでしょうか。
北方や極地でなければ、この格好でもいいかもしれませんね。涼しいし。
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盛夏編集
夏祭り編集
くんくんくんくん……いい匂い。秋祭りですか? いいですね、どれも美味しそう。
屋台って、独特のドキドキ感、ありますね。
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秋刀魚秋刀魚。秋刀魚漁の支援……ですか? 了解しました。北方の海、私も得意分野です! お任せください!編集
奇跡の秋刀魚漁、宗谷も尽力、します!編集
晩秋編集
ハロウィン編集
秋のワイン編集
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師走編集
クリスマス編集
年末編集
新年編集
節分編集
バレンタイン編集

八周年記念編集



イベント名編集


内容編集


ゲームにおいて

  • Lv60で改造可能。
  • 艦種の表記は南極観測船。出撃や任務では速吸などと同じ補給艦扱い、詳細は宗谷を参照。
    • 更に改造すると特務艦に戻る。高速建造材5個、弾薬130、鋼材280必要。
      史実ではこの後に巡視船になっている。
  • 2021/09/10アップデートで図鑑の誤植が修正(旗艦→帰還)された。

運用について

  • 火力と雷装の初期値0のため夜戦で攻撃に参加しない。
  • 運が【77/155】と初期値最大値共に1位。
    • が、運の活躍ポイントである夜戦(カットイン)においては、彼女はそもそも夜戦での行動自体が不可能となっており、その高い運も現状では命中率と回避率にごく僅かに影響するのみとなっている。
  • 小型電探・大型電探・ソナー・大型ソナー・機関部強化・上陸用舟艇・回転翼機・中型バルジ大型バルジ航空要員探照灯簡易輸送部材戦闘糧食洋上補給司令部施設応急修理要員が装備可能。
    • 1-3の三重クル要員としては装甲・回避・燃費が神威改母を大幅に上回っているため有用。
      • 神威と違い射程短なので砲撃順を調整しやすいのもメリット。
      • ただし航空攻撃はできない。
    • 補給艦としての運用を考える場合は、速吸や神威と違い水戦を装備できない点がネックになるか。
    • 中型バルジと大型バルジを両方装備できる初の艦(船)である。
      • 艦本新設計 増設バルジ(大型艦)を4つ装備すると装甲102に達する。並の戦艦より装甲が高い
        さらに低耐久であり、未婚なら残HP7までは中破を維持する。この7という数字はカスダメが0になるラインであり、高装甲が抜かれなければダメージを受けない要塞と化す。
        さらにバルジを多数装備してもなお回避が高く、運も高いため回避力が際立って高い。
  • 上述のように、生存性が高く羅針盤制御では補給艦として扱われるため、高難度海域の補給艦ルートを通る際に有力な選択肢の一つとなりうる。
  • 手元のヘリコプターはベル47。特徴的な大型ヘリ甲板がないことから第一次~第二次頃の姿がモチーフか。それにしても、その大型ヘリ甲板がない段階でベル47より大型のS-51シリーズをどうやって運用しているのだろうか。

キャラクター設定について

  • 宗谷キャラクター設定を参照。
  • 艤装が南極観測船としておなじみのオレンジとなり、フードつきの上着もフードのファー以外はオレンジとなった。
    • 右胸の名前も「宗谷 SOYA」に変わっている。
    • 右手の先で飛んているのは、南極観測船としての大規模改造で宗谷が運用能力を得たベル47Gヘリコプター。
  • 家具「チャージング航行の床」でなんとタロとジロとペンギンを連れてくる。そして鞄の影には氷爆破用の発破も……。

期間限定グラフィック

  • 2021年6月22日のアップデートで【梅雨mode】が実装された。
    • 南極ではほぼ雪しか降らないが、極稀に流れ込んでくる湿った暖気の影響で雨が降ることもあるとの事。

    限定イラスト:梅雨mode

    限定イラスト:梅雨mode

  • 2021年7月15日のアップデートでクソTシャツmode夏服mode】が実装された。
    • 橙地のTシャツにでかでかと「南極」と書かれている。
    • バッグや艤装は普段の色を踏襲している他、「宗谷」と書かれているオレンジの浮き輪を、左肩からロープで吊るしている。
    • 中破しても艤装がほぼ無傷なのは相変わらずだが、シャツが破れて下に着た橙に白のスポーツブラがチラっと見える。

    限定グラフィック:夏服mode

    限定グラフィック:夏服mode

小ネタ

  • 1957年から1958年にかけ開催される国際地球観測年(International Geophysical Year、略称:IGY)にあわせて、日本は南極観測を行うことにしたが、その初代南極観測船候補として名前が挙がった。

    もう一隻の候補「宗谷丸」

    もう一隻の候補「宗谷丸」

    • 他の候補の中には「宗谷丸」という奇しくも同じ宗谷の名前を冠する船がもう一隻いた。
      後者の「宗谷丸」は1932年に竣工した北海道の稚内と樺太の大泊を結ぶ鉄道省の稚泊連絡船だったが、航路消滅により青函連絡船に転用されていた。こちらもなかなかに運の強い船だった。
      • 1945年7月18日、大泊から稚内へ航行中に雲鷹を沈めた潜水艦バーブに狙われたのであるが、
        騒ぎを聞きつけ「たまたま居合わせた海軍将校」が船橋に上がり指揮をとり「魚雷8本を回避する」などという訳の分からない幸運を発揮して無事稚内へ逃げ延びることに成功した。
        もっとも、いくら運がよかったとはいえ護衛についていた第112号海防艦が捨て身で守ってくれなければ沈んでいたかもしれない(第112号海防艦は宗谷丸を守り沈没した)*7
        • その後こちらの宗谷丸も戦後の混乱期や洞爺丸台風直後の青函連絡船の代打運行や国鉄の石炭輸送などに勤め、1965年に解体され天寿を全うした。
  • 南極観測船に改造される決定打となった理由は改造費やら艦歴やら色々あるが、その理由の中に「運がいいから」という声があったのも実に宗谷らしいかもしれない。

    「耐氷艦」から「砕氷艦」へ

    「耐氷艦」から「砕氷艦」へ

    • 南極へ行くとなったら当然「耐氷艦」である宗谷は「砕氷艦」に改造しなければならない。
      そして改造するには図面を書かなければならない。
      その図面を担当したのは牧野茂氏であった。ちなみに、「特訓」の言葉を発案し、後の読売ジャイアンツV9を支えた名コーチとは同姓同名の別人である。
      それもその筈この牧野氏、かの大和設計メンバーの一人であったのだ。
      当時の牧野氏は「不沈艦」を目指して設計した大和型が沈んでしまったのは自分の設計が悪かったせいなのでは?という考えを持っていた。
      そんな中舞い込んできたわが国初の南極観測船を改造するための図面を書いてほしいという依頼。
      その時氏は「次こそは沈まぬ船を作ってやろう」という決意を胸にあっという間に図面を書き上げ、それをもとに造船業に係るすべての人たちの誇りをかけた7か月の大突貫工事が始まるのだがそれは別の話。
      さて、その「次こそは沈まぬ船を作ってやろう」という牧野氏の決意は果たされたのか……?
      それはこの小ネタを読んでいる提督自身がお台場に行って直接確かめてほしい。
    • 1955年12月24日、灯台補給艦を解役された宗谷は巡視船へと類別変更された。
      • 勘違いされがちではあるが、「南極観測船」というのは南極地域観測隊輸送に充当される船舶の文部省ならびに文部科学省による呼称である。
        南極観測船を保有する運用元の官庁においては、宗谷を運用していた海上保安庁では巡視船として、ふじ以降の南極観測船を運用している海上自衛隊では砕氷艦として、それぞれ分類されている。
        • もっとも、南極観測任務解役後も引き続き北海道近海の巡視船任務に当たっていた宗谷はともかく、海上自衛隊の砕氷艦は基本的に南極観測任務からの退役とともに砕氷艦としても退役となっているため、実質的には砕氷艦=南極観測船と言っても差し支えない。
          そもそも宗谷以外の南極観測船の建造費は文部省・文科省持ちである。
        • 歴代の南極観測船は現役が次の代に繋ぐための実験船としての側面を持っている。
    • 巡視船としてPL107の番号をもらった宗谷だが起工したときも107番船と同じ番号をもらっているがこれは全くの偶然である。旧海軍から引き継いだ大型巡視船PLは100番代で区別され

      PL100栗橋(海軍救難曳航船栗橋)PL101みうら(海軍救難曳航船三浦)PL102おじか(海防艦生名)PL103あつみ(海防艦竹生)PL104さつま(海防艦鵜来)PL105つがる(海防艦新南)PL106こじま(海防艦志賀)PL107宗谷(灯台補給船宗谷)

      といったように番号が割り振られた。栗橋と宗谷だけは船名が変わらず漢字のままであった。宗谷は灯台補給船時代に船名表記が仮名に変更されているのだがなぜ漢字表記に戻ったのかは謎、ちなみに宗谷の船名のフォントは当時の海上保安庁長官が書いたものである。

    ロシアとの縁

    ロシアとの縁

    • 特務艦ページの小ネタで触れられている通り海軍での先代「宗谷」はロシアの艦、そしてこの「宗谷」は元々ソ連が発注した船、と何かとロシアとソ連に縁のあるこの船であるが、
      何の因果か第一次南極観測の時に救援に駆けつけてくれたのもソ連の南極観測船であり、「オビ」という名であった。
      その時救援してもらってからというもののその後の観測ではソ連の南極観測隊員が宗谷に遊びに来たり、あるときは親善バレーボール大会が日ソ両南極観測隊員によって行われたり、日本人形とか感謝状とかを贈ってみたり*8、更には共同で昭和基地付近へ乗り込んだり、昭和基地のヘリポートをソ連観測隊に貸してあげたり……と、それはもう仲が良くなったようであり、後継のふじ号時代もソ連隊やオビ号とは良い関係だったらしい。*9
      ちなみにであるが宗谷が南極に行っていたころは冷戦真っただ中であり、もちろんソ連と日本も仲がいいわけではなかった。
      そんな世界情勢の中で、敵対関係にある国同士の人々がこんなにも仲良くなれたのも、宗谷が呼んだ奇跡の一つなのかもしれない。
      • しかしオビ号も先代「宗谷」と同じく寂しい最期を迎えることになる。1981年にコルグエフ島でハルクとして使用されたが、嵐によりブグリノ集落の近くにあるラメンカ湾に座礁。
        以降はそのまま放置されて荒廃した姿を晒していたが、2009年冬に引き揚げられてアルハンゲリスクに曳航され、2010年春に同地で解体された。
  • 1959年1月14日、第3次観測の隊員がタロとジロの生存を確認した。これを題材とした蔵原惟繕監督、高倉健主演の映画「南極物語」が1983年に公開された。

偉大な宗谷、南極へ

  • 戦後間もない1955年、日本は国際地球観測年に南極観測参加を表明した。敗戦国として国際社会への参加すら批判される時代であり、当然この観測への参加についても他国から反対されたが、なんとか参加を許された。しかし、日本が許可された南極の観測地域は「接近不可能」と評された場所であった。
    • 日本の担当地区はプリンスハラルド海岸一体でここは米軍によって接岸不能と判断された魔境である。
      • 第一次南極観測隊が派遣された年現在の昭和基地があるオングル島まで分厚い氷は避け海が見えている状態だったため幸運にも島から11キロ地点まで接近でき昭和基地ができた。
      • だが、この幸運は二度はなく第二次では昭和基地から200キロ以上離れた地点までしか接近できず宗谷が南極観測の役目を終えるまで100キロ以内まで近づくことはなかった。
      • ちなみに接近困難な場所にできた昭和基地は南極では貴重な地面があり近くの氷河からは隕石が大量に発掘されるなど科学的にも良い場所だった。
  • 宗谷は、当時すでに艦歴18年でボロボロの状態であったが、太平洋戦争を生き抜いた幸運ぶりから選定された。そして牧野 茂 氏の設計に基づき、浅野船渠という船舶修理メーカーによって非常に短期間で砕氷艦へと生まれ変わった。
    • 船体の改造を始めたところ、歪みが生じ水漏れが発生するなどトラブルが続出した。補修箇所は数千を超え、単一のメーカーでは対処できなかったため、横浜中のありとあらゆる場所から職人達が集まり工事に参加した。彼等が職人としての意地と誇りの全てを注ぎ込み、見事この突貫工事を成功させたことで、宗谷は生まれ変わる事ができたのだった。
  • 1956年11月8日、新鋭の日本製装備と精鋭の乗組員そして多くの人々の誇りと夢を載せた宗谷は、一万人以上の群衆に見送られ東京・晴海ふ頭を出港した。途中、戦艦大和沈没地点とルソン沖にて花束を献花し、また、2つの台風に遭遇し約40度という大傾斜を経験したこともあり、船長の松本 満次 氏は今後の航海の無事を祈って宗谷神社を復活させた。
    • 1957年1月24日、宗谷はついに南緯69度00分22秒・東経39度35分24秒オングル島プリンスハラルド海岸に接岸し、1月29日、第1次南極地域観測隊が公式上陸の後昭和基地を開設した。
      その後は基地への物資輸送を行い、2月15日、越冬隊員たちを残し南極を離岸した。途中、天候が悪化し氷に閉じ込められたものの、ソ連砕氷艦オビ号の助けもあり無事脱出に成功した。後日、オビ号の乗組員や研究員達と意見交換を行い、交流を深めた。
      • ケープタウン沖にて再び暴風雨に遭遇し69度という大傾斜に陥るなどの危機に遭遇したが、4月24日、宗谷は大観衆が埋め尽くす東京・日の出桟橋に無事帰還し、第一次南極観測を終えたのだった。
  • 6回の南極観測を終えた宗谷は、1962年に南極観測船としての役目を終えた。南極航海における総航程は約144,276海里、総日数1,031日であった。
    その後は巡視船「宗谷」(PL107)として観測用の機材等を下ろし、奇跡の秋刀魚漁ならぬサケ・マス漁業監視のため北海道第一管区釧路海上保安部にて任務についた。
    • 南極観測の任務が終わって巡視船としての最初の仕事は1962年8月に噴火した三宅島からの島民避難の任務である。乗せた避難民は児童がほとんどで南極観測船宗谷に乗れると大喜びだったとか。
      • このとき同じく旧帝国海軍艦艇である護衛艦「わかば」も避難作戦に参加している。
    • 海上保安庁最大の船であったことから、海洋少年団の体験航海・各地の慰霊・遺骨収集等に、しばしばピンチヒッターとして使用された。
      父島・母島及び硫黄島には小笠原返還まで元島民を乗せて毎年赴いたほか、「対馬丸」海上慰霊祭にも参加している。
      • 宗谷と対馬丸は戦時中に東松第二船団に属していたことがある。
      • 北海では流氷に閉じ込められた漁船の救出などに活躍。1970年頃から漁民から「北洋の守り神」「福音の使者」の異名を頂戴するようになる。
        巡視船時代の海難救助出動は350件以上、救助した船125隻、救助した人命は1000名以上の実績を挙げ、北海道の漁業者の本船への信頼は絶大なものがあった。
  • 竣工から40年以上が経過した1978年3月、ついに宗谷の解役が決定し、最後の任務として海上保安学校生の実習を兼ねたサヨナラ航海を行った。
    そして1978年10月2日、竹芝桟橋にて解役式が行われ、歴代の海上保安庁長官や宗谷の歴代船長を始め南極観測隊員として乗り組んだ者など宗谷にゆかりある人たちに見送られ、宗谷はその役目を終えた。
    • この年の紅白歌合戦ではさよなら宗谷という曲が歌われている。
    • この年のゆく年くる年では後継のそうやの新年の出港式の様子が生中継されている。
    • その後、宗谷はお台場にある船の科学館にて展示・保存されており、また、現在でも海上保安庁特殊救難隊の特殊訓練場として使用されている。
    • 展示開始にあたり当時の船の科学館館長から送られたのが「不可能を可能にする奇跡の船」の名前である。
    • 南極観測船「しらせ(Ⅱ)」の出港地が東京晴海だった場合は宗谷の前を通過する際に汽笛を鳴らして見送ることもある。
    • 船の科学館は1974年7月開館時にゲスト船として宗谷を招いている縁のある所でもある。
      • 40年以上酷使され痛みが酷いため幾度かの修繕が行われているが、宗谷はいまだに海上にある。姉妹をはじめ多くの仲間の死を見届け、また多くの命を救い海を駆け続けた奇跡の船は、静かに日本を見守り続けている。
      • 静かに眠る宗谷の中には、乗員の書き残した言葉が残っている。「偉大な宗谷よ、さようなら。いつか又、会いにくる。」
    • ちなみに解役式には海上保安庁長官も出席したが、長官自らが解役式に出席したのは今のところ宗谷だけである。

    宗谷にまつわる小話

    宗谷にまつわる小話

    • 今の海上保安庁には名実ともに宗谷の後継となるヘリコプター搭載型大型巡視船「そうや」がいるのだが(第一管区海上保安本部釧路海上保安部所属)、この巡視船そうやは1978年進水・竣工であり、2010年に近代化改修され、2019年3月に「宗谷」の運用期間約40年4か月を超え今も現役である。海保初ヘリコプター運用能力を有する巡視船として建造され、先代と同じく砕氷船として北の海を守り、更には海保最古参にして海保船の最長運用期間を、いま提督諸君がこうして記事を読んでいる瞬間も更新し続けている。(だがしかしそろそろ三代目*10を作って交代させてあげてもいいのではないだろうか)
    • 一方、海上自衛隊において1971年に宗谷の名前を受け継いだ機雷敷設艦そうやが竣工し、先代宗谷と名前と活動期間がかぶるという極めて例外的なケースが生じた。
    • 戦後の宗谷関係者にも元叢雲乗組員や元瑞鶴乗組員など、艦娘になった軍艦の元乗組員が多数いる。
      • 副隊長を務めた村山雅美氏は戦時中は「長門」「瑞鶴」に乗艦した経験がある。*11船内新聞である「南極新聞」の編集者である朝比奈菊雄氏は戦時中は医療班として「扶桑」に乗艦していた。第三次観測時にタロとジロを発見した大塚正雄氏は「榛名」に搭乗し、ミッドウェー海戦に参加している。
      • 南極観測船としての後継「ふじ」の初代艦長となった本多敏治氏はふじ艦長内定が決まった直後の1964年2月に当時巡視船となっていた宗谷に乗りオホーツク海で氷海航行訓練を行い、氷海航行術を学んだ。*12
        その後、ふじ最初の仕事である第七次南極観測で、本多氏率いるふじ乗組員は宗谷の果たせなかった昭和基地接岸を成し遂げる。
        宗谷の成し遂げられなかったことをふじが成し遂げ、そしてそれを成し遂げた艦長は宗谷で氷海航行術を学んだ元叢雲乗組員、というそんな少しアツくなるお話。
    • 宗谷が第六次南極観測に出向いていた1961年、かつて宗谷を建造した川南工業で社長の川南豊作や同社の主要な幹部が政府要人暗殺による国粋主義クーデター計画を主導したとして逮捕される「三無事件」が発生。
      川南工業は戦時中に戦時標準船を多数建造したが、艦船の設計能力に乏しかったために戦後の造船市場に打って出れず休眠状態となっており、一度破産宣告をうけて何とか企業活動を再開したところにこの事件が発生したわけである。
      その後会社は昭和重工と改称して再出発を図ろうとしたが、結局この事件が後を引いて71年に破産したのであった。
      • 宗谷を建造した香焼島造船所は1967年に三菱重工に売却されて三菱長崎造船所の香焼工場となり、規模も大幅に拡張されたが、2022年までに建造部門が大島造船所に売却されるとの事である。
    • ちなみに宗谷は南極観測船時代に船内で発行された船内新聞「南極新聞」で擬人化されている。ある意味元祖艦娘でもある宗谷さん……いったい何者なんだ
    • 日本国の通貨(¥円)に刻印された・・・・・南極地域観測50周年記念500円硬貨(平成19年1月23日、流通枚数660万枚-33億円)
    • 日本国の切手になった・・・・・・・・・・・・・・国際地球観測年記念10円切手(昭和32年7月1日発行)、南極観測地域観測50周年記念切手セット(平成19年1月23日〉、南極観測地域観測60周年記念切手シート
    • 2017年に英連邦クック諸島政府から記念銀貨が発行された・・・・・日本南極観測昭和基地開設60周年記念ホログラムカラー銀貨10オンスプルーフ貨幣、全世界600点限定
    • 功績を評価されて世界共通の地名となった・・・・・宗谷海岸(プリンス・ハラルド海岸のうち東経39度35分以南)
    • 大和型等々の大型艦にラムネ製造機が載せられていたことは有名だが、こちらには豆腐製造機が積まれていた。そんなに豆腐が食べたいのか
    • タロとジロのほかに、三毛猫のたけしも当時乗船していた。昔から船に猫を乗せる風習はあるが、後にも先にも日本から南極に行った猫はたけしだけであろう。国立極地研究所のアーカイブに詳細が記されている。かわいい。
  • 今の二代目しらせだと滅多にないが宗谷は度々南極で氷に囲まれ身動きが取れなくなることがあった。
    • そんな時はいかにして切り抜けたのか。答えは単純「ダイナマイトで発破」か「竹竿で押し出す」である。
    • ふじや25回中24回着岸に成功した初代しらせが着岸に失敗した年におこなっているので南極観測船の伝統ともいえる。
    • ボイスで「いざとなれば……」と言っているのは前者が由来だと思われる。なら竹竿絡みで云々も欲しいところ
  • 家具「チャージング航行の床」にダイナマイトが置かれている。執務室に、それもあろうことかタロとジロのすぐそばに火を近づけなければ大丈夫…なはず

この艦娘についてのコメント


*1 宗谷→宗谷(灯台補給船)→宗谷(南極観測船)→宗谷…の順にコンバートできる
*2 母港ボイスは各艦娘につき3つ割り当てられています。「詳細」ボイスは編成画面の「詳細」ボタンをクリックすることで聞くことが出来るボイスです。母港画面でも聞くことが出来ます。「母港3」ボイスは「母港画面でのクリック」もしくは「母港画面への遷移」でのみ聞くことが出来る、いわゆる「提督お触りボイス」です。編成画面での「詳細」ボタンでは聞くことが出来ません
*3 4つの基本ボイス(昼戦開始・昼戦攻撃・夜戦開始・夜戦攻撃)がありますが、各ボイスはその他の色々な場面でも使われます。各ボイスをどのフェーズ(航空戦/開幕雷撃/先制対潜/昼戦攻撃/各種CI...など)に割り当てるかは艦娘によって異なり、例えば開戦ボイスを攻撃でも使ったり、夜戦攻撃ボイスを昼戦でも使ったりします)
*4 「小破」ボイスの2つ目と戦闘撤退時の「旗艦大破」ボイスは共用化されています
*5 「小破」ボイスの2つ目と戦闘撤退時の「旗艦大破」ボイスは共用化されています
*6 装備ボイスは3ボイスありますが、改修/改造ボイスと共用化されています。また、ボイス3は「改修/改造」「開発」「バケツによる即時修復」「遠征出撃」「アイテム発見」ボイスと共用化されています
*7 当の第112号海防艦は宗谷丸に迫る魚雷を発見してその盾となり被雷。艦尾の爆雷投下軌条直下に命中した魚雷により大爆発を起こした同艦は10分で沈没。その後占守以下救助部隊が到着して生存者捜索に当たったが、救助できたのはわずか4名。艦長の石渡俊一郎少佐以下乗員200名が戦死した。
*8 ちなみに日本隊がソ連隊へ送った品々は今もロシアに残っている
*9 1970年2月25日にふじが右スクリューを全損しビセットされた時には、フリーマントルから救援にきてくれたがオビの能力を持ってもどうにもならなかったが、氷状が好転したら再救援にくることを約束して別れた。
*10 日本海軍のご初代から数えたら四代目
*11 1968年12月19日、第9次越冬隊が日本人として初めて南極点に到達した時の隊長。瑞鶴・翔鶴が好きで南極点に到達した時の雪上車に瑞鶴・翔鶴と名付けていたり、宗谷の後継の南極観測船名に宗谷の名が継げないなら瑞鶴か翔鶴と名付けようと発言していたりする。
*12 南極観測の再開があと一年遅ければ宗谷とふじで合同氷海航行訓練できただろうとふじ航海記に書かれている。