強風改

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No.217
強風改水上戦闘機
装備ステータス
火力雷装
爆装対空+5
対潜索敵+1
命中回避+3
戦闘行動半径3
装備可能艦種
駆逐艦軽巡洋艦重巡洋艦戦艦
軽空母正規空母水上機母艦航空戦艦
備考
開発不可、改修可
航空巡洋艦・潜水空母・補給艦・潜水母艦、及び
改造後のイタリア戦艦/重巡・長門型・大和型、
由良改二球磨改二多摩改二矢矧改二乙比叡改二丙にも装備可能
2017年2月・9月作戦報酬
任務『改装航空巡洋艦、出撃!』選択報酬
任務『西村艦隊、精鋭先行掃討隊、前進せよ!』選択報酬
期間限定任務『迎春!亥年「空母機動部隊」新春の西へ!』選択報酬
改修更新
零式水上偵察機二式水戦改強風改
現代にも系譜を繋ぐ水上機の名門が開発を手掛けた、空戦に特化した水上機「強風」。
難航する本機開発の繋ぎとして投入された二式水戦の後継として、その登場が期待されました。
期待された性能を発揮することはできませんでしたが、本機をベースに開発された「紫電改」は本土防空等に奮戦します。
機体を熟成、各強度を改良強化した「強風改」として登場です!

ゲームにおいて

  • 2017/3/27に2017年2月作戦報酬として先行実装された。
  • 2017/4/5に本実装。二式水戦改から更新で入手可能になったほか、同日実装の任務「改装航空巡洋艦、出撃!」(鈴谷改二が必要)でも1個入手可能(艦本新設計 増設バルジ(中型艦)との選択式。→選択画面参考画像)。
  • 二式水戦改に比べ対空+2、対潜-1、命中-1、回避+1、行動半径-1。二式水戦改★maxなら実質対空は同値。
  • 二式水戦改(熟練)と比べると対空±0、対潜-1、命中-1、回避+1、行動半径-1。
    現在の仕様を考慮すると相互互換関係と言える。
    • また両者とも装備改修が可能だが、必要な資材・装備において違いがある。
    • 非常に地味な差だが、対潜支援哨戒において潜水水上混成敵にぶつける場合対潜値+1を持つ二式水戦改(熟練)は参加するが対潜値のない本機は参加しないという差異がある。
  • 未改修の零式水上偵察機から装備更新で本装備を入手する場合、改修資材は120個必要(★+6以降を確実化する場合)。
  • 航空戦のエフェクトも強風改専用のものになっている。

装備ボーナスについて

  • 特定艦に装備した時、パラメータが更に変化する装備ボーナスがある。
    • 他装備とのボーナスを持つ場合、それもまた別に計算される。
    • 対象艦と各ボーナス値は下表の通り。艦種該当艦は艦娘名一覧(艦種別)で確認を。
      艦名記載は、その値が適用される一番下の改造段階が基準。
    装備基本値
    強風改火力雷装対空対潜索敵装甲回避射程命中累積
    513-
    単体ボーナス↓加算値
    装備対象艦火力雷装対空対潜索敵装甲回避射程命中累積
    強風改最上改二 / +1+5+3
    ※装備ボーナスのある他装備の一覧はこちら
  • 装備ボーナス対空値による制空値の上昇はない。

対地特効補正について

対地特効補正について/水上戦闘機・多用途水上機/水上爆撃機より転送

対地特効補正について

対地特効補正について

乗算補正aキャップ後補正補足
ソフト
スキン
砲台小鬼離島棲姫港湾夏姫集積地
追加
1積み
以上
×1.2×1.5×1.0×1.3×1.0水戦・水爆の合計数で計算

集積地追加のみキャップ後補正、他は火力値にかかる補正。
補正のかかる正確な位置については対地攻撃を参照。


  • 単独では微弱なものの、幅広い陸上型に対して対地特効が発生する。
    対地特効は全滅時(搭載数0機時)も有効。
  • 水上爆撃機は弾着構成と併用しやすいことがメリット。他の陸上特効装備と組み合わせると意外と差が出ることも。

性能比較表(装備最大値/水戦早見表/テーブルより転送)

機種名対空対潜索敵命中回避半径入手方法改修追加
強風改5133改修、任務、ランキング編集
二式水戦改(熟練)511124編集
二式水戦改311124改修、任務編集
Ro.44水上戦闘機bis313223改修編集
Ro.44水上戦闘機212123初期装備、改修、ランキング編集

小ネタ

  • 元ネタは帝国海軍の誇る水上戦闘機「強風」である。
    設計・製造は川西航空機、略符号はN1K。連合軍コードネームは「Rex」。

  • 本機の登場の背景には、支那事変において九五式水上偵察機などが戦闘機相手に活躍したことがある。
    そのため、将来の南方進出を見込んで戦闘専門の水上機を開発することにしたのだ。
    • 日本軍の能力では進出先に飛行場を造成するまでに時間がかかるため、それまでのつなぎを務めさせるわけである。
  • こうして十五試水上戦闘機が発注されたのは昭和15年9月のことである。
    • 要求の574km/h以上という高速を実現させるため、搭載発動機は「火星」が選ばれた。
      ただ、当時の日本ではトップクラスの出力を誇ったが如何せん直径が大きい。
      そこで川西が取った策は、発動機位置をやや後ろに下げ機首を絞る、つまり胴体を紡錘形にすることだった。
      • この方法は三菱の雷電でも採用されたが、これは海軍による風洞実験の結果が元になっている。
      • また大馬力発動機の強烈なトルクを押さえ込むためにプロペラは二重反転式を採用した。
    • さらに主翼断面形にはLB型層流翼を採用し空気抵抗の減少を企図。
      主翼位置は胴体との干渉抵抗が少なく(=フィレットが小さく出来る=軽量化と主翼効率の向上)離水滑走時に飛沫を受けにくい中翼配置とした。
    • そして先行していた紫雲と同じように、翼端フロートは引き込み式とされた。
      主フロートは計画当初は引き込み式を考えたが、重量と複雑さから固定式に落ち着いている。
      • ただし、実製作機は翼端フロートも固定式となった。紫雲で苦労したんだね。
  • ただ、新機構を盛り込んだ機体の製作は当然のように難航し、来る対米戦争には間に合わないことが明確となってきた。
    こうして開戦を目前に発注されたのが一号水上戦闘機、二式水戦である。
  • 晴れて一号機が完成したのは昭和17年4月、翌5月には初飛行を行った。
    • 飛行には成功したものの、フラップを引っ込めると機体が振動する、空中で風防が開けられないといった不具合が発覚した。
      また二重反転プロペラはトルク低減には効果が有ったものの、ピッチ変更機構が前側しかつけられない、油漏れが止まらないといった欠点が解決できていなかった。
      さらに最高速度も要求より100km/h近く遅い有様。
      なにより、先んじて完成していた一号水戦にまったく歯がたたなかったのである。
      • 機体の振動は主翼と胴体のマッチングがうまく行かなかったためと考えられている。フラップ上げと同時に気流が剥離し(つまり軽い失速である)、乱流が尾翼を叩いて振動を起こしたのだ。中翼だからこれでいいだろうと小さめにしたフィレットは小さすぎたのである。
        そのため結局フィレットは乾燥バナナの異名が付くまでに大きくなってしまった。
      • 二重反転プロペラの不具合は解決の見通しが立たず、試作二号機以降は通常の一重プロペラに変更されている。
        そのため離着水の際はトルクに煽られてかなりテクニックを要したようだ。
        ちなみに、初期量産機までは後プロペラのためのスキマが残っていた。
    • もともと強風には着陸フラップを空戦フラップとして使えるように仕掛けを作ってあった。
      しかし出すか引っ込めるしか出来ず、帯に短し襷に長し。
      段数を増やせば空戦中にそんなことやってられるかいというわけで、自動制御の空戦フラップをつけることにしたのである。
      • そこで設計陣が考えたのが、水銀圧力計を応用して必要なデータを取得する機構であった。
        水銀圧力計をピトー管につなげば圧力で速度がわかる。
        さらに水銀は重力の影響を受けるため、これひとつで必要なデータが全て取得できるのだ。
        機構は手のひらに収まるサイズにまとめられ、不時着時は取って捨てられるように操縦席の直ぐ近くに取り付けられた。
    • 空戦フラップを備えた試作機は、模擬空戦で二式水戦と互角以上に戦えることを証明。
      これをもって十五試水戦は制式採用され、「強風」と名づけられたのである。
      時に昭和18年12月21日である。
  • 採用に先立って量産されていた65機が年内に納入され、インドネシアやマレー半島の水上戦闘機隊に配属されて高性能を以て大活躍!
    ……といいたいところだがそうはいかなかった。
    • 初期の構想で使う筈だった島嶼部侵攻はとっくに終了し、ソロモンは連合軍の手に落ちて戦況は守勢に回りつつあった。
      さらに兵器の進化は目覚しく、もはや水上戦闘機が華々しい活躍を演じられるような場面はほとんど残っていなかったのである。
      結局通算96機が製造されたものの、こと戦闘機相手の撃墜戦果はひとつも上げることができずに終わった。


  • ちなみに当初の予定では相当数が発注されることになっていたが、開戦に間に合わないことが確定した時点で大幅に削られてしまった。
    さらに二式大艇や紫雲の発注数も削られ、企業として危機を感じた川西は強風の陸上機化を提案する。
    これが認められ生まれたのが、局地戦闘機「紫電」であった。
    • そして紫電は再設計を経て紫電改として生まれ変わり、遂には海軍の次期主力戦闘機の座を獲得するに至るのである。
      その生涯は決して華やかなものではなかった強風だが、海軍主力戦闘機の母体として、多少は報われただろうか。
  • ちなみに強風は4機が米国に運ばれ、内3機がほぼ完全な状態で現存している。
  • 派生型として、紫電二一型(紫電改)を水上機化した強風二二型の計画案があったともされるが、その実態は不明である。
    もし実現していたら、水上機から陸上機に転身してまた水上機に戻るという、奇妙な経歴の航空機になっていたところであった。

  • 本作での「強風改」は、二式水戦「改」同様、射出機対応の強化を行ったif機体と推測される。

日本からなんか悪いもん伝染しちゃった件。

  • 宮崎駿原作・監督の映画『紅の豚』の背景にある戦間期には各国が試行錯誤したが、結局曲がりなりにも水上戦闘機なる機種を制式化したのは後にも先にも日本海軍だけであったことは言うまでもない。
    だが、その日本を占領している間にアメリカさんはなんか悪い病気を貰っちゃったようで……
    その結果の産物が超音速ジェット水上戦闘機F2Y『シーダート』である。
    • 1948年に試作要求がされ、各社が「(゚Д゚)ハァ?」な状態になっている中、B-24やB-36のコンベア社が計画書を提出し、1951年初頭に計画が開始された。
      要求を満たすため、従来の水上機に使用されていたフロートではなく、格納式のソリッドスキーを水上滑走に使うことで、飛行中の抵抗を極力小さくする試みがとられた。
    • この構造を採るため、無尾翼のデルタ翼機となることになった。機体設計については、ドイツ第三帝国下でデルタ機を研究していたアレクサンダー・リピッシュ博士*1の助力を仰いだ。
      ドイツからも別の病気貰ってんのかよ
    • 翌1952年12月には試作機XF2Y-1を完成させた。実機による水上滑走テストが行われ、年が明けて1953年1月の高速滑走テスト中に機体が水面から浮き上がるが、これは公式な初飛行とは見做されなかった。
      だが、当初搭載したJ34ターボジェットエンジンは推力が不足したため、試作中のアフターバーナー付ジェットエンジンXJ46に換装され、ついでに水上滑走時の不安定さの是正も行われた。
      おいおい、エンジンが出力不足って、雲行きが怪しくなってきたんじゃねぇのか?
    • 1953年4月、正式に初飛行成功とされた。1954年にはJ46エンジンが量産化され、そちらを搭載した。そして…………
    • 8月4日、緩降下ではあるが音速突破を実現。水上機/飛行艇による音速突破の公式記録は、現在に至るまで唯一のものである。
    • だが、この頃から計画自体に疑問が湧いてくる。
      「どうも水平最大速度マッハ1.5は無理っぽい」
      「高速滑走するんで穏やかな広い水面が必要になる」
      「それならデカい空母つくって普通に艦上運用したほうが良くないか?」
      お前は日本の何を見ていたんだ
      • 広い穏やかな水面を作ることについては、対日戦に備えてこさえて戦後ダダ余り*2になった戦艦や巡洋艦で海面を取り囲んで作り出す、というアメリカらしい構想もあったようだが……
    • そんな最中の11月、試作2号機であるYF2Y-1の1号機(ややこしい!!)が、デモフライト中、空中分解を起こして墜落する事故が起こった。パイロットも死亡した。
      これにより、F2Y計画は縮小が決まってしまう。結局行き着くところは同じかよ
    • それでも完全な中止には至らなかったあたり、完全に病気が重篤化している
      降着装置周りなど様々な試験は続けられたが、その他方で、従来の油圧式に代わって安定した大推力をもつ蒸気式カタパルト、アングルドデッキの採用などで、超音速ジェット艦上機の運用条件は整えられていく。さらには、ジェット機に合わせた超大型空母フォレスタル級の建造も決まった。
    • だが、1956年についにF2Y計画に引導が渡される。それはAIM-4『ファルコン』空対空ミサイルの誕生である。
      AAM(空対空ミサイル)は通常、主翼下面もしくは機体下面に装備する。
      もうおわかりだろう、F2YにはAAMを搭載する場所がないから計画中止になったのだ。
      • ここでもし、イギリスからもなんか悪い病気を貰っていたら計画中止にはならなかったかも知れない*3
  • ちなみに日本からは別の病気も貰っていたらしく、原子力潜水艦に3機程度を搭載する計画も存在したという。
  • それでもアメリカさん、一度とりつかれたロマンは捨てきれなかった。わかるぜその気持ち。
    • F2Y自体の実用機としての計画が破棄された後も、ジェット水上機のテストベッドとして、4機の試作機は稼働した。
      1962年、アメリカ軍用機の形式名の三軍統一時*4、まだ海軍の機材であったYF2YにはYF-7Aの統一形式号が与えられた。
    • 現在、残った4機は静態保存状態で展示されている。

この装備についてのコメント


*1 艦これに登場する機体ではMe163を設計している。
*2 当時、ソ連を筆頭とする東側諸国の海軍力は、アメリカにとっては取るに足らないレベルだった。
*3 イギリスのイングリッシュ・エレクトリック『ライトニング』戦闘機は、主翼の上にもウェポンベイが存在することで有名。
*4 少し前にもあったのだが、発足したばかりの米空軍はまだまだその前身である陸軍航空隊としての性格が強かったのだが、その空軍関係者が「海軍式の形式号はわかりづらいので空軍式にしてくれ」と口を滑らせたため「海軍には海軍のやり方がある!」と激怒させ流れている。