九七式中戦車(チハ)

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No.497
weapon497.png九七式中戦車(チハ)陸戦部隊
装備ステータス
火力雷装
爆装対空
対潜索敵
命中回避
射程
装備可能艦種
駆逐艦軽巡洋艦重巡洋艦戦艦
軽空母正規空母水上機母艦航空戦艦
備考
開発不可、改修不可
当時の日本陸軍の主力戦車、九七式中戦車、通称「チハ車」。
列強の新型戦車との対機甲戦闘には不向きでしたが、数多く量産され日本機甲部隊の主力となりました。占守島の戦いでは、戦車第11連隊で数多くの犠牲を出しつつ奮戦しています。
単独で海上機動できませんが、接岸擱座揚陸能力を持つ二等輸送艦などに搭載することで着上陸戦闘が可能です。

ゲームにおいて

入手方法について

装備の運用方法について

装備ボーナスについて

アップデート履歴

小ネタ

  • 九七式中戦車(チハ) とは大日本帝国陸軍によって1936年から開発、1938年に生産開始して運用された中戦車。ちなみに「チハ」とは、チが中戦車から、ハは3番目に開発されたという事でイ,ロ,ハのハから。要するに「3番目に開発された中戦車」という意味である。砲塔を新型に換装した対戦車火力向上型、いわゆる「新砲塔チハ(チハ改)」と区別するため、こちらのチハは「旧砲塔チハ」「旧チハ」と呼ばれることも。
    • 全備重量15t、最大装甲厚25mm、57mm砲1門に7.7mm機関銃2丁という武装を持ち、170馬力空冷ディーゼルエンジンで最高速度38km/hを発揮する4人乗り*1歩兵支援用中戦車。あくまで友軍歩兵と協力して敵歩兵や陣地と戦う事を目的として造られ、その任務を強く意識した攻撃力と防御力、機動力を持っている。
      チハの性能諸元

      チハの性能諸元
      全長 5.55m , 全幅 2.33m , 全高 2.23m , 重量 14.3t(全備15.0-15.6t)
      速度 38km/h , 行動距離 210km , 燃料搭載容積246L
      エンジン 三菱SA一二二〇〇VD 空冷V型12気筒ディーゼル 150hp/1,500rpm 170hp/2,000rpm 排気量21,720cc 
      主砲 九七式五糎七戦車砲 (18.4口径 57mm砲 搭載弾数114発) , 副武装 九七式車載重機関銃(7.7mm機銃 搭載弾数4035発) ×2
      装甲 前面25mm , 側面25mm~20mm , 後面20mm , 上面10mm , 底面8mm ,主砲防盾50mm
      乗員 4名

    • 支那事変以後の軍事予算急増を背景に2123輌が生産され、ノモンハン事変・日中戦争・太平洋戦争に参戦。九五式軽戦車*2と共に日本陸軍の主力戦車として、終戦まで戦い抜いた。
  • そしてこの戦車は、その何とも言えない絶妙な響きをした名称、小柄な丸っこい砲塔(やたら右寄り)、手すりと間違えられそうな輪っか状の鉢巻きアンテナ、ちょこんと突き出た短砲身の主砲、後ろ向きなかんざし式機関銃等の要素…。さらに「中戦車」でありながらアメリカの「軽戦車」M3スチュアートにあらゆる性能で圧倒されてしまったりする*3悲しき史実から、一部で「弱そう」「鉄の棺桶」「中戦車(笑)」「かわいい」などと散々いじられている愛されているあの『チハたん』としても有名。
    チハたん∩(・ω・)∩ばんじゃーい
    • ネット上ではこのような愛称で親しまれ(?)、なにかとネタに事欠かない「弱い戦車の代名詞」的存在として語られてしまう事も多いのだが…。実際のチハは、まだまだモータリゼーション後進国だった日本で様々な制約のなか造られた精一杯の戦車であり、且つ採用当時としては世界水準と言っても問題無い性能を有する戦車であったのだ。
中戦車「チハ」、採用の裏側

中戦車「チハ」、採用の裏側

  • 1930年代半ば、八九式中戦車*4を更新する新鋭敵陣突破用歩兵支援戦車の開発が始まった。
  • しかしその開発において、「八九式中戦車を順当に発展させた大型戦車であるべき」という戦車学校など運用側の意見と、機甲部隊拡充のためにも九五式軽戦車の成功を受け継いた「軽量・安価で多数を整備できる小型戦車であるべき」という参謀本部の案が真っ向から対立してしまう。
  • 同じ次期主力中戦車でありながら、方向性が大きく異なる両案の対立は会議の場では決着せず、結局、大型戦車を第一案(甲案)、小型戦車を第二案(乙案)として陸軍技術本部が設計を開始。まずは両案ともに試作し、より優れている方を採用するという形で決着をつけることとなった。この競争試作の際、三菱重工が製作を担当する事となった大型戦車案こそ、のちの九七式中戦車「チハ」である。小型戦車案は「チニ」と名付けられ、大阪造兵工廠が試作を担当した。
    設計の段階でそれぞれに要求された仕様はおおよそ以下の通り。
    • 第一案(チハ車。戦車学校など運用側、技術本部が支持)
      • 武装、装甲、及び速度を増大し超越壕幅、登坂能力などは概ね八九式中戦車と同等とする。
      • 武装は戦車砲、車載機関銃を新式とすることで改善する。
      • 装甲は37粍対戦車砲の近距離射撃に対抗できる事を目途として増強
      • 展望装置、無線機の改善
      • 八九式中戦車から重量を著しく増加させてはならない
    • 第二案(チニ車。参謀本部、陸軍省が支持)
      • 軽量化を主眼としつつ装甲、速度も増強。超越壕幅、登坂能力などは概ね八九式中戦車と同等とする
      • 機関部は九五式軽戦車との共通化を図る
      • 無線機の改善
      • 小型化には武装の減少(砲塔内機関銃の廃止)と乗員の削減によって対応する
  • なお、この新式中戦車に対する討論がなされた軍需審議会で、より強力な戦車を求める第一案支持派は「装甲厚」「乗員数」、さらに「通信器材」について次のような意見を述べ、第一案を強く推薦している。*5

「陣内あたりで歩兵に直接共同する戦車はとにかく200m以下で撃たれる事が非常に多いだろうと思います。その時にブスブスと穴が開くようじゃ心細い」
「新しい装甲板*6は25mm以内で対抗できるということで御座いますが、其の話は確信が御座いませんし、対戦車火器も図り得ない現況で御座いますので、僅かの重量の点で著しく戦闘力を落としたくないと思います。」
「戦車らしい活動ができるのは装甲が強い為でありますから、是非ともこの装甲30mmは欲しいと思います。如何に装甲板が発達致しましても欲しいと思います。」
「第一案と第二案を比較しますと、第二案は射弾の数が著しく落ちて参ります。一人の車長が周囲も見、敵情を見、射撃もし、更に小隊長、中隊長あたりからの記号もみなければならぬ。そうなると全然射撃ができなくなるのでありまして、もし第二案になりますればその戦闘力は第一案から一人減じた、四分の一減じただけでなくして第一案の半減、さらにそれ以下に低下しやしないかと思います。」
砲塔に一人しか収容し得ないということは戦闘上非常な欠陥で御座いますので、第二案は戦闘力の関係上、戦車側としては希望致しませぬ。」
「速度の関係上無線で指揮連絡をしなければならぬということを希望しているのでありまして、現在の無線機では力が足らないのであります。それで是非共無線機の能力を向上して戴きたい。そうしますと勢い形が大きくなります為に第一案の方にして戴いて其の中の無線機の能力を増大して戴きたい。」

  • だがこの第一案は大型戦車案とはいえ、試作の段階で「重量は八九式より著しく増加せしめず」と制限がつけられている。これは当時の記録によれば戦車の渡河で使用される重門僑*7の重量制限からであった。できるだけ軽い方が橋の通過時等に必要な補強工事の手間も少なくなり有利だ、とする意見もあったという。*8
    • ちなみにチハ車採用後の事ではあるが、八九式中戦車の揚陸に使用されていた「大発動艇」では重量が増加したチハ車を搭載できなかった。そのため陸軍は大発の拡大版となる特大発動艇(最大積載量16.5t)を開発、主に機甲部隊の揚陸用として整備している。
  • また、主砲が八九式中戦車の57mm短カノンを継承しているという点も試作段階で少なからず問題視された。開発時の世界水準と比して口径で見劣るという訳ではないが、当時既に「戦車が各国陸軍で大量に装備されれば自ずと戦場で戦車同士の撃ち合いが発生し、そこでは敵戦車を撃ち抜くための貫通力が求められる」と予想する声があったためである。
    • なお、日本陸軍の戦車開発に深く携わり続け、チハ車の設計にも中心的な役割を果たした「日本戦車の父」原乙未生中佐(設計当時)はこのチハ車の武装について、あらかじめターレットリングに余裕を持たせ将来的な主砲・砲塔の換装に対応できるように設計したとしている。

  • ともあれ試作車はどちらも昭和12年に完成、陸軍は早速比較試験を開始した。ちなみにチニ車の性能は重量9.8t、最大装甲厚20mm、57mm短カノン1門と機関銃1丁を搭載、空冷ディーゼル120馬力で最高速度30km/h、乗員3名であった。砲塔はチハ車よりもさらに小さい一人用で、車長が砲手を兼任する。この他にも砲塔後部の車載機関銃、砲塔上の展望塔*9が廃止されている。
    • 試験では馬力で勝るチハ車が登坂能力など多くの面でチニ車との性能差を見せつけたが、チニ車も要求された性能はほぼ満たしており、どちらの戦車も次期主力中戦車としてしっかり評価される事となってしまった。
    • しかし昭和12年7月7日、高性能だが高価で重いチハと、性能では劣るが安価で軽いチニ、どちらを取るか陸軍が決めきれない中で、状況を急変させる事件が起こる事となる。原乙未生中将の回想録によれば、当時の状況はこのようになっているという。

両方共動くのは動くし、相当の所望の性能は持っているもんだから、それじゃこれの耐久試験をやろうと言って、富士の裾野での試験が終わった後で長距離運行で大阪まで行こうと。そして耐久試験をやった結果で決める。それで運行試験をやって大津かどっかまで行きましたよ。そしたらその夕方号外が出た。見ると盧溝橋事件ですね。その号外をみたらその参謀本部の部員はもうチハ車に決めたと、これで勝負あったと言うんですね……。急いでチハ車を造る。*10

  • こうして採用された九七式中戦車「チハ」は重量軽減の為最大30mmとされた装甲厚が25mmに削減されるなど*11、現場の要望を全て反映できたとは言い難いものの、八九式中戦車から強化された性能、そして曲面・傾斜を多用した近代的なシルエットを持つ新鋭中戦車として大いに期待された。陸軍の作成した『九七式中戦車保存取扱教程』には、チハ車について「本中戦車ハ八九式中戦車ニ比シ速度及武装共ノ他各部ノ弱点ヲ補強シ且全高ヲ減ジ務メテ避弾経始ヲ採用シ以テ著シク威力ヲ増大シアリ」と記載されている。
    • 確かに歩兵支援用戦車としてチハを見た場合、開発時であるならその性能は世界水準へ達しているといえた。短砲身とはいえ57mmという口径自体は小さいわけではなく、本来想定していた攻撃目標(敵歩兵や機関銃・対戦車砲陣地など)に対する榴弾火力は決して馬鹿にできない。最大25mmという装甲厚、最高速度38km/hという性能も優れているとまではいえないが、同時期の戦車と比べて特に劣っているような数字でもない。また、コンパクトながら状況を把握しつつ全体の指揮を執る車長と射撃を担当する砲手がそれぞれ独立した展望塔付きの二人用砲塔*12を備え、充分実戦での実用に耐えるレベルの車載無線機を標準装備とした点などは、当時としても大きな利点であった。
    • 一方で「時局の変化に対応するため量産を急いだ」という背景もあり、基本性能以外の点で多くの技術的な課題が残る戦車となってしまったことも事実である。
      • 特にエンジン(後述)と足回り*13、複雑且つ重い操縦系*14などの問題については改善が図られたものの、最後まで根本的な解決には至らず、戦車隊将兵を悩ませる事となってしまった。
      • チハ車生産当時の陸軍としても、いまだ課題が山積みと言える出来栄えの戦車であったためか長く「試製」九七式中戦車と呼ばれ、正式制定は砲と発動機の改修(高初速47ミリ砲と100式発動機)の目途がついた後となっている。
他の同時期に開発・配備されていた各国の他戦車を紹介すると。

他の同時期に開発・配備されていた各国の他戦車を紹介すると。

  • ドイツ : 軽戦車のⅡ号戦車A,B,C,D型(武装は20mm機関砲と7.92mm機銃、装甲は正面14mm)。 そして中戦車のⅢ号戦車A型(武装は37mm砲と7.92mm機関銃×2、装甲は正面14.5mm)とⅣ号戦車B,C型(武装は76.2mm砲の短砲と7.92mm機銃、装甲は正面30mm)。
  • ソ連 : 少し先輩のT-26,BT-2,BT-5、同期のBT-7やT-28。 特に先輩のT-26とBT-5はノモンハン事変で一応チハと相対している。
  • イギリス : 巡航戦車のMk.ⅡやMk.Ⅲがいる、砲はQF 2ポンド砲(40mm砲)、装甲は最大で14mm、機動力は時速20~30キロ。
  • フランス : ソミュアS35やオチキスH35(H38/H39)やルノーB1など比較的高性能な車両が揃っていた、流石の戦車大国。
  • イタリア : L3-CV33(38)、2人乗りの豆戦車でイタリアの山がちな地形によくマッチした戦車だが、対戦車戦をするには余りにも豆だった。M11/39、3人乗りの中戦車。正面装甲30mm。車体に37mm砲、砲塔に8mm重機関銃×2という構成で、主砲を撃つには車体ごと敵に向ける事となり、かなり使いにくい武装配置となっている。

もちろんどの戦車も様々な思想や都合により性能はマチマチだが、チハは決して彼らに劣るような性能ではない。本来対戦車戦闘は想定していないものの、状況次第で多くの戦車に対しある程度優位に立つ事ができるといえる。

  • 上でアメリカのM3スチュアート軽戦車に圧倒されたとあるが、実際にチハがM3軽戦車に苦戦したのは事実ではある。チハの短砲身57mm砲では超至近距離でもM3軽戦車の正面装甲(38mm)が抜けず、逆にM3軽戦車の長砲身37mm砲はチハの正面装甲(25mm)を容易に貫通する。
    • この苦戦には理由があり、単純に言ってしまえばM3軽戦車の採用が1940年7月でチハよりだいぶ後から開発・配備されていたためである。アメリカでは戦間期に戦車開発があまり進んでいなかったが、スペイン内戦,ポーランド侵攻,フランス侵攻などの情報から戦訓を得て順当に戦車の強化を行った。(M2A2⇒M2A3⇒M2A4*15⇒M3軽戦車)
      WW2の戦車戦を意識して造られたM3軽戦車と、それ以前の対歩兵を意識して造られた歩兵支援用中戦車のチハ。両車が戦えばM3軽戦車が優位となるのは、当たり前といえば当たり前なのだ。
  • また「中戦車」や「軽戦車」はあくまで各国での括りであり、日本軍では95式軽戦車(重量約7t)に比べて大きいチハ(重量約15t)なので中戦車となっているだけである。 中戦車より強い軽戦車や、重戦車より強い中戦車はわりと良くある話だったり。
  • しかし、チハが各国戦車と肩を並べることができたのはここまでだった。日本で量産体制が整いようやく数が揃い始めていた頃から、列強各国における戦車開発の技術は急速に発達していった。特にソ連はT-34、ドイツはパンターやティーガーといった歴史的な傑作戦車の開発に成功。大戦末期にはIS-2やティーガー2、フェルディナントなど200mm近い実質装甲厚を持つバケモノじみた車両が戦場で鳴らしていたほか、イギリスではとうとう世界初のMBT*16であるセンチュリオンが完成している。
  • さて、話を戻して太平洋方面で開戦となった頃、南方へ進出したチハは日本軍機甲戦力の中核として欠かせない活動を見せた一方、次世代型と言えるM3スチュアート軽戦車に苦戦してしまう。疑問視され続けていたチハの「対戦車戦闘能力」が表面化したこの事態に対し陸軍は、かねてより研究していた新型戦車砲「一式四十七粍戦車砲」を砲塔ごと換装して搭載する「新砲塔チハ(チハ改)」の実戦投入を決定。鹵獲したM3軽戦車に対する射撃試験で1km先からその正面装甲を撃ち抜いたという新型砲の搭載により、チハの対戦車火力は大幅に向上する事となる。
  • だが、新砲塔チハが前線部隊に配備されつつあった大戦中期以降、本格的反攻作戦を開始したアメリカ軍が太平洋戦線へ送り込んできたのは全備重量30t超、チハと同じ中戦車でありながら重量は実に2倍という威容を誇るM4シャーマン中戦車であった。もはやその性能差は比べるまでもなく、砲火力も装甲厚もチハとは桁違いといえる。
    • ここまで追い込まれても、列強各国より工業力で劣り、技術力の差も大きく開き、資源に乏しく、大重量兵器である戦車の運用を可能とするために必要な軍の機械力も不足、更には艦船・航空機の生産を優先した事により戦車へ割けるリソースそのものが余りに少ない、という状況ではまともに新型戦車の開発・配備など実現できる筈もなく。日本陸軍は最後まで、チハと共に戦い続ける事となったのである。

チハの性能と戦歴

-火力について

  • チハの主砲である「九七式五糎七戦車砲」は、陸軍が作成した『兵器諸元表』に「九〇式五糎七戦車砲*17ト砲内諸元同一ニシテ操砲ヲ容易ナル如ク改正セラレタルモノナリ」とあるように基本的な性能は八九式中戦車時代と変わらないまま、より扱いやすく頑丈な砲*18として開発された。
    • 砲手が右肩で砲を担ぐような射撃姿勢をとる肩当て式の小型軽量砲であり、砲は方向・高低調整用の旋回ハンドルを必要とせず左右10度、仰角+20度、俯角-15度まで可動させる事ができる。*19
      • これにより迅速な照準操作が可能となり、日本軍戦車兵が重視した行進射*20においても砲手の技量次第で極めて高い命中精度を発揮したという。
    • 装填は状況により車長がおこなう時もあるが、砲弾の重量も大きさも一人で扱えるくらいだったので通常砲手が装填手を兼任している。このおかげで、車長は砲塔内戦闘室の展望塔で部隊指揮や索敵、射撃指示等に専念することができた。チハの57mm砲弾搭載数は最大114発となっており、砲塔内部には即応弾として10発分の砲弾ラックが設置されている。
      • 熟練した砲手の場合、肩当て照準をしつつ片手(右手)で装填、目標に向けて発砲という速射を一人で行なった。*21なお砲の握把(グリップ)を握り、引き金をひくのも右手。砲手左手側には砲塔旋回ハンドルと砲塔駐転機*22がある。
      • 発砲時、反動を軽減するため砲身は揺架*23上を後退する。この際に自動で排莢がおこなわれ、空薬莢は下部の打殻受(空薬莢入れ)へ排出された。
    • 弾薬は九〇式五糎七戦車砲と共通であり、チハの任務上もっとも多用された「九〇式榴弾」で全備重量2.91kg、炸薬量250g*24、威力半径15mとなっている。
    • また、砲塔銃として後ろ向きに「九七式車載重機関銃」を装備した。*25装弾数20発の弾倉式。一見「敵陣に突進して乱戦となった際の後方防御用」といった配置だが、実際はこちらを車体正面側に旋回させて対歩兵戦を行う、という運用を想定していたようだ。*26その他、砲塔に「発煙筒発射機」*27を備えた車輌も確認されている。
  • 日本陸軍にとってチハは本来「歩兵と共に前進し、更に超越*28して敵陣に突入。機関銃巣など敵火点を制圧する事で歩兵の突破口を開く」為の支援用中戦車であるから、このような特性を持つ短砲身57mm砲で武装したことはむしろ理にかなっている面もあったと言えるだろう。
    • 一方で、チハの火力を語る上で避けられない事が対戦車能力の不足だった。八九式中戦車時代からそのまま引き継がれた「九二式徹甲弾」の装甲貫徹力は、よほどの好条件でもない限り20mmそこそこでしかない。この徹甲弾の採用当時なら良かったが…M3軽戦車のような、第二次大戦型の戦車を相手とするにはあまりに頼りないと言わざるを得ない数値である。
      • 実際、ビルマ攻略戦の中で行われた鹵獲M3軽戦車に対する九二式徹甲弾の射撃実験では命中箇所の塗料が剥げただけ、徹甲弾はまるでコンクリートに投げつけたガラスのコップのように粉々となって散らばっており、ある戦車中隊長が「間違って代用弾*29でも撃ったのだろう。」と捨て鉢な発言をしてしまうほどだったという。*30
    • この試験射撃の結果から「徹甲弾ではなく榴弾*31による集中射とする」「射撃開始距離は300mから」「敵1輌に対して小隊(3輌)で戦う。そのために中隊以下での部隊運用は避ける」「一部が敵戦車を誘い込み、あるいは正面で拘束し、その隙を突いて主力が側面・背面を攻撃する」といった戦術が考案されている。だが、ここまでやっても「撃破できる可能性はある」とまでしか言えない事が、チハの対戦車戦闘における厳しい現実だった。
      • 流石に危険と判断されて実験は中止になったものの、M3軽戦車の車高がチハより高いことに注目して「いざとなれば側面への体当たりによって敵戦車を転倒させる」という戦車による対戦車肉薄攻撃案まで出ている。
    • 一方的な敗北を喫してもおかしくないような性能差がありながら、チハが大戦初期にM3軽戦車と何とか戦う事ができたのは日本軍戦車兵の高い技量、そして戦況が日本軍優勢となり、戦車隊と歩・砲・工・飛などの各兵種が協同できる場面が多かった為でもあった。

-対弾性能について

  • チハは砲塔全周25mm、車体前面25mm・側背面25~20mm、主砲防盾50mmの装甲が配置されている。配備当時ではそこそこ優れた装甲厚であり、特に対歩兵戦では十分強気に出る事のできるものであった。また所々で装甲は傾斜しており、数値以上の装甲厚を発揮することも。ただリベット留めが多用されているため被弾時には被害が出やすい。
    • 日本軍としては正面で口径37mm程度の火砲の近距離からの射撃に耐える装甲をとして、九四式三十七粍砲(37mm対戦車砲)で射距離150mの射撃にも耐えるとの事。
  • 日本軍戦車の防御力に関しては「日本の戦車は装甲があまりに薄く小銃や機関銃でも簡単に撃破できた」といった話もあり、チハにおいてもそのように語られる事が多い。
    • だが米軍が鹵獲したチハに対しておこなったM2ブローニング重機関銃(口径12.7mm)での射撃試験*32によると射距離90mでは装甲を貫通できず、45mで装甲の薄い箇所(車体側面下部、車体後面下部など)を35%ほどが貫通した、となっているようだ。つまり歩兵が一般的に装備しているような口径7.7mm前後の小銃、軽機関銃などでチハの装甲を撃ち抜く事は相当厳しいと思われる。*33戦争初期の英軍に配備されていたボーイズ対戦車ライフル(約14mmライフル)にもド近距離でなければ抜かれない。
      • 小銃などに撃たれると、車内では「ドラム缶の中に入って外から軽く叩くぐらいの音」がしたという証言も。*34
    • 一方、英軍や米軍や独軍の37,40mm対戦車砲となると危うい。射距離1000mで抜かれる可能性が高く300m以内ではほぼどこでも貫通される(状況にもよる)。まあそこは前述の同期達もどっこいどっこいなので…。
    • 戦争後半に登場する米軍のM1バズーカや英軍のPIATなどの対戦車兵器や、M4シャーマンの76.2mm砲の前では残念ながら完全に無力である。それら兵器はドイツ軍の装甲強化型Ⅳ号戦車などに通用するような最新兵器であり、チハで相手するには荷が重すぎた。
  • 戦訓によるものか、車体前面や操縦席・前方機関銃周りなどの車体上部前面、砲塔正面に増加装甲(推定25mm)を施した改修型のチハも製造されていたようだ。ただ、写真などから部隊配備が確認できるものの詳細な資料は見つかっておらず、その製造数もよく分かっていないという。*35
    • 他にも前線では遺棄されたM3軽戦車の装甲板を切り出して車体へ装着したり*36、予備の履帯を取り付けたりと、チハの防御力を少しでも高めるための努力がなされていた。
  • ちなみにイラストでも目を引く黄帯迷彩は日本陸軍戦車の特徴のひとつ。車体や砲塔の迷彩を目立つ黄色で分割するように塗装して、戦車の形状や進行方向の誤認効果を狙ったものである。
    • しかしやはり目立ち過ぎる事に加えて元々大陸向けの迷彩ということもあり、南方の戦場には合わないと判断され大戦中期以降は廃止となってしまった。

-エンジンについて

  • エンジンは空冷のディーゼルエンジン「三菱SA一二二〇〇VD」(三菱ザウラー式空冷12気筒200馬力V型ディーゼル) を搭載、12気筒200馬力。
    • 当時の同期戦車達の多くはガソリンエンジンであったのに対して、チハは戦略的戦術的メリットからディーゼルエンジンを搭載している。メリットとしてはガソリンエンジンに使われるガソリンに比べて、ディーゼルエンジンに使われる軽油は揮発性が低く火災発生率が少ないこと、ガソリンよりも安価で燃費も良いこと。軽油の代替燃料も想定されており、燃料事情が悪い当時としてはかなり有利であった。また「空冷」という点も水冷と違い冷却水の補給を必要とせず、寒冷地での凍結による故障も防ぐことが出来る等の利点がある。
      • と聞こえは良いが、日本のディーゼルエンジンは開発から数年という発展途上にあり、実際は空冷ディーゼルであるという点以外褒め所のないかなりの問題作でもあった。大重量・大容積であり高さこそ抑えられたもののその規模の割に低出力、高負荷運転での黒煙の発生*37。カタログスペックでは「200馬力」とあるが、実際に出せる出力は170馬力が良いとこで、耐久性を考慮したら140馬力程度…。登坂力も低く傾斜45°ほどで厳しく、鹵獲したM3軽戦車は問題無く登ったので牽引してもらったという話もある。エンジンの生産体制は複数企業に分担させていた為、互換性の無い物が出来て補給や現地のニコイチにも悪影響を与えた。
    • このように機械的信頼性は優れないエンジンだが、キチンと訓練した乗員と整備員が居ればある程度は誤魔化すことも出来た。実際、マレー作戦では激しい戦闘を繰り返しながら58日で1,100kmを移動、大陸打通作戦では30日で1,400kmを移動している。後者の作戦では行動不能車両は約30%*38であったが、それ以前の作戦で酷使された車両を作戦に投入していること、部品の融通がきかないことを加味すれば多少は言い訳にはなるか。
  • なお、イラストのチハは車体後部の機関室上面から取り入れるエンジン冷却用空気の排気口が車体側面に露出していた、いわゆる「前期型車体(旧車体)」のチハである。
    • 「後期型車体(新車体)」では、この車体側面部分を装甲カバーで覆うことで小口径弾や爆弾の破片などに対する防御力が向上しており、排気はフェンダー(泥除け)を通して下方へ流す方式に変更されたのでエンジンの冷却効率も改善されている。*39

-無線装備について

  • あまり注目されない特徴であるが、チハ採用当時の日本軍戦車搭載無線機は他国に引けを取らないぐらい充実した物となっている。日本軍の無線機と言えば誰しも雑音だらけの(これはこれで熱帯地域で活動していたから等のどうしようもない事情が有るとは言え)無線電話を思い浮かべるだろうが、こと戦車用無線機においてはスペースや重量に関する制約が無かった為か優秀な物であった。
  • チハ正式化当初、マトモな戦車用無線機と言えば独軍ぐらいしか装備しておらず。米英も一応戦車用無線機を搭載していたとは言え、その性能は当時の日本軍よりかはやや劣る程度であったと言う。そして仏ソに至っては戦車用無線機の装備率すら少なく(隊長車にすら装備されていなかったことがしばしば)、ハッチを開けて手旗信号によって部隊を指揮していた程だった。*40
    • 日本軍は八九式中戦車に装備されていた九四式四号丙無線機の時から既に雑音対策(エンジン駆動時に発生する電磁波を遮断する等)が採られ、車内のみならず隊内電話すら比較的良好に行えたのである。この数少ない強みは、例えばマレー半島攻略作戦等にも影響を及ぼし、かの「スリム殲滅戦」で有名な島田豊作少佐による戦車夜襲といった作戦行動を成功に収める大きな助けとなった。
  • 砲塔上部、知らなければ手すりと勘違いしてしまいそうな環状のものが、チハの標準搭載する「九六式四号戊無線機」用アンテナとなる。その形状から、鉢巻きを巻いているように見えるという事で通称「鉢巻きアンテナ」と呼ばれている。*41
    • ただ、このアンテナと無線機は主として隊内通話を目的とした近距離通信用。そのためより強力な長距離通信用無線機を搭載した隊長車等の指揮車輌が隊外への長距離通信をおこなう場合、車体前後にあるホルダーにロッド*42を立て、空中線を展張する。
  • この他、夜間行動中や無線封鎖時の指揮・連絡手段として、砲塔上部および車体後部に3色(緑・橙・赤)発光方式の信号灯を装備していた。
戦歴

戦歴
-ノモンハン事件

  • 事実上の初陣とされるのは1939年5月よりおこなわれたノモンハン事件である。チハは陸軍にとって最新兵器で、参戦した部隊内では戦車第三連隊に僅か4輌が配備されているのみだった。このうちの1輌に連隊長吉丸大佐が乗車して陣頭指揮を執っている。
    • 7月頃より本格的な行動を開始した日本軍戦車部隊は、当時世界的にも珍しい大規模な戦車夜襲を決行するなど戦果を挙げていたが、3日のソ連軍陣地攻撃で大損害を受ける。連隊長乗車のチハもワイヤー状対戦車トラップが絡みついて行動不能となり、そこへ集中砲火を浴びて撃破、吉丸大佐は戦死してしまった。その後、部隊は損害を出しつつも奮闘を続けていたが、戦車隊の壊滅を懸念した関東軍より9日には後退命令が出される事となる。ノモンハンでのチハ喪失数は1輌(吉丸連隊長車)だったという。
    • ノモンハンにおいて日本軍戦車部隊が交戦したBT-5やT-26は車体正面でも装甲15mm程で、チハや八九式中戦車が装備した短砲身57mm砲の徹甲弾でも撃破する事は出来た。*43しかしこれらソ連軍装甲車両の主砲は当時世界でも有数の対戦車火力を持つ長砲身45mm戦車砲で、日本戦車との攻撃力の差は歴然であり、この事がのち新砲塔チハの主砲となる高初速47mm戦車砲開発を加速させる契機になったとされている。
       

-日中戦争

  • 日中戦争では1938年頃、戦線拡大していく中で初期生産型の極少数が初めて試験的に実戦投入され、以降貴重な機甲戦力として活動した。中華民国軍は日本軍よりも兵員数では相当優勢で地の利もあったが、多くの軍閥部隊も含まれていたために指揮は統制されているとは言い難く、装備も雑多であり、兵器の質や練度、士気には部隊ごとで非常に大きな差があった。*44
    • なにより中国軍はその規模に対して対戦車用兵器や各種野砲などの装備率が低かった為、友軍歩兵の突入援護、対敵歩兵はもちろん塹壕・機関銃陣地を相手にチハは大きな威力を発揮し続けている。そして日本からの海路輸送、中国大陸の低インフラ、多くの河川と行軍や兵站には厳しい条件だったが、比較的軽便なチハはその点もそこそこ適応することができた。
      • しかし大戦後期になると米中軍航空兵力の活動も活発化。戦車隊は偽装や夜間移動など常に空襲を避ける為の慎重な行動をせざるを得ず、その機動力が封殺される場面も多くなっていった。
    • また中国軍に対しては「総じて士気が低く、戦車などが現れるとすぐに逃げ出した」といったように語られる事もあるが、一方で「戦車には小銃や機関銃をはじめ手あたり次第に火力を集中して、常に激しく攻撃を加えてきた」*45という証言もある。
      • だがチハにとって脅威となる対戦車砲など重火器は少なく、敵戦車となればさらに少なく、大陸戦線における日本軍戦車隊の被害は、戦車そのものの破壊より下車している際の狙撃など将兵への直接的な攻撃によるものの方がずっと多かったという。*46
         

-太平洋戦争初期

  • 南方へ進出したチハが相対したのは各国連合軍*47であり、その中には対中戦においてあまり出会わなかった対戦車用兵器、さらに多数の重砲や強力な戦車を配備している部隊も多く存在していた。そしてこの時期になると列強各国による新型戦車開発ペースが凄まじく、チハは急速に旧式化し、日本の戦車技術も既に時代から取り残されつつあった。
    • マレー作戦ではジットラ・ライン突破やスリム殲滅戦をはじめマレー半島の電撃的な突進作戦成功に大きく貢献、続くシンガポールの戦いでも機甲戦力の中核として重要な役割を果たしている。その一方で対戦車砲、大口径砲の集中射などによる戦車隊の損害も大きかった。
      マレー・シンガポール、ビルマの攻略戦に参加した戦車第一連隊第三中隊小隊長、寺本弘中尉(当時)は、マレー作戦時における「敵の四〇ミリ対戦車砲の命中弾によるチハ車の抗堪性と損傷状況。」*48として次のように述べている。なお、マレー作戦でのチハ車喪失数は13輌(うち炎上6輌)、損傷(修理後復帰可能)11輌、割合としては正面に対する命中弾が最も多く、特に炎上した車輌には3発以上の被弾痕があった。*49

      「一、一発の命中弾で戦車が沈黙したことはない。負傷者の状況は命中部位によって異なるが、戦闘は継続できた。
       ニ、数発の命中弾を受けると、戦車は擱坐して戦闘力を失うにいたる。
       三、三発以上の命中弾を受けると、戦車は通常炎上し、自爆する。」*50

  • マレー作戦中に敵戦車は出現しなかったが、ビルマやフィリピン方面では合計220輌程のM3軽戦車が配備されていた。各方面に派遣されているチハよりも数が多く、攻撃力・防御力・機動力全てで格上の強敵だが、多くは戦車戦以外の要因で失われている。
    しかし少ないが戦車戦も発生しており、その正面装甲38mmに対してチハや八九式中戦車の57mm砲、九五式軽戦車の37mm砲では貫通できず、苦戦を強いられる事となる。それでもチハ数輌での集中射撃で装甲を叩き割ったり、リベットやボルト止めを57mm榴弾で破壊して内部にダメージを与える、などして撃破した例もあり決してチハで撃破出来ない訳ではなかった。
    • フィリピン攻略戦は「新砲塔チハ(チハ改)」の初陣となっている。チハ改10輌が配備された臨時松岡中隊は第二次バターン半島攻略戦、コレヒドール島要塞攻略戦に参加して戦果を挙げたが、M3軽戦車と直接交戦する事はなかったとされる。
新砲塔チハと一式四十七粍戦車砲

新砲塔チハと一式四十七粍戦車砲

  • 新砲塔に換装され戦車としてのシルエットも大きく変わったチハ改であるが、その砲性能も高初速化*51によって全くの別物となっている。
    フィリピン上陸後、早速実施された鹵獲M3軽戦車に対する射撃試験では、射距離1000mで6発中3発、800mで9発中6発がその正面装甲を貫通。M3軽戦車の装甲を撃ち抜ける待望の戦車として戦車隊の士気は大いに上がったという。さらに陣地戦における取り回しの良さ*52を重視した九七式五糎七戦車砲はその短砲身低初速ゆえ弾道が山なりだったが、一式四十七粍戦車砲の砲弾は高速で直進するため射撃精度が向上、遠距離の移動目標等に対する攻撃も格段にやりやすくなった。
    • 肩当て式で砲を可動でき、発砲後の砲身後退を利用して自動排莢を行なったりする機構が採用されている点は九七式五糎七戦車砲と変わらない。*53しかし砲弾が大型化したので流石に砲手の片手装填といった事はできなくなり、部隊によっては装填手も加えて乗員5名で運用する場合もあった。そのほか、榴弾威力が若干低下したが、深刻な問題として指摘される程ではなかったようである。
  • 南方作戦全体で見るとかなり綱渡り的な部分があったものの、連勝による士気の高揚や攻勢側の奇襲性、制空権及び制海権の優勢、連合国側では多国籍軍故の連携の難しさ等もあり押し通す事が出来たともいえる。
    • そして戦車隊にとっては相変わらずの低インフラであり、海路輸送と敵地への上陸、多くの河川に破壊された橋、経験のない南方の気候や地形等、戦車の運用には多くの困難があった。しかし戦車隊将兵や支援する工兵隊などの努力による急進撃をみせて、その戦い振りは「鉄獅子」として広く報道され脚光を浴びる事となった。
       

-太平洋戦争中期以降

この装備についてのコメント

  • ∩(・ω・)∩ばんじゃーい  -- 2023-04-03 (月) 18:10:47
  • 開発された年代の歩兵戦車と比べると割と良戦車なんだけど比較対象がM4だのT-34だのになるのがな… -- 2023-04-03 (月) 20:36:51
  • このチハたん、他作品だけどガルパンに出てきてなかったっけ?それで存在を知った口なんだけど記憶近いかな -- 2023-04-04 (火) 03:31:57
    • 出てるよ~。その名もズバリな知波単学園の主力戦車。日本戦車は95式、97式(新/旧)、特2式が知波単保有。89式、3式が大洗保有。 -- 2023-04-04 (火) 04:01:18
      • あ、やっぱり出てるよね。そこまでの区別がついてなかった上に知波単以外にも大洗も持ってたことにちょっと驚いてる。テレビ版と劇場版で見て「あ、ガルパンに出てきたの実装されるんだ。欲しいな~」とか思ってたw -- 2023-04-05 (水) 02:12:22
      • 大洗と言えばガルパンの舞台とは少し離れるけど、那珂川の河口があり、艦隊のアイドルのお膝元でもあるんだよ!(アイドル特有の強引な営業活動) きっと、那珂ちゃんも戦車に興味津々のことだろう。(アイドル特有の強引な結びつけ戦略) だけど、那珂ちゃんは戦車はおろか大発も装備できないんだよーごめんねーキャハ☆(アイドル特有の肝心なところでの逃げの一手) -- 2023-04-05 (水) 18:21:46
      • 最終章では、大洗女子と知波単学園が対決していて、思ったよりずっと激戦だった。そういや陸軍の歩兵部隊って、密林戦で大きな戦果を遺していたらしい。 -- 2023-04-09 (日) 02:52:23
      • 那珂ちゃん、営業なんかしなくてもこんな所にいる子は磯前くらい行ける子はとっくに行ってると思うよ -- 2023-04-10 (月) 19:41:46
  • チハの装甲が30mm欲しいと要望されたのはあくまで従来型(後の第一種装甲=均質圧延鋼)を使う前提の話で、25mmでヨシとなったのは新型(第二種=表面硬化鋼)を採用することになったから。実際のところ第一種30mm厚より第二種25mmの方が全般的に優秀なので、むしろ当初要求の装甲厚よりは強化されている。チニの装甲厚がチハと同じで計画されていたのが諸々の変更の結果20mmまで削られたことと恣意的に混同されて、やたら「薄くされた!だからダメ!」と揶揄されるネタになってる気がする。 -- 2023-04-04 (火) 07:55:31
    • ちなみに30mmという要望自体は、あくまで昭和10年当時対峙していたトレンチガン由来の対戦車砲類に有効な装甲厚というものであって、WW2時点の対戦車砲に対して有効とは言い難いものだったのはまた別の話。とはいっても1945年の米軍レポート見た限り、歩兵砲として太平洋戦線で広く使われていた37mmM3対戦車砲(=M3軽戦車の主砲)では450mからだと角度がついていたら正面貫通できないとされているので、よく言われてる「300mから94式速射砲だと貫通しないけど、中国が輸入してた37mmPAK35/36だとスパスパ抜かれた」ってのも実際は怪しい気がする -- ? 2023-04-04 (火) 08:13:28
      • これ地味に陸軍の当初要求クリアしてっからなぁ、なんでか皆無視るけど。後俗説の一つとして「チハの装甲は薄すぎて徹甲弾過貫通するから、シャーマンは榴弾で対応した」って言う、明らかにペリリューのハ号と混同した奴有ったりするんよなぁ -- 2023-04-04 (火) 12:24:12
      • 訂正。☓ 450m → ○320m -- ? 2023-04-04 (火) 14:01:45
    • この辺の話はアジア歴史資料センターの Ref.C01004239300 「陸軍軍需審議会に於いて審議の件」を読むといろいろ楽しい。参謀本部が愚者みたいに言われるけれども審議においてはむしろ調整役みたいな立場で、軍務省と現場と技術部門の間でどうにか話を纏めようという姿勢に見えたりする。 -- 2023-04-04 (火) 16:56:47
      • むしろそれが参謀の仕事なんだよなぁ……… -- 2023-04-04 (火) 21:08:27
      • ↑まあ結局説得できなくてチハ・チニの半競作しちゃうんですけどね… -- 2023-04-05 (水) 13:06:53
      • チニは途中で開発中止したんだけどちゃんと調べた? -- 2023-04-05 (水) 20:04:04
      • ↑いやいや何言ってんの大造で実動の試作車2両作って珍しくオーディションまでしてるじゃないのさ。結局チハに決まったから量産や制式化はされなかったけど。 -- 2023-04-07 (金) 15:28:32
      • オーディション=半競作なら世界中の兵器やら機械製品が半競争になるな、まぁここのコメント欄的にはそうなんだろうが -- 2023-04-08 (土) 10:03:35
    • 結論:司馬遼がおもしろい小説書いて人気あるのが悪い -- 2023-04-05 (水) 20:14:04
      • 結論:フィクション小説真に受ける読者or悪乗りする奴が悪い -- 2023-04-05 (水) 21:25:48
      • 一次資料を司馬遼から借りたため、なんとなく心情に寄り添っちゃう学者先生も悪い -- 2023-04-05 (水) 22:06:20
      • それに騙される人達も悪いんですがね、自分から資料探さずに他人のせい他人のせいしてたら呆れられるだけですな。 -- 2023-04-06 (木) 22:23:17
      • 戦車乗りの司馬遼太郎が言っていた、チハの装甲に簡単に傷をつけることができたっていう話は本当なんかな?本当だったとしても表面処理と防御力はまた別かもしれないしな。 -- 2023-04-16 (日) 22:29:05
      • 司馬遼太郎が『歴史と視点―私の雑記帖』で指摘してるのは、「チハの装甲はヤスリで削れなかったが、三式中戦車(チヌ)は削れた」。表面処理については、チハの装甲は浸炭による表面硬化されたもので、非常に固く主に重量の軽い小口径弾を「はじく」ことを主眼に置いている。対し、チヌの装甲に使われたのは表面焼入だけで表面をある程度固く、内部に粘りのある分厚い鋼を採用し重量の重い高速の砲弾を厚みによって耐えるようになっている。チハの浸炭鋼は非常に固く工具鋼ヤスリでは削れないが、圧力に弱く割れやすい。対し、厚みのある適度に柔らかい鋼は高い圧力がかかっても伸びて粘ることによって侵徹させずに砲弾のエネルギーを食い止めることが出来るが、当然柔らかいのでヤスリで削れる。チハが開発された段階での戦車砲は37㎜クラスが主流で、弾頭も軽く、そもそも進軍中に敵戦車に会敵して戦う設計ではなかった。後に戦車の数が増えて集中配備される戦術が生まれ、「対戦車戦闘」が戦車の役目に加わる事によって、戦車の装甲は厚く耐えるものに劇的に進化した、というのが簡単な流れ。 -- 2023-04-16 (日) 23:31:31
    • 唯の鉄板だと20mm位なら距離によっては対戦車ライフルで抜かれるんだよねぇ。 まぁ戦車の装甲がそれ以上になって対戦車ライフルじゃ抜けなくなってからは操縦席の銃眼とか、コマンダーズハッチから乗り出してる指揮官とか狙撃するようになったり、擲弾発射器に改装されたんだが。 -- 2023-04-05 (水) 22:42:59
      • 九七式自動砲は220mの距離で第一種装甲30mmを抜くらしいので、対戦車ライフルも20mm径まで行くと侮れないことに。(自動砲みたいな巨大なブツを対戦車ライフルと言っていいのかは置いといて) -- 2023-04-07 (金) 15:54:32
      • チハは25mmの傾斜装甲だから同時期の戦車とかと比べると小口径弾には強いほうではあるんだけどね… -- 2023-04-07 (金) 23:49:31
      • まぁ口径20mm以上は基本的には砲扱いになるんだが、20mm口径にも係わらずライフルって名称なの結構あるんだよねぇ・・・第二次大戦中だとソロターンS18-100&1000、ラハティ L-39(ストウィでちょっと有名になったかも)、Tb.41 24mmとか戦後だとアンチマテリアルライフルに名称が変わってNTW-20、Truvelo-CMS、ペイロードライフル(25mm)辺りかな。 傾斜装甲も傾斜の角度で効果が変わる(斜面効果)んだっけ。 実際垂直な装甲と傾斜装甲でも重さ的には殆ど変わらず、傾斜装甲だと垂直装甲に比べて車内の居住性や作業効率が低下するってデメリットも・・・。 -- 枝主? 2023-04-08 (土) 20:50:30
      • 「ライフル」自体はライフリング(螺旋状の溝)が掘られてる、というほどの意味だからねぇ。現代では小銃の別名のように使われてるけど、第二次大戦当時も戦車砲をはじめとする砲もジャイロ効果による安定性のためにライフリングが掘られてたし、砲口径はあまり関係ない。むしろ弾が大きくなればなるほど複雑な機構が組み込めるから旋状自体が弾速を落とすデメリットになり、後に戦車砲などはライフリング無しの滑腔砲が主流になって、小口径の単純な機構自体がメリットになり得た為にそのまま名前が残った、という感じ。 -- 2023-04-09 (日) 21:22:45
      • ライフル砲より滑空砲の方が砲身寿命長くなるし。 戦車砲に関しては滑空砲よりライフル砲の方が命中率が高いって理由でライフル砲使ってたチャレンジャー1&2も遂に弾薬の在庫が減って来た&他国との弾薬の供用化って事でチャレンジャー3辺りから滑空砲に変えるって話だね。 -- 枝主? 2023-04-09 (日) 21:37:50
  • 今更気づいたけど硫黄島が舞台でチハってことはこれバロン西隊長の部隊か(戦車26連隊) -- 2023-04-06 (木) 02:14:27
    • 追って投入されるだろうね。騎兵部隊にウラヌス号は無理かなあ。 -- 2023-04-19 (水) 01:59:22
      • ウラヌス号は名馬だけど軍馬ではないからなぁ。西隊実装の際にイラストで戦車+ウラヌス騎乗の西隊長妖精、であればあるいは… -- 2023-04-19 (水) 06:50:13
  • ここ日本戦車アンチ陸軍アンチ極まってて草、まぁ海軍のゲームだから仕方無いけどw -- 2023-04-08 (土) 10:05:09
    • 称えなければアンチであるという風潮 -- 2023-04-08 (土) 10:11:46
      • M3とチハを比較しておいて「称えなければ~」ってなんやねん -- 2023-04-08 (土) 12:28:05
      • 誰も称えろとも言ってないし、称えても居ないのだが………。ここはこうで違うだろとか、こう言う背景が有るだろって言う意見無視して信者みたいに扱うのはどうなんですかね。 -- 2023-04-08 (土) 14:54:47
      • まぁチハだと今までのキャラ付けのせいでどうしてもネタに走ってしまうからなぁ。気になるなら木主が編集してみたらどうかな? -- 2023-04-08 (土) 15:26:23
    • 実装から少ししか経ってなくてしかもイベント最終海域の報酬なんで、まだまだ海域攻略に勤しんでる最中で圧倒的編集者不足なんよ。 -- 2023-04-08 (土) 16:28:26
    • ………ネタ? -- 2023-04-08 (土) 20:21:27
      • チハたんというキャラ付けを元にしたネタだね。ただまぁチハたんの意味と使われ方を考えると、場所を選ぶ必要があるとは思う -- 2023-04-09 (日) 02:58:05
  • 国内にこの九七式中戦車が現存してる、とは聞きます。それについても小ネタに記してくださりますればm(_ _;)m -- かぼちゃ大王? 2023-04-08 (土) 13:44:00
    • 人に編集を依頼するのは悪い事ではないが、せめて根拠記事等の提供と、コピペで済む程度の文面草稿は書いておこう。 -- 2023-04-08 (土) 14:01:22
      • ありがとうございましたm(_ _;)m手探りながらこれ/wikipediaよりなら使えうるでしょか? -- かぼちゃ大王? 2023-04-08 (土) 20:23:41
  • 子供の頃の自分の渾名(本名由来)が「ちは」で、もしかしたらミリヲタだったらしい亡き伯父と会う度に戦車のチハの魅力を熱く語られていた記憶がぼんやりあります。今になってこれのことか!と分かって胸熱です。 -- 2023-04-08 (土) 16:02:42
    • 「ちはや君/ちゃん」かな?うちの親戚の子も同じで「ちはちゃん」って呼んでるよ。 -- 2023-04-09 (日) 14:59:53
  • 小ネタの概要,性能,比較を編集 -- 2023-04-08 (土) 16:30:21
  • 今後は百一が泥するたび、改まで育てれば必ずチハが手に入るのか…戦車中隊組めるまでは揃えたいな! -- 2023-04-08 (土) 16:51:28
  • 戦車はなんでもOKです。クローラーを履いていればなんでもOKどこでも行ける少し弱くても、男の子は戦車が大好き!チハタン頑張れ!!! -- 2023-04-08 (土) 21:27:51
    • クローラー、日本語での名称だと無限軌道、登録商標名だとスタッグか。 何処でも行ける、何処でも行く為(舗装道路とか)にはゴム製に履き替えましょうねw そして常に世界各国で車体の大型化&主砲の大口径化を続けている戦車は現代の大艦巨砲主義でもある、海から陸に変わっただけの。 -- 2023-04-08 (土) 21:57:16
      • よく重機とかにある無限軌道のことを「キャタピラ」って呼ばれることあるけど、あれ会社名なのよな。しかし履帯って履き替えられるのか… -- 2023-04-09 (日) 11:17:41
      • 戦車が移動する際に貨車に積んだ時に邪魔になるからって理由で幅の狭い履帯に替えてから積む事もあったりする。 そして移動先に着いてまた元の幅の履帯に戻すという・・・。 -- 2023-04-09 (日) 12:14:01
      • T28重戦車「なんだよ、面倒だな!取っちまえ、HAHAHA!」 -- 2023-04-09 (日) 12:19:10
      • 何百年も後の、宇宙さえも戦場になる、MSというロボット全盛の時代でも、キャタピラ兵器はついて廻る(ガンタンクシリーズ・ザクタンク・ヒルドルブ・マゼラアタック・ロトetc) -- 2023-04-09 (日) 14:17:38
      • ガンタンクに関してはMS開発中での二足歩行が成功するまでの手っ取り早い移動方法って何かで見た覚えがある。 ザクタンクは下半身若しくは足がオシャカったザクとマゼラアタックが失われた若しくはその接続部分がオシャカったマゼラベースを繋げただけのリサイクルなんで二足歩行からキャタピラにする必要があったからった訳でもないんだけどな。 -- 枝主? 2023-04-09 (日) 18:59:34
      • ↑枝主さん、ご助言ありがとうございました!ザクタンクには、ザクⅠとザクⅡ(グリーンマカクetc。ロケランやビーム砲など武器付きのも有り)それぞれのリフォーム仕様が多数ありますね。しっかしまあ、今なお「ばんじゃーい\(^。^)/」のコメの何と多いことかな...GoodGriefです -- 2023-04-09 (日) 20:06:53
      • 追記するとヒルドブルは「戦車に核反応炉+30cmとか本来艦載砲クラスを積む計画」(だったと思った)の結果があの大きさになった訳で。 グリーンマカクはまさかのロボット魂で商品化、ロケラン+ビーム砲は「コロニーの落ちた地で」に出て来たライノサラスのバストライナー砲搭載の方かな? -- 枝主? 2023-04-09 (日) 21:02:54
      • ↑遅くですがーー枝主さま、またまたありがとさんです!!じぶんもあのMSイグルー(BS11で見た)、一命張ってオリヴァーやモニクをかばったソンネンの漢(おとこ)ぶりに心震わされた一人であります -- 2023-04-13 (木) 15:37:29
      • ロボットならまだしも、ウルトラシリーズには恐竜戦車があって、子供心にぶっ飛んでるなと思ったのと、なぜ恐竜?とか色々もやもやした思いが。 -- 2023-04-16 (日) 22:38:10
      • あれは謎な存在だわな、何で戦車の車体の上にまんま恐竜? つか足あるんだからキャタピラいらなくね? 砲塔も無いし、上の恐竜も固定とか普通の戦車の方が強くね? とか・・・。 -- 枝主? 2023-04-16 (日) 23:05:10
      • 意味がわからないものに出会った時には、まず「かっこいいかどうか」を考えれば、そいつの存在理由がだいたいわかる。かっこよければ、かっこいいから。かっこわるければ、おもしろいから。 -- 2023-04-16 (日) 23:46:33
  • なんでこここんな荒れてんだ…(困惑) -- 2023-04-08 (土) 22:37:08
    • チハたん∩(・ω・)∩ばんじゃーい、をネタとして受け入れられるか受け入れられないかってのが理由の一つなんでないの? まぁべるぬいの所のypaaaa!だっけ?あれと同じようなノリだと思うが -- 2023-04-08 (土) 22:54:46
      • べるぬいは本人も言及してるネタだけど、これは完全に外部のネタでは? 全く知らない外部の内輪ネタを持ち込まれて嫌な気持ちになるのは当然な反応と思う。 -- 2023-04-08 (土) 22:58:44
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      • ここでやってんのべるぬいのУpaaaaじゃなくて、死神雪風みたいなもんだろ -- 2023-04-08 (土) 23:27:40
      • チハたん∩(・ω・)∩ばんじゃーい、を肯定的に使ってる人も受け取る人もそんな居ないぞ、少なくとも前向きに馬鹿にしてるネタ。 -- 2023-04-08 (土) 23:47:53
      • 気持ちいいか気持ち悪いか何て何処にも書いていないのに他人の悪口聞いて気持ちよくなれる奴居るか?とか書けるとか、素晴らしい御慧眼ですね! リハク様以上ですよ! -- 2023-04-09 (日) 09:12:37
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      • 煽るな煽るな、「なんてこここんなに荒れてんだ」の思うつぼゾ -- 2023-04-09 (日) 11:39:47
      • こんなしょーもない事してっから呆れられたり荒れたりするんだろ、受け入れる受け入れないの話じゃないでしょ -- 2023-04-09 (日) 12:35:16
      • わざわざ別の木を立ててまで荒そうとしている人間には何を言っても無駄。 -- 2023-04-09 (日) 18:21:08
      • これの元ネタ知らんのでてっきり他の連呼ネタの類と思ってた、申し訳ない・・・。 -- 枝主? 2023-04-09 (日) 19:49:01
      • 俺も元ネタ知らんわ。西絹代なら知ってるけど。 -- 2023-04-10 (月) 19:46:16
      • おい待て、なんで俺があたかも愉快犯みたいになってんだよ笑。まぁそれはともかくこの程度のネタでここまで荒れるなら、いっそ貼らんほうがいいのかもしれないな…(手遅れ)2葉みたいなのも沸くし(小声)。 -- 木主? 2023-04-13 (木) 22:59:49
  • 対弾性能について、編集 -- 2023-04-08 (土) 23:51:17
  • 登場時世界水準(超え)だろうとWW2時には時代遅れで弱い戦車ってのは紛れもない事実だしそれでずっと戦い続けてたんだからネタにもされる。これで一式中戦車が主力の座についてたら零戦と同レベルのネタ具合で済んだかもしれんがな…。と言うか日本兵器にだけ過剰反応しすぎなんだよな、ユーザーの大半が日本人だから当然なのかもしれんが。 -- 2023-04-09 (日) 14:14:00
    • 独ソ戦序盤にT-34にボコされ、やっとの事で最新砲を装備したと思ったらT-34-85にボコボコにされた我等が四号戦車の悪口はやめるんだ -- 2023-04-09 (日) 18:46:59
      • 初めて傾斜装甲を装備し、この後他国も傾斜装甲を取り入れるきっかけとなった通称「T-34ショック」、75mm砲が主流の中で85mm砲装備のT-34-85とか戦後も暫く使われたりとT-34が与えた影響は大きいかと。(砲弾ラックに常備してる砲弾使い切ると床の覆い剥がして補充とか無線機装備してなかったりとか使い勝手微妙がロシア風)だが4号の敵は王虎で討つ! -- 独逸贔屓? 2023-04-09 (日) 19:27:25
      • Ⅳ号くんは車格が大分良くて改良の余地が色々あったから…。まぁそれがプラスに働いたかマイナスに働いたかは微妙なところだと思うけど…。 -- 2023-04-09 (日) 19:39:26
      • バリエーションの多さ及び派生派の多さ(Ⅳ突、ヴィベルウイント、オストヴィント、メーベルヴァーゲン、ラング、ホルニッセ、ナースホルン、クーゲルブリッツ、ブルムベア、ナースホルン、高射砲搭載、弾薬運搬、戦車回収、架橋、潜水)からしてバリエーションの多さは改善の余地有り故かもしれんが、派生派の多さは車体の優秀さの表れでなはいかと意見具申致しまする。 個人的にはⅣ号よりⅠ号及び虎のバリエーションがす・・・いえ何でもないです -- 独逸贔屓? 2023-04-09 (日) 20:23:15
      • 「やっと」というか7,5-cm-KwK 40 L/43を搭載したF2型の出荷が1942年3月以降、T-34-85の生産が1944年1月(本格的な生産開始は同年3月)ということでT-34をボコり返した時期が丸二年ほどもあるから……。 -- 2023-04-10 (月) 10:34:32
      • それってT-34-76はボコり返したけどT-34-85にボコり返されたって言・・・まぁ王虎と駆逐虎ならボコり返せるから良し! 燃料切れORエンジントラブルで放置OR爆破遺棄? んー? 聞ーこーえんーなー・・・ -- 独逸贔屓? 2023-04-10 (月) 21:07:32
      • まあT-34って鹵獲車両を試験したドイツ軍に言わせると照準が付けにくいそうだし、KwK 40 L/48搭載型だったらT-34-85でも一方的に負けることはなさそう(なおソ連の物量 -- 2023-04-11 (火) 01:58:45
      • 無線機積んでないから手旗信号の練習してたらしいが、何台もハッチから乗り出してやり取りしてたら装甲が厚くなってお蔵入りしてた対戦車ライフルのいい的でない? 寧ろロシアの戦車だとヤバいのはSU-152・・・虎とか豹ボコったんで仇名は猛獣殺し若しくは野獣狩り ゲッ、SU-152?!駆逐虎呼んで来い! -- 独逸贔屓? 2023-04-11 (火) 17:48:21
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    • 枝付けくらいちゃんとしてもろて…。戦車ほど極端な進化をしてない銃があんまりネタにされないのはそりゃそうでしょうよ。まぁその銃でも比較的ってだけで全く言われないわけじゃないけどな。「おれにはこれしかないんだ!」とか擦られまくってるの知らん?まぁ取り敢えずきっしょとか草生やすのとかやめたほうが良いぞ。 -- 2023-04-09 (日) 19:33:58
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      • このコメント欄を見る限り、繊細がどうとかと言うより年代を見るべきでは?当時の開発経緯を見るべきでは?何処が戦場かを把握するべきでは?と言う真っ当な意見すら無視している旧来ミリオタがバカにされてるだけかと思われるが……… -- 2023-04-09 (日) 20:40:55
  • と言うかこんなスベってるだけの昔のネタを何故こんなに引きずってるのかがわからない、チハたん∩(・ω・)∩ばんじゃーいの何が惹き付けられるんだ………? -- 2023-04-09 (日) 16:26:38
  • チハ以降は統制型を載せたのを見るに整備性の面で扱い難いエンジンだったんだろうなぁ…ハ号機が扱いやすかった分余計に…他社技術者が「屁理屈の塊のようなエンジン」、当の三菱の技術者ですらボロクソに言ってるし… 1941年には搭載エンジンの変更計画まで出てるしな…(97式の車体を流用してるセリでは100式を搭載してる -- 2023-04-09 (日) 20:46:55
  • チハたん∩(・ω・)∩ばんじゃーいがしれっと消されてるんだけど、過去コメント見ると賛否取った結果"目立たない所に配置"ってなってるから戻していいんだよね?そもそもただのゲームのwikiで昔からある鉄板ミームでそこまで揉めんでも… -- 2023-04-13 (木) 14:19:31
    • 上の議論を参考に赤色指定を消して復旧しました。惑星WTのWikiでも突然チハたんが何の報告もなく消されて騒ぎになってるし、同じ人かな?って勘ぐってしまう… -- 2023-04-13 (木) 22:44:48
    • コメント削除されまくってる荒らしが消したみたいですね。 -- 2023-04-13 (木) 22:59:33
  • あの横山信義先生も、日本軍の戦車の弱さ・もろさを嘆いていた?ようでありますね。先生の作品の中での日本戦車は、ドイツまたは米国の協力(火砲・エンジン等の技術サポートor実車の直接買い入れ)でずいぶん強くなってるケースが多数あり -- かぼちゃ大王? 2023-04-14 (金) 21:12:59
    • 仮想戦記がどうとかいってるところにつけてもしょうがないけど、機甲戦闘は終戦により試作どまりだった四式中戦車(および五式中戦車)が本命でしょ。 -- 2023-04-14 (金) 21:24:56
      • ご返事に感謝でっす!!m(_ _)mあれはまさに「遅すぎた4番バッター」だった ーー時期的には前後しますが「ノモンハンの夏」など読んでると、その弱さもろさが悲しくなるほどに分かる (T-T(火炎ビン等の自活兵器も、蟷螂のオノ同然だった)そして、ノモンハンで多大なる犠牲払うて学べ得た”はず”の事に眼を向けずそらし、現場の将兵らに口封じ同然の仕打ちをしていた”上”のおろかさにも (..; -- かぼちゃ大王? 2023-04-15 (土) 11:18:05
      • 言うてソ連と不可侵条約結んだら相手に強力な戦車とかほとんど出てこないんですわ。優先順位が落とされて戦車の開発が遅れるのは当然かと -- 2023-04-21 (金) 17:26:20
  • TPは大発と同じね。改修出来る分、大発でいいや。 -- 2023-04-15 (土) 11:25:34
    • 「TPは大発と同じね」→これ装備できるのはモモちだけでつまりE6クリアしてるのにどうやってTP確認したんだ? 「改修出来る分、大発でいいや」→モモちは大発装備できないんだけど -- 2023-04-19 (水) 07:08:42
      • 木は特大発+チハ(orチハ改)のページと間違えてるんじゃない? -- 2023-04-19 (水) 09:11:20
      • 特大発+チハの事言ってるとしても、アレTPは大発扱いじゃないって話なんだよな -- 2023-04-21 (金) 00:20:53
  • 実はM4相手にした時に撃破出来るのは新砲塔の方じゃ無くて、旧砲塔のこっちだったり。 -- 2023-04-19 (水) 18:04:15
  • 旧日本軍最弱列伝覚えてる人いる? -- 2023-04-19 (水) 19:21:36
  • チハタンタンターン チハタンタタタンターン -- 2023-04-21 (金) 16:36:31
  • 賛否のほどは重々承知なるも、このチハであれ、兵器は少しでも欠かせぬものでござんす。有効活用しなければ。あとはif戦記ファンにも玄人好みなブツ、と聞くこれ(私見ながら、奇襲兵器としては使えうる?)があれば完璧だが・・・? -- かぼちゃ大王? 2023-04-27 (木) 15:26:44
  • やっとこゲット出来た、長かったぜよ・・・待たせたな、ももちー・・・。 -- 2023-05-17 (水) 22:34:47
  • サイパン戦車戦/潮書房光人新社・刊チハが奮戦したサイパンの実情、戦後、かの地に埋もれさらされていたチハが発掘され、靖国神社に奉納(現在は同社遊就館で展示)されるまでの全記録!是非とも、提督諸氏もお読みあれ!! -- かぼちゃ大王? 2023-06-11 (日) 09:02:59
  • 急報失礼!知覧で買い入れた靖国神社刊の本で知ってはいましたが、知り捨てならずいちおう報告までに。チハ他の戦車が”アレ”的な使われ方をしたケースが (OO; -- かぼちゃ大王? 2023-06-17 (土) 10:54:42
  • 百一号装備リストにチハ出てこないんですけど? -- 2023-10-07 (土) 22:24:39
    • だって改の方だし、無改造ではなぁ -- 2023-10-07 (土) 22:34:32
  • 靖国神社のチハたんにも会って来たぞ!! -- 2024-05-06 (月) 21:44:17
  • これって艦これで実用性あるの? -- 2024-09-19 (木) 19:55:04
    • 実用できんわけではないが、同じタイミングで新砲塔チハが入手できたので殆どの人は出番ない。 -- 2024-09-19 (木) 20:27:19
      • 今回はじめてももち手に入れた人はこれが最高級品になるだろうけどね -- 2024-09-19 (木) 20:37:18
      • そのパターンなら実用性ないねえ。改もだけど歩兵部隊と組ませてこそだし。 -- 2024-09-19 (木) 21:19:21
      • 実際過去のイベントで装備取ってないと第百一号輸送艦改自体実用性がないですし… -- 2024-09-19 (木) 21:25:40

*1 車長、操縦手、砲手(装填手)、通信手(前方機関銃手)の計4名。
*2 こちらは日本戦車として最多となる2378輌が生産された
*3 日本陸軍は大戦初期の南方作戦でかなりの数のM3軽戦車を鹵獲して部隊での運用も行なっていた為、「日本陸軍の最強戦車は鹵獲した軽戦車」としばしばネタにされてしまっている。ただM3軽戦車はアメリカがポーランド侵攻(1939年)等の影響を受け、いよいよ本腰を入れて「戦車対戦車」に取り組み始めた頃に開発された戦車であり、チハとは設計思想も世代も異なるという面もある
*4 全備重量12t、最大装甲厚17mm、57ミリ砲1門と6.5mm機関銃2丁という武装を持ち、120馬力エンジンで最高速度25km/hを発揮する4人乗りの中戦車
*5 参考「陸軍軍需審議会に於いて審議の件」アジア歴史資料センター Ref.C01004239300
*6 日本陸軍の戦車においては、チハ車で初めて本格導入された「第二種防弾鋼板(浸炭処理された表面硬化鋼、浸炭鋼板)」。これまでの装甲より防弾性能が向上したと評価されており、この審議会でも「従来の装甲板30mmと最近出来た装甲25mmを比較すると、むしろ新しい25mmの方が強い」といったような発言がなされている
*7 舟艇を河に並べ、その上に床板を渡したもの。新式戦車に対する討論では「12tまでなら舟艇4隻で渡河出来るが、それ以上を安全に渡河させる、となると5隻は必要となり作戦上不利となる」という意見も出された。なお、その後、重門橋の性能は大きく向上している。のちにチハ車の渡河でも多用され活躍した「九九式重門橋」はトラック7台に分載できる3隻門橋で最大16tの搭載能力を持ち、チハ車や野戦重砲を渡河する事が可能であった。
*8 輸送船への積み下ろしに使用するデリックの重量制限説も有力視されていたが、当時の軍需審議会の議事録には記載されていないという。実際、大型輸送船の損害がほとんどなかった日中戦争初期や、優先的に優秀船が割り当てられていた開戦時の南方作戦ではさほど大きな問題とならなかったようである。だが輸送船の被害が急増するとそのような余裕も無くなり、「チハの装備を降ろして何とか対応した」といったような証言も残されている
*9 チハの場合はここに防弾ガラスで保護された複数の覘視孔があり、車長がより周囲の状況を把握しやすくなっていた。また、この展望塔上部にはドーム型の車長用展望装置(パノラマ眼鏡)も装備する事が可能となっている
*10 出典:高橋昇「日本の戦車と軍用車両」文林堂 2005年 30ページ
*11 この装甲厚削減は前述の「第二種防弾鋼板」採用によって、25mmでも十分な防弾効果を発揮できると判断された事が大きい。ただこの新しい装甲板は加工も難しく、全面に採用する事は出来なかったようである。そのためチハの場合、装甲箇所によっては従来の装甲板も使用されている
*12 当時は軽戦車以上の車体を持つ戦車でも、車長が砲手や装填手を兼任している戦車が意外と多かった。当然、役割が増えればそれだけ車長の負担も増す。車長がそれらの役割から独立して指揮に専念できる事は、戦車としての戦闘力を最大限発揮しやすくなるという点で有利となる。
*13 チハが採用した「シーソー式サスペンション」は車内外部に取り付ける構造のため車内容積を装置に取られない利点があり、地形追従能力も高く走破性は良い。しかし走行時の衝撃や騒音を抑える役割を担っていた下部転輪外周のゴムタイヤが発熱しやすく、長距離行軍時は定期的に小休止を取らないとタイヤが溶けて中のワイヤーが剥き出しになったり脱輪する原因となってしまっていた。「ゴムタイヤを冷やす目的で小休止をとる中、真横を九五式軽戦車が軽々と追い越していった」というような記録も残されている。また構造上、一部に防弾用の覆いがあるとはいえ懸架ばねが外部にむき出しとなっているため、防御面の不安も大きかった。
*14 特に変速が厄介だったようで、戦車隊将兵の間で広まったという戯れ歌では「チハ車の変速むずかしい いやだいやじゃと ギヤが泣く」とまで歌われる程であった
*15 1938年に採用されたM2A3は砲塔に機関銃を搭載しているタイプで、対戦車火力の不足が指摘された。そのためこの機関銃塔を37mm戦車砲搭載型の二人用砲塔に換装したのが、1940年から生産を開始したM2A4である。A3型では最大22mmだった装甲厚も若干強化されたが、これでも対戦車戦では力不足だとしてM3軽戦車が開発される事となる。
*16 Main Battle Tank(主力戦車)の略。装甲・火力・機動力の全てを高次元に備えたオールインワン戦車で、軽戦車・中戦車・重戦車といった区分を過去の物にした。現代において戦車といえば通常MBTを指す。
*17 八九式中戦車の主砲
*18 耐久性向上のため、砲身先端部分の厚さを増しているなど
*19 実際に担いでいるわけではなく、砲の肩付け用器具に肩を当てて握把(グリップ)を握り、砲を直接操作するような形となる。射撃時は砲横にある頬当てに顔の右側を当てながら照準眼鏡を覗き、肩当てや握把(グリップ)を介して砲を可動させる事で照準の微調整をおこなう。
*20 戦車を機動させつつ行なう射撃のこと。日本陸軍の戦車は大戦後期に開発された一部を除き、前提として歩兵支援用戦車だった。敵陣地に突入した際には素早く火点(機関銃巣など)を制圧して歩兵を援護する事が求められるので、このような射撃動作は重要視されていた
*21 九七式五糎七戦車砲の最大発射速度は一分間に10発前後とされている。しかしエンジンをかけているなら一応換気できるとはいえ、狭い車内では射撃時に発生するガスの問題もあるので、その点は配慮しなければならなかった。これは車載重機関銃の射撃においても同じである。
*22 砲塔が旋回可能な状態と固定されている状態の切り替えをおこなう。手前側に倒すと旋回状態。上げると砲塔は固定されて、旋回しなくなる。
*23 57mm砲の下部、砲身を支えている部分。防弾鋼製のカバーで覆われており、この内部に駐退復座機を収容している
*24 同時期に採用された「九七式手榴弾」の炸薬量は65gであり、単純な比較ならその四倍程の炸薬量となる
*25 その見た目から「かんざし(簪)式」とも呼ばれていた
*26 日本戦車のかんざし式機関銃は、主砲同軸機銃と比べ非効率的とよく指摘される。確かに、貴重な戦車砲弾を撃ちたくないからと(或いは機関銃で対抗できない相手が出てきた場合も)いちいち砲塔を回していたら敵を見失うかもしれないし、反撃される危険も高まる。それでも日本陸軍がこの方式を採用していたのは、例えば肩当て式の主砲と同軸機銃は相性が良くない(操砲の邪魔になる、互いに干渉し合って射撃時に不都合が生じる等)、砲塔内スペースの問題といった事情があったからともいわれている
*27 3連装、4連装、部隊の自作らしきものなど、色々なタイプの発射機が使用されていたという
*28 この場合は友軍の歩兵部隊を追い越していくこと
*29 演習などで使用される訓練用の砲弾
*30 参考文献:寺本弘「戦車隊よもやま物語―部隊創設から実戦まで」光人社NF文庫 230ページ
*31 貫通ではなく榴弾の爆発力で装甲を叩き割ったり戦車内部にダメージを与えるため。この射撃実験ではチハ3輌による射距離300mからの集中射で、M3軽戦車の砲塔装甲に亀裂を生じさせる事ができた。なお「徹甲弾が駄目なら榴弾で」という判断は、マレー作戦において大口径榴弾砲の至近弾を受けた際に戦車の装甲板接続部が割れたという経験に基づくものだったという
*32 どのような弾種が使用されていたかは分からない
*33 ただし九五式軽戦車の装甲(最大装甲厚12mm)は徹甲弾などで貫通されてしまうので、この九五式軽戦車とチハの話が混同された、という可能性がある
*34 ミリタリー・クラシックス 2019年9月号vol.66 61-63ページ 「九七式中戦車搭乗員インタビュー」
*35 写真で確認されているのは満州に展開していた部隊への配備のみだが、部隊の移動に伴い南方方面に送られた増加装甲型もあったという
*36 M3軽戦車から切り出した装甲板はチハに溶接する案もあったようだが、車体のバランスが崩れて走行性能に悪影響が出ること、禁止されていた「兵器の改造」に当たる可能性がある事などを考慮した結果、脱着可能なボルト固定式となっている
*37 閲兵時に盛大に発煙し、不審に思われる程
*38 一応これらの落伍車輌はしっかり修理、回収され、ほぼ全て部隊に復帰できたという
*39 前期型車体では一応排気口の上部に遮風板が設置されていたとはいえ、どうしても空冷エンジン冷却の為に機関室上面の吸気口から取り入れる外気と側面から排出される熱せられた排気がいくらか混ざり合ってしまい、エンジンの冷却効率を低下させてしまう場合があった。
*40 勿論、無線装備が標準となった日本軍の戦車部隊でも手旗信号自体は補助的な指揮連絡手段として使われ続けていた
*41 陸軍戦車兵の間で広まった戯れ歌でも、「九七戦車の粋なこと 向こう鉢巻き 伊達姿」と歌われていたという。だがこの鉢巻きアンテナには被弾により損傷しやすいなどの欠点もあり、新砲塔チハでは鉢巻きアンテナを廃止。車体後部に直立式のアンテナを設置するようになった。
*42 作戦中の指揮車輌には、このロッドが4~5m程にまで達する車輌もあった
*43 なおBT戦車の最新型であったBT-7は日本軍戦車隊の撤収後にノモンハンへ本格投入された為、直接交戦する事はなかったとされる
*44 特に装備優秀で士気と練度も高い部隊はチハが本格的に配備される前、初期の大規模戦闘で大きな打撃を受けているという場合も多かった
*45 こういった攻撃も全く効果がないという訳ではない。例えば八九式中戦車では小口径弾の集中射撃を受けて主砲の砲身や駐退復座機が破損、射撃不能となるような状況が頻発していたともいわれており、このような戦訓はチハの防御力向上に活かされている
*46 ただし、数は少なくとも装備していた対戦車砲はドイツ製37mm砲やソ連製45mm砲で性能が良く、他にも地雷、対戦車壕と油断はできなかった。実際にこれらによって戦車隊が大きな被害をだした戦闘もある
*47 米軍、英軍、豪軍、蘭軍、中国軍、その他植民地軍、自治領軍
*48 出典:寺本弘「戦車隊よもやま物語―部隊創設から実戦まで」光人社NF文庫 145ページ
*49 参考文献:土門周平/入江忠国「激闘戦車戦」光人社NF文庫 170ページ
*50 出典:寺本弘「戦車隊よもやま物語―部隊創設から実戦まで」光人社NF文庫 145ページ
*51 九七式五糎七戦車砲は砲口初速約350m/秒という低初速砲であったが、一式四十七粍戦車砲では大幅に向上して810m/秒となる。
*52 機関銃陣地といった近距離の固定目標に対する素早い照準と射撃
*53 ただ、高初速化により射撃時の反動が大きくなるなど砲手の負担は増していたようである。ここが肩当て式の限界と判断されたのか、のちの新型中戦車「一式中戦車チヘ」が搭載した一式四十七粍戦車砲の改良型は肩当て式を廃止、照準操作はハンドル式のみとなっている(砲自体の重量増加に対応する為、チハ改においても仰角・俯角の照準操作はハンドル式を採用していたという)