練習ページ/90/コメント
Cached: 2024-12-20 16:24:38 Last-modified: 2018-04-05 (木) 19:32:43
練習ページ/90
- 構造や戦歴の部分などに加筆しました。 --
- 以前に戦歴部分を折りたたんではどうかという提案があったのですが、そちらも行うべきでしょうか。 --
- 追加部分がわかりにくいとの指摘がありましたので追加や変更した部分など載せます。追加や変更していない項などは一旦削除しました。 --
- 九七式飛行艇の部分。 --
- 戦争後期には哨戒の他、レーダーを搭載して夜間索敵にも用いられ、終戦後は緑十字飛行に従事した。 --
- 「九七式には民間タイプの「川西式四発飛行艇」もあり、」の部分を「九七式飛行艇には輸送型もあり、民間に売却された機体は「川西式四発飛行艇」として、」に変更しました。 --
- 二式大艇の構造などの部分。 --
- 主翼は波飛沫などによるプロペラ損傷などを避けるために高所に配置され、エンジンの両脇には整備などを行うために折りたたみ式の足場を主翼に備えていた。 --
- 他にもプロペラやエンジン換装に備え、起重機の設置が可能なようになっていた。二式大艇のフラップは二重構造となっており、子フラップの方には魚雷搭載時に下げた際に干渉しないように切り欠きが施されていた。 --
- 機首底部には爆撃照準や編流測定を行うための孔が設けられており、普段は浸水を防ぐため蓋がしてあった。 --
- 底部の整備などで陸上に上がるために艇体左右に800kg(840kgとも言われる。)ある台車と尾部に補助台車を装着できるようにしてあった。 --
- 最初の生産型である一一型では7.7mm機銃×3、20mm機関砲×3とする資料もある。 --
- 「少数が量産された二式輸送飛行艇「晴空」は」の部分に「36機とも42機とも言われる。」との注釈を追加。 --
- 二式大艇の戦歴などの部分。 --
- 「場合によっては、二式大艇のほうから積極的に攻撃を仕掛けていくことさえあったという」の部分に「搭乗員であった金子中尉によると、やると叱られたがカタリナであれば追いかけたと証言している。また、二式大艇はB-17より速く、B-24とは同程度の速度性能で安心感があったとも証言している。」との注釈を追加。 --
- K作戦の部分。 --
- 米軍は空襲後に調査を行い、フレンチフリゲート礁を補給地点としたのではないかと判断した。 --
- 作戦に参加した機体は帰還後ミッドウェー方面の偵察を命じられ、3月10日夜間、それぞれミッドウェー島とジョンストン島への偵察を行った。ミッドウェー島へ向かった橋爪機は未帰還で、戦闘機に撃墜されたものと言われる。 --
- 第二次K作戦の部分には米軍もフレンチフリゲート礁を飛行艇の補給地点として活用していたとの文と自分が知っている範囲で出典の追加をしました。 --
- 第二次K作戦の補足の部分には自分が知っている範囲で出典の追加と引用形式だったので原文に変更した部分があります。注釈の部分では吉岡参謀の証言した年代など追加や変更した部分があります。当時の軍令部の情勢判断と加賀飛行長と分隊長とのやりとりの部分に時間経過や注釈などを追加しました。 --
- 二式大艇の戦歴などの部分。 --
- 1943年1月にはエスピリッサント島の米軍泊地に夜間爆撃を行った。その際、レーダー欺瞞紙が撒かれたという。同方面にはこの後も数回攻撃が行われた。 --
- 1943年12月にはコーチンに多数の艦船が集結中との情報から偵察を試みる。伊26から補給を受けたが、離水時に右フロートが破損してしまい、搭乗員収容後に機体は機銃で処分された。 --
- 1944年1月にはウォッゼ、ブラウン環礁からの搭乗員救出を行い、3月にはラバウルからの要員輸送、8月にはダバオからの人員救出も行った。連合艦隊司令部の輸送にも用いられたことがあり、福留参謀長らが遭難し機密文書が流出した海軍乙事件が起きた時は二式大艇に搭乗していた。 --
- 以上が追加や変更した部分になります。 --
- ミッドウェー海戦の記述を簡略化してはどうかとの提案があったので該当箇所の記述を減らした文を追加しました。 --
- あら、戦前構想完全にオミットしちゃったのか。 二式大艇が大航続をもった高速機として計画されたのは「戦艦に対し水平爆撃をかける」というものが飛行艇の導入から連綿として続いた結果結実したものなので、これを外すのはどうかと思うよ。 --
- いえ、記述を追加や変更した部分がわかりにくいとの指摘があったので、変更していない部分は一旦削除しました。他の部分をオミットしたいわけではありません。バックアップの34版のような感じにしたいと思っています。 --