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|>|>|>|>|~No.265|
|&ref(装備カード一覧/weapon265.png,nolink);|>|紫電改(三四三空) &nobr{戦闘407};|>|局地戦闘機|
|~|>|>|>|~装備ステータス|
|~|~火力||~雷装||
|~|~爆装||~対空|+11|
|~|~対潜||~索敵||
|~|~対爆|+2|~迎撃|+4|
|~|~&nobr{[[戦闘行動半径>基地航空隊]]};|4|~装甲|+2|
|~|>|>|>|~装備可能艦種|
|~|BGCOLOR(#ccc):COLOR(#ddd):駆逐艦|BGCOLOR(#ccc):COLOR(#ddd):軽巡洋艦|BGCOLOR(#ccc):COLOR(#ddd):重巡洋艦|BGCOLOR(#ccc):COLOR(#ddd):戦艦|
|~|BGCOLOR(#ccc):COLOR(#ddd):軽空母|BGCOLOR(#ccc):COLOR(#ddd):正規空母|BGCOLOR(#ccc):COLOR(#ddd):水上機母艦|BGCOLOR(#ccc):COLOR(#ddd):航空戦艦|
|~|>|>|>|~備考|
|~|>|>|>|開発不可、改修不可、[[入手方法>#HowtoGet]]&br;[[基地航空隊]]にのみ装備可能|
//|>|>|>|>|~[[改修更新>改修工廠#item]]|
//|>|>|>|>|[[紫電一一型]] → ''紫電二一型 紫電改''|
|>|>|>|>|LEFT:本土防空の切り札、局地戦闘機「紫電改」。同機が集中配備された三四三空。&br;四国松山に展開した同戦闘飛行隊の一つ、精強な紫電改戦闘機隊、戦闘407。&br;精鋭搭乗員かつ若き空中指揮官である林隊長の率いる同隊は、不利な戦局の中、圧倒的に優勢な敵機動部隊艦載機、そしてB-29邀撃に飛び立ちました。|
*ゲームにおいて [#game]
-「[[紫電改(三四三空) 戦闘301]]」とパラメータは全く同じで、性能面での違いはないとみられる。基本的な使い方はあちらと同一で問題ないだろう。
**入手方法について [#HowtoGet]
#fold(過去の入手方法){{
過去の入手方法
-2023年 早春・春イベント『[[絶対防衛線!「小笠原兵団」救援]]』[[E-2>絶対防衛線!「小笠原兵団」救援/E2#area]] 甲作戦(&color(teal){★+2};)・乙作戦(&color(teal){★};なし) 突破報酬
}}
**性能比較表([[装備最大値/局戦・陸戦早見表/テーブル]]より転送) [#SpecTable]
#fold(長いので折りたたんでいます){{
#table_edit(装備最大値/局戦・陸戦早見表/テーブル)
}}
**アップデート履歴 [#update]
-2023年 03月01日:[[イベント報酬>絶対防衛線!「小笠原兵団」救援/E2#area]]として実装。
-2023/03/01:[[イベント報酬>絶対防衛線!「小笠原兵団」救援/E2#area]]として実装。
*小ネタ [#neta]
-紫電改(三四三空) 戦闘301の[[小ネタ>紫電改(三四三空) 戦闘301#neta]]も参照。
-1944年3月15日、第361航空隊の所属飛行隊として、361空編成と同時に編成された。戦闘機の特設飛行隊で最初の400番代であったが、341空ですら[[紫電>紫電一一型]]が充足していなかったので、零戦のみ、しかも定数には足りていなかった。それどころか、飛行隊長を補佐する分隊長すら編成当初は誰も発令されていなかった。
-飛行隊長となったのは、この日大尉に昇進した林喜重大尉、兵学校69期を卒業し、第37期飛行学生を終了して、[[251空>零式艦戦22型(251空)]]に所属してソロモンで戦い、生き残った。
4月18日、分隊長として蛭沢久也大尉が着任した。飛行隊長が大尉になりたてなのにもっと若い大尉がいるのかって?そう、蛭沢大尉はある意味の同期、海軍で言うコレスポンデント=対応期であったのだ。機関学校50期を卒業して、一度エンジン整備の道に進みながら、搭乗員不足でパイロットへ転向し、第39期飛行学生(兵学校71期を中心に、少数の兵学校69期と70期に機関学校50期が3名、51期が1名おられた)を卒業して着任したのである。
7月10日、361空は解隊され、戦闘407飛行隊は221空所属となる。が、依然として零戦装備である。このとき、戦闘308飛行隊が新設され、蛭沢大尉は同隊の飛行隊長となっていった。
10月、台湾沖航空戦、そしてレイテ沖海戦とともに、221空もフィリピンに進出する。10月24日の総攻撃で蛭沢大尉(そして、機関学校、飛行学生も同期だった戦闘402飛行隊分隊長の横手高明大尉も)が戦死してしまう。戦闘407飛行隊も、特攻や通常攻撃で戦力を消耗してゆく。
-1945年1月、ようやくパイロットのみが内地に引き上げてくるが、地上員たちを待ち受ける運命は、他の部隊と同じである。
それでもなんとか、内地に引き上げて、第三の紫電改装備の飛行隊となる。戦闘401飛行隊と戦闘402飛行隊も同時期に引き上げているが、2月末には、401飛行隊は錬成隊に、402飛行隊は空母から離れた601空に移動している。
-そして、3月19日、紫電改での初陣を飾り、4月16日、343空は40機(離陸できなかったのや引き返したのがいるので戦闘に参加したのは32機)で喜界島付近へ進出してF6Fと交戦した。この時、林大尉は自分の2番機、3番機、4番機を含む6機を失ってしまった。数日後の22日、B29の迎撃に出た林大尉はそのうちの1機を執拗に追いかけ、ついに撃墜に成功したが、自分も被弾したのか、鹿児島県の阿久根付近の海岸へ墜ちるように不時着し、そのときに亡くなった。
-5月、インドネシアから戦闘602飛行隊が引き上げてきて、飛行隊長の林啓次郎大尉(海兵70期)、分隊長の服部敬七郎大尉(海機52期)ら多くが補充され、そのまま戦闘407飛行隊の主力となる。だが、度重なる出撃で、6月22日、林啓次郎大尉も戦死することになる。
-7月、三代目飛行隊長として、戦闘402飛行隊分隊長の光本卓雄大尉(海兵70期)が着任する。レイテ、沖縄と紫電で戦い続けてきたベテランである。
-8月8日、ついに最先任飛行隊長となった光本大尉を指揮官として24機がB24、そして護衛のP47、P51、さらにやってきたB29の迎撃に出た。乱戦となり、9人も失うことになり、さらに服部大尉は被弾して片腕を失うことになる。
-戦力を大幅に減少した343空は、翌9日には休暇を取り皆で近くの山に登っていた。そして、南の空にキノコ雲が・・・。その6日後、戦争は終わった。
*この装備についてのコメント [#comment]
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